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ハルワタート、顕現する

「おや?…珍しい」


 自室のドアを開けると、中には客がいた。クローディアである。どうやら本を探しているらしく、俺が帰ってきたことにも気が付かず、熱心に本棚を漁っている。そのまま見ていても面白そうだが、散らかし魔のクローディアのことを思えば、無駄に荒らされるのは面白くない。素直に声をかけることにした。


「師匠、どうしました?」

「おお、オサカか。すまぬ、勝手に本を漁らせてもらっておるぞ」


 クローディアはこちらへ振り返りもせずに受け答えしてくる。余程急ぎなのであろうか。こうなると気になるのが人間という生き物である。俺は再びクローディアへと尋ねた。


「何を探しているのですか?」


 ようやくクローディアは俺へと向き直るも、視線は未だに本の背表紙を追っていた。


(…なんだよまったく。仕方ない人だな)


 何をそれほどまでに急いでいるのかは知らないが、一度始めると、一区切りつくまでは手を止めたがらない魔人族の性だ。邪魔するよりかは軽く手伝いつつ、聞き出した方が早かろう。


(人のことは言えないけれど、師匠も割と癖あるよな)


 苦笑しつつ、手伝うことがないか?—と尋ねれば、やっとクローディアは俺に視線を向けた。それが少しばかり嬉しく感じられて、俺は犬か—と、内心で戯けた。


「うっ!?」


 だがしかし、クローディアへと近付いてみれば、彼女もまたファーレン同様の異臭を放っているではないか。思わず立ち止まった。

 そんな俺の反応に、クローディアはジト目を作ると、吐き捨てるかのように言った。


「…地下の汚水処理施設の改修を頼まれたのじゃ」

「…え?あ、そうなのですか?」


 一瞬、何を言われたのか分からなくて、反応が遅れた。俺達は大工ではない。実績などほとんどないが、それでも冒険者である。その冒険者に、汚水処理施設の改修を頼む輩がいるらしい。ロロナだとは思うが、何故そんなことになっているのか。クローディアの発言の続きを待った。


「この町の人口が、急速に増加しておるのは知っておったか?」


 言われてみれば、繁華街がここ最近は混んでいるな—くらいには思っていた。けれど、人口の増加など考えたこともなかった。


「ほれ、農園じゃよ。試しにやってみたら、瞬く間に野菜類ができたじゃろ?それも、唸るほどに美味なやつじゃ。そのまま売り捌いても良かろうと思ったのじゃが…あれを元手にして、領の村々の者達を、メットーラに集めることにしたそうじゃ。既にほぼ全ての村は移住を済ませておる」


 へえ—と声を上げる傍で、頭を働かせた。メットーラの東に、領主の許可を得て農園を作ったことは把握している。近隣の野菜の苗を仕入れたばかりか、ナイセイルの山中にあったものも、請われて俺が持ってきた。ではお手並拝見と、様子を見ることにしたのだが、その3日後には、丸々と大きく実った野菜類を抱えて、アムルタート達がやってきたから驚いた。


「あまりアムルタートを表立って動かす訳にもゆくまい。聞けば、時折アムルタートが力を注ぎ込めば、普段の手入れは人の手でも十分にこなせるそうじゃ。ならば、実りがあるか分からぬ土地を耕すよりも、確実に実りが得られると分かっている土地に力を入れる方が良かろう—と、領主は判断したようじゃ」

「…え?領主?ロロナの旦那さんのですか?」


 思わず尋ねれば、他に誰がおる?—と、呆れたかのような視線を向けられた。


(…ロロナさん、俺達のことを旦那に話したのか?)


 普通、3日で野菜が余るほど実った—など誰が信じよう。確かに現物はあるかもしれないが、それとて、田舎の貴族を騙くらかして、金をせしめるために買い揃えたと考えた方が自然だ。それを思えば、それが事実である—と、信じるに足る材料を与えた者がいることに他ならない。


「…難しい顔で考えておるところ悪いが、裏などないぞ。わしが許可した」

「なっ!?」


 俺の表情から考えを読み取ったらしいクローディアは、悪びれもせずに言って退ける。流石にこれはどうなのか。苦言の一つでもと考えたが、まあ落ち着け—と、クローディアは俺を制してくる。一先ずは、クローディアの言い分を聞くことにした。


「その反応を見るに、やはり知らなんだか。…黙っておったのは詫びる。いや、意図して黙っていたわけではない。すっかりと忘れておった。知っているものと思っておったし、第一、お主はいつもおらなんだからの」

「…確かに」


 言われてみれば、夏からこっち、俺はいつもどこかしらに出かけていた。たまに帰ってきても、冒険者として活動していたため、クローディア達と共に行動することがなかった。パーティとしてどうかとは思うが、クローディア達も忙しそうであったため、特に気にもしていなかった。


