小坂、考え込む
『ちょっと!粗末なもん見せないでよ!』
(毎度言ってますが、見ないでくださいよ…)
ハルワタートが目をさましてから、どれくらい経っただろうか。既に季節は秋を通り越し、冬の終わりに近付いている。今年も残すところ、あと僅かだ。
『…前から思ってだんだけど…何でそんなにガリガリ擦るのよ?』
(えっ!?汚れ落ちなくないですか?女性は擦らないの!?)
数十日も共に過ごせば慣れるもので、あれだけ腹立たしかったハルワタートの喚きが、今では子守唄も同然に思えていたりする。強くなったものだ。
『そういえばさ、この間話したゲームの続編…いつ出るの?次を見据えた作りのせいか、エンディングが中途半端で、凄いもやもやしてるんだけど』
(…俺が元の世界に戻れれば、きっと出てますよ)
すっかりと文明の利器に強くなったハルワタートは、俺の家の中にあるものを好き勝手に使っているらしい。ゲーム機しかり、冷暖房や風呂に至るまで。あれ以来、俺は己の心象世界に潜ってはいないが、ハルワタートの口にする話題は、向こうの世界のものが大半だ。主にゲームとドラマ。なんなら、今もパリパリと菓子を頬張る音に、カチャカチャとコントローラーを操作する音までもが、脳内で鳴り響いている。これを半年近くやられて、気が狂わなかった俺は褒められるべきだろう。
『…私さ』
(…はい?)
『…ミニゲーム嫌い』
(…そうですか)
こんな調子で四六時中絡まれている訳であるが、以前のような、トゲのある態度が鳴りを潜めていることだけは、僥倖であろう。
(そろそろ、メープルシロップの原液を取りに行く時期かな)
ナイセイルへと渡り、クローディアの隠れ家にも無事に辿り着いた俺は、特に急いでやることもなくなった。そのため、現在は冒険者として活動する傍らで、アムルタートとハルワタートの回復を待っている状況だ。
そのアムルタートに関してだが、ほぼ全快したと言ってよいだろう。既に強化外骨格なしでも日常動作に支障はなく、そればかりか、猫達の餌やりに屋敷中を走り回っていたりする。なぜか彼女は猫達から避けられるのだ。
『これも毎回思うんだけどさ、何でそんなところまで洗うの?男はみんなそうな訳?』
(だから見ないでくださいってば…)
一方で、ハルワタートはご覧の状況だ。いつになったら顕現できるのかは知らないが、最近では魔力を供給せずとも、己で魔力を吸収している節がある。このままゆけば、近いうちに顕現できる—はずだ。そう信じたい。
そして俺は入浴中だ。ハルワタートとは視界を共有しているため、俺が下を向くと、ハルワタートにも見えてしまうのだろう。ゲームに集中してろよ。
(ああ、やっぱり風呂はいい。湯船に浸からねば、疲れが落ちた気がしない。他国の人などは面倒がるが、やはりこれは良いものだ)
入念に身体を洗い終えた後は、浴槽に浸かって親父くさい息を吐く。否、心は親父なのだ。何もおかしな事はないだろう。
『ねえ?』
(ん?今度はどうしました?)
不意に声をかけてきたハルワタートに意識を向ければ、彼女は随分と今更なことを尋ねてきた。
『あんたさ…本当に邪神を全員倒すつもりなの?』
答えなど決まっている。ナイセイルから出てきた時、聖剣の迷宮内で話し合ったからだ。けれど、今は別のことに気を囚われて、即答できなかった。
(…もちろんですよ。一度決めたことですから、滅多なことでは曲げるつもりはありません)
『けどさ、その腕の紋様…簒奪者としてのものじゃなかったんでしょ?まずいんじゃないの?』
ハルワタートの言に、己の両手を見つめる。視線を落とすな!—と怒られたが、この時ばかりは、すぐに視線を上げなかった。
(ええ。迷宮内で、改めて簒奪者の腕を見ましたが…俺の紋様とは別物でした)
ナイセイルへと向かう道中とは、聖剣の迷宮に他ならない。そのため、簒奪者とも当然出会う。その時に、仕留めた奴の腕と己の腕を照らし合わせたが、双方の紋様は全くの別物だった。つまり、俺は簒奪者ではない可能性がある。では、俺は一体なんなのだろうか。考えは浮かぶものの、とてもではないが認めたくない代物だ。
『やっぱり、おっさんに相談しなよ。話した方がいいって』
(…余計なことは言わないでください。いいですね?)
