真、二度目の戦闘をする
『へぇ、もう魔術を発動させられたのか。マコトは才能あるんだな』
私達は、ディメリア帝国から南下して、アンラ神聖国へと向かっていた。この世界は一つの大陸となっており、四つの大国が存在するらしい。
一つはあたし達が今いるディメリア帝国。軍事力に優れ、戦争を繰り返して、小国を併呑し巨大な国になった軍事国家だ。北側は海に面しており国土は菱形。内陸から海へ向かうにはゴゴ大森林という巨大な森林を抜ける必要があるため、沿岸部とのやりとりはそう多くない。南の国境は山脈になっており、帝国のお家芸とも言える攻城兵器を他国に運ぶのは難しい。故にこれ以上の巨大化はないだろう—と言われている。ちなみに、魔術師の地位がやたらと低く、魔術師ギルドは肩身の狭い思いをしている。
一つはあたし達が今向かっているアンラ神聖国。女神教という宗教を国教としており、国王は教皇でもある宗教国家だ。国王は常に民衆を優先する政治を行っており、民衆からの人気は絶大であるものの、軍事力という意味では若干弱い。そのくせ、四方を他国に囲まれていながら、今日まで生き残っている不思議な国である。国土は縦に細長い形をしているが、国土のほとんどは平原であり、巨大な穀倉地帯を有する裕福な国でもある。宗教国家というだけあり、修道士が多く在籍し、法術に優れた者を輩出し続けている。アイマスとソティの祖国でもあり、普段は王都であるアンラを中心に活動しているそうだ。
一つはメキラ王国。北に帝国、西に神聖国を隣国とするこの国は、王侯貴族が国を治める君主制国家である。魔術に力を入れるこの国では魔術師の地位が非常に高く、腕前によっては貴族と同等の特権階級を与えられる事も珍しくない。それ故か魔術師の横暴なども多く、魔術師や貴族を見れば民衆は恐れおののくそうな。そういった国風に嫌気をさして国を出る魔術師も多い。国土は横長で東側を海に面しているが、この国では内陸と沿岸部を隔てる山脈と樹林により、沿岸部には人が住んでいない。国土の半分程しか人の手が加わっていない、未開の地が多い国である。アシュレイのいる場所はこの国であり、普段はメキラの王都で学者として過ごしているらしい。
一つは森羅連合。森羅教という宗教を信奉する小国群が寄り集まり一つの連合を形成する国家連合である。北にアンラ神聖国を隣国とし、国教沿いでは小競り合いが絶えないらしい。国土のほとんどを森林が占めており、町中でも木々に日差しが遮られて薄暗いのだとか。情報はほとんど表に出てこない秘密主義の国であり、その実態はよく分からないそうだ。ただし、森羅騎士団と呼ばれる他国にまで聞こえる強力無比な騎士団を擁する連合国である。
後はアンラ神聖国の西に何個か小国が存在するらしいが、冒険者ギルドが無いような国であるらしく、アイマス達も良くは知らないらしい。
『才能があるなんてものじゃないよ〜。魔術はこの世の真理を探究する学問、そう、学問の一種なんだよ〜。火を起こすとした時に、アイマスはどういう事をイメージする〜?』
さて、あたしが復習している間にも、アシュレイ達の会話は続いていた。
アシュレイの問いにアイマスは僅かに考えてから答える。
『え〜と、火打ち石とか…或いはアシュレイの魔術をイメージするかな?』
だがその答えにアシュレイはチッチッチ—と舌を鳴らす。どうやらハズレであるらしい。アイマスが不満げな顔を見せれば、アシュレイはこれが答えだ—とばかりに言った。
『マコト曰く、火と言うのは熱と光を出す現象をさすらしいの〜。要はアイマスが今言った火打ち石を叩きつけた時に出る光が火なのかな〜?で、ゆらゆらと揺れて燃え盛るのは炎と言うそうだよ。あれは私達が呼吸として吸い込む酸素という気体を燃焼させる事で発生する現象だそうだよ〜』
アシュレイの説明を聞き終えたアイマスは、即座にソティを見るが、ソティは首を振ってみせた。アイマスは眉を寄せてアシュレイに答える。
『すまん、さっぱり分からん』
『そう、そうなんだよ!分からないんだよ!』
