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小坂、ロロナを迎えに行く

 アムルタート救出から数日が経過したが、この数日は実に静かなものであった。理由の一つとして、ロロナの不在が大きかっただろう。いつもなら、働け働け—と掻き立てられるものだが、ロロナはアンラ神聖国にいるのため、それもない。時折カッポーギが訪ねてきては、まだロロナを迎えに行ってないのか?—と、渋い顔を見せる程度のものだ。まあ、それを受けても頑として動かない我らがリーダーは、大した器であると思う。


「そうそう。面倒でも、一口毎に食べる分だけ切り分けて口に運ぶのです。かなり上達しましたね」


 そのオサカは、ファーレンにテーブルマナーを教えている。オサカの世界のテーブルマナーであり、わしの住んでいたナイセイル大陸のものとは若干の差異こそあるものの、洗練された所作は、それを補って余りあるものであった。あれならば不足はあるまい。


「うん。食べ終えた後のナプキンは、綺麗に折り畳んではいけません。ちゃんと教えた事を覚えていたのですね」

「ううう…テーブルマナー…面倒くさいです…」


 オサカは満足げな顔で頻りに頷いているが、ファーレンは辟易した顔を見せている。知っておいて損はないのだろうが、確かに面倒であろう。わしであっても、あの細やかさには呆れるばかりだ。彼奴の生きてきた世界というのは、一体どんな場所であったのか?—と、首を傾げるばかりだ。


「クローディア様。こちらの錬金陣は不発に終わるものであります。こっちは錬成陣…でありますか?」

「む?…ふむ、そうじゃ。よく見分けたの。呑み込みが早いものじゃ」


 そして、わしはといえば、クルスに錬金術を教えていた。クルスは魔力の性質故か、未だに錬金陣を扱う事こそかなわないものの、その理解力は大したものであり、教えれば教えただけ吸収してゆく。実に教師冥利に尽きる生徒だ。


「まあ、こんなところじゃろ。後はまた後日じゃな」

「有難う御座いました」


 慇懃に礼を告げるクルスを労った後、オサカへと声をかけるべく顔を向ければ、食堂の入り口に、見慣れぬシルエットが佇んでいるのを認めた。


「む?…お主…」


 わしの呟きに気がついたと見えて、オサカやファーレンもが視線を向けた。


「み、皆様…大変ご迷惑をお掛けしました」


 おずおずと声を上げたのは、アムルタートと思わしき女性だった。というのも、すっかりと色艶の戻った女性が、それであるという確証が得られないからだ。痩せぎすで目の落ち窪んだ小汚い女はおらず、そこいらを歩いていても何の違和感もない、妙齢の女性がペコリと頭を下げていた。

 なお、アビスはといえば、アムルタートの半歩後ろで、大きな欠伸を噛み殺している。今朝まで姿を見なかったが、ずっと付き添っていたのだろう。


「お腹の調子はどうですか?食べられそうなら、スープでも作りましょう」


 オサカがニコリと笑いながら尋ねると、アムルタートは慇懃に礼をして空腹を伝えてくる。


「オサカの言うスープというのはな、わしらの言うスープとは少し違う。パンが入っておらん。それで良いのか?パンを入れてもらうか?」


 わしらが普通スープと言えば、塩胡椒で味を整えた野菜汁に、細かく切ったパンを浸したものを指す。けれども、オサカの考えるスープは違う。彼奴の中ではパンはパンであり、スープの中には入らないのだ。小さな違いだが、パンの入っていないスープだけというのも味気ない。


