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小坂、ハルワタートを覚醒させる

 ロロナに俺達の正体を話してから数日が経過した。あれ以降も、相変わらずロロナは仕事をしろとせっついてくる。こちらも相変わらず無視しているが、以前ほどしつこく迫ってはこなくなっていた。


(それを寂しいと感じるのは、身勝手なんだろうな)


 己の我儘に笑いながら、床に転移座標用の魔道具を突き立てる。今いる場所は、かつてアビスのいた大霊廟だ。


(ここは相変わらずだな)


 懐旧というほど昔のことでもないが、懐かしさに荘厳な室内をぐるりと見回す。アビスの空けた大穴は、誰が修復したのか跡形もなく消え去っており、目を瞑れば、アビスが寝そべっている姿をありありと想像できた。


「…うし、これでここへはいつでも来れる。後は…師匠の隠れ家だな」


 魔力を放出して鎧を形成し、一気に加速して通路を疾走する。俺の行く手を阻まんとして現れたヴァンパイア達は、乾きの力を解放するだけで灰になって消えた。

 どういう事か?—と、この現象を最初に見た時は首を傾げたものだ。俺なりに解釈した結果、魔石とは魔力の集合体。いわばMPである。乾きの力により、MPを枯渇させたではないか?—という結論に至った。それにより魔石が力を失い、不死系魔物(アンデッド)は構成を維持できなくなったのであろう。かつて己も身をもって経験した技であるため、その威力はよく分かっている。俺の馬鹿みたいなMPを0にするには、ザリチュでは力不足であったが、ヴァンパイア如きが相手であるならば、俺にとっては役不足である。


「くそっ!これやると、ヴァンパイアは死体が残らないのがなぁ〜」


 やはり死霊騎士(デュラハン)以外の不死系魔物(アンデッド)は金にならない—と、己が戦い方は棚に上げて不平を口にする。ここまで至るのに、迷宮に潜ってからというもの、ずっとこれ一本で進んでいた。権能の扱いに習熟するためだったのだが、これは実に難儀した。消耗が早いからだ。以前、俺は神力を密度の高い魔力なのではないか?—と推測した。結論から言えば、それは正しかろうと思われる。何せ、魔力しか扱えない俺が権能を発動させると、夥しい量の魔力が一瞬で消えるからだ。効果は馬鹿みたいに高いが、コストもまた高い。それでも、ここまでそれ一本でやってこられたのは、偏に俺のレベルが高かったことと、この場所の魔素が豊富かつ、不死系魔物(アンデッド)の俺によく馴染む、言い換えれば、吸収が早いためであろうか。


(それにしても、乾きの権能は本当に凄いな。あのデュラハンが楽々になる日が来ようとは)


 この権能は魔力による防御を貫通するため、下位種でも魔力反射を備え、上位種になれば完全魔力反射を常とする死霊騎士(デュラハン)系の不死系魔物(アンデッド)。絶対的な魔力耐性を誇る彼らにも有効であったのは、非常に有難い誤算であった。新品同様の武器防具が腐る程手に入ったのだ。ウハウハと喜ぶ一方で、乾きの権能の凄さにも青くなる。


(ザリチュか…本来なら、とんでもなく苦戦した相手なんだろうな…)


 常人であれば即座にMPを0にされ、まともな戦いにすらならなかったことだろう。彼女と正面からやりあえるのは、不滅の力を持つアムルタートのみであったに違いない。残念な事に、そのアムルタート本人の戦闘能力は0であるのだが。仮に人類とザリチュが戦ったとした場合、アムルタートがいなければ、それだけで人類は死滅していることも考えられる。


(けれど、能力に頼りきりで、動きはそれ程でもなかったからなあ…いずれはやられるのかもな)


 しばらくはそんな事を考えながら迷宮を走り回っていたのだが、パラリ—と通路の天井から小石が落ちたのを見て、ふと思い至る。


(神力…アビスさんと戦った時もそうだったが、あれを防ぐ術はないのか?いや、そんな事はないはずだ。神力とは言うが、アビスさんはそれを用いて魔術を使う。つまりは、神力とは魔素を利用した技術—だと思うんだが…ううむ、どうやって魔力で神力を遮断すべきか)


 例え防ぐ術がなかったとしても、対抗策を考えないで放置しているのは危険であろう。俺よりも自力が上の神と出くわしたら、成す術がなくなる可能性とてあるのだ。そうなれば、詰みだ。そこに思い至ると、思わず舌打ちが出た。何かしら絶対に対抗する術はある。あるはずだ。だが、そこに至るには、神力への理解が足らない。


