絶望 その二
グリムの巨体が大地へと落ちた。アイマスはやりきったのだ。これには、皆が目を見開いて次々に口笛を鳴らした。
「…本当にやっちゃったよ…凄いね、彼女?」
「だから言ったで御座いましょう?アイマスは頼りになるので御座います」
ヘルハウンドとの戦いでは、アイマスと共に前衛を買って出たジュリーが、愉快そうに笑う。鼻を高くして我が身のように誇れば、はいはい—と、ジュリーは苦笑した。
「ほらほら、無駄話は後にしてください。アイマスさんらは見事に役目を果たされました。次は我らの番ですよ」
パンパンと手を鳴らすマギステルに、皆が頷きを返す。私も両手に愛用の鉈を握り、同様に頷いて返した。
「先のヘルハウンド同様、首を落とします。得物が大きい者は羽と足を。スピード勝負ですから、防御は捨てます。今回はジュリーも攻撃に加わりなさい。では、散開」
マギステルが一際大きく手を叩けば、皆が風になって駆け出す。私もまた、黒い異端審問官の一団だった頃に戻ったかの如く、自然と疾走していた。
「ここで仕留めるぞ!絶対に飛び立たせるな!」
よろよろと立ち上がると、剣を振り上げて、おそらくは私に向けて叫んでいるであろうアイマスだが、目に見えて限界だ。顔は青いし、剣先どころか、身体までもがゆらゆらと揺れていた。
(…あ、こけたので御座います)
ついには走り出そうとして、顔から雪原に突っ伏すと、アーサーさんに引きずられて退場となった。あまりにもアイマスらしい締まらなさに、クスリと笑みがこぼれる。
「シッ!」
グリムの首に突き立てた鉈を引き抜きながら、彼女が目を覚ましたら、どうやってからかったら楽しかろうか?—と、悪戯に胸を躍らせた。
『その手の敵は、羽を潰せば風魔法は使えなくなります!次に飛ばれたら、止める術がありません!羽を重点的にお願いします!』
「はいよー!」
上空を旋回しながら、皆に強化を付与しているラヴァの念話が届く。威勢の良い声を上げたのは、戦棍が得物のララだろう。
「クシケンス!お願い!」
足元から迫り上がってきた石柱に、舌打ちしながら攻める場所を変える。これはマコトの魔法だ。クシケンスと共同で何かするつもりなのだろう。おそらくは拘束だ。
『ブオオオオオオオオオ!!』
グリムの頭が大きく動き、身体を持ち上げようとする。巨体に似合わず、思ったよりも動きが早い。微塵も疑ってはいなかったが、よく止めたもので御座います—と、改めてアイマスの労をねぎらった。
『サンダー・コレクト!』
上空のラヴァが、幾重にも折り重なる魔法陣を展開した。再び、ラヴァの大技を叩き込もうとしているのだろう。あの魔術を起動させると、空気の質が変わる。上手くは言い表せないが、肌で感じ取れるほどに、空気の異なる層が出来上がるのだ。そして、その層の中を、目にも止まらぬ不可避の電撃が駆け抜ける。範囲こそ狭いものの、威力は凄まじく、巻き込まれればただでは済まない。元同僚の皆に、それをどう伝えたものか—と言葉に困ったが、要らぬ心配であった。羽の上に陣取っていた者達の表情が変わり、瞬時に消える。空気が変わったことを察知したのだろう。
『ファイア!』
閃光の後には、轟音が通り過ぎる。飛び上がろうと上体を起こしていたグリムの羽から、白い煙と共に、羽の焼けたものに違いなかろうが、鼻を摘まみたくなるような臭いが漂ってきた。
(ラヴァも限界で御座いますね)
フラフラとマコトの元へ戻ってゆくラヴァから視線を切り、再度グリムへと斬りかかる。グリムの皮膚は硬く、刺さった鉈が動かなくなる。普通であれば、斬り付けながら駆け抜けて、再び斬り付けながら駆け抜けて—を繰り返すのだが、グリム相手にはそれができない。他の者達も渋い顔を見せているのは、同じ思いを抱いている証左に他ならない。スピード勝負と言われてはいたが、これは時間がかかりそうだ。