「えっ?そ、そうなのですか?」


 思わずといった様子で声を上げるアムルタート。アビス、ファーレンに続いて、三人目の健啖家キャラの予感がした。


「…パン、入れましょうか?」

「お、お願いします…」


 オサカが尋ねれば、消え入りそうな声でアムルタートは答える。顔は林檎のように真っ赤だ。


「では、少し待っていてくださいね」


 オサカが調理場へと迎えば、その後をタンパク質とエルが続く。何かおこぼれをもらおうとしているのだろう。そういえば、あやつらも健啖家キャラだった。


「して…アビス様、オサカは大体の事情を知っておるようじゃが、こちらは何も聞かされておらんぞ?わしらはいつまで蚊帳の外なのじゃ?」

「うぐっ!す、すまぬである」


 オサカが席を外したことで、一旦会話が途切れた。これ幸いとばかりに、あえて意地の悪い尋ね方をすれば、アビスは寝ぼけ眼を擦って表情を引き締める。


「アムルタートよ、貴様も座るであるな」

「あ、はい」


 ファーレンが二人に席を譲りこちら側へとやってくれば、わしら三人とアビス、アムルタートの二人が向かい合う形になった。

 さて、どこから話したものであるか—と前置きしてから、アビスはゆっくりと語り始める。その話は、旧文明の成り立ちから、邪神の誕生。オサカが古代人の末裔であると思われる事。そして、その邪神をオサカが取り込んだ事にまで及んだ。


「ふうむ、成る程のぅ。あれが魔物化しても理性を失わなかったのは、運ではなくちゃんとした理由があったのか。魔力への適性が高い…のぅ。道理で、魔術の覚えが異様に早いはずじゃよ」


 通常、人間族はそこまで魔術の覚えは良くない。個人差はもちろんあるが、魔人族であるわしが、目を見開くほどの適性など、そうそうあり得る事ではない。


(あの時は、まだオサカとの関係は手探りであった故に指摘しなかったが…やはり異常だったのじゃな)


 一時は不死系魔物(アンデッド)化した事による影響か?—とも考えたが、見れば見るほど、不死系魔物(アンデッド)化は魔術行使に対してはマイナスにしか作用していない気がして、不思議に感じていたものだ。


「どうせ僕は魔術の覚えが悪いですよ。未だに初級の魔術すら苦戦しますよ」


 ところで、わしが得心する横では、ファーレンがいじけていた。チラリと視線を向ければ、きまり悪さでも覚えたのか、ファーレンは視線を逸らす。


(最近は勉強ばかりで、身体を動かしておらんからのぅ。少し、ストレスが溜まっているのかもしれんな)


 ファーレンとて、けして物覚えは悪くない。森精族(エルフ)という種族特性もあり、魔力を扱えるようになってからの彼女は、なかなかに優秀である。けれども、彼女が自信を持てないのは、共に指導を受ける相手が悪いのだ。オサカやクルスといった、超スペックの持ち主と共に学んでいれば、まるで己が劣っているかのように感じてしまうのは、無理からぬ話であろう。


(何と声をかけたものかなぁ)


 未だにわしの顔を見ようとはしないファーレンが可愛く思え、相好を崩す。たまには甘やかしてやるのも良かろうかな—と、口を開いた。


「閣下と張り合おうというのが烏滸がましいのであります。身の程を弁えるのであります」


 ところが、わしに先んじて声を上げた者がいた。クルスだ。


(追い込むのぅ)


 思わず苦笑する。ファーレンは逆境に極めて強い質であるため、クルスなりに励ましているのだ。ここまで来い—と、手を差し伸べているつもりなのだろう。しかし、タイミングが良くない。今のファーレンは聞く姿勢にないからだ。自己を肯定できず不安になっているところに、更に己を否定するかのような情報が発信されたとて、まともに受け止められるはずもない。ここは助け舟を出すべきだろう。


「クルスよ。言いたい事は分かるが…言葉を選んでやっておくれ。今のファーレンには、ちと辛かろうよ」


 わしが窘めると、クルスは目礼を返して口を閉じる。クルスもクルスで理解力は高い。励まし方も一つではないと、学んでくれるはずだ。これでもう、同じ轍を踏む事はないだろう。いじる事は多々あるだろうけれど。


