表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第5章 アンラ神聖国に蠢く闇
95/248

エクーニゲル大司教

 はぁ—と嘆息し、目の前に座る大柄の吸血鬼(ヴァンパイア)、ロッドを見る。ロッドは苛立ちが隠せず、椅子の肘掛をコツコツと人差し指で打ち鳴らしていた。何がそんなに気に入らないのか知らないが、己の浅慮が招いた結果である。なぜ受け入れようとしないのか、実に疑問だ。


「…面倒くさいことになった。ハーピィらはともかくとして、虎の子であるグリムからも逃げ果せるとは」


 視線を窓の外へ向ければ、幽鬼のような町人が、何人か窓の側を通過した。既に町全域は負の龍脈で満たされ、そこかしこから瘴気が溢れ出ている。ここは不死系魔物(アンデッド)の楽園と化していた。


(もう、これでは隠し立てもできないでしょ)


 ふぅ—ともう一度嘆息し、ロッドへ視線を戻した。


「やり過ぎでしょ。最近では、アトリアに近付いただけでも捕らえているでしょ?」

「…お前…俺の話を聞いているのか?」


 ロッドの顔がグニャリと歪む。全然聞いてはいなかったが、どうせ大した内容でもないだろう。ちゃんと聞いておりましたとも—と、笑ってみせた。


「それに、やり過ぎも仕方ない。負の龍脈に勘付かれたばかりか、忌々しいのはケイタイだ。お前も感じているだろう?あれは人類の強大な武器になり得る。大陸の端から端へと、即座に情報が伝達されるのだ。もう、行商や旅人を拐かすことも難しい。やるしかない」

「…まあ、そうでしょうね」


 眼鏡の位置を正し、ポケットからケイタイを取り出す。発売されたばかりの最新モデル。己の魔力でしか起動しない仕様になったそれは、秘密の多い私には、実に有難いものだ。マギステルから寄せられた山のような着信履歴を見つめながら、本当に素晴らしい魔道具を創り出したものだ—と、人類の進歩を内心で称えた。


「…お前も使っているのか?」

「そりゃ、便利ですし…人の世に紛れ込んでいる訳ですから。持たないのは逆に怪しいでしょ」


 私が嬉しそうにケイタイを撫でるのが、よほど不快であるらしい。平静を装うロッドの顳顬には、見る見るうちに青筋が増えてゆく。あまり揶揄うものでもないな—と、ケイタイはしまった。


「ともかく、俺達はやる。お前達はどうするつもりだ?」

「…君達が発起する時点で、私も動くしかないでしょ?付き合いましょ」


 ロッドの唇がふるふると震え出す。言葉選びを間違えたのか、またしても怒らせてしまったらしい。彼とはビジネスパートナーという仲であり、運命共同体でもある。手を組んでから、数百年という長きに渡り、持ちつ持たれつの関係を維持していたが、どうにも、彼の考えるところは分からない。


「アンラも慌ただしくなっていると聞いたぞ?」

「ん?ふふふ…君がやる気になったでしょ?だからね、私も見え易い所に細工をね」


 鞄を開けて飴を取り出すと、一粒口の中へ放る。甘いものはいいな—と、口内に広がる甘露をしばし楽しんだ。


「…お前、会話中に…まあ、いい」

「一粒どう?」


 飴の包みをもう一つ取り出して、ロッドへと差し出す。こちらとしては他意のない完全な善意だったのだが、日頃の言動から勘繰られたのかもしれない。ロッドは訝しげな顔を飴に向けていたが、視線を逸らすと忌々しげに舌打ちした。


