アンラを襲う呪印 その二
「もし、アンラ大平原の魔物の一件が仕組まれたことだとすれば、最悪のタイミングだよ。僕の思惑と、敵の思惑が、上手く噛み合わさったんだから」
などと宣い、深く嘆息してみせるベロート。噛み合わさる?何を言っているのか。この場合、ベロートが敵の思惑に便乗した形になると思う。
「まったくだ。聖火祭を中止にはできないからな。…よほどのことがない限りは。見過ごす訳にはいかないな」
流石にベロートと付き合いが長いだけあり、モスクルは綺麗に流した。溜まった鬱憤は、見えない敵に擦り付けることで、解消することにしたらしい。実に彼らしいストレス解消法だ。
「そう考えれば、アンラ大平原の魔物のことは頷けるわね」
ブルーツもモスクルに続き、ベロートを責めることは諦めたらしい。女性は切り替えが早いというが、少し、早過ぎる気もする。それだけ、ベロートに振り回されることに慣れているのだろう。よくもまあ、こんな器量よしがくっついてくれたものだと思う。
(まあ、よいわい。まずは、今後の方針を定める方が先だからのう)
わしも諦めて、ベロートの話に耳を傾けることにする。そっちの方が、ストレスが少なくて済むし、建設的だ。
「そうなんだよね。むしろ、アトリアのことは、聖火祭を中止にしかねない事態だ。それを思えば、アンラ大平原の件とは切り離して考えた方がいい」
どう?—と尋ねられ、わしらは皆、ベロートへ頷きを返す。しかし、モスクルは得心いかないことがあるらしく、ベロートへ尋ね返した。
「待ってください陛下。最初、陛下は一本の線で繋がると言っていました。アトリアの件と魔物の件、それぞれが別目的だとした場合、どのように一本の線で繋がるというのですか?」
「ああ、それ。それはね、呪術だよ」
幾分か落ち着きを取り戻したモスクルは、ベロートを陛下と呼ぶ。言葉遣いも目上の者に対する礼儀を弁えたものに変わったが、今更だと思う。
「…呪術…」
モスクルがベロートの言葉を反芻するかのように呟きながら、こちらに視線を向けてくる。どういうことか?—と、問うてきているのだろう。
「アトリアの町の住人には、呪術がかけられておる。そして、アンラ大平原の魔物…こいつも、人為的なものだと仮定すれば、呪術が使われておるのは間違いないのよ」
「…呪術で操れる…ということか?かなりの大物だと聞いたぞ?」
訝しむモスクルの言に、魔物の詳細を聞いていなかったことを思い出す。確かに大物ということは耳にしたが、一体それがなんであるかは、ここまで聞いてはいなかった。
「ベロートよ。魔物は何であったのだ?聞いておるか?」
「…いや〜。ここまで誰も聞いてくれなかったからさ〜。すっかり口にする機会を逃しちゃって、どうしようかと思ってたよ」
わしが問いかければ、ベロートは戯けて返した。こいつはどうして—と頭が痛くなるが、気にしたら負けだ。早く話せ—と、顎で促した。
「ヘルハウンドだよ」
「なんだとぉ!?」
広間に音が反響し、モスクルの叫び声が何度も耳朶を揺らす。ヘルハウンドといえば、人など一飲みにしてしまえるほどの大型魔獣だ。犬・狼系の四足魔獣で、全身が真っ黒い毛並みに包まれた不死系魔物である。その大きさもさることながら、特に恐ろしいのは、牙や爪が齎す呪いだ。呪いを受けると、死を冒涜する行為を働いた場合、それと同じ効果が己に返ってくる。この場合、ヘルハウンドを斬りつけたとすれば、その傷は、そのまま己にも返ってくるということだ。
「…よく倒せたのう?」
「ははは。ここは女神教のお膝元だよ?騎士団の中にも、法術師は多くいるさ。…逆に、ヘルハウンドであったのは、運が良かったくらいだよ。不死系魔物でなければ、なす術なく撤退していただろうからね」
