小坂、アビスの知り合いを見つける
壁も、柱も、邪魔なものは全て破壊して主塔の天辺まで駆け上がる。それでも誰の姿も捉えられず、ついに屋上へと辿り着けば、忌々しさに舌打ちした。確かに気配を感じるのに、誰の姿も見えないのだ。
「かくれんぼかよ…」
苛立ちに身を委ねて床石を踏み砕き、今度は一階まで降りる。古城の歴史的な価値は凄まじいものであるのだろうが、今はそんなものには忖度しない。何か言われれば、逆ギレして誤魔化す所存だ。
(罠ようなものは見受けられない。隠し部屋もない?…なら、どこだ?)
今の俺は冷静を欠いている。クローディア達の気配を捉えたからだ。彼女らを連れてくるつもりなどなかったが、絶対に来るな—と、指示するのも忘れていた。昨晩、アビスが邪神の話題を口にしなかった事から、彼は女性陣を巻き込まないようにしているのだと考えていた。ならば、アビスが上手い事足止めしてくれるだろう—と勝手に思い込んでいたのだが、当てが外れた形だ。
(何で来たんだよ…アビス)
ガリガリと頭をかきながら、舌打ちする。思い出すのは、昨日のアビスとの会話だ。アビスは、この近くに邪神が潜んでいる可能性を示した。今日は昨日ほどの渇きを感じないものの、それでも、危険が完全に取り払われた訳ではない。できれば、クローディア達には、そんな危険を味合わせたくはない。
(特に、師匠には)
クローディアは気丈に振る舞ってこそいるが、その実、それほど肝っ玉の太い方ではなく、勇敢な部類でもなければ、気が強くもない。内向的で気弱な、優しい女性だ。
我らに付き合って冒険者として活動をしてくれてはいる。俺と共にナイセイルを出ると心に決めた時、覚悟とて済ませているに違いない。けれども、本音を語らせれば、冒険者などやりたくはないはずだ。危険に身を投じたいとは思っていないはずなのだ。まあ、行き過ぎた知的好奇心は別にしての話だが。
(とりあえず、師匠達には帰って待つように伝えるか?)
敵の影も形も捉えられない事に、苛立ちよりも焦りが勝ってきた。この場にクローディアがいると気が付いてからは、焦りの蓄積も随分と早くなっている。
(師匠に万が一があってはなぁ)
一度足を止め、周囲の気配を探りながら思案した。
(いや、側には皆がいる。師匠自身とて、レベルだけ見れば、相当な強者だ。そうそう簡単にはやられない。…何よりも、説明を求められるのは面倒だしな)
頼むから帰って待っていてくれ—こんな事を口にしようものなら、向けられるのはジト目。待っているのは、何故じゃ?どうしてじゃ?—という怒涛の質問攻めだ。
(邪神がいるから。なんて言った日には…帰っちゃくれんだろうしな)
昨日は不死系魔物に魔力体という面子であったからこそ、あれだけ余裕だった。だがしかし、他の三人はそうはゆかない。森精族だろうと魔人族だろうと、生物にとって、水は必要不可欠なのだ。身体から水分が失われてゆく—という現象は、地味でありながら、想像以上に危険な代物だったりする。
(やっぱり、このまま探すのが早そうだな)
そんな事を考えたものだが、意識を浮上させたすぐ後には、階下に朧げに気配を感じて、悔しさに歯噛みした。
「下かよ!」
地下へと続くであろう隠し階段を発見し、床石を即座に踏み抜けば、土埃やらなんやらを巻き上げて、床石は階段を落ちていった。
「ちっ!面倒だな!」
床石を踏み抜いた俺目掛けて、階段に潜んでいた植物の枝が襲いかかってくる。ちまちま処理するのも手間なので、あえて片腕に巻き付けると、纏めて引き千切る。
(焼き払うまでもないな)
階段の壁を覆っていた枝は全て落としたものの、依然として木本体の姿など見えず、気配も感じられない。俺に気配が感じられないという事は、この枝は不死系魔物だろう。ならば相手にするのも面倒だ。大した力ももってはいないようなので、無視する事にした。
「気配は捉えてんだ!とっとと出てこい!」
階下に向けて怒鳴りつけるも、これはブラフである。確かに地下から何かの気配を感じる気がするが、上を調べてもいなかったから、下に違いなかろう—という、消去法によるところが大きい。隠し階段を見つけ、その先へと集中して意識を向けた今なお、確信が持てないのが実情であった。
(…邪神か?…邪神だったら…やるか?…やれるのか?)
