第1004話 パクパクウサウミウシパック 【★】
伊織が食堂でヨルシャミの勧めていた定食を食べ始めた時、向かいに座るセルジェス越しに赤い髪が視界に入った。
ネロだと気がついた伊織は片手を上げて声をかけ――ようとしたところで固まる。
「ネ、ネロさん、随分斬新なファッションですね?」
「なんか起きた時から離れてくれないんだ……よ……って、その声はイオリか!?」
そう笑みを浮かべたネロだったが、伊織は目を合わせることができなかった。
精神的な理由ではない。物理的に目が合わせられない。
ネロの顔面にはぺったりとウサウミウシが張りついていた。
喋る際はウサウミウシの尻を摘まんで持ち上げているが、どうやら全身を引き剥がすことはできないようだ。そうでなければこの状態で食堂まで来ないだろう。
ネロは視界が最悪の状態だが、ウサウミウシ越しに見える光の明暗とネコウモリの先導でなんとかここまで来たという。
そこでヨルシャミが眉間を押さえた。
「あー……イオリが目覚めるまで私も看病に集中したくてな、ウサウミウシの世話で悩んでいた時にネロが申し出てくれたのだ」
「ネロさんが預かってくれてたんですね、ありがとうございます!」
「いやいや、ネコウモリも居たしわりと楽だったぞ」
ネコウモリは世話する側なのか……と伊織は思ったが、ウサウミウシの名誉のために口にするのは控えておいた。
「あっと、多分それお腹が空いたって無言の圧力ですね」
「え、でも食堂に来たのに無反応なんだが」
「寝てます」
「寝てます!?」
伊織は周りの迷惑にならない声量で「ウサウミウシ、ごはんだぞ」と呼び掛ける。
するとネロの顔面でぴくりとも動かなかったウサウミウシが両耳を立て、顔を上げたかと思えば「ぴぃ!」と鳴いて伊織に向かってジャンプした。
伊織はよしよしとウサウミウシを撫でながらパンをちぎって分けてやる。
「さ、さすがウサウミウシのご主人様。心得てるなぁ」
「慣れればわかりやすいですよ、……ぇ、ネロさんの肌がつやつやになってる……」
顔を上げた伊織はネロを見て再びギョッとした。
ふやけるわけでもなく、美容パックをしたかのように肌がつやつやとしている。
ヨルシャミは「一体何時間ああしていたのだ……」と口元を引き攣らせたが、伊織としては前に自分も顔面に乗られてた時はつやつやになっていたのかなと気が気でなかった。
ネロは「こういうのは魔法少年の時にやってほしいもんだな」と言いつつ伊織の隣の席を指した。
「先客がいるみたいだが、俺も一緒に食べていいか?」
「! もちろんです! セルジェスさんたちは――」
「僕たちもぜひ。ネロさんもイオリさんたちとは別の場所を旅してたんですよね、その話を聞かせてもらってもいいですか?」
そんな面白いエピソードはないぞ、と笑いつつネロは快諾する。
そうして訪れた村や街のこと、その先々でのエピソード、出会った人々、旅の目的のひとつである先祖の形見を見つけた際の話を繋げていった。
なんでも髪飾りを見つけたのは独特の文化を持つ村だったそうで、ネロは持ち主から買い戻そうとしたが――なにがどうなったのか、ネロが持ち主に求婚したことになっていたらしい。
紆余曲折ありつつもなんとか取り戻すことができたが、あれは本当に疲れたとネロは遠い目をした。
「結婚はな……憧れるけど、やっぱ自分の好きな子としたいからな……」
「こやつ存外ピュアよな」
「誉め言葉として受け取っとくぞ。あれだろ、お前らもその内するんだろ?」
ネロの問いにヨルシャミがにやりと笑う。
「うむ、事態が落ち着いてからだがな」
「わりと具体的だったか……! ははは、でも頑張る甲斐がある。俺もしばらくしたら魔獣の残党狩りに出る予定だからさ」
ベレリヤのほうでな、とネロは笑い返した。
――ネロも含め、仲間たちはすでに次の目標や進む道を決めているようだった。
伊織はそれに励まされながら、早くこの輪にふたりの父が戻ることを祈る。
きっとバルドやオルバートにも戦いが終わってからやりたいことがあっただろう。
それを心置きなくしてほしい。
そしてできれば傍らで見守りたい、と伊織は思っていた。
そこでセルジェスが突然言いづらそうに声を出した。
「あの、その、イオリさん」
「なんですか?」
「僕もヨルシャミさんとセラアニスは別人という認識なんですが、その、肉体はセラアニスなので、……折角の機会なのではっきり問わせて頂いて良いでしょうか?」
テーブル越しにズイッと前に出たセルジェスに気圧され、伊織は言葉で許可する前にこくこくと頷く。
セルジェスは真面目な、それでいて少しばかり照れを含んだ表情で問い掛けた。
「お二人が結ばれた暁には、僕も親類……身内として接してもいいですか?」
「……!」
「義理の兄と言うには複雑な状態なので、ただの身内のひとりでいいです。そしてヨルシャミさんが妹に体を返すことを諦めてはいないことも知っています。それが叶った時は解消してもらっても構いません」
少しばかり寂しいですが、と付け加えたセルジェスに伊織とヨルシャミは顔を見合わせ、そして肩を揺らして笑う。
「僕らの家族は初めから複雑な関係の宝庫です。なので問題なし、大歓迎ですよ!」
遺伝上の父が不在の転生者の母子。
伊織から見て現世の祖父母とおじ、おばたち。
元男性の婚約者。
家族として接している、人間をやめて魔石になった人。
今は血の繋がりはない前世の父がふたり。
伊織を親のように慕うウサウミウシ、リーヴァ、サメたち。
そして極めつけが疑似家族として過ごしてきたナレッジメカニクスの面々。
ここに婚約者の肉体の実兄が加わったところで波のひとつも立たないだろう。
そう言って伊織が手を差し出すと、セルジェスは「たしかに」と笑みを浮かべてその手を握った。
「じゃあ、その、セルジェスさん。ゆっくりでいいんで敬語も無しにしましょうか」
「はい、……うん、改めて宜しく、イオリ!」
「こっちこそ。宜しく、セルジェス!」
その光景を眺めながらヨルシャミは「セラアニスに報告することが増えたな」と頬杖をつきながら呟く。
ネロが先ほどのセルジェスのように言いづらそうな声を発したのはその時だ。
もしやネロもなにか訊ねたいことがあったのだろうか。
そう思った伊織は視線をそちらに向けたが、ネロはその逆側を指さしながら絞り出したような声で言った。
「お前の飯、ウサウミウシに蹂躙されてるぞ」
「うわー! 八割食ってる! ホントはらぺこだったんだな!?」
この後、伊織はすぐさまおかわりをすることになったが――そのおかわりも二割ほど食べられたため、ウサウミウシはきっちり一人前の定食をパクパクと平らげたのだった。
成人したネロ、ネコウモリ(絵:縁代まと)
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