第99話 施設の制圧完了!
「幽霊と勘違いされたが、それを利用して場を撹乱しようと思ってな。スタッフを追い回し、ひとりずつ確実に捕らえて外に集めておいたんだが……」
ぽつりぽつりと経緯を話し始めた静夏は己の汚れた服を摘まんだ。
何度見てもカラフルだ。
「その途中でよくわからない薬をかけられたり、手当たり次第に物を投げられたりと色々あって汚れてしまった」
「物理的に汚れるのにオバケだと思われてたんだ……」
「いや、最後はマッチョが追いかけてくると普通に怯えられることが多かったな」
「だよなー……!」
「これだけ身なりが大変なことになっていれば当たり前か」
理由はそれだけではない気がしたが、伊織は敢えて口に出さないことにした。
その過程で髪が解け、靴もどこかに落としてきてしまったらしい。そう語りながら静夏はてきぱきと足元の男を縛って抱き上げた。
お姫様のような抱き方をされているボンレスハムに見える。
「恐らくこの男が最後だ。やっと捕まえた」
「白目剥いてますね……」
リータの見上げる先で男がついに失神したのか泡を吹いていた。さすがにもう静夏を幽霊だとは思っていないだろうが、身の丈二メートル越えの淑女に縛られて抱え上げられれば普通に怖いだろう。
その光景と反比例してバルドとミュゲイラは目を輝かせていた。
「さっすがマッシヴの姉御……! あたしらが逃げ回ってる間にそこまでしてくれてたなんて!」
「……」
「やっぱイイ女だなぁ、捕まえてる間にあの球体も潰しちまうなんてよ」
「……」
それぞれ眩しいほどきらきらとしているふたりの間に挟まれた伊織は無言だった。
なぜこの位置取りにしたのだろうか。凄まじい居心地の悪さを感じる。
伊織はそう遠くを見たが、前に出て母と話していたところにふたりもずいずいと歩み出た形になるので致し方ない。
静夏は床に落ちた球体の残骸を見下ろす。
「スタッフを追っている間に纏わりつかれてな、これ以外にも三つ壊しておいた」
静夏が倒した球体の数を見るに、警備システムとして放たれた球体はすべて倒しきったらしい。
伊織はホッとしつつ「母さん、そいつらビームとか撃ってこなかったか?」と訊ねる。もし母も同じような怪我をしていたらどうしよう、と心配してのことだ。
静夏はあっけらかんとして答えた。
「ああ、びっくりして拳圧で弾き返してしまった」
「拳圧やべえ」
ところで、と静夏が伊織を見下ろす。
そのまましゃがむと肩に触れるか触れないかの位置で手の平を止めた。
伊織の肩にこびりついた血は酸化が始まり変色しており、真新しい頃より生々しさは少ないが目立つことに違いはない。
それに静夏が気がついていないはずがなかった。
「……怪我をしたのか」
「ごめん、咄嗟に庇った時にちょっと……でも捨て身だったわけじゃない。単純に見誤ったんだ」
そうか、と短く言った静夏の声音に怒気は含まれていなかった。
安堵している伊織を見つめながら静夏は問う。
「包帯が見えるがひとりではできない手当てだろう、誰がやってくれた?」
「あー……俺だ。時間がなかったから雑ですまねぇな、後でもうちょっと綺麗に巻き直してくれ。――って、え、えええっ!?」
謙遜したバルドは静夏が自分の両手をぎゅっと握ったのを見て思わず声を上げた。
バルドとしては女性の体に触れることに抵抗はないが、まさか静夏の方から手を握ってくるとは思っていなかったのか目を丸くしながら狼狽する。
そこへ静夏が言葉を重ねた。
「ありがとう、感謝する」
「き……きに、きにすんなよぉ」
「バルド、声が裏返ってるぞ」
相方の気味の悪い反応に若干引きつつ、一歩前に出たサルサムが眉根を寄せて頭を下げた。
「イオリが庇ったのは俺だ。すまない」
「いや、謝ることではない。それは伊織も望んでいないことだろう」
バルドから手を離した静夏は柔らかく笑う。
「伊織が守ろうとした結果が実って良かったと思っている」
「母さん……」
伊織はどこかほっとしながら改めてサルサムを見た。
サルサムはなんでもひとりでこなせる大人だ。だからこそ誰かに庇われることに慣れていないのか、伊織の怪我を随分と気にしている様子だった。
それに加えて伊織がだいぶ年下であることも関係しているのだろう。
この後悔が今後のわだかまりになってほしくない。
そんな気持ちで伊織は声をかける。
「サルサムさん、本当に気にしないでくださいね。今度は庇うことがあっても怪我しないように精進するんで!」
「……ああ、俺も庇われることなんてないように気をつけるよ」
やっとサルサムが体の力を抜いたのを見て、伊織は安堵し母親と同じような笑みを浮かべた。
***
捕まった研究員たちは全員縛られ屋外に座らされていた。
研究内容的に魔導師が混ざっている可能性があり、いくら縛っておいても魔法を使って逃げられる危険もあったが――全員気絶しておりその心配はないようだった。
どんな追われ方をしたんだろう、と伊織は好奇心半分恐怖心半分で思う。
聞き取り調査のため、誰かひとりでも目覚めるのを待つ。