知性、理性を宿す相手とは、アビス以降やり合った事はない。そのアビスと命をかけて戦ったのだから、やれるはずだ。実績があるのだから。
だが、そうであるにもかかわらず、緊張に顔は熱を帯び、じんわりと額に汗を貼り付ける。
(…あの時のアビスさんは…間違いなく本気じゃなかった…けれど、今度の相手は違う。本気の本気で殺しにくる。俺も、殺す気で挑まねばならない)
聖剣の迷宮で対峙したアビスは、あえて致命的な隙を晒した。いや、もとから俺に勝つつもりなど微塵もなく、徹頭徹尾、防御は笊だったのだ。竜とはそういうものか?—と以前は考えていたものだが、今は違う。アビスは最初から、俺に吸収されるつもりであったに違いない。
そして、俺もなんとなく、それを理解していたのだろう。だからこそ、あんなに気軽に殺し合いに応じられたのだ。今にして思えば—だが。
(けれど、邪神は違う)
アビスの言う通りならば、邪神はきっと、悪意剥き出しで襲いかかってくるような存在に違いなく、やり合おうとするならば、こちらにも相応の覚悟が求められる。それこそ、人—という表現が適切かどうかは不明だが—を殺す覚悟だ。
(先手必勝は戦さ場の常道だが、そこまでの覚悟はすぐにはできないよなぁ。全く、なるようにしかならんか)
よし—と気合を入れ直し、真っ暗な階段を一歩一歩、踏みしめて下る。長い階段は途中で何度かの踊り場を経由して、人の視界では次の足場も捉える事はかなわなくなる。幸いな事に俺は不死系魔物であるため、ホムンクルスの肉体であっても、多少は闇の中を見通す事ができた。
(ん?崩落か?)
やがて、階段は次の踊り場へと差し掛かったのだが、そこで崩れたのか、足場はどこにも見当たらない。
(なんだよ…はぁ…どうすっかな。飛び降りるのは怖いしな…)
嘆息しつつ、ふと視線を走らせれば、何もない暗闇の中で、光るものを認める。よくよく目を凝らしてみれば、どうやら砕いた床石であるらしい。光って見えたのは床石の端に付いた苔であったようだ。
(え?どういう事?床石が浮いてる?)
恐る恐る足元に手を伸ばせば、指先にはひんやりとした感触がある。更に目を凝らして見てみれば、そこにあるのはどうやら床であり、今まで踊り場だと思っていたのは、階段の終わりであったらしい。
そう、穴などなかったのだ。それに気が付くと、俺は大きく嘆息した。
「炎よ」
小さな炎を作り出し、照明代わりとする。本来ならば光属性の魔術により光球を作り出すところだが、不死系魔物である俺と光属性の魔力は、相性がすこぶる悪い。俺一人しかいないのであれば、魔法により炎を作り出した方が早いのだ。
ゆっくりと周囲を照らせば、部屋の奥には一体のミイラがあった。こちらに向けて、うつ伏せに伏しており、膝を畳んで長い髪を床に広げている様は、まるで土下座のように見えた。
(…うわぁ…成仏してください)
その他には目ぼしいものも見当たらなかったが、壁は別だ。地下室の石壁には無数に魔法陣が描かれていた。
近付いて汚れを払い、具に観察する。既に文字は掠れて効力を失っており、判別できない制御文字も多くあるが、読み解けた内容から察するに、どうやら保存の魔法陣であるらしい。ここは食糧庫であったのかもしれない。
—ズズズ—
背後から聞こえた、何かを引きずるかのような物音に、慌てて壁から飛び退る。
「誰だっ!?」
炎を新たに数個作り出し、周囲に展開させる。けれども、地下室には何の異常も見受けられず、また、何の反応も—あった。
先ほどまでは朧げだった反応が、僅かに強くなっている。けれどもそれは、相変わらず捉えられるか否かというギリギリのものである。
(…待てよ…もしかして)
ところで、この気配を捉え辛い事象が、隠蔽によるものではなかった場合、俺には心当たりが一つだけある。
(…不死系魔物?)
