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小坂、邪神ザリチュと見える

「ふふ、ふふふ」


 オサカ邸へと帰ってきてからこっち、クローディアがご機嫌だ。思い返すかのように遠い目をしては、妄想でも膨らませているのだろう。ふふふ—と、一人で笑う。


「…」

「…」


 一方で、僕とクルスは不機嫌だ。理由など、わざわざ口に出すまでもない。


「…まあ、クローディア様ならば、仕方ないであります。一番を譲るのも致し方ない事でありましょう」


 口に出すまでもない—と考えていたけれど、わざわざクルスは口に出した。それなら僕も口を開く。言いたい事はあるのだから。


「でもでも、でもですよ!僕らにだって、特等席を用意しているよ—くらいは、あってもいいと思いません!?大師匠ばっかりずるいです!」


 声を荒げて不満を口にするが、クルスは嘆息しつつ首を振る。その反応が僕を小馬鹿にしたものである事は疑いようがなく、クルスを強く睨んだ。


「ファーレン、気持ちは分かるでありますが…いや、やっぱり分からないであります」

「何なんですか!それっ!?」


 まるで分かる事が屈辱であるかの如く、クルスは眉間を押さえつけて顔を伏せる。いつもの弄りはともかく、一体何を言おうとしたのか、気になるところだ。


「誤解があってはいけないので、言っておくでありますが…何も言おうとしてはいないでありますよ」

「なるほど。純粋に悪意なのですね」


 顔を上げたクルスは、真顔で腹立つ事を言ってくる。ただでさえクローディアにリードを許した事が面白くない今、クルスの悪戯は堪えるものがあった。


「…はぁ。オサカ師匠は、僕らの事をどう思っているのでしょうか…」

「そんなの、決まっているであります」


 嘆息しつつ漏らした言に、再びクルスが反応する。また何かしら碌でもない事を言うのか?—とジト目を向けたが、クルスは意外にも、まともな事を口にした。


「私やファーレンの事も、大切に思ってくれているでありますよ」

「え?」


 あまりにも予想外な発言に、しばし固まった。何かの聞き間違いだろうか?—と、クルスを見つめる。


「クローディア様の次に私。そして、アーサーさんやエル達が続いた後に、そうですな…床掃除のための箒やちりとりの次くらいに、ファーレンがくるでありますな」


 —だそうだ。当然、僕のクルスを見つめる眼はジト目となっている。

 クルスは意地悪い笑みを浮かべたまま、更に続けた。


「それが嫌ならば、クローディア様のように、思いの丈を伝える事であります。自分では何の気持ちも伝えていないのに、相手から思われたい、好きだと言ってほしい、相手の特別になりたい—なんて、虫が良すぎる話でありますよ」


 うっ—と、言葉に詰まる。正論だ。確かに、僕は己の淡い思いを口にした事などない。何となく拒絶されるのが怖くて、ずっと周りをうろちょろしつつ、気付いてアピールを繰り返しているだけに過ぎない。


「ア、アビス様…やはり私は…」


 ふとアムルタートの声が聞こえて、視線をリビングの中央へと向けた。そこでは、アムルタートがソファから立ち上がろうとするのを、アビスに押さえつけられている。


「ならん。話はついたのである。オサカに一任するであるな」

「し、しかし…」


 アムルタートが何かを口にしようとしても、アビスは聞く姿勢にない。黙って首を振り、おとなしくしていろ—とでも言うかのように、アムルタートをソファに押し付ける。

 やがて、アムルタートは所在なさげに視線を彷徨わせた挙句、顔面蒼白になって俯いてしまう。古城に残してきたオサカの事が気になるのだろう。僕も気になる。


「まあ、心配無用じゃ」


 少し浮かれ気味な童女の声に、視線をクローディアへと移す。クローディアは明らかに浮ついた顔であったが、足元に擦り寄ってきたタンパク質に視線を落としながら続けた。


「アビス様よ、先のやり取りの繰り返しになるが、オサカが警戒すべき邪神を、もう一度教えてもらえぬか?」


 クローディアが尋ねれば、アビスは鷹揚に頷いてみせた後、アムルタートを言い含めるかのように語り出す。


「まず、オサカは強い。元々の戦闘技術、更にはクローディアの授けた魔術の他、簒奪者(デートラヘレ)としての力も加わり、並の神では手も足も出ぬである。それでも、オサカに迫れるとするならば、それは権能の力によるものである」


