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異世界転移したけれど、さっさとお家に帰りたい  作者: 焼酎丸
第5章 アンラ神聖国に蠢く闇
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閉話 ギルドマスター モスクル・ダーマ

かなり長いです。

読まなくても、あまり支障ありません。

 アンラ神聖国は、王都アンラ。その冒険者ギルドで、ギルドマスターを俺はやっている。職員達と朝礼を済ませ、朝の冒険者ラッシュを捌く。アンラは他国の町と比べて、恵まれた環境下にある。付近の魔物は弱く、気候は穏やかな方であり、作物が豊富に稔る、栄養に富んだ大平原まで揃っているのだ。それが故か、毎日大量に貼り出される依頼も、そこまで難度の高い物はない。この町は、冒険者として駆け出しのヒヨッコ共に、丁度良い町なのだ。


「…カーヤさんは?」

「カーヤは徹夜で今日は休みだよ。俺が受付だと不満だってのか?おら!しっかりやってこい。北西の麦畑、その更に奥が群生地だ。分かるか?」


 俺の言に、若造パーティは自信満々に頷いて返す。少々心配ではあるが、死ぬような危険な魔物も付近にはいない。まあ、問題ないだろう—と、送り出した。


「ったく。…次だ!おい!女性職員のとこにばっか並んでんじゃない!こっちに来い!」


 いつもと変わらぬ日常だ。朝のラッシュを乗り切れば、その後は、売り上げやら報告書に目を通すことになる。昨日は我がギルドきっての問題児、アエテルヌムが何やら騒がれていた。きっと、やたら読み応えのある報告書が出来上がっていることだろう。そして、ケイタイに関する報告書。テストは既に最終段階。このところ上がってくるのは、どれもこれもが使い勝手に関するもののみだ。それらに目を通して、ロロナに連絡しなくてはならない。魔石の一般販売に向けた調整もだ。今日も忙しくなることだろう。


「うし!じゃあ、後は任せた」

「はい。お疲れ様でした、ギルマス」


 受付の一人に声をかけて、会議室へ向かう。階段を上がるべく手摺りに手をかければ、ゴンゴンと音をたてて、ジャガイモが階段を転げ落ちてくるではないか。思わず、脚が止まった。


(…なんだ?)


 手元まで来たところでキャッチするも、何の変哲もないジャガイモだ。どこから出てきた?—と、上階へ視線を向ければ、階段の踊り場に、ここにはいないはずの奴がいた。


「…今日は何の用だ?」

「はは…悪いね」


 そいつの名は、ロロナ。正確に言えば、ロロナ・ママナルド・メットーラ。メキラ王国のメットーラ領を治める、メットーラ伯の奥方だ。メットーラ冒険者ギルドのギルドマスター、あるいは、疾風のロロナと言った方が、俺達の間では通じ易い。


「…そりゃ、何だ?」

「何だ?—って、見ての通り野菜だよ」


 そのロロナだが、大量の野菜類を背中に背負い、手提げに入れ、さらには両手に抱えていた。それでいて、何を言っているのか?—とでも言いたげな表情を向けてくるから突っ込み辛い。それ以前に、年は既に40間近、あるいは40を超えたはずだが、若かりし頃と微塵も変わらない、あどけない顔を向けてこられると、俺だけが歳を取ったような気がして、酷くきまり悪かった。


「はぁ…まあ、来い」

「本当にすまないね」


 ロロナを連れて階段を上がり、ロロナが今し方出てきたであろう会議室へと入る。


「ほら、かせ」

「悪いね」


 やたらと抱えた野菜類を受け取り、ソファへ座らせる。お茶くらいは出してやるか—と思い立ち、呼び鈴を鳴らせば、よりにもな奴が御用聞きにやってきた。


「はいはーい。お呼びですかー?」

「……チッコか」


 目元を覆い、深く深く息を吐く。今日一番疲れたかもしれない。


「…随分ですね。ギルマス」

「いいから…お客様にお茶をお持ちしてくれ」


 俺の言に、チッコはチラリとロロナへ視線を飛ばす。かと思いきや、あらあら〜?—とか浮ついた声を上げながら、上機嫌に会議室から出て行った。一体、何を考えているんだか。


「………はぁ。すまん」

「苦労してるのね?あれ、もしかしてアンラのグランドギルドマスター?」


 耳驚いて顔を上げれば、ロロナはチッコの消えたドアを未だに見つめていた。


「…分かるわよ。彼女、術者でしょ?獣人にしては…いえ、そもそも獣人じゃないわね?」

「…内密に頼む」


 そういえば、ロロナは昔から、この手のことにはやたらと鋭い。思うに、ロロナは半森精族(ハーフエルフ)なのだろう。やたらと歳を取らない外見も、それなら説明がつく。


「OK。触れないでおくわ」

「…助かる」


 それからしばらくは、他愛無い話題で場を繋ぐ。本題に入ったのは、チッコがお茶を運んできてからだった。


「この野菜を、アンラでも捌いてほしいのよ」

「…はぁ?待て待て。最初から説明してくれ。何がどうして、そういうことになった?」


 ロロナの要請を制して、説明を求めた。ところが、ロロナはお茶を一口飲んでから、何とも言えない表情を浮かべるではないか。その表情はどういう意味だよ?—と訝しむも、理由はすぐに分かった。


「その野菜さ…種から収穫まで、3日しかかかってないんだよね」

「3日!?」

「収穫量が日増しに増えてるの。それ、今日のほんの一部」

「日増しっ!?」

「しかも、絶品」

「絶品!?」


 ロロナの言葉のどれもが、とても信じられるものではなかった。だがしかし、現物はここにある。どうしものか—と、後頭部を撫でた。


「…ジョリジョリ聞こえるわ」

「剃ってるんだよ」


 マコトと同じような目で見やがって—と内心で毒づき、そういえば、ロロナに相談しなくてはいけなかったことがあったな—と思い出す。野菜云々は後にして、一旦そちらを片付けることにした。


「少し脱線させてくれ。うちの冒険者に、ユカリという名の女冒険者がいる」

「…へえ」


 ユカリという名を挙げても、ロロナの反応は冷めていた。これは、特に何も知らないな—と判断して、先を進める。


「その彼女が、人探しを願い出てきた。名はタテワキ。姓はオサカ。30過ぎで人間族の男性だ。黒髪黒目で中背。身体付きはかなり筋肉質らしい。やたらと前髪の長い男だそうだ」

「…タテワキ…オサカ…」


 ロロナの目の色が変わる。やはりそうだ。ユカリの探し人であるオサカとは、あの凶悪極まりないオサカのことに他ならないだろう。見た目はどう見ても30過ぎには見えないが、ロロナの反応は、それをおいても彼がタテワキ・オサカであることの証左に他ならない。


「…聞かなかったことにしておくよ」

「…そうか」


 だがしかし、ロロナの反応は思ったよりも渋かった。それはそうだ。蟻の一件に、彼らは関与していない。そういうことになっている。俺はオサカという冒険者など知らないし、ロロナと定期的に連絡を取り合っている事実もない—と、そういうことだろう。


「あんた達が気にしてるのは…あれだろう?」


 ロロナはお茶を一口飲むと、ティーカップを置きながら、こちらの反応を確かめるかのように言葉を紡ぐ。だが、隠し事などするつもりはない。俺は大きく首肯した。


「単刀直入に聞く。以前言っていた、オサカがナイセイルの出っていうのは本当か?…あいつは、皇帝の血縁者か?」

「…厳密に言えば、ナイセイルからアルセイドに来たのは事実。けれど、出自は全く別よ。でも、誓って皇帝の血縁ではないわ」


 俺の質問に、ロロナは真っ直ぐ俺の目を見て答える。嘘はない—と態度で語るかのように、俺が頷くまで、ずっと視線を離さなかった。


「…黒髪黒目ってのは、皇帝の系譜だろ?どうしても、それは確認しなくちゃならなかった。…気を悪くしないでくれ」

「そのユカリって娘は?その子も黒髪黒目なんだろ?」


 だが、次いで出たロロナの言葉には、厳しい目を向けざるを得ない。俺はユカリについての情報を語ったことはない。何故、黒髪黒目だと知っているのか。


「…そんな目で見ないでおくれよ。あいつの故郷では、黒髪黒目が当たり前なんだそうよ」

「…黒髪黒目が…当たり前…」


 決定的だった。ユカリとマコトは共に黒髪黒目であり、かつ、同じ言葉を何かの話で聞いたことがある。マコトとの、何気ない会話だったと思う。


(黒髪黒目…まさか…三人は、同胞なのか?)