ベロートは屈託なく笑うが、実際に騎士を務める貴族には、法術師などはいないはずだ。彼らの教程の中には、法術など含まれてはいないからだ。いたとすれば、叩き上げで貴族になった者のみだろう。さらに言えば、第三騎士団は騎士団とは銘打っているものの、その実、構成する要員のほとんどは兵士だったりする。実際に騎士号を持つ、あるいは騎士爵にある騎士など、指揮官以上の僅かな人員のみである。法術を扱えるのは、考えるまでもなく最前線を担う兵士の方に違いない。きっと、死に物狂いで戦ったことだろう。よく逃げ出さなかったものだ。
「そうか、浄化法術か。確かに、運が良かったな」
モスクルの言に頷きを返す。法術の中には、極めて不死系魔物に有効なものもある。浄化系の法術がまさにそれで、そういった手を持つ法術師は、不死系魔物に対して無類の強さを誇る。
「で、どうなんだデンテ。ヘルハウンドだそうだ。呪術で操れそうか?」
「…不死系魔物は確かに操りやすい部類だのう。だが、ヘルハウンドか…個人で操れるとは思えんのう。やるとすれば、呪具を用いた上で、複数人…が妥当かのう」
思考能力のない不死系魔物とはいえ、格上の相手となれば、そう簡単な話ではない。限界であるレベル100に到達した者でも、単独で臨むには、かなり危険な橋に違いない。ただ、できる、できない—の二択ならば、できると言い切れるが。
「…なるほど。こうなると、不死系魔物であったことすら、作為的なものを感じるな」
「そうだね。勘繰りすぎかもしれないけれど、騎士団の手に負えないような奴が出てきちゃっていたら、間違いなく聖火祭は中止だったろうからね。程よく騎士団を消耗させる—という観点から見た場合、不死系魔物は最適解だよね」
モスクルとベロートの思考は飛躍しているようだが、否定する材料もない。好きに言わせておくことにした。もっとも、情報共有はもう十分だと思っている。話を先に進めるべきだろう。
「そろそろ、今後のことを考えんか?」
「ロロナにヘルプをお願いするんでしょ?ネームレスなら、どうとでもできるわよね」
おや?—と、ブルーツの言葉に空目を作った。ネームレスに動いてもらうのは、アトリアの件だったはず。わしは王都のことについて尋ねたつもりだったのだが、言葉が足りなかったらしい。ブルーツはアトリアの件だと思い違えてしまったようだ。そうではない—と伝えようとしたが、モスクルが真っ青になって首を振り始める。またこの流れか—と辟易するも、とりあえずは成り行きに身を任せることにした。
「待て待て!本気で言っているのか!?俺はそのことについては承諾した記憶はない!考え直せ!アンラの問題なんだぞ!?本来なら、彼らに修道士団の護衛を頼むことすら痴がましい!その上、リーダーのオサカは未だに行方不明なんだ!」
彼らのリーダーであるオサカが行方不明だという話は、わしもクローディアから聞いていた。ある日、迷宮に潜ったと思ったら、いきなりオサカの気配が希薄になったらしい。詳しくは語ろうとしなかったため、わしも掘り下げることはしなかったが、どこかでピンピンしているのは間違いないとのことだ。
「ケイタイ、その他諸々もある。それに加えて、これ以上うちの問題を頼み込むなんて、俺はゴメンだぞ!?」
モスクルの剣幕に、ブルーツは残念そうに嘆息する。先ほど決着したと思っていたのだが、モスクルは納得してはいなかったらしい。確かに、ここまでの折衝は全て彼に任せられていた。それは、同じ冒険者として、彼の方がネームレスに近い感性を持つと判断していたからだ。ベロートなどにやらせては相手を怒らせるだけであろうし、わしもまた魔術師畑であるため、冒険者とは一線を画する。
(ふむ…しかし、クローディア自身は、冒険者というよりは、わしら寄りだのう。研究肌だと思うわい。どれ、わしが話してみるかのう)