「アビスさんには…聞いても分かりそうにないな…知っているとすれば…」


 アビスはそういう細かい事は気にしないだろう。きっと、深く考えた事はないのであるな—とか言うに決まっている。その点、古代人は神の力を奪うために研究していたはずである。そう考えて、再び舌打ちした。


「ザリチュ…あっさりと始末するんじゃなかった…あああああっ!くそっ!上手くいかないなあ…」


 ドヤ顔で俺の前に現れるも、戦棍(メイス)の一振りで退散となった、ある意味では可哀想な邪神である。死んだ後もイライラさせるとは、流石は邪神と言ったところか。


「おっ?そうか。吸血鬼(ヴァンパイア)の次は死霊騎士(デュラハン)か」


 長い通路の先には、霊廟の入り口が見えた。その奥で整列するのは死霊騎士(デュラハン)達だ。ちょうど良い。追加で資金回収に勤しむとしようか。


(そういえば…アムルタートやお姉様に聞いてみるのもありかもな)


 殲滅した後に死霊騎士(デュラハン)の鎧を回収していて、ふと思い出す。神といえば、アムルタートとそのお姉様だ。姉の名前は忘れたが、もしかすると、何か知っている可能性はある。アムルタートはアビスと似たり寄ったりな、のほほんとした空気を醸し出している分、お姉様に期待が高まる。


「上手く運べば、神力の正体に近づける…かな」


 本当ならば、アビスから色々と話を聞きたいところではある。神力以前に、アムルタートとの関係や、邪神についての詳細。それに、俺自身の変化のことも。けれど、今のアビスはアムルタートにかかりっきりであり、二人で話そうとは決めたものの、その機会は未だにやってこない。


(その辺のことも、お姉様から聞ければ有難いな)


 回収し忘れた物がないか周囲をぐるりと見回し、腰鞄の中にしまっていた腕時計を取り出す。ここまで延々と走っていたが、時刻は既に夕刻であった。


(…帰るか)


 死霊騎士(デュラハン)の霊廟に転移座標用の魔道具を突き立てると、魔石を取り出して亜空間を重ねる。開かれた亜空間の向こう側には、すっかりと見慣れた小坂邸のリビングが広がっていた。


「…ただい…なんだこれ…」


 小坂邸のリビングへと出てみれば、リビングではクローディアが店を広げて作業をしているではないか。何の道具かも分からない代物がそこかしこに転がり、足の踏み場がない。


(…自分の部屋は、作業スペースが確保できないほどに散らかったのか…)


 玄関前に立ち尽くす俺に気付く様子はなく、黙々と作業に没頭するクローディア。空調の魔術を用いていても、室内はやや暑いせいだろうか。珍しい事に、クローディアはローブを着ていない。


(うお…ちょっとそれは…)


 ノースリーブのシャツはクローディアには少しサイズが大きいらしく、脇からは膨らみかけの乳房が、腕の動きに合わせて見えそうになっていた。確かに、この家にいる男といえば、俺とアビスの二人のみだ。枯れた不死系魔物(アンデッド)に、年老いた竜。警戒する必要もないのだろうが、いくらなんでも無防備過ぎると思う。


(こうして見ていると、工作に夢中になる子供だよな…そして、子供の色香に惑わされる我が身の情けなさよ)


 別に欲情するわけではないが、どうにも、見えるとついつい意識してしまう。男の性であることは確かなのだが、負けた気になり視線を外した。


「アーサーさんよ。それを取ってくれぬか。…おう、すまんのぅ」


 クローディアの身長をゆうに超える、大きな魔道具の陰から、ニョキリと黒い粘質の触手が伸びてくる。その先端にはドライバーのような物が握られていた。


(“それ”で通じるのかよ)


 もしかすると、日頃から作業補助はアーサーさんにお願いしているのかもしれない。クローディアとアーサーさんは、何も語らずとも、腕を伸ばすだけで伝わる間柄のようだ。


「うっく!角が引っかかるのぅ…ばらさにゃならんか…」


 何やら魔道具の内部に頭を突っ込もうとしているようだが、カツカツと音を立てて、角が縁に当たっている。どうやら新規製作ではなく、改修であるらしい。どれだけ突貫の仕事だったのかは知らないが、メンテナンス性を考えて作っていなかったようだ。クローディアにしては珍しいミスであり、少しだけ笑いそうになった。


(裏口へ回るか)


 リビングの横断は諦めて、裏口へと回る事にした。玄関から表に出ると、空は茜色に染まり始め、一日の終わりが近い事を告げている。


(さすがに二、三日じゃあ、ナイセイル大陸まではいけないか…広過ぎるよ。聖剣の迷宮)