「魔人族の目のことは話したか?」

「魔眼ですよね?」


 俺が尋ね返せば、クローディアは首肯する。魔人族の緑の眼は、何かしらの異能を持つ魔眼だ。まだ出会って間もない頃、人種についての講義を受けた中で、クローディアはそのことについて言及している。ただし、己の魔眼の能力については語らなかったため、言いたくない理由でもあるのかと考え、今日まで聞いたことはない。


「わしの魔眼はな、僅かに先のことが見える。未来視—とでも言えば良いかの。野菜のことがあってすぐ、ロロナに尋ねられたわい。旦那にあんた達のことを話したい—との。その時に未来視を使ったが、よくない未来は見えんかった。アビス様にも尋ねたが、良かろう—とのことじゃったから、わしらのことを伝える許可を出した」

「…そんなこと…誰も教えてくれませんでしたよ…」


 思わず力が抜ける。八つ当たりのようにクローディアへジト目を向けてぼやけば、クローディアはくつくつと笑った。


「おおかた、誰か話したと思っておったか、お主が聞いておらなんだか。あるいは、お主に告げるのが怖かったのじゃろう」

「こわい?…ばかな」


 クローディアの言に面食らって目を見開くも、仏頂面を引っ込めてから言え—と、クローディアはさらに笑う。これには何も言えなくなり、俺はガリガリと頭をかく。それにしたって、半年も知らされていないのはあんまりだと思う。すれ違いになることは確かに多かったが、たまに顔を合わせた食事の時にでも、言ってくれれば良いだろうに。


「話を戻すぞ」

「…はい」


 クローディアの言うところの仏頂面を作り、あからさまに不貞腐れてみせれば、クローディアは吹き出す。お主、ええ加減にせえよ—と、目元を拭いながら笑うクローディアの姿に、溜飲が下りたため相好を崩した。


「はあ、まったく。…この町の汚水処理施設は、今の人口を賄いきるには小さくての。そこにきて、税収分を含めても、今年は金が随分と余ることになった。その浮いた金で、汚水処理施設を大型化する事が決まったそうじゃ」

「なるほど」


 言っていることは分かる。何もおかしなことはない。けれど、それにクローディア達が関わってくるとなれば話は別だ。予算云々など冒険者には微塵も関わりのない事だからだ。大型工事など勝手にやればよい。何故、クローディアやファーレンが異臭を漂わせる事になるのか。


「金がやたらと余った背景にはのぅ、何処かの農園から、季節を問わずにポンポン取れる不思議な野菜による輸入コストの低下や、輸出による税収入の増加。上質な死霊騎士(デュラハン)の武器防具による税収入の大幅増加。更には付近一帯の魔物を、日々捕食する巨大な鶏が齎す、安全性の確保による警戒態勢の縮小、輸送コストの低減が挙げられておる。人口増加も言ってみれば、これらが主な理由じゃ。そこに目をつけてか、利に聡い者達が流れ込んできてもおるしの」


 クローディアの語った内容は、全て覚えがある。わざわざ確認するまでもなく、俺達の仕業だ。

 不滅を司るアムルタートの神力により、アムルタートの手が触れた土で育てる野菜は、瞬く間に育ち、かつ味も良く、更には作る季節を選ばない。クローディアの語るところによれば、メットーラはここ最近、野菜の買付に来る商人達で溢れかえっているらしい。冬だというのにご苦労なことである。


(冬に外を出歩いている俺の言えたことじゃないけどな)


 ちなみに、農園は立ち所に大型化し、今では町の住人達も働き手として出入りしているとか。貧民街の住人達が主な担い手であるそうだ。体の不自由な者にはクローディアとクルスが補助具を作り、大変感謝されているらしい。

 死霊騎士(デュラハン)の武器防具は、当然、俺の仕業だ。デュラハンという不死系魔物(アンデッド)自体がそうそう出現しない高位の魔物であり、更にはその武器防具が新品としか思えない程の綺麗な状態で市場に出回ったのだ。冒険者ギルド内では、外部からやってきた冒険者達が増えた気がしていたが、未開の大森林で死霊騎士(デュラハン)が出現するという噂が流れているらしい。

 次いで鶏に触れよう。メットーラは辺境都市であるため、町周辺に生息する魔物も、護衛なしで歩く事すら難しいほどに強い。だが、そんな魔物達を日々捕食して歩く、頼もしい鶏がメットーラには生息している。既にサイズ的な問題で小坂邸には収まらなくなり、秋の終わり頃からはメットーラの守り神として、中央公園に鎮座している。皆から崇められ、そのふかふかの体毛と人懐こい蛇頭は子供達の絶好の遊び場になった、我らがヒヨさんである。ちなみに、鶏ではなく、混成獣(キメラ)種のコカトリスだ。それはさておき、かの御仁のお陰により、町の内外を問わず、安全性は格段に高まっている。町中で悪漢に襲われても、ヒヨさんの名を叫べば何処からともなく駆けつけ、それは町の外にいても変わらない。まさにヒーローである。日の出とともに鳴く声が喧しいのが唯一の欠点か。


