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異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第1章 真、異世界デビュー
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真、語学を学び始める

 カナリーは日が昇るや否や、早々に宿を去った。あたしはカナリーに別れと共に礼を告げ、背中を見送る。

 そんなあたしに声をかけるのは、アイマスである。


『随分と仲良くなったみたいじゃないか。棒は邪魔だったか?』

『許さんぞ、アイマス!一晩も放ったらかしにしおって!』


 だが、カナリーと仲良くなれた事と、アイマス達に放っておかれた事は別問題であるのだ。あたしは怒っていた。

 すまんすまん—と言いながら、まるっきり悪びれる様子のないアイマス。彼女は大物の素質を持っていると思う。

 ちなみに、昨晩のアイマスは、早々に酔っ払って寝ていたらしい。


『ぬぅ、ソティとアシュレイは?』


 あたりをキョロキョロと見回しながら問えば、何かの串を食べながら、アシュレイとソティが現れた。

 どうやら買い食いをしていたらしい。白皙の美少女が口元を隠しながら、串を食べる様は絵になる。ほぅ—と、ため息をついた。


『じゃないっ!思い出したぁ!アシュレイ、妖術師って何さ!?』


 俄かにアシュレイに噛み付くが、当のアシュレイは面倒くさそうに答える。


『妖術ってのは本人が意図せずに、或いは無意識に他者に危害を加える術とされているね〜。攻撃魔術の様に直接的に害する訳ではなく、事故や病の形で現れるらしいよ〜。それを意図せずにやるんだから、怖い術だよね〜。何を言われたのかは想像に難しくないけど、気にしても仕方ないじゃ〜ん』


 その通りである。けれど、一言くらいは説明があっても良いのではなかろうか。

 いや、それをこの場で言っても仕方ない。次の質問を投げかける事にした。


『…じゃあ邪術ってのは何さ?』

『邪術ってのは、意識的に他者に危害を加える術だよ〜。現れる効果は妖術と同じだけれど〜、多くの場合は大掛かりな儀式を必要とするんだよ〜。妖術の使い手を触媒とする事により〜、妖術の向かう先を邪術でコントロールできるのさ〜。その分儀式を簡略化できる訳だから、邪術師は妖術師が喉から手が出る程欲しいって訳〜』


 あたしは愕然とした。それはつまり—


『あたしは金のなる木な上に—

『強力な呪殺の矢ってところかな〜』


 アシュレイの言葉に頽れて項垂れる。何でそんな重要な事を即座に教えてくれないのか—と、あたしは心の中でアシュレイを—


(いかん、下手したら呪殺が発動しかねん)


 そう考えて怒りを飲み込んだ。意図せずに他者を害するなど、考えるだけでも恐ろしい。あいつ腹立つ!—とか思っちゃうと、何かが起こりそうで、迂闊な事を考えられない。

 平静を取り戻そうと、必死に深呼吸するあたしの肩を叩くアイマス。励ましの言葉かと顔を上げれば、涙を浮かべる程に笑っていた。


『いやぁ、大変だな。豪商、王侯貴族、秘密結社やら黒魔術師に至るまで—マコトはモテモテじゃないか。ぶっ、ぶはははは!流石に運命1は伊達じゃないな!』


 ガチ笑いである。ソティとアシュレイも顔こそ背けているものの、肩が小刻みに震えている。あたしは吠えた。


『ふざけんなチクショー!』






 さて、そんな訳であたし達は石切場近くの岩場に身を潜めていた。石切場というだけあり、多くの岩が並んでいる。中にはカット済みの綺麗に切り揃えられた石も並んでおり、石切工の腕の良さが窺えた。

 あたし達が身を潜めている岩場すぐの土の中に精霊石が隠されていたのだが、台座の上に収められていた精霊石は、台座が上から圧迫されたかのように潰れ、精霊石自体も割れて効力を失ってしまっているようであった。

 近くにはカット済みの石が無数に置かれている。おそらくはドスンドスン—と、何も考えずに石を地面に置いたのであろう。その衝撃に耐えきれなくなり、割れたものと思われた。


『これだな…若手が何も考えずに石を放り投げたかな』


 アイマスの言葉にあたし達は首肯した。アイマスは台座ごと掘り返すと、代わりにと預かってきた台座と精霊石を土の中に埋めて土で覆い隠す。預かった精霊石は残り六個。六ヶ所に予備一つの計七個を預かってきたのだ。

 

