第1000話 伊織の言う通り 【★】
「珍しい組み合わせ? いや、まあ言われてみれば珍しいか」
伊織に声をかけられたサルサムはきょとんとしながらも納得し、そしてイリアスへと視線をやった。
イリアスは立ち止まって話をしている間も重いものを持ったままでいるのは非効率だ、と数秒経って気がついたのか木箱を床に置いている。
そして視線に気がついたのかにやりと笑った。
「俺はもう数日はレプターラに滞在することにしたからな、その間にレプターラ産の鉱石や宝石を目利きして買い込んでたんだ」
普段、ベレリヤの政治は主にアイズザーラをメルキアトラとシエルギータが補佐する形で支えている。
現在は緊急事態のため国に残ったメルキアトラひとりで担っているが、その補佐を母のミリエルダが行なっているという。
聞けばミリエルダは国内でも力の強い家門の出身で、ベレリヤにも少なからずいる腹に一物を抱えた貴族たちの牽制になっているらしい。
普段より負担は大きいが、ここにイリアスの入り込む余地はない。
メルキアトラとしても「今から政治のイロハを叩き込むより、友好国の経済でも回して好印象を与えてくれたほうが助けになる」とのことで、イリアスは心置きなくレプターラで趣味の石を買い込んでいたのだった。
「リアーチェちゃんは……」
「聞いた話じゃ母様の後をついて回ってるらしい。まぁ大方あいつも突然俺がいなくなって寂し――」
「多分それは母の所作を見て独学で学んでいるな」
「それで良いのかイリアス……」
「うるさいな!? 俺に政治は不向きなんだよ、代わりに商業で花開いてやるからな! 今に見てろよ!」
なんだその後ろ向きなのに前向きなセリフは、と言いながら伊織は笑う。
「で、その石を買い込む時にサルサムさんに手伝ってもらったのか?」
「目利きは自分の目でしてこそだろうが。サルサムには街に出る際の護衛と、あと運搬を頼んでるんだ」
「運搬? でも」
重い思いをしているのはイリアスであり、サルサムはやはり手ぶらである。
その答えをサルサム本人が口にした。
「俺の出番はこの後だ。王子の部屋にこれ以外にも買ったものがあってな、それを一気に転移魔石でベレリヤに送ることになっている」
関税やパスポートというシステムがないからこそできる方法だ。
イリアスはまだ滞在予定だが、買い集めた物品は部屋に置いておくには多い。
先に帰る騎士団や怪我人に頼むわけにもいかない。
倉庫を借りるのも視野に入れていたが、それなら転移魔法もしくは転移魔石で定期的に送ったほうがいいとイリアスは判断したらしい。
「転移魔石ならニルヴァーレさんやセトラス兄さんたちも使えるけど……」
「あいつらなんか怖いだろ」
「う、うーん」
第三者から見たニルヴァーレたち――特にナレッジメカニクスはやはり怖さや得体の知れなさがあるようだ。
伊織はいまいちピンとこなかったが、初めてニルヴァーレと会った時のことやシァシァたちと遭遇した時のことを思い返してなんとか納得した。
そしてベンジャミルタに頼むのは憚られる内容であり、消去法且つイリアスが知っている人物ということでサルサムに白羽の矢が立ったらしい。
伊織は心配げに訊ねた。
「サルサムさんは忙しくないんですか? ちゃんと休めてます?」
「お、お前、俺が無理やり連れ出したみたいに言うなよな」
唸りそうな顔をしているイリアスの隣でサルサムが「大丈夫だ」と頷く。
「主に足として使われてるだけだからな、魔力もペルシュシュカから貰ってるから俺が疲れるわけでもないし」
労うべきはペルシュシュカだったのかもしれない。
その可能性に苦笑しつつ伊織はイリアスの置いた箱をひとつ持とうとした。
「じゃあひとまず部屋に行きましょうか」
「お、おい、それは俺が買ったものだ。だから俺が持つ」
伊織と箱の間に割って入ったイリアスは先ほどまで持っていた箱をもう一度持ち上げようと手をかける。
しかし持ち上がらない。
「……あー……、地面に置いた状態からだと持ち上げられないことってあるよな」
「……」
イリアスは無言でもう一度チャレンジしたが、箱がぐらぐらと揺れただけだった。