『ブオオオオオオオオオ!!』
「あら、注意を引きすぎてしまったので御座います」
何度も首に向けて鉈を突き立てていたのがよほど不快だったのか、グリムの顔がこちらを向く。もっとも、グリムが私を捉えんとして視線を向けた瞬間には、既に私はその場にはいない。反対側の首へと鉈を突き立てていた。
「これでどうよ!」
再びマコトの声が聞こえたかと思えば、グリムを囲むように屹立する石柱が姿を変える。まるで紐を解いたかのように大きな鎖を形作ると、グリムの首、羽や脚へと巻き付き、互いに連結した。
(助かるで御座いますが、随分と大掛かりなことを…)
チラリと視線を向ければ、マコトは膝に手をつき肩で息を吐いている。クシケンスもまた、右に同じくだ。これ以上の援護は望めないだろう。
(いかにマコトらといえど、もうそろそろ限界で御座いますね。アシュレイには修道士の皆様を守ってもらわねばなりませんし…私共とユカリで何とかする以外にないので御座います)
急ぐべきだ。一旦グリムから距離を取り、再び全速力で突っ込む。身体のバネを使って全身を捻り、グリムの首に大きく鉈を振るった。拘束もあり、間違いなく渾身の一撃だ。けれども、僅かに血は噴き出すものの、筋肉を断ち切るには遠く及ばないばかりか、大したダメージにもなってはいないように見える。
(…くっ、硬いので御座います)
『ブオオオオオオオオオ!!』
鉈を突き立てた瞬間、至近距離で発せられた一際強い咆哮に、目眩を覚えてふらついた。いけない—と思ったのが先か、思った時には既に宙を舞っていたのか、グリムの全身を覆うように暴風が吹き荒れ、気が付いた時には宙空で転身していた。
(昔取った杵柄というのは、侮れないもので御座いますね)
綺麗に着地こそしたものの、空になった右手を見て舌打ちする。グリムへと視線を戻せば、グリムは片羽で飛び立とうともがいていた。大地と一体化した鎖に絡め取られ、高度を上げられないのだろう。僅かに浮いたのみで、鎖を引きちぎらんとして身体を捻っている。己の鉈は、グリムの首に刺さったままとなっていた。
「ボス、あの風を何とかできませんか?」
「…ボスはやめなさい。風の精霊に頼んでみます。少しお待ちなさい」
戦棍を担いで苦い顔を見せるララの要請に、マギステルはゆっくりと瞼を閉じる。精霊と会話をしているのだろう。
「…弱めることが精一杯だそうです。皆、いけますね?」
「もちろんで御座います」
マギステルが順に皆の顔を見て、決意を問うてくる。弱めたとても、吹き飛ばされるほどの暴風だ。近付けばどうなるかは知れたものではなく、身の危険を覚えないはずはない。けれど、私達は誰しもが頷いて返した。
「おええええええ…」
情けない声に視線を向ければ、マコトとラヴァの主従が仲良くリバースしているではないか。やはりマコトは限界であるらしい。その隣では、クシケンスとユカリの2人が鎖の錬金陣を維持していた。ユカリはまだ余裕がありそうだが、クシケンスの顔色は真っ青になっている。ユカリは術理を不得手としているため、1人では陣を維持することは叶わない。もう間もなく、グリムの拘束も消えることだろう。
「…鎖もそう保たなそうで御座います」
「…ええ。予想を遥かに上回る化け物ですね。厳しいとは思いますが、これで決めますよ」
マギステルが袖から新たに取り出した釵を受け取り、左手に鉈、右手に釵の二刀流で腰を落とす。皆もまた同じように腰を落とし、マギステルの言葉を待った。
