小坂、聖剣の迷宮の奥へと赴く
これで、小坂編は一旦終わりです。
次回からは真編になります。
ハルワタートは今日までの経緯を皆に説明した後、アムルタートとアビスを連れたって、即座に農場へと出かけていった。クローディアはふらつきながら寝室へと戻り、残された俺、クルス、ファーレンの三人は、流れで一緒にいる。
「本当に寝なくていいのか?」
「平気であります。不覚ながら、先ほどうとうとしておりましたため、今はもう眠くないのであります」
寝ておいた方がいいとは思うのだが、俺の忠告を聞き入れるつもりはないらしい。大きなクマを目の下に拵えたクルスは、真っ赤に充血した目で、問題ないと俺を見つめ返す。こうなったら、何を言ったところで聞きはすまい。好きにさせよう。
「じゃあ、気を改めて…どうしようかね?」
「地味に難題でありますな…」
俺とクルスは、地面に描いた汚水処理施設の現状を基にして、どのように広げるべきかを悩んでいた。ちなみに、俺達の隣では、ファーレンが子供達と共にヒヨさんの絵を描いて遊んでいたりする。
「やはり、俺としては水路を諦められない。川を分岐させて、水路を作れば…臭いもいくらかマシになるんじゃないか?」
どうしても水路は欲しい。上下水道完備を目指したい俺としては、いつかやるならば、今この時にやっておきたいのだ。何かにこじ付けてでもゴリ押しで勧めたいところだ。しかし、クルスは俺の案に難色を示す。
「農園の肥料作りに使う糞尿も必要でありますよ。全て流してしまっては、それこそ農園がアムルタート様頼りになってしまうのであります。都市部だけ水道を設けて、農園で過ごす者達は、不衛生なまま過ごさせるつもりでありますか?」
一理ある。家畜という概念のないこの町において—もしかすると世界全体でもないかもしれないが—、人の糞尿は貴重な資源だ。付近の農村からも農夫を集めておいて、糞尿は不衛生なので捨てます—というのは、罷り通らないだろう。贔屓もするつもりなどないが、そう捉えられかねない状況を作るのもよろしくない。
「農園か…ここに来て邪魔をしてくるとはぁ〜!」
どうにもならない苛立ちに、頭を抱えて掻き毟る。ファーレンの横でやたらとイケメンなヒヨさんを描いていた子供達が、俺の錯乱する姿に笑い声を上げた。ちなみに、ヒヨさんは雌鶏であることも付け加えておく。
「仕方ないでありますよ。この町は変わろうとしているでありますが、我らの都合で悪戯に歪める事は、望ましくないのであります。閣下とて、本来ならば、変化は緩やかに—というのが信条でありましょう?」
苦笑いしながら、頭を抱える俺を諌めるクルス。その表情が、少しばかりきまり悪そうで、喜ばしくもあり、同時に申し訳なくもあった。
「クルスも、随分と個性が出てきたな」
俺の言に、クルスの目が見開かれる。俺としては、俺のやる事なす事を、全て是としなくなった現状を好ましく思っての台詞だったのだ。それがどうしたことか、クルスは驚き戸惑っている様子だ。思いがけない反応に、頭を撫でようとしていた手が止まった。
「そ、そんな事はないであります。私には閣下が必要であります!」
誤解を与える発言だな—なんて思えば、ヒヨさんを描いていた子供達の手が止まり、ヒューヒュー—と、俺達を囃し立て始める。ファーレンが青い顔で子供達を制止するが、クルスには全く子供達の声など聞こえてはいないようだ。真っ直ぐに俺を見つめ、俺の言葉を待っている。
(ああ、そうか。そういうことか)
おそらく、クルスは俺の言に、不穏な色を見て取ったのだろう。“もう俺がいなくても平気だな”とか、“これからは一人で頼む”などという言葉が続くと考えたに違いない。まあ、あながち間違いでもない。
(これはむず痒いな)
人から必要とされることは嬉しい。たとえ身内であっても、それは変わらない。ましてや俺はへそ曲がりだ。こうまで言ってくれる者など、もしかしたら、クルス以外では未来永劫いないかもしれない。
(でも、それはクルスのためにはならない)
何をもって、クルスのためとするかにもよるが、俺の場合は、彼女の成長だろうか。少し前までのクルスは、盲目的に俺に付き従う人形のような娘だった。それがどうだ。ファーレンと出会い、難行苦行と言っては言い過ぎだが、思うように物事が進まない苛立ちに苛まれた結果、一皮向けて随分と成長したように思う。
(それを思えば、甘やかすだけなのは…ダメだよな)
許されるならば、手元に置いて好きなだけ甘やかしてやりたい。けれども、クルスはペットではないのだ。全ての問題を俺が解決してやることはできない以上、それは彼女を慮っているとは言えないだろう。
「…人は成長するものだよクルス。クローディアも、もはや必ずしも俺を必要とはしてはいないし、ファーレンもまた、独り立ち出来るほどに強くなっただろう?」
言葉の途中であったが、クルスの顔がくしゃりと歪んだため、少しばかり強めに撫でる。クルスを撫で始めると、ヒューヒュー—と、さらに囃し立てられた。俺がクルスを撫でている光景は、男女の睦言の如く映るらしい。
「クルス、君もまた…いずれは俺の側から旅立つ時が来る」
「“君も”って、なんでありますか!そんな日は来ないであります!私はいつまでも、閣下の側にいるのであります!」
クルスは必死に視線で抗う。パパのお嫁さんになる—と言われた父親の心境は、今の俺と相違ないことだろう。万感の思い—と言っては少々言い過ぎかもしれないが、なかなかに嬉しく思った。
「ん?独り立ちしないつもりか?それは父親としては複雑な気分だな。できればクルスには、俺みたいな偏屈な奴じゃない、まともな男性と一緒になってもらいんだがな」
冗談半分ではあるが、半分は本気だ。ホムンクルスであり、肉体の衰えないクルスには、普通の恋愛や、真っ当な配偶者を探すことは難しいかもしれない。けれども、命を与えた身としては、少しでも世の中の普通を経験してほしいものだ。もっとも、俺の思う普通は、もといた世界の普通であって、こちらでは普通ではないのかもしれないが。
(少しばかり言い過ぎたか?)
