真、目を覚ます
パチパチと火の爆ぜる音で意識を取り戻した。ゆっくりと身体を起こせば、ハラリと毛布が落ちる。どれくらい寝ていたのかは知らないが、今はどうやら夜更らしい。すぐ側に火番と思わしきアイマスの背中を見つけて、声をかけた。
「アイマス」
「うわっ!?」
肩が跳ね、ガシガシと乱暴に顔を擦ったアイマスが振り返る。焚き火に赤く彩られたアイマスの目は、泣き腫らしているかのように見受けられた。
「マコト…気が付いたのか…」
「…うん。えっと…ごめん。何も覚えていないや。何で私は寝てるんだっけ?」
アイマスと共にこの場にいるということは、私も火番だったのだろう。けれども、寝落ちる前までの記憶もなく、ここが何処であるのかも知れない。もっとも、アトリアに向かう道中には違いないのであろうが。
「いや、いい。うん、いいんだ。無理もない。ともかく、今日はゆっくり休め」
「へ?いや、今起きたばっかだし。何なの?気持ち悪いよ?」
気遣ってくれたアイマスには申し訳ないが、その微笑みに鳥肌が立った私は、両腕を摩りながらぶるりと震えて見せる。アイマスの表情は一気に曇った。
「変わらずにいてくれて嬉しいよ」
「?…はぁ、どうも」
はぁ—と肩を落としたアイマスは、再び私に背を向けて火番へと戻る。アシュレイの呪術によるものか、全く寒さは感じなかったが、なんとなく私も焚き火の側へ寄った。
「アイマス、何かあったの?」
「…どこまで覚えてる?」
鞘から剣を抜いたアイマスは、チラリと私を一瞥した後、剣の先で火にかけられた鍋の取手を持ち上げる。命の次に大切な剣云々は置いておくとして、鍋の中にはこれでもか—と湯が張られている。凄まじい腕力だな—と、改めてアイマスのゴリラっぷりを称賛したくなった。
「ほら、スープだ。腹に入れておけ」
「ん。有難う」
アイマスから杯を受け取り、湯気の立つスープを一口飲む。ある意味で懐かしい味だ。この世界では広く食されている、素材の旨味が引き立つ味とでも言えば良かろうか。調味料という反則アイテムを持つ私には、久しぶりの薄味だった。由香里がいればこんな味気ないスープは出てこないはずなのだが、どうしたことだろう。
「で、どこまで覚えてるんだ?」
「ああ、えっと…」
鞘へと戻した剣を脇に置くと、改めてアイマスが尋ねてくる。眠る前に何があったのか、思い返してみることにした。
(ええと…ヘルハウンドを倒したのは…だいぶ前だよね。その後は…特に何もなかったし…ただただ雪原を歩いていただけだよね?…)
直近で思い当たることと言えば、やはりヘルハウンドだろう。2体のヘルハウンドを辛くも退け—撃破したのだが—私達はそのまま歩みを再開したのだ。
「…グリム…」
その時、脳裏に巨大な影がちらついた。脳裏を過ぎる映像は、映っては消える不鮮明なものだった。まるで古い映画フィルムのように、思い出そうと意識を向けた時に限って、プツリと映像が途切れるのだ。実に歯痒い。けれど、それが何であるかを理解するには十分だった。
「アイマス…グリムだ。グリムが襲ってきた…」
「…そうだ。思い出したか?」
高揚のない声で応じるアイマスに、ゆっくりと頷きを返す。グリムが襲ってきたのであろうことは何となく思い出せたが、それから先のことがとんと浮かばない。脳裏の劇場は、銀幕が破れたのか、フィルムが切れたのか、何も映し出さなくなっていた。
「…ごめん、そこから先が思い出せない」
「はぁ…まあ…あんな怖い思いをしたんだ。思い出せないとしても、無理はない—のか?」
何故か疑問形で締め、首を傾げるアイマスの側へと寄る。どうしたことか、今日のアイマスは随分と儚げに見えたからだ。