顎髭を扱きながら、話の運びを考える。やはり、どう見積もっても失敗する未来が見えない。最初こそ渋い顔はされるだろうが、協力的な姿勢は見せてくれることだろう。モスクルは心配性が過ぎると思う。
「クローディアと話をさせてほしいの。あの者の魔術的な知識と制御能力はわしをも凌ぐ。何かしら得られるものがあるかもしれん」
「…デンテ…お前まで…」
モスクルは弱々しく呟いたが、ベロートやブルーツから期待の篭った眼差しを向けられると、嘆息しつつケイタイを取り出した。
「恨むぞ、デンテ」
「ほっほっほ」
こちらを睨みつけていたモスクルだが、わしに取り合う気がないのを見て取ると、諦めてケイタイに魔力を流し始める。ケイタイは淡く光り、その機能一覧が手のひらへと映し出された。孫が自慢していた最新モデルだ。モスクルは意外とかぶれているらしい。
「一旦、俺が話す。許可が出たら変わるから、大人しくしていてくれ」
通話を選択して、一覧からクローディアを選ぶモスクル。彼のケイタイには、ズラズラと多くの者の名が並んでいた気がするが、誰が誰だか分かっているのだろうか。わしなど、家族とアエテルヌム、ベロートにギルド関係者の者達しか登録していないというのに。
—プルルルル—
モスクルが耳に当てる人差し指から、僅かにコール音が聞こえてくる。そのまま離れてゆくモスクルの背中は、哀愁を漂わせていた。
「…良かった。出ないかと思ったぞ?……いや、あんなんそうそう真似できる奴はいない。…って、そうじゃない。違うんだ。一緒に考えてほしい事がある」
モスクルは一旦そこで視線をわしへ向けてくる。準備はいいか?—と、尋ねているのだろう。ここでダメだと言ったら、さぞかし面白いだろうな—などと考えながら首肯した。
「デンテを覚えているか?ケイタイと馬車の件で話した筈だ。……ああ、アンラの魔術士ギルドの長だ。術のことは、俺ではよく分からなくてな。彼と話をしてほしい。問題ないか?……今変わる」
モスクルが突き出してきたケイタイを受け取ろうとすると、そうではない—と、制された。何かと思えば、モスクルの手のひらに映された、“引き継ぎ”という項目をなぞれ—ということらしい。
(そうか。魔石フリーの方か)
最新モデルは2タイプある。動力となる魔石を内蔵したタイプ。定期的に魔力を補充せねばならないが、誰にでも使えるのが特徴だ。もう一つが、魔石を内蔵せず、己の魔力で動作させるタイプだ。防犯面に優れ、今のように引き継ぎ扱いをした場合に限り、他者も扱うことができる。ただし、己の魔力を使用するため、それなりに高レベルでなくてはならない—らしい。孫の受け売りだ。
「久しぶりだの、クローディア。息災であったか?」
『ああ、息災じゃよ。そういうお主は…声を聞く限りでは元気そうじゃな』
わしが挨拶を返せば、向こうも挨拶を返してくる。そこまで機嫌は悪くなさそうに聞こえるが、覇気は感じられない。相変わらず働き詰めなのだろう。
「次のお菓子の新作発表は、いつかのう?孫が楽しみにしていての」
『そっちはわしの担当じゃないわい。大人しく待っとれ。…それにしてもデンテよ。お主、金を持っとるのう。まだ甘味はそこまで安くないじゃろ?』
確かに、まだまだ甘い菓子類は高い。だがしかし、王宮にさえ来れば、土産に持たせてもらえる。ベロートはそこまで甘味を必要としないため、足の早いお菓子などは、わざわざケイタイで食べるかどうか問い合わせてきたりもする。そんな時、新作だったりすると、孫は小躍りして喜ぶのだ。
「ほっほっほ。何を言うか、貧乏暇なしよ。まあ、それはさておき、聞きたいこと—というのはな、呪術についてよ」
『…ほう?呪術とな?言うてみぃ?』
呪術と聞いたクローディアはノリノリである。やはり術師は術師でなくては分かり得ない。モスクルのような筋肉魔法師では、術師の好奇心を理解できないのだ。
(なんて言ったら、流石に怒られるかのう?)