そう。不死系魔物の気配だったとすれば、気配が捉えられない事にも得心できる。俺や彼らの魔石は瘴気を放つからだ。瘴気に満ちた魔石は反応が捉え辛く、今の状況とも合致する。
「…誰か…いる、のか…?」
恐る恐る声をかけながら、ゆっくりと視線を地下室の隅から隅まで巡らせる。反応は朧げだが、いるとすれば地下室である事は間違いない。
(うおお…お化け屋敷に入った気分だ…)
何かいるのは分かっているのだが、得体が知れず、妙な怖さがある。手探りで罠を探すかの如く、周囲におかしな点がないかを見返した。
(…やはり何もない…あるのは、壁の魔法陣と…ミイラのみ…)
その時、ふと違和感を感じて視線をミイラに戻す。ミイラは壁にもたれかかって力尽きたかのように、両脚を開いて力なく座り込んでいた。
「…」
気のせいか?—と、不安を打ち消すように声を出したが、次の瞬間には肩を跳ね上げた。
「うおおっ!?」
違和感の正体に気が付いたのだ。
そう、ミイラの体勢が変わっている。先ほどまではうつ伏せになり、土下座のような姿勢であったはずが、今は壁にもたれかかって、顔は天を仰いでいるではないか。
(め、めっちゃびびった)
己も不死系魔物であるのに、まさか同業者に驚かされるとは思いもしなかった。
「…ウ…ア、ア…ウ…」
ジッと見つめていると、やがて、ミイラの口が動き出す。まるでこちらに何かを伝えようとしているのか、なんとか声を出そうと、必死になっているように見受けられる。
「…お、おい、大丈夫か?」
襤褸を纏ったミイラは、不死系魔物には違いない。けれども、不思議な力など何一つ感じられず、むしろ、ミイラとなったのは、古城の外を覆う、乾きの力に他ならないと考えられる。また、悪意や敵意、渇きに身を任せてこちらを襲う素振りも見えなければ、もしかすると、イチロー達のように、何かしらの理由により自我を取り戻したのかもしれない。
もし、そうであるならば、助けないという選択肢はあまりにも鬼畜であろう。俺は様子を窺うべく、恐る恐る近付き、ミイラへと手を伸ばした。
—バガン—
阿呆のように開かれていた口が、頭頂部に齎された衝撃に、ガチン—と、音を立てて閉じられた。おそらくは、背後から殴られたのだ。考えるまでもなくクローディアだろう。物凄く痛い。
「いった!」
恨めしい顔で背後を振り返れば、案の定、クローディアはつり目がちな瞳を更に険しくして、見当違いな事を言ってきた。
「やめんか馬鹿たれ」
「…まだ何もしてませんよ!」
—ゴズン—
怒りに身を任せて声を荒げたのが悪かったのか、再びクローディアの杖が火を噴く。あまりにも理不尽だと思う。
「何故…何故…」
「“まだ”ってなんじゃ。“まだ”って」
今度こそ頭を抑えて蹲る。舌を噛んだらどうするんですか?—と、蹲ったままで問いかけたが、ファーレンの乾いた笑い声が返ってきたのみであった。少し俺の扱いが酷すぎやしないだろうか。
「クローディア様…あれは、人ではないであります。不死系魔物でありますよ」
「なんじゃと!?…ライト!」
クルスの言に、クローディアが光の球を浮かべ、ミイラを照らせば、僅かな沈黙の後、あ、本当じゃ—と、申し訳なさそうな声音が地下室に響く。
どうやら、クローディアは俺が人間に何かしようとしている—と、思い込んだらしい。炎の明かりを頼りに俺の背中越しに状況を見て、勘違いしたに違いない。
つまり、俺は冤罪により二発も殴られたのだ。頭頂部の痛みではなく、心に負った傷で泣きそうになった。あんまりだ。
「魔物ですか?」