「マコト」
「うん」
何?—と続けようとして、アイマスに抱きしめられた。平時ならば、そんな趣味はない—と振り解くところだが、何やら尋常ではない様子だ。どうしようか迷ったが、私もアイマスの背に手を回した。
「もう2度と目覚めないかと思ったぞ」
「え?何それ?」
ところが、アイマスが続けた言葉は、随分と穏やかではない。思わず真顔になった。
「お前、二日間も寝たままだったんだぞ?」
「へ?嘘っ!?」
慌ててアイマスを振り解き、ケイタイに魔力を通わせる。私のケイタイには、トップ画面に日付・時刻表示を設定しており、そこには冬の夜23日とあった。夜の10刻ということは、慣れ親しんだ時間軸に直せば、深夜の2時頃だろう。
「あちゃ〜、ごめん…酷い寝坊だよ…」
「…いいんだ。無事に目覚めてくれただけで」
アイマスはそれだけ告げると、ふいと視線を逸らす。何となくきまりが悪くなり言えなかったが、アイマスの目尻には涙が浮かんでいるような気がした。
「…」
「…」
この沈黙は何だろう?—と、内心で首を捻る。私がよほどの不手際をやらかして、アイマスが怒っているのか?—とも考えたが、どうにも、そういう訳でもなさそうだ。
(それを尋ねる勇気が出ないよ…)
ラヴァに聞いてみようかとも考えたが、これだけ考え事をしていて、ラヴァの念話が届いてこないのは、きっと寝ているからに違いない。悪戯に起こすのはやめておくことにした。
「…誰か来た…」
「ん?…ああ」
ザス、ザス—と、雪を踏み締める音が近付いてくる。そういえば、MAP魔術を行使していなかった—と思い出したが、ラヴァはきっと夢の中だ。音に聞こえるほど近くにいるならば、MAPに頼る必要もないだろう。野盗の類であれば、アイマスが一太刀で屠るに違いないのだ。けれど、そのアイマスは、私の言に適当な相槌を返したのみで、洋燈の灯りを向けようとすらしない。流石に怖くなって身を硬くした。
「…マコトか?目を覚したのか?」
「ああ。さっきな」
やがて、隠す気もない足音と共に現れたのは、長い金髪を横で纏めた女性だった。スラリとした長身で、外套から覗く手には、ロングソードとはゆかないまでも、剣身の長い得物が握られている。心許ない焚き火の灯りでは、顔の詳細は分からなかったものの、何処かで見たことがあるような気がした。
「久しぶりだな。私のことを…覚えていなさそうだな?」
「え?あ、えと…すみません」
くつくつと笑う女性の顔を見ても、どうにも思い出すことができず、素直に詫びる。女性は私とアイマスの前に外套の裾を敷くと、胡座をかいて腰を下ろした。
「カームだ。ノアの鐘のカーム。リーブリヒの仲間—と言えば分かるか?」
「え?あ!カームさん!?ご、ごめんなさい!」
「ふふふ。いいさ、前回は本当に顔合わせ程度だったしな」
長い剣を脇に置きながら、カームは上機嫌に笑う。焚き火の灯りで、長い睫毛が輝いて見えた。
(ううう…そう、ノアの鐘だよ、ノアの鐘。あそこは皆、キャラが濃すぎるんだよ〜)
カームといえば、リーブリヒらと共に蟻の巣で共闘した冒険者だ。確かにノアの鐘には、長剣を流麗に使い熟す女性がいた。もっとも、蟻の巣内部は狭く、長剣は蟻の巣の外で身体を暖めるのに振るっているのを見た程度だったが。
「マコトが目を覚さないものだから、リーブリヒが煩かったぞ?アンラの冒険者ギルドはシメる—とか息巻いていたな」
「リーブリヒもいるの?え?何で?」
カームとアイマスの顔を交互に見るが、二人は微笑むばかりで何も語ろうとはしない。何なんだよさっきから—と、少しだけ剝れた。