俺の剣幕に尻込みしたのか、ハルワタートはそれっきり押し黙った。少しだけ申し訳なく思ったが、これ以上の厄介事をアビスに背負わせたくはない。いや、そんなのは言い訳だ。髪を濡らして後ろに流し、大きく嘆息した。
(俺は一体、なんなんだろうな…)
『…怖いの?』
少し不安なだけだ—と強がれば、テレビの映りが悪いから、早く落ち着け—と文句を言ってくる。俺よりもゲームらしい。いい性格してると思う。
(こんなのが聖火神ね…世も末だな)
『こんなのって何よ!?あんた本当にぶっ潰すわよ!?』
思わず漏れた失言に、ハルワタートがギャーギャーと噛み付いてくる。これは失敗した—と顔をしかめながら、大人しくハルワタートの説教を聞いた。
「我の父の代の話であるな」
二度目の冷食パーティの後、アビスの語り出しは、そんな前置きから始まった。
「父が真の竜として全盛を誇っていた頃のことである。その頃は、あらゆる地に神がおり、人と神は相互に助け合って生活していた時代であるな。ま、背景はともかくとして、人の世に変化が起きたのである。人が神を召喚し、それと同化する術を創り出したのであるな。あ、ちなみに、その頃の我は、ようやく知性や理性を宿すに至った頃である。まあ、成竜には違いないであるが…まだまだ、物を知らない小僧であったな」
昔を懐かしんでいるのか、遠い目で言葉を紡いでゆくアビス。その横に座るハルワタートの眉間には、深い皺が刻まれていた。
「父は人里と密接な関係を築こうとはしなかったであるな。理由はまあ色々とあるであるが…大きかったのは生贄である。我ら竜族は当時、畏怖と力の象徴として信仰されていたであるが、たまに生贄が捧げられるである。そのほとんどは、まだ年端もゆかぬ子供であった。…まあ、我らに救いを乞うと共に、体のいい口減しであるな。昔は魔術こそ栄えてはいたであるが、食料事情は厳しかったのである。特に冬はな…人間達が毎年多く死んだ。餓死か凍死か。理由は不明であるが、多くの者達が、その時期には魔物化するである。生命力が落ちていたのであろうな。…全く、我ら竜には、寒さを和らげる加護などありはしなかったであるから、生贄など寄越されても、父上とて処理に困ったであろう。万が一、生贄として捧げられた子供らが生きていると知れれば、生贄の意味がなくなる—と、人々は騒ぎ立てるかもしれんであるから」
アビスは眉間を揉みながら、嘆息する。口を挟むな—と言われたからではないが、俺は黙って続きを待った。
「生贄として捧げられた子供らの扱いであるがな…父はこれを食ったりはしなかったである。手厚く迎え入れ、その生涯を終えるまで、側に置いていたである。魔物化もせぬように、体内に溜まった魔素をも取り除いていたであるな。竜の住処となれば、魔素が豊富であるから。面白いのはここからであるぞ?生贄はちょくちょくやってくる。一人、また一人と人間が増え、やがてそれらが次代の子を成し、気が付けば、我らの塒は人で溢れ返り、村を形成するに至っていたであるな。そんな日々が何百年と続いた」
「…もしかして、それが聖剣を守護する一族の始まりですか?」
辛抱たまらなくなって尋ねれば、アビスは文句を言うではなく、悲しげに笑った。
「まあ、そういうことである」
その意味ありげな表情に戸惑い、次に続く言葉を紡げなかった。アビスはそんな俺の様子を見て取ると、ガリガリと頭をかいた。
「そして、我らの村が例を見ない一大都市となろうとしていた時、邪神が生まれたである…ハルワタート」
アビスがハルワタートにバトンを渡せば、ハルワタートはそれまでにない真顔で話し始める。その表情だけを見れば、女神と言われても納得できるかもしれないな—などと考えた。