俺達の顔を順に見つつ、ファーレンが尋ねてくる。
攻撃されては可哀想だと思い、即座に否定した。
「…いや、多分、理性がある。俺に何かを語りかけようとしていた…と、思う」
俺の言葉に、一同は目を見開く。
俺は苦笑しつつ、腰のナイフで己の手のひらを切る。さして痛みを覚えない身体が、こんな形で役に立とうとは、思ってもみなかった。
「おそらくは、吸血鬼系の不死系魔物かと思われます。アビスさんから説明があったと思いますが、この辺りは不可思議な力に覆われておりまして…そのせいでミイラ化したものかと」
ミイラは犬歯がやたらと発達している事から、吸血鬼と当たりを付けたのだが、あながちハズレでもなかった。俺が血を口に垂らせば、少しずつ肌が再生してゆく。
どうやら、このミイラは女性であるらしく、血を与えた事により、僅かに胸部が潤いを取り戻して膨らみ始める。襤褸を纏っているとはいえど、先端は丸見えであり、誤魔化すかのように声を上げた。
「念のため、離れていてください。何かあれば、俺が責任をもって処理します」
背後では、俺の言に従い、ゾロゾロと俺から離れてゆく足音が四つ。アビスまでもが俺から離れているらしい。お前はいてくれてもいいだろうが。
「…は…かはっ…ふ、ふ…あ、ありが…う…ざ…ます…」
やがて、ミイラは痩せぎすの女に変わった。不思議な事に、女はそれ以上、血を飲もうとはしなかった。吸血を拒むかのように俺の手を優しく払い除け、痩けた頰で笑ってみせる。
「おい。もう少し飲め。変に遠慮するな」
まだまだ痛々しい姿に、更なる血を与えようとするが、女は顔を背けて、はっきりと拒む。
「…お前な…」
「だ…じょ…ぶ…す。…いじょ…ぶで…か…」
大丈夫です。大丈夫ですから—と、言ったのだろう。声はまだまだ掠れており、ほとんど聞き取れるレベルにはない。俺の腕を押し退けようとする、枯れ木もかくやという腕は小刻みに震え、赤い眼は落ち窪み、口同様にほとんど動きもしない。とても大丈夫には見えないが、本人はもはや血を啜る気はないらしい。
俺は嘆息し、諦めて腕を引いた。
「ところで、不可思議な力とは何の事じゃ?」
クローディアの問いかけに、眼を剝いてアビスを睨み付けるが、アビスは俺から視線を逸らした。あろう事か、何の説明もしていないらしい。
「おい」
「わ、忘れていたである。すまぬである」
そう言われては、これ以上責められないだろう。深く深く嘆息してから、この場所を覆う不可解な魔素について説明する。
「…なんと。…ふむ。乾きを齎す魔素…」
「確かに。明らかに魔術とは別物と考えられるでありますな」
クローディアとクルスは、俺の言を受けて、考え込むかのように視線を明後日の方へと向け、ファーレンは空目で呆けている。理解を放棄したらしい。
ところで、俺が三人に説明している最中からずっと、アビスは女吸血鬼を見つめている。惚れたのか?—と茶化そうとして、ニヤニヤ笑いながら話しかけようとしたその時、アビスが声を上げた。
「貴様…もしかして…アムルタート、ではないか?」
それまで、頑なに俺達から顔を背けていた女であったが、弾かれたかのように顔を上げる。
アムルタートと呼ばれた女は、しばらくはアビスを見つめたまま固まっていたが、やがて目を見開くと、嗄れた声を発した。
「あ、あび、す…さま…で、すか?」
「おおっ!?やはりアムルタートであったか!」
二人は知り合いであるらしい。これには耳驚いて、上がっていた口角がストンと落ちる。
(危ねぇ!変な事を言わなくて助かった)