「…人間共の作ったものなど…いらん」

「…そうかい。残念だよ」


 コロコロと飴を舐める私を睨みつけながら、ロッドは薪を暖炉へと焼べる。暖炉だって人間共が作ったものだよ—などと無粋なことは口にしない。


「そもそも、吸血鬼(ヴァンパイア)は暑さ寒さなんて感じないでしょ」

「…」


 おっと、ついつい思いが口を割って出てしまった。無粋なことは—などと考えた矢先にこれだ。ロッドの視線から逃れるべく、次の話題を提供することにした。


「で?今こちらに向かっている冒険者達は、どうやって処理するつもりでしょ?」

「…どうもこうもない。いつも通りだ」


 いつも通り—つまりは、細切れにして不死系魔物(アンデッド)達の餌。あるいは、使えそうならば、新しい眷属として、不死系魔物(アンデッド)にするつもりであるらしい。だが、そうそう上手くゆくとも思えない。相手はグリムから逃げ切るような相手だ。もっとも、真実を述べるなら、グリムから逃げ延びた訳ではない。グリムを退けて、生き延びたのだ。そんな奴らが、ここアトリアへ向かってきている。間違いなく、ロッドは討たれるだろう。私とて、油断などできる相手ではない。


(ま、教える必要もないでしょ)


 ここまで派手にやった以上、往来の増える春になれば、嫌でも事は露見する。例え今逃げ出したとしても、大陸全土で大規模な不死系魔物(アンデッド)狩りが始まることだろう。そうなれば、彼程度の魔物には、生き残る術などないのだ。彼に残された道は、戦う以外にはない。もはや、このアンラ神聖国を不死系魔物(アンデッド)の王国にする以外に道はないのだ。


「ロッド!町の外に巨大な鳥が!」

「…何?」


 ノックもなしにドアを開けたのは、彼の部下たる吸血鬼(ヴァンパイア)の一人だった。巨大な鳥とはなんだろうか?—と、私も興味をそそられた。


「どれ…」


 呪術陣を展開し、意識を町の外へと向ける。ちょうど良いところに野鳥がいたため、視界を拝借した。


(ん?…あれはなんでしょ?)


 鳥は山間部から平原を見下ろせる位置にいた。ゆっくりと視線を平原へ向ければ、そこには確かに巨大な鳥が鎮座している。長い胴体の左右には、これまた長大な翼を携え、先端には窓を思わせるガラスが取り付けられている。人工物だ。これは面白い—と、思わず笑みが溢れた。


「…何が見えた?」

「この鳥は…鉄でしょ。人が作り出した鳥のようだね。君も見てみるといいでしょ」


 そう告げつつ、鳥の視界をロッドへ移譲する。目を閉じて、巨大な鳥を目撃したであろうロッドは、目を見開くと、わなわなと唇を震わせた。


「なんだ…なんなのだアレはっ!?何が起きているっ!?」


 実に愉快だ。眼鏡の位置を正しながら、笑みを手で覆い隠す。ロッドの狼狽もそうだが、何よりも巨大な鳥だ。人は日々成長する。進歩、あるいは進化と言い換えてもいい。武器を改良し、魔術を最適化させ、有史以来、瞬く間に生活圏を拡大させてきた。先の代では倒せなかった魔物を次の代では倒せるようになり、山林・原野を開墾し、次の世代へと繋ぐ。気が遠くなるほどに長い、何世代にも渡る研鑽を得て、ついには大陸の覇者となったのだ。


(…まあ、解せないと言えば、解せないのだがね)


 しかし、それまでの満悦を吹き飛ばすかのような考えが脳裏を過ぎると、途端に面白くなくなる。白けたな—と、改めて、眼鏡の位置を正した。


(もし、もしだ。万が一…私の楽しみを邪魔する者がいたとしたら…)


 どうしてやろうか—と、どす黒い思考に耽った。人類は日々成長する—というのは、私の持論というよりは、実体験だ。人の枠組みの中に混じり、間近でそれを体感するのが、私の何よりの楽しみだ。そういう意味では、近頃は楽しくて仕方ない。甘味が普及し始め、貴族や豪商のみならず、一般にも手が届くようになった。冬でも豊かな農作物が取れるようになると、民衆は飢えから脱却し、日々を幸福の中で過ごしている。しかし、いくらケイタイがあるとはいえ、展開があまりにも早過ぎる。まるで、超越的な何かから、啓示でも受け取ったとしか思えない。