アシュレイは突然興奮して声を張り上げる。あたし達は驚きアシュレイから僅かに距離を置く。アシュレイはそれに気が付かず、どんどんヒートアップしてゆく。
『マコトは、私達が未だに辿り着いていない、真理の一端を知っている!私達では理解すらできない、説明のつかない事象を理解出来ているの〜!それが馬鹿げた魔術の才能に繋がっているんだよ〜!そういう意味では、マコトは私達の一歩も二歩も先にいるんだよ〜!私なんて1000年も生きてるのに、15年しか生きていないような小娘にすぐに抜かれるんだから〜!うああ!生まれる世界を間違えたぁ〜!』
『そ、そうなんだ…』
アイマスもアシュレイの興奮にはついて行けないようであった。あたしもドン引きである。アシュレイは言うだけ言って満足したらしく、落ち着きを取り戻すと更に続ける。
『その炎と火の違いから始まる、火というものの性質を正しく理解した結果、私の火属性の魔術は…劇的に変わりました〜』
これは昨晩、アシュレイとあたしの火と炎の認識の違いを是正した結果によるものであった。アシュレイは驚いた事に、あたしの説明の大半を即座に理解してみせた。
それは良いとして、アシュレイの火魔術は、運用効率が随分と向上し、昨晩あたしが作り出した火柱なら、MP10程度で作り出せる様になったと豪語している。劇的?劇的であろう。
『本質を理解していると、魔力の働きが段違いなんだよ〜。例えば、炎を維持するといった場合、炎は可燃性の気体を消費して燃え続ける—という事を知らなかったら、炎を維持するために、ずっと魔力を供給し続ける事になるんだ〜。そうなると、MP消費はもとより、魔力の働きを維持に割く事になる訳だから—
『もういい!もう分かった!勘弁してくれ!頭が割れそうだ。私の頭も魔力と一緒に割くつもりか!?』
アイマスが上手いこと言ってアシュレイを制する。新しい発見にまだまだ語り足りない様子のアシュレイであったが、アイマスの様子にこれ以上語る事を諦めた様である。
代わりにソティがアシュレイに尋ねた。
『となれば魔術は一気に躍進しますね。公開なさるので御座いますか?』
だが、アシュレイは無念そうに首を振って答える。
『戦争やらなんやらを誘発しかねないの〜。更にはこの発見はマコトの存在を隠して説明ができない〜。残念だけど〜、私達の胸のうちにしまっておく他ないよ〜』
証明しろ—と言われた時、どうやって証明するのかという話だ。色々とでっち上げる事は出来るだろうが、それをやって歪みが発生した時、後々の学術の発展を妨げる恐れもあるのだろう。
アシュレイは言い終えると、深いため息をついた。思いの外悔しがるアシュレイの様子に、あたし達は顔を見合わせて苦笑した。
さて、一行は国境となる山脈を目指して南下しているが、この道程は実に10日間も続くらしい。10日程度で比較的大きな町に辿り着き、そこで国境を越える乗合馬車なり、護衛依頼を探そうという話になっている。
あたしはドライフルーツを嚥下すると立ち上がり、弓矢の練習をするべく木にナイフで傷をつける。この傷目掛けて矢を射るのだ。あたしは木から20歩離れると、弓を構えて矢を番える。
アイマスもドライフルーツを嚥下すると、あたしのそばへと歩いてきた。
『…届くのか?』
アイマスの疑問は、もっともである。何と言ってもあたしは筋力値4なのだ。この世界における一般的な成人男性の筋力値は10である。成人男性の半分以下…というか、筋力値4は子供並であったりする。
アイマスが訝しげな視線を送る中、あたしが弓の弦を引こうとして、6割程度のところで止まる。あたしの顔はリンゴの如く、真っ赤になっている事だろう。
『まぁ、昨日と同じだな。わはははは』
『うぬぬ…ふっ、だが昨日のあたしとは違う。何故なら、今のあたしには魔術があるのだから!刮目せよアイマス!』
あたしは鏃の先に魔法陣を展開すると、6割程度しか弦を引けていなくとも矢を射る。射出された矢は、恐ろしいスピードで飛翔した。その威力はまさに剛弓。アイマスが驚くよりも早く、あたしの射った矢は木の脇を抜けてその奥に佇む関係のない木を数本なぎ倒した。