 そこでアビスは一度話を区切り、クローディアではなくアムルタートを見る。アムルタートが不安げな顔ながら、アビスに向けて頷いてみせれば、それを認めたアビスもまた頷いて返し、再び口を開いた。


「我が知る限り、オサカと相性が悪い権能を持つのは、アエーシェマ、アカ・マナフ、後は…話に聞いただけで、よく知らないであるが、アラーストの三柱だけであるな。それ以外なら、オサカの敵ではないである」


 終わりとばかりにアビスが胸を張ってみせれば、その後はクローディアが継いだ。


「アビス様がこう言うておる。ならば間違いあるまい。お主とて見たじゃろう?あれの力を」

「…は、はい…」


 クローディアの言にアムルタートは頷くも、顔面は蒼白を通り越して、色どころか表情も消えていた。思い返しているのだろう。オサカの見せた、桁違いの魔力を。


(アムルタートさんは、オサカ師匠の人となりを知らないでしょうから…不安になっちゃったのですかね)


 無理もなかろうと思う。人となりを知る僕でさえ、一瞬オサカが怖くなった。もしかすると、アムルタートが頻りに向こうへ戻ろうとするのは、邪神ではなく、オサカを警戒しての事かもしれない。


「アビスさん、単刀直入に評価してください。私は邪神と渡り合えますか?」


 古城の地下室で、オサカとアビスが会話していた時の事だ。

 オサカが唐突にそんな事を言い始めたかと思えば、その魔力を放出してみせた。その桁違いの力は、最初こそ人のそれであったが、徐々に黒く色付き始め、最後にはスライムを思わせる粘液状へと変わる。


「ぬ…」

「ひっ!?」

「相変わらず…」

「流石であります」

「うわわわっ!」


 僕らが驚いたのは、その量があまりにも膨大であった事だ。地下室にはおさまらず、僕らはオサカの魔力から逃げるように、地上へと駆け上がった。

 それでもオサカの魔力は膨らみ続ける。どこまで広がるのか?—と、その途方もなさに呆れ始めた頃、魔力は唐突に霧散した。


「…き、消えました」

「閣下が魔力を抑えたのでありましょう」


 クルスの言は正しかった。やがて、地下から足音が聞こえてきたかと思えば、嗅ぎ慣れた匂いが近付いてくる。地下室への階段から上ってきたのは、当たり前だがオサカだった。


「…で、どうですかね?」


 まるで何事もなかったかのように声をかけてくるオサカの姿を見つめたまま、僕らはしばし固まっていた。


「改めて化け物であるな。邪神如きには、負けようがないである」

 

 オサカの言に、ややあってから、アビスは呵呵と笑って言い切った。

 オサカもまた、ようやくそれで安心したかのように、頷いて返していた。


(そう。負けようがないのです。負けようが。だから、オサカ師匠は大丈夫…)


 僕は邪神という存在が、どのようなものであるのかを知らない。アビスから話に聞いただけであり、しかもそれは存在の邪悪さや、やってきた悪事の事などに終始しており、その力がどれほどのものであるのかは語られていない。だから不安を感じるのだろう。きっと、邪神は魔物なんか目じゃないほどに強いに違いない。僕では相手にもならないと思う。けれど、それはオサカにも同じ事が言える。


「私達は、閣下の邪魔にならぬように、避難しているのが最善であります」


 僕の気持ちを代弁するかのように、クルスが告げた。いや、或いは代弁してくれたのかもしれない。僕が顔を上げれば、クルスは僕を見て、ふっ—と、笑ったのだから。






(渇きが強まった)


 ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 誰もいなくなった古城のエントランスで、俺はザリチュを待っていた。来るだろうという確信があり待っていたのだが、なかなかに待たせてくれた。