「ん?何である?」


 アビスの声に視線を向ければ、アムルタートがオロオロと慌て、取りなすようにアビスヘ視線を向けていた。声でなく目で語ろうとしているらしいが、アビスにはなかなか通じない。笑いを堪えるのに苦労する光景だ。


「おおっ!そういう事であるな!」


 ついにアビスはアムルタートの視線の意味に気が付き、苦笑しつつもファーレンへと声をかけた。


「ファーレンよ、貴様は魔力を身体能力やその他の用途に用いる事に、特化した成長を遂げているであるな。そこからいきなり魔術を使えるように方向転換しようとしても、そうそう上手くはゆかぬである。焦る事はない。ゆっくりと取り組めば良い。大丈夫である。貴様には、クローディアとオサカが付いているのである。この世界において、これ程卓越した魔術技能を持つ二人を師に据えておる者なぞ、貴様くらいであるな」

「え、えと、そうですかね?…うん、焦らずにやってみます!」


 アビスの言は、無事にファーレンへと届いたらしく、ファーレンは向日葵が咲いたかのような、明るい笑顔を見せる。

 その変わり様に、わしとクルスは顔を見合わせて苦笑した。


「うむ。そうじゃのぅ…ファーレンよ、試しに指先に火を灯してみせよ。クルスもやってみるが良い」

「はい。承知したであります」

「うへぇ…また勉強ですかぁ?…」


 せっかくなので、ファーレンらの魔力制御を見てやることにする。クルスは物質を具現化することに特化した魔法師ではあるが、火を魔法ではなく魔術で作り出すとなれば、なかなかに苦労する。彼女の魔力は大出力であるため、小さな魔術を延々と維持することは逆に難しいのだ。顔をしかめながらも指先に火を灯す姿は、初級魔術に四苦八苦する若人を思わせて、どうにも微笑ましい。


「あつっ!」

「馬鹿者!ちゃんと指先を保護する術式を組み込まんか!」


 そしてファーレンだ。この子はとにかく失敗が多い。頭で覚えさせようとしても、なかなか上手くは運ばない。けれども、身体で覚えたことは話が違う。一度でも体験させてみれば、それだけでおおよそを把握して、勝手に学習、改善してくれる。本人は己の不出来に苛立ちを感じているようだが、わしはそうは思わない。もっとも、失敗すること前提であるため、見ていてやらねば怖くて仕方ないのだが。


「お待たせしました」


 2、3回ファーレンが指先を焼いた頃、オサカがスープをお盆に乗せて、リビングへと戻ってきた。その足元には、タンパク質とエルがまとわりつき、オサカへと飛びついたり、頭を擦り付けたりと甘えている。


「アムルタートさん、召し上がってください。アビスさん、補助をお願いしますね」

「うむ。任せるのであるな」


 アビスがお盆を受け取りながら、オサカへ頷いて返せば、ハッとしたアムルタートは慌てて立ち上がり、オサカへと頭を下げた。


「オ、オサカ様…この度はザリチュを討伐していただき、感謝の念に堪えません。無念のうちに散った姉も、きっと、オサカ様に取り込まれたことは、本望でしょう…」


 その言に、オサカが怪訝な顔で首を傾げ、わしを見た。何故わしを見るのか。何も知らんし。


「何の話じゃ?」


 オサカから視線を切って、ジト目をアビスヘと向ければ、そうであった—と、アビスは手を叩いて笑う。


「忘れていたである。オサカよ、貴様、神の力を分離させる事は出来ないであるか?アムルタートの姉、ハウルタートはザリチュに取り込まれていたようなのである。ハウルタートの権能は…確か、“完全なる水”であるな。僅かにでも魔力が残っていれば或いは…」