クルスを撫でていた手を引っ込めるが、クルスは俯いたまま、口を引き結んで何も言わない。どうやら、この手の話はまだ早かったらしい。言わなくて良いことまで、つらつらと喋ってしまった。
「お前が俺に盲目的に従うではなく、自分の意見を聞かせてくれるようになって、俺は嬉しいよ」
やむなく、綺麗にまとめた体を取り繕って、さっさと逃げることにする。我ながらどうしようもないが、居た堪れない空気を作った張本人だ。この空気を弛緩させるためにも、消えることにしよう。
「おっと。そういえば、メープルシロップがもうそろそろ採れる頃合いかな?メープルの樹液を確認しに行ってくる。悪いがしばらく頼めるか?」
俺の言にクルスは首肯した。ファーレンは目に見えて狼狽していたが。まあ、頑張ってほしい。同性ならば分かることとてあるだろう。君ならできるさ。
クルスが不機嫌になるや否や、オサカは逃げていった。その引き際の見極めは、驚くほど鮮やかだ。
(ひ、酷いです…)
最後にはウインクまでしていったが、後に残された僕に、一体、何を期待しているというのか。どうせなら、僕も連れていってほしかった。機嫌を損ねたクルスと居残りなど、何の罰ゲームか。チラリと横目でクルスの様子を窺えば、クルスは何とも言えない目を、オサカの消えた先へ向けている。有り体に言って、怖い。
(…非常に居心地が悪いですよ師匠〜)
わざわざこんな場所で、あんなことを言わなくても良いだろうに—と思う。僕もやられたことがあるが、オサカは少し空気が読めないと思う。僕と同レベルだ。
「…ふぅ」
クルスの肩が僅かに下がる。それだけの動作で、心臓が口から飛び出るかと思った。怖いなんてもんじゃない。命の危機を覚えるレベルだ。こんな時は、あれだ。オサカが言うところの、三十六計逃げるに如かず—というやつだ。さっさとこの場を離れるに限る。
(ううう…振り向きませんように…)
ところが、子供達の手を引いて、静かにその場を去ろうとしたその時、奈落の底から響いてきたかのような、悍しい音が僕を引き留めた。
「待つであります」
言うまでもなく、クルスの発した声に他ならない。振り向くのが怖い。今すぐ走り出して逃げてしまいたい。でも、それをやれば、帰ってきた後が怖い。観念して振り返るしかない。こんなことになるならば、大人しくロロナのところにゆくべきだった。この時ばかりは、己の不運を呪わずにはいられなかった。
「な、何ですかクルスさん?僕は…えっと…あ、ほら!子供達の面倒を見る依頼がありますので!」
咄嗟に思いついた出任せで、誤魔化そうと試みる。当然、そんな依頼など受けてはいないが、子供達に囲まれている現状を思えば、少しは説得力があるのではなかろうか。
(通じてください…通じてくださいっ!)