 ユカリは間違いなくオサカを知っている。となれば、この二人は同胞に違いなく、ユカリとマコトは同郷だという話だ。ならば、三人は共に同じ場所からやってきたに違いない。


(…危なかった。もしマコトが暗殺されていたら…この国は…)


 マコトがこの国へとやってきたばかりの頃、草を放ってマコトの過去を探ったことがある。黒髪黒目は、皇帝の血筋である可能性が高いからだ。しかし、調査は思いがけないことで頓挫する。その年の春の始め頃に、ディメリア帝国のカネットで目撃されたのが初で、それ以前の痕跡を追うことは、ついにかなわなかったのだ。まるで空から降ってでもきたかのように、どこで話を聞いても、黒髪黒目の少女が目撃された事例など、出てはこなかったのである。デンテが隣にいなければ、あの娘は暗殺されていた可能性が高く、もしそうなっていた場合、オサカは敵に回ったかもしれない。そこに思い至ると、一気に血の気が引いた。一つボタンのかけ違いがあったなら、俺達は、既にこの世にいなかった可能性とてあったのだ。


「ちょっと、何一人で青くなってるのよ?」

「…ん、いやな…国の軍部と揉めた一件を思い返してな。あの時、よく踏ん張った—と、己を褒めたい心待ちになっていた」


 はぁぁ—と深く嘆息して、ソファの背もたれに身体を預ける。一気に老け込んだ気がする。午後は休暇でも取ろうか—と、本気で考えた。


「…なあ」

「なによ?」


 先ほど、ユカリがオサカを探している—という話を聞かせた時、ロロナは聞かなかったことにする—と言った。だが、それはどうなのだろうか。確かに今後は関わるな—とは言われたが、同胞に再会できることは、オサカにとっても喜ばしいことなのではなかろうか。


「ユカリの他にも、マコトという奴もいるんだが、こいつも、オサカときっと同郷だ。…その、オサカに教えてやった方が—」


 しかし、俺の話をロロナは手で制すると、キッと睨みをきかせてくる。


「やめておくれ。…私は知らないんだよ?そのユカリって子も。マコトって子のことも。オサカの出自はかなり特殊だ。その同胞が、ホイホイいるとも思えない。私からすればね、モスクル。そのユカリやマコトって奴らは、オサカのことを嗅ぎ付けてきた草か何かにしか思えないんだ。…悪いけれどね」


 すまない—と、潔く退いた。ロロナの言はもっともだ。いずれ、機会はくる。ロロナに、あの二人を引き合わせるのも良いだろう。いい子達だ。きっと、ロロナも納得してくれる。オサカのことを話すのは—


「それに、オサカは現在行方不明だ」

「なんだとぉ!?」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。室内どころか、階下のギルド内の喧騒までもが静まり返ったのが分かる。慌ててロロナに手で詫びを入れ、ドアを開けると、何でもないことを叫んで伝えた。


「詳しく聞かせろ」


 ソファに座り直しロロナに尋ねるも、今度は思ったよりも低い声が出た。俺の声音のせいか、ロロナが表情を若干強張らせるも、これに詫びる気にはなれない。そのままロロナが口を開くのを待った。


「…今年の春先くらいかね?オサカが消えた。クローディア達に言わせるとね、文字通り消えたそうだ。ただ、生きているのは何となく分かるらしい。アルセイドではない、どこかにいるそうだよ」

「春先って…もう夏だぞ?大丈夫なのか?」


 クローディアという少女のことは知っている。ケイタイの件で、直接話したい—と、何度か顔を合わせてやり取りした。とても少女とは思えない聡明さに、年寄り臭い話し口が記憶に焼き付いている。オサカ達ネームレスの一員であり、ケイタイを創り出した張本人でもある。魔人族であることを差し引いても、考えられないほどの魔力制御能力を持つ、恐るべき娘だ。


「クローディアが言うならば、間違いはないのかもしれないが…探したりは?」

「…消えたのが、聖剣の迷宮内なんだよ。探せる奴がいないんだ」


 俺の問いかけに、ロロナは半笑いで首を振る。無理もない。確かに聖剣の迷宮とあっては、俺達にはお手上げだろう。


「自力で帰ってくるのを待つしかない—ってことか?」

「そういうことさ。まあ、気にするだけ無駄だよ。さっきも言ったけれど、オサカのことは、なんとなく分かるそうだ。すこぶる元気らしいしね」


 じゃあなんで帰ってこないんだ?—と、聞こうとしてやめた。元気だというならば、今はそれでいいだろう。なんとなく、言葉尻には不満の色が見て取れた。地雷っぽいし。


「分かった。脱線してすまなかった。…野菜の件だったな。俺達に期待することは?」

「そうね。まず、話す前にこれを食べてちょうだい」


 言いながらロロナが取り出したのは、手で握り込めるくらいの魔石だ。その表面には魔法陣が描かれており、ロロナが魔力を込めると、亜空間が顔を覗かせた。


「収穫した野菜で作ってみたの。味付けは塩のみよ」

「…あ、ああ…」


 亜空間から出てきたのは、湯気の立つ蒸かし芋だった。意識せずとも喉が鳴る。過去の恐怖が蘇ったからだ。誰が作ったのか—というのを気にするのはやめておこう。俺の記憶が確かなら、ロロナは料理のイロハをまるっきり知らなかった。壊滅的、あるいは、前衛的な料理しか作れなかったはずだ。


(いやいや、こいつも人妻になって20年。料理だって覚えるには十分な時間だ。例え、ロロナの作でも…問題は、ない…はず)


 震える手に力を込めて、湯気の上がるジャガイモの端を切り取る。味付けは塩のみであるらしいし、どう見ても単なる蒸かし芋だ。問題はない。腹を壊すなんてことは、あり得ない。


「う、美味いっ!?なんだこれはっ!?」

「…はぁ。でしょ?」


 最悪、10日くらいの病欠も覚悟して口に含んだ蒸かし芋は、絶品だった。芋本来のもつ甘味が、塗された仄かな塩味と混じり合い、絶妙なハーモニーを奏でる。蒸して塩をふっただけ—ただそれだけなのに、確かにこれは料理だ。そう呼べるほどの味わい深さが、この芋には濃縮されていた。

 

「美味しすぎるのよ。それが困りものなの。一度それを食べたら、もう元のジャガイモなんて食べられないわよ?比較のために、一般的なジャガイモの茹でた奴もあるけど…食べる?」

「ひは、へふひほひへほふ」


 いや、遠慮しておく—と言ったつもりだが、口いっぱいに芋を頬張っていては、上手く発音もできない。ロロナは苦笑しつつ、お茶を飲み干した。


「その芋のみならず、うちで取れた野菜類は、味が良すぎるのよ。市場を壊すわ。でも、メキラでは既に手に余るほど収穫できているのよね。それでね、実食分や苗として、必要なだけ手渡すから、アンラでもこの野菜類を育ててほしいのよ」

「…なんだ?この野菜を作った奴は、聖人君子か?」


 こんな美味い野菜がアンラでも食えるというならば、否やなどない。けれど、腑にも落ちない。市場を壊せばいい。商会でもなんでも作って、市場を独占すれば良いだけだ。何故それをしないのか。


「あ〜、その…ゴメン。言えない」

「…取り繕うことすらできんほど、訳ありってことか?」


 ケイタイに魔石。さらには野菜。メットーラはどうしてしまったのか。ちょっと前までは、鳴かず飛ばずの辺境都市に過ぎなかったはずだというのに。


「注意点として、メットーラ以外だと、流石に3日でできたりしないわ。けれど、こちらから土を持ち込むから、必ずその土を混ぜて。そうすれば、味は保証できる」

「…その土はなんなんだ?」


 訝しんで声をかけるも、ロロナは視線を逸らして、頭痛の種よ—などと、訳の分からない呟きをこぼしたのみだった。


「あとは甘味ね。これは、この大陸だと気候的に甘くならないから、苗木を渡すに渡せないのよ。うちじゃなきゃだめそうなの。メットーラで取れた分を回すわ。悪いんだけど、これに関しては、春になったら行商隊でも派遣して取りに来て。アンラ神聖国として、メットーラと取引する体にしてちょうだい。春先にはどれくらい渡せるか、事前に教えるようにするから、各所と取り分の折り合いでもつけてちょうだいね」