『…』
『…』
あたしとアイマスは黙って倒れた木々を眺めている。ソティとアイマスが後方で爆笑している声が聞こえれば、あたしは別の理由で赤くなった。
風に乗って漂ってきた土埃を払いながら、アイマスがあたしに言う。
『私達が前にいる時に射らないでくれな』
『わ、ワンモアチャンス!』
そう言って再び矢を番えると、6割程度まで引いて射る。今度は、先程とは違う魔術である。
あたしの射った矢は再び目当ての木からは大きく外れるルートへと飛んでいったが、途中でカクンと不自然にルートを変えると、横方向から目印目掛けて突き刺さった。
後方からはソティとアシュレイの感嘆の声が聞こえる。あたしはどうよ?—と、ドヤ顔でアイマスを見る。アイマスもまた感嘆の声を上げてあたしに尋ねた。
『すごいな、これはどういう事だ?』
『ふっふっふ。実はね、このナイフで傷をつける事により、傷は魔力に反応して磁化される様になるのさ!そんで鏃の先端は異極の磁力を与えて、矢尻は同極の磁力を与えてやればあら不思議。矢が近付くだけで、勝手に傷目掛けて刺さるという寸法さね』
アイマスはあたしの発言に、しばし眉間を揉んでから言った。
『…つまり、事前にナイフで切りつけないといけない訳か?』
『…おうよ』
『本末転倒じゃないか?』
『…おうよ』
『現実的じゃないな…』
『…おうよ』
アイマスの指摘を受ける度にあたしは気落ちしてゆく。ずぅんと暗い影を背負うあたしの頭を、アイマスは撫でて言う。
『まあ、あれだ。魔術が普通に使える様になっているだけでも私達にとっては有難い。その調子で頑張っていこう』
『おうよ!』
あたしは力強く頷くと、徐に矢の突き刺さった木へと歩いてゆき、矢を抜こうとする。まだまだ矢を使い捨てれる程の贅沢は出来ないのだ。けれども、矢を握って必死に引っ張るが、矢は微動だにしない。あたしの顔が真っ赤になってきたあたりでアイマスが動く。
アイマスは片手で矢を掴むと、一気に引き抜く。あたしは何とも言えない顔でアイマスを見た。アイマスも微妙にきまりの悪い顔で、あたしを見ていた。
『あたしの全身を使った動作よりも、アイマスの右腕一本の力が勝るのか…』
『言うなよ…微妙に気にしてるんだから』
二人はどちらもテンションを落としながら、ソティとアシュレイの元へと歩いた。
さて、昼休憩を終えた私達は、歩みを再開する。
ちなみに、先の傷つけたものを磁化させる魔術は、既存の魔術ではなくオリジナルの魔術である。一度傷をつけてしまえば、魔力に反応して傷は磁化される。その磁束密度は半端なものではなく、磁性体—魔力を引き寄せる力は生半可ではない。
あたしはナイフのみならず、矢で傷つける事によってもこの魔術を発動させる事ができる。実はそれなりに応用が効く魔術であるのだ。
アシュレイ監修のため、実はあたしよりもアシュレイの方が精度の高い運用ができるのは悔しい。
『人里から大分離れたな。この辺まで来ると、魔物も少し手強くなるし、人間を襲うタイプの奴も増えて来る。マコトは気をつける様に』
アイマスの言葉にあたしは首肯する。この世界では人の暮らす町や村などは、周囲を精霊石で囲い結界としているらしい。これだけで一部の例外を除き、弱い魔物は近付いてこなくなるそうだ。一部の例外とは、迷宮から魔物が溢れるスタンピード現象である。
さて、精霊石は魔素を吸収する効果がある。そのため、人里の近くにおいては大気中の魔素は少なく、魔物も強力には育たない。だが、人里から離れると、精霊石の恩恵は届かなくなり、魔素の満ちた空間となる。
そうなれば魔物も強力に育ち、人に襲い掛かるほどに凶暴な個体も増えて来るのだ。あたし達はそういった危険地帯へ足を踏み入れたのだ。
さて、今あたし達が歩いているのは疎林であった。疎林を回避して大きく迂回する手間暇と危険度を天秤にかけた結果、あたしの存在を加味しても、疎林を突っ切るべきと話が纏まったのだ。