ちなみに、この場にいる子供達は、最初から一緒だった訳ではない。オサカとクルスに並んで頭を悩ませていた僕が、全く何も思い浮かばずに、ついには地面に落書きを始めたのだ。アーサーさんやタンパク質、エルにヒヨさんといった面々をつらつらと地面に描いていたところ、それを見た子供達が集まってきただけの話であったりする。
「少し、時間をもらうであります。作戦会議であります」
「…はい」
ダメでした。オサカの言う通り、彼にベッタリではなくなってきたクルスではあるけれど、だからといって、親離れできたかと言えば—それはまた別の話であるらしい。諦めて、クルスに付き合う事にした。
「という訳で、作戦会議であります」
僕のみならず、皆がクルスに集められ、オサカ邸のリビングに集まっている。農作業用の手袋を外しながら、アムルタートが誰ともなしに尋ねた。
「…あの、一体何の会議なのでしょうか?」
アムルタートは全員を順に見回すが、僕は苦笑いを返すことしかできない。他の面々にしても、アムルタートと共に農園に行っていた、アビスとハルワタート。そして今の今まで寝ていたクローディアしかいないのだ。知る由もなく首を傾げているのは、無理からぬことだろう。
「どうすれば閣下が私にメロメロになるのか話し合うのであります。さあ、意見を!」
クルスが高らかに右手を上げて告げるも、全員が愕然とした表情をクルスに向けて固まっている。当然だ。僕の苦笑いも、一層色濃いものへ変わっている。
「いや、無理じゃろ。女の色香でどうこうなる手合いなら、最初からわしのアメージングボディでイチコロじゃ。…そもそも、その件については協力しあえんじゃろう?」
バッサリと切り捨てたクローディアだが、言っていることは正しく、何一つ間違ってはいない。アメージングなんちゃら以外。
「アメージング…であるか?」
「い、言ってみたかっただけじゃ!」
早速入るアビスの指摘はともかくとして、どう考えても個人の問題である。しかも、集められた面子の内、僕とクローディアは、オサカを憎からず思っている、言わば恋敵だ。できることならば、一対一で結ばれたい。蹴落としたりするような真似はしないが、あそこまで飛び抜けた力を持っていては、この先もオサカの力に肖ろうとする女性が擦り寄ってこないとも限らない。下手にアドバイスなどして、それを他者が真似だとしよう。オサカが万が一にでも、それで落とされたりしたら、目も当てられない。
(ダメです!やっぱりダメです!教えることなんてできません!…別に何も浮かびませんけど)
アドバイスを期待する方が、どうかしているだろう。彼はあれで良い。あれくらい尖っていて、他者を寄せ付けないくらいが、見ていて安心できるというものだ。でも、クルスは首を振る。まるで、全員の問題であるかのように、声を落として言い含めるかの如く語った。
「閣下は言っていたでありますよ。クローディア様も、ファーレンも、もはや一人でやっていける—と。アムルタート様やハルワタート様にはアビス様が付いているであります。それは裏を返せば、閣下は一人で何処かへ行っても誰も困らない—ということになるのではないでありますか?…となれば、閣下のことであります。嬉々として一人で歩き回る事であります」
ふむ—と、考え込むクローディアの横で、僕は首を傾げた。常々思っていたことだけど、何故、僕だけ呼び捨てなのか。最初はちゃんと様付けだったような気がするし、何かこう—含みを感じてしまう。これはちゃんと言っておいた方がいいかもしれない—と思い、おずおずと手を上げた。
「ぼ、僕の事も“ファーレン様”と呼んでくれていいんですよ?」
「さあ、閣下がいなくなっては困るのであります!皆で閣下を繋ぎ止めるべく、閣下が私に夢中になる策を考えるのであります!」
だけど、僕の発言はあからさまに無視される。久しぶりの杜撰な扱いに、次は泣くぞ—と、心に決めた。
「何だかんだ言って、あいつは有用よ。いなくなられるはのは困るわね」
腕組みしながら、渋い顔でそう言ったのはハルワタートである。その横では、アムルタートも頻りに頷いている。一方で、アムルタートの横に座っているのはアビスであるが、アビスはどうでも良さそうに明後日の方向を向いて、収穫したと思わしき芋を齧っているではないか。クルスが掣肘するのも無理なかろう。
「アビス様、真面目に考えるであります」
クルスの言葉で、アビスが適当に流そうとしている事に気付いた女神姉妹は、アビスに鋭い視線を向けた。これには流石のアビスも参ったのか、慌てて弁明する。
「いやいや、オサカであるぞ?無理である。女人を見ても—ふぅん—の一言で終わるような奴であるぞ?娼館に誘っても、読みたい本があるので—とか言って断る奴であるぞ?それをメロメロ?考えられぬである」
アビスの言葉に、全員が冷ややかな目を向けた。無論、僕とても。この場には、僕を含めて女性しかいないのだ。男性の性は理解しているつもりだが、受け入れられるかと問われれば別だ。娼館に出入りしている事をバラしてしまったアビスの立場は弱い。もっと他に何かなかったのだろうか。