「…はあ?この大陸だと?…っつーことは、なんだ?ナイセイルの品ってことか?…ああ。メープルシロップか。…どうしてメットーラだと取れるんだ?」


 ナイセイルでしか取れない甘味、メープルシロップ。俺の読みは間違いないようだったが、何故、それがメットーラだと取れるのか。訝しんで尋ねれば、ロロナは顳顬を押さえながら、吐き捨てるかのように言った。


「それがね、試しにやってみたら、メットーラだと、気候なんて無視して、甘くなっちゃうのよ」


 ロロナの言に、頭をちらつくのはオサカの姿。彼が作ったパンケーキだ。そのシロップの甘さときたら、砂糖にも負けず劣らずの代物であった。確かに彼は言っていた。寒くならないと甘くならない—とかなんとか。それがメットーラだと甘くなるらしい。こうなると、本当に何が起きているのか知りたくなる。しかし、俺の視線に気がついたロロナは、キッと睨みを利かせてきた。


「余計な詮索はやめてよ?本当に。私だって参ってるんだから。これ以上、厄介事を増やさないで」

「…す、すまん」


 ベロートなどとは違い、もともと腹芸など不得手のロロナだ。それを思えば、秘密だらけの現状は、彼女的に、やり難くて仕方ないだろう。


「…だが、その手の連中は、メットーラを放っておかないだろう?」

「もちろん来るわよ。冬の終わりかしら?ポンポン取れる野菜を目当てに、クソ寒い中、夜通し馬車を走らせて、沢山の商人が来たわ。その中にもそれなりに、怪しげな連中は潜んでいたのよ。…けどね、そういった連中は、こっちが手を出す前に、勝手に死体になってるのよね。…誰がやってるんだか…はぁ…」


 ロロナを気遣って尋ねたのだが、その返答には背筋が凍った。まるで犯人は分からないかのような口ぶりだが、語り口に焦りは見えない。それはつまり、大体の察しは付いているということに他ならないだろう。


(ケイタイで手一杯になっていたが…メットーラの現状は、想像もつかないほど、とんでもないことになってそうだな…)


 そういえば、心なしかロロナは窶れたように見受けられる。そこに不用意に踏み込めるだけの度胸は、俺にはなかった。


「…話は分かった。だが、食材となれば、国民の口に入るんだ。そうでなくとも、甘味の件がある。施政者の許可を得ねばならん。数日、時間をくれ」

「もちろんよ。色良い返事を期待してるわ。あ、この野菜はサンプルとして置いてゆくわね。心配しなくても毒なんて入っていないから、食べてみてちょうだい。あ、そうそう。これも置いてゆくわ」


 言うや否や、ロロナは亜空間から大きな壺を取り出した。中身はおそらく、メープルシロップだろう。


「…ブルーツにでもあげればいいわ」

「…そうか」


 心なしか、それまでよりも声のトーンが低く感じた。何も言わない方が良いだろうと判断して、黙ってロロナの様子を窺う。次いでロロナが広げたのは、大きな羊皮紙。そこに描かれていたのは、あろうことか地図だった。精緻に過ぎるため、気付くのが一瞬遅れたほど見事な出来栄えに、思わず目を見開く。


「…ちょっと。その目、怖いわよ?」

「…ああ、いや…すまん」


 こちらにジト目を向けて釘を刺した後、ロロナはこれまた見事に作り込まれた駒を取り出す。それは、カウンターに突っ伏したままで杯を掲げるロロナを象ったものだった。堪えきれずに吹き出した。


「ああ、これ?酷いわよね。私だって、最近は真面目にやってるのに。…でも、いい出来だわ」


 クルクルと駒を弄びながら、ロロナが少女のように笑う。結構、気に入っているのだろう。余計なことは言わずに、頷いておいた。


「じゃあ、後のことはよろしくね」

「ああ、ちょっと待て。ケイタイに関する報告書を持ってゆけ。せっかく来たんだ。生の声に目を通すのも悪くないだろ」


 会議室の机の一つを占める、大量の報告書を指差すも、それを認めたロロナの顔は、あからさまに曇る。俺の苦労を知れ—という意地悪い悪戯だったが、思ったほどの効果はなかったようだ。


「何あの量?絶対ごめんだわ。悪いけれど、いつも通り用件だけまとめてちょうだい。じゃあね」


 ロロナが駒と地図に魔力を通わせれば、室内が揺らいだ。そのまま駒を地図のメットーラと思わしき町へと置いたロロナの背後に、沢山の本棚を備えた部屋が現れる。おそらく書斎なのであろうが、そんな感想は後回し。ロロナが目の前で披露したそれは、紛れもなくオサカ達が見せた、亜空間を用いた擬似転移だ。


(魔道具化していたとは…)


 唖然とする俺に向けて手を振ると、ロロナは書斎の奥へと消えた。


「…なんなんだよあいつら。俺を過労死させるつもりか?」


 亜空間が消え、室内の揺らぎもなくなった後、床に転がる野菜の山を見つめながらぼやく。溜め息しか出ない状況に違いないのだが、どういう訳か、心は踊っている。はやる気持ちを抑えるのに、手一杯だった。


—トントン—


 鳴らされたドアに、どうした?—と声をかければ、ヒョッコリと顔を出したのは、チッコだった。


「うわあ〜、大量の野菜だね〜。疾風のは?もう帰ったの?」

「…勘弁してくださいよ、グランドマスター。見破られてましたよ?」


 俺の小言にも、はは、本当に〜?—と嬉しそうに笑うばかりで、まともに取り合う様子もない。この人にも困ったものだ。


「どこまで気付いてた?」

「え?あ…獣人ではないことは…見抜いてました。そこで私が止めたので…その先までは、聞けてません」


 何か苦言の一つでもあるかと身構えたが、チッコはウンウン—と、満足げに笑うのみだ。そのまま野菜を数個抱え込むと、もう用はない—とばかりに声を上げた。


「んじゃ、あとはお願いね。私は受付業務に戻りますんで〜」

「…なら、馬車の手配と、野菜の運搬を手伝ってくれ」


 受付業務に戻るならば、ここからはグランドギルドマスターとしてではなく、職員として扱って良いということだ。早速言い付けられた仕事に、うえ〜!?—と不満を思いっきり口にして、チッコはドアを出てゆく。馬車の手配と、籠でも取りに行ったのだろう。


(グランドマスターってのは、どうしてこう…癖のある奴しかいないんだろうな…)


 他国のグランドギルドマスターとは、また違うタイプの問題児であるチッコの働きぶりを鑑みて、それでも下げられない査定に頭を悩ませた。






「…へえ。ロロナがそこまで言うなら、間違いないでしょ。オサカ君は皇帝の血縁者じゃないことは確定だね。はは、凄い朗報だよモスクル」

「あら、本当に美味しいわ」

「本当ですな。これは、すぐにでも作らせましょう」


 広い食堂の中、俺を含めた5名の男女は、先にロロナから齎された野菜を味わっている。アンラ神聖国の国王であるベロート。その妻であるブルーツ。そして宰相のスポマガジニー。魔術師ギルドのデンテだ。


「ブルーツ王妃陛下、スポマガジニー様、その…まずは話を—」

「モスクルや。そう畏らんでも良いだろう。ここには顔馴染みしかおらん。気楽にやろう」


 ほっほっほ—と笑いながら、デンテが俺の話に割って入る。この糞爺—と睨み付けるも、スポマガジニーもデンテに同意した。


「そうですな。モスクル君、私の目は気にしなくていい。君がどれほど陛下と親睦があったかは知っているつもりだ。周りの目がない時くらい、砕けた態度で接してあげてほしい」


 う、む…—と、言葉に詰まる。そう言われては、もはや何も言い返せない。皆がニコニコと微笑んで俺を見つめてくるため、きまり悪さに視線を逸らした。


「野菜の件は承知したよ。否やなんてあるはずもない。いや〜、来てる!波が来てるよ〜」


 それはそれとして、ベロートの機嫌の良さはどうしたことか。俺のみならず、皆が怪訝な顔を作り、視線を交わした。


「パパ…盛り上がっているところ悪いんだけれど…説明してほしいわ。何がそんなに上機嫌にさせてるの?」

「ん?んっふっふ〜」


 堪えきれなくなったのか、ブルーツが問いかければ、ベロートはさらに破顔してから続けた。


「アエテルヌムのユカリ君がさ、以前君に調査をお願いしていただろ?“オサカという男性を探してる”ってさ」

「…な、何故それを…」


 驚き戸惑い、惚けることも忘れて聞き返す。これでも俺はギルドマスターだ。冒険者達を守る義務がある。ユカリのことに関しては、報告した記憶はない。


「ははは。何でだろうね〜。まあ、それはいいんだけどさ。これってつまり、そういうことでしょ?オサカ君は、アエテルヌムの二人と同郷な訳だ。となれば…彼女達を動かせば、オサカ君もついてくるってことだよね?」