 裏庭へと回れば、ヒヨさんとエルが寝ていた。そのまま寝ていてよいのに、首を持ち上げ俺の姿を認めるや否や、我先にと駆け寄ってくる。


「ワン!ハゥア!ハゥア!」

「コケッ!コココッ!」

「シャー」

「はいはい。よしよし。ただいま」


 甘えてくるヒヨさんやエルの頭を一頻り撫でてから、裏口の扉を開ける。そこは調理場になっているのだが、調理場には既にタンパク質がスタンバイしていた。こちらはこちらで、俺の姿を認めると景気良く鳴いて、餌を強請り始める。


「にゃーんごろー」

「はいはい。お腹すいたよな」


 そして、冷蔵庫の上にはニューフェイスであるビタミンの姿が。鳴くでも、逃げるでもなく、じっと俺の顔を見つめている。


「お前はやっぱり太々しいな」

「なーうー」


 俺が小馬鹿にするかのような声をかければ、ビタミンは抗議の如く鳴く。タンパク質もそうだが、ビタミンも特徴のある鳴き声だと思う。


「うし!やるか」


 ファーレンが汗流して砕いたライ麦を取り出して、窯に火を付ける。危ないので、タンパク質はいつもの椅子の上へと移動させた。


「ワンッ!」

「コケッ!」

「分かってるよ。お前達もお腹空いたんだよな?すぐに用意するから、もう少し遊んでいなさい」


 俺の言に首肯を返すと、ヒヨさんとエルは裏庭へ走ってゆく。それを見送ってから作業に取り掛かる。ライ麦と塩、水に少々のメープルシロップを加えて混ぜ合わせ、粉気がなくなるまで延々とこね続けた。


「ただいま帰りましたー!」

「帰ったのであるな!」


 ファーレンとアビスの声が、調理場まで聞こえてきた。二人はアムルタート、クルスの四人で農園を作るべく、土地の相談に行っていたはずだ。ならば、声こそ聞こえてこなかったが、クルスとアムルタートも一緒であるだろう。


「ぎゃー!大師匠!おっぱい見えそうですよ!」


 続いてこんな声が聞こえてくれば、少しだけ残念に思い眉を寄せた。もうクローディアはノースリーブなど着てくれないに違いない。結構似合っていただけに残念である。


(ああ…ノースリーブなんてどこから出したものかと思ったが、あれはファーレンのか?)


 ところで、ノースリーブといえばファーレンだ。彼女以外にノースリーブを買う人間など、ここにはいない。となれば、クローディアが着ていたサイズ違いのノースリーブは、ファーレンの物なのだろう。良かれと思って貸したものの、いざ着てくれたと喜んでみれば、胸が見えそうな状況でリビングにいた訳だ。大いに慌てたに違いない。


(落ち込んでたら、慰めてやるか)


 耳をだらりと垂らして反省するファーレンの姿を想像すると、くくく—と、笑みがこぼれる。心持ち、ファーレンの夕食は多くしてやる気になった。






 ダイニングテーブルに料理を並べる横では、早くもタンパク質が夕食にありついている。ビタミンはテーブルの上だ。こいつは何故か葉野菜に目がないらしい。謎である。


「タンパク質、よし。ビタミン、よし。ヒヨさん、よし。エル、よし。…後はアーサーさんか」


 忘れないように、アーサーさんの夕食は別に取り分けてから、皿を各員の席へと並べて料理を盛り付ける。


「うむうむ!問題なそうじゃな!」


 己の飾り付けに満足したところで、クローディアの嬉しそうな声が聞こえた。調理場から顔を出してみれば、アビスとファーレンの笑い声も聞こえる。先程、ガチャガチャとやっていたやつが完成したのだろうか。


「師匠!夕食できてますから、ダイニングに来れるように、リビングを片付けてくださいよ」


 リビングへ向けて声を張り上げると、アビスとファーレンの叫び声に続いて、ガタガタと慌ただしく、何かを動かす音が響き始める。


「ふふ、そんなに慌てなくてもいいのに」


 最後の仕上げとばかりに、皆の皿の前へナプキンを置いてゆく。最後に俺の皿の前へナプキンを置いたところで、最も上座であるアビスのナプキンは、ビタミンが床に落とした。


「おら!悪戯すんな。食ったなら出てけよ」

「なう」


 ビタミンは配膳台の上に飛び乗ると、余ったナプキンの上で丸まった。この野郎—と思わなくもなかったが、猫に怒っても仕方ない。アビスのナプキンは俺のものと交換し、床に落ちたナプキンは、悪戯っ子のビタミンを包むのに使った。