「…なんとまあ」

「わしも改めて聞いた時には驚いたわい」


 そんな訳で、噂を聞きつけた者達はこぞってメットーラの門を叩く。今やこの町は、安寧を求める農夫から利益を追い求める商人、強力な武器防具を欲する武人や冒険者に至るまで、様々な人間が集う町になっていた—らしい。


「そういう事情での、施政者側からすると頭が痛いのよ。道の拡充、家屋の増設、城壁の拡張、そして何より汚水処理施設の大型化が急務じゃ…実際、町のそこかしこで糞尿が目立ってきておるじゃろ?もう処理施設はパンクしておるのよ。外で垂れ流すしかない状況じゃ。予算は余っていても人手が足らん」

「…あ〜、そうですか…」


 クローディアの言う通りだ。ここ最近のメットーラの町は、どこを歩いていても糞尿の臭いを覚える。流石に表通りには実物が転がっていたりはしないものの、一本裏通りへ入れば、そこかしこに糞尿を垂れ流した跡はある。町中の清掃という、アーサーさんへの指名依頼が出るほどだ。


(…これは、ヤバい流れだぞ…)


 そして俺は後悔していた。不用意にクローディアへ声をかけたことをだ。見たい本があるならば、探すのを手伝いますよ?—くらいの軽い気持ちで声をかけたのだが、クローディアはガッツリとここまでの経緯を語った。それが何を意味するのか、分からないほど子供ではない。


「それでもやらにゃならん。故に、わしらに白羽の矢がたった。お主らが招いた事態なんじゃから、お主らがなんとかせい—という乱暴な話じゃな。定期的に行われる、各ギルド長会議の場で決まったそうじゃ」


 クローディアの言に、呆れて嘆息した。何がギルド長会議か。実際にはロロナの一声だろう。きっと、何もかもが嫌になって、俺達に押し付けたに違いない。ここまでの流れを、半年も知らされていなかった理由が分かった気がした。


(くそが…やられた…)


 思えば、俺達が冒険者として活動していないことに対して、あのロロナが大人しくしているはずがない。何かしら小言を言うに決まっている。俺達の事情を鑑みて遠慮しているのかも—などと考えていたが、そんなことではなかった。俺のあずかり知らぬところで、着々と外堀は埋まっていたに違いない。


(仏心なんて出して、たまに依頼を受けていたのが馬鹿みたいだ…)


 逃げよう。クローディアには悪いが、関わりたくない。大丈夫。俺抜きでもクルスがいれば、異世界の知識は事足りる。大型工事だろうが、世界征服だろうが、彼女一人で十分だ。


「頑張ってください」

「鬼かお主は。当然お主もやるんじゃよ」


 なるべく自然な流れで逃亡を謀ろうとしたのだが、あっさりと回り込まれる。軽く杖で小突かれた後に聞かされた話によれば、既に俺も戦力としてカウントされているらしい。やっぱり知らされていなかったのは、わざとだ。絶対にわざとだ。


「じゃあ、汚水処理施設はお主に任せてよいか?」

「よりによってそこ!?」


 思わず上擦った声が出た。百歩譲って臭いのは我慢しよう。けれど、臭いが付くのは嫌だ。遠慮したい。


「ならば、わしらが臭くなれば良いのか?」

「うっ!?ひ、卑劣な…」


 クローディアはニヤニヤと笑いながら、意地の悪いことを問うてくる。こう言われては、見て見ぬ振りもできようがない。俺がやるしかなかろう。


「はぁ…で?どのくらいまで拡張するつもりですか?」


 観念して尋ねれば、クローディアはお手上げとばかりに肩を竦めてみせた。


「いやぁ、正直言って、想像もつかんのぅ。お任せでなんとかできんか?」

「ええ?そこから?」


 非難めいた声を上げるも、これは仕方なかろう。現在の人口が如何程で、これからどれほどの増加が見込めるかなど、分かるはずがない。税の都合により、領主館ならばある程度は把握できているかもしれないが、それとて過去のものであり、税収の見込めない者達までは把握できていないに違いない。さらには商人などの流動する人間も加味せねばならぬとあっては、もはや地下は全て汚水処理施設にした方が、楽なのではないかとすら思える。