「…ベロート…お主」


 デンテが諌めるべくフォークを置くも、ベロートはそれを制する。まあ聞いてよ先生—と上機嫌に笑いながら、ベロートは続けた。


「アエテルヌムとネームレス。彼らを接触させること自体は、何も悪いことじゃないだろう?」


 確かに—と、俺達は視線を交わし合って頷きを返す。けれど、それにどれほどの意味があるのか。


「アンラが誇る超攻撃的パーティのアエテルヌム。もはやレベルは100に迫る勢いであり、戦闘力ならば、Aランクの冒険者にも匹敵する。若さ故に経験値は乏しいけれど、それは教育で解決できる問題だと思う」

「…あ、ああ。まあ、確かにそうだな」


 冒険者の仕事とは、魔物を倒すだけではない。秘境に飛び込み、貴重な草花を持ち帰ったり、魔素の色濃い地域でしか手に入らない硬材なんかの取得が、本来の主な仕事だ。そういった場所では、魔物との直接戦闘は避けることが重要だ。だが、レベルの上昇に従い、手数が増えることも確かだ。それに、魔物素材とて、貴重な資源には変わりない。そのため、安全の確保できる状況下にあっては、魔物を倒してレベルを上げる、あるいは、魔物の素材を確保することも必要にはなる。多くの冒険者はそこを理解しており、不必要な会敵は、避けるための工夫や準備をしている。けれど、アエテルヌムにはそれがない。会敵必殺。一言で表現するならば、そうなるだろう。彼女達は、戦うのだ。逃げずに戦い、これを殲滅する。年齢に見合わない異常な戦果とレベルは、それが故だ。正直に言って、正気の沙汰とは思えない。幸運が続いているだけで、それが尽きれば死ぬ—と懸念しているのは、俺だけではないはずだ。


「対して、ネームレスは…たった一人でも国を滅ぼせるようなリーダー、オサカを筆頭に、一撃で大地を砕く膂力の持ち主、アビス。風変わりな魔法で、驚くほどの長射程を誇るクルス。疾風の弟子にして、オサカの手解きも受けた、体術の申し子ファーレン。あらゆる術に精通し、ケイタイなどの魔道具を生み出す、物作りの匠、クローディア。触れた土は立ち所に実りを齎す、生きた伝説アムルタート。そして、彼らが従える三体の凶悪な従魔の他に、詳細はまだ分からないけれど、もう一人特別な女の子が加わってる。まさに力の象徴だよ?」

「お、お前っ!?」

「パパっ!?」


 思わず上擦った声が出たのは、俺だけではない。ロロナやクローディアとやり取りしている、俺ですら知り得ない、オサカ達の情報が出てきたのだ。ましてや、クローディア達がケイタイを生み出したなど、俺は一言も告げていない。これはすなわち、ベロートは秘密裏に彼らのことを探っていたに違いなく、オサカとの約束を反故にしていた事実に他ならない。


「…なんと命知らずな真似を…」

「…陛下。流石にそれは許しがたいですな」


 アンラが誇る重鎮二人に睨まれれば、流石のベロートも失速する。ま、まあ聞いてよ—と、いくらかトーンを落として、彼はさらに続けた。


「メキラのネームレス。さらに言えば、今、巷で話題になっている再生者(レナトゥス)。彼らもまたネームレス配下だ。彼らとアエテルヌムを引き合わせれば、人類が誇る一大戦力が出来上がらないかい?」


 確かにその通りだ。未だかつてないほどの一大戦力が出来上がることだろう。アエテルヌムとネームレスは、多分、相性がいい。それに、ユカリはオサカの情報を欲しているのだ。それを思えば、引き合わせること自体は吝かではない。


(それにしても…再生者(レナトゥス)ってのは、ネームレスの配下だったのか…)


 今をときめく再生者(レナトゥス)の面々とは、面識がある。アンラの冒険者ギルドで、彼らは揉め事を起こしたことがあり、その不手際をわざわざ詫びに来たのだ。もっとも、その不手際を起こした張本人は、その場にはいなかったのだが。


「…再生者(レナトゥス)?…そういえば、噂になっておりましたな」

「各地を渡り歩き、古い本を集めて回っているとか聞いたのぅ」

「お茶会でも話題に上がるわよ?凄いわよね」


 スポマガジニーとデンテはおろか、ブルーツも知っているらしい。大した知名度だ。


「一つ聞くが、何のために一大戦力なんて作りたいんだ?」


 再生者(レナトゥス)の話が一段落してから尋ねる。気になるのはベロートの魂胆だ。ユカリ達のことを探っていたのは、百歩譲って許そう。黒髪黒目には問題がつきまとう。その不安を払拭するためだったとするならば、一応の言い訳にはなる。だが、バレたらどうなるのか、想像すらできないネームレスを探っていたのはいただけない。黒髪黒目のオサカやクルス個人だけにとどまらず、全員の情報を握っているのは、彼らの恩に対する裏切りだ。納得のゆく説明がなければ、殴り飛ばしても許されるとすら思っている。


「…うん、そうだね。それについての説明は必要だよね」


 ベロートはそれまでの勢いを引っ込めると、神妙な面持ちを作って姿勢を正す。俺達も、自然と表情が引き締まった。


「蟻の巣の一件…覚えてる?」

「蟻の巣…ですかな?」


 よほど意外だったのか、スポマガジニーがベロートへ向けて尋ね返す。ベロートは一度頷いた後、話を続けた。


「蟻の巣の件だけどね、よくよく考えてみると、どうにもおかしくない?なんて言うか、腑に落ちない点が多いように感じるんだよね。皆はどうだい?」

「…パパ、勿体ぶらずに教えてほしいわ」


 ブルーツに急かされたベロートは、ややきまりの悪い表情を見せる。もう少し引っ張りたかったのだろう。彼の悪い癖だ。


「本当に、9年間も貼り出されていた依頼に、誰も気付けなかったの?本当に、村人は逃げ出す間もなく、全員が蟻に食い殺されたの?ちょっとさ、強引過ぎない?普通は、誰かしら気が付いて、マコト君のように、何かしら言うよね?村人にしたってさ、もうどうにもならなくなったら、村を捨てて別の村に助けを呼ぶよね?そういった粗を見てくとさ、なんだか、人為的な仕業の気がしてこない?」

「お、おいおい!ちょっと待ってくれ!」


 とんでもないことを言い出したものだ。慌ててベロートを制止し、頭の中を整理する。何か反論材料がありそうだと考えたが、それはすぐに思い付いた。


「蟻の依頼は、過去に依頼として、発注を受け付けた記録があった。そうなれば、依頼として出ていたのは間違いない!」

「…その記録ってさ、どこに保管してあるんだい?相応の管理体制があるのかい?無造作に棚にしまってあるだけじゃないのかい?」


 ぐっ!—と、言葉に詰まる。ベロートの指摘は、まさにその通りだ。過去の依頼は、古い物から順に倉庫へと移されてゆくが、新しいものについては、何かあれば参照できるようにと、棚に無造作に並べられているにすぎない。


「誰かが忍び込んで、偽造書類を忍ばせることも、難しくないよね?」

「…あ、ああ…そう、だな」


 ベロートの反駁に、あっさりと負けを認めて口を噤む。その後にベロートの語ったことは、俺のみならず、皆を驚かせた。


「実はさ、最初はオサカ君の自作自演を疑っていたんだよね」

「おいっ!」

「パパっ!?」


 堪らず俺とブルーツが声を荒げ、スポマガジニーとデンテも渋い顔を作る。これにはさしものベロートも失敗を認めて、慌てて詫びてきた。


「ごめん!ごめんって!でも聞いて!最後まで聞いてよ!」


 皆が皆、一斉に嘆息し、ジト目をベロートへ向ける。話してみろ—と、無言の許可を出したのだ。もっとも、くだらんことを言ったならば、キツい説教が待っているぞ—という、無言の圧力も込めているのだが。