「ゴロゴロ」

「ゴロゴロじゃねぇ」


 何故か気持ちよさそうに、喉を鳴らすビタミンの額をくすぐりつつ、思いを巡らせる。アルセイドに出てきてからこっち、実に賑やかになったものだと思う。少し前までは、騒ぐ者などファーレン一人であったものだが、ヒヨさんやエルに加えて、タンパク質にビタミンという家族も増えた。クルスの個性が強まってきたことも理由の一つにあるだろう。そしてまた一人、アムルタートという可愛らしい仲間が増えた。更には、時期こそ未定であるが、もう一人、増える予定もある。


(もう少し、広い屋敷を購入しておくべきだったかな?)


 未だに自我を取り戻さない、内なる力に向けて尋ねる。答えなど帰ってこようはずもないが、それでも俺は満たされていた。


(イチロー達が帰ってきたら、この賑わいに驚くかもな)


 テーブルにバケットとスープの大皿を載せて、準備完了である。うん—と己の仕事に満足して、大きく伸びをした。


「一番乗りである!」

「アビスさんずるっこですよ!」


 息を弾ませながら食堂に入ってきたのは、アビスにファーレンだ。二人が飯時に上機嫌なのはいつものことだが、今日に限っては気味が悪いほどだ。どうしたというのか。


「あれ?アビスさん、アムルタートさんは?」


 平常ならばアビスが肩を貸していたアムルタートの姿がなく、訝しんで声をかける。食欲魔神のアビスといえど、アムルタートを置いてくるのは酷いと思う。だがしかし、当のアビスには、アムルタートのことを指摘しても慌てた様子がない。既にナプキンを広げて着席しようとしていたが、ニヤリと笑いリビングへ視線を向けた。


「見ているである。すぐに来る」


 それだけ言うと、アビスはファーレンと共に、さっさと着席してしまった。


(なんのことだ?)


 言われた通りに食堂の入口へ目を向けていると、カツン、カツン—という硬質の音がこちらに向かって近づいてくる。ややあって、ドアの陰から現れたのは、パワードスーツとも呼ぶべき外骨格に身を包んだアムルタートであった。


「おお…これは予想外だ…」


 近づいて、矯めつ眇めつ観察すれば、どうやらそれは、文字通りパワードスーツで間違いないらしい。腕や脚の動きを補助する目的で作られたものであるらしく、腰に固定された魔石が動力となっているようだ。関節部は蛇腹構造となっており、人体の動きを完全にカバーできている。なるほど、これならば、筋力の衰えたアムルタートでも、一人で活動できるだろう。

 

「これは…また、凄いですね。短期間でよくもまあ、これほどの物を作り上げたものです」


 手放しで称賛すると、アムルタートに続いて現れたクローディアは、ニヤリと不敵に笑ってみせる。自信作なのだろう。


「もともと、構想はあったからのぅ。クルスと共に練った義手や義足の技術を、さらに発展させたものじゃ」

「え?」


 思わぬ答えに顔を上げる。クローディアの背後にはクルスが控えていたが、功を誇ることもなく、黙って微笑んでいた。


「凄いじゃないか、クルス」

「はっ!お褒めにあずかり、光栄至極であります」


 声をかければ、返ってくるのはいつものクルス節なのだが、それも今は誇らしい。クローディアに師事して錬金術をやり始めたのは知っていたが、義手や義足を作ろうとしていたことなどは知らなかった。チョイスの理由は不明であるが、野暮なことは言うまい。


「少し見せてもらっても?」

「え?あ、はい。どうぞ」


 アムルタートに許可を取り、動かしてもらう。パワードスーツと表するよりは、強化外骨格と言うべきか。構造的には、俺の世界に出回っていたものと、ほぼ一緒であるようだ。俺も一時期だけだが、使ったことがあるので知っている。いや、俺が知っていたからこそ、その知識がクルスに継承され、それをクローディアが形にしたのだろう。


「ん?これは…タイヤ?」


 ところで、外骨格の足元には、拳代のタイヤが取り付けられていた。これは何だ?—とクローディアに視線を向ければ、大きなクマを目の下に作ったクローディアは、自慢げに語った。


「そこが一番苦戦したのぅ。なんせゴムの木の樹液と言われても、クルス自身がよく分かっておらんかったしのぅ。樹液自体は確保したものの、加工方法もさっぱりじゃ。だからの、アーサーさんと共に、全く新しいゴムの作り方を試行錯誤したのよ。原材料はスライムじゃ」