内心で胸を撫で下ろす俺を前にして、アビスはスタスタとアムルタートの側まで歩いてゆくと、その肩を掴んで顔を覗き込む。しかし、アビスに覗き込まれる事を嫌ってか、アムルタートは再び顔を逸らしてしまう。
だが、アビスはそんな些事は気にしない。ポンポンとその肩を叩いていたかと思えば、優しくアムルタートを抱きしめる。
「息災…ではなかったようであるな。可哀想に…こんなに痩せ細って…いくら不死身の貴様でも、これは見るに耐えんである。今まで何をしていた?何故こんなところに隠れていたである?」
アビスの緊張を解きほぐすかのような声音に、せっかく潤いの戻ってきた目頭から、大粒の涙が零れ落ちる。アムルタートは、声を震わせて泣いていた。
「う、あ…おゆ…る…くだ…い…あび…さま」
アムルタートの枯れ果てた声は、何を伝えようとしているのか不明であったが、言わんとしている事は、何故か理解できた。
俺が再び前へ進み出ると、アムルタートの肩が僅かに持ち上がる。緊張なのか、或いは俺に対する恐怖なのかは知らないが、少しだけ傷付く反応だ。助けたというのに、それはないだろう。
「安心してください。もう、無理やり血を飲ませたりはしませんよ」
苦笑を作り、ばっくりと割れた手のひらの傷をアムルタートへ見せる。その手にもう片方の手をかざして、ヒールを使用して見せた。
「カオス・ヒール」
まるで、薄墨を塗り広げたかのような暗い光が、クローディアの浮かべた光球の輝きを押し潰す。それがおさまった後には、俺の手のひらの傷は綺麗に消えていた。
「…え?」
「私はね、少し特殊でして。一般的な法術師が使うような神聖法術は扱えません。その代わり、混沌法術と、暗黒法術なら扱えます」
驚きに目を見開くアムルタートへと説明すれば、アムルタートは訝しむかのような視線をアビスへと向ける。
その反応に再び心の傷を抉られるものの、一先ずそれは置いておく。アビスが俺の言を保証するかのように頷いて見せれば、アムルタートはおずおずと俺に視線を戻した。
「アビスさん、彼女にダーク・ヒールを使いたいと思いますが、よろしいですか?」
アムルタートから視線を切り、アビスへと尋ねれば、アビスはアムルタートを安心させるかのように、彼女の背を撫でつつ応じる。
「オサカよ、頼むのである。ほら、アムルタートからも頼むであるな」
アビスに声をかけられたアムルタートは、おずおずと俺に声をかけようとするものの、やはり声はほとんど出ない。
その気持ちだけで十分—と苦笑しつつ手で制し、法術を行使するべく魔力を練る。
チラリと背後を振り返れば、クローディア達は既に俺から離れており、アビスもまた、ゆっくりとアムルタートから離れた。
暗黒法術であるダーク・ヒールは、極めて闇属性に近く、俺や、アムルタートのような不浄の存在には癒しの効果があるものの、クローディア達には毒にしかならない。故に、皆は離れたのだ。
なお、厳密に言うならば、俺の魔石はダーク・ヒールにより活性化するものの、俺の肉体は人間のものである。闇属性に強い適性があるとはいえど、ダーク・ヒールでは肉体は流石に回復しない。故に、俺は効果の低いカオス・ヒールでしか傷を癒せないのだ。悲しい事である。
「ダーク・ヒール」
まるでブラックライトを思わせる黒い輝きが辺りを包み込めば、アムルタートの頰には少しだけ赤みが宿る。本調子とまではいかないだろうが、先ほどよりも随分と楽になった事だろう。
「あ、あ…う、あ…からだ…わたしの身体が…元に戻って…」