あたしは僅かに高鳴る心臓の鼓動を感じながら歩いていた。木や地面に視線を走らせて、異常がないか確認しながら。
やがてあたしの目がおかしな痕跡を発見した。
『ストップ!』
あたしの制止に一同が足を止めてこちらを見る。あたしは恐る恐る一本の木に近付くと、木の表面を指差した。そこには、大きな爪痕が刻まれていたのだ。
『縄張りのアピールだよね…魔物…なんだよね、きっと。何の魔物か分かる?』
あたしの言葉に三人は顔を見合わせた後に首を振った。木の幹に付けられた爪痕は、かなりの大きさであった。それこそ、手のひらだけであたしの頭部を超えるサイズであっても不思議ではない程の巨大な傷跡である。
アイマスはその傷跡を見て唸った。しばらくして顔を上げたアイマスが三人に提案する。
『引き返そう。ここまで大型の魔物がいるとは思わなかった。出会えばタダじゃ済まないだろうな。幸い森に入ってからはまだそこまで歩いていない。今のうちなら引き返せる』
アイマスの言葉に三人は首肯した。先頭をアイマス、あたしとアシュレイがその後を歩き、ソティが最後尾から後方を警戒する。もっとも安全と思われるフォーメーションで私達は森を引き返した。
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四人が森を抜け切った頃、それは例の傷のある木の前に姿を見せる。地面を揺らしたのは巨大な前足。黒い体毛に覆われた前足からは、鋭い爪が僅かばかり露出しており、その大きさに不釣り合いな程に足音は小さい。
次いで木陰から現れたのは獅子の顔であった。ギョロリと覗く大きな眼が周囲をくまなく見渡している。鼻がヒクヒクと動いているのは人間の匂いを感じ取ったからであろうか。
その獅子の顔のすぐ脇を蛇が通過する—否、蛇の頭部は獅子の顔の僅かに上空で留まると、舌をチロチロと出し入れしながら獅子同様に周囲を睥睨している。
—メヘヘヘヘェェェ—
何処からともなく山羊の鳴き声が疎林の中に木霊せば、獅子は僅かに前へと進んだ。獅子の鬣の全容が木陰から姿を見せる。雄々しい鬣はまるで獅子の格の高さを示すかの様に靡いていたが、どうにもその靡き方が不自然に思われる。
その理由はすぐに判明する。鬣のすぐ傍から何かが顔を見せた。それは山羊であった。山羊の頭部が獅子の肩、鬣のすぐ傍から覗いていたのだ。獅子は頭を下げて木の匂いを嗅ぐと、何やら不審なものを感じたのか、匂いの元を辿るべく身体を完全に木陰から出して見せた。
獅子は、獅子であって獅子ではなかった。肩には山羊の頭部を持ち、尾は蛇である。それはキメラと呼ばれる錬金術が生み出した負の遺産である。
かつて、とある錬金術師が、生物同士の合成を何かに取り憑かれた様に繰り返した。その結果生まれたのがキメラの数々である。
錬金術師はキメラの餌を確保するため、夜な夜な町に繰り出しては人を攫うようになったのだ。錬金術師の悪事はやがて判明し、即座に首を刎ねられた。
だが、キメラは死を逃れたのだ。錬金術師の死と共に、キメラを閉じ込めていた檻が解放され、キメラは野に放たれたのだ。多くの衛兵や町人達を食い殺して、キメラは世界各地に散っていった。最悪の事件の一つとして今も語り継がれる実話である。
そんなキメラが何処から現れたものか、ディメリア帝国の町からさほど離れていない疎林に住み着いたのである。出会ってしまえばアシュレイ以外は歯が立つまい。四人は真の洞察力とアイマスの判断力に救われた事になる。
**********
さて、私達は疎林から離れて、大きく迂回を初めていた。ソティが笑顔であたしへ声をかけてきた。
『素晴らしい目で御座いますマコト。それ程の洞察力、何処で身につけたので御座いますか?』
『ふふん!かつてはアルカンシエルを手に、数々の罠を踏破したあたしだよ!あんな大きな傷跡を見逃す訳ないね!』
ゲームの話であるが。だがゲームで培った洞察力に救われたのも事実である。
平静を装っていたが、結構あたしの心臓は高鳴っていたのだ。人生二度目の戦闘であんな大物と戦いたいと思えるはずもない。