『後五ヶ所〜。次はどこ〜?』


 アシュレイが周囲を警戒しながらアイマスへと問う。アイマスは石切場の簡易見取り図を頼りに視線を巡らせると、地平線の彼方を指差した。


『…広過ぎだろ石切場』


 思わずぼやくあたしの頭を、押さえつける様に撫でながら、アイマスは立ち上がると言った。


『さぁ戦闘だ!』

『合点で御座います!』

『いやいや!まずは精霊石を設置して弱らせようよ!』


 あたしの意見は至極真っ当であると思うのだが、アイマスとソティは石切場の中央へと向かって吶喊してゆく。

 取り残されたあたしとアシュレイは、仕方なくアイマス達の放り投げていった地図と精霊石を拾い上げると、設置箇所を探して石切場を彷徨う事になるのだった。


『あの戦闘狂共は何とかならないの?』

『勝てない相手なら、退くくらいの判断力はある…と思うから〜—まぁ、頑張れ?』


 おそらくは精霊石を設置して歩くのが面倒くさくなったのであろう。とりあえず戦闘こうぶつから先にいただく事にしたらしい。

 あたしは嘆息して、地図と石切場を見比べながら歩き続ける。その後を続くアシュレイは、干し肉を頬張りながら歩いている。

 あたしは引率の先生になった気分である。どうしてこの人達は、こうも自由なのだろうか。


『アシュレイ…一応敵が出てくるかもしれんから警戒してよ』

『してるよ〜。干し肉を食べてたって警戒は出来るんだよ〜。その岩の奥にいるよ〜』


 アシュレイの言葉に頷くと、あたしは弓に矢を番えて天高く射る。やがて空から岩の奥目掛けて矢が落ちた。


「グギャッ!?」


 あたしは聞き覚えのある声に顔を歪めた。あたしがこの世界で初めて見た魔物であり、相変わらず不意打ち狙いの魔物—小鬼ゴブリンである。

 頭部を矢で撃ち抜かれた小鬼ゴブリンは、僅かに岩の陰から姿を見せると、前のめりに倒れて動かなくなった。


『アシュレイ、新魔術—成功だよ…』

『それにしては嬉しそうじゃないね〜?』

『相手がね…あたしとは因縁のある魔物だったのさ』


 天高く放った矢には、新魔術が付加してあった。それは、近場の魔力を追尾する魔術である。これだけでは味方の魔力が近くにある場合、味方を追尾してしまう。

 しかし、アシュレイの矢避けの術を併用すれば、敵だけを目掛けて降り注ぐ事になるのだ。アシュレイがいない状況では、ある程度狙いを絞らなくてはならないが、アシュレイがいる現在は、何も考えずに射れる。要改良ではあるが、満足ゆく出来であった。


『マコトの考える術は面白いね〜。私のインスピレーションも刺激されるよ〜』

『これまでの魔術はどうだったのさ?こういう発想も当然あったでしょ?』


 アシュレイのよいしょに気を良くしながらも、あたしは問いかける。

 けれど、アシュレイは苦笑いして首を振った。どうやら、今まで敵を追尾する様な魔術は無かったらしい。あたしはその事実に驚いた。


『条件付けが難しいのさ〜。今のマコトだと、矢を使ってくれているから矢避けの術が使える訳だけれど〜、これだって当てる対象を指定している訳ではなくて〜、味方に当てない様にしている訳だしね〜、完全とは言い難いよね〜。完全な魔術での条件付けとなると、どうやって対象を指定する〜?』


 あたしはしばらく頭を捻るも、確かに良い案は出てこない。それ以前に、あたしはまだそこまで魔術に明るい訳ではない。これは宿題になりそうである。

 アシュレイも期待しているのか、あたしの肩をポンと叩くと、ニヤリと笑って見せた。


『さて、更に奥の岩場に三—いや、四体だね。よろしく〜』


 あたしは頷くと、天高く四回矢を放った。






「いや、昨日の今日でもう終わりかい?随分と早いね?」


 冒険者ギルドの男性職員は、驚きに目を見開く。

 アイマスが男性職員に提出した受注票には、確かに石切場の監督者のサインが入っていた。

 アイマスは自慢げに言う。


「ああ、うちの新入りは優秀でね。私は安心して戦闘に専念できる訳さ」


 あたしはそれを聞いて凄く微妙な心持ちになった。あえて何も言わなかったが。

 男性職員はふんふん—と頷いた後に、アイマスへと尋ねた。


「で、参考までに聞きたいのだけれど、どういう状況だったんだい?」

「ああ、それなんだがな…精霊石の上に切り落とした石を置いていたみたいだ。その重さに耐えきれなくなって、精霊石が割れてしまったのだろう」


 アイマスの説明を聞いて、男性職員はようやく安堵した表情を見せる。原因が魔物によるものではなかった事に安心したのであろう。だが、同時に今回の一件は大きな課題でもあった。