「…今!」
マギステルの唇が動くや否や、声を発する前に風となる。私のみならず、全員が一斉に駆け出していた。
『ブオオオオオオオオオ!!』
グリムの咆哮が大地を揺らす。風の魔法によるものか、はたまた声量が齎したものなのか、判然としない衝撃の只中へと飛び込み、一心不乱に得物を突き立てた。風、風、風。目を開いていることさえままならない暴風の中にあっては、私達の動きも大きく制限される。私にできたことは、釵を突き立てて、グリムの首に取り付くことだけだ。
(しがみつくのもやっとで御座いますね)
グリムの巨体が揺れただけで、私の身体は大きく振られ、風に吹き飛ばされそうになる。そうはさせじと釵を強く握り、鉈を振るった。
—ザスッ—
よほど角度が良かったのか、これまでの攻撃が功を奏したのか、振るった鉈は大きく首へと喰い込み、大粒の血沫を飛ばす。
『ブオオオオオオオオオ!!』
「うわぁっ!?なんだっ!?」
「全員退避っ!」
それまでとは一線を画す底冷えのする咆哮に、まさか己の一撃が、それほど気に障ったのか?—と、青くなる。マギステルの退避命令に従い離れた刹那、グリムを取り巻く風が、その性質を変えた。
「なんですか?あれは…」
グリムの様子を訝しむのはマギステルだが、誰も何も言えない。私も気の利いた言葉を返すことはできなかった。鎖が上下左右に振られているのだ。それも、鎖の先は右に、中程は左に—といった具合で、グリムを覆うように風が層を成して取り巻いているのだろう。次第に鎖は撓むことなく不自然に歪んだ状態で固定され、ブルブルと小刻みに震え出した。
「お、おい…鎖が…」
「あらら。これってピンチじゃないの?」
キン、キン—と甲高い音が響く度に、グリムを拘束していた鎖が千切れ飛ぶ。否、千切れているのではなかった。私の足下に落下した鎖の断面は、まるで鋭利な刃物で断ち切られたかのように、綺麗に切断されていた。
「へえ…ようやく私達を認めた—ってことかい?」
「微塵も嬉しくないので御座います」
仲間の軽口に軽口で返すも、状況は芳しくはない。むしろ、最悪と言い切って良いだろう。これまで、グリムを何とか抑え込んでこれたと思っていた。このまま押し切って、仕留められると考えていた。けれども、グリムは今の今まで本気を出してなどいなかったのだ。ただただ、餌、あるいは、煩わしい蝿がいる—くらいの認識だったのかもしれない。ようやく、私達を対等な敵として認めたのだ。
「…ああ、鎖が…」
ついにグリムの足を繋ぎ止めていた、最後の一本となる鎖が断ち切られる。なす術なくその様を見つめていた私達は、さすがに顔が強張った。
「隊長…どうします?」
「…隊長はやめなさい。…私がチャンスを作ります。今度こそ、仕留めますよ?」
マギステルの言に首肯を返し、グリムへと視線を戻す。先ほどまでは上空へ逃れようと暴れていたように見えたグリムだが、拘束を断ち切った後も飛び立つではなく、一定の高度を保ったままで、こちらを睥睨している。隙だらけと言えばその通りなのだが、周囲を取り巻く異質な風に、踏み込むのを躊躇ってしまう。
(マギステル司教は、如何様に隙を作るつもりなので御座いましょう)
グリムは強い。これだけの人数で斬りかかっておきながら、有効打の一つも与えられないとは思わなかった。侮っていたつもりもないが、己の力を過信していたことは確かだろう。蟻の巣で見たボーナスほどとは言わないまでも、少しはやれるようになったと思っていたのだが、それは慢心であったらしい。
(…もし、逃げようとすれば、逃げられたで御座いましょうか?)