 用途を聞きたかったのだが、製作秘話を語られた。まあ、それはそれで面白かったのだが。原材料はスライムか。そうかスライムなのか。流石は異世界といったところか。


「で、用途は?」

「ぬ?これはの、魔石の魔力を外部装置から急速充電できるようにしてある。折り畳んで外部装置に格納すれば良いのじゃ。けれども、筋力の低下したアムルタートでは難しいじゃろ?じゃからの、脱ぎさえすれば、勝手に外部装置へと格納させるようにしたのじゃよ」


 なるほど。どうやら、先程ガチャガチャと角を引っ掛けていた大型の魔道具は、強化外骨格の魔石へと、魔力を補充する装置であるらしい。魔力の補充など手動でできないわけでもないが、そこはクローディアのことだ。将来的なことも見据えて、あえて試作してみたのだろう。


「それにしても、タイヤですか。これは、馬車の乗り心地も改善されそうですね?」


 アンラで乗った馬車を思い出しながら、渋い顔を作る。あの時に乗せてもらった馬車は、振動を抑えられるように、車輪と座席を分離させた構造のキャリッジと呼ばれるものだ。一般的な馬車であるコーチとは違い、富裕層向けの高級品である。だがしかし、それでも尻は痛かった。痛かったのだ。思わず、己の臀部に手が伸びる。労わるかのように、優しく摩ってやった。


「…お主、馬車なんて乗らんじゃろ?」


 そんな俺の内心を見透かしているかの如く、クローディアがジト目を向けてくる。仕方ないじゃん。耐えられないほど痛かったんだから。


「分からないですよ大師匠!この間みたいなことが、ないとも言い切れませんから!」

「そんなのどうでもいいであるな!いつまで突っ立っているである!さっさとお代わりを寄越すである!」


 二人のフードファイターの声に、肩越しに視線を向ければ、仲良くこちらに皿を突き出していた。こいつらは本当に。


「じゃあ、食べますか」

「うむ」


 俺達が席につけば、遅れてアムルタートも着席する。魔道具の感触を確かめるかのように、ゆっくりとした動きであったが、見ている限りでは、日常生活に不足はなさそうだ。良いものを作ってくれたものである。


(これが普及すれば、働けなくなった人達も、少しは救われるかもしれないな)


 この世界はある意味において正しく、そして残酷だ。一年のうちで生産性のある活動期間となるのは、冬を除いた春、夏、秋の270日あまり。その時の蓄えは、冬の90日でまるまる消化されてしまう。そうなれば、将来的な貯蓄などできようはずもなく、金回りの良い高位の冒険者や商人、あるいは貴族階級にある者を除いて、一年単位での自転車操業を繰り返せざるを得ない。結果、身体を壊したりして働けなくなれば、貧民に身を落とし、緩やかに迫りくる死を待つのみとなる。


(俺達だって、死霊騎士(デュラハン)の装備が想像を絶する高額で捌けたからこそ、こんな生活ができているだけで、本来ならば、低位の冒険者である以上、日々の糧を得るのに必死だったはずなんだよな)


 そう思えば、この地にもある貧民街に暮らす人々が他人には思えず、ちくりと胸が痛む。元々は冒険者であったのか、大きな傷の目立つ脚を引きずって歩く大男。魔物にやられたのか、片腕のない細身の男。俯いたまま空腹に耐える子供達。


(…クルス、お前、もしかして…)


 ふと思い出すのは、以前、一緒に貧民街を見たときのことだ。特に用があった訳でもなく、迷い込んだのである。その時のクルスの顔は、一言では語れない深い色を湛えていたものだ。行くぞ—と声をかけてから、クルスが応じるまでには、しばしの間があったことも記憶に焼き付いていた。


「早くお代わりを寄越すである!」


 さらに思いを巡らそうとするも、アビスの怒りで現実に引き戻された。手前でよそれよ—と睨みつければ、アビスよりもアムルタートの顔に緊張が走る。本人は微塵も気にはしていないらしい。


「アムルタートさん、どうですか?食べられそうですか?」


 さて、アムルタートが俺達と全く同じものを口にするのは、今日が初めてとなる。アビスとファーレンにお代わりを盛り付けつつ尋ねれば、慇懃に頭を下げて、彼女は応じた。


「はい。皆様のお力添えもあり、ほぼ元通りです。まだ量は食べられませんが、少しずつ食べられる量を増やしてゆきます」


 アムルタートの幸先の良い言に、俺のみならず、皆が破顔する。見た目はもう完全に元通りではあるものの、頰は痩け、筋力は衰え、少し活動しただけでも玉粒の汗をかいていた彼女だ。強がった様子のない物言いは、素直に喜ばしかった。