(いや、考え過ぎ…でしょ)


 人類の歴史を振り返ると、常に成功だけを掴み取ってきた訳ではない。ほとんどは失敗、あるいは無為に過ごしてきたと言っても良いだろう。しかし、時折いるのだ。ケイタイのような、とんでもないものを産み出す才気溢れる者が。あの鉄の鳥とて、それに違いない。きっと、この展開の早さもまた、何らかのブレイクスルーによる産物なのだろう。同時期に複数の発展があっただけの話だ。


(今回は、楽しめそうだね)


 再び機嫌が上向いてくると、もう、はやる気持ちを抑えられなかった。くつくつ—と笑いながら、ゆっくりと立ち上がる。長居は無用だ。ここは間もなく戦場になることだろう。そうなれば、次は王都だ。私が舞台に上がる時が来るに違いない。今日まで見守り続けてきた果実は、見事に熟したことだろう。果たして、その味は私を満足させるに足るものだろうか。


「おい!どこへ行く!?」

「どこって…決まっているでしょ?私の根城に戻るんだよ」


 背中からかけられた声に肩越しに返すも、私の返答は、やはりお気に召さなかったらしい。ロッドの眼が吊り上がり、鋭い牙が剥き出しになる。やれやれ、血の気の多い男だ。不死系魔物(アンデッド)のくせに。


「臆したか!」

「逆だよ。滾って仕方ない。人は凄いねぇ。本当に凄い。そう思うでしょ?」


 わざわざ向き直り、ロッドと、青い顔で立ち尽くす彼の部下に同意を求めるも、二人は何も言わない。もっとも、たかだか数百年しか生きていない小僧には、分かるとも思っていなかったが。こりゃダメだ—と肩を竦めて見せた後、魔法陣を展開した。


「こっちはこっちで勝手にやるよ。まあ、お互い生きていたら、また会いましょ」

「…お前…」


 ロッドは何か言いたげだったが、返答を待たずして魔力を込める。魔法陣の隅々まで私の魔力が行き渡ると、私の意識は鐘の音に引っ張られた。


—ゴォン—


 徐に瞼を持ち上げながら、今は何刻だろうか?—と、徐々に意識を覚醒させる。魔力体は転移ができて便利だが、肉体の方が疎かになる弱点もある。こればかりは、数百年経っても改善し得ない。今後のためにも、別の術理を模索するべきかもしれないな—と、考えた。


「お目覚めですか?大司教様」

「…おや?いたのかね?すまないね、寝ていたようだ」


 男の声に顔を上げれば、癖っ毛の男が本を漁っていた。司祭の男だ。更に呪印のことを調べるべく、私の蔵書を借りようとしていたらしい。失礼を—と慇懃に頭を下げてくるも、気にするな—と首を振って答えた。


(…あいたたた…いや、酷いね)


 少しロッドのところに長居し過ぎたらしい。椅子に座りっぱなしになっていた私の身体は凝り固まり、ずっと机に立てられていた肘は、ひどく痺れている。動かすのに少し時間を要した。


—ゴォン—


 再び大聖堂の鐘が鳴り、階下が慌ただしくなる。どうやら、ちょうど昼時が終わりを迎えたらしい。今日もまた、必死に呪印と戦っているようだ。


「いえ、大司教様もお疲れでしょうから、致し方ないかと。この後は如何なされますか?」

「それなんだがね。呪印を見る前に、猊下のところに行ってこようと思う。あの方を失う訳にはゆかないからね。何か変わりないか、様子を見ておきたいでしょ?」


 なるほど—と慇懃に礼をして、癖っ毛の司祭は執務室を後にする。司祭が部屋を出るのを見送ってから、机に立てかけていた杖を掴み、ゆっくりと立ち上がった。


(ふぅ…お尻も痛いね。もうこの身体も限界かな)