チラリと背後の修道士達を見る。雪原に蹲る皆が恐怖に顔を青ざめさせ、それでも私達に向けて、必死に祈りを捧げていた。その中程にはアシュレイがおり、強力な結界を展開しているのだろう。杖にもたれかかりつつ、早く倒せ—と言わんばかりに、私を睨みつけてきている。
(…たらればの話をしても仕方ないので御座います)
逃げられはしない。これほどの団体で、聖火を守りつつ、どうやって敵を振り切ろうと言うのか。修道士達を守るためには、応戦する以外に手はなかった。しかし、その結果はどうだ。このままでは全滅だ。必死に止め、チャンスを作ってくれたアイマスに、どう言い訳したものか。
「…せめて、修道士達だけでも逃してやりたいので御座います」
「同感ね」
私の隣へとやってきたのは、短剣をくるくると器用に回すファームだ。私の2つ上の彼女は、私同様に最年少組として、隊の中ではいじられ役だった。共に厳しい訓練を乗り越えた友人である。
「ほら、最後まで諦めるなよ」
「ああ、ごめんなさいジュリー」
戦斧を肩に担いで渋い顔を見せるジュリーへ、2人で詫びる。もう諦念に囚われかけていたことは確かだが、足掻けない訳ではない。表情を引き締めて、グリムを睨みつけた。
「やはり、前言は撤回するので御座います」
「そうね。生きて帰りましょ。みんなで」
再びファームと無駄口を利くも、今度はジュリーも何も言わない。見てはいないが、私達へと優しく微笑みかけているような気がした。
『ブオオオオオオオオオ!!』
ついにグリムが動き出す。その巨体からは想像もつかないほどの急加速を見せると、風魔法によるものだろうか。まるで武技の応酬かのように、大地を削りながら突っ込んでくる。流石にゾッとした。
(アイマスは、よく正面から立ち向かったもので御座います)
鉈と釵を強く握りしめ、腰を落とす。アイマスらが抜けたことは痛手だが、生きて帰ると決めた。このまま私達だけでやるしかない。切り抜けるのだ。絶望という名の悪夢から。
「得物の大きい者は横から!それ以外は背後から攻めなさい!正面は私一人で受け持ちます!」
マギステルの言にギョッとするも、その程度で動きを止める私達ではない。即座に指示に従って散開した。グリムの背後へ回るべく、横に逸れつつマギステルの様子を窺う。一体、どうやって一人で受け持つつもりなのかと思えば、マギステルは避けるでも受けるでもなく、ただ黙って佇んでいるではないか。
(いけないので御座います!)
一眼見て理解できた。マギステルは死ぬ気だ。グリムの風を抑えるべく動きを止めて、精霊達へ魔力を送り続けることに注力しているのだ。せっかくファームと決意を新たにしたのに、そのリーダーが死を覚悟の特攻ときたものだ。それは余りにも酷い。思わず脚が止まった。
「ダメで御座います!」
『ブオオオオオオオオオ!!』
私の叫びはグリムの咆哮にかき消された。頭では理解している。あのアイマスですら一人では止めることがかなわなかった。それを盾職でもないマギステルに、どうこうできるはずもない。飛ばれた時点で、マギステルは覚悟を決めていたに違いないだろう。けれど、頭では理解していても、感情は別だ。
「隊長!!」
力の限り叫んだ。私の声に呼応したかのように、何人かの悲鳴が聞こえる。きっと、マギステルのやろうとしていることに気がついたに違いない。
(一撃加えて、グリムの気を逸らす!)
間に合うかどうかは分からない。無駄に終わるかもしれない。それどころか、風の壁に遮られ、私が千切れ飛ぶことになるかもしれない。けれど、諦められなかった。
(電光石火!)
血の滲むような訓練を乗り越えた証である、私の闘技。瞬く間に風となり、敵に得物を突き立てることができる技だ。同系統の闘技である疾風迅雷と違い、直進しかできないものの、単純に対象へ攻撃を加えるだけならば、こちらの方が優れる。
(間に合え!間に合って!)
視界全てを覆うほどにグリムの巨体が迫り、鉈と釵を突き立てるべく構える。狙いをつける暇などない。ただ、何も考えずに腕を突き出す。立ち尽くすマギステルと視線が交差した気がして、間に合った—と、僅かに安堵した。
—ミシ—
そんな音を聞いた気がした。加速する思考と視覚が捉えたのは、釵を突き立てるべく突き出した私の腕が、凸凹に折れ曲がる絵だ。手から前腕の中程までは左へと持ってゆかれ、肘の辺りは右へと引っ張られる。更に、上腕は再び左へと向かっていた。
(…これは、死んだで御座いますね…)
電光石火の欠点の一つとして、簡単には止まらないことがあげられる。まるで玩具のように折れ曲がり、瞬く間に切断された己の腕は、グリムを取り巻く風の障壁の一部として、グリムの上方へと消えていった。マギステルから借り受けた釵もまた。
(ああ、情けない最後で御座います)
そして、勢いのついた私も、腕同様に両断されるのだろう。まだ痛みすら襲ってはこない引き延ばされた感覚の中で、歯を食いしばる。覚悟は決めたはずなのに、死にたくない—と、自然に顔が強張った。
「うおおおおお!シールドバッシュ!」
私の身体が風の暴威に捕まり、上へと持ち上げられ始めた刹那、上空から男のものと思わしき声を認める。何事か?—と視線を向けるよりも早く、轟音と共に、グリムの巨体が崩れ落ちた。
『ブオオオオオオオオオ!!』
雪を掻き分け大地を抉り、倒れ臥すグリムの背には、先程アイマスが見せた、巨大な魔力盾が叩きつけられていた。確か、バスチオンと呼ばれる闘技だったはずだ。
(あれは…動かせるものなので御座いますか!?)