(重役出勤とは、大した御身分だ)


 組んでいた腕を解き、徐に立ち上がる。

 敵は巫山戯た事に、誰はばかる事なく正面から古城へとやってきた。カツン、カツン—と、石畳の上に小気味良い足音が聞こえ出せば、やがて姿を見せたのは、目を見張るばかりの美女だった。


「…あんた誰?…アムルタートの結界が消えたのは、あんたの仕業?」


 ザリチュは俺を一瞥するや否や、周囲の様子を見ながら声をかけてくる。

 俺はといえば、その問いかけには即答ず、ザリチュの様子を窺っていた。

 艶のある金色の長髪に、整った顔。大きく突き出した胸を持ちながら、腰のくびれや脚の細さもまた見事なもので、ドレスの腰元まで伸びた長いスリットから覗く脚線美は、ザリチュの自信の現れだろう。これが敵でなければ、思わず魅入ったに違いない。


「そうとも言えるかな」


 さて、結界と言われても、そんなものを感じた記憶はない。何の話か分からなかったので、適当に誤魔化した。


「…ふぅん。よくやったわ。褒めてあげる。…で、アムルタートはどこ?」


 一頻り状況の確認が終わったらしきザリチュは、ようやく俺へと視線を向ける。


(…は?)


 その質問に、一瞬首を傾げた。何を聞かれたものか分からなかったのだが、どうやら彼女は、俺がアムルタートの配下か何かだと思っているらしい。俺が不死系魔物(アンデッド)である事を見抜いているのかもしれない。アムルタートも不死系魔物(アンデッド)であった事を思えば、その関連性を疑ってかかるのは、至極当然の事なのだから。


(そういえば、アムルタートさんって何者なんだろうな?アビスさんの知り合いらしいが)


 ここで、ふと別の事に意識を囚われた。竜と知り合いの不死系魔物(アンデッド)とは、なんとも不思議な縁である。一体、あの二人はどういう関係なのだろうか。


「さあ?ここもだいぶ住み辛くなってきたからね。引っ越したんじゃないかな」


 我に返って受け答え、ぐるりと古城を見回してみせる。古城は誰かさんが開けた穴で風通しが良くなり、これでは風雨を防ぐ役割を果たしてはくれないものと思われた。


「…」

「…」


 互いに無言で視線を交わす。

 俺は和かな顔で応じたのだが、俺の態度か、あるいは物言いが気に入らなかったらしい。ザリチュの目が僅かに細められる。


(お?怒ったか?)


 さて、どう来るかな?—と、今度は意地悪く笑ってみせれば、ザリチュの魔力がゆっくりと膨らみ始めた。


「…次はないわよ。アムルタートはどこ?」


 笑みを消して凄むザリチュだが、魔力の総量は俺から見ると微笑ましいレベルだ。侮っているつもりはなかったが、ついつい頬が緩むのは仕方ない事だろう。


「知らないね。そもそも、邪神に教えるつもりもない」


 俺の軽口に、ついにザリチュが牙を剥いた。邪神—その言葉が彼女に引き金を引かせたのだろう。たちまち、ザリチュの魔力は形容し難い色を帯びて拡散した。紛れもなく、古城に辿り着く前に、俺とアビスを悩ませたアレだった。


「…そう。…それもアムルタートから聞かされたの?」


 てっきり怒りに任せて声を荒げるかと思ったが、少しだけ悲しげに、そして己を押し殺したかのような声を出すザリチュ。これには眉をひそめ、怪訝な顔を作った。


「ん?いや。別口だな」

「え?」


 俺の言に、ザリチュの目が見開かれる。別口というのは、予想外の答えだったのだろう。

 怪訝な顔を作る俺に、呆然とするザリチュ。少しだけ間の抜けた空気ができた事をおかしく感じつつ、意識は手のひらへと向ける。数回、開いたり握ったりを繰り返してみて、改めて権能の凄まじさに呆れた。


(凄えな…既に手のひらの汗は乾いてる。あいつが魔力を解放した途端にこれか。権能ねぇ…)