「オサカ君は黒髪黒目だ。皆も分かってるだろう?一般的には知られていないけれど、黒髪黒目は帝国皇帝であるラントンの血縁者である可能性がある。アンラの国力を削ぐために、あんな大規模な事態を引き起こして、収束が不可能になる前に、己で幕を閉じたのかな?—と、考えたのさ」


 一応は筋が通っていた。なるほど—と頷くも、すぐに綻びを指摘されることになる。


「話には聞いたが…迷宮を空に持ち上げて潰したのだろう?そんな馬鹿げた真似のできる術者が、わざわざ小細工を弄するかのう?」

「あえて力を見せつけることで、後々の戦争で、無駄な抵抗を減らすことが目的だった—と、考えたら?」


 デンテの指摘に、ベロートはもっともらしい言い分を披露した。確かに、帝国は戦争を繰り返してきたが、そのいずれもが酷いものだったそうだ。アンラは優秀な穀倉地帯。それを無傷で手に入れたい—と考えたのだとしたら、まあ、納得できないことはない。


「もし、仮にそうだとした場合、動くのが遅すぎると思うわ。オサカ君の恐怖が記憶から薄れてくれば、効果は落ちるわよ?」

「うん、ママの言う通りだ。だからやっぱり、オサカ君の行いは、帝国とは関係ないんだよね。本当にロロナが気を利かせて、彼らを紹介してくれただけの話だよ。そうでなければ、彼らは蟻のことなんて、何も知らなかったと思うよ」


 顎髭を摩りながら、各地のギルドに助力を願い出た時のことを思い返した。あの時、ロロナがオサカ達を紹介してくれたのだ。まさか、あの時の邂逅が、これほどの豊かさをアンラに齎してくれるとは、思いもしなかったが。


「—となれば、誰がやったと思う?どうやって成したと思う?」

「…とんと分かりませんな」


 ベロートの語りは未だに続いている。まあ、引っ張り中であり、大した中身がなさそうな会話だが、回想はここまでにして、聞く姿勢に戻った。


「そうなんだよね…分からないんだ」

「…これだけ引っ張って、分からぬと言うか?お主?」


 デンテが顎髭を摩りながら、渋い顔を作れば、ベロートは苦りきった表情で腕組みする。


「…でも、人為的な仕業だと思った方が、しっくりくるでしょ?」

「…そう、ねえ…」


 ベロートに尋ねられたブルーツは、顎に指を当てて空目を作った。確かにそうかもしれない。今日まで深く考えたことはなかったが、指摘されてみれば、まさにその通りなのだ。依頼のことにしても、村のことにしても。


「じゃあ、仮に人為的なものだとした場合…どうして、そんなことをしたのか?ここなんだよね。問題なのは」


 そんなことを言ったきり、うーん—と、首を捻りながら考え込み始めるベロート。いまいち嘘臭い仕草なので、既に己の中での答えは出ているのだろう。演出だ。俺達は、互いに苦笑を交わしながら、ベロートが口を開くのを待った。


「…もし、もしもだよ。敵は国家転覆どころか、大陸制覇なんて大それたことを考えるような奴だった場合、気にするのはなんだと思う?」

「…そうしたら、敵方の戦力じゃないか?大陸制覇なんて、今ある国全てが敵になる訳だろ?」


 すぐに思い付くところを口にしただけなのだが、これが当たりだったらしい。そう!—と、ベロートは指を突き付けて破顔してくる。忙しい奴だ。


「そうなんだよ!僕はね、蟻の巣の一件は、自分達に比類するような力を持つ存在があるかどうかを確かめていたんだと思う。どこの誰かは知らないけれど、ことを起こすつもりなんだと考えてる。…突拍子もない話だけどさ、そう考えた方がしっくりくるんだよ。チグハグなパーツが符合すると思うんだ」


 静まり返った食堂で、ハッと気が付けば、俺は目を見開いて固まっていた。俺だけではない。皆が皆、ベロートを見つめたままで時を止められたかのように微動だにしない。何か言うべきか—と口を開こうとした時、スポマガジニーが我に返り、おずおずと声を上げた。


「陛下…それですと…そのどこの誰か知れぬ連中も、蟻の巣くらいならば、容易に処理できた—ということになりませんか?」

「だろうね。そう考えた方が自然だよ。僕らだって、飼い犬に手を噛まれないように、教育したり、保険はかけるでしょ?何かしら手があったかどうかは知らないけれど、あのくらいならどうとでもできるんだろうね。どこかの誰かさんは」


 目の前が真っ暗になった気がした。綺麗にとは言えないまでも、なんとか事態は収束し、後は事後処理を終わらせるだけ—と考えていたものが、実は何も終わっていなかった。それどころか、あれはほんの布石に過ぎず、その奥には、さらに巨大な何者かの影があると言う。もし、ベロートの読みが当たっているとすれば、目を覆いたくなる事態だ。


解放者(リーベルター)…かのぅ?」

「…かもしれない」


 解放者(リーベルター)。この大陸に住う施政者ならば、誰もが警戒する犯罪結社だ。厄介なことに、高い魔術技能を誇るであろうこの組織は、存在こそ知られているものの、その全容が見えないばかりか、尻尾を掴ませたこともない。構成員がどこに潜んでいるかすら、定かではない。


解放者(リーベルター)だとしたら…厄介だぞ…いや、だがしかし、解放者(リーベルター)ではなかったとしたら?…くそっ、どうすりゃいい…)


 考えれば考えるほどに、整理が追いつかなくなる。あらゆる方向から縄をかけられ、自由に身動きの取れない状況に陥ったかのようだ。ムシャクシャして、乱暴に頭をかいた。


「モスクル…そんなに乱暴にしたら、本当にハゲちゃうよ?」

「まあ、パパったら」

「煩い!ほっとけ!」


 こんな時には、こののほほんとした似た者夫婦はどうにも腹立たしい。何故そうも落ち着いていられるのか。


「まあ、そんな訳でさ。戦力はある程度まとめておきたいんだ。もしかしたら、帝国なんかより、よほど危険な敵が現れるかもしれない」


 姿勢を正して、まとめに入るベロートの言に、今度は誰も異を唱えようとはしなかった。


「じゃあ、引き合わせるのは分かったけど…どうやって?関わるな—と、釘は刺されてるのよ?ロロナにお願いするの?」

「いや〜。僕からはちょっとねぇ。ロロナ、僕のこと、未だに許してくれてないだろうし」


 ブルーツがいけしゃあしゃあとロロナの名を出すも、ベロートはいくらか現実を見ているらしい。当たり前だ—と冷めた視線を送っていると、そのベロートがこちらを見て、ニコリと笑うではないか。凄く嫌な予感がした。


「そんな訳で、舞台はこっちで整えるからさ。ロロナに打診よろしく」

「おまっ!?」


 誰がそんな役割を引き受けたいものか。せっかく、最近はビジネスパートナーとしての距離感を掴み始めてきたところだというのに。


「あいつの勘の鋭さ、知らないとは言わせないぞっ!?絶対引き受けん!」


 この件に関しては、関わる訳にはゆかない。ベロートの差し金と気が付かれては、ここまで築き上げた信頼がパーになりかねない。そうなれば、ケイタイの件も、魔石も、野菜までも。全てがご破算になってもおかしくない。断固として拒否したい。


「う〜ん、そうか〜」

「あ、当たり前だ」


 荒い息を吐いて、乱れた呼吸を整える。ところが、これで大丈夫かと思いきや、腕組みして難しい顔をするベロートはともかく。ブルーツ以下の三人は、互いに視線を交わして苦笑していた。


「…モスクル。悪いんだけど…きっと、パパが動けば、巻き込まれると思うわよ?」

「…そうだのぅ」

「すみませんね、モスクル君」


 ガクリと肩が落ちた。誰一人として、俺を助けてくれる者はいないらしい。終いには、ごめんね〜、頼むよリーダー—ときたものだ。流石に暴れた。






「まだ帰らんのか?」

「ああ、ちょっと確認したいことが…な」


 城門から真っ直ぐに坂を下り、噴水広場の前でデンテと別れる。彼はそのまま自宅に帰るらしいが、俺はその前にギルドに寄りたかった。デンテの背を見送り、その姿が夕日に覆われて見えなくなってから、ギルドの扉を開けた。