「若い子達は精霊石の恩恵の事を軽視しているのかもしれないな…」

「それはそうだろうな。実際に魔物が町へ攻め込んでくる事態を経験していない者は、有り難みなど感じた事もないだろうし。ましてや、精霊石が何処にあるかなんてのも知らんだろ」


 男性職員も若い子の至らなさが原因であると見たようである。それ程までに精霊石の恩恵は知れ渡っているのであろう。魔物が町へと攻め入ってくる恐怖を知る者にとっては。

 あたしは職員との話に盛り上がるアイマスを他所に、ソティへと話しかけた。


『もしかして、精霊石が各町に配置されたのって、ここ10年とか最近の話なの?』

『いえ、100年程は経過しているはずで御座いますが、アイマスは辺境の地の出身ですので。そちらの方までは精霊石が届かなかったようで御座います。とにかく幼少期から、農業と戦闘訓練に明け暮れていたようで御座います。10歳を過ぎれば、実践に駆り出されるそうで御座いますよ?』

『…マジか』


 アイマスが魔物を前に鬼と化すのは、育ってきた環境のせいなのかもしれない。ソティは—怖くて聞けない。聞いたら首を刎ねられそうで。


「これが報酬だ。また近くに来る事があれば寄ってくれ。あ、明日のアンラ行きの護衛、受けてくれるんだろ?手配しておくよ」

「…何が四日後の月の日だ。狸め。また寄らせてもらうよ」


 男性職員とアイマスは笑いながら別れの挨拶を交わした。

 おそらくは、護衛依頼の方は、冒険者が揃い次第出立する手筈になっていたのだろうと思われる。この男性職員は、それを隠して石切場の依頼をアイマスへ受けさせたようだ。

 男性職員の手渡した受注票を引っ手繰るように奪いながらも、アイマスの顔は満足げだった。

 さて、ギルドを出ると、あたしの消費した矢を補充する事にした。使える物は再利用するが、多くの場合は鏃の形が変わってしまうため、練習用として以外には使えなくなる。

 魔物の身体—人体でもそうであろうが、骨というのはそれ程までに硬いのだろう。


『うう、申し訳ない。大して役にもたってないのに金食い虫で』

『何を言うので御座いますかマコト?もうマコトは優秀な戦力—と言っては煽て過ぎかもしれませんが、十分に活躍しているので御座いますよ?パーティの資金を使用するのに、何の問題があるので御座いますか?』


 申し訳なさに卑下すれば、ソティがそんな事はないと励ます。あたしは少しホッコリした。アイマスもあたしを励ましてくれる。


『ははは、本当だな。こんな短期間でこうも戦えるようになるとは思わなかったよ。誇っていいんだぞ?』


 けれど、どういう訳か嬉しくない。今のは、励まされたのだろうか。

 あたしの脳裏に浮かぶのは、魔物を見れば嬉々として突っ込んで行くアイマスとソティの背中。まるで人が変わったかのように暴れる二人を何とかしなければ—と、必死に弓矢と魔術の練習に明け暮れる。そんなこれまでの日々。


(それってつまり、あたしがここまで戦えるようになったのは、こいつらのせいじゃないか?)


 ギギギ—と油の切れた玩具のような動きで、アイマスを見る。お前が言うのか?—と、明確に視線は語り、血の涙が流せるなら流れていた事だろう。


『ん?どうかしたのか?』


 だがアイマスは気付かない。あえて惚けているのかもしれないが、あたしはそれ以上突っ込まずに嘆息すると、何でもない—と首を振った。アシュレイのゲラゲラ笑う声が、心の涙を流すあたしの耳朶に響いた。

 それからしばらく歩いた先に、職人ギルドはあった。職人ギルドは鍛冶屋から木工屋まで何でもござれの大型ショッピングモールである—少し言い過ぎたか。まあ、大体のものは手に入るホームセンターと言ったところか。