「その当時、私達は竜の庇護下で人々が繁栄しているなどということを知らなかったわね。竜とは、確かに畏れと力の象徴であったけれど、私の生きた時代では、既に生贄という文化は廃れていたわ。その代わり、盛んになっていたのは、魔物から身を守る術、そして、魔物化を防ぐ術の開発よ」
ハルワタートの語る内容は、アビスの視点とはまた違うものだ。これは面白い。思わず聞き入った。
「その中で、特に力を入れられていたのが、魔物化を防ぐ術の開発なの。今は違うと分かるんだけど…当時はね、生命力が衰えたことにより、魔素に肉体が抗えなくなり、魔物化するという考えではなかったの。魔物化しなければ、人間はまだまだ人間として生きられる—そう考えられていたわ。私もそう思ってた。寿命などという概念はなく、人は無限に生きられる存在なのだ—とね。だってそうでしょ?誰一人として、人として真っ当な最後を迎えた者なんていはしなかったんだから。魔物に襲われて死ぬか、魔物化するか。人として真っ当な最後を迎えられた例なんて、皆無だったわ」
これは考えたこともなかった。先にアビスも語ったが、餓死や凍死といった場合でも、生命力の衰えに伴い、人は魔物化するらしい。病でも同様だろう。そうなれば、確かに人として真っ当な最後を迎えた者など皆無であるに違いない。なるほど—と、大きく頷いた。
「そうして考え出されたのが召喚術よ。この世界ではないどこからか、魔物など、ものともしないような、高位の存在を呼び出すの」
ハルワタートの言葉は、向こうからこちらの世界に引き摺り込まれた時に見た、青い光を放つ魔法陣を想像させた。
(あれだよな…召喚術…)
今、この世界で一般的に普及している召喚術は、あれとは似ても似つかない。簡易版、あるいは廉価版とでも呼べば良かろうか。メットーラの老術師に見せてもらったことがあるが、事前に契約という形で、呼び出す対象とパスを繋げておく必要があるらしい。しかも、呼び出すのはその霊体とでも表すれば良かろうか。酷く脆い力の塊のみとなるため、それを保護する外殻は、己の魔力で練らなくてはならない代物だった。
「その理論や魔法陣は覚えていますか?」
俺の質問に、ハルワタートは申し訳なさそうに首を振った。
「ごめん。その…私はさ、元々はただの人間でさ…しかも、出来損ないって言われていたのよ。魔術には、ほとんど触れさせてもらえなかったわ」
「…すみません」
余計なことを言った—と頭を下げつつ、以前アビスから聞かされた話を思い出す。それによれば、当時は魔力に適性を持たない者が、ちらほらいたという。ハルワタートはそれなのだろう。
「そして、ついに理論が完成したの。その時は、皆が手を叩いて喜んだ。私達もよ。これで魔物化に怯えなくて済む—ってね。…この先、あんな扱いを受けることになるとは知らずに」
「…あんな扱い?」
思わず尋ねるも、ハルワタートは眉間の皺を深く刻んで黙り込み、アビスもまた黙然として何をも語ろうとはしない。
(な、なんだよ。尋ねた俺が悪いみたいな空気になってる…)
居た堪れなくなり、さっさと解散したい心持ちになる。ハルワタートが話を再開したのは、しばらく経ってからのことだった。
「…生贄よ」
内心で、あー—と、やるせない思いに嘆息した。その一言で、なんとなく察せられる。高位の存在を召喚するためには、それと対価になる生贄が必要—という話に違いない。そして、生贄になるのは、ハルワタート達、出来損ないと呼ばれていた者達だったのだろう。
(…もしかして、竜に捧げられたのも…)
先ほど、竜の生贄として子供が捧げられたという話を聞いた。今の話を聞いた後だと、その時に出された子供は、きっと出来損ないと呼ばれた子達だったに違いない。
(アビスさん…あえて言わなかったのか?)