「すまない。マコトが目を覚したのが嬉しくてな。アシュレイ様などは、心配無用と言っていたが…私のように術の心得がない者には、その…魔力枯渇症?だったか?…というものがどれだけのものか分からなくてな。具合はどうだ?」
「もう平気です…多分」
カームに受け答えしつつ、軽く身を捻ってみる。身体を動かすのに違和感はないし、魔力枯渇特有の頭痛や吐き気もない。伊達に二日間も寝ていた訳ではないようだ。
「良かった。ならば、後はラヴァだけか…」
「…え?ちょ、ちょっと待って!?ラヴァも?ラヴァはまだ目覚めていないの!?」
耳驚いて声を荒げれば、静かにしろ—と、口元で指を立てられた。慌てて周囲を見るも、どこの天幕からも物音は聞こえてこない。どうやら、誰も起こさずに済んだらしい。ほう—と、安堵の息を吐いた。
「グリムから逃げる時だ。ラヴァが、己が全魔力を解放して、修道士達まで含めて、皆に身体強化を施したんだ。おかげで私達は驚くべき速さでグリムから離れることができた訳だが…その時にな…ラヴァは力を使い果たして…消えた」
カームが何を言っているのか分からなかった。ラヴァが消えた—とはどういう意味か。何かしらの補足が欲しくなり、アイマスの顔を見る。けれども、アイマスは目を伏せたままで、こちらを見ようともしない。
「……え?」
カームの言を信じることができず、尋ねようとするものの、口は震えるばかりで動いてはくれない。ようやく音を絞り出せたかと思えば、実に上擦った声が出たのみで、意味のある言葉にはならなかった。
「…ラヴァは、すぐに戻ってくる—と、最後にそう言った。私達は、それを信じている。マコト、お前も信じてやれ」
言葉は相変わらず出なかったが、頷くことはできた。よし—とカームは微笑み、鍋からスープを杯へと移す。自分で飲むのかと思えば、そうではないらしい。こちらに突き出してきた。
「飲めるか?」
「…もう…もらいました…」
何とか絞り出した声に、少しばかり嗚咽が混じっているのが自覚できた。すぐに戻る—って、何だよ。二日も寝ていた私より起きるのが遅いとか、どうなっているのか。
(ラヴァ…)
これまで、ラヴァは寝ているものと思って呼びかけなかったが、試しに呼びかけてみる。けれど、どれだけ待っても、ラヴァからの応答はなかった。
「…どこまで話した?」
「…まだ何も…」
カームがアイマスへと尋ね、アイマスは若干きまり悪そうに首を振る。そうか—とカームは一度頷いて見せた後、ゆっくり語り出した。
「私達は、お前達を探す者達と共に、アンラへ向かったんだ。そこで、聖火隊の護衛がアエテルヌムのみと知り、急ぎ、その者達と共に北上した」
「…私達を探す者?」
何のことか分からずにアイマスを見る。アイマスは肩を竦めて見せ、何も知らないことをアピールしてきた。
「…黒髪黒目の女性を探す5人組だ」
「うえっ!?」
黒髪黒目といえば、私だ。私と由香里だ。けれど、私には追われるようなことをした記憶がない。由香里とてそうだろう。ところで、由香里へ考えが及んだことにより、皆の安否を確認していないことに気が付いた。
「あっ!そ、そうだ!由香里は!?みんなは!?」
「…そうだな。まずは仲間のことが先だな」
話の腰を折るのは申し訳なかったが、グリムから逃げ出したということなら、仲間の状況が気にかかる。ラヴァのこともあるし、最初にそれを確認したかった。
「皆、無事だ。ただし、ユカリは容体が芳しくない。…彼女は、アルラウネだそうだな」
「っ!」
カームは由香里の正体に気が付いている—否、話し口から察するに、アエテルヌムの誰かが教えたのだろう。慌ててアイマスを睨みつければ、すまん—と、アイマスは小さく詫びてきた。