 あたし達は弓矢を扱っているであろう木工職人の工房へと入ってゆく。そこは数多くの山精族ドワーフ達が鎬を削る漢の戦場であった。


『うわぁ…すっごい光景…』


 山精族ドワーフをまじまじと見るのは始めてである。身長はあたしよりも頭一つほど低いが、とにかく筋肉が凄い。腕の太さなどアイマスに迫る勢いである。


『おい!私の方が細いぞ!幾ら何でも山精族ドワーフより太いなんてのは女性に対して失礼だろ!』


 アイマスが何か言っているが、あたしは無視した。

 さて、山精族ドワーフ森精族エルフ同様に目がクリクリしていて可愛い。けれど、髭の毛量が—いや、全身の毛量が凄い。腕の毛もびっしりで、まるで小さな熊を見ている気分にさせる。そんな山精族ドワーフ達が、様々な道具を手にして武器やら家具やらを作っているのだ。誰一人として言葉を話している者はおらず、先のアイマスの発言以降、工房には木を削る音のみが響いている。


山精族ドワーフって、こんなに静かなの?もっとお酒飲んでワイワイ—みたいなイメージだったんだけど?』

『お?よく知ってるな。酒を飲むと煩いぞ?だが、素面の時は無口だ』


 何だか物凄く面倒くさそうな人種であるらしい。

 ところで、ここであたしはふと考えた。この世界には一体どれほどの人種がいるのか?—と。あたしが誰ともなしに尋ねれば、アシュレイが応じた。

 

『いつ聞かれるかと思っていたけれど〜、ようやく来たか〜。良いよ、教えてしんぜよ〜。そもそもだね—


 前置きが長いので、要点をまとめると、このようになるらしい。


人間族:短命。バランスタイプ。

魔人族:長命。魔力特化タイプ。全体的に他者族より優れる。赤い髪に緑の目、角がトレードマーク。

獣人族:短命。身体能力超特化タイプ。成長が早く、老けない。老けてきたら、もう寿命らしい。

森精族:長命。魔力・器用・俊敏に優れる。めっちゃ細い。めっちゃ長い。

山精族:長命。筋力・体力・器用に優れる。めっちゃ太い。めっちゃ小さい。


 この中で森精族エルフ山精族ドワーフは半精族という括りになり、その名が示す通り、肉体の半分は精霊であるらしい。故に長命だそうだ。それにプラスして、個体差が小さく、皆似たような見た目になるらしい。多種族から見ると、男か女かくらいしか分からないそうだ。

 言われてあたしは工房内の山精族ドワーフを見比べてみたが、確かに衣服と髭の形の違いしか分からない。どれもこれも同じに見える。ゲームで言えば色違いというやつだ。


『魔人族はどうして長命なの?』


 あたしの問いにアイマスとソティは一瞬難しい顔をした。聞いてはいけない事だったのか?—と、喉を鳴らしたが、当の魔人族であるアシュレイは、何も気にする事なく語った。


『昔は魔人族も獣人族もいなかったんだよ〜。太古のアホな錬金術師がね—

『もう結構です!すみませんでしたぁ〜!』


 どうやら人体錬成きんきの結果であるらしい。見た事はないが、名前的に悪魔とでも錬成したのであろう。人種の話題は口にしない方が良さそうだ—と、あたしは一つ学んだ。

 さて、いつまでも工房を賑わせる訳にはいかない。あたしは山精族ドワーフへ話しかけようとして、言葉が通じない事を思い出す。あたしが振り返りパーティメンバーに視線で訴えると、頼りになるリーダーのアイマスが、手近な山精族ドワーフへと声をかけた。


「すまない、矢が見たいんだ。矢は何処に置いてある?」

「…入口、脇」


 山精族ドワーフは想像以上に無口であった。あたしの中の陽気な山精族ドワーフ像が音を立てて崩れる。


(まさか接続詞すら省いてくるとか…どんだけだよ)


 あたしは己が今し方入ってきた入口へと振り返れば、消耗品関係はそこにズラリと並んでいた。あたしは矢筒に入るだけ掴むと、アイマスにそれを手渡す。アイマスはそれを手に、再び手近な山精族ドワーフに声をかける。