『いや、本当に救われた。獣系の魔物は高レベルになればなるほどに大型化してゆく傾向がある。あれ程の爪痕だ。出会えばアシュレイ以外は即座に餌になっただろうな…私もまだまだだ』
『…え?そんなに?』
そしてアイマスの言葉にブルリと震えた。
そこまでの強敵が身近に潜んでいようとは思ってもみなかったからだ。もう少し辺境まで行かなくては、高レベルな魔物はいないものだと考えていたし、実際にそういう説明であった。
途端にカクカクと動きが怪しくなるあたしを笑う三人。
一頻り笑った後にアイマスが言った。
『とはいえ、あれは異常事態だろうな。あの疎林はそこまでの魔素を溜め込んでいる訳ではないだろう?となれば、何処からか流れてきた大型魔獣と見るべきか…アシュレイ?』
『ん。その整理で正しいと思うよ〜。あんな大型魔獣がここいらの魔素で生まれるとは思えないから、何処からか流れてきたんだろうね〜。私もまさかあんな所で—という思いがあったから、警戒が疎かになっていたよ〜。マジでマコト様々だね〜』
そう言いながら、アシュレイは空をキョロキョロと見回している。
首を傾げてそれを見ていると、アシュレイが鳥の群れを見つけて杖を振るった。するとどうした事か、鳥の一羽がアシュレイの元へと飛んできた。
あたしが驚きに口を開けっぱなしにしている中、アシュレイはツラツラと羊皮紙に何かを書いてゆく。
『よしっ、じゃあこれを宜しくね〜』
アシュレイは鳥の足へと羊皮紙を括り付けると、空へ飛ばした。鳥が見えなくなるまで空を眺めていたあたしは、正気に戻るや否やアシュレイへと尋ねる。
『い、今のは?』
『呪術だよ〜。鳥さんを一羽支配下に置いて〜、この間までいた町の魔術師ギルドへと手紙を送ったの〜。流石に捨て置けないでしょ〜』
ほぅほぅ—と頷いた。そう言えばアシュレイは呪術師であったはずだ。こういった術でこそ、アシュレイの真価は発揮されるのかもしれない。
鳥を見送ったあたし達は、これで務めは果たした—とばかりに歩みを再開した。
そのまま疎林を迂回する街道脇まで出ると、街道横に天幕を張って、その日は夜営する事にしたのであった。
あたしが異常を感じたのは、それからしばらくしてからの事である。その日もあたしはアイマスと共に弓矢の訓練をしていた。あたしが弓矢を射る際の軸のブレだったり、構えのおかしな点をアイマスが指摘しているのだ。
あたしは訓練用の矢として何本か使用する矢を固定して、それを使い回していた。射っては拾い射っては拾いの繰り返しである。あたしが矢を拾いに向かった先の草むらで、地面が湿っている事を目敏く見つけたのだ。あたしは魔術師よりも野伏の方が向いている気がしないでもない。それは置いておくとして、即座にアイマスを呼んだ。
『アイマス、ここ湿ってる。それと、この湿り気…臭い。何かの涎っぽい臭い。地面も暖かいよ!』
『…マコトは野伏の方が向いているかもな。…本当だな』
アイマスも鼻を近付けて臭いを嗅ぐと、唾液特有の臭みに顔を顰める。今までこの付近に何かいた事は間違いなさそうである。
アイマスはすぐにソティとアシュレイに声をかけて警戒を促す。頷く二人の横では、あたしも装備を万全にしていつでも仕掛けられる様に身構えていた。アイマスがアシュレイに尋ねる。
『アシュレイ、この辺で唾液を垂らす魔物って何か分かるか?』
『オークかコボルトでしょ〜ね〜。すぐに仕掛けてこなかったところを見るに、コボルトかな〜。数を集めてるんじゃな〜い?』
アシュレイの言葉にあたしは慌てる。
『ちょちょ、ちょっと待ってよ!数を集めるとか反則じゃない!?やるなら正々堂々一対一でやりあおうよ!』
『まあ!それはつまりマコトにも一体任せてよろしいので御座いますね。負担が減るのは大助かりで御座います』
ソティが手を叩いてあたしの揚げ足を取る。あたしは泣きそうになりながらソティに縋り付くも、ソティはニコニコと笑うのみであった。