「そんな目で見るなである…なら、貴様らは何か思い浮かぶであるか?」
「行かないで!—と、ストレートに伝えるのはどうじゃ?」
まだ何も話し合ってはいないが、既に万策尽きた感が半端ない。アビスに尋ねられて、ようやく上がったクローディアの案だが、それはどうなのだろう。僕は待ったをかけた。
「オサカ師匠は、思い立ったら即行動です。きっと、現段階では、まだ何も考えていないと思うのですよ。それなのに、ここでそんな話を出すと、その手があったか!→行ってきます!—のパターンになりかねないですよ?」
僕の発言は意外にも、正鵠を射たものであったようだ。全員が眉を寄せて唸れば、少しだけ、誇らしい。たまにはこんなこともある。
「そもそも、オサカのどこが良いのであるか?」
受け取り方によっては酷く失礼な質問に聞こえなくもないが、アビスは僕ら三人を順に見ながら問いかけてくる。三者三様の答えがあろうが、馬鹿正直にそれを告げるのも憚られる。だって恥ずかしいし。
(最初は気味悪く思ったけれど、接してゆくうちに惹かれていったとか…凄く言い難いです)
さて、どうしたものか—と、視線で相談するべくクローディアとクルスを見やるが、クローディアはともかく、クルスの目は既に乙女のものへと変わっているではないか。そんな目ができるんだ—と、異様なオーラに気圧されて、僕のみならず、クローディアも息を呑んだ。
「閣下は、その存在そのものが美しいのであります!人と魔物の融和!絶妙な優しさと厳しさ!大人っぽい寛容さと子供っぽい狭量さ!絶対的な強さを持ちながら、それを感じさせないのほほんとした立ち振る舞い!」
美しい?優しい?寛容?クルスの話を聞いた僕とクローディアは、互いに視線を交わし、首を傾げ合う。恋は盲目と言うが、恋する乙女フィルターにより、何でも良い方向に捉えているのではなかろうか。そんな気がしないでもない。
(でも、確かにオサカ師匠は優しいです。…修行となると、人が変わったかのようにスパルタですけど…)
日頃のオサカは優しい。ロロナの無茶振りにも、不平不満を口にはするが、それでもちゃんと仕事はこなすし、周囲に当たり散らすこともしない。無愛想が祟って町の住人からは避けられているが、彼の人となりが分かっている者達、例えば、朝一に食材を出す露天商などは、彼を見ると相好を崩すくらいには仲が良かったりする。
(…もしかすると、あの圧倒的な力ではなく、何気ない日常の部分に、惹かれたのかもしれないですね…)
物思いに耽っていると、クローディアが咳払いをした。我に返り視線を向ければ、クローディアは赤くなりながらも、先のアビスの問いかけに答えるところであった。
「まあ、一緒にいて楽なのは確かじゃな。変に気を張る必要もないし、業務連絡くらいしか口にせんから、無駄に疲れる事もない。最初は周囲に無関心すぎて、どうしたものかと考えたが、慣れればなかなか快適じゃ。わしが好きにやっていても、あれこれ干渉して邪魔をせぬし、あれはあれでありじゃな」
言いたいことのほとんどをクローディアに奪われて、負けてはいられない—と、僕も続くことにした。
「そうですね。無理に距離を縮めようとせずに、そういうものだと考えれば、途端に楽になりました。オサカ師匠はあれで良いのです」
僕らの言に、クルスはうんうんと頻りに頷いている。けれど、アムルタートとハルワタートは、何やら顔を見合わせて困惑しているように見受けられた。これはどうしたのか?—と見つめていると、アムルタートが僕の視線に気が付いて、おずおずと口を開く。
「それって、結局…どうやって、繋ぎ止めるんですか?」
あ—と、開いた口が塞がらなくなる。目から鱗が落ちた思いだった。元からマイペースで他人に興味を示さず、必要に迫られなければ踏み込んですらこない彼だ。繋ぎ止めることなど、できようはずがない。
「ど、どうしましょうか?大師匠?」
「う、うむ…これは、これは難問じゃのう…無理やり繋ぎ止めようとすれば、おそらくは逆に逃げるだろうしのぅ…」
慌ててクローディアに尋ねるも、クローディアも腕組みして考え込むばかり。まともな回答は得られなかった。
「…私は、しばらくあいつの中にいたから知ってるけれど、あいつの世界はあいつ一人で完結してるわ。余人の立ち入る隙はないわよ」
ハルワタートの言葉は、それはそれは効いた。もう、それなりの月日をオサカに割いた今、ここで退く気はない。それで自分が退いた後に、クローディア辺りが上手くゆくのも面白くはないからだ。それに、我が身は長命種である森精族だ。ここには森精族の男はおらず、人間族とくっ付いたとて、彼らは50年余りしか生きられない。それから先、200年以上も一人でいるのは、流石に耐えられないだろう。
(決心が揺らぐくらいには、効きました…)
なお、ハルワタートの表現が余程適切であったのか、アビスは頻りに頷いていたりする。アビスもかつてはオサカの中にいた事があるらしい。ハルワタートの発言に、納得しているのだろう。
「ううう、しかし…それでは…」
一方で、クルスも苦い表情を見せていた。僕もきっと同じ顔をしているに違いない。何か言わなきゃ—と慌てて口を開こうとしたが、まあ待ちなよ—と、手で僕らを制して、ハルワタートは続ける。