声も随分と聞き取りやすくなった。まだまだ頰は痩けているし、身に纏った襤褸は、抑えていなければ落ちてしまうほどに肉付きはよろしくない。それでも、赤い瞳には、確実に活力が宿っていた。
そんなアムルタートの側に再び歩み寄ったアビスは、呆けた顔でアビスを見上げるアムルタートを抱き抱えた。
「きゃ!ア、アビス様っ!?」
「オサカよ、この娘を連れ帰りたいのである。許可をもらえるであるか」
アムルタートが何か喚いているが、アビスは全く取り合わずに俺に許可を求めてくる。
これには苦笑を浮かべつつ首肯した。
「断る訳ないでしょう。後で詳しく聞かせてくださいね」
無論である—と嬉しそうに笑い、アビスが顎を突き出してくる。亜空間を開け—という事なのだろう。
「だそうです、師匠」
「仕方ないのぅ。合わせるのじゃ、オサカ」
戻ってきたクローディアに笑いかければ、クローディアも肩を竦めて破顔する。彼女の開く亜空間に俺の亜空間を重ねて、小坂邸のリビングへと擬似転移しようとした。
「そ、そうです!ア、アビス様、なりません。ザリチュが!ザリチュがどこかに潜んでおります!」
ところが、耳まで赤くなったアムルタートが懇願するかのように叫べば、アビスから表情が消える。
おや?—と不思議に思い、クローディアと顔を見合わせる。クローディアにも理解できていないようで、彼女は俺と視線が交差すると、首を振ってみせた。クルスとファーレンも同様だ。
(ザリチュ?)
初めて聞く名は、魔物の種類なのか人の名前なのかも分からなかったが、アビスには理解できたらしい。わなわなと唇が震え、顳顬には青筋が浮かび上がる。目は竜眼に変化していたが、アビスが静かに瞼を下ろすと、再び眼を開いた時には、人のそれへと戻っていた。
(…ああ。そうか、そういう事か)
アビスの反応で察した。ザリチュとは、邪神の一人なのだろう。やはり、この付近にいたのだ。そうなれば、アムルタートがミイラのように干からびていたのも、この付近を覆う乾きの魔素も、ザリチュの権能によるものであろう事は間違いない。
アビスは優しげな笑みを浮かべると、アムルタートを労うかのように、優しく語りかける。
「そうか。貴様が一人こんな場所にいたのは、それが故であるか。誰も巻き込まんように…一人でずっと戦っていたであるか…」
アビスの言葉を受けて、アムルタートは僅かに首肯する。口を引き結び、こぼれる涙を堪えつつ頷いた彼女の心境にあったのが、どのような感情であったのかは読み取れなかった。
「すまなかったであるな。だが、もう安心して良いのである。全快とまではゆかぬが、かつての七割近くまで、力を取り戻しているのである。邪神ごときに遅れは取らぬであるな」
アビスはそんな事を言って笑ってみせるが、嘘八百だ。アビスの力は良くても四割程度しか回復できてはいない。アムルタートを安堵させるべく、そのような事を口にしたに違いない。
(でも、嘘つく相手が悪いよな)
俺の読み通り、嘘は通じなかったらしい。アムルタートの顔が目に見えて曇った。当たり前だ。知り合いであるならば、かつてのアビスを知っているという事に他ならないのだから。アビスを取り巻く魔素の量が、肌が触れるほどの距離にあって、分からないはずはない。
「…アビスさん、私が行きます。アビスさんはアムルタートさんを介抱してあげてください」
俺が口を挟めば、アビスは目を見開いてこちらを向き、クローディアは鬼を思わせるような渋面を向けてくる。
クローディアの反応に、慌てて声をかけようとしたが、それはクルスが受け負った。
「…仕方ないのであります。閣下が言うのであれば、勝算あっての事でありましょう」