フォートレスで検証したことがある。あの魔力盾は、物理にも魔力にも滅法強い。けれど、その代償であるかのように、異常に重い。一度顕在化させたら最後、アイマスの腕力をもってしても、向きを変えることすらできなかった。できたことはといえば、僅かに押し込むことくらいか。
「娘、貴殿はこちらへ」
ズゥン—とグリムの巨体が地響きを起こせば、消えた風の障壁に、持ち上がりかけていた私の身体も自由になる。慌てて姿勢を整えようとした私を引っ張ったのは、見覚えのある精悍な大男だ。見慣れない鎧に身を包む彼は、私を抱き寄せると、即座にその場から跳んだ。
「…ジロー、法術を頼むで御座る」
「かしこまりました。…その、腕は?」
「はいはい、ここにあるっスよ。さっさとくっつけてやってほしいっス」
顔の上半分を黒い画面で覆った女性の前に降ろされた私は、夢現で3人のやり取りを聞いていた。千切れ飛んだ腕を接続するのは、容易なことではない。信仰値の高い私でも、なかなかに集中することが求められる。ところが、彼らはこの激戦地において、それをやろうとしているのだ。
「あ、あの…私にも、法術の心得はあるので御座いま…痛っ!?」
「青い顔で変な遠慮するもんじゃねっスよ。黙って治療されるっス」
黒い上下に身を包んだ少年が、私の千切れた腕を持ち、大男が私の肩を動かぬように固定する。不安になって視線を彷徨わせれば、少年と目が合った。
「大丈夫っスよ。もう安心っス。よく頑張ったっスね」
少年は、あどけない顔で不敵に笑う。茶色がかった髪は北部の者達に多い特徴だ。大男も、仮面の女性も金髪なれば、この3人はどういう繋がりなのだろうか?—と、変なことを考えた。
『ブオオオオオオオオオ!!』
「しつこいですよ!!」
グリムの咆哮をかき消すような、とんでもない声量が耳朶を揺らす。大男を避けて視線を送れば、グリムの巨体がひっくり返っているではないか。ズゥン—と、再び轟音を鳴らして大地へ沈む怪鳥を、夢現そのままに眺めた。
「…我が主よ。その御力をお借り致します」
「カ、カオス・ヒール!?」
「はいはい。動かないで黙ってるっス。ちゃんと元通りにするスから」
「どのみち、この怪我では満足に祈祷もできぬであろう。大人しくするで御座る」
仮面の女性が展開した法術陣は、まさかの灰色。効果の薄いカオス・ヒールだった。それならば下手に修復されるよりも、己でやった方が綺麗になる—そんな思いから身を捩ろうとしたが、2人の男性にガッチリと拘束された今、私には腰を上げることすらできなかった。もっとも、意識を向ければ、痛みで頭がどうにかなりそうな現状では、彼らが言うように満足な法術など施せない。痛みに慣れる訓練も受けてこそいるが、それでも雑念は入り込む。大人しく法術を受ける以外に手はないだろう。
「フォートレス!シールドバッシュ!」
『ブオオオオオオオオオ!!』
大男の背後に巨大な魔力盾が形成されたかと思えば、それは振り回されたとしか思えない軌道を描き、グリムの巨体を弾き飛ばす。
「…ゆ、夢でも見ているので御座いますか?」
「…いいや。どうやら夢じゃなさそうだよ?」
「天は、まだ私達を見放した訳ではなかったようですね」
背後から聞こえた声に振り返れば、渋い顔のララと、ララに肩を貸された青い顔のマギステルがいた。その後ろには、続々と仲間達がやってくる。多くは身内だったが、彼女達が担いできた者の中には、アイマスとマコトもいる。皆、無事であるらしい。
「はは、アイマスも凄かったけど…何だありゃ?本当に人間か?化け物じみた動きだぜ?」
ジュリーがカラカラと笑いながら手庇を作り、グリムらの様子を窺う。私も見たいが、大男が邪魔で、グリムしか見えない。一体、あれと戦っているのは誰なのだろうか。
