小坂、古城を目指す その二
今回も、全く話が進まないので、二話投稿します
これを渡るのは、なかなか辛かったですね—と、ファーレンが後方を見ながら言って退けた。
「よく貴女がその言葉を口にできたものですね」
咎めるような視線を向ければ、ファーレンは慌ててアビスの背に隠れる。彼女を背負って川を渡った事は、結構な肉体労働だった。未だに根に持っている。きっと、生涯忘れない。
(まあ、夜に弱い森精族である以上、仕方ない事だけどな)
俺達は亜空間を用いた擬似転移により、前回の終了地点である大河の対岸へと出てきていた。
大河を渡った先には森林が広がり、その先には高い山脈が薄っすらと見える。山脈の頂上付近は森林限界を超えるのか、岩肌が剥き出しになっており、それだけでも、どれだけの寒さになるのかが察せられた。
「まだまだ先は長そうであるな」
俺同様に稜線を眺めていたアビスが、腰に手を当てて嘆息する。アビスにしては珍しく、面倒くさいと感じているらしい。
「…何か優先したい事でもありましたか?」
問われたアビスは俺に向き直ると、そうではない—と、首を振って苦笑する。
「いやいや、天使というのが気になるのである。蟻のおかげで時間をくったが、もうすぐ会えると思っていたであるから。…改めて見ると…古城までは時間がかかりそうで、色々とすっ飛ばしたくなったであるな」
そう言ってアビスは快活に笑った。
いつも通りの反応に、思わず俺も笑みを返す。
「申し訳ありませんが、いると決まった訳でもないですよ?」
くつくつと声を押し殺しながら笑えば、アビスは笑みに渋味を滲ませて、分かっているである—と応じた。
さて、身体強化を施して走り出すのはいつも通りなのだが、今回は別にやる事がある。俺が四方八方に魔石を浮かべ始めれば、二人は怪訝な顔を見せる。
最後の仕上げとして上空へも一つ掲げれば、二人の頭上には、無数のはてなマークが浮かんだ。実に心地よい。さあ、質問してくるがよい。“それは何だ?”と。
「うひっ」
悲鳴に近い声を漏らし、ファーレンが俺から視線を逸らした。背中に粟立つものを感じたのか、ブルリと震えたかと思えば、わざとらしく視線を山頂へと向ける。
(何だよ、その震えは)
さっさと聞いてこい—と、ジト目をファーレンに向けるも、ファーレンは意地でも俺と目を合わせるつもりはないらしい。いい度胸だ。
なお、俺に衒学のきらいがある事は自覚している。今更それを正す気もない。
「…聞けよ?気になるだろ?」
「へ?あっ!は、はいっ!」
我慢できずに急かせば、ファーレンは慌てて尋ねてきた。
「ああ…えと、オサカ師匠、さっきのは何ですか?」
「ふふふ。よくぞ聞いてくれました。これはですね…」
—と、そこまで言いかけたが、この場は黙っておき、後から完成品を見せた方が面白い事になりそうだ—と、考え直す。
「…やっぱり教えない。後で分かるよ」
意地悪く笑ってみせ、視線を前へと戻した。
「…な、なんですかそれぇ〜!」
ファーレンがキーキーと喚いているが、気にしない。今日の俺は上機嫌なのだ。理由は単純で、この魔石が何かを告げた時、ファーレンやアビスの顔が驚きに彩られる事は間違いなく、俺の充足感を満たしてくれるであろう事は約束されているからだ。そして、美味い酒は寝かせる事により、なお美味くなる。きっと、知識をひけらかすという行為にも、同じ事が言える。
(最近、抑えが効かないなぁ。少し自重しなくては)
ニヤニヤしつつも、そんな事を思いながら、山道をひた走った。
ところで、俺達が駆ける森林は、未開の大森林の一部であるのだろう。草花はもとより、襲いかかってこそ来ないが、見かける魔物も大森林と変わらない。更には、奥に進めば進む程に、脅威度の高い魔物が出てくるのも大森林と変わらなかった。
「オサカ師匠、肌で分かる程に魔素が濃くなってきましたよ」
得体の知れない魔物を木々の向こうに捉えながら、ファーレンが不安げに告げてくる。
「ああ、そうですね。ここから先は魔物が手強くなりますね」
ファーレンに返事しつつ、俺は武器をしまう。