 アビスが言い終える前に、オサカは瞼を閉じる。己の内側に意識を向けて、魔力を探っているのだろう。

 アビス、アムルタートのみならず、わしらも口を噤んで、オサカの言葉を待った。


「ああ、確かに感じますね。ザリチュとは別の力を。完全?かどうかは分かりませんが、水の性質を帯びた魔力があります。これを渇きの力とは分離しておけば良いのですか?」


 ややって目を開いたオサカの言に、アビスはすっかりと機嫌を良くし、アムルタートの肩を叩いて笑う。


「読み通りである!貴様の姉は、程なくして復活するであるぞ?良かったであるな」

「え?え?ええと?」


 しかし、アビスが何を言わんとしているのか、アムルタートには理解できないらしい。目を瞬かせながら、アビスとオサカとの間で、視線を往復させていた。


(なるほど。アビス様がやったように、オサカの内でハルワタートに魔力を補充させ、復活させる腹積りじゃな)


 かつてアビスはオサカの中に間借りし、己が力を蓄えていた。オサカの魔力を搾取、あるいは横取りしていたとも言う。今度はそれをハルワタートでやろうとしているのだ。


「よ、よく分かりませんが…お姉様は復活できる…ということでしょうか?」


 どうやら、アビスの講じた手は、神様達の間では一般的なものではないらしい。裏技的なものだろう。


「ええ。ハルワタートさん…でしたか。その方の魔力に、私の魔力を少しずつ与えてゆきます。いずれ自我を取り戻し、アビスさん同様に顕現できると思います。…で、いいんですよね?アビスさん」


 オサカがジト目を向ければ、アビスは鷹揚に頷く。

 それを認めたオサカは仄かに笑い、アムルタートへと近付いた。


「ほら、これがハルワタートさんの魔力ですよ」


 そう言ってオサカが突き出してきた手のひらから、オサカのものとは到底思えない、澄んだ魔力の塊が浮かび上がる。それを認めたアムルタートの目が、大きく見開かれた。


「元から、ザリチュの魔力とも混じり合ってはいませんでした。きっと、肉体を失っても、自我をなくしても、それでも必死で抵抗していたのでしょう」


 オサカの言に、アムルタートの涙腺が刺激されたらしく、見る見るうちに目元が潤んでゆく。ふとアビスと視線が合えば、アビスは苦笑してから、アムルタートに語りかけた。


「触れてみると良いであるな。その男は性格は悪いが、悪人ではないである。他意などないであるから、安心するである」

「性格も悪くねーよ。失礼な」


 アビスの口撃にオサカが反論すれば、皆が笑う。それで覚悟が決まったのか、アムルタートはおずおずと手を伸ばすと、光球にかざした。

 しばらくはそのまま目を瞑っていたアムルタートであったが、やがて目を開けると、口元を抑えて嗚咽を漏らす。


「し、信じられ、ない…姉が…お姉様が…お姉様の、力を…感じ、ます」


 それきり、アムルタートは両手で顔を覆うと、声なく肩を震わせ始める。


(よかったのぅ)


 手つかずのスープがもらえるとでも考えているのか、アムルタートの皿の前にタンパク質が陣取った。テーブルの縁からは、ピンと立ったエルの耳も見えており、姉の復活の兆しに喜び、涙するアムルタートとの対比がおかしい。クルスやファーレンも同じことを考えていたらしく、わしらは顔を見合わせて、くすりと笑った。


「数年…はかからないかと思います。季節が変わる頃には、お姉さんを顕現させられると思いますよ」


 オサカの言葉がきっかけとなったのか、堤防が決壊したかのように、アムルタートは声を出して泣き始める。もう彼女は大丈夫であろう。時間はかかるだろうが、じきに落ち着き、かつての己を取り戻せるに違いない。