「安心してくれ。彼女の正体について、私達は他言する気もなければ、彼女をどうこうする気もない」
「本当に?」
「誓うよ。そもそも、アーサーさんなどという、常識を逸脱したスライムも見せられた今となってはな…」
カームは一度微笑んで見せると、手にしていたスープを一口飲む。カームは、いや、カームのみならず、ノアの鐘は信用できる者達だ。そうでなければ、アイマスらがここまで行動を共にしてはいないだろう。そう自分に言い聞かせ、先を促した。
「アルラウネは、1日に1度、花弁の上で魔力の補充をせねばならないそうだな。けれど、お前もラヴァもおらず、花弁をしまっている亜空間を開ける者がいなくてな…」
「あっ…」
由香里の容体が思わしくない原因は、まさかの己だった。慌てて由香里を探すべく腰を浮かそうとするも、アイマスに止められた。
「安心しろ。うちには天才クシケンスがいたろ?」
「え?でも…」
クシケンスは確かに天才だと思う。並外れたセンスもそうだが、術に対しての理解も早い。けれど、亜空間を扱うには、圧倒的に魔力が不足しているのだ。それに、クシケンスにはまだ不要だと考えていたため、アクセスするアドレスも教えていない。
「やってくれたよ」
「え?嘘?」
ところが、アイマスは微笑みながら、クシケンスが亜空間を開いたと言う。どういうことなのか?—と問いかければ、アイマスは自慢げに語ってくれた。
「魔石だ。私達の魔石に加えて、ノアの鐘が保持している魔石も借り受けた。そこに溜めてあった魔力を使用して、亜空間を開いたんだ」
「え?だって…アドレスを教えてない…」
「…アドレス…というのが何かは知らないが、いつも見ていたから、何となく分かる—と、本人は言っていたぞ?」
何となく分かってしまうらしい。嫉妬も感じたが、それ以上に嬉しく、おかしく思い、思わず笑った。
「凄いね、クシケンスは」
「だな」
アイマスと顔を見合わせて笑い合う。カームもまた。しかし、そうであるならば、どうして由香里は体調を崩したのか。一頻り笑った後、改めて尋ねた。
「でも、それなら…どうして由香里は容体を悪くしたの?」
「これは、我々の責任だな」
そう言ったのはカームだ。私と視線が交差すると、カームは一度頭を下げる。知らなかったといえ、すまなかった—と前置きしてから、彼女は続けた。
「グリムから離れることを最優先したんだ。ラヴァの身体強化は極めて優秀でな…どれだけ走っても疲れないんだ。私達も、修道士達でさえ。だから、身体強化が切れるまで…日が変わる頃になっても、ひたすらに走っていた」
「…うん」
カームの言にラヴァが褒められた気がして、ゆっくりと頷く。ラヴァは凄い。1日保つ身体強化など、どれほどのものだよ—と、思わず目頭が熱くなる。これはいけない—と目元を乱暴に拭い、先を促した。
「ユカリは何も言わずに付いてきていたが、日が昇る頃になって、ついに倒れた。呼吸すらなく、脈も弱い。彼女のことを知ったのは、その時だ。…慌てたよ」
そうだろうな—と首肯を返せば、カームは静かに笑いながら続ける。
「そこから今まで、ここで野営だ。アシュレイ様は結界の維持があるし、お前の言うアドレスとやらが分からない。アーサーさんもな。消去法でクシケンスが開くしかなかった訳だが、彼女はやりきった」
「…うん」
「アシュレイ様やアーサーさんに、ユカリの容体を見てもらったが、問題ないそうだ。じきに目覚めるだろう—との見立てだ」
言い終えたカームはスープを飲み干すと、小さな魔石を取り出して、そこから水を生成する。軽く杯を濯ぎ、冷たいな—と、呟いた。