「これを購入したいんだ。幾らになる?」

「…銀三」


 色々と端折りすぎである。アイマスは苦り切った顔で銀貨三枚を手渡す。山精族ドワーフはアイマスの方を見ずに銀貨を受け取ると、それきり木を削る作業に戻った。


『…あたし、山精族ドワーフ苦手かも』

『得意な方なんていらっしゃらないので御座います』

『工房から出てこない引き篭もりな種族だからな〜』


 飯とかどうしているのだろうか。あたしはどうでも良い事を考えながら、職人ギルドを後にした。

 さて、この世界で暮らし始めてもうすぐ一月になろうとしているが、魔術以前に学習せねばならない事がある。この世界の語学と常識だ。

 今はアイマス達にべったりだから良いかもしれないが、たまには別行動をする事もあるであろう。そうなった時のために、語学や常識の習得は必須だ。一旦はそっち方面にも手を伸ばし、魔術の造詣を深めるのは、その後にした方が良いだろう。


『そんな訳で読み書きを教えてください』


 三人に頭を下げたが、アイマスは苦り切った顔で言った。


『私はその手の事は本当に苦手なんだ。実は出来ない訳じゃないが…とにかく嫌いなんだ。ソティかアシュレイ、頼む』


 出来ない訳ではないが、教えられる程の教養と呼べるものではないのかもしれない。問い質そうかとも考えたが、本当に嫌そうなアイマスの様子に言葉を飲み込んだ。

 アシュレイもさして興味なさそうに本を投げてよこしただけに終わった。教材は提供する—という事であろうか。

 かくして、あたしはソティに潤んだ視線を投げかける。ソティは自信なさげに渋い顔をしていたが、やがて諦めたように嘆息すると、承諾の意を示した。


『分かりましたので御座います。私とてそこまで教養がある訳ではありませんが—引き受けるので御座います』

『やった!』


 まずはこの世界の常識である。

 この世界には時計の代わりとなるものが、時刻を知らせる鐘となる。鐘は日が差した瞬間を1刻として、鐘を鳴らす。あたし達が宿に泊まった時に聞く起床の鐘の音はこれである。

 そこから目盛りの刻まれた蝋燭に火を灯し、蝋燭が目盛りを割る度に鐘を鳴らすのだそうだ。目盛りは11カ所刻まれており、火を灯した時の鐘と、蝋燭が燃え尽きた時の鐘を合わせて、13回まで鐘を打ち鳴らす。季節毎に蝋燭の長さを調節しており、13刻で丁度日没となる。

 日の出をあたしの世界に当てはめると、午前5時と言ったところか。そこから日暮れを午後5時とすると、鐘の音一つで一時間経過した事になる。これは分かりやすい。


(そう言えば、昼ご飯はいつも8の鐘の音が鳴った後だったな。8の鐘が正午か。ふむ、成る程)


 鐘の鳴る時間帯を昼の刻。ならない時間帯を夜の刻と言うらしい。例えば正午であれば、昼8刻となる訳だ。13回目の鐘の音で、夜1刻の始まりである。夜の刻も12刻まであるそうだ。

 注意しなくてはならない点は、夜1刻と昼13刻は同じ刻を意味し、夜1刻と呼ばれる。同じ要領で夜13刻は昼1刻と同じ刻で、昼1刻と呼ばれる。

 考えるまでもなく、24時間であたしのいた世界と同じである。なお、13刻という表現はしてはいけないそうだ。何故なら、13刻は魔が刻と呼ばれる刻であり、悪魔が世界に舞い降りると信じられているからであるそうだ。


『夜はどうやって刻を知るの?』

『夜に刻を知る必要がないので、月の位置で大体の刻を知るのが庶民のやり方で御座います。ですが、日暮れの鐘と同時に蝋燭に火を灯しているところを、見た事がありませんか?自身で目盛りのついた蝋燭に火を灯す事で、刻を知る事が出来るので御座います』


 あたしは首肯した。つまりは自分でなんとかせい—という事か。だが、考えてみれば深夜に鐘を打ち鳴らしては良い迷惑である。これはこれで考えられたシステムなのであろう。

 元々は太陽の位置で朝、昼、日没の3回しか鳴らされなかったのであるが、ソティの信奉する女神教が今のスタイルを確立させたらしい。自慢げに、そして鬱陶しいくらいに詳細に語って聞かせてくれた。

 そして今度は日の数え方。この世界では春、夏、秋、冬の4つに季節を割り、1つの季節は90日あるそうだ。だが、面白い事に1の日の日、1の月の日、2の日の日、2の月の日—という具合に数えられるため、最後は45の月の日が季節の最後となる。

 今は春42の日の日であるらしい。これは大昔の星占術が元になっており、太陽と月が交互に昇るのだから、1日も日の日と月の日が交互に来るはずだ—という、首を傾げるような理論が大絶賛された結果によるものだそうだ。

 1年は360日であり、5年経過する事に、星占術師により、ズレが算出される。ズレは大体25〜6日となり、そこは過日1日〜過日26日と表され、過日を消化してから、春1の日の日が始まるらしい。過日は各町の触れ役が触れ回るそうだ。


(それって、1年を365日にすれば済む話じゃないかな?)