 ならば、次にやることがある。咳払いして皆の注意を集めてから、全員を順に見て告げた。


「心配事は片付いたの。聞きたいこともない訳ではないが、まずはロロナを連れ帰るのが優先じゃ。いい加減に堪忍袋の尾が切れておる頃じゃろうて」


 わしの発言に、オサカがハッと目を見開いたかと思えば、俄かに顔色が青くなる。忘れていたに違いない。そういえば、外出していたファーレンへ向けて、ロロナのところに行ってきたのか?—などと尋ねていた。擬似転移するための魔道具はオサカが持っているのに、何を言ってるんだ?—と考えていたものだが、本気で忘れていたらしい。


(なんて酷い男じゃ)


 もともとドライな質であると思っていたが、情に絆されないどころか、薄情、非情の類である—などと本気で思ったりはしないが、失態であることは覆しようがない。邪神やアムルタートのことがあったとはいえ、それは言い訳にできまい。関係ない者を巻き込むことなどできはしないだろうから。


「くく。ほれ、アンラへ行くぞ」


 どうやってオサカは凌ぐのだろうか?—と、思わず笑いそうになる。顔と顔がくっつきそうな勢いで、ガミガミと雷を落とすロロナに、明後日の方向に視線を向けたまま黙然とし、風雨をやり過ごさんとするオサカ。見慣れた光景であり、実に想像に容易い。


(わしも、随分と慣れたものよ)


 思い起こせば、最初はオサカの一挙手一投足にビクビクし、念話で語りかけてくるアビスの声に安堵していたものだ。それがどうだ。いつしかオサカに惹かれ、一向に進展のない関係にやきもちしているうちに、気付けば力関係は逆転し、まるでわしがオサカを尻に敷いているかのような構図ができている。ロロナとて、恋心こそないものの、心持ちはわしと一緒だろう。


(そこがあやつの良いところなのだがな)


 オサカはわしを縛らない。本人が束縛されることを極端に嫌う質であることも、もちろん関係あるだろうが、わしのやりたいようにやらせてくれる。わしを対等に見て、一人の人間として敬意を払ってくれる。あれほどの力を持ちながら。


(あやつの世界の人間達は、皆そうなのかのぅ?)


 チラリとオサカへ視線を向ければ、目線が交差した。ところが、例の地図と駒をテーブルの上へと載せていたオサカは、しまった—と言わんばかりに目を見開いているではないか。逃げようとしていたのは疑いようがなく、これには灸を据えねばなるまい。


「…はぁ、確保せよ」

「はいっ!」


 元気よく返事して、即座にファーレンがオサカへと掴みかかり、クルスも狼狽しつつ、オサカの服の裾を摘む。


「うははっ!我も混ぜるであるなっ!」

「ぎゃあっ!降参!降参ですっ!」


 トドメとばかりにアビスがオサカへ飛びかかり、オサカをカエルのように潰す。

 吹き出しそうになるのを堪えて、厳しい顔を維持しつつオサカへ近づくと、オサカは潤んだ目を持ち上げてみせた。


「し、師匠…口裏…合わせてください…」


 その言葉に、オサカの背に跨るアビスが呵呵と笑う。わしはといえば、情けなさに嘆息していた。初めて会った時などは、常に黙然としていてミステリアスな雰囲気を醸し出していたというのに、警戒がすっかりと解けた平生のオサカときたら、まるで子供だ。そんなに怒られるのが嫌か。


「全く…何故こんな男に…本当に謎じゃ…」


 悪戯がバレた幼子のような顔をしおって—と続ければ、アムルタートがクスリと笑った。






「あんた達…私の事忘れていたろ?怒らないから正直に言ってみな?」


 アビスにアムルタートの世話を任せ、アンラの冒険者ギルドへと転移してきた。簡単なものだが、干し肉や果物は冷蔵庫に。スープは作り置きしてあるものを、アーサーさんが温めなおしてくれるだろうから心配はない。