 アビス曰く、権能とは、神として、そうあるべき力—という、意味の分からないものだそうだ。何度か説明を求めたが、何度聞いても理解できなかった。故に、そういうもんなんだ—という雑な整理で済ませている。分からないんだから仕方ない。


「…あんた…何で平然としてんのよ?」

「ん?そんなの、不死系魔物(アンデッド)なんだから当然だろう?」


 己の権能に自信があるのだろう。腕組みして、さも平然であるかの如く取り繕う俺の姿に、ザリチュは顔をしかめていたが、俺の言で、こちらが不死系魔物(アンデッド)である事を思い出したらしい。あるいは、気付いていなかったのかもしれないが。

 さて、口の中から水分が消え、目が少しずつ痛み始めた。手のひらの汗はともかくとして、身体中が乾いてゆくのを自覚できる。


(やはり師匠達は帰して正解だったな。不死系魔物(アンデッド)にしか無理だわ、これは)


 俺も負けじと魔力を解放する。ザリチュの権能を見ていて思った事だが、乾きの力が魔力ならば、同じく魔力で防げるのでは?—と、考えたのだ。

 膨大な魔力を溢れさせるだけに任せず、己の身を覆うように形作る。なるべく緊密に魔力を結合させる様子をイメージしながら、全身を魔力で覆った。


「…無駄よ。神力は魔力では防げないわ」


 俺を嘲笑うかのように、クスクスと笑うザリチュの表情には、余裕の色が戻っている。

 ザリチュの言は、半分だけ肯定しておいた。


「…らしいな。けれど、明らかに減衰できている…なら十分だ」


 乾きの力は明らかに効力を減じている。それでも、徐々に俺の中の水分が消えてゆくのが理解できた。悠長に話していられる時間は、多くはなさそうだが、それを認めるのも面白くないため、ここは強がっておく。


(神力は防げない—か。アビスさんにも言われたな)


 聖剣の迷宮で聞いた言葉だ。アビスと初めて見え、牙と戦棍(メイス)とを交差させた一幕だ。


(ドラゴンブレスを死霊騎士(デュラハン)の鎧で受けようとしたんだよな…)


 ドラゴンブレスで炭にされかけた事を思い出すと、ふふっ—と、声が漏れた。緊張感が足りないが、酷い出会いもあったものだな—と、おかしくなってしまったのだ。

 ところが、それがザリチュには面白くなかったらしい。せせら笑いとでも思われたのだろうか。


「…死んだわよ、貴方」


 明らかに気分を害した様子のザリチュに、俺の頰は吊り上がる。正直なところ、そろそろ始めたかった。乾きが思ったよりも辛いのだ。


「ははっ、分かりやすくて良いね。来いよ」


 身を半身にして手招きする俺に対し、ザリチュは僅かに脚を開く。長いスリットから太腿の付け根までもが見えそうになり、思わず視線が下に落ちる。

 けれども、目が縫い付けられたのは彼女の股ではなく、その脚だ。彼女の脚には不可思議な紋様が浮かび上がり、それが妖しく輝き始めたのだ。


(なんだあれは?…魔術?いや、もっと別の何か?駄目だ。全然分からん。俺の腕と同じで、謎模様か?)


 くすりと笑う声が聞こえて、徐に顔を上げれば、ザリチュが妖艶な笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。


「ふふっ、気になる?」


 俺の浮かべた表情が、よほど愉快だったのか、はたまた、最初から機嫌を悪くしてなどいなかったのか、ザリチュの声音は俺を揶揄うかのような色を帯びていた。

 そんなのどうでもいいから、さっさと来いよ—というのが本音なのだが、やや白けつつも応じておく。


「ああ、なるね。早いとこ、見せてくれないか?どっちかといえば、脚よりもその付け根が気になるな」


 俺の軽口を、せっかちさんね—と軽く流すと、ゆっくり誘惑するかのように艶かしく脚を動かしていたザリチュの動きが、直線へと変わる。真っ直ぐに俺へと突っ込んできたかと思えば、繰り出したのは蹴りだった。