「ソティは?」
「…ああ。ちょっとな…」
ここまで、ソティ以外の面々の名は出たが、ソティのことは聞いていない。気になって尋ねてみれば、カームは口元を押さえ、アイマスが苦笑いした。
「ちょっと?」
「先輩方にいじられて、すっかりと剝れてるよ」
そんなことを言った後、思い出しでもしたのか、ふふ—と、アイマスは笑った。
「私は気を失ってたから直接見てはいないんだが、ヘマをして片腕を切り落とされたらし—今はもうくっついているぞ?」
私が声を上げる前に、アイマスが制してくる。いじられた云々よりも、そっちが先だと思う。どういうことなのか?—と、ジト目で尋ねた。
「マギステル司教だ。彼女の特攻を止めようとして、ソティはグリムに突っ込んだそうだ。その時、グリムの風魔法に腕を持っていかれた」
横から語ってくれたカームだが、こちらもはっきりと知っている訳ではないようだ。腕を切り落とされたところは見たような口ぶりであることから、カームらノアの鐘が合流したのは、ちょうどこの時なのかもしれない。
「…修道士の皆さんがくっつけてくれたの?法術師がいたってこと?」
物音一つ聞こえない天幕を見つめつつ尋ねるも、カームは首を振る。ならば、一体誰が切断された腕をくっつけたと言うのか。この世界には外科手術など存在しない—はずだ。ならば、法術の使い手がいたことに他ならない。
「先に言った5人組だ。黒髪黒目の女性を探しているというな」
今度はアイマスが答えた。カームが話すのか、アイマスが話すのか、ハッキリしてほしい。
「法術師がいたってこと?」
「そうだ。私は見ていないが、混沌法術の使い手であったらしい。それでいて、繋ぎ目には傷痕一つ残っていないときたものだ。感謝しかないよ」
親友の危機を救ってもらったことは、素直に嬉しいはずだ。ならば、アイマスの表情が暗いのはどうした訳か。何か後遺症でも残ったというのだろうか。見れば、アイマスのみならず、カームも暗い顔を作っていた。
「…何かあったの?」
二人を交互に見ながら尋ねれば、アイマスとカームはチラリと互いに視線を交わす。口を開いたのはカームだった。
「…その5人組だがな…私達を逃すために、グリムに向かっていったんだ…」
「…え?」
何かおかしい—と、話を聞いていた当初から違和感は感じていた。その正体が、ようやく分かった。絶望とまで呼ばれる魔物から、私達はどうやって逃げ切ったのか。そこがずっと引っかかっていたのだ。
「…何それ…」
アイマスとカームの見せる表情の意味が、ようやく分かった。悪く言えば、仲間を置き去りにしてきたのだ。しかも、ソティの腕を治してくれた恩人をだ。
(…何だよそれ…)
一気に気分が悪くなり、目元を抑える。記憶の蓋が開いたのか、脳裏の銀幕には、グリムの恐怖が鮮明に蘇り始めた。圧倒的な巨躯を誇り、私達の魔術など、意にも介さない怪物。私は魔力枯渇に陥り、吐き気と頭痛に耐えきれず意識を手放したが、その時にはソティ達が取り付いていた。微塵もダメージを与えられているようには見えなかったものだ。これは死んだな—などと、揺れる頭で考えてもいた。
「…マコト…彼らは大丈夫だ…」
「大丈夫な訳ないじゃん…狙われて助かった人なんて、いないんでしょ?」
名も顔すらも知らない5人組だ。だからといって、私達の身代わりになったと聞かされて、良い気になれるはずもない。カームに噛み付くのも筋違いだが、やるせない思いを何処に向けてよいか分からなかった。
「大丈夫だ。絶対に彼らは追い付いてくる。グリム相手でも生き残る」