その間に再び施設の中を確認したが、膨大な人体実験のデータが見つかったくらいだった。生きた実験体は現在施設内には存在しないらしい。
これに関して伊織は少しホッとした。
魔力を使用する機材は食堂にあった昇降機とは違い、ナレッジメカニクスに登録されている者の魔力でしか使えないようになっているようだった。
ものは試しとリータが魔力を流してみたが、もちろん反応はない。
地下の魔法陣は恐る恐るもう一度触れてみたが、今度は球体が現れるようなことはなかった。
しかし正体不明の魔法陣であることは変わらず、ヨルシャミ抜きでは間近で調べてみてもなにもわからない。
そんなことを試している間に数人の研究員が目覚め、その中には最後に捕まった男も含まれていた。
「魔法陣……? 知らないぞ、そんなもの」
目覚めてすぐは錯乱していたものの、どうにかこうにか宥めて地下の魔法陣のことを訊ねると、そんな答えが返ってきた。
ミュゲイラは肩をいからせて詰め寄る。
「お前らの研究施設の真下にあったんだぞ、知らないはずがないだろ」
「ほ、本当だ! 部屋があるのはわかっていたが、そこには入らないようきつく言われていた。一部の幹部は出入りしていたが……」
それも用のある者のみだったという。
ニルヴァーレは『用のない者』で、興味もなかったため地下の更に地下を知らなかったのかもしれない。
どうやら男が球体に命令を飛ばしたのも警備システムを把握していたからではなく、たまたま出会った際に自分を保護対象と判断していたため使っただけで、そもそもあんなものが地下に配備されていたことすら知らなかったらしい。
臨機応変さだけは認めよう、と伊織は思う。
リータは残念そうに両耳を下げた。
「やっぱり施設の維持のためだけにいた人たちなんでしょうか……」
「なっなななななにを言う、フォレストエルフ風情が! 私たちはナレッジメカニクスの一員として名誉ある施設勤めを任された――」
「はいはい、どうどう」
ミュゲイラはリータに食ってかかった男の首根っこを掴み上げる。
まるで子猫を持ち上げる飼い主のようだった。ぷらんとぶら下がった男は大人しくなったが、観念したわけではなく単に自重で首が絞まっただけである。
「とりあえず、この施設をどうするかはヨルシャミが目覚めてから決めよう。あとは捕まえた研究員たちだが……」
静夏がそう言いかけたところで身じろぎする音が重なった。
「――大丈夫だ、今対処しよう」
リータの膝枕で眠っていたヨルシャミが少し枯れた声でそう言った。
「ヨルシャミ! 目覚めてたのか!」
「今しがたな……あー、頭が割れるようだ、これは酷い」
苦悶の表情を浮かべたヨルシャミはずっと目を瞑ったままだった。
目もやられてしまったのだろうか、と心配した伊織だったが、それを問うとヨルシャミはうっすらと笑う。
「睫毛がくっついて離れんのだ」
「ああ、流れた血がそのままだったから……!」
「無理に剥したら抜けちゃいそうですね、どこかに水は……」
いや、今はいい、とヨルシャミは片手を振る。
そして当たり前のことを口にするように言った。
「どうせまた昏倒予定故な」
「こ、昏倒予定?」
ヨルシャミは研究員たちの方に頭を向ける。
視線が向いたわけではないというのに、研究員たちはびくりと肩を震わせた。
「見えぬがそっちに研究員を固めてあるのであろう? さっきの様子を鑑みるに奴らは碌な情報を持っていない。……イオリ、そっちは情報収集はできたか?」
「え、っと。うん、できた。後で纏めて話すよ」
「よし。あとは……あの魔法陣は解析に何日もかかるだろう。しかしその間に騒ぎを嗅ぎつけた本部の者がくるかもしれない。故に施設ごと潰してくれ。これはシズカに任せる」
安心して任せるといい、と静夏はすぐに頷いた。
ヨルシャミはゆっくりと上半身を起こし、その背中をリータが支える。
「では、これから研究員どもの記憶を封じる」
「ふ、封じる!? 記憶を……!? そんなことできるのか?」
「私は超賢者だぞ、これくらい朝飯前だ! まあ今だと確実に再び倒れるが!」
なぜそれを威張って言うのだろう、と心配なような呆れるような複雑な気分になりながら伊織は口を開閉させた。上手く言葉が出ない。
ヨルシャミは言葉を続ける。
「闇属性の最上位魔法に任意のものを圧縮し闇に屠るものがある」
「それってヨルシャミがあたしと逃げてた時に使ったやつか?」
「あれは物理的なもの限定だ」
しかし魔法の序列としては圧縮魔法の上位、または応用に位置するとヨルシャミはミュゲイラの問いに説明した。
ヨルシャミも使用したことはないが、原理はわかる。
だが同時に負うであろうリスクもわかるのだと眉を下げた。
やはりこの肉体はヨルシャミにとって枷、もしくは檻なのだ。
「今のこの体では心臓が止まっても文句は言えないことになるからな、故に譲歩して記憶の封印だ。その後の対処は――」
「俺がやろう」
そう言って片手を上げて歩み出たのは、サルサムだった。