 執務室を出れば、階下の喧騒は一層激しくなる。呪印を解除するために、皆が奮闘してくれているのだろう。しかし、吹き抜けの手摺りに身を預けて階下を眺めてみるも、状況はあまり動いてはいなさそうだ。今日もまた、破呪に代わる解呪法を模索しているらしい。


(…ふぅん…まいったでしょ。ロッドのところと、足並みを合わせたいんだけどね。その方が面白いだろうし)


 そんなことを考えながら、廊下の突き当たりまで進み、一歩一歩階段を降りては、すれ違う者達に挨拶され、その都度頷きを返す。適当に手を振って済ませられるなら良いのだが、大司教たる者、それなりの威厳も必要なのだ。


「これは大司教様。まさか、本日もお力添えいただけるので?」


 一階へと下りた私に声をかけてきたのは、神父の青年だった。田舎の小村で小さな教会を切り盛りしていた彼は、運が悪いことに、ことを起こそうとする直前、アンラヘと赴任してきた。その信仰心の高さ故か、信仰値はかなりのもので、女神教の法術も十分に実用に足るレベルの運用ができる。そんな訳で、呪印の件が露呈してからこっち、休む間もなく働かされている。


「もちろんだとも。けれども、その前に猊下の元へ向かわせてほしいかな」

「ああ、猊下の。それはよう御座います。我ら女神に仕える使徒一同、猊下の無事を心からお祈りいたします」


 彼は赴任してきた当初、位の高い者に話しかけるなど、とんでもない—と、実に遠慮がちだった。しかし、ここ女神教の総本山においては、そんなことを気にしていたら仕事にならないのだ。慣れさせるべく、司教以上の者達で連日挨拶してやったのは、つい先日のことであるが、随分と昔のことに感じられる。


「おっと、そうだ。昨晩、思いついたんだがね?」

「はい?」


 どうも私は、この真面目な青年が好きであるらしく、ついつい甘やかしてしまう。悪い癖だと自分でも思うが、性分なのだから仕方ない。


「呪印の進捗はどうかな?」

「…ダメです。芳しくありません。今なお、魔術師ギルド頼みです」


 うんうん、それなら何かの助けになるかな—と前置きしてから、青年に耳打ちする。手招きしてみせれば、青年は慌てて手にしていた器具を床に置き、私に身体を近付けた。


「あの呪印だけどね…どうにも、呪術のみならず、法術の術式も組み込んであるみたいなんだ。解呪というアプローチが上手く機能しないのは、この辺に絡繰があると思ったんだけどね?」


 私が口を閉じると、青年は徐に顔を離す。その表情は、分かりやすいくらい驚愕に彩られていた。


「…た、試してみます!」

「うん。期待しているからね」


 青年が深々と頭を下げるのを見てから、笑いを堪えつつ歩き出す。これで、破呪ではなく、効率的な解呪という手法が取られるようになることだろう。王都民は仮初の呪印を解呪され、罠とも知らずに安堵の息をもらすのだ。その時、青年が己の成したことに気付いたとしたら、どれほどの絶望を覚えるだろうか。いや、気付きはすまい。彼もまた、私の按手を受けた身だ。訳も分からぬうちに、我を失うことだろう。


(ああ、ああ。もうすぐ。もうすぐだ)


 これまで押さえつけてきた禽獣が、鎌首を擡げようと、理性の檻をけたたましく叩く。俺を出せ—と、喧しく喚き立てる。まだだ。もっとだ。もう少し待つのだ。そうすれば、もっともっと楽しめる。何故なら、人という生き物は、絶望に争うと決めた時ほど、強い抵抗を見せるのだから。


(さて、猊下の元に向かわなくてはね)