(ケンカキックかぁ)


 相応にレベルは高いのだろう。速度そのものは相当に早い。魔力だか神力だか知らないが、そこそこに強化されているらしい。けれども、挙措がよろしくない。美女らしからぬ残念な一撃はともかく、構え方、足運び、何をとっても素人同然だ。


(ロロナさんやファーレンさんのような、力ではなく技に依る体術使いなど、この世界にはそういないのかもな)


 残念な思いに嘆息しつつ、その脚を右腕で外に捌けば、ザリチュは大きく脚を開いたまま、俺の前に無防備な姿を晒した。不用意に踏み込んだ結果、残心すらなく、握り込まれた俺の拳に目を見開く顔は、手で覆われてすらいない。


「じゃあな」


 そのまま左拳を突き入れるつもりであったが、右腕に違和感を覚えて、思わず跳び退いた。


「…あら?反撃しないの?」


 ゆっくりと体勢を整えながら、悪戯っぽくザリチュが尋ねてくる。その婀娜なる様ときたら、先のケンカキックを繰り出した女性と同一人物だとは、とても思えない。


「…いやぁ、想像を絶するな…」


 俺の腕は、水分を失って、驚くほどに細くなっている。彼女の脚を払った右腕の肘から先が、まるでミイラのように萎れているのだ。

 よくよく辺りを見れば、彼女の左足が踏み付けた床石は、周囲と色が違う。紋様が浮かんだ箇所は、乾きの力が段違いに高いのだろう。枯れ木の如き腕には全然力が入らず、思わず舌打ちした。


「私の脚は、安くないの」

「へいへい。そのようですね。高い授業料だな。ったく」


 あえて隙だらけの蹴りを繰り出したのは、払わせる事が目的だったのだろう。俺はまんまとそれに乗っかってしまったらしい。


(相手が女だってだけで、油断したのかな…得体の知れない相手の初手を受けるとか…俺も焼きが回ったな)


 よくよくザリチュを観察してみれば、女である事を実に強調した風采だ。相手の油断を誘う事が、目的なのだと見るべきだろう。

 もしかしたら、それだけではないかもしれない。舐め切って、あそこでカウンターを決めるべく拳を突き入れたとしたら、実は左腕も持っていかれたかもしれないのだ。光り輝く左脚だけが危険であると、決まった訳でもないのだから。

 そうだとすれば、彼女の動きそのものもフェイクである可能性がある。そこまで仕込んでいるとも思えないが、仮定の話をすると危険度は青天井だ。


「まあ、別に問題ないんだけどな」


 くくく—と、一頻り己の世界を満喫した後、視線をザリチュへと戻す。やられっぱなしも面白くないので、次はこちらが驚かせてやる事にしよう。

 無事な右拳を握り込み、パキパキと小気味良い音を鳴らして呟けば、ザリチュは不敵に笑った。


「強がるわね。もう諦めた方が楽よ?」


 だが、勝利を確信しかけたであろうザリチュの表情は凍り付く。俺の背後から四本の腕が生えてきたからだろう。それも、戦棍(メイス)やら大鉈などを手にした物騒なものが出てきたとなれば、恐怖も一入に違いない。


「あ、あんた一体!?」

「ほれ、躱してみろ」


 ザリチュの言には耳をかさず、トップスピードまで一気に加速した。轟—と風を切り裂く音を感じながら、副腕で戦棍(メイス)を振り下ろす。

 ようやく事態を把握できたザリチュが、ヒッ—とか細い悲鳴を漏らしこそしたものの、それが俺に聞こえるという事は、俺は既にザリチュの目と鼻の先にいる訳だ。当然、彼女の防御など間に合うはずもない。


(遅い…)


 ファーレンの方が、反応速度は早い—そんな事を考えつつ、戦棍(メイス)を振り抜いた。


—メキ、ゴキ—


 彼女の上腕から先が、あらぬ方向へと折れ曲がり、そのまま肋骨や内臓も壊したらしく、ザリチュはくの字に折れ曲がると、大きく吹き飛び、支柱の一つに血の花を咲かせた。


(…アビスさんが言った通り…か)


 ズルリと崩れ落ちるザリチュを見つめつつ、アビスの言を思い返す。アビスは、俺が負ける事などない—と、言い切った。それでも、それなりに警戒はしていたつもりだが、この現状を見る限りでは、名の上がった三体の邪神でもない限り、俺の相手にはならないかもしれない。


(…どういう事だ?)