そんな考えが脳裏を過り、チラリとアビスを盗み見るも、アビスは未だに瞼を閉じて黙然としていた。
「私達、出来損ないの人間が、生贄にされることになったわ。…年老いた者達から順にね。それからというもの、私達の扱いは家畜同然よ。毎日震えて過ごしたわ。明日は私の番じゃないか。それともアミーの番じゃないか—ってね」
はっきり言って、聞くに耐えなかった。胸糞悪いなどというレベルではなく、人はそこまで外道になれるのか?—と、目眩を覚えるほどだ。ハルワタートは淡々と感情を殺して言葉を紡いでいるが、この辺りの情報は、全く頭に入ってこなかった。
「それがある時、村の中で急に絶叫が聞こえたの。続いて、何かが倒れる音かしらね…後は、笑い声や人の足音やら…とにかく、私達は汚い小屋の中に押し込められていたけれど、中からでも、尋常な状況ではないことだけは分かったわ」
ハルワタートの声に、我に返って顔を上げる。ハルワタートは俺を見つめていたが、今の今まで聞いていなかったであろうことは、特に責められはしなかった。
「何が起きたのか?—と、全員で虚な目を扉へ向けたわ。それからしばらくして、扉を蹴り破るような勢いで駆け込んできたのは…ザリチュだったの。彼女は真っ赤に光り輝く脚を押さえつけながら言ったわ。早くここから逃げなさい—って」
晴天の霹靂とはゆかないまでも、中々の衝撃だった。あのザリチュがハルワタート達を助けたというのだ。ザリチュとて邪神の一人だったはずだ。ハルワタートを殺傷せしめ、その力を内に取り込んですらいた。それが、ハルワタート達を逃したという。そんなことがあるのだろうか。
「…先にも言ったけれど、ザリチュやタルウィ、ダスラやナーサといった、元々の友人達は、私達が家畜同然の扱いを受けるようになった後も、優しかったのよ。ああ、後はアエーシェマとか…アンラもかな。他は無関心ってとこね。早くに神と同化した仲で、私達をゴミ虫のように扱っていたのは…スパスグとかタローマティくらいのもので、他の者達は、なんとかして私達を逃そうと、チャンスを窺っている状況だったのよ」
そう言ったハルワタートは、悲しげに笑っていた。先にも言ったけれど—というのが、どこにかかっているのか分からないのは、俺が話を聞いていなかったからだろう。
「小屋から出た私達が見たのは、地獄絵図だったわ。邪神達が暴れまわっているのよ。それに追随するかのように、普通の人間達も。訳が分からなかったわ。まともな者達は逃げ惑い、あるいは既に事切れてた。ザリチュにも逃げるように言ったんだけど、私ももうダメだから—って、凄く苦しそうな顔で言うのよ。説得は諦めて、一目散に逃げたわ」
「ちょうどその時であるかな。母上の命で、我は狩をしていたのである。さて、どれほどの大物を仕留めれば、母上に怒られずに済むだろう?—と考えていた我の視界に、着の身着のままで必死に走るハルワタート達の姿が映り込んだのであるな。これは只事ではないと、地上に降りて声をかけた訳である」
ハルワタートの後を継いでアビスが自慢げに語れば、あの時はこの世の終わりだと思ったわ—と、ハルワタートが苦笑する。それはそうだろう。いきなり竜が目の前に現れたなら、パニックどころの騒ぎではない。死を覚悟したはずだ。
「事情を話した私達は、おっさんの村で匿われることになったの。村って感じじゃなかったけれどね。行ってみて驚いたわ。あまりにも文明が違い過ぎて、これは夢なのか!?—と、思わずアミーの頬を抓ったもの」
「自分の頰を抓るである」
二人のやり取りに俺が笑えば、少しだけ場の空気が弛緩した。ここまで、随分な内容の話が続いただけに、少しでも場が和らぐのはありがたかった。
「何か飲みますか?」
「缶ビールが飲んでみたいである!」
「…なにそれ?じゃあ、私もそれ」
アビスの言に目を点にする。なぜ缶ビールの存在に気付いているのか。
「早くするであるな!」
「…はいはい」
まあいい。俺も一緒に飲むことにしよう。己の意識の中での飲酒ならば、二日酔いなどないだろうから—と考えていたのだが、野菜室を開けてみれば、缶ビールは二本しか入っていなかった。ちくしょう。
「それからは、仮初の平穏が続いたわ。竜の庇護の下、たまに聞く外の状況に怯えながら、竜の里の皆と共に生活するようになったの。おっさんはプライド高くていけ好かなかったけれど、先代のアビス様はとても優しくて。こんな平穏がずっと続くなら、それもいいかな—なんて、流されそうになってた」