 大聖堂から足を踏み出すと、まるで別世界に迷い込んだかのような日差しに肌を焼かれる。手庇を作ると天を仰ぎ、目を細めた。


「大司教様!?お、お供も連れず何処へ?」


 手庇のままで声のした方へと視線を向ければ、ガシャガシャと鎧に着られた男が走ってきている。教会騎士団の騎士だった。寒いのに金属の鎧とは、ご苦労なことだ。


(…ん?手が綺麗ですね…)


 チラリと視線を落とせば、騎士とは思えぬほどに傷も汚れもない手が目に付いた。貴族の庶子か何かだろう。親の威光を盾にして、大した苦労もなく騎士職に有り付いたに違いない。


(…美しくないかな。こういう屑は、軒並み潰したはずなんだけどね)


 神父の青年と話したことで、上向いていた気分が台無しになる。今、この瞬間に消し飛ばしてしまいたくなるほど、腹が立った。ベロートが教皇となる前、つまりは先代の頃、屑は軒並み処刑したはずなのだ。一族郎党、美しくない者は皆殺しにした。やれやれ終わった—と安心していたのだが、まだ生き残っていたらしい。


「…大司教様?」

「ああ。なあに、気にしなくていいでしょ。この王都において、女神教の司教職にあるものに、弓引く輩なんていないでしょ?」


 そう言って笑いかければ、男は実に汚らしい笑みを浮かべた。唾棄すべき屑であることが、顔からも滲み出ている。本当に頭蓋を粉砕しそうになった。


「すぐそこの王宮にね。そんな訳だから、供なんて不要でしょ」

「はっ、承知しました。お気をつけて」


 男は一礼すると、さっさと持ち場へ戻ってゆく。その背中に軽蔑の眼差しを送ってから、王宮へと向かった。






「だ、大司教様!?」

「ああ、ああ。そう畏まらないでいいでしょ。猊下—いや、陛下の元に案内をお願いできるかな?」


 最初、階段を下る足音に訝しげな目を向けてきていた牢番であったが、下りてきたのが私と見るや否や、慌てふためき姿勢を正す。何度かここには足を運んでいたが、今日の牢番は、ここで私と会うのが初めてであったらしい。洋燈の油が零れないよう、ゆっくりと手振りで落ち着くように伝えれば、牢番は大仰な仕草で最敬礼した後、私の前を歩き出した。


(驚かせちゃったかね)


 王都アンラの牢は、王宮施設の地下にある。もっとも、王宮そのものにしても、王宮というよりは、王城と呼ぶべき佇まいで、兵舎や諸々を別棟に配した今なお、古い者達はアンラ王宮を王城と呼ぶ。まあ、どっちでもいいのだが。


(アンラを立ち上げた頃は、頑張って城を作ったっけ。私個人としては、水の都と呼ばれるよりも、古都と呼ばれた方が、嬉しいんだけどね)


 この牢は、王都において、もっとも古くからある場所の一つだ。まだ王都などとは呼べず、ただの城塞都市であった頃の名残である。何故それを今日まで王宮の中に残しているかといえば、それは偏に、国政を預かる者達に、民の実状を知ってもらうためだ。他にやりようがあったのではないか?—と思わなくもないが、随分と昔の猊下—つまりは陛下が、それを定めた。


「この奥が、陛下の座す一室になりますが…その…」

「ああ、いいよ。身を検める—と、言うんだろう?当然だね。やってくれるかな?」

「…あ、あの…お供の方は?」

「今日はよく、それを聞かれるね。大丈夫、職務を全うする分には、何も咎めたりしないからね」


 外套とスカプラリオを外して牢番へと手渡せば、牢番は俄かにそれらを矯めつ眇めつ確認し、頷いて見せる。次は衣服だ。両手を高く上げて、背中を向けた。


「失礼します」

「そう恐縮しないで。それが君の仕事なんだからね」


 本来であれば、大司教を相手にやることではない。牢番の手は、緊張で小刻みに震えていた。アンラ神聖国においては、下手な貴族階級すらも首を下げる大司教だ。不敬罪—などと私が叫ぼうものなら、彼の首は即座に飛ぶ。それを考えれば、彼の緊張は当然と言えよう。これには少しばかり申し訳なく思ったが、悪いのは隔離棟のような場所ではなく、牢に自らを繋がせた猊下だ。恨むなら、猊下を恨んでもらいたいものだ。