「それは良かったです。さて、じゃあ私の方から今日の報告を—」


 ナイセイルとアルセイドでは、植生も、魔物も異なる。食のレベルを一層と高める上で、ナイセイルへの橋渡しは不可欠と考えている。そのために、ナイセイル目指して迷宮内を進んでいるのだ。その進捗を報告しようとしたところ、視界がぐにゃりと歪んだ。


(これは…)


 まるで俺の認識する世界に、誰かが割り込んできたかのような感覚を受けた。俺の視界を乗っ取ろうとしているのか、眼が独りでに動き、指が震えた。全身に力を込め、違和感を捻じ伏せてから、大きく嘆息する。


「お、おい…どうしたのじゃ?」

「閣下!?何があったのでありますか!?」

「むもぅ!ふふぅ!むふぅ!ふぶぅ!?」


 俺の剣幕に心配して身を乗り出そうとする皆を手で制し、チラリとアビスヘ視線を向ける。アビスは余裕綽々といった様子で、俺の異常などなかったかのようにパンを貪っていた。その反応で、俺に何が起きたのか大体察した。


『…ここはどこ?』


 脳裏に声が聞こえた。ああ、やっぱり—と、安堵の息を吐く。弱々しいが、確かに聞こえた声は、女性のものだ。ザリチュではない。となれば、残るは彼女のみだろう。


「あ、あの…オサカ様?」


 急に黙り込んだ俺の様子に、不安げな声を上げるアムルタート。大丈夫だと笑いかけてから、静かにするように—とジェスチャーをして見せた後、己の内へと語りかけた。


(貴女がええと…アムルタートさんのお姉さんですか?)

『アムル、タート?…』


 ところが、アムルタートという名前には聞き覚えがないのか、んん?—と、内なる声は考え込み始める。これには面食らった。


(あら?どういうことだ?)


 怪しくなってきた雲行きに、俺の顔も自然に強張る。それらしい魔素を隔離し、ちまちまと魔力を与えて育てていたのだが、アムルタートの姉だろうと思っていた者は、全くの別人であったのかもしれない。小学生の頃、カブトムシの幼虫だと思って飼育していた虫が、ある日、学校から帰ってきたら、蛾になっていたことを思い出した。


『アムルタート!そうよ!私はアムルタートの姉!ハルワタートよ!貴方はだれ!?ここはどこ!』


 ところが、内なる声は己が何者であるかを思い出したらしく、盛大に騒ぎ始める。おお、よかった—と安堵しつつも、今度はその声量に顔をしかめた。


(師匠とファーレンを足して、2をかけたかのような喧しさ)


 渋い顔を隠しもせずに眉間を揉んだ後、顔を上げてアビスとアムルタートを見る。それだけでアムルタートは察したらしい。食器を取り落として、信じられない—とばかりに口元を手で覆う。アビスもまた理解できたらしく、俺に笑いかけながらも、アムルタートの肩を叩いていた。


「ハルワタートさんが目覚めました」


 俺の言に一同が湧き立つと、それを騒がしく思ったのか、ビタミンが調理場へと戻ってゆく。ドアはアーサーさんが開けてくれた。


(ハルワタートさん、アムルタートさんは保護し、ザリチュも滅しました。一先ずは安心して大丈夫です。私は竜神アビスの友人で、オサカと申します。今まで、ハルワタートさんは魔力の塊となり、私の中で眠っていたのです)


 なるべく不安を抱かせないように、ゆっくりと、優しく説明した。


『…おっさんの…友人!?…信用できないわ』


 しばらく間があってから、ようやく口を開いたかと思えばこれである。肉体があったならば、きっと、物凄く訝しげな目をこちらへ向けていることだろう。アビスはどれだけ悪く思われているのか知らないが、そのあまりの物言いに、すん—と、俺の顔から一切の色が落ちる。もう食い殺してやろうかな—と、半ば本気で考えた。


「す、すみません!姉はだいぶ勝気な性格なので!悪い人ではないのです!落ち着いてくださいオサカ様!」


 ハルワタートの声に、なんとか我に返る。己に言い聞かせるように問題ないことを伝え、再びハルワタートへと語りかけることにした。


(私の視界を共有する事は出来そうですか?目の前にはアムルタートさんがおりますので、見てもらえれば信用していただけるかと。私にはやり方が分からないので、ハルワタートさんからやってもらえると助かるのですが…)


 この言葉にやや間があって、ハウルタートの声が聞こえた。


『アムルタート…あれがアムルタートなの?可哀想に…あんなに細くなって…ちょっとあんた!どういう事よ!何でアムルタートがあんなことになってるのよ!訳わかんない装置に繋がれてるし!返答次第によっちゃ—』


 訳わかんない装置とは、強化外骨格のことだろう。そうきたか—と、頭を抱えた。すると今度は、目を開けろ!やましいことがあるんだろ!?—と責められる。気が付けば、手に持っていたフォークが、顳顬を揉んでいるうちに折れていた。ふぅぅ—と深く深く深呼吸して、己を落ち着かせる。


(うるさい黙れ。今すぐ潰されたいのか?)