二人がぐびぐびと缶ビールを飲んだ後、話は再開されたのだが、なんと美味そうに飲むのだろうか。アビスは一息に飲み干して、ハルワタートも名残惜しそうに、空になった容器を握りしめたままとなっている。それでも話は続くのだから堪らない。俺の意識は缶ビールに釘付けだ。置いてゆかれないように、必死になって聞いた。
「ある日ね、こんな話が入ってきたの。他の集落でも、出来損ない達を捕まえては、生贄にしてる—って」
「それと時を同じくして、在野の神々にも、邪神達の魔の手が伸び始めたのである。我らの住う里にも、侵入こそ許さなかったものの、邪神達は何度か姿を見せていたである」
再び、話の雲行きが怪しくなってきた。おかげでビールから意識は逸れたが、丸めて皺だらけの毛布の上に寝転がったかのような、具合悪さを味わう羽目になった。
「私達は決心したわ。この事態を引き起こした、私達自身の手で決着をつけることを。たまたま、逃げてきた者達の中に、一人だけいたのよ。あの魔法陣や理論を覚えていた者が。従者としてあいつらに付き従っているうちに、嫌でも覚えたらしいわ」
「神々もであるな。手を取り合い、邪神達と戦うことを決意したである。…我は、戦力的に蚊帳の外であったが」
当時を振り返ってか、無念そうに項垂れるアビスの肩をハルワタートが微笑みながら叩く。優しい声をかけるのかと思いきや、ドンマイ—ときたものだ。そりゃ、拳骨も落ちるだろうさ。
「そ、それでね…いざ術を発動する段になってから、まともに発動させられるか以前に、生贄をどうするかが話し合われることになったんだけど…まだ生贄を捧げていないにもかかわらず、魔法陣が輝き始めたんだよ。しかも、輝き方が尋常じゃなかった。あまりの眩しさに目を閉じた私達が目を開けた時、一つの大火と、それを取り巻く六つの光が浮かんでいたのよ」
頭を摩りながらハルワタートは語る。大火と光が浮かんでいるってなんだよ—と眉間を揉んだが、よくよく考えてみれば、ここは神様がいるような異世界だ。そういうこととてあるのだろう。
「その浮かぶ大火がね、こんなことを言ったのよ。私は、スプンタ・マンユ。自らの犠牲も厭わない、善なる意志に導かれてやってきた。君達の思いに応えたい。私と共に戦う覚悟のある者を六人選んでほしい—ってね」
「…スプンタ・マンユ…」
そいつが、ハルワタート達を神へと昇華させた存在なのだろう。一体、どれほどの力があれば、そんなことが可能だというのか。全く想像がつかない。
「私やアミー…アムルタートを含めて、神になったのは六人。ウォフ、アシャ、アールマティ、フシャスラよ。そして、私達のボスとなる大火…いえ、聖火、スプンタ・マンユ。私達は、聖火と共にあり、聖火を護る神として、聖火神と呼ばれるようになったわ」
「聖火神…」
大層な響きだが、ハルワタートやアムルタートを選んだのは、致命的な選択ミスだったのではなかろうか。なぜ戦う力のない者を選んだのか。人を神へと昇華させた力には目を見張るが、人を見る目は笊であるらしい。俺がそのスプンタ・マンユであったなら、絶対にこいつは選ばないな—と、目の前の町娘を見て思った。
「そして、在野の神々と聖火神、我ら竜族が手を組み、邪神達と戦う訳であるな」
「…え?」
アビスの言に、自分でも驚くくらい間の抜けた声を上げた。だってそうだろう。アビスやハルワタート達の現状を思えば、彼らは負けたということに他ならない。大層な連合軍を作り上げたように聞こえたのだが、これはどうしたことだろうか。
「あ、あの…凄く失礼なことを尋ねますが…負けたんですか?そんなに邪神は強かったのですか?」
「…それは…」
「…うむ…」
二人は何とも歯切れの悪い返事をしたきり、口を噤む。また余計なことを口走ったか?—といたたまれなくなってきた頃、ハルワタートが口を開いた。
「一度はね、異世界に追放したのよ」
「…あ、勝ったんですか…」
勝ったらしい。一度は—という但し書き付きだが。
「邪神達は強かったである。何故これほどまでに!?—と泣きたくなるくらいの力を持っていたであるな。当初は戦力外通告を受けていた我であるが…最後には、その我とても戦線に加わっていたである」
「そ、そんなにですか…」
気の利いた言葉など出てこようはずもない。何故なら、その邪神の一人を一捻りにしてしまえたからだ。むしろ、こんなものか?—と、軽く落胆してすらいた。その俺に、何が言えよう。
「言っておくけれど、ザリチュはその権能が厄介なだけで、戦力としては下の中程度よ?武闘派の奴らは、あんなもんじゃないんだからね?相性だけで勝てるとは思わないで」