チラリとモスクルに視線を向ければ、ジッとこちらを凝視しているではないか。わしらの会話が気になるのだろう。思わず笑いそうになり、咳払いで誤魔化すと、スピーカーモードにする許可を取り付けた。
「呪術を他者に行使した際にの、弾かれたのよ。これをわしらは“既に呪術にかかっておる故”と考えたのだがな。どうだ?合っておるかの?」
まずはここまでのおさらいだ。これが前提となっている訳だから、違いました—では、その後のあれこれが全て水泡に帰す。正しいという自信はあるが、より上位者のお墨付きが欲しかった。
『ふむ。…“弾かれる”と言うたな?ならば正解じゃ。少し語らせてもらえば、呪術の強みは万能性にある。呪具のようなものを用いない限り、効果は地味でお役立ち魔術の域を出ない術理じゃが、万能なのじゃ。通常、他の術系統とは支配領域のぶつからぬ呪術が、魔力耐性により防がれる事はあっても、弾かれる事などあり得ぬ。あり得るとすれば、同じく呪術を既に行使されておる場合、もしくは支配領域のかぶる、呪いにかかっている場合じゃな』
やはり、わしらの判断は間違っていなかった。周囲を囲む宮廷魔術師達を見れば、皆が首肯を返す。今のやり取りで、自信がついたのだろう。
『それで?何故、そんなことを聞く?』
次いでクローディアの口から出たのは、当然の疑問だ。さて、どう答えたものか?—と判断に迷いベロートに視線を送れば、ベロートはしっかりと頷きを返してくる。伝えてよい—という意思表示に他ならない。
「アンラ神聖国の北にの、アトリアという町がある。そこの住人達が、軒並み呪術を受けておるようなのよ。さらに言えば、そこには負の龍脈が集まっていることも確認されたわい」
『…話題に事欠かない国だの…』
ケイタイの向こうから嘆息混じりの呆れ声が返ってきた。確かに、一昨年にはアリの巣で痛手を被ったばかりだ。話題に事欠かない—と言われても、仕方ない。
「正直、困り果てておる。実のところ、問題はそれだけではなくてなあ。何かしら手を講じておきたいのだが、力を貸してはくれぬか?」
『…これ以上があるのか?』
「まあ、のう…」
さて、どう説明したものか—と顎髭を摩っていて、ふと思い出したことがある。既にネームレスの一人である、アーサーさんという名のスライムが、アトリアへと向かったことだ。彼女には、このことを伝えておかねばなるまい。
「おお、そうだった。言っておくことがあったわい。先のアトリアだがな。今現在、アトリアへと向かって北上している一団がある。お前さん達ネームレスの一人である、アーサーさんも同行しているそうだ」
『待て。初耳じゃぞ?』
クローディアの声音が、幾分か低くなった。チラリとモスクルを見れば、ロロナにはちゃんと伝えてるぞ!—と、小声で告げてくる。ロロナに伝えていて、ネームレスの本人達が知らないのはどうしたことか。ベロートといいロロナといい、秘密主義が過ぎる。
「ロロナには伝えてあるそうだぞ?」
『…あやつ…はぁ…』
わしの言に、クローディアは深い嘆息を吐く。この反応を窺うに、ロロナにはままあることらしい。一度や二度ではなさそうだ。
「その時、ロロナに依頼したのがモスクルであったのよ。だがの、その時のモスクルは、アトリアを包む呪術のことも、一帯を覆う負の龍脈のことも知らんかった。許しておくれ」
『…』
一旦話を切ってクローディアの様子を窺うも、クローディアは黙して何も返してはこない。ならば、最後まで言ってしまおう。
「そこでな、わしらの考えだが…そのままアトリアへと行ってもらいたいのよ。お前さん達ネームレスの力に期待しての。お前さん達でダメなら、誰が行ってもダメだ—というのが、わしらの結論よ」
『…デンテ…お主、よくそれを口にできたのぅ?』
クローディアの声音は一層低いものへと変わったが、不快の色は見て取れない。むしろ、随分と愉快そうにすら聞こえた。
「ダメかのう?」
『…はぁ。わしを相手に年寄りのおねだりは通じんぞ。…まったく、仕方ないのぅ…どこまで手伝えるかは分からんが…わしらの力の及ぶ範囲でなら、手を貸してやるわい。…おっと、ちゃんとロロナに話は通しておくのじゃぞ?』