 けれども、心は正直だ。なるべく円満に治めるべく抑えていた猛りという大波は、いとも容易く理性の土塁を決壊させた。けれど、彼女のターンはまだ終わらない。静まり返るどころか、やっちまった—と、俺が反省するよりも早く、ハルワタートは噛み付いてきた。


『ちょっとあんたふざけないでよね!下手に出ていればつけあがって!出てきなさいよ!格の違いを教えてあげるわ!』


 助けてあげたのに、なぜこうも責められなくてはならないのか。やるせない思いに、ついに憤慨する。


(テメェがいつ下手に出たよ虫けらが!いいよ、今からそっち行ってやる!もう許さねえからな!アムルタートの姉とか関係なしだ!捻り潰してやる!)


 徐に立ち上がり、心配させないよう、皆へ笑いかけた。けれども、どうしたことか。皆は青い顔で俺を見上げている。アビスすらも難しい顔をしていた。


「少し疲れたので、寝てきます」


 一同が頷いたのを認めてから、踵を返して自室に引き上げる。こうなったらもう知らん。女だとて容赦するつもりは皆無である。戦争だちくしょう。






「ふぅん…オサカ、ね」


 ベッドに飛び乗って、ムカムカしたまま眠りについたのだが、気が付けば、ザリチュとも会話した、真っ暗闇の中にいた。俺とハルワタートだけは、スポットライトの如き降り注ぐ謎の光に照らされていたため、すぐに判別できた。


「まだガキじゃない?本当にザリチュを倒したの?」


 殴ってやろうと意気込んできたは良いものの、実際に顔を突き合わせてみれば、向こうは別に責めている訳でもなく、喧嘩を吹っかけている訳でもないらしい。こういう性格なのだろう。なんとなくそれが分かって、いくらか冷静になれた。


「で、私のことは知っているのよね?ハルワタートよ。よろしく」


 機関銃かのように、延々と一人で喋り続けている、金髪碧眼の町娘。弱気で木訥なアムルタートと、勝気で煩いハルワタート。正反対な姉妹だな—などと感じた。


「そもそも、ザリチュを倒せるならさっさと倒しなさいよ!あんたがトロトロしてるから、私が取り込まれるような事態になるんじゃない!どうすんのよ!肉体失ったわよ!」


 知らねえよ—と、嘆息する。彼女が肉体を失った頃、俺はきっと生まれてすらいないのだ。無茶振りも良いところだと思う。


「ホムンクルスを作りますから…それで肉体は我慢してください」

「はあっ!?ホムンクルスって何よ?馬鹿じゃないの?私は神よ?肉体くらい自前で作れるわよ」


 やっぱり殴ろうかな—と暴力に訴えたい思いが、チラチラと顔を覗かせる。ホムンクルスを知らないなら、馬鹿だとか言うなよ。


(それにしても、なんだろうか。この既視感は…)


 ふと、この理不尽さに懐かしいものを感じて、記憶の蓋をこじ開ければ、社会人だった頃を思い出した。課長だ。いつもいつも無理難題を吹っかけてくる、俺の直属の上司だった女傑もまた、こんな感じの人だった。


(あー、すっかりと忘れてたな)


 転勤や出張が嫌で、それらがない茨城県の工場に就職した。ところが、それから5年もしないうちに、たまたま完成品の立会として、本社からやってきていた課長—当時は係長だった—に、召し上げられてしまったのである。俺の何がお気に召したのかは知らないが、しがない作業員として一生を終えるはずだったのに、気が付けば技術職の花形である本社の設計・開発部署に回されたのは、いい迷惑だった。


(…種籾(たねもみ)課長と話す時は、どうやって怒りを堪えてたっけ?)