けれど、カームは引かなかった。真っ直ぐに私を見つめたまま、絶望から逃げ果せると言い切った。そんな簡単な話じゃない。私達アエテルヌムはBランクにも満たないが、単純な戦闘能力ならば、国内でも相当上位に食い込むのだ。その私達でもあの体たらく。カームの発言は、虚言にしか聞こえなかった。
「…何でそんなことが言い切れるの?」
「あの5人もまた、人の枠には収まらない怪物だったからだ。強い。とにかく強い。一人一人が、桁外れに」
静かに、言い含めるかのような調子でカームは語る。チラリとアイマスに視線を移せば、アイマスもまたカームを見つめていた。
「お前もアイマスも見れなかったが、彼らのリーダーは、たった一人でグリムと互角に渡り合っていた」
「はあっ!?」
あまりの言に上擦った声が出てしまい、慌てて周囲を見回す。よほど疲れているのか、かなりの声量で叫んだにも関わらず、周囲の天幕は黙したままだった。
「…ソティやアシュレイ、クシケンスの言質も取れてる。事実だ」
「いや、ボーナスさんじゃあるまいし、そんなこと…あり得るはずが…」
アイマスがそんなことを言うのは、アイマスも信じられなかったからに違いない。きっと、当初は私同様に訝しんだことだろう。
(そう、ボーナスさんなら、“格上殺し”だっけ?それがあるから時間をかければ何とかなるかも知れない。けど…)
私や由香里は例外だが、人間族をはじめとした人類種のレベルは100が最高だ。それ以上は、身体が魔素を取り込めなくなる。そして、私はデンテやアシュレイといった、人類種の頂を知っている。力を極めた彼らは、より高みにいる脅威に立ち向かうため、ひたすらに技術を磨いた。私達はかなりの高レベルに上り詰めたが、全員で囲んでも、デンテ一人に勝てないのは、偏に技術の差だろうと思う。しかし、グリムのそれは、技術云々の話ではないとも考える。アイマスのフォートレスでも止まらず、私達魔術師の大半が魔力を使い果たして、ようやく押し留めることが叶った化け物だ。それを思えば、俄かには信じられず、腕を組んで考え込む。たった一人でグリムを御する。そんなことがあり得るのだろうか。
「ちなみに、アーサーさん曰く、5人は彼の後輩だそうだ」
「…ならあり得るね」
アイマスの補足は、これまででもっとも説得力があった。あの得体の知れない暗黒スライムは、スライムとは思えないほどの魔力を内包している。筋金入りの闇属性であるため、ヘルハウンド戦では本領を発揮し得なかったものの、その動きには余裕があった。いや、余裕しかなかったようにも思う。
「アーサーさん、グリム戦では何をしていたの?アイマスを守ってくれたのは見たけど…」
「防御に専念だ。グリムは相当に闇属性に偏っていたらしく、彼ではまともにダメージを与える術を持たなかったようだな」
私の問いかけに、アイマスは苦虫を噛み潰したかのような顔を作る。けれども、その後には苦笑した。
「ただ、私達の誰をも死なせるつもりはなかったらしい。ラヴァにしてもそうだ。アーサーさん曰くだが…マコトとラヴァは強く結びついている。ラヴァが魔力を使い果たしたとて、マコトが生きてさえいれば、すぐに復活できるそうだ」
「…何だよ、それ。それを最初に言ってよ」
ガクリと脱力した。ラヴァの犠牲は無駄にはしない—とか決意を新たにしかけていたところだったが、本当に復活するらしい。きっと、復活した第一声は、真、泣いていいんですよ?—だ。
(絶対に泣かない)
アイマスを責めれば、すまん—と、アイマスはしょげ返る。流石に言い過ぎたと思い、すぐに詫びた。
(しかし…防御に専念…か。アーサーさんは、グリム戦でも結構余裕があったとか?)