「町をどこまで広げるか…それを見越して作らないといけないですね。二度手間も嫌だし。そうなると…うーん、水路とか作らなくてはならないかな」

「水路じゃと?何をするつもりじゃ?」


 俺の独り言に、クローディアが胡乱げな視線を向けてくる。クローディアに説明すべく、己の考えを整理した。


(上下水道を設けて、汚水処理施設を拡充。後は…ああ、そもそも川をどうする?東の大河は遠すぎる…けど、そこしかないんだよな…)


 水路を作るなどというのは、簡単なことではない。それは、俺であっても変わらない。河川から支流を作り、それをメットーラまで引いてこなくてはならないばかりか、それを綺麗にして、再び河川へと戻してやらねばならない。現在のメットーラは、周囲に川はなく、水は地下水と雨水、そして水魔術に頼っている状況だ。以前、何かの話の中で聞いた中では、開拓時代は河川があったらしい。開拓の影響か、あるいは自然的なものかは不明だが、干上がってしまったそうだ。


「こちらの汚水処理施設は、汲み取っての埋め立て式でしたよね?いっそのこと全て水洗にして、臭いを水の中へと閉じ込めてしまいましょう。汚水処理施設を完全な水洗にするのですよ。我が家のように」


 小坂邸のトイレは水洗である。俺とクローディアの合作だ。水だけは魔術で補充せねばならないが、そこは全員が難なく?こなせる我がパーティ。問題はない。ちなみに、使用後の汚水を処理するのは、アーサーさんが連れてきたスライム達だったりする。配下なのか、分裂した分体なのかは定かではない。


(そうだよな。浄化槽を作って、そこでスライムを飼育すればいいんだよな。他の町はそうなってるんだったか。同じにしちゃえばいいじゃん)


 メットーラは田舎町であるが故に、そういった点は一段劣る。これを解消しさえすれば、かなり状況は改善すると思われる。ところが、これにクローディアが苦い顔を見せる。思いがけない反応を訝しむと、クローディアは苦笑いしながら尋ねてきた。


「その人工はどこから出る?しかも、どれほどの月日が必要になるのじゃ?そんな悠長な時間はないと思うぞ?」


 そう言われては俺も諦めざるを得ない。良い手だと思ったのだが、よほど急務であるらしい。練り直しだ。しかし、だからといって、はいそうですか—と、聞き分ける俺でもない。やはり水洗は魅力的だ。いずれは水洗化したい。そのための布石を打つくらいなら、許されるのではなかろうか。


「うーん、ですが…新たに増やす区画に関しては、水洗でも良いのでは?」


 言い縋るかのように女々しく提案してみれば、クローディアはしばし考え込む。検討してはくれているらしい。


「そこについては一考する価値はあろう。じゃが、今回は本当に時間がない。はっきりと言えば、お主に期待されておるのは、工事を楽にする、あるいは短縮する施工方法の提案じゃ。もしくは、そのデタラメなMPを用いた単独施工じゃな。今は余計な真似はせん方が良かろう」


 一体、誰が俺にそんな巫山戯たことを期待しているのか。まあ、大方ロロナ辺りだろうけれど。表面上は平静を装いつつ、今に見ていろよ—と、内心で毒づきながら首肯する。なんとしても水洗化を進めてやる—と、ひっそり上下水道を完備する計画を練ることにした。


(まあ、一先ずは普通に広げれば良いか。それだけなら、そう苦労はないかな)


 もう、この辺り一体の地下は、何も考えずに汚水処理施設にしてしまっても良いだろう。最終的には水洗化の工事を行うため、管路だけは設けておいて、後はガンガン掘り進めてしまおう。土魔術による補強があれば、地震も怖くないのだから。


「で、結局、師匠は何の本を探しているのですか?」


 悪巧みが一区切りついたことで、当初の疑問を思い出した。おお、そうであったな—と、本棚に向き直り、背表紙を指で追いながら、クローディアは告げてくる。


「土魔術を用いた、石壁の効率的な作り方やら、楽な魔力運用についてのノウハウが書かれた本があったじゃろ?あれ、どれじゃったかな?」


 クローディアの探している本は、この国の錬金術についてまとめられた一冊だ。クローディアの見ている本棚とは別の本棚から、希望の本を取り出して渡した。


「ぬ?錬金術の本じゃったか?」

「そうですよ」


 手渡した本に語らせるところ、土魔術を用いて石壁を作る際の注意点は、何処から石を持ってくるかを、きちんと術の中で指定しなくてはならないことであるらしい。手持ちの石を使うのか、土の中にある鉱石の成分を抽出して使うのか、或いは元からある石壁を薄く広げるのか—等々、様々なケースで最適な魔法陣や硬化の手順が記されている。元々は防衛戦における錬金術の魔術的な運用を認めた本なのであるが、なかなかに記述が細かく、本文中の一節に過ぎない石材の運用という一点において、俺のハートを射止めたニッチな著書であったりする。