 だがしかし、それはそれで疑問が残る。


(こんな奴らにアビスさんが負けた?…それこそ、あり得ないだろ…)


 

 もはや四肢は明後日の方を向いており、白いドレスは破れ、或いは無事な箇所も真っ赤に染まっている。あれは死んだだろう。


(普通ならな)


 それでも気は緩めない。一切警戒を解かず、そればかりか、より一層の魔力を身に纏う。やがて、魔力は鎧へと姿を変え、俺の肉体を硬質の黒で覆った。


「…なん…なのよ…あんた…」

「…お?やっぱり息があったか」


 一方で、ザリチュは俺が油断するのを待っていたらしい。けれども、俺に全くその気配がないため、不意打ちを諦めたのだろう。あっという間に身体を修復すると、ガチガチと歯を鳴らしながら後退ろうとする。


「今のは…どうやった?魔術ではないし、魔法でもないよな?単に魔力を込めただけに見えたが…」


 俺が尋ねたのは、一瞬で肉体を再生させた手法だ。少なくとも、俺にはそんな真似ができない。なんらかの技術によるものなのであれば、是非とも習得しておきたい。


「…わ、私達は完全魔力体なのよ…全身が魔力の塊なの…魔力を込めれば、すぐに元通りになるわ…」


 ザリチュの回答には嘘は無さそうだ。どうやら完全魔力体ではない俺には、あんな芸当は出来ないらしい。はぁ—と嘆息しつつ、別の事に意識を割いた。


私達(・・)は—か)


 今、ザリチュは己を複数形で呼んだ。それがどこにかかるものかは分からないが、順当に考えれば、邪神達の事だろう。


(もう少し、情報が引き出せないものか…)


 欲をかきそうになり、逡巡する。危険を犯すべきではない。彼女の権能も、これで終わりではなく、更に先があるかもしれないのだ。さっさと決めるべきだろう。

 けれど、ザリチュと俺の能力差は、最低でも二倍以上の開きがあるように思う。はっきり言って、全く歯応えがない。権能がなければ、多少硬い程度の町娘でしかないのだ。ならば、まず俺がどうこうなる心配などなく、安全に情報を収集できるならば、今のうちに聞き出すべきではないか?—との思いが鎌首を擡げるのも、無理からぬ事だろう。


(…だめだ。こいつには、おそらく仲間がいる。そいつが助けにこないとも限らない。早急に仕留めるべきだ)


 ギリギリのところで冷静な判断を下せた事に、安堵の息を吐いた。

 ところが、俺の嘆息に、ザリチュの肩が跳ね上がる。何やら誤解させてしまったらしい。まあ、どうでもいいのだが。


「み、見逃してよ…あんた…高位の吸血鬼(ヴァンパイア)でしょ?」


 ゆっくりと近付く俺から後退りつつ、ザリチュが見当違いの事を言ってくる。俺は何も答えずに黙念としているのだが、それをどう受け取ったのか、ザリチュは更に続ける。


「ならさ、吸血鬼(ヴァンパイア)の支配する町があるの。そこに行けば、アムルタートの下なんかにいるよりも、よほどいい暮らしができるわよ。あ、あんたは滅茶苦茶強いから、さ。な、なんなら、あんたがボスになればいいじゃない!人間(エサ)も豊富にあるわ!好きにしていいのよ!?」

 

 兜の下で俺の顔が不快に歪むのを、ザリチュは気付けない。本当にこいつらが邪悪な存在であるのかどうか。その一点だけが気がかりであったが、どうやら杞憂で間違いなさそうだ。