「だから、あいつを繋ぎ止めるんじゃなくて、あんた達がついていけばいいんだと思うよ」
「え?」
「はい?」
「ぬ?」
何故そこに気付かなかったのだろうか。呆気に取られる僕らを、してやったと言わんばかりの表情で、愉快そうに眺めるハルワタート。話の運び方がオサカを思わせるのは、わざとやったものだろうか。
「まあ、あいつは優しい奴だから、本当に面倒くさくならない限りは、ちゃんと戻ってきてくれるよ。今くらいの、つかず離れずな距離が丁度良いんじゃないの?」
けれど、僕らに見つめられるのが照れ臭くなってきたのか、最後には戯けて締め括った。
「これは一本取られたのぅ」
「ふふ。じゃあ貸し一つってことで、町を案内してよ。アビス様もアミーも、町の案内はてんでダメでさ。私達の生きていた時代とは何もかもが全然違ってて、もう何が何やら分からないのよ」
相好を崩すクローディアの言に、ハルワタートが乗ってくる。そのくらいならお安い御用だ。
「うおっ!?びっくりした。何でみんな勢揃いしているんですか?え?もう夕食の時間?」
唐突に上がった声に、肩を跳ね上げて振り返れば、亜空間から体半分を覗かせるオサカがいた。手にはメープルシロップの原液を集めた容器がいくつも握られており、これから煮詰める作業に取り掛かろうとしていたのだろう。
「え?本当にそんな時間なのですか?ナイセイルはまだまだ日が高かったですよ?」
何も答えない僕らに、本当に夕方だと思ったのだろう。慌てて表通りを確認しに出てゆくオサカの背中を見て、クスリと笑った。
「まったく、慌ただしい奴じゃ」
「ふふふ、そうでありますな」
クローディアも、この場を作ったクルスまでもが笑っている。もう不安はなくなったのだろう。もちろん、僕もだ。
さて、刻は夕食ではないが、昼食時だ。せっかく一同が集まったので、そのまま皆で昼食を食べる事にする。
「ワンッ!ワンッ!」
調理の匂いに釣られてやってきたのだろう。食堂の窓からエルが室内を覗き込んでいる。エルも歯が生え変わり出し、そろそろ頃合いとばかりに、オサカが与える餌に己の魔力を混ぜた。結果、見る見るうちに大型化して、室内には収まらなくなってしまった。ヒヨさんと同じ流れだ。白い毛皮には黒い色が混じりはじめ、毛足も長くなった。短毛種かと思っていたのだが、長毛種の犬型魔物であったらしい。そろそろヒヨさんと共に、魔物退治デビューするらしい。なお、じゃれつかれると、命の危機を感じる。
「おお、エル。そうだな。俺達だけ食べていたら不公平だよな」
オサカは笑いながら窓を開けると、大きなパンを二つに、肉の塊も二つ投げる。最後に、これまた大きな籠を外へ投げると、エルは食料を籠に入れ、オサカの顔を舐めた後に、籠を咥えて走り去っていった。ヒヨさんと共に食べるのだろう。大型の魔獣同士、気が合うらしい。通りからは、エルの姿を初めて見たと思われる者達の叫び声が木霊しているが、そんなところからも、メットーラに人が増えた事を窺えた。
「本当に人が増えたんだな…」
オサカもエルを見送り、窓を閉めながらぼそりと呟くと、それを聞いたクローディアがオサカを急かす。
「そうじゃよ、じゃから拡充は急務と言うておろう。図面はまだか!早よ寄越せ!」
「は、はい…」
「す、すみませんクローディア様」
クローディアに怒られ、オサカはともかくとして、何故かクルスまで、しょんぼりと項垂れて小さく返事している。クローディアもクルスが一枚噛んでいると思っていなかったのか、クルスはいいんじゃよ?—とか、慌ててフォローしていた。
「御馳走様でした。では、私達は農園に戻ります」
「え?ああ、気をつけて」
アムルタートがオサカに礼をして、農園へと戻ってゆく。アムルタートの横にはハルワタート。二人の後ろにはアビスとアーサーさんまで。
(あれ?アーサーさん?)
アーサーさんは何用だろうかと思ったが、害虫駆除か何かだろう。本当にアーサーさんは大活躍だ。
「ほれ、とりあえず出来ている分だけで良いわい。見せてみぃ」
「…昨日の今日ですよ?」
クローディアの声に振り返れば、クローディアがオサカに手を突き付けて催促している。そういえば、昨日、浴室に着替えを持ってきてもらった時、クローディアから聞かされた。汚水処理施設の件は、オサカに一任したらしい。
(一任…って、なんでしたっけ…)
任せてはみたものの、やはり気にはなるのだろう。クローディアも物作りに関しては、一角の技術者だ。己の仕事に拘りもプライドもある。出来合いをチェックして、気に入らない点は修正したいに違いない。
「…まだ真っ白じゃと?」
けれど、オサカが広げた羊皮紙は、未だに手付かず。真っ白なものであった。途端にクローディアが眉を寄せ、オサカに厳しい視線を向ける。オサカは慌てて言い訳を始めた。
「どうやって臭いを防ぐかを考えていたのですよ。今だと僅かな水とスライム頼りなので、臭いが酷いじゃないですか。もう少し流れる水の量を増やして地下水路のようなものを作れないかなぁ、と…」