えっ!?何故!?—と、ファーレンの慌てふためく声が背中に届いたため、肩越しに応じた。
「強い魔物は吸収しておけば、何かしらのスキルが得られるかもしれないでしょう?」
「…あ、なるほど」
納得できたらしく、それ以降、ファーレンは声を上げなかった。
「オサカよ、そろそろ休憩にするである」
アビスが空腹を告げてきたのは、日が中天にさしかかろうかという頃であった。俺がアビスの言葉に耳を傾けたと見るや、はやくも走るのをやめて、大きく伸びをしている。
「…そうですね。お昼ご飯を食べましょうか」
「お昼ですか!?」
同意してみせれば、アビスではなくファーレンが食い付いてきた。期待に鼻を膨らませ、拳を握り込んでいる。
「用意だけはありますが…一旦帰って食堂で食べても良いですよ?」
そう提案した俺だが、正直なところを言えば、一旦帰っておきたいのが本音だ。留守番として残してきた二人が心配なのだ。特に、ちんまい方。
クルスとクローディアならば間違いないとは思う。だがしかし、クルスはクローディアに肉体を作ってもらったという引け目がある。万が一、クローディアが暴走モードに突入していた場合、クルスはクローディアを諌める事なく静観する可能性がある。
最悪に最悪が重なった場合、屋敷に戻ってみれば、世界を消滅させかねない兵器とかできているかもしれない。マジかよ—と青ざめるくらいには、クルスの知識とクローディアの好奇心は厄介な組み合わせだ。混ぜるな危険—というやつである。
(魔道具の開発…目の下のクマ…まさかな。考え過ぎだよな…)
しかしだ。そんな事を口にしては、仲間を信頼するであるな—と、アビスから揶揄われる事は間違いなく、それは面白くない。上手い事二人を誘導して、屋敷で食べる方向に持ってゆきたい。
「何を言っているである?外で食べる開放感が堪らないのである。ここで食べる以外の選択肢はないのであるな」
「え!?い、いやでも…ここは魔物が多いですよ?帰って食べましょうよぅ…」
二人の意見は真っ向から割れた。
周囲の魔物などなんのその。この場で食べるのだ—と豪語するアビス。対するのは、ビクビクと辺りの気配に耳を澄ませるファーレン。尻すぼみになりつつも、アビスに意見している。
(いいぞ、ファーレン)
ここまではなんとなく予想していた流れだ。当然、両者の力関係は対等ではない。アビスがファーレンへ向ける視線を細めれば、ファーレンは肩を跳ね上げて目を逸らす。戦う前から及び腰だ。
このままでは1ラウンドでKO負けが確定している。ここは一つ、助け舟を出す事にしよう。
「そういえば、屋敷にはデザートがありましたね」
俺の言葉に、二人の大食らいが反応した。よしよし、いいぞ。
「魔石が完成した晩の事です。冷蔵庫を魔道具化し、それを台所に設置したのですが、その中で安く手に入った桃を冷やしてあります」
魔石を作り出したあの日、早速完成した魔石の一部を使って、冷蔵庫を作り出した。これまでは魔法や魔術でなんとかしていたものを、魔道具化したのだ。無論、霜が出ないように間冷式だ。
その後、亜空間内に閉まってあった桃を冷蔵庫の中へと入れ、冷やしておいたのである。冷えたら亜空間の中へと戻すつもりでいたのだが、今の今まですっかりと忘れていた。
(怪我の功名ってやつだな)
予想した通り、俺の言葉に二人が更に反応する。桃の魅力には、抗えないらしい。これで、決まりだろう。
「…う、うむ」
「…は、はは…」
「…うん?」
ところが、二人は即座に、屋敷で食べる—と言い出すかと思えば、どうした事か。そういう空気にはならない。露骨に視線を逸らして、口を引き結んでいた。
「…もしかして、もう食べました?」
なんとなくピンときて尋ねれば、二人は互いに視線を交わした後、おずおずと白状した。その供述はこうだ。
「…ファ…ファーレンに唆されたであるな…美味そうな果実がある—と」
「あっ!?ああー!?う、裏切りですよアビスさん!アビスさんが四角い箱を開けて、中から桃を取り出していたんじゃないですか〜!食べてたじゃないですか〜!」
「き、貴様も食べたであるな!」
「た、食べましたけどぉ〜!」