「…はあ」
確かにハルワタートの言う通りなのだろう。あの時、ザリチュに全力を出す—出していたかもしれないが—暇を与えていたならば、もう少し苦戦したに違いない。
「桁外れな奴らがいたのよ…」
「…桁外れ?」
ハルワタートの呟きに耳を向ければ、ポツポツとハルワタートは語り出した。
「目に見えるもの、耳に届く音、その他、五感の全てを狂わせる武人、アカ・マナフ。地脈の全てを意のままに操る暴漢、インドラ。他者の肉体を渡り歩き、滅することが極めて困難な汚泥、アエーシェマ。男が一人でもいれば、子種を糧として、驚くべき速さで無数に戦力を生み出せる淫婦、タローマティ。発した言葉はどれほど荒唐無稽でも、立ち所に真となる言の葉の神、アラースト。巨木も大岩すらも吹き飛ばす、破壊と再生の二面神、サルワ。そして、それらを統括する病魔の王、アンラ・マンユ」
聞いていて、頭が痛くなってきた。確かに、今あがった邪神と比べてみれば、ザリチュなど取るに足らない相手に思える。やはり、俺よりも格上の奴らはいくらでもいるのだろう。ザリチュとやりあう前、俺が確実に勝てると言い切れない奴は、三体程度しかいない—みたいなことをアビスは口にしていたが、そんなことはなさそうだ。
「あー、詳細を聞いても良いですか?具体的には、どんな権能なのです?」
目元を覆いつつ声をかけたのだが、二人の声は返ってはこない。顔を上げてみれば、二人は困惑した表情で、固まっていた。
「…え、ええと…実は私はさ…戦闘能力が低くてさ…前線には、いられなかったんだよね…権能についても、ほとんど知らないっていうか…邪神共のリーダー格に関しては、先の情報が全てっていうか…」
前線にはいられなかったらしい。うん、知ってる。ザリチュに負けるほどだし。
「我も…そう詳しくはないである。アンラに挑んだことはあったであるが、何が何やら分からぬうちに、身体が満足に動かなくなったである。…まあ、それでも、一矢報いたであるがな」
アビスの方は、邪神の親玉に一矢報いたらしい。それそのものは素晴らしい戦果なのだろうが、肝心の権能は分からないと言う。どうしようもない。
「すみませんでした。話を進めてください」
「…そうね、その時は、こちらも壊滅的な打撃を受けたけれど、それでも、邪神達を後一歩のところまで追い詰めたのよ。けれど、倒し切るには至らなかったわ。そこまでの戦力は、こちらにも残されていなかったのよ」
そこで一旦話を区切ると、ハルワタートはアビスに目線を向ける。けれど、アビスは口を開かない。お前が語れ—とばかりに、ハルワタートに鋭い視線を返した。
「だから、スプンタ・マンユ様がその力のほとんどを使って、異世界の扉を開いたのよ。そこは、魔素のほとんどない世界」
「…ああ、なるほど」
アビスが前に語ったことのある内容だ。邪神や古代人達が逃げ込んだ世界というのは、スプンタ・マンユが開いた扉の先であったらしい。
「それからしばらくして、邪神達はこの世界に帰ってきた訳ですね?」
「え?う、うん…そう、だけど…何であんたが知ってんの?」
ハルワタートは不思議そうに尋ね、俺やアビスの間で視線を往復させる。どうしたものか—と逡巡したが、ここは素直に話しておくべきだろう。
「その邪神達を追放した世界が、俺のいた世界らしいんですよ。それもあってか、その辺りはアビスさんから教えてもらっていたんです」
さて、ハルワタートはどんな反応を示すか?—と、じっと見つめる。だが、そうなんだ—くらいの反応しか示さず、己の顔を真っ直ぐに見つめている俺に、見んなよ—とか言い出す始末だ。俺の言葉が何を意味するのか、分かってはいないらしかった。
(…古代人の末裔だと思うんだけど…まあ、いいか)
拍子抜けしたので話を戻す。過去に何があったかのあらましは掴めた。ならば、細かいところを埋めておきたい。
「一度目の時は、異世界に邪神達を封じ込めて、終わったのですか?」
「ううん、邪神達を放置することは危険と判断して、スプンタ・マンユ様に、聖火神の力を集めて、異世界へ送り出したの。魔素のない世界じゃ、私達は大したことができないから…」
これは聞くべきではなかった。ハルワタートの顔は無念一色に染まり、アビスもまた、腕組みしたまま瞼を閉じて黙然とする。邪神達は帰ってきたが、きっと、スプンタ・マンユは帰ってはこなかったのだろう。邪神達に負けたのだ。
「すみません」