オサカの言葉が、次第に尻すぼみになってゆく。クローディアの顳顬に、見事な青筋が浮かび始めたからだ。何が悪かったのかは不明だが、先の発言がお気に召さなかったらしい。これにはクルスが割って入った。
「閣下の言う事は一理あるのであります。将来的には、間違いなく下水道を設けることになるのであります。そうすると、今施工しなくては、二度手間になるのであります。一度組み上げたものを改修するとあっては、だいぶ金が—」
クルスがおずおずと言葉を紡ぐに従い、険しかったクローディアの表情に変化が現れる。やがて、クルスが言い終える前に、その発言を遮ると、クローディアは二人に向けて詫びた。
「ああ、そういう事か。これはすまん。わしの伝達ミスじゃ、許せ」
この言葉に、オサカとクルスは顔を見合わせる。何のことやら分からないのだろう。僕も分からない。クローディアは二人を順繰りに見てから、きまり悪そうに続けた。
「二度手間は施政側も承知しておる。当然、それにかかる費用とて、概算もまだじゃが、並大抵の額に収まらないであろうことも。だが、それでも拡充を急がなくてはならん。施工が完了するまでは、各ギルドで金を出し合い、人手をかき集めて、汚水処理施設の清掃に当たるそうじゃ。昨日、わしとファーレンが異臭を漂わせていたのはそれよ。工事が始まれば、人足はそちらに取られるからのぅ。清掃には、不慣れな者が当たらねばならなくなる。その指導役を増やすべく、レクチャーを受けておった」
クローディアの言に、顔をしかめながら取り組んだ、汚水処理施設の清掃講習を思い出した。僕は森精族なので、人よりも鼻が利く。本当に辛かった。周囲には獣人も森精族も山精族もいなかった。当然だ。鼻の利く彼らでは、臭いに耐えられないのだから。そんな中、人間族でも顔をしかめ、あまつさえ体調を崩すような環境下で、何故、よりによって僕なのか—と、何度もクローディアの背中に恨めしい目を向けたものだ。最後にはやる気に火がついて、同じく講習を受けていたアーサーさんに遅れをとるまい—と、人一倍頑張っていたのは確かだが。
「わしが、とにかく拡充を急げ—と、急かしていたのはそういう事じゃ。遅れれば遅れるほど、ギルドの財布が圧迫される。一旦、優先度の高いところを施工した後、状況を見て、再度工事に入る。そういう流れが決まっておる。詳細を伝えなんだわしのミスじゃな。すまなかった」
クローディアは己の非を認め、素直に頭を下げた。彼女のこういうところは、立派だと思う。僕だったら長々と言い訳してしまうだろう。
「なるほど」
「承知したであります」
オサカとクルスは静かに視線を交わすと、即座に羊皮紙上へ線を引いてゆく。フリーハンドとは思えないほどに真っ直ぐな直線を描くオサカの手先は、それそのものが魔術であるかのように見えて、思わず魅入ってしまった。
「…こうか?」
「…で、ありますね」
僕とクローディアが呆れるほど短時間で、図面は出来上がった。二人は己らが描き上げた図面に指を這わせ、逐一チェックしては、相互に頷いている。
「そういう事であれば、これで」
「これは、元々それを想定して練られた案であります。クローディア様の繰り返しになるでありますが…二度手間な上に、かかる費用が増えすぎるので、廃案としていたものであります」
クローディアが図面を手に取ったため、クローディアの背後に回り込んで完成した図面を眺めた。
(…はぁ…凄いもんですね…)
図面は丁寧に描かれており、石材の長さの寸法基準を城壁の石材として定めてある他、石材の組み合わせの注意点や、後々、工事で破壊するため、分かりやすく目印となる、色違いの石を組む場所などを事細かに記してあったのだ。
「うむ、うむ…全くもって…良いぞ、これならいける…うむ、うむ…」
クローディアもまた凄まじい速度で視線を動かしている。それで判断できているのだろうから、凄いと思う。
「よし、施工開始じゃ!ゆくぞファーレン!」
「え?あ?僕ですか?」
ここで僕に白羽の矢が立った。この場に残っていたことを後悔するも、後の祭りだ。肉体労働は僕の仕事であるらしい。仕方ない。そうと決まれば、本職の普請が真っ青になるような、見事な仕事をしてやろう。
「分かりました!指示はお願いしますね!」
「誰に言うておる。任せておけ!」
「さて、クルスはこの後どうする?」
クローディアとファーレンが慌ただしく食堂を出ていった後、なるべく普通の態度を心がけて、クルスに尋ねてみた。先ほど、クルスを落ち込ませたことが気にかかっているのだ。ところが、俺の問いかけに、クルスはハキハキと答える。
「はっ、手が空いたら冒険者ギルドの依頼を片付けるように—と、ロロナ様に頼まれているのであります!ですので、今日は冒険者ギルドに顔を出してくるのであります!」
未だに気を揉んでいたのが、馬鹿みたいな応答だった。彼女の中ではどのように消化されたのかが気になるところだが、蒸し返すのは止めておくべきだろう。
「閣下は?午後は如何に?」
「ん?ん〜」
どのように過ごすか?—と聞かれても、ノープランだ。全く何も考えていなかった。いや、汚水処理施設の改修案を煮詰めようとしていたのが、あっさりと終わってしまったため、手持ち無沙汰になった—と言うのが正しいか。メープルの原液を煮詰めるくらいしか、やることがない。