醜い争いだ。互いに罪をなすりつけようとしているらしいが、同罪だと思う。
(そもそも、何故バレると分かっていて食べるんだ…)
飢えを知る者の性が出てしまったのだろう。これにはまいった。
(…諦めるか)
今なお醜い争いを続ける二人を前に一気に脱力した。なんだか、何もかもがどうでもよくなり、徐に亜空間からサンドイッチの山を取り出す。
「ほら、食べてください」
「う?うむ…」
「えっ!?あ、はい…」
二人は与えられたサンドイッチを頬張りつつ、チラチラと俺に視線を向けてくる。怒られるとでも思っていたのが、俺が何も言わなかったために、逆に不安を感じているのだろう。
(少しは反省しなさい)
そんな二人の様子に溜飲を下げながら、俺もサンドイッチを頬張った。
「オサカ師匠、バジリスクです!石化の邪眼を持っ—」
「邪眼ゲットだぜぇ!」
昼ご飯を食べ終えた俺達は、再び山頂を目指して駆けていた。ここまでは大した魔物も現れなかったものだが、ついにここにきて、大物が現れたのだ。
「うおらぁ!死ねっ!」
ファーレンが言い終わる前に、俺は蜥蜴の上顎と下顎を握り潰し、そこから上下二つに引き裂く。そのまま、魔石の輝きが消える前に腕を差し込むと、バジリスクは俺の腕へと吸い込まれた。
(来た!)
両腕の紋様が俄かに輝き出し、新たな力を得た事を知らせてくる。目の奥が熱をもったかのような感覚を覚えて、思わずニヤける。どうやら、石化の邪眼を手に入れたようだ。
「…で、バジリスクって、どんな見た目でした?よく見てませんでした」
くるりと後ろを振り返り二人に尋ねれば、二人とも渋い顔を見せていた。どうやらテンションを上げ過ぎたらしい。慌てて弁明した。
「いやいや、男の子は邪眼に憧れるものなのです!ね、アビスさん」
同意をアビスに求めたが、吐き捨てるかのようにアビスは答える。
「貴様と一緒だなどと、思われたくないである」
「…ほぉ?」
アビスの言に、俄かに目を細めた。
良い度胸だ。ならば不思議体験に招待してやろう。くらえ、石化の邪眼。
眼に魔力を込めれば、視界が灰色に染まってゆく。石化の邪眼の効果であろうか。
「ふおお!?我の指が!石にっ!オサカ貴様!?そ、そうである!邪眼は男子の憧れであるっ!」
俺はアビスの答えに満足して頷くと、法術を行使してアビスを治療した。素直が一番だと思う。
しっかりと法術による治療を受けた後、アビスは声を荒げた。
「いきなりは酷いである!心の準備とか考えるであるな!貴様は無粋である!」
「はぁ?無粋?粋で飯が食えるんですか?食えませんよね?なら不要でーす」
アビスとこんなやり取りをするのも、久しぶりな気がする。互いに冗談だと分かっているが、アビスはあくまでも格上だ。落ち着いたら、非礼をちゃんと詫びよう。
さて、なおも言い争う俺達にジト目を向けていたファーレンであったが、しばらくして、ハッとした顔を作る。その珍妙な表情が視界に焼き付いて、俺とアビスは思わずファーレンに視線を向けた。
「こ、この光景を異常と思わなくなっている自分が恐ろしいです!」
—だそうだ。俺とアビスは視線を交差させる。何を今更言っているのか—と、互いに無言で頷いた。口にこそ出さなかったが、染まってきたなとは感じていた。エル、更にはヒヨさんの事とか、何一つ突っ込まなかったし。
「ようこそこちら側へ」
笑顔でファーレンの肩を叩けば、ファーレンは愕然とした顔で固まる。アビス、クローディア、クルスに続き、四人目の同士だ。
「にしても、未開の大森林とはよく言ったものであるな。バジリスクまで出るとは…そもそも、バジリスクは何故わざわざ石にするであるか?そのまま食べれば良いである」
アビスが疑問に思った事を口にすれば、確かに—と、ファーレンは腕を組んで難しい顔を見せる。アビスの発言はもっともであるように感じたのであろう。
これには俺が説明した。
「鉱石の方が魔素を多く溜め込めるらしいです。元から魔素を含んだ生物であれば、魔素の性質的に考えて、より集まりやすいのでしょう。バジリスクは実体を持つものの、魔素を主食としているようですから」
クローディアの持つ蔵書の受け売りである。