「いいわ。話を戻すわね。…それから二万年後くらいかな?邪神達がこの世界に戻ってきたのは」
即座に詫びれば、ハルワタートは気にするな—と、首を振った。
(二万年後か…それが、アビスの言っていた邪神達の襲来だよな)
以前、メキラ東部の山脈地帯でアビスから聞かされた邪神達の話だ。一度は追放した邪神達が帰ってきた—というのは、この時のことなのだろう。
「父上は、先の大戦で亡くなっていたであるからな。その時には、我が先頭に立って戦ったである。我がアンラヘ一撃加えたのは、この時であるな」
アビスは語らなかったが、先代のアビスは先の大戦で亡くなっていたらしい。かける声が見当たらず、口を噤んだ。
「帰ってきた邪神達は、とにかく強かった。私達も必死に抵抗したんだけどさ…もうどうにもならなくて、特に厄介だった邪神達の王、アンラ・マンユを封印することにしたの。その時、聖剣を手に、おっさんがアンラヘ単身挑んだのよ」
「当時は強がっていたであるが、正直言って、生きた心地がしなかったであるな」
ハルワタートの言を継いで、アビスが戯ける。呵呵と笑っているのは照れ隠しだろうか。ハルワタートもアビスにつられてクスリと笑ったが、馬鹿にしたりなどはしなかった。
「…あの時、おっさんが上手くやってくれたから、私達はアンラを封印することができたんだよ。そうじゃなくては、今日の人間達はなかったよ」
ハルワタートはそう言ってアビスを労わるが、その言にふと疑問を感じた。邪神達は聖火神を退けたのだ。それがどうして、人間達は何事もなかったかのように生活できているのか。言いたくはないが、SF映画さながらのディストピアが形成されていても、おかしくないのではないかと思う。
「どうして、今現在の邪神達は表立って活動していないのでしょうか?」
「…そんなことをすれば、目立つからであるな」
俺の疑問に答えたのはアビスだった。けれども、目立ったとてなんの問題があるのだろうか。アビスの言いたいことが分からず首を捻れば、アビスは更に続けた。
「神とは、基本的に不滅である。それでも、何度も死ねばやはり弱るのであろうが…それも先の話である。聖火神が復活した時、邪神が目立っていたとすれば、真っ先に狙われるであるからな。それを警戒してのことであるな」
「あ、なるほど」
これは得心がいった。己らとて目立たぬように、裏でコソコソとやっているのだ。我が世の春を謳歌しているであろう邪神だが、その実は追われる立場である。もしかすれば、彼らの方が恐々として、日々を過ごしている可能性とてなくはない。
「大体分かりましたが…もう二つばかり良いですか?」
「何よ?」
「何故、アンラ?を封印することにしたのですか?その後の動きは?」
俺の質問に、二人は視線を交わす。互いに言いたいことがあったようだが、まず口を開いたのはハルワタートだった。
「アンラはね、その権能が危険だったのよ」
「病魔の王…でしたか?」
ハルワタートはゆっくりと頷いてから、何やら身振り手振りで何かを形作り始めた。けれども、それが何であるのか全く分からず、俺は自室から紙とボールペンを持ってきた。
「凄いわね…これ」
「そういうのはいいので、さっさと説明お願いします」
にべもなく切り捨てれば、ハルワタートはムッとしながらポールペンを走らせる。彼女が描きあげたのは、フードを目深にかぶり、ローブに包まれた両腕を胸の前で交差させた者達だった。
「言っとくけど、本当に詳しくはないわよ?…これは病魔の使徒。アンラが世にいる限り、これが無数に湧いてくるわ。人のように見えるけれど、病魔の集合体よ。特殊な権能を持たない限り、近付くことすら自殺行為。私のように自力で病魔を退けられたり、圧倒的な火力で病魔を焼き尽くせるような者でもない限り…打つ手はないに等しいの。まず、これらを統括するアンラを何とかしない限り、人類に先はなかった。こいつらが現れただけで、付近の村は立ち所に壊滅するんだもの。…結局、それで私達は力を使い果たして、各個撃破されてゆくことになるんだけどね…」
「…とんでもないな」
フードの下は塗り潰されており、何があるのかは杳としてしれないが、小さな細菌の集合体をイメージして、鳥肌が立った。ブルリと身震いして顔を上げれば、アビスがハルワタートに続いた。
「故に、機動力に優れた我が、単身で突貫したである。この者達にはアンラの封印を任せねばならなかったであるし…万が一にも聖剣を邪神達に奪われる訳にもゆかなかったであるからな。アンラを聖剣で斬りつけた帰りに、そのまま竜の里へと戻り、里もろとも広大な迷宮へと姿を変えて、眠りについたである」