「既に怒ってるじゃないですか」

「当たり前でしょ!そもそも、何であんた達は当然の如く帰ってるのよ!おかしいじゃない!」


 俺が口答えすると、ロロナは烈火の如く非難してくる。あー、はいはい—と適当に受け流しつつ、ギルドの会議室を見回せば、八つ当たりでもしたのか、革が破れて藁束のはみ出たソファの上には、シーツがかぶせられており、その周囲には、酒瓶が無数に転がっている。どうやら、ロロナはここで寝起きしていたらしい。


「…ロロナさん、何でこんなところで寝泊まりしていたのですか?知り合いだったのでしょう?ここのギルマスと」

「知り合いだからよ!」


 ロロナの言には、ん?—と首を傾げた。意味が分からなかったが、そういうことであるらしい。深くは聞かない方が良いだろう。少なくとも今は。


—トントン—


 ドアがノックされると、流石のロロナも口を噤む。そのまま誰何の声も上げずに、皆で黙然としてドアを見つめていると、モスクル他のアンラギルド職員が、苦笑いしながら入ってきた。


「下まで聞こえてるぞ」

「ロロナさんがね、俺達がロロナさんのことを忘れていた—と、決めつけてくるのですよ」


 モスクルの言に嘯けば、ロロナは何か言いたいことでもあるらしく、即座に目が吊り上がる。だがしかし、ロロナが口を開く前に、力強い援護射撃があった。


「そうじゃ。ロロナはギルマスじゃからな。アンラとメキラ、国は違えど、色々と話し合わなくてはならぬ事もあろうかと思ったのだが…余計な気遣いじゃったらしいの。すまぬことをした」


 いつもは俺を諌める立場のクローディアが俺側に立ったことで、先の発言に僅かながら真実味が加わったことだろう。ロロナも嘘と断じることができなくなったのか、きまり悪そうに視線を泳がせている。


(くっくっく、正義は勝つんだよ)


 ナイスです師匠!—と声には出さず、視線で語る。なお、チラリと視界の隅に映り込んだファーレンの顔には、そうだったのか!?—と、言わんばかりの喫驚が貼り付いていた。顔に出すなよ—と、俺が声を上げそうになった。彼女を連れてきたのは失敗だったかもしれない。


「ロロナ様が不在の間は、静かで有意義な休日を過ごせたのであります」


 次いで発せられたクルスの言に、全員がクルスに向き直る。クルス本人は大金星でも確信しているのか、晴れやかな顔を見せているが、ロロナの顳顬には、これでもかと青筋が浮かんでいた。


(おい馬鹿やめろ!)


 それよりも、今の発言はまずい。ロロナの機嫌を損ねたこともそうだが、日頃、悪戯しかしない悪ガキが、今日は有意義に過ごせたな—などと、問い質されてもいないのに、己から口にしたのだ。怪しいったらない。尋ねられれば、ただ遊んで過ごした—と追及を逃れるつもりでいたが、下手にこちらから触れては藪蛇になりかねず、思わず唾を呑む。味方に背中を撃たれるとはこのことか。クルスには発言禁止令を出しておくべきだったかもしれない。


「ロロロ、ロロナさんがふじゃい…不在の間には、おか、おかしな事なんてて、て、ありませんでしよ!?これっぽっ、ぽっちも!全く!」


 そしてトドメはこれである。あまりにも慌ただしく、噛み噛みの発言にファーレンを見れば、ファーレンは何故か目を瞑っている。口を横一文字に引き結び、耳は驚くほど小刻みに震えていた。きっと、追及されまいとした心持ちの現れ—なのだろう。この反応は想像を遥かに超えた。大根演技なんてレベルじゃない。犯行を自白したに等しい。致命的だろう。


森精族(エルフ)の耳って、表情豊かだよな)


 一瞬、現実逃避していたらしく、腕を叩かれて我に返れば、クローディアが苦笑いしていた。悪いことはできんな—とでも言いたげな視線には、どうする?—と、尋ねてくる意味も含まれていたように思う。


(言えないよな。邪神云々もそうだが、メットーラに女神様がやってきた—なんて)