「…失礼しました」

「ああ。じゃあ、もう羽織っていいかな?流石に寒くてね」


 も、もちろんです—と、牢番は再び最敬礼して見せた。ちょっとだけ愉快になり、私も最敬礼を返すと、牢番へ手を振って牢の奥へと向かう。大司教にあるまじき茶目っ気だが、たまには許されるだろう。今夜あたり、酒を飲んだ彼の口から、この一幕が市井に広まるかもしれない。


(そうなったら、もう少し気楽に外を歩けるかな)


 そんなことを考えながら、カビ臭い通路を進む。角を折れれば、次第に道は細くなり、人一人通るのがやっとの幅になる。この先にあるのは、凶悪犯などを収容しておく特別牢だ。


(猊下も物好きだね)


 狭く、足場も悪い通路を歩くことしばし、ようやく道幅も回復し、縮こめていた肩を回す。はぁ、やれやれ—と嘆息しながら歩を進めれば、通路の両脇に、厳つい甲冑が佇んでいるのが目に付いた。陛下を護衛する第一騎士団だ。ようやく到着したようだ。


「ご苦労様ですね」

「これは大司教様。ようこそおいで下さいました。陛下もお喜びになるかと」

「大司教様、大変申し訳ありませんが、こちらを」


 騎士の一人に手渡されたのは、魔力の放出を妨げる指輪だ。いつも付けさせられる物だが、指にはめれば、立ち所に脱力感が襲いかかってくる。うえ—と、顔をしかめながら、騎士と共に牢の前へと進んだ。


「陛下。大司教様がお見えになっておいでです。お加減は如何でしょうか?」

「んー?最高だよ。どれ—っと」


 騎士の一人が鉄扉をノックし、私の来訪を告げれば、鉄扉の格子窓が内側から開けられた。最初見た時などは、何故、内側から開けられるのか?—と驚いたものだが、わざわざ付け替えただけの話だった。


「やあ、エクーニゲル。いらっしゃい」

「猊下。お変わりないようで何よりです」


 慇懃に礼をすれば、ははは—と、高らかに笑われる。相変わらず硬いなぁ。僕らしかいないんだから、もっと普通に接してよ—と、ベロートは笑うが、目上の人を相手にして、普通に接することの難しさよ。丁重にお断りした。


「呪印の進展は?」

「はい。まずは市井に出回っている呪印ですが、呪術の陣に、法術の陣を組み合わせたものであることが判明しました」

「…へぇ?」


 興味があるのかないのか、実に判然としない表情を浮かべるベロート。飄々とした態度からも、内心は窺えない。まったくもって、やり難い相手だ。


「今は、教会が解読を進めるべく動いております。この後、魔術師ギルドにも協力の要請に伺うつもりです」

「うん。苦労をかけるね」

「猊下の肩にある呪印については、未だ何も…申し訳ありません」


 徐に頭を下げ、ベロートの反応を待つ。しばしの間が開いた後、ベロートは声を上げた。


「…僕の肩にある呪印だけどさ。これ、多分だけど、どうやっても解呪できないよ。唯一、できるとしたら…呪具を破壊するくらいかな」

 

 正解だ。ベロートに施した呪印は、外部からの干渉で解呪することはできない。どうやっても。何せ、私の数百年を費やした呪印だ。何度も何度も、検証したから間違いない。外部からの干渉で解呪しようとするならば、呪具を見つけ出して、破壊する以外に手はない。