アビスはこともなげに語るが、先の話を聞く限り、アンラに挑むということは、すなわち病魔に侵されることに他ならない。当時のアビスは、竜としての肉体を持っていたはずだ。死を理解しての突貫だったに違いなく、その覚悟には頭が下がった。
「…なるほど。分かりました。では、最後にもう一つだけ」
「うむ、何であるか?」
アビスは組んでいた腕を解くと、己の膝を景気良く鳴らした。こういう話し合いの場は、性格的に好きではないのであろう。終わりが近付いてきたことに、喜んでいるものと見受けられる。俺だって嫌だよ—と、苦笑しながら尋ねた。
「その聖剣について、教えてください。以前聞いた話では、神々が創り出した—ということでしたが、製作者や経緯を教えていただけませんか?」
「ああ…そういうことであるか。…まず、製作者は、聖火神である。鍛治に明るかったフシャスラと、それを補佐する数名で創り上げたである」
ほう?—とハルワタートに視線を向けたが、私は門外漢—と、すげなく切り捨てられた。
「経緯に関しては、我が父上…先代のアビスを失ったせいである」
「…というと?」
聖剣は、人類を守るために創り出した代物だったはずだが、先代のアビスがなくなったせいとは、一体どういうことなのか。先を促せば、アビスは大きく頷いて続けた。
「うむ。我が父上は、里の人間達の魔素を吸収していたであるが…恥ずかしながら、半人前の我では、そうそう上手くゆかなかったである。故に、魔素を吸収する性質を持つ装置を生み出してもらった訳であるな。剣が出来上がってくるとは、思ってもみなかったであるが。…時期としては、邪神達を異世界へと追い立てて、すぐのことである」
今はきっとできるであるぞ!—と、アビスは力強く締め括った。そうですね—と応じて、苦笑する。壁の時計を見てみれば、既に深夜と呼べる時間になろうとしていた。夢の中なので特に支障もなかろうが、このまま話し込んでいては、起きた時に酷い疲労を感じそうだ。
(何より、横にアビスさんが添い寝してるんだよな)
厳ついおっさんに抱きつかれる趣味などない。一旦起きて、アビスをベッドから蹴り落とすべきだろう。そろそろ戻ろう—と、アビスに提案するも、アビスは怪訝な顔を作った。
「…何を言っているである?話は一段落したのであるから、朝まで三人で遊ぶである」
「おい巫山戯んな!」
即座に意識を覚醒させ飛び起きると、俺はアビスを蹴り落とした。ぐえ—と、ベッドの下からファーレンの声が聞こえた。
顔の汗を手で拭う。ふと指先を見れば、随分とふやけていた。長湯し過ぎたらしい。
『お?ようやく帰ってきた?』
(すみませんね、考え事をしていました)
浴槽から上がると、バスタオルという名の布で身体の水滴を擦り落とし、浴槽の水を張り替える。ちゃんと温め直してから、次の人にバトンタッチするのだ。
(それじゃ、後は適当に過ごしていてください)
『はぁっ!?またぁ!?あんたね、もう少し構いなさいよ!』
ハルワタートがまだ何か言っていたが、彼女の相手はここまでだ。意識に蓋をして、脱衣所で服を着ると廊下へ出るべくドアを開ける。そこには、草臥れた顔のファーレンが立ち尽くしていた。ちょっと驚いた。
「オザガ師匠〜、待っでまじだ〜。次良いでずが〜」
「…どうぞ」
俺の許可を得るや否や、ファーレンは鼻をつまみながら脱衣所へと入ってゆく。道をあけて見送るも、ファーレンは、思わず顔をしかめるレベルの異臭を放っていた。きっと、共同トイレの清掃依頼でも受けていたに違いない。頑張り屋のファーレンは、その手の依頼でも手を抜かない。それを知る町の住人からは、高レベルとなった今でも指名されることが多いのである。
(本当に働き者だよな…私用ばかりの俺は、立つ瀬がないよ)
ふと視線を向ければ、ファーレンが歩いてきたであろう廊下を、必死にアーサーさんが飛び回っている。匂いの粒子をキャッチしているらしい。全自動消臭器である。
「…ファーレン…着替え持ってなかったな…」
そういえば、今し方すれ違ったファーレンは、着替えを手にしていなかった。せっかく臭いを落としても、また臭いの付いた服を着るつもりであろうか。
(とはいえ、男の俺にできることはないな)
『クローディアとかに教えてあげなさいよ!』
脳裏で何かが叫び声を上げているが、浴室から俺の部屋はすぐ近く。クローディアの部屋はだいぶ先だ。そんな面倒を俺が率先してやるはずもなく、内なる声はスルーした。