クルスからの助け舟に、よく言った—と笑みを浮かべるも、クローディアは納得しない。腕組みしてみせると、不満げに口を開く。
「そのザリチュとかいうのが、周囲一帯を乾きの魔素で満たしておるのか?それがそやつの権能か?」
それはアムルタートへの問いかけだった。俺が口を挟もうとするも、杖で制される。
問われたアムルタートはといえば、アビスに視線を向ける。邪神の事を話すべきか否か、判断がつかないのだろう。アビスが頷いて返してから、アムルタートはようやく口を開いた。
「…はい。ザリチュは乾き、或いは渇きを司る邪神です。彼女の権能は、あらゆる生命を干上がらせ、その力は精神にも及びます。彼女の前では、いかなる存在であろうとも、その権能故に、生物である以上、近付く事は難しいのです」
アムルタートの言葉に、クローディアはますます仏頂面を強める。
「わしの愛弟子を、そんな奴にあてさせるつもりかよ?」
「師匠—」
彼女に言っても仕方ないじゃないですか—と、声を上げようとしたのだが、俺の前にかざされた杖が、一際大きく動く。黙っておれ—という意思表示だろう。
「…いえ。皆様を巻き込む事はできません…私が…」
「ならぬ。ならば我が行くである」
アムルタートがアビスから降りようとするのを、アビスは力付くで抑え込む。
「しかし!」
「案ずるな。もう、我は負けない」
アムルタートとアビスは、それきり視線を交わらせたまま口を噤む。クローディアも杖をこちらに向けたままで、依然として厳しい視線を二人に向け、クルスとファーレンは黙念としているのみだ。このまま流れに任せていては、悪戯に時間のみを消費する事は、火を見るよりも明らかだった。
(はぁ、仕方ない)
俺は一度声に出して大きく嘆息した後、クローディアの杖を押し除ける。
「おら、そこまでだ。話が進まねえだろ。俺が仕切るから聞かれた事だけに答えろ」
俺が声を上げれば、アビスとアムルタートは目を見開いて俺を見て、クローディアも肩越しながら、俺の声音に驚いたものと見える。二人同様に大きく眼を開いていた。クルスとファーレンもまた。
「オ、オサカ師匠?」
いの一番に我に返ったのはファーレンだ。御伺いをたてる臣下の如く、おずおずと声をかけてくる。まあ、例の如く無視するが。
「師匠」
「な、なんじゃ…」
俺が名指しで声をかければ、クローディアは後退り、アビスの方へと退がる。怯えすぎだろ—と、少し傷付いた。
「何が気に入らなくて噛み付いているのですか?師匠だって、邪神討伐に力を貸す事には同意していたはずです。その時が来たのですよ?相手の権能を考えれば、適任は私—というか、私以外ではまともにやりあえないというだけの話です。それが分からない貴女ではないでしょう?」
クローディアに近付きつつ、ゆっくりと言い含めるかのように尋ねる。
クローディアの目の前、首を傾けて見下ろす距離まで近付いたが、今度は逃げようとしない。そればかりか、クローディアは下唇を強く噛んで、俺を睨み返してすらいる。不満があるのだろう。
「…何も言う事がないなら、師匠の意見は却下です。俺が行きます。いいですね?」
それでも、口に出さないならば、検討するに値しない。彼女の示す難色は、捨て置く事にする。
しかし、俺の言に黙っていられなくなったのか、クローディアは慌てて口を挟んできた。
「ま、待て!」
さて、待て—と言ったクローディアであるが、それからどれだけ待っても続ける気配がない。モジモジといじらしく振る舞っては、頰を赤らめるのみである。
(え?なにこれ?どうしたらいい?)