「おおっ!確かにこれじゃ!うむうむ。これを書いた奴は天才じゃと思うぞ!馬鹿だとも思うがな!」


 クローディアは呵々と笑って本を亜空間へとしまい、俺に礼を告げて部屋から出てゆく。入れ替わりに入ってきたアーサーさんが部屋の中を飛び回ると、顔をしかめるほどだった異臭は、瞬く間に消えた。


(さてと、じゃあ明日から働くとして、今日はのんびりしよかな)


 そして俺は腰が重い。せっかく湯を浴びたのに、今から働くなど考えたくない。図面を書き起こすのも、現場の調査も明日以降で良いだろう。読みかけの本を亜空間から取り出し、ベッドに横になった。


『ちょ、ちょっと!少しは私に構いなさいよ!ねぇ!』


 ゲームが一区切りついたのか、騒がしい奴が声を上げ始めた。餌を強請る雛鳥の如く、ピーチクパーチクと煩いハルワタートを無視すると、そのまま寝るまで読書を続けた。






「お手伝いします」

「ん?ああ、助かります。ファーレンさん、教えてあげてくれますか?」

「お安い御用ですよ!」


 朝、ファーレンと共に調理場でパンを焼いていると、アムルタートが手伝いを申し出てくれた。アムルタートのことはファーレンに任せて、俺は珍しく朝市に並んだ卵の調理にとりかかることにした。


「こうやってこねてください!こう!こうです!」

「け、結構難しいんですね…」


 チラリと視線を向ければ、ファーレンは曲芸じみた生地のこね方を披露していた。ピザでも作るつもりなのか、指の腹で、くるくると薄く伸ばした生地を回している。アムルタートはついてゆくのに精一杯だ。


(何をしてるのか…)


 それでも楽しそうな二人の様子に満足しながら、手早くオムレツを作る。いつもよりも賑やかな調理場の隅では、二匹の猫が暖を取るべく丸まっていた。


「お待たせしました」

「今日のパンは自信作です!きっと美味しいですよ!」


 ファーレン、アムルタートらと共に食堂へ赴けば、既に三人は集まっていた。けれども、クローディアとクルスは実に眠そうだ。またしても夜更まで仕事をしていたらしい。またか—と、嘆息した。


「…いつも言ってますが、寝る時間はちゃんと確保してください。睡眠不足を侮ってはいけません。程度によっては、判断力が半分以下まで落ちるのですよ?」

「あー、言うな。分かっておる。朝食をいただいたら、わしとクルスは一旦休む。根を詰め過ぎたわい」


 俺の小言を、聞き飽きたとばかりに遮るクローディア。こういう時にだけ立場が逆転するのは面白いが、こうも夜型生活が続いては、二人の身体にも少なからず影響が出ているに違いない。いくら年を取らないホムンクスルの肉体とはいえ、ダメージはあるのだ。


「アビスさんからも何か言ってやってください」

「うあっ!?わ、我であるか!?」


 暖簾に腕押し、糠に釘。豆腐のかすがいなどとも言うが、口煩く言い過ぎたのか、この手の話はクローディアが聞いてはくれなくなった。となれば、アビスから注意してもらうしかないだろう。


「あー、うむ。ちゃんと身体は労わるであるな。二人とも、目の下が凄いことになっているである。こればかりはオサカの言うことが正しいである。人の身体は、昼起きて夜寝る具合にできているであるな。逆転はよろしくないである」


 途中までは頷きを返していた俺であるが、“こればかりは”は余計だと思う。思わずジト目でアビスを見た。


「ま、まあまあ。とりあえず食べましょうよ。大師匠もクルスさんも、食べたら少し休んでくださいね?」

「すまぬな、ファーレン」


 ファーレンが俺を宥めにかかり、朝食をテーブルへ並べ始めた。こうなっては説教は続けられまい。早く食べて、寝てもらうことにしよう。なお、ずいぶんと大人しいクルスだが、実は半分寝かかっている。夜更どころか、二人は徹夜していたのかもしれない。

 

「で、どこまで進んだんですか?」

「あー、うむ。構造の簡略化は終わったとみてよい。軽量化にも成功し、使用者からは本物の腕と遜色ないと評価されておる。今やっておるのは、町の鍛冶屋に作らせるための鋳型作りじゃな。並行して、神経回路と義手を連結させる魔力回路の改良もじゃ」


 俺はてっきり、二人は町の工事に関する仕事をしているものと思っていたため、この発言には面食らった。クローディア達は義手作りに励んでいたらしい。


「これが難儀しておる。何せ神経回路と言われても、わしにはピンとこないからの。この部分の魔術式は、クルスのセンスに頼らざるをえないのじゃ。使用者の意見をフィードバックさせて、少しずつ調整を繰り返しておる状況じゃよ」