さて、コボルトとはどういう魔物であるか—アシュレイはリュックから一冊の本を取り出す。それはモンスター図鑑と銘打たれた分厚い図書であった。アシュレイは眼鏡をかけると索引からコボルトを探し出して該当のページを開いてみせた。
あたしは字を読めないので、ソティが代わりに読む。当然意思疎通のリングによる念話だ。
『コボルトは犬に似た頭部に角を持つ小柄な人型の魔物で御座います。人の姿を見て真似る習性があり、人間の装備などを奪っては身に付けるので御座います。数体〜十数体の群れで過ごし、格が上のコボルト程、良い装備を身に付けております。多くの場合は体毛などに覆われていて見えないが、背中には鱗があり、刃物などは通り辛い事に注意する事—だそうです』
一通り読み終えたソティに礼を言う。挿絵は緑の体表を持つ犬頭の魔物が描かれているが、多くの場合は茶色い体毛であるらしい。緑の体毛はコボルト・ロードという上位種であるそうだ。
他のページも見てみたい思いに駆られたが、一先ずリーダーからの警戒命令である。あたしがアシュレイへと図鑑を返せば、アシュレイは一つ頷いてそれをしまった。
アシュレイの読みは当たっていた。図鑑をアシュレイがしまってから幾許もないうちに、草の擦れる音がしたかと思えば、そこから十数体のコボルトが走りこんできたのだ。
アイマスとソティは得物を抜いて、コボルトへ向けて駆け出す。あたしはアシュレイの脇へと陣取り矢を番えて素早く射る。アイマスとソティが危ない—なんて事はない。あたしはアイマスとソティには弓矢が当たらないように仕掛けを施してあったのだ。実際に施したのはアシュレイであるが。
呪術の吉凶を操作する術により、矢が当たる事のない方向へと二人の吉凶を固定したのである。これは矢避けの術と呼ばれる既存の術である。
古くは戦争で多用された術であったらしいが、まるで雨霰のように矢が降り注ぐと、それは既に運では回避できない事態になる。しかし、そんな状況であっても、矢が命中してしまえば呪術を破ったと見なされ、呪詛返しが成立し呪術師が大きな痛手を食らう。そのため、現在では廃れた術であった。
だが、こういう場合においては大きな効果が見込める。あたしは何も気にせずに剛弓の魔術を発動させた。あたしの射った矢は相も変わらず凄まじい勢いで飛んで行くと、地面を抉りながらコボルトを数体巻き込んだ。あたしの想像では、コボルトの胸を数体纏めて貫通する予定であったのだが—
『…結果オーライ?』
『マコトが満足なら良いんじゃね〜?』
まあ、結果は出たので良しとした。
アイマスはコボルトの構える斧もろともコボルトの頭部を断ち切る。アイマスの横合いから振るわれる錆だらけの剣をアイマスは視界の隅に捉えると、歯を食いしばり返す刃に力を込める。アイマスの振るう剣は、コボルトの剣がアイマスを捉えるよりも先に腕ごと両断した。
『二体仕留めたぞ!』
アイマスが叫びを上げて更なる敵に向かう最中、ソティもまた順調にコボルトを刎ねていた。ソティが鉈を振るえばコボルトの首が飛ぶ。
ソティはアイマスと違い、まともに撃ち合う膂力を持ち合わせていないが、ソティには瞬間移動かと見間違うばかりの脚がある。異端審問官というよりは暗殺者な修道士は、早くも四体のコボルトを刎ね終えていた。
『ソティ怖っ!』
『あれが修道士なんて世も末だね〜』
アシュレイは好き勝手言いながら手を前にかざす。その手の先には、アイマスとソティを避けるように、あたし達へと狙いを定めて突っ込んでくる数体のコボルト。アシュレイは不敵に笑うと手を握り込んだ。
その刹那、苦しそうにコボルト達は胸を押さえて呻き出す。だがそれも長くは続かない。すぐにコボルトは動かなくなり、地面に倒れ伏すのであった。
『ア、アシュレイも怖っ!?』
『これが呪術師の本懐だよ〜』
いつの間にやら、アイマスも鬼の様な形相で剣を振るうというよりは叩きつけている。コボルトの得物も鎧も御構い無しだ。ソティはソティで何処にいるのか分からないが、ぴょんぴょんとコボルトの首が宙を舞うので、その辺にいるであろう事は想像に難しくない。
結局、あたしが第二射を射る事なくして戦闘は終了した。