「あっ、ギルマス。お帰りなさい」

「……チッコか…」


 周囲を見渡すも、受付にはチッコ一人しかいなかった。その他の冒険者の姿も見えず、今日は随分と人気がないな—と、首を傾げる。


「…何かあったのか?その、誰もいないが…」

「え?ああ。ギルマスの帰りが遅いから、きっと残業確定で、超不機嫌かも〜—って言ったら、皆さんクモの子を散らすように」


 何言ってんだこいつ—と、チッコを睨みつければ、ギルマスの顔が怖いからですよ?—と、チッコは締め括る。流石に拳骨を落とした。


「いったぁ〜」

「まあいい。誰もいないなら好都合だ。グランドマスターの耳に入れておきたいことがあります。少しお時間よろしいですか?」


 態度を改めてチッコに問えば、彼女の気配が変わった。それまでの陽気さは影を潜め、ピコピコと動いていた耳や尾は、手放された剣の如く垂れて動かなくなった。


「おやおや。私の出番かい?」

「ええ。と、その前に…9年前の依頼がまとめられた書架はどこですか?」


 蟻の巣かい?—と、こちらの心を見透かしているかのような勘働きを見せるチッコ。俺が黙って頷けば、チッコはカウンターの奥から一冊の分厚い本を持ってきた。


「…この蟻の巣の一件。それが誰かに仕組まれた、人為的なものである可能性を指摘されました」

「…へえ?…面白いことを考えるもんだねえ」


 カウンターの上に本を載せ、パラパラとページをめくれば、目的の依頼はすぐに見つかった。


「改めて見てみても、酷い依頼よねえ」

「…本当に」


 何の擁護もできないほどに、巫山戯た依頼だ。安い達成報酬に、蟻の素材もろもろ、この依頼の遂行中に発生した素材や金品類は、全て発注者に寄越すように書かれていた。


(依頼日は、史暦1305年。もう11年も前か…)


 ペラリと一枚めくってみれば、そこにはもう次の依頼に関する記述が並んでいる。どうやら、蟻の巣に関する書類は、これ一枚のみであるらしい。


「…たったこれだけ…なのか?」


 何か手がかりになりそうなものはないか—と調べてみたのだが、空振りだ。少し疲れを感じて、適当な椅子に腰を下ろした。


「ところで、先の話だけれど。私には教えてくれないのかい?」

「ああ、すみません。実は—」


 王宮で聞いた話を掻い摘んで説明する。退屈そうに聞いていたチッコだったが、話し終えれば、頬杖を解いて顔を持ち上げた。


「…蟻の一件は2年も前の話だよ?それを今さら蒸し返すかい?」


 辟易したかのような面持ちで、本当にのんびり屋なんだから—などと呟いていたが、何か思い付いたのか、ニヤッと悪い笑みを浮かべると、再び頬杖の上に顔を載せた。


「ふぅん…ベロートは、他にも何か掴んだってことだよねえ?きっと。言ってないだけで、敵の輪郭くらいは捉えているはずさ。となれば、妄言として処理はできないねえ。何か起こるよお?」

「…そう、ですね…」


 起こってほしくなどないのだが、何故こんなにも、この人は嬉しそうなのか。


(だが、蟻の巣の一件では、随分と痛手を受けた。もしあれが人為的なものであるならば…許せはしない)


 物思いに耽っているところ、悪いんだけどさあ—と声をかけられて、チッコへ視線を向ける。チッコはトントンと蟻に関する依頼を指で叩きながら、素早く視線を走らせていた。


「この文字さ…ちょっと、ハネが特殊じゃないかい?ほら、ここも。…これ、誰が書いたのか分からないかねえ?」

「…え?…ど、どこがですか?」


 次々とチッコは文字を指差してゆくが、俺にはさっぱり分からない。どの文字も、特にハネがおかしいようには見えなかった。


「…ええと、作業報告書を見れば、誰の書いた文字か分かりますか?」

「分かると思うわよ?っていうか、何でモスクルには、この違いが分からないのよお?」


 何やらぶつぶつと文句を言い続けているが、多分、誰が見ても分からない。


(はぁ〜、ベロートといい、この人といい、アンラってのは、癖の強い奴が多いよな)


 カウンターの奥から倉庫へと入り、埃をかぶった作業報告書を取り出す。報告書の保管期間は10年までと定められており、11年前の蟻の依頼が受け付けられた当時の報告書など、本来なら破棄されている。だがしかし、ケイタイの件で慌ただしかった今年は、春先に行う大掃除をやっていない。それがこんな形で、功を奏することになろうとは、誰が想像できただろうか。


「ゴホッ、ゴホッ…あ、ありました」

「うわっ!埃を落としきってから持ってきてよねえ」


 さらに文句を言われ、やるせない思いに駆られながら、作業報告書をカウンターの上に載せる。依頼表と照らし合わせ、当時の作業報告書を斜め読みしたが、蟻の巣の依頼に触れてある報告書はなかった。


「…お願いします」

「お願いもなにもお、今開いているページが当たりよお。こいつで間違いないわあ。アナジー君ねえ」


 チッコは報告書の署名欄をゆっくりと指でなぞり、報告者の名を読み上げた。アナジーという名前には、聞き覚えがある。真面目な青年であったが、真面目すぎて臨機応変な対応ができない奴だった。当時の俺は、ギルドマスター代理として、アメランド支部からアンラ本部へ移籍したばかりだったはずだ。個人的には可愛がっていたのだが、その態度が気に入らなかったのか、俺には何の挨拶もなく、いつの間にか辞めていた。


「…彼の住まいをご存知ですか?」

「ええっ!?もしかして、今から行くのお?」


 この反応は、知っている者の反応だろう。当然です—とジト目を向ければ、チッコは観念したように手を振った。


「貧民街にいるわよお」

「そうですか。すみませんが、同行願います」


 あからさまに嫌そうな顔を作るのが分かっているため、わざわざチッコの反応は待たない。通りに出て馬車を捉まえようとするものの、外は既に薄暗い。日が落ちてから、随分と経っているものであるらしい。これでは馬車も走ってはいないだろう。どうしたもんか—と、大通りの坂の下を見つめていると、チョンチョン肩を突かれた。


「まあ、ギルマスと私なら、走った方が早くないですか?」


 人目のある外に出たため、獣人のチッコとして振る舞うらしい。耳や尾が、再び活力を取り戻し、ピコピコと元気よく動いている。もう、本当に面倒くさい。


「そうだな。貧民街か…詳細は?」

「北西。運河が細まるところで、旧市街と貧民街の隔壁近くですよ」


 少し急ぐか—と、音もなく屋根の上へと駆け上がる。チッコも当然、遅れることなくついてきた。


(ギルドの職員は、国から厳しく管理されている。それは、アナジーも理解しているはずだ。…頼む、白であってくれ)


 冒険者ギルドは、世界各地に存在し、他のギルドとは違い、密接に繋がっている。運営自体は国の風土によって特色があるものの、管理体制は厳としている。有事の場合、客とのやり取りである依頼表の控えは、過去15年分ひっくり返され、報告書は10年にわたり掘り起こされるばかりか、一度でもギルドに関われば、生涯を監視されて過ごすことになる。俺やチッコのような、立場のある者でも、それは変わらない。俺なんかは家族と共に、職員用の家屋に住んでいるし、チッコとて、己の住まいは正確に報告している。


「…職員の住まいは、全て暗記してるのか?」

「まさかですよ〜。現職の方々は不要ですからね。退職して、存命の方に限りです」


 —だそうだ。こういうところは酷く優秀なのに、どうして日頃の勤務態度はあれなのか。溜め息しか出ない。ベロートといい、チッコといい、アエテルヌムといい、上も下も横も、どこを見ても敵しかいない。四面楚歌とはこのことだろう。


「あれですよ」

「助かった」


 チッコの指差す先は、古びた長屋の一室だ。明かりはついているが、共同住居である。訪ねてみなくては、在宅かどうかは分からない。隔壁の上から貧民街の路地に下りれば、貧民街は旧市街よりも一段下がっていた。暗がりのせいだが、目算が狂ったため、少し焦った。