「神経回路と義手の魔力回路をリンクさせるのであります。それにより、義手は本物の腕のように動かすことが可能になるのであります。しかし、魔力繊維を用いた人工筋肉もでありますが…それよりも魔力式が煩雑化しやすく、魔力消費がバカにならないのであります。なんとか、一般人でも使用に耐えうる消費魔力量へ落としたいのであります」


 ここはクルスも目を覚まして、クローディアの後を継ぐ。ずいぶんと凝った義手を作っているらしい。そして、その瞳は見たことないほどに、生き生きとしていた。


「…俺…何も聞かされてない…」

「ま、まあまあ。便りがないのは元気な証と言いますし」


 本物の腕さながらのように動かせるとなれば、可動部は複雑な機械構造を持っているに違いない。神経回路と魔力回路のリンクとてそうだ。その上、魔力繊維?人工筋肉?何やってんの二人とも?


(凄く楽しそう…)


 もの凄くやりがいのある仕事に違いない。少し前までならば、その手の仕事は俺とクローディアが主導で行い、クルスは後ろで見ているだけだった。それがどうだ。俺のあずかり知らぬところで、俺の全く想像できないような技術が生み出されていたらしい。少しだけ面白くなく、ボソリと不満を口にすれば、耳聡く拾ったファーレンが慰めてくれた。


「さ、さあ。とりあえず食べましょう。オサカ様の作ってくれたオムレツが冷めてしまいます」

「ほははひへはふ!」


 俯いて立ち尽くす俺に着座を勧めるアムルタートの横で、お代わりである—と、皿を俺に突きつけるアビス。彼は本当にブレない。


「もっと私を頼ってもいいのですよ?」

「お主はお主で忙しいじゃろが。何をしているのかは知らんがの」

「閣下のお手を煩わせるまでもないのであります」


 アビスへオムレツのお代わりを手渡しつつ告げるも、クローディアには素気無く切り捨てられ、クルスには無用の気を遣われた。


「それに、お主にやらせては、腕が腕でなくなるからの。こう、いきなりガシャっと展開して、クルスよろしく銃とか出てきそうじゃ」

「なっ!?」


 もぐもぐとパンと食べつつ、クローディアが痛いところを突いてくる。そりゃやるに決まってるだろ。男のロマンだぞ。


「そんなのは不要じゃよ。だからお主の出番はないわい。そもそも、お主こそ普段何をやっておるのじゃ?」

「うはは!このパーティには、報連相が足りておらぬであるな」


 クローディアも、日頃の俺の行動を把握してはいないらしい。まあ、聞かれもしなかったから殊更に告げることもなかったのだが、これをアビスが盛大に笑い飛ばす。確かにその通りだ。なぜ、パーティを組んでいるのに全員が個人プレイなのか。そのあべこべがおかしくなり、俺も笑った。


「くくく。いや、アビスさんの言う通りですね。私は地図の完成目指して、各地を歩いておりました。それと、聖剣の迷宮から他大陸へ渡るべく、少しずつ歩を進めております」


 亜空間から地図を取り出して皆に見せれば、ほぅ—と、感嘆の声が上がる。メキラ王国はオートメラ領まで完璧に描かれており、ほぼ完成。アンラ神聖国についても、アンラ大平原の穀倉地帯が半分以上埋まっているのだ。大いに驚いてくれたらしい。


「…メキラの王都はメルアルドじゃったか?何故ここには行っておらんのじゃ?」

「田舎者の冒険者に務まる仕事なんかない—と、門兵に追い返されました」


 俺の発言に皆が笑う。お主、大人になったのぅ—などと言い、クローディアが一番声を上げて笑っていた。駄々をこねて暴れるとでも思っているのだろうか。失礼な。


「それなのですがね…門兵の態度が、こちらを揶揄うようなものではなく、やめておけ!—と訴えかけるようなものでしたので…彼の言うことに従いました」


 門兵は俺の身分証を受け取るや否や、神妙な面持ちで俺を見て、頷いてみせた。それが何を意味するのか分からなかったが、そのすぐ後には、田舎者—と、馬鹿にされたのだ。先の頷きは、彼の中で精一杯のサインだったのだろう。俺が承知した旨を告げると、安堵の色を顔いっぱいに湛えていたのが証左だ。忍び込む選択肢とてあったのだが、門兵の気遣いを無下にする気になどなれなかった。


「…ロロナの言っていたことを思い出すであるな」

「…そうじゃのぅ」


 ロロナは以前、この国の窮状を俺達に明かした。メルアルドで見た、年若い冒険者を巻き込むまいとする門兵の姿勢は、それを思い起こさせるに十分なものであった。


(いつか、なんとかしてやらなきゃな)


 ロロナと交わした言葉を思い返して、深い溜め息を吐く。あの時は軽く言って退けたが、なかなかに大変な道のりだと思う。向こうから喧嘩をふっかけてくるように誘導しなくてはならないのだ。死霊騎士(デュラハン)の武具をあるだけ捌けば気を引くことは容易かろうが、売れば売っただけ、大陸各地に戦争の火種は増えることになる。優秀すぎる武具というのも考えものだ。


(そういえば、いくつかはばら撒いてしまったけれど、一体、誰が買ったんだろう?)