 さて、ファーレンの謎表情はともかく、俺達の空々しい様子に、何かある—と確信したのかもしれない。しばらくは俺達の顔を具に見つめていたロロナであったが、やがて表情を引き締めると、俺に向けて尋ねてくる。


「何かあったのかい?」


 いえ、特には—と、首を振る。ロロナは邪神云々など、あずかり知らぬ話だ。殊更に教える理由もなければ、誤魔化すべく話を急いだ。


「さて、それじゃあメットーラへ帰りましょう。きっと旦那さんが心配してますよ」


 ロロナの旦那が心配しているとすれば、それは紛れもなく俺のせいだ。我ながらよく言えたものだと思うが、この場に残る廉もない。さっさと引き上げるが吉だろう。


「…」


 しかし、ロロナは納得がゆかないらしい。胡乱げな目で俺達を見回し、最後には、唇を引き結んでプルプルと震えるファーレンに狙いを定めた。


(あ、やば)


 ロロナと俺の会話から、ファーレンとて邪神やアムルタートのことを伝える気がないことは、察していることだろう。だがしかし、とことん不器用で嘘のつけないファーレンは、秘密保持のセキュリティとしては、笊であろう。マシンガンの如く撃ち出されるロロナの口撃の前には、一刻と保たずに根を上げるに違いない。


「はあ、全く…いいさ。深くは聞かないよ」


 ところが、ロロナはファーレンから視線を切ると、嘆息しつつ前髪をかき上げた。


(あれ?)


 安堵したことは事実なのだが、これはこれで肩透かしをくらった気分になる。思わずファーレンへと視線を向ければ、彼女もまた驚きに目を見開いていた。


「おい、そろそろいいか?」


 野太い声はモスクルのものだった。丸太のような腕を組んで仁王立ちしていた彼は、呆れたかのような視線をロロナへと向けていた。


「ああ、すまないね」


 すると、これにロロナが応じて、モスクルと共に、会議室から出ようとするではないか。これはどうしたことか。


「ちょっと、ロロナさん。どこへ行くんですか?」


 俺はさっさと帰りたいのだ。まだ何かアンラに用があるのだろうか。慌てて声をかければ、ロロナは振り返るも、その場から俺達を手招きしてくる。


「王宮へ行くよ。ベロートがあんた達と話したいそうだ」

「…おい。あんなでも、今はこの国のトップだ。アンラ国内では、国王陛下と言ってくれ」


 ロロナの発言に、即座にモスクルが苦言を挟めば、ロロナは厳しい面を作ってモスクルを睨み付ける。モスクルもまた、負けじとロロナの視線を真っ向から受け止めていた。おかげさまで、俺の顔が大いに曇ったであろう瞬間は、目撃されずにすんだようだ。


(なんだよ。めんどくせーな)


 チラリと傍に佇むクローディアに視線を落とせば、任せる—とばかりに首肯してくれた。


(なら、付き合う必要はないか)


 俺が口を開くよりも先に、俺の心持ちを察したであろうクルスが、地図と駒で亜空間を開けば、クローディアはいち早く小坂邸のリビングへ戻る。


「なっ!?」


 驚きに目を見開くロロナを担ぎ上げ、俺も亜空間へと飛び込めば、クルスが、そしてファーレンも亜空間の門を潜る。


「お、おいっ!」


 モスクルが何やら慌てているが、知ったことではない。彼が手を伸ばしてこちらに走り寄ろうとしたその時には、既に亜空間は閉じかけていた。


「すみませんね。国王陛下によろしく言っておいてください」


 詫びの言葉を投げかけつつ、アンラ側へとお土産を放り込めば、うおっ!?—と素っ頓狂な声を上げて、モスクルは俺の放った革袋をキャッチする。


「ナイスキャッチ」

「ま、待て!これは一体—」


 即座に我に返り、声を張り上げるモスクルだったが、その言葉を待たずして、亜空間は閉じられた。

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