—トントン—


 チッコと目で合図してから、扉をノックする。貧民街と聞いた時には、少しだけ眉をひそめたが、ちゃんと屋根の下で暮らせているらしいことには安堵した。


『…誰だ?』

「冒険者ギルドのギルドマスターで、モスクル・ダーマという者だ。かつてうちに勤めていた、アナジーという男に話を聞きたい。彼はいるか?」


 扉越しに誰何されたため、素直に応じる。住民を悪戯に刺激するのは悪手だし、有事の際には証人になってもらう必要とてあるかもしれないからだ。


『…いる。閂を外す。少し待て』


 一先ずは、話を聞いてくれそうだ。夜分遅くに訪問した俺が悪いのだが、物盗りの類と判断されれば、いきなり攻撃されることとてあり得る。警戒は解かずに、道の脇へ寄った。


「…待たせたな。アナジーは奥の階段を上がって、右奥の部屋だ」


 やがて、扉を開けて出てきた男は、思った以上に協力的だった。扉を開けたまま、さっさと入れ—と、顎で促してくる。俺とチッコは視線を交わした後、男に礼を告げた。


—ミチミチ—


 流石に古い家屋だけあり、歩く度に不安になる音がする。特に階段は酷かった。一段一段踏みしめる度に、足下が沈み込むのだ。気が気じゃなかった。


「ギルマス…太りました?」

「建屋が古いだけだ!失礼な!」


 年頃の娘を持つ男親としては、スタイルには気を遣っている。筋肉は不評だが、腹が出ていないのはプラスなはずだ。そう信じたい。


「ここ…だな」

「そうですね…早く聞いて帰りましょ。なんだか篭った臭いがしますよ」


 ドアを叩こうとして、チッコの言葉に固まった。篭った臭いがする—この台詞は、先日、俺の書斎へ入ってきた娘に言われたばかりだ。本が多いからだ—などと言って誤魔化したが、まさか、俺の部屋は—


「ギルマス?」

「ん?ああ…いや、なんでもない」


 気を取り直してドアを叩けば、開いている—と応答があった。ドアを開ける前に、またチッコと視線を交わす。チッコが頷いたのを見てから、ゆっくりドアを開けた。


「…お久しぶりです。モスクルさん…いや、今はギルドマスター…でしたか」

「ああ…達者か?…アナジー」


 部屋の中には粗末な机と椅子が一つ。その他には、部屋の隅にダニやノミが沢山いるであろう、汚らしいベッドがあるのみだ。アナジーは、机の前で椅子に腰を下ろしたまま、俺達を出迎えた。落ち窪んだ瞳に、こけた頰、そして何より、年不相応な真っ白な頭。俺の記憶にある、小綺麗で折り目正しいシャツに身を包んでいた青年は、影も形も残っていなかった。


「…そちらの方は?」

「…うちの受付嬢でな。チッコという。あー、興味本位でついてきた」


 紹介の仕方がよほど気に入らなかったのか、チッコが背中を小突いてくる。知らねえよ。どう言えってんだ。


「座ったままですみません。…脚が悪くて」

「いや、いい。そのまま聞いてくれ」


 頭を下げようとするアナジーを手で制して、蟻の巣の一件を尋ねようとするも、俺の頭は真っ白になっていた。冒険者ギルドの職員というのは、文官職に相当する。読み書きに加えて、計算までできるのだ。再就職に困るということはあり得ない。それが、どうしてここまで落ちぶれたのか。腕は枯れ木のように細くなり、脚の悪さも栄養不足が故だろう。可愛がっていた過去を思い返して、涙が溢れた。


「モスクルさん…」

「すまない…なんでもない」


 鼻をすすり、涙を堪えようとするが、どうにもいけない。歳を取ると涙脆くなるというが、こんなところで自覚するとは思わなかった。


「貴方がここに来た理由…分かってます。いや、貴方で良かった」


 目頭を抑えるばかりで何も言わない俺に、苦笑混じりでありながら、穏やかな声が投げかけらる。止めろ—と、頭を振った。


「…俺には、ある呪いがかけられています」


 アナジーは、それでも言葉を紡ぎ続ける。そしてそれは、思いがけない方向へ進んだ。俺は目を見開き、背後のチッコから、警戒するかのような魔力が吹き出したのが分かった。


「例の件に触れようとすれば、俺は…死にます。多分、何があったのか、真相を語ることはかなわないでしょう。…それが、答えです」


 アナジーが何を言っているのか分からなくなり、目が泳ぐ。それでも、アナジーは言葉を続けようとする。徐に次の句を継ごうとする口元に、慌てて大声を張り上げた。


「待て!何も言うな!呪いならなんとかする!その後だ!落ち着いてから聞かせてくれ!」

「ギルマス!」


 アナジーに近付こうとした俺の肩を、チッコが抑えた。ハッとして振り返れば、チッコは俺に向けて頷く。分かっている。呪いはまずい。下手をすれば、俺までもが呪いに侵される。だが、こんなのってないだろう。俺は、チッコに頷き返すことができなかった。


「モスクルさん…俺はずっと、罪の意識に苛まれてきました。自身では死ぬこともできず、誰かが咎めに来るのを、ずっと…ずっと待っていたんです」


 そう告げて、アナジーは力なく笑う。もう我慢の限界だった。俺はアナジーを力付くで連れ帰ることに決めた。ここは法術師の国、アンラ神聖国だ。治療院に連れてゆきさえすれば、後はどうにでもなる。なるに決まってる。話はそれからでも十分だろう。


「…止めろ。おい、止めろ!」

「モスクル!!」


 チッコに止められるのも聞かず、前に出ようとした俺の身体を、目には見えない何かが拘束する。正体は全く分からないが、チッコの仕業に違いない。辛うじて動く首を回し、肩越しにチッコを睨み付けた。だがしかし、チッコは俺を見ていない。申し訳なさそうに、アナジーを見つめていた。視線を戻せば、アナジーもまた、俺を見てはいない。先ほど同様に穏やかな表情で、チッコを見つめ返している。


「アナジー…先に謝っておく。…ごめん」

「…はい」


 おい止めろ!誰か止めさせろ!—と、何とか声を上げようとするも、俺の口はおろか、舌すら動かせない。うー、うー—と、言葉にならない声が漏れるばかりだ。


「…続けてくれるかな」


 ついにチッコはその一言を口にした。一気に身体が熱くなる。まるで全身を流れる血が、沸騰したかのようだ。未だかつてないほど、腕に、全身に力がこもっているのが分かる。だが、それでも拘束は解けない。


(何でだ!止めろ!)


 理屈では分かっている。呪いとは、そんな簡単に解呪できるようなものではない。事細かに調べあげ、時間をかけて紐解き、その上で、何人もの法術師を用意して、長い祈祷が必要になる。人為的な呪いとは、魔物が使う定形の呪いとは訳が違うのだ。それでも、そう簡単には割り切れない。不幸になろうとしている人間が目の前にいる。10年強も、一人で苦しんできた人間が、目の前にいるのだ。何より、俺の元部下だ。こんなことで死んでいい奴じゃない。


「では、お話しします…」


 見苦しい俺とは違い、アナジーは覚悟を決めて、口を開こうとした。だが、その刹那、アナジーの首にドス黒い何かが浮かび上がる。言うまでもなく、呪いだ。見る見るうちに、アナジーの表情は苦悶の色を湛え始めた。椅子から崩れ落ちると、首を押さえて目を見開く。見るに耐えなかった。


「あ、ああああぁ!!ぐぅ!ぐああああ!」


 ブスブスと音を立て、肉の焼ける臭いが部屋の中に満ちてゆく。アナジーは苦しみもがき、口から、鼻から、耳からも、黒い煙を立ち昇らせ続けていた。焼かれているのだ。内側から。


「…これは…酷いねえ」


 やがて、アナジーは蹲ったまま、動かなくなる。首の呪いは、ぽっかりと空いた穴となり、その縁からは、相も変わらず黒い煙を燻らせていた。


「…モスクル…その—」


 不意に身体が自由を取り戻し、俺の制御下へと返ってくる。チッコが何か言っていたが、俺は振り向きざまに拳を握り込んだ。


—ドガッ!—


 チッコの獣人という姿は、何かの術で作り出したまやかしだろう。けれども、女であることは事実であるらしい。実に軽い。俺の拳を正面から受けたチッコは派手に吹っ飛び、何事か?—と、遠巻きにこちらを見ていた野次馬共を巻き込んで、ようやく停止した。