世の中には酔狂な輩がいるようで、魔物の生態を具に観察しては、本に書き起こしているのだ。俺はそんな書物が大好物であるため、非常に助かっていたりする。
「ほら、ここに」
亜空間から分厚い本を取り出して、バジリスクのページを見せれば、ファーレンとアビスは頻りに頷く。
「成る程〜」
「ふむ。本であるか…侮れないものであるな」
「…この挿絵と同じかどうか、確認するのを忘れていました」
ところで、挿絵には黄色と緑のまだら模様のバジリスクが描かれていた。先に見たバジリスクは黄色と青だった気がしないでもないが、見間違いかも知れない。
「では、邪眼の効果も確認できましたので、先に進むとしましょうか」
「貴様、この恨みは忘れぬであるからな…」
アビスのジト目を華麗にスルーする訳にもゆかず、頭を下げて非礼を詫びる。うむうむ—とアビスは鷹揚に謝罪を受け入れ、ファーレンは苦笑した。
「最初からやらなきゃいいのに…」
「ファーレン。それを言ったら…君らだって、怒られると分かっていても、食べ物があると食べちゃうでしょう?」
俺の発言に、うっ、それはっ!?—と、ファーレンが半歩退がる。
俺とアビスは、それを見て笑う。何故、アビスも笑えているのかには、突っ込まなかった。
それからしばらくして、俺達は真っ直ぐに森林の傾斜を登ってきたのだが、やがて整備された街道を思わせる開けた道に出れば、これはおかしい—と、具に周囲を観察する。
「…何だこれは?」
「…何だって…道ですよね?」
ファーレンの言葉通り、そこは正に道であるかのように、傾斜の下から上へと向けて、木々の禿げ上がった地面が真っ直ぐに伸びている。
しばらくは辺りを見回していたが、答えなど出ようはずもない。諦めてファーレンへ尋ねた。
「この辺りに人はいないのですよね?」
俺の問いに、ファーレンはしっかりと考え込んでから応じる。
「…いないはずです。魔物が強過ぎて、生活なんて成り立たないと思いますよ?」
そうなれば、考えられる可能性は一つだ。大型の魔物がいるのである。木々をなぎ倒して歩く程の大物が。
アビスもそれに気が付いたようで、俺へと尋ねてくる。
「やるのであるか?」
さて、どうしたものか—と、考えてみた。
(ここは聖剣の迷宮よりも魔素が薄い。となれば、あそこよりも強い魔物の出現など、あり得ないだろうな)
特殊な能力を持つ不死系魔物ならいざ知らず、大型の魔物程度なら、警戒する必要すらない。何故ならば、大型の魔物は往々にして、自身の体重を支える事に魔力を割かねばならないからだ。故に、よほど魔素が濃くない限り、大したスキルを持つには至らない。ここいらの魔素量ならば、力自慢の怪物—といったところが関の山だろう。
余談だが、それとは逆に、石化の邪眼といった厄介なスキル持ちの魔物は、スキルに魔力を割くため、そこまで大きくはならなかったりする。先にも述べたように、異様に魔素が濃くなる迷宮とかなら話は別であるが。
「売れそうならやりますか」
「…何の話ですか?」
俺がアビスへ向けた返答に、ファーレンは惚けた顔で首を傾げている。簡単に説明をすると、納得してくれた。
「じゃ、行きますか」
「うむ」
「あ、はい」
それから半刻程は、もくもくと禿げ上がった道を駆け上がる。周囲の気配を探りながら移動しているのだが、一向に大型の魔物の気配は捉えられない。いるのは、こちらを恐れてでもいるのか、避けるように離れてゆく小型の魔物ばかりだ。
「何も出てきませんね」
もしかして、大型の魔物は下にいたのかな?—とも考えた。けれど、それならそれで良いだろう。大した敵もいないだろうし。
(どんなスキルを持っていたのかは、気になるところだけどな)
腕力強化とか、その手のスキルがあるとするならば、是非とも入手しておきたいところではある。まあ、本気を出せば、竜にも迫れるほどの腕力を誇る俺に、果たして必要なのか?—と聞かれれば、首を傾げる程度ではあるのだが。
「あんまり期待はしていなさそうであるな?」
横を走るアビスにこんな事を言われれば、流石に苦笑する。顔に思いっきり出ていたらしい。