「ほう?吸血鬼(ヴァンパイア)の町が?…そこでは人間(エサ)をどう扱うんだ?」

「どうって…そりゃ、男達は労働力よ。働かせるだけ働かせて、使えなくなったら手脚をもいで食べたり、魅了の魔眼で使役して、外に外交に出したり…新鮮な人間を連れてくるのも男達の役目ね。女は飽きるまで犯されるわ」


 男についてはやたら詳細に説明してくれたが、女に関しては一言だった。そこはザリチュも女であるため、男の情欲の発露というものは、やはり汚らわしく感じるのかもしれない。


「ああ、分かった」


 言葉通り、本当によく分かった。情けをかける必要も、生かしておく必要もない事が。胸糞悪いとはこの事だ。何の捻りもなく、怒りに任せて大鉈を真っ直ぐに投擲する。


「ふっ!?」


 短い音を残して、呆けたザリチュの顔が、物凄い速度で遠ざかる。

 やはり俺とザリチュでは、能力差があり過ぎる。ザリチュは大鉈を避ける事もできず、支柱の一つを盛大に粉砕し、古城の壁へと縫い付けられた。


「げあっ!?がっ!ひゅ…」


 どばどばと泡立つ血を撒き散らしながら、ザリチュが声を上げようともがく。己の身に何が起きたのかを理解できなかったらしく、己の後頭部が半分潰れている事に気が付いたのは、俺がすぐ側まで近付いてからの事だった。


「ば、ばふは、ほふはほほひへ…はばべふぶぼ…がはっ…ふばばばばばば」

「何言ってんのか分かんねえよ」


 ザリチュの爪先を踏み付けて、大鉈の刃を上に返し、ぐい—と持ち上げる。ザリチュの苦悶に歪む表情が、左右に割れた。


「…はぁ。こんな姿、師匠達には見せられねえな」


 返り血に塗れた己の姿に舌打ちしつつ、足元に転がった肉塊を力一杯蹴り付ける。


—ドッ—


 俺の蹴りに耐えきれず、肉塊は臓腑を撒き散らしながら千切れ飛ぶ。それでも、次の瞬間には、床の血痕も、臓腑も、何もかもが消え失せて、新品同様のザリチュが目の前に現れるのだから堪らない。全くもって、怒りが治らなかった。

 俺は嘆息しつつ、再びザリチュに向けて歩みを進めた。


「あ、あんた…やめてよ!もう、許して!謝るから!な、なんなら、この身体を好きにしていいから!」


 そう言いつつ、ザリチュは己の胸を持ち上げる。見事な肉置きが二つ、ザリチュの指の中で形を変える。それに視線を落とした瞬間、ザリチュの身体に紋様が現れると、妖しく光った。

 けれど、俺は歩みを止めない。殊更に何があった訳でもなかったが、ああ、なるほど—と、何をされたのかは理解した。


(乾きってのが、物質の水分を奪う力。渇きってのは、渇求を呼び起こすのか)


 ザリチュの権能により、俺のなけなしの性欲が、僅かに反応した気がする。まあ、それだけだが。


「悪いな。0を何倍したって、0は0だ」

「ぜ、0って!?」


 ザリチュの表情が焦燥に染まる。当てが外れたのだろう。これは少しだけ可哀想に思えた。


「そもそも、不死系魔物(アンデッド)に性欲があると思ってんのか」

「う、嘘よ!だって!?」


 だって—何なのか。まさか俺以外の不死系魔物(アンデッド)には、性欲があるとでも言うのか。その先を聞きたい気がしないでもないが、ザリチュは狼狽するばかりで、続きを語ろうとはしなかった。


「おい」


 俺が声をかければ、ザリチュの肩が跳ね上がる。最初の威厳は何処へやら。すっかりと縮み上がり、蒼白な顔で瞳を揺らしている。


「さっき言ってた、吸血鬼(ヴァンパイア)の支配する町ってのは、どこにある?」


 ザリチュは答えない。やはりゆっくりと後退りながら、視線を泳がせるばかりだ。


「そこにも邪神がいるのか?」

「う…うわぁぁぁぁぁ!」


 俺の詰問は、ザリチュを相当追い込んだようだ。絶対に勝てないと分かっているはずなのに、彼女は俺へと再び挑みかかってくる。全身に紋様を浮かべ、決死の覚悟を思わせる、力強い光を目に宿していた。