 死霊騎士(デュラハン)の武具は超高級品であり、一式揃っていれば国宝クラス。単品でもかなりの価格になるという話だ。そんなものを買える人間というのは、どれほどの大金持ちなのだろう。


(…考えても仕方ないか)


 そろそろ座らんか—と言われて、椅子を引く。クローディア達の話を聞いたからか、ファーレンの視線が凄い。もぐもぐとご飯を食べる傍で、早く聞いて—とでも言いたそうな表情を向けてきていた。


「ところで、ファーレンさんは普段は何を?」

「よくぞ聞いてくれました!」


 少し空気が重くなってしまったので、風通しを良くする意図も兼ねて、ファーレンに話を振る。ファーレンはリスの如く膨らませた頰を萎ませてから答えた。


「基本的には、ロロナさんのお手伝いをしてます。ギルド職員のアルバイトです」


 ファーレンの言に、俺のみならず皆が怪訝な顔を作る。なぜ職員のアルバイトなのか。そこは冒険者として活動しても良さそうな気がする。少し掘り下げてみることにした。


「なぜ冒険者として依頼をこなさないのですか?」

「ロロナさんがパンク気味なのです。秋口からは、ナイセイル大陸の資源も入ってくるようになったじゃないですか。そうすると、その利用方法を問い合わせに来るのです。ロロナさんのところに。その他にも、例のケイタイだとか、魔石だとかの件もありまして」


 ナイセイルといえば、その大陸の出身者がここにいるのだが、それは一般には知られていない。そうなると、食材にしろ、薬剤にしろ、各種レシピに生じた疑問点は、ロロナのところに尋ねにゆくのだろう。


「…ロロナさん…答えられるのですか?」

「いえ。ですから、ちょくちょくオサカ邸に来てますよ」


 クローディアに視線を向ければ、頻繁にな—と、渋い顔をみせた。どうやら、またしてもロロナの仕事を増やしてしまったらしい。頭を抱えたロロナを想像し、内心で詫びた。


「最後は我らであるな」


 アビスが快活に声を上げてアムルタートに視線を送れば、アムルタートもそれに頷いて返す。この二人は農園の一切を取り仕切っているはずだ。面白い話が聞けそうだな—と、俺も表情を和らげた。


「我らは農園の管理をやっている訳であるが、これが意外に暇であってな…」

「ここ最近、働き手が増えまして。私はともかく、アビス様のような高位の方にさせられるような仕事がなくなってしまったのです。そうしたら、アビス様はよほど退屈だったのか、穴を穿ち、温泉を掘り当てまして」

「うむ。まだ手持ちが少なく、共同浴場を使えない者達が、喜んで湯に浸かってゆくようになったである」


 穴を掘ったではなく、穴を穿ったらしい。何をしたのかは知らないが、実にアビスらしい。


「魔物とか、大丈夫なのですか?町の外でしょう?」

「それは精霊石を配してある。問題ないであるな」

「最近では農園に住みたい—という方々も出始めて、簡単ですが小屋を設けましたところ、小さな集落みたいになってしまいました」


 アムルタートの言に、興味をそそられた。農園はメットーラの東にあるが、町を出てすぐ見える場所にある。今度、様子を見にゆくことにしよう。


「農作物の方は?」

「この大陸で手に入るもの、オサカ様がナイセイルから持ち込んだもの。これらは常時収穫できる体制が整っております。これらの農作物は、ロロナ様や農耕、商人ギルドを通して、各地に安価で販売しております。もちろん、各地の農業に支障が出ないように取り計らってもらっております」


 アムルタートの報告には、文句のつけようがない。すっかりと満足した俺は、いいことでも言って、締め括ることにした。


「報連相はやはり大切ですね。今後も、皆で集まった時には、仕事の報告をするようにしましょうか」

「何を言うておるか。この半年だって、皆で集まった時にはちゃんとやっておったに決まっておるじゃろ。お主一人が上の空だっただけじゃ」


 ところが、クローディアが横から口を挟み、その内容に俺は驚嘆の声を上げる。皆の顔を順に見るが、誰もが苦笑を返してきた。本当に俺が聞いていなかっただけらしい。


「…そ、それは失礼しました…」


 ハルワタートが俺の中に居着いてからというもの、一人の時間はすっかりなくなった。きっと、それがせいで疲れているのかもしれない—なんて思った。


「そういえば、今日のオサカ様は、実に晴々としていますね?」

「本当じゃよ。途端に覚醒しおって」


 アムルタートが不思議そうに首を傾げ、クローディアがジト目を向けてくる。ここ最近の俺は、そんなに酷かったのだろうか。ここは少しでもポイントアップのために、言い訳させてもらおう。