ひとつだけ持って残りを上に置いてもらうという手もあるが、ついさっき断った手前頼みにくい、という感情がイリアスの顔にありありと浮かんでいる。
気が抜けたように笑った伊織は是非を問う前に箱をひとつ持ち上げた。
「お、おい! お前らもどこか行く予定だったんだろ、置いてけ!」
「僕らの目的地はイリアスの部屋だ、だから特に支障はないよ」
「俺の部屋に? いや、でも、……や、病み上がりだろ、目が覚めたからって油断してたらまた倒れるぞ」
伊織が目を丸くして「心配してくれてたのか?」と問うとイリアスは顔を真っ赤にし「か弱いか弱い甥っ子だからな!」と照れ隠しにもなっていない言葉を吐いた。
***
イリアスの部屋でお茶を飲みながら少しばかり言葉を交わし、ミッケルバードでのイリアスとサルサムの活躍を聞いた伊織は礼の言葉と共に頭を下げる。
穴を閉じている最中はやぐらの周辺しか確認することができなかったが、改めてあの島の各所で様々な人物が奮闘していたのだと伊織は再認識した。
そうして転移魔石でベレリヤへと向かうふたりを見送り、伊織とヨルシャミは次の訪問先へと足を向ける。
「近いのは話に出ていたペルシュシュカだが、お前的には先にシァシァのもとを訪れたいのではないか?」
「パパのことも気になるけど……」
ペルシュシュカも陰の功労者だ。
そして洗脳されていた伊織を奪還する計画の協力者でもある。
ここはペルシュシュカさんの部屋で、と言いかけたところで伊織の視界になにかが映った。
件のペルシュシュカである。
それを目にしたヨルシャミが笑った。
「今日はよく目標のほうからこちらへやって来る日だな。いやまぁ、皆が活発に動いている時間帯だからだろうが」
そうしている間にペルシュシュカも伊織たちに気がついたらしく、明るい表情を見せるとひらひらと手を振る。
「あら~! もう平気なの? 顔色は良いわね、女装映えしそう!」
「え、あ、ええと、どうも……?」
「伊織とはあまりゆっくり話せてなかったから、色々お喋りしたい……ところだけど、このあとやりたい事があるのよね……」
ならお礼で時間を取らせるのはいけないな、と伊織が思ったとこでペルシュシュカがぱちんっと手を叩いた。赤いマニキュアが光を反射して煌めく。
「後で部屋に来てくれる? 良いものをあげるわ!」
「良いものですか?」
「そ。うふふ、楽しみにしててちょうだい」
お礼を言いに行ってなにかを貰うのはいいのだろうか。
そんな引っ掛かりを感じた伊織だったが、好意を無下にするのも憚られる。
笑みを浮かべて「わかりました!」と頷くと、その隣でヨルシャミだけが眉根を寄せて口元を緊張させていた。
これは要するに、嫌な予感が全身に走った顔である。
***
ペルシュシュカと話すのはまた後ほどということになり、伊織たちは再び廊下を歩いていた。
日中のレプターラは暑い。
太陽光もぎらつくほどだが、ミッケルバードの暗黒に染まった世界を見てきた伊織たちには生命力の溢れる美しいものに見えていた。――とはいえ暑い。
「少し中庭のベンチで休憩していくか、……む?」
ヨルシャミが伊織を連れて行った先で涼しげな水色の髪がふたりを出迎えた。
長い髪を高い位置で纏めたセトラスである。
セトラスはベンチにもたれかかりアイスを齧っていた。コンビニ前で駄弁っている学生の様相を呈したセトラスは伊織に気がつくとぎょっとする。
「イオリ、動き回って大丈夫なんですか」
「うん、もう平気だよ。兄さんにも沢山迷惑かけてごめん」
「……いえ……我々の立場的に、あなたに謝られるとちょっと複雑なんですが……」
ひとまず受け取りましょう、とセトラスは咳払いをする。
その時、持っていたアイスが溶けて滴り落ちたのを見てヨルシャミが首を傾げた。
「随分としおらしいが、優雅に氷菓で休憩中か?」
「ああ、これは試作品なんですよ」
「試作品とな?」
「この国はごらんの通り暑いでしょう、そして王宮でさえ部屋に空中機器のひとつさえない。そこで今ある材料でなにか作れないかと思いましてね」