 種籾はその管理能力を評価されて、技術部署の取りまとめに抜擢された経緯を持つ。本人の技能や経歴は技術職とはかけ離れていたため、営業の発言を鵜呑みにしたりと、度々やらかすことはあった。だが、俺達をその気にさせるのも上手かった。女の身でありながらも、史上最年少で課長職まで上り詰めたのは、決して運だけではないだろう。


(客先の環境は8bitなのに、32bit相当のプログラムを動かせ—とかな)


 営業の発言を鵜呑みにした結果、こんな仕事をうちの部署で受け持ったこともある。思い出しただけでも笑えてくるくらい、無茶苦茶な要求だ。まあ、やって退けた訳だが、相当に苦心した。これを文系の方々に理解できるよう説明するのに、皆で頭を捻ったことも、今となってはいい?思い出だ。


(…種籾課長だと思えば、そうそう怒りも湧いてこないか)


 強烈な個性を持つ上司に苦しめられた経験が、こんな場所で活きてくるとは誰が予想しただろうか。すっかりと落ち着きを取り戻した俺は、余裕の笑みでハルワタートに応じた。


「それはすみませんでした」

「き、キモい!キモいわよあんた!本当にキモいわよ!何をニコニコしてるのよ!?」


 けれども、何が不満なのか、青い顔で退がりながらハルワタートは喚き立てる。俺のどこがキモいというのだろうか。全く、失礼な話だ。


「まあ、そう言わずに。さてと、少しお互いについて話しませんか?色々と誤解があるようですので。きちんと事実の擦り合わせをしておきましょう」


 俺の言葉を吟味するかのように、しばし考え込んでいたハルワタートであったが、チラリとこちらを一度見て、一歩後退ってから頷いた。


「分かったから、近寄らないで」

「いやいや、いくら何でも失礼であるな、それは」


 突然、割って入った声に、俺もハルワタートも耳驚いて辺りを見回す。聞き間違いでないことは、互いの表情が物語ってはいたが、夜闇も真っ青の暗がりの中では、他に誰がいるようにも見えなくて首を傾げた。


「うはは、ここであるな」


 暗がりの中程へスポットライトが当たると、そこには数多の影を引っ提げて、仕立ての良い衣服に身を包んだ、白髪の紳士が佇んでいた。紳士は語るまでもなくアビスその人である。切り揃えられた髭を撫でながら、どうよ?—と言わんばかりに不敵に笑っていた。


(…何でアビスさんだけ、あんなにスポットライトが多いんだ?)


 どうやってここに来たのか?—を聞いてほしい様子だが、大して興味が湧かない。それよりも、俺やハルワタートが頂点からのライト一つなのに対して、アビスはどういう訳か、四方八方から照らされているのが気になった。アイドルかよ。


「うん?何であるかその顔は?何か聞きたいことがあるであるか?」

「…どうしてここにいるんですか?」


 アビスはよほど聞いてほしいらしい。意地悪して引っ掻き回すのも面倒なので、素直に聞いた。


「うむ。我ほどの竜になるとは、貴様と魔力の波長を合わせることなどは容易いのである。波長を合わせて、貴様の心の中へ潜り込んだのであるな。まあ、肌を合わせていないとならないのが難点であるが—」

「おい待て」


 ふぅん—と適当に聞き流していたのだが、不穏な言葉が聞こえた気がして、思わず止めた。今、アビスは何と言っただろうか。肌と肌を合わせる?それってあれか。つまりは、アビスは俺に添い寝してるってことか?


「肌と…肌を合わせて?」

「肌と、肌を合わせて—である」


 恐る恐る尋ねるも、聞き間違いではなかったらしい。全身を走る悪寒に身震いしながら、立ち上がる鳥肌を必死に摩った。


「あんた…もしかして、おっさ…アビス様?」

「…相変わらず無礼な奴であるな、ハルワタート」


 アビスを指差して尋ねるハルワタートに、憮然とした顔で嘆息するアビス。アムルタートと知り合いであるならば、ハルワタートとも知己であることは自然なことだが、アムルタートに対する態度と、ハルワタートに対するそれでは、随分と違いがあるように思われた。


「え?本当にアビス様?何その顔!?すっかりおっさんじゃない!あはははは!」


 どうやら、ハルワタートは人を苛つかせる天才であるらしく、見る見るうちにアビスの顔には青筋が増えてゆく。まさか、格上のアビス相手であっても、態度を改めないとは。大した器の持ち主であるらしい。変なところで感心した。


「むん!」

「いった!?」


 ツカツカとハルワタートの元へ歩いていったアビスが、拳骨を振り下ろす。頭を押さえて蹲るハルワタートの姿に、この上なく溜飲が下がった。見れば、アビスも晴々とした表情を湛えていた。


「アビスさん、グッジョブ」

「任せるである」


 ハルワタートの扱いは、あれで良いらしい。今後は俺も遠慮なく殴ろう。

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