「仲間は裏切れない—とでも言うのか?…外道の癖に」


 あえて彼女の攻撃を受ける。その度に副腕は干上がり、新たな腕を作り直す。彼女の側にいるだけで、鎧までもが悲鳴を上げるという恐ろしい権能だが、まだまだ俺のMPには余力がある。そう時間をかけるつもりもないが、最後くらいは付き合ってやるべきだろう。


「煩い!何も知らないくせに!あんたに何が分かる!邪神と呼ばれる私達の苦悩の!一体何が分かる!」


 ザリチュが床石を踏む度に、床が朽ちて砕ける。拳が、蹴りが支柱や壁を捉える度に、古城が震えた。

 ザリチュの権能は、本当に恐ろしいものであると、再認識させられる。魔力鎧に身を包み、その下には馬鹿みたいな量の魔力を圧縮して身体に纏わせる。それでも、乾きの権能を止めるには至らず、本当にゆっくりとではあるが、身体が水分を失ってゆくのが分かるのだ。


「何とか言いなさいよ!言ってみなさいよ!言えよ!」


 ザリチュ自身、己が命をかなぐり捨てての特攻なのだろう。次第に紋様は力を失い、ザリチュの動きも精彩を欠いてきた。


(もう、いいだろう)


 一際大振りの拳を掻い潜り、戦棍(メイス)で腹を打つ。ザリチュは胃液を撒き散らして屈み込んだが、戦棍(メイス)も朽ちた。


(いちいち作り直すのが、怠いったらねぇな)


 俺の魔力による武装だから良いものの、まともに相手をしていたら、一体どれほどの金が飛ぶ相手だろうか。そう考えると、変な意味で恐ろしくなった。

 

「何も…知らない癖に…」


 床の上で腹を押さえながら、ザリチュが静かに呟く。振り乱した髪のせいで、ザリチュの表情は窺い知る事はできないが、僅かに覗く頬からは、涙の跡が見えた気がする。


「…そうだな。何も知らん。けれど、そこで周囲に理解を求める努力をせず、お前達は力でねじ伏せた。違うか?」


 俺の問いに、ザリチュはこちらを見ようともせずにすすり泣く。否定はできないのだろう。


「それは、許される事ではない」


 もう、終わりだ。戦棍(メイス)先端の鋭利な細工で傷付いたのか、腹を抑える腕から血が伝い、床を濡らす。それでも、ザリチュに回復する兆しはない。それ以前に、ザリチュが起き上がる様子もない。早くも心が折れたのかもしれない。


「ふふ…ふふふ…あはは!」


 だが、ザリチュは笑った。最初は静かに。そしてそれは、徐々に高らかな笑いに変わる。戦棍(メイス)の一撃は呼吸器官にもダメージを与えたのか、苦しげでありながらも、ザリチュは一頻り笑った後、俺に視線を向けた。


「…あんたも…変わらない。むしろ…私なんて、あんたに比べれば…ふふ…きっと、あんたは…私達と、同じ運命を辿るわ…」

「…かもな」


 確かに、ザリチュの言う通りだ。俺は今、力でザリチュをねじ伏せたし、我ながら酷い戦いだったと思う。誰にも見られていなかったから良いものの、暴力と表するのも憚られるような、残虐な行いをした。怒りに身を任せて力を振るった。

 あれをクローディア達が目撃していたとしたら、果たして彼女らは、それまでと同様に俺と接してくれるだろうか。


(…流石に無理だよな)


 再び副腕を生み出す。今度は手甲を纏っていないものだ。簒奪者(デートラヘレ)としての紋様を宿すものだ。


「…」


 これまでにないほど、力強く輝く紋様に、ザリチュの光ない瞳が吸い寄せられれば、何を思ったのか、彼女は薄らと笑みを浮かべる。

 心なしか唇が動いた気がした。ようやく終われる—と。

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