「…一発殴らせろ」

「…もう、殴ってんじゃないかあ…いったあ…」


 周囲の人垣に掴まりながら、立ち上がったチッコだが、左腕がダラリと垂れ下がっている。既の所でガードしたらしい。代わりに腕が折れたのだろう。


「…アナジーは…死んだのか?」

「…驚かないんだな?」


 人垣の前列にいた男が、俺の後ろを覗き込みながら、おずおずと尋ねてくるが、その様子は随分と落ち着いていた。まるで、こうなることを予期していたかのように。


「まあ、こんな場所だしな。…それに、そいつは死にたがってた」


 この時、俺は何と返したろうか。何か言った気もするが、黙って立ち尽くしていたのかもしれない。この時、俺が考えていたのは、俺に声をかけたこの男は、きっとチッコを庇ったのだ—ということだ。自分が情けなくなり、目の前が真っ暗になった気がした。


「…もう、呪いは消えてるねえ」


 気が付けば、チッコがアナジーの死体に触れ、検分の真似事をしていた。


「誰か、警吏と法術師を呼んできてえ。夜分だから、三人以上で」


 肩越しに声を上げて、小銭を腰の巾着から取り出そうとするチッコだったが、彼女の左腕は折れている。少しばかり冷静になった俺は、途端に申し訳なくなり、悪戦苦闘するチッコの代わりに、小銭を渡した。


「…すまない。その……ええと……………悪かった」


 何と謝るべきか、言葉が見つからず、とりあえず悪いことをした—という思いだけを口にすれば、チッコは呆れたような視線を向けてくる。きまりが悪くなり、俯いた。


「はあ、痛いよ。すっごい痛い。…あのねえ、気持ちは分かる。私だって悪いことしたと思うよお?けどさあ、仕方ないじゃない?モスクルにまで呪いが感染したら、どうするつもりい?」


 ごもっともだ。チッコは俺を案じて守ってくれた。それなのに、俺は怒りに任せてチッコに手を上げたのだ。


「私は確かに十天なんて呼ばれてるよお?けどね、私は術者なの。接近戦はからっきしで、その上、か弱い乙女なの。そこんとこ履き違えないでえ。後、女に手を上げるのは、最低だよお」


 ぐうの音も出なかった。十天という言葉に、周囲が騒めくが、演技はどうした?—などと言う気も起きない。


「でも、安心したよ」

「…え?」


 チッコの声音がガラリと変わる。それまでの責めるような色合いは消え失せ、心なしか喜色まで浮かんでいるかのような声だ。


「モスクルさあ、私の前だと、クレバーな面ばっかり見せてたでしょう?私、前々から思ってたんだ。こいつ、大丈夫かなあ?—ってさあ。けど、結構熱いとこあるじゃんかあ。暴力はいけないけれど、人としては見直したかなあ」

「…はっ、俺の半分しか生きてないような小娘が。知ったふうなことを」


 上からの台詞に、思わず軽口が飛び出す。だが、チッコはそれを責めるではなく、いひひ—と、笑って許してくれた。


「—通してほしいので御座います!怪我人はどこで御座いますか!?」


 覚えのある声が階下から聞こえてきて、俺とチッコは顔を見合わせる。確かに法術師は呼んだ。だがしかし、普通、法術師を呼びに行くのは治療院か、はたまた教会だ。何で、よりにもよってソティが来るのか。


「すみません、すみません。通して!通してほしいので御座います!通し—あれ?」


 人垣を押し除けてやってきたソティは、俺とチッコを交互に見て固まった。何と声をかけられたのかは知らないが、貧民街での怪我人—というのが、まさか俺達だとは思わなかったことだろう。


「…怪我人…」

「はぁい!私でーす。超痛いんで、早く治療お願い!」


 キャピ—とでも言えばよかろうか。この腹立たしい仕草に音を添えるなら。ソティも、それまでの真剣な表情がストンと抜け落ち、無表情としか表せない顔を見せる。美女の無表情って、こんなに怖いんだ—と、変な知識を得た。


「誤報のようで御座いますね…」

「ちょ!?本当に痛いの!折れてるの!お願いソティ〜!」


 片手で器用に縋り付き、懇願するチッコ。少しばかり気分が良く、同時に責任を感じて申し訳なく思う—という複雑な心境の中、俺も頭を下げ、何とかソティに法術を施してもらった。


「お前、普段どんな態度でアエテルヌムに接してる?」

「いや〜、この上なく上手くやってるはずなんですけどね〜?」


 嘘付け—だ。阿呆が。

 ところで、折れた腕を見るや否や、ソティの視線が一瞬俺を捉える。多くの怪我を診てきた彼女には、この骨折の原因が何であるか、即座に理解できてしまったのかもしれない。それでも、何も聞いてこないのは、プロ意識のなせる技だろうか。これがアイマスやマコト辺りだったら、興味津々で、根掘り葉掘り質問してきたことだろう。


「…ふぅ。終わりで御座います。具合はどうで御座いますか?」

「すこぶる快調〜!」


 左腕をぐるんぐるん回して、異常のないことをアピールするチッコだが、ソティの反応は渋い。まるで快調であることを残念がるかのように嘆息して、彼女はとっとと引き返していった。


「…おい、何も聞いてこなかったぞ?」

「…あはは。何でかな〜?」


 普通は、目の前に転がる死体に興味を持つと思うのだが。治療費すら取ることなく、帰ってゆく背中は、まるでチッコと関わることを避けているかのようですらあった。いや、きっとそうなのだろう。


「治療費はギルマス持ちで」

「うっ、まあ…当然だな」


 警吏がやってきたのは、そのすぐ後だ。目撃者も多数いたため、殺人などを疑われることもなかったが、その場で事情聴取が始まれば、なんだかんだで帰路につけたのは、早朝を知らせる鐘がなった後のことだった。






「隠蔽ですか?」

「…言葉が悪い。秘匿とか…言い方があるだろ」


 チッコと並び、早朝の旧市街を歩く。朝早い者達は、既に外に出て仕事を始めていたりするが、街全体としては、未だに静かなものだ。


「…知られる訳にはいかないからな」

「…まあ、そうですけどね」


 アナジーの死は、警吏の取り調べの途中で、王宮から横槍が入った。その場にいた者達全員に、箝口令が敷かれたのだ。アナジーの死因は、餓死、もしくは衰弱死として処理されるらしい。まあ、当然だ。真実が明るみに出れば、敵はこちらが何かを掴んだことを察知するだろう。それを避けるためには、致し方ないことだ。呪いの凄惨さから、その場を見ていた野次馬達も、なんとなくそれを察したに違いない。俺達は、何も言わない—と、確かに俺に囁いた。


「ソティの口止めは…まあ、もうやってるか」

「横槍の早さからして、私達の後をつけてた—って、ことですもんね〜。してますよ、そりゃ」


 なら安心だ—と、誰ともなしに呟く。蟻の巣で散っていった同胞達。そして、無念のうちに死んだアナジー。必ず敵は取る—と、心に誓い、拳を握り込む。アナジーの死は、蟻の一件を裏から操っていた者がいる証拠に他ならない。ベロートの読みは、正しかったのだ。


「…ギルマス」

「…どうした?」


 横を歩くチッコの死にそうな声に、思わず歩みを止める。チッコもまた立ち止まると、潤んだ瞳で俺を見上げてきた。


「今日、休んでいいですよね?」

「…まあ、そうだな」


 力が抜け、大きく嘆息した。ダメだ—とは、とても言えない。俺に付き合わせて徹夜させたのだから。朝の冒険者ラッシュは、俺がチッコの分までこなすしかないだろう。その後は、王宮への報告だ。それが終われば、売り上げの確認や職員の報告書へのサインと、新規依頼表のチェック。それだけではない。昨日の分も含めた、ケイタイの報告書のチェックもある。ああ、野菜の件もあった。今日も残業は確定だ。しかも、家に帰ったら帰ったで、もう一仕事待っている。昨晩は帰らなかった件について、妻と娘から責められることは間違いないからだ。彼女らのご機嫌取りを、頑張らねばならない。


「…俺も、休みたいよ…」

「へ?休めばいいじゃないですか?」


 既に休暇モードに入ったチッコの頭では、俺がどれだけの仕事を抱えているのか、処理しきれないらしい。どう取り繕っても考えなしとしか思えない発言に、キツめの拳骨を見舞った。


(そういえば…ギルド…無人じゃないか!?)


 ふと仕事のことを思い返してみれば、たった一人しかいないギルド職員を連れ出していたことを思い出す。蹲るチッコは捨て置き、慌てて、ギルドへ戻るべく坂道を登った。

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