「そんな!そんな弱気でどうします!なんとか、解呪の手立てを見つけてご覧に入れましょう。今しばし、お時間をいただければ—」

「いいよ、エクーニゲル。その気持ちだけで十分だよ。僕のことはいいからさ、市井を優先してよ」


 私の発言を制し、市井を優先せよ—と、ベロートは笑った。何という潔さか。己が命よりも、他者を救えという。表情を窺っても、その顔には慈悲の色しか見て取れなかった。強がりではないのだろう。彼は本心からそう言っている。何千、何万という人間を見てきたが、この表情は、死を覚悟して受け入れた者のみが浮かべるものだ。


(…気に入らない)


 死とは、生きとし生けるものにとって、もっとも大きなストレスだ。どんな強者でも間近にそれが迫れば逃げる。本性が出る。人は、未知に強い恐怖を抱くものだからだ。だがしかし、この男は生に縋らない。死を受け入れているのだ。それも、私が知る限りでは、冒険者の時分からそうだ。どうしてそんなことができるのか。何故、簡単に命を投げ捨てられる。


(…まさか…この男は、死の先にあるものを知っている?)


 ベロートの言に感銘を受けたフリをして、慇懃に頭を下げる。ベロートもまた、私の反応を探るような視線を向けてきていた。


「猊下。されど、今一度チャンスをいただきたく。それでダメならば、市井を優先させましょう。猊下のお言葉に背くことをお許しください」

「…君のような部下に恵まれたことは、この上ない幸せだね」


 さいですか—と内心で笑殺し、牢を後にした。再び肩を竦め、狭い通路を歩きながら考える。ベロートは人間ではないのでは—と。だが、魔物でもないはずだ。体内に魔石がないことは、冒険者として活動していた頃のギルドカードが保証している。ならば何か。風変わりな魔力の持ち主だと思っていたが、あの形容し難い魔力には、それなりの理由があったとしたら、どうだろうか。例えば、神力を無理やり魔力に見えるよう、ねじ曲げてみれば、あれに近い魔力が出来上がるのではないか。


(あれは、もしや竜ではないかな?)


 死ねば人は龍脈に還る。広大で膨大な魔力の流れに身を委ね、己が個として意識は群へと混じり、やがて消える。しかし、竜—否、神と呼ぼうか。神となれば話は別だ。神の宿す神力は、魔力とは融和しない。厳密に言えば、多少は弱まるが、それでも個としての意識は残ることが多く、例え一時的に失っても、次に生まれ変わった時、しばらくすれば自然に思い出すのだ。


(あれが神だと仮定した場合、その目的はなんだろうね?)


 心許ない洋燈の灯りを頼りにして、狭い通路を戻る。視線は薄暗い石床を見てこそいるが、脳裏では、不羈奔放なベロートの影を追っていた。彼は一代で、国のトップへとのし上がった。廉直な性情もそうだが、学がある—というよりは、地頭に優れ、腕もお墨付きときた日には、彼の登極に至る英雄譚を間近で見ていた者の一人として、そこいらの権門に国政を委ねるよりも、実に面白いことになるのでは?—と、感興を覚えたものだ。


(神がどうして、国のトップになろうなどと発心する?)


 分からない。基本的に、長年生きた者ほど無欲になってゆくものだ。私もそうだが、人としての生を何度も繰り返しているうちに、国王だろうが貧民だろうが、そう大差なくなるのだ。それであるのに関わらず、彼はその穏やかな気性に反して、獅子の如き苛烈さで教皇の座を奪取した。より悪い言い方をするならば、簒奪と言い換えても良い。単なる僧兵の小倅に過ぎなかった男が、一代でなし得る金字塔ではない。何か目的があったとしか思えない。


(…考え過ぎかね?)


 ふと視線を感じた気がして、独居房へと振り返る。けれども、そこにあるのは薄暗い通路のみ。既にベロートはおろか、騎士達の姿さえ見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