「今日はね、彼女が大人しいんですよ」


 彼女というのは、言うまでもなくハルワタートだ。


「え?お、お姉様が?…な、何かあったのですか?」

「あ、いや。そういうことではないと思いますよ。DVDでも見ているのでしょう」

「でぃーぶい…なんじゃ?」


 しかし、言い方がよろしくなかった。途端にアムルタートが不安げな表情を作ったため、慌てて何事もないと否定する。DVDにクローディアが反応しているが、それは後回しだ。


「あー、えっと…ともかく、ハルワタートさんは順調に回復していますから。何も問題ありませんからね—」


 アムルタートを安堵させるべく、必死に言葉を重ねる。アムルタートは未だに眉を寄せており、なんと言えば誤解を与えずに納得してもらえるか?—と苦慮していると、唐突に視界がぶれた。アムルタートのみならず、周囲の景色がぐにゃりと歪む。強い目眩を感じてふらつくも、テーブルにしがみつき、なんとか倒れずにすんだ。


「オ、オサカ師匠!?」

「…いや、大事ない。大丈夫…大丈夫だ」


 ぐらりぐらりと揺れる視界を瞼で覆い隠し、ファーレンを手で制する。何が起きたのか?—と、よくよく俺の身体に意識を向ければ、夥しい量の魔力が失われていることに気が付いた。どうやら、この目眩は、軽い魔力枯渇によるものであるらしい。


「みんな、待たせたね!」

「お姉様!」


 背後から聞こえた声に、アムルタートが声を上げて立ち上がったようだ。足音を追うに、そのまま俺の背後へ回り込んだらしい。


「お姉様!ご無事で!?」

「うん。心配かけてごめんね」


 どうやら、姉妹は再会を喜びあっているようである。それは構わないのだが、少しは俺のことも気にかけてほしいものだ。ごっそりと人の魔力を奪っていきやがって。


「…か、閣下?」

「大丈夫であるか?」


 ようやく事態を察したらしいクルスとアビスが声をかけてくれる。目眩も次第に治り、ようやく不快感が薄れてくれば、問題ない—と、顔を上げた。


「…魔力枯渇とは…そんなに短時間でどうこうなるものではないのじゃがのぅ」

「さすがですオサカ師匠!」


 呆れ返るクローディアとファーレンには視線だけを返し、背後に向き直る。そこには、感涙を浮かべて姉に抱きつくアムルタートと、不敵に笑うハルワタートがいた。


「ふふん!ついに顕現してやったわよ」

「一先ずはおめでとうございます」


 何を勝ち誇っているのかは知らないが、物申さずにはいられない。ゆっくりと立ち上がり、ハルワタートに近付いた。


「何か言うことがあるのではないですか?」


 続けてハルワタートに声をかければ、アムルタートはハルワタートから離れる。うんうん—と、まるで俺とハルワタートを祝福する仲人の如く優しげな笑みを浮かべているが、俺がハルワタートに向けている感情は、その手のものではない。ハルワタートとて、そんな表情を見せてはいない。アムルタートの期待する流れにはならないだろう。


「…そうね。とりあえず、礼をしなくてはね。ありがとう。助かったわ。後は、そうね…散々私をコケにしてくれたことにも礼をしなくちゃね!」


 言うや否や、ハルワタートは拳を握り込み、真っ直ぐに俺へと向けて突いてきた。なかなか様になっている。


—ポキッ—


 しかし、悲しいかな。ハルワタート如きには、今の俺をどうこうすることなどできはしない。


「いたぁぁぁぁぁ!?」

「お、お姉様っ!?」


 ハルワタートはプラプラと揺れる右手を押さえながら蹲る。長いこと俺の中にいて、彼我の力量差を理解できていなかったらしい。こいつ、馬鹿じゃなかろうか。


「…お主…ハルワタートにどんな仕打ちをしていたんじゃ?」

「えっ!?俺が責められる流れっ!?」


 だが、どういう訳か、クローディアはハルワタートに同情しているらしい。耳驚いて振り返れば、頬杖をついて俺にジト目を向けているではないか。これまでずっと彼女を保護していたのは俺なのに。殴られたのも俺なのに。解せない。


「さっさと治療してやれ」

「…はい」


 言われるがままにハルワタートの腕を取り、カオス・ヒールを施す。何故こんなことをしなくてはならないのか—と、悲しくなった。

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