こちらの内情は暴露したし、クローディアの機嫌は悪くない。ならば—と切り出したが、思っていた以上に、あっさりと承諾してもらえた。ベロートとブルーツは手を叩いて喜び、ロロナの名が出たところでモスクルは肩を落とす。
(すまんの、モスクル)
視線で苦労を労えば、本当に恨むぞデンテ—と、力ない呟きが聞こえた。どのみち、ネームレスに力を借りるなら、ロロナには話をせんといかんだろうに。
『さて、そうじゃの…もしかすると、そのアトリアの件と無関係ではないかもしれん。語っておいた方が良いじゃろうな』
クローディアがそんなことを言ってきたため、皆の眉が寄る。アトリアと関係がありそう—などと言われて、今は良いイメージを持つことが難しい。実際、話を聞いた後には、もう帰りたい思いに駆られた。
『アンラから来た行商人がの、ケイタイが使えなくなった—と、冒険者ギルドへ持ち込んだのよ。ところが、故障したような形跡など、どこにもない。わしは困惑したよ。実際に使ってみると、普通に使えるのじゃからな。なんとも拍子抜けしたわい。…でじゃ、このケイタイ…その術式の一部には、呪術を使っておる—と言えば、この先のオチは読めたかの?』
クローディアの言葉に目を伏せる。読めた。十分過ぎるほどに。もう何もかも忘れて、ベッドに横になりたい心持ちだ。
『その商人じゃがの…呪われておったのよ。その呪いの一部が、幸運にもケイタイに引っかかったことで、これを発見できたのじゃ。取り払うのに苦労したわい。相当に強力な呪いじゃった。わしらでも、全容が知れぬほどにな。…どうじゃ?これは、偶然かのぅ?』
偶然と考えるには、少しばかりタイミングが悪い。本当に偶然であったとしても、調査をしてからでなくては、怖くて断じることなどできはしない。深く鼻腔から空気を吸い込み、口から吐き出した。
「…直に確かめるのが早いかも…いや、それしかなさそうだのう。こうなれば、わしもアトリアへ赴く他ないか…」
『うむ。その方が良かろうて。…すまぬな、行商の件は、気を利かせて、こちらから報告するべきじゃった。わしに何か手伝えることはあるか?』
また連絡しても良いか?—と問えば、クローディアは気前よく承諾してくれた。クローディアに何を手伝ってもらうべきか、ベロートらと話し合わねばなるまい。ヘルプを頼むのは、その後だ。
『…呪術は万能じゃ。呪いと呪い、二つの柱から、ありとあらゆる効果を生み出せる。本来ならば、先にも述べた通り、お役立ち程度の力しか宿せんが、呪具を用いれば劇的に変わる。当時は商人が夜通し馬を走らせて、幽霊の群れにでも突っ込んできたのかと思っておったが…そうではないのじゃな。今にして思えば、あの何とも言えない不気味さは、死霊のそれではない。きっと、生者の施した悪意の塊じゃ。…十分に気を付けろよ?』
クローディアの気遣いに礼を告げ、通話を終える。耳に当てていた手には、もはや何の表示もない。誰もがわしの言葉を待って沈黙していたが、わしから口を開く気にはなれなかった。
(悪意の塊…か。気が重いのう…)
ケイタイをモスクルへと手渡してすぐ、思わぬ疲労を感じてよろける。宮廷魔術師の一人が慌てて支えてくれたため、無用の怪我をせずに済んだ。
「…デンテ…大丈夫?」
「ほっほっほ。何でもないわい。ちと疲れが出ただけだ。すまんのう」
宮廷魔術師の後を継いで、わしの肩を起こすブルーツに礼を言いつつ、歩み寄ってきたベロートへ視線を向けた。
「ええと…疲れているところごめんね?…その、さ。僕は術師じゃないから、よく分からないんだけど…呪術が他の魔術と支配領域が被らない—って、どういうこと?」
「…ううむ。説明するよりも、見た方が早かろうな。ちと、これへ」
わしでも簡単な呪術は扱える。ならば、理論だけで説明するよりも、実際に効果を目で見てもらい、解説した方が早いだろう。目の合った魔術師の男を一人呼び寄せてから続けた。
「呪術は、他者に影響を及ぼそうとした場合、その他の魔術と支配する領域が被らんのだ。例えば、火事などの炎から、身を守る防御魔術として名高いのは、水のヴェールだな。これを身に纏った状態では、体表を支配領域として、魔術に占有されてしまう」