助けを求めてアビスを見るが、アビスは顎をしゃくる。己でなんとかしろ—という事だろう。
元を正せばアビスの問題であるのに、この反応はどうだ。ジト目で簡単に抗議の意思を示した後、クローディアに声をかけた。
「え、えと…師匠?」
「お主一人を行かせたくないのじゃ!行くならば、わしも行く!察しろ!阿呆!」
何か言ってよ—と声をかけようとしたのだが、クローディアはそれに先んじて声を張り上げた。言い終えた後は、真っ赤になって俺を睨みつけてくる。
その反応はさておき、ああ、なるほど—と得心いって笑いそうになる。やはり、クローディアは付いてくるというのだ。先の俺の読みが当たっていた事に、気が良くなった。
「いや、無理ですよ師匠」
「そうである。今のは流石に察する事は難しいであるな」
俺の言った“無理”は、クローディアがついてくる事に関して述べたものであるのだが、アビスには、“察しろ”の部分に当てたものであると解釈されたようだ。まあ、それも正しいため、何も言わずに頷いておく。
「オサカ師匠…」
女を理解し得ない男性陣二人に対して、女性陣からは痛烈なジト目を向けられる。特にファーレンの目が凄い。そんな顔するなら、お前らは理解できたのかよ!?—と、叫びたい。絶対に分からなかったはずだ。
「ともかく、お主一人を危険な目に合わせたくはない。わしも共に—」
「ダメですからね」
クローディアが言い終える前に、ダメ出しした。当然、クローディアは俺を見上げて抗議しようとするが、上から押さえつけて、撫で回す事で回避に成功する。
「師匠…分かってください。不死系魔物である俺だからこそ、何とかできるんです。昨日の事、お話したでしょう?俺やアビスさんでも辛かったのですから、師匠達では無理なんですよ」
ここまで言ってもクローディアは退かない。俺の腕を払い除けると、声を大にして反論した。
「そんなもの!やってみなくては分からんじゃろうが!」
クローディアがごねるのは、珍しい事だ。普段の彼女は気位が高く、そう易々と感情は表に出さない。それが今の彼女はどうだ。まるで見た目通りの童女のように、不平不満を口にしては、頰を丸くする。
あまりの愛くるしさに、すっかりと毒気を抜かれてしまい、笑いを堪える事ができなかった。
「ふはは。どんなに我儘言っても駄目ですよ。絶対に連れて行きません。師匠は皆と留守番です」
「何故じゃ!納得のゆく答えを聞かせろ!」
納得のゆく答えが聞きたいらしい。普段の俺ならば、戯けて誤魔化した事だろう。けれど、先のクローディアの言がよほど嬉しかったのか、俺も本心を口にする気になった。
「そんなの、大切な人が危険な目に遭うのは、見ていられないからに決まっているでしょう?」
へ?—と、クローディアの目が丸くなったかと思えば、小さな顔が林檎のように赤くなる。うむ、そうか—とか言って、そのまま俯いてしまった。
(…これは予想外だ)
俺が想像していたのは、俺の言を冗談と見たクローディアが、更に頬を膨らませて抗議してくる図だった。ところが、その予想は見事に外れ、今やクローディアは耳まで赤くして、艶っぽい顔を見せている。
本心には違いないのだが、冗談めかして言ったにもかかわらず、本気に取られてしまうと、冗談だった—と、逃げる事もできない。これでは、逆に恥ずかしいではないか。
きまりの悪さに視線を逸らせば、アビスはニヤニヤと笑い、クルスとファーレンは優しげな笑みを浮かべている。
「やっぱり今のなしで」
「何でじゃよ!?」
テイク2は、認められなかった。