(でもなぁ…ロロナさんところには行きたくないなぁ)
ギルドに顔を出せば、碌なことにならないだろう。それに、ここ半年も町の工事について隠されていたであろうことを思えば、依頼に手をつけるのも癪だ。はっきり言って、気乗りしない。
「ふふふ、考えが顔に出ているでありますよ?大丈夫であります。ギルドには私一人で行ってくるであります」
「…す、すまん」
言葉少なく詫びて、クルスを送り出す。女性を働きに出して男が何もしないのはどうかと思うが、ギルドの仕事はやりたくない。俺達が瞬時に遠方へ赴ける手段を手にしていることを知るロロナは、ここぞとばかりに遠方の依頼を任せて—否、押し付けてくる。確かに大した手間にもならないのは事実だ。事実だが、少しは割増手当をくれたり、労ってほしいものだ。もっとも、ケイタイのことやら魔石の一切もお願いしてあったりする手前、俺もどっこいどっこいなのだが。
「さて、俺はどうするかな…」
テーブルの上の皿を重ねながら呟く。メープルの樹液は十分すぎる程に確保した。今年いっぱいは保つだろう。ナイセイルの現状を見て回る気は、今のところはない。それに関しては、余計なトラブルを避けるためにも、クローディアが手隙の時にした方が間違いないからだ。東の古城にも、もはや用はない。町の工事についても、俺の場合は、請われたら手伝うくらいにしておいた方が良いだろう。術者は引っ張り凧であろうが、ほぼ無尽蔵のMPなど、誰から見ても異常なのだから。
「これから地図作りにアンラへ向かうのも怠いし、少し暴れておきたいしな。…となれば、今日も聖剣の迷宮かなぁ…」
洗い終えた皿の水気を切って、籠の中に収める。ふと視線を移せば、タンパク質とビタミンは、仲良さげに猫団子を形成して寝ている。冬の終わりも近いが、まだまだ昼間であっても寒いということなのだろう。
「くく、可愛いな。じゃあ、行ってくるからね」
亜空間を開き、アビスのいた大霊廟へ踏み出す。亜空間の先でこちらを見つめる猫達へ別れを告げ、亜空間を閉じた後、改めて大霊廟の中を見回した。壁面を埋め尽くす精緻な細工は美しく、荘厳な竜の意匠は、アビスの真の姿と見間違う程の威容を誇る。支柱の一本一本に至るまで磨き上げられたかの如く輝き、心なしか以前来た時よりも美しくなっているかのような印象を受ける。
「主なき霊廟は寂しいものだな…」
誰ともなしに呟くと、霊廟を歩き始める。広い霊廟には俺の足音のみが響き、支柱に、或いは壁に反射して、無数の足音が耳に届く。それを少しばかり心地良く感じながら進んだ。
(さて…行くべきか…)
霊廟の真ん中にあるアビスのいた台座を超え、未だ一度も足を踏み入れた事のない通路を視界に収める。かつて、アビスが足を踏み入ることを止めた分かれ道だ。
(もう、ここ以外は全て調査した。後はこの先だけなんだよなぁ)
通路の奥に視線を向けたまま、腕組みして唸る。躊躇しているのは、通路の奥から漂ってくる瘴気の異様さ故だ。これまで俺が踏破してきた霊廟を思い返すも、それらとは、比較にならないほどの瘴気だ。通路ですら漂う瘴気が濃厚で、この奥に待ち受ける霊廟には、一体どれほどの敵が待ち受けているのか知れたものではない。成る程、かつてアビスが俺を止めたのも理解できる。
「…下手な事はするな—か。ま、見るだけ見たら帰ればいいか。…明日からは師匠の手伝いか、大人しくロロナさんの所に顔を出すかだな」
明日以降は辛い日々が続きそうだ—と、渋い顔を作りながら通路の奥へ踏み出す。クローディアの手伝いならばまだ良い。ギルドの仕事よりははるかに。できる事なら、クローディアが何かしら言いつけてくれる事を期待したいところだ。
(けれど、人足が入るらしいしな)
単独施工でもない限りは、俺の出番はないに違いない。クローディアのせっかちさは、俺を優に上回る。明日には大挙して職人達が押し寄せていることだろう。
(なら、地図作成か?…アンラは魔物も弱いし、どこまでも代わり映えしない景色が続くから、退屈なんだよなぁ)
ならば南に下り、森羅はどうかといえば、こちらはこちらで問題がある。延々と続く鬱蒼な森に、陰鬱な心持ちになることは想像に難しくないのだ。その上、森羅の人間は気難しいことでも有名であったりする。町を見て楽しむ—というのも難しいかもしれないため、できるならば後回しにしたい。いや、はっきり言えば、やりたくない。他の人間に任せたいところだ。
(…地図作成の一番の強敵が、モチベーションの維持だとは思わなかったな…)
はあ—と深い溜め息を吐きながら、通路の角を折れれば、その先に広がる光景の異様さに、思わず足が止まった。
「なんだこれ?…通路が…捻れてる?」
迷宮の雰囲気は、再び霊廟らしく暗く重苦しいものへと変わっていたが、角を一つ曲がった先の通路は、これまでとは明らかに違っていた。床と天井が、通路の途中で捻れ、上下が逆転していたのだ。床が天井になり、天井が床になる。その不可思議な光景に、しばし魅入ってしまっていた。
(どうなってる?)