わしが行使する水のヴェールが男を包み込めば、何処と無く神聖なイメージを抱かせる容体になる。大したことをやった訳でもないのだが、おおっ—と周囲からは感動を伝える歓声が上がった。少しばかり気分がいい。この煽て上手共め。
「さて、この状態ではな、同じく体表を占有する炎の鎧を見に纏う事は出来ぬ」
「炎の鎧って、確か…それも熱から身を守る魔術だよね?」
ベロートの言に頷きを返す。水のヴェールも炎の鎧も、熱から身を守る—という用途に限れば、効果に違いはない。
(まあ、わしは火の属性魔術は不得手だからの。水のヴェールしか普段は使わんが)
この立場になってからというもの、火の属性魔術など、そう使うことはなくなった。しくじったら恥ずかしいな—と苦笑して見せれば、宮廷魔術師達も肩を竦めて苦笑する。わしの心持ちがよく分かるのだろう。
「そら、上手くゆくかな?」
掲げた手のひらの先に魔法陣が浮かび上がり、火を示す属性文字が陣の中央に浮かび上がれば、魔法陣は無事に赤く染まった。後は制御の問題だ。魔力の変換さえ無事に済めば、もはやしくじることもない。わしも、魔術師達も、皆が安堵して笑い合う。わしらの表情がコロコロと変わる理由が、ベロートらには分からないのだろう。三人は怪訝な表情で互いに視線を交わしていた。
「よし、ゆくぞ。よく見ておるのだぞ?」
「うん、頼むよ」
炎の鎧を魔術師へと向けて放つが、炎の鎧と水のヴェールの間に紫電が走り、炎の鎧はたちまちのうちにかき消えた。ベロートとブルーツが感嘆の声をもらすので、わしは苦笑混じりに解説する。
「これは“防ぐ”とはまた別で、わしら術者は“弾く”と表現する。系統魔術同士では、支配領域が似通っておるせいか、比較的よくある現象だな。だが、魔術と呪術ならそうはならぬ。支配領域が被らぬからだ。それ」
通常、呪術は目に見えない。これは体表を支配するではなく、呪術は精神から浸透してゆく故だ。だが、今回はあえて目に見える形で呪術を放つ。多少魔力に色を付けた程度だが、わし自身も初めて見る光景に、ほう—と、感嘆の声を上げた。
(これは分かりやすい。今後も、この教え方は使えるな)
やや紫がかった数本の魔力の糸が、ゆっくりと紡ぎ合いながら魔術師の男へ迫る。彼には体表を支配領域とする水のヴェールが施されており、ここにプラスして、呪術の一つである、感覚鈍感の効果が現れるはずだ。
ところで、属性魔術が何かを人にプラスする効果を発揮するのに対して、呪具を用いない基本的な呪術は、マイナスの効果を発揮する。そこにある何かを奪う—とでも言い換えれば分かりやすいだろうか。熱から身を守るという状況を想定して説明すると、結論から先に言えば、火を恐れなくなるという利点がある。水のヴェールや火の鎧のような、致命的な熱量を遮断する魔術を行使していても、多少の熱は感じる。そうなると、人は恐れ、動けなくなりがちだ。実際に動けるようになるためには、おっかなびっくり指先を火にかざして、何もない—と理解し、それを数回繰り返して、絶対という確信を得ることが必要だ。ところが、感覚が鈍くなり多少の熱も感じなくなった場合、それまでの怯えが嘘であるかのように、人は勇猛になる。指先どころか腕を丸ごと炎に突き入れ、一つ頷いた後は、そのまま炎の中へと突っ込んでゆく—という光景を、フィールドワークをしていた頃は、よく目にしたものだ。
(まあ、見ている分には、逆にわしらが青くなるのだがな)
自ら施した術なれど、流石に無遠慮に炎の中へと突っ込まれては、本当に己がかけた術は万全であったか?—と、自問自答してしまう。万が一があった場合、炎に突っ込んでいった者は、二度と帰っては来れなくなるだろうから。そういう面から一考した場合、呪術は扱い難い。便利である反面、人に本来必要な機能を鈍らせるというのは、問題も多いのだ。
さて、呪術の糸が男に到達した。水のヴェールを掻い潜り、男の肉体へ浸透してゆく。これで、男は驚き声を上げるはずなのだ。水の冷たさを感じなくなった—と。
「何!?」
ところが、わしを含めて、全員が呆気にとられる事態になる。何と、男に呪術が効いてきたかと思えば、呪術の糸に亀裂が入り、霧散したのだ。
「…こ、これは…」
「うむ…」
モスクルが上げた声に、わしも頷きを返す。弾かれた。確かに今、呪術が弾かれた。それがどういうことであるかは、先も説明したばかり。心なしか、己の心音ばかりがよく聞こえた。