 —なんて事を考えたのは内緒である。星占術師の仕事を奪ってはならない。ちなみに、アシュレイには星占術はまるっきり分からないらしい。興味がないとも言う。

 続いて貨幣に関してだ。貨幣は下から銭貨、銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨の6種類あり、これ以上は手形でのやり取りになる事が多いらしい。

 あたしは利用した事がないが、各町には両替商と呼ばれる銀行に近い機関が存在するらしい。1Yが銭貨1枚。10Yで銅貨1枚となる。100Yで銀貨1枚。1000Yで大銀貨1枚。10000Yで金貨1枚。100000Yで大金貨1枚となる。つまり、カネットでアシュレイが買ったあたし用の触媒は、大金貨1枚であったのだ。金貨10枚と聞かせられると何とかなりそうな気がするが、大金貨と聞かせられると、何とかなる気がしないから不思議だ。—何とかしたけれど。


(つまり、どの硬貨も10枚でその上の硬貨1枚と同価値か)


 そして紙についてだ。この世界には紙がある。だが、まだまだ精度は粗く、そして途轍もない高級品だ。王侯貴族以外に使う者はいない。

 庶民の間では紙を使う機会などそうそうないが、商人などは羊皮紙やパピルスに近いものを使うらしい。アシュレイの持つ本は羊皮紙製である。


『知っておかなくてはならない事と言えば、このくらいで御座いましょうか?』

『そうだね。後はその都度聞くよ』


 あたし達は再び安宿に部屋を取っていた。今日は二人部屋が二つ確保できたので、あたし・ソティ組と、アイマス・アシュレイ組に別れている。

 アイマスとアシュレイは早速とばかりに飲みに繰り出したが、あたしは酒を飲まないし、ソティも戒律により食事以外では酒を飲まない。故に二人はアシュレイから手渡された—投げて寄越された本を読む事にした。それは、児童書であったが、この世界では有名な話であるらしい。

 ソティの指が文字を追いながら、ゆっくりと唇が動く。あたしはそれをしっかりと刻み込むべく意識を集中させた。


「昔々、この世界には大きな四つの大陸がありましたので御座います。人間族が多く暮らすアルセイド大陸。獣人族が多く暮らすケルセイナ大陸。魔人族が多く暮らすナイセイル大陸。そして、半精族が多く暮らすシュセイル大陸。更には、神々が座す聖域という巨大な塔を携えた島までもが存在したので御座います。四つの大陸に暮らす人類種達は、寿命や生活スタイルの差からお互いの住居を分けておりましたが、手を取り合い仲良く暮らしておりましたので御座います。ところがある日、人類種達は四つの大陸の覇権を争い戦争を始めたので御座います。多くの血が流れました。それを見て大いに嘆いた神々は、世界を分けたので御座います。海は割れ、空は裂け、大陸同士は往来が出来ないように隔たれました。そして神は聖域と共に姿を隠してしまわれたので御座います。それからというもの、神の恩寵なくなった世界には、魔物が現れるようになったので御座います」


 ソティの指が文の終わりを告げ、唇は動きを停止させる。あたしは顔を上げてソティに尋ねた。


『これ、実話?』

『どうなのでしょうか。この世界の名前はアルセイドでは御座いますが—スケールが大き過ぎて何とも。私は喧嘩をしてはなりません—という戒めのための作り話であると思うので御座います』


 ふぅん—と頷いてみせると、ソティが本を手渡しながらあたしへ言った。


『さ、次はマコトが読む番で御座います』

『えっ?いや、早くない?』

『何事も挑戦あるのみで御座います』


 そう言ってソティはニコリと微笑む。あたしはぐぬぬ—と唸って見せた後に、本を開いて読み始めた。


「昔々—

『発音が違うので御座います。その発音では男性の禿頭という意味の言葉に聞こえますよ』

『…なんじゃそら。そんなピンポイントな単語があるんかい』


 あたし語学習得は始まったばかりだ。

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