なんとなくモヤモヤして、眉を寄せる。脳裏に浮かんだ葛饅頭は、プルリと震えて見せた。
「さて、ここまでのことは理解できたか?」
「…うん。おおよそは分かりました。有難うカーム」
礼を告げ、頭を下げる。仲間達はひとまず問題なく、ラヴァも遅かれ早かれ復活するそうだ。ならば、何も案じることはない。話を先に進めても良いだろう。
「その5人組について教えてくれますか?」
「ああ」
頷いて見せた後、カームはゆっくりと語り出す。知り合ったのはアメランドの酒場で、リーブリヒが訝しんで声をかけたこと。道中でその人となりを見て、怪しいところがあれば斬り捨てるつもりだったのが、恐ろしく強いことが判明し、逆に青くなったこと。そのくせ、冒険者としての腕は半人前もよいところで、色々と指導したこと。アンラから空を飛んで、ここまで急行したこと。妖術師と思わしき老婆のこと。そしてグリムをたった一人で追い込んだ、5人組のリーダーのこと。
(ううん…やっぱり、心当たりがない…)
聞けば聞くほど、謎が増える。なんだって、その5人組は私や由香里を探していたのだろうか。人違いではなかろうか。
「ねえ、本当にその人達が探していたのは、私達なの?別の女性じゃなくて?」
「ん?いや、向こうも黒髪黒目の女性としか言わなかったから、お前達ではない可能性とて当然ある。無視しても良かったのだろうが、リーブリヒが喧嘩腰で声をかけてしまったからな。もう、心当たりがある—と、知られてしまったのさ」
「…ああ。そういうこと…」
夜露死苦!—と、脳裏のリーブリヒは快活に笑う。その笑顔が、妙に腹立たしく感じた。
「ええと?…その人達は、どうして黒髪黒目の女性を探してるんだっけ?そこ聞いたかな?」
「ん?いや、まだ話していない。ちょっと待て。ど忘れしたな…確か—」
思い出そうとしているのだろう。カームは目元を押さえて瞼を閉じる。しばらくはそのまま唸っていたが、アイマスが薪を火に焼べると、そうだ—と、顔を上げた。
「彼らの指導者が、黒髪黒目の女性二人と、唐突に離れ離れになった—とか言っていたな。目立つ真似のできない指導者に代わり、各地を探して歩いていたらしい」
はぁ?—と、自分でも驚くほど低い声が出た。新手の宗教勧誘か、はたまたナンパの口実にしか聞こえない。それも、かなり良く捉えての話だ。悪く捉えれば—否、どう考えても、妖術師を探す邪術師にしか思えなかった。きっと、私が妖術師であることが、どこからか漏れたのだろう。
(5人組の中に、邪術師がいるとか?)
邪術は得体の知れない術理である。もしかすると、それ故にグリムと渡り合えたのかもしれない。
「…その指導者の名前は?どんな人?」
「…教えてくれないんだ」
「…見た目とか。何も?」
「…ああ」
「…胡散臭い」
途中までは真面目に聞いていたのが、途端に馬鹿らしくなった。きっと、関わってはならぬ者達に違いない。今後は、対策を練らなくてはならないだろう。この話はもう終わりだな—と、己の中で完結させた。
「有難うカームさん。でも、私には心当たりないや。きっと人違いだよ」
「…そうか。まあ、悪い奴らでないことは保証する。一度、会うだけは会ってみてほしい。お前達の命の恩人でもあるのだから」
カームの言に頷いて返せば、すっかりと長居してしまった—と呟き、カームは立ち上がる。どこへ行くのか?—と尋ねれば、彼女は肩越しに笑った。
「見回りさ。イチロー達は、きっと追いついてくる。ここは、街道からやや離れているからな。そのまま通過されたのでは、流石に申し訳ない」
「…そっか…ちょっと待って!」
慌ててカームを呼び止める。カームが不思議そうな顔でこちらに向き直り、アイマスもまた怪訝な顔を向けてきている。けれども、私は頭の中を整理しており、すぐには声を出せなかった。
(今、カームさんは何て言った?イチロー?イチローって…一郎?もしかして、日本人?)
ここまで、カームはずっと、5人組とか、彼らのリーダー—っといった具合に、名前を出してこなかった。今初めて、イチロー達—と、5人組のことと思われる名を挙げたのだ。邪術師ではないかもしれない—と期待に胸が高鳴り、思わず声が弾む。もしかすると、私達を探しているのは、同胞かもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。
「ねえ、カームさん。その一郎さんは、黒髪黒目?」
「ん?…いや、黒髪黒目の者は、彼らの中には一人もいない」
ところが、カームの返答は、期待に膨らんだ胸をあっさりと萎ませる。そっか—と、立ち上がりかけた腰を下ろし、カームに礼を告げた。
「…有難うカームさん。何でもない」
「…ああ。早く寝ろよ」
再び長剣を手に、カームは振り向くことなく夜闇の中へと戻っていった。