「ね、ねぇ、これって…貴方達の言う、“弾く”ってやつじゃないのかしら?」
ブルーツの声で我に返った男は、慌てて己の衣服を脱ぎ捨てると、パンツ一丁になり、わしの前へと跪く。
「デ、デンテ様。申し訳ありませんが、見ていただけますでしょうか?」
「まぁ、若い子ってやっぱり線が細いわねぇ」
わしが頷くよりも早く、ブルーツがずれた感想を口にした。わしやモスクルの冷めた視線を物ともせず、あらあらまあまあ—と、若い男の肢体をいつまでも眺め続けるブルーツ。これにはベロートも口を尖らせるかと思いきや、本当にね—などと言い、一緒になって笑っていた。モスクルや、宰相であるスポマガジニーの苦労が透けて見えるかのような光景だ。
「お主、苦労しておるよな」
「言うな、デンテ」
眉間を押さえて嘆息するモスクルはさておき、問題は、呪術を弾いた男だ。ガクガクと小刻みに震えておるのは、寒さだけのせいではあるまい。
(可哀想に。気が気ではあるまい)
呪術、あるいは呪いの痕跡を調べるというのは、実は簡単なことではない。何が引き金になり、術の効力が現れるか分かったものではないからだ。調査しようと下手に触れて、呪術が発動した—なんて話は、枚挙にいとまがない。
「やるぞ?良いな?」
「…はいっ!お願いします」
男は唇を引き結び、目を伏せる。覚悟を決めたのだ。ならば、わしもそれに応えねばなるまい。
(やりたくないのう…これで血を吐いて倒れられでもしたら…どうしたら良いかのう…)
右手で光属性の魔力を作り出し、左手には水属性の魔力を作り出す。二系統の同時行使に、宮廷魔術師の皆が騒めく。流石だ—とか、無駄がない—とか煽ててくるが、今は心地よさよりも、緊張感が勝る。半ば神頼みに近い心持ちで、二つの魔力を練り合わせる。簡易聖水だ。
「これからお前さんに聖水をかける。上手くいけば、それだけで呪いの類は浄化できるかもしれん。だが、違和感があれば即座に言え。お主に万が一があっては、わしは夜も眠れなくなるからの」
わしの言に、男は頷いて返す。それを見てから、わしは少しずつ男に聖水を振りかけた。頭、背、そして、肩。異変は、右肩へ聖水をかけた時に起こった。聖水の効力が呪力に負け、ブシュウウウ—と音を立てながら、一気に干上がったのだ。それと同時に、肩に呪印が現れる。見たこともないほどに禍々しい呪印だった。
「ひっ!?こ、これは…」
「落ち着け!下手に動くなよ!」
呪印に触れようとする男を制止させ、ベロートに声をかける。
「祝福された霊銀の短剣はあるか?」
「ここを何処だと思ってるのさ!?あるよ!待ってて!」
言うや否や、ベロートは即座に広間から飛び出すと、表に控えていた侍女を呼びつける。ドアの隙間から見える侍女の顔が青くなったかと思えば、そのすぐ後には、落ち着きを取り戻し、しっかりと頷き、駆けていった。
「…今の、今の呪印は…」
一方で、モスクルの様子がおかしい。目を見開き、既に呪印の消えた男の肩を、じっと見つめている。どういう訳か、力んでいるらしく、首に血管が浮き上がっている。
「…モスクル」
「…後で話す…」
声をかけてみれば、ハッとして顔を上げた後には、苦々しく吐き捨てるかのように呟き、戻ってきたベロートに目もくれず広間から出てゆく。残されたわしらは、あれは何だ?—と、皆で首を傾げた。
「どう思う?」
さて、立ち去ったモスクルに代わり、ベロートが尋ねてくる。何と返したものか—と目を瞑り、しばし考え込むも、気の利いた言葉など浮かんでこようはずもない。ありのままを伝える他ないだろう。今後のことを思うと、酷く気怠くなってきた。
「…アトリアだけではなく、アンラも呪術、あるいは呪いに侵されているやもしれん。…もう、こうなれば、この国全体が、何らかの呪いに蝕まれている可能性もあるの…」
言い終え、ベロートを見つめ返すも、ベロートは何も言わなかった。珍しく真顔になり、顎に手を置いて、ブツブツと何かを呟いている。
(…アトリアに行くどころの話では、なくなってきたのう…どうしたものか…)
小さく溜め息を吐き、男に服を着るよう伝える。ゴソゴソという衣擦れに紛れて、誰かの息を呑む音が聞こえた。