「ほら!動くな!綺麗にくつかぬで御座るぞ!」
首を伸ばそうとするも、大男の眼力に、逆に首を縮める。その時、ふと思い出した。この大男達のことだ。どこかで見たことがあると思っていたが、以前にアンラの冒険者ギルドで見たのだ。鉄の何ちゃら—とかいう大型クランと揉めていた者達であり、私の肩を掴んでいる大男こそ、喧嘩の張本人だった。
「あんな無茶をしたからです。あの戦いを見られないことを罰として甘んじなさい」
「戦い?一方的過ぎるわよ?あれじゃ、もう処理だわ」
マギステルらの言に、グリムを“処理”するほどの力とは如何なるものか、ついに好奇心が抑えられなくなる。再び首を持ち上げようとして、今度は拳骨を落とされた。
「…動くなと言っているで御座る」
「い、痛いので御座います…」
殴られた私の姿に、背後の仲間達がドッと笑う。酷いと思う。そもそも、マギステルが特攻など仕掛けなければ、私とて腕を飛ばす結果になりはしなかったのだ。
「マ、マギステル司教が、命を粗末にするから、こんなことになったので御座います!」
「…え?命を粗末に?…」
ところが、口を尖らせて抗議したものの、誰もが思い当たることなどないかのように、怪訝な顔を見合わせている。これには腹が立って、更に抗議した。
「グリムを真っ向から受け止めようとしたことで御座います!あんなの、受け止められる訳ないので御座います!」
「…え?」
「…ああ〜!なるほど!そういうことかっ!」
私の発言に、より一層眉間の皺を深めた面々だったが、ようやくララが理解してくれたらしい。しかし彼女は、マギステルを諌めるではなく、私にいやらしい笑みを向けた。
「ソティはね、司教が何の考えもなしに立ち尽くしていたと思ってるみたいだよ。あはは、あの時はね、マギステルのところにアーサーさんがいたのよ」
ララの言に、目を丸くして皆を順に見る。マギステルも、ジュリーも、ファームすらもが得心いった顔を見せると、いやらしい顔付きに変わった。
「え?いえ…ですが…皆様も悲鳴を上げていたでは御座いませんか?」
「あれは、誰かさんが突っ込もうとしていたからよ」
「本当に心臓が止まるかと思ったわ」
「うちの慌てん坊を助けていただき、有難うございます」
「いいんスよ。持ちつ持たれつっス」
どうやら、私の早合点であったらしい。見る見るうちに、顔が赤くなってゆくのが自覚できた。
「でもね、嬉しかったですよ。私達は決して恵まれた境遇にあった訳ではありませんが、互いに気遣えるくらいには、家族でいられたのですね」
そう言ったマギステルが目を伏せれば、皆もそれに続く。そんな中、ぷぷっ、隊長—とか聞こえてくるではないか。誰が笑っているのか知らないが、恥ずかしさで茹で上がりそうだ。この恨みは、いつかきっと回収することを心に決めた。
「はい、もう大丈夫です」
仮面の女性が祈りを止めれば、灰色の輝きは失われる。茶髪の少年と大男が私から離れ、グリムへと視線を向けた。私も腕に違和感がないことを見て取ると、接続の醜美よりも先に、グリムへ視線を向けた。
『ブ…ブオオオオオオオォォ…』
「これで止めです!」
グリムは弱り切っていたどころか、今まさに首を切り落とされるところだった。雄叫びが聞こえてきそうなほどに気合いの込められた一撃は、皮膚の硬さなどお構いなしに巨大な首を断ち切る。
「ひゅう〜、すげえ〜」
「し、信じられないので御座います…」
グリムの首を両断せしめたのは、黒い甲冑に身を包んだ青年だった。体付きに優れる訳でも、得物が馬鹿みたいに大きい訳でもない。彼が手にしていたのは、一見するとありきたりな片手剣と盾。ズシン—とグリムの首が地を揺らした後には、青年は息を弾ませるでもなく、汗を拭うでもなく、ただ一度、ふぅ—と、短く嘆息したのみだった。