氷菓を作れるように冷凍庫を自作しました、とセトラスはさらりと言う。
「れ、冷凍庫……」
「魔導師もいますけど、水ならともかく氷はそこそこ高位でないと難しいでしょう。この国に必要なのは手軽に涼しくなれるものだと思いましてね、ただ……」
「もしかして失敗した?」
「いえ、成功しました。けど排熱が酷くてアイスを食べることができても灼熱地獄に拍車がかかるという有り様でして」
セトラスは水属性の魔法の水流を上手く機械に植え付けて調整しようと考えたが、魔法の提供者を探すのも設計図を見直すのも後にして休憩しよう、とここへ足を運んだと説明した。
各地のナレッジメカニクスの施設やラボから設備を剥がしてくればもう少し楽になるが、その場凌ぎに他ならない。そのうち材料ごと枯渇するのは目に見えている。
出来ればこの土地で賄える材料で作りたいんですとセトラスは言った。
「つまり、レプターラに住む人々の環境を少しでも良くしたいということか?」
ヨルシャミの問いにセトラスは「ええ、そうです。打算有りのね」と肯定する。
「ミッケルバードの件で一番被害を受けたのはこの国でしょう。アズハルの件もありますし。そしてレプターラはナレッジメカニクスが主な活動地にしていたベレリヤとも友好国です」
「そんな国に益をもたらす行為を積み重ねて、今後の印象を少しでも良くしようというのか」
セトラスは頷くと横を向いた。
伊織たちからは眼帯をつけた側しか見えなくなる。
「今更戻れないという気持ちはあります。何人も殺しましたからね、なのに仲間に入れてもらおうなんて虫のいい話でしょう。……けれどイオリの行く末は見守りたい。そのためには普通の世界にも居場所を作らなくてはいけません」
「兄さん……」
「だから民衆に許されるためにしているわけじゃないです。彼らは私たちを罵りながら、けれど作るものは使えるなと良いところだけ享受してくれればいい」
脆い足場だがこれはこれで居場所になる、とセトラスは言った。
――元々居場所としていたナレッジメカニクスはもう組織としては存在しない。
各施設にいた研究員たちも恐らく異変を察知し逃げている。そういった人間の集まる場所だったのだから。
そんな中で、セトラスが自分の手で居場所を作ろうとした結果だった。
「それに……私たちがイオリを唆したことも晒します。その上で小さくない恩恵をもたらせば、あなたへの非難も和らぐでしょう」
「……!? そこまでしてもらうわけには――ぅぐ!?」
伊織は突然の衝撃に目を白黒させる。
セトラスが見事なでこぴんを放ったのだ。
「あなたに我々の責任や咎まで背負われては格好がつかないでしょう」
「でも」
「最終的に判断するのは各国の人々です。これくらいは許してくださいよ」
そう笑ったセトラスは伊織たちのほうへ向き直る。
「あなたは戦場でマッシヴ様として皆を鼓舞した。今を生きて、共に戦い、世界を守ろうと。負けるなと。……私の戦いはこれからです」
「――うん」
「私はあなたを応援しましょう。あなたは私を応援してくれますか」
セトラスの声音に決意を感じ取り、伊織はほんの少し唇を震わせた。
洗脳により得た疑似的な家族だったが、結局のところ今現在もセトラスは兄であり家族なのである。シェミリザがそうであったように。
しっかりと頷いた伊織は固くなっていた唇で笑みを浮かべる。
「……もちろん! でも」
そして、自分を支えてくれると断言したヨルシャミの手を握り、真っすぐな目で言った。
「それは兄さんだけじゃなくて、僕たちの戦いでもあるんだよ」
セトラスは承知の上だろう。
しかしそれぞれが個別に戦うのではないと、伊織はそう強調するために口にする。
セトラスもヨルシャミもそれを感じたのか「真面目ですね」「真面目だな」と苦笑いを浮かべた。
そして暑い太陽の下、遠くから吹いてきた風に髪を遊ばせながら答える。
伊織の言う通りだ、と。
1000話記念イラストの伊織、ヨルシャミ(絵:縁代まと)
※イラストがリンクのみの場合は左上の「表示調整」から挿絵を表示するにチェックを入れると見えるようになります(みてみんメンテ時を除く)