壁に所々取り付けられている松明の炎は、その向きを逆転させ、俺から見れば、まるで天井から床に向けて炎が垂れ下がるかのように揺らいでいる。それだけに留まらず、たまにパラりと天井から床へと落ちる石やら砂は、俺から見て、床から天井へと昇ってゆくのだ。酷く不気味な光景に、歩みを進める勇気が出なかった。
「え…えと…俺もあそこまで行けば、上下逆転するのかな?」
結論から言うと、そんな事はなかった。俺は普通に床面となった天井を歩いている。梁やらに足を取られそうになり、非常に歩き難い。
「俺が持ち込んだ物は、どうなるのかな?—っと」
ふと思い立ち、亜空間から本を取り出すと、パッと手を離してみた。たちまち本は昇ってゆき、天井となった床面へ張り付いた。どうやら、俺が手にしているうちは俺と同様の扱いであるものの、俺が手放せば、迷宮のルールに縛られるようである。
「気持ち悪…」
渋い顔で呟き、ぴょんと飛び上がって本を掴む。掴み上げた本が正しく俺の制御下に戻った事を確認すると、亜空間に収納して歩みを再開した。
さて、迷宮の通路自体は、これまでのものと変わらない様に見受けられる。話に聞く限りでは、他の地にある迷宮などでは、罠の類があるらしい。この迷宮においては、罠など見たこともないが、それでも初めて歩く通路である。走るような真似はせず、罠を警戒して慎重に歩く。もっとも、この迷宮に至っては、そんなものはないだろうと思っているが。
「…霊廟だ…」
やがて、通路の正面が開け、その先に霊廟が現れた。魔力鎧に、戦棍を作り出して、ゆっくりと近付くことにする。血統武器は、余計な補助効果があるため、今回はパスだ。
「チッ、なんだありゃ」
霊廟内にいるのは、一見するとスケルトンの一種であるように見受けられる。牛の頭骨らしきものに山羊を思わせる捻れた角のついた頭部に、襤褸を纏ったスケルトンだ。頭部のサイズ的に、襤褸は大体腰の辺りまでしか覆っていないと思うのだが、その下に見えるはずの下半身は見当たらない。どうやら、上半身だけが浮遊している魔物であるらしい。さらに、スケルトンの周囲には、六本の腕が俺同様、宙に浮かんで蠢いている。間違いなく高位の不死系魔物。それも、ここまでとは比べ物にならないくらいにだ。そんな奴らが、例によって無数に天井となった床面付近をフヨフヨと動き回っていたりする。色々な意味で“なし”だ。
「戦闘になったら、上下逆さまの奴を相手せにゃならんのか…」
一度、大きく息を吐いてから、霊廟へと踏み込んだ。即座に魔法により氷を作り出し、無数のスケルトンへと向けて乱射する。瞬く間にスケルトンの山は凍り付き、或いは闇の帯に巻き取られ無力化されてゆく。死霊騎士のような反射効果を持たなかったことには、僅かに安堵した。
(結構残ったな)
だがしかし、ほぼ片付いたと思いきや、氷の檻を砕いて這い出てくる者、あるいは、闇の帯を振り解いて突っ込んでくる者とていた。俺の必勝パターンが力尽くで破られたことには大いに驚くも、それで取り乱すほど素人でもない。
(これはきついな。久しぶりに際どい戦いになりそうだ)
迫りくる腕を躱し、叩き落とす。背中に衝撃を感じて振り返れば、どうやら俺の背中めがけて、何か魔法でも使っていたらしい。煙を立ち昇らせた腕が、床に落ちていた。
(ははっ、処理しきれねぇ)
アビスの言葉は、ある意味では正しかった。確かに、あの時の俺では、一人では無理があったろう。だがしかし、こんな地獄を思わせる場所へ、クローディア達を連れてきたいかと問われれば、イエスと言えるはずもない。これはクローディアには無理だ。ファーレンも危ないかもしれない。耐えられるとすれば、クルスくらいか。
(腕の数が多い…これは…)
六本の腕があらゆる角度から俺へと迫るが、近場の本体の数と照らし合わせると、明らかに多い。考えられるのは一つ。氷の檻へと閉じ込めた奴らは、まだ息があるのだ。そして、この腕は、俺のものと違い、射程が馬鹿みたいに長い。
「舐めるなくそがっ!」
俺の腕とて六本ある。副腕を展開し、これでもかと襲いかかってくる腕を弾き飛ばした。防御は腕が六本あれば十分な様子だが、逆に言えば腕を使った攻撃手段は取れない。これには参った。
(…試すか)
腹の底に力を入れて、魔力の大量消費に備えるべく身構えた。やろうとしているのは、ザリチュの権能の行使だ。おいそれと頼っていい力でもなかろうが、この場には俺一人しかいない。ならば、遠慮など不要だ。
(この牛骨共を風化させろ!)
体内からごっそりと魔力が失われると同時に、周囲を漂っていた腕が朽ち果てる。思ったより効果が高かったため、少しばかり周囲の様子を窺えた。
(氷が破られてる…ゴリ押しは無理か)
広範囲にばら撒いた氷は、巨大な氷壁を作り上げていたが、その中に残っている牛骨はごく僅かであり、大半の者は氷壁を破壊して、こちらへと向かってきている。
(ピンチだな)
言葉とは裏腹に、頬は緩みっぱなしだったりする。やはり、強敵はいい。ザリチュなどより、よほど手強い数の暴力。気を抜けば、立ち所に俺はやられることだろう。
「いいさ!いつも通り、ひっくり返してやる!」
横から飛び出てきた牛の頭骨を掴み、魔石ごと吸収する。腕の紋様が光り輝き、新たな力を宿したことを知らせていた。