「それと、少し休憩が必要であろう?」
アビスが肩越しに背後を指したので、視線を向けてみれば、そこには、肩で息するファーレンの姿があった。顔は青白くなり、足取りはフラフラしている。それでも、俺やアビスに置いてかれまいと、必死に走っていた。
「…あ」
ここまで、辛いなどとはおくびにも出さなかったために気が付かなかった。前衛のファーレンは、問題なくついてこれるもの—と、いつの間にか思い込んでいたらしい。
これは悪い事をした—と声をかけようとして、ふと脳裏を過ぎるものがあった。
(高山病…)
その言葉が浮かんだ時、血の気が一気に引く。
「ファーレン!止まれ!おいっ!大丈夫か!?」
慌てて駆け寄り、ファーレンを抱き抱える。
ファーレンは大きく息を弾ませながら、問題ない—と、手を上げてみせる。
「…お、お昼…食べ過ぎて…お腹…痛い…です」
よくよくファーレンを見れば、ファーレンの片手はわき腹に当てられていた。食べ過ぎというよりは、食べてすぐに動き始めたためだろう。
「…なんだよ…驚かせるな…」
高山病などの危険な兆候ではないらしい。一気に肩の力が抜けて脱力すると、俺はファーレンを近くの木の根元に座らせた。
「…そ、そんなに大事であったか?もう少し早く教えるべきであったか?」
俺の垣間見せた剣幕に気圧されたのか、おずおずとアビスが近寄り尋ねてくる。
俺はそんなアビスに、苦い顔で語った。
「いえ。アビスさんの過失ではありません。高山病と呼ばれるものがありまして、私達の世界では、高所になればなるほど、地上と比べて呼吸に必要—という表現が適切かは分かりませんが、酸素が薄くなります。すると、酸素が足りなくなった人体には、様々な症状が現れ始めるのです」
ここで一旦話を区切り、二人を見る。なんとなく分かっていた事だが、二人は既に理解する事を放棄していた。うんうん—と頻りに頷いてこそいるものの、間違いなく分かっていない顔だ。訳知り顔をみせるファーレンの頭上には、はてなマークがいくつか浮かんでいる気がするし。
「…まあ、そんな訳で、急いで山に登ると、身体を壊す場合がある—という事ですね」
かなり端折った。症状の具体的な説明だとか、色々と語るつもりであったが、この二人には言っても通じない気がする。
(そもそも、かたや竜だろ?それに、森精族は半魔力体…身体の半分が魔力なんだっけか?…高山病にかかるのか?もしかして、俺が一番危険だったんじゃないか?)
そこに思い至ると、俄かに青くなる。俺は不死系魔物だが、身体は人間のものだ。今がどれほどの高度にあるのかは知らないが、体力に任せて走っていては、思うよりも危険なのかもしれない。
「えーと…それってもしかして…頭痛とか、目眩とか、吐き気があるやつですか?」
息の整ってきたファーレンが声をかけてきた。
確かに、高山病にはそういったものが代表的な症状としてあったりする。ふむ—と考え込めば、更にファーレンは続ける。
「症状を訴えるのは、いずれも人間族です。酒場でウェイトレスのバイトをしていた時、そんな話を耳にしました。オサカ師匠の言ったように、山間を移動中に出る事があるらしいです。…それは、聞いた話から推測すると、魔素の影響と考えられていたようなのですが…」
ファーレンの語った内容以前に、まず、ファーレンが理解していた事に驚愕した。
(ごめん、ファーレン)
ふぅん—と、顎を摩りながら、侮った事を内心で詫びる。
そして、ファーレンの言を正しいと仮定するならば、この一行において高山病の危険があるのは、俺のみであるらしい。
(しばらくはゆっくり登るしかないな…)
傾斜の下へ視線を送り、ぼんやりと、木々の屋根の先に広がる大河を見つめる。それなりに高いところまで来ている事は疑いようがなく、高度2000m以上が危険だったかな?—と、朧げな記憶を呼び起こした。
(2000mは、まだ先かな?身体強化を施していれば寒くもないし…もう少し登ったら気をつけるか)
そうと決まれば先を急ぎたいのだが、今はまだファーレンを休ませておくべきだろう。こんなところで無理強いするほど鬼ではない。
亜空間から、先の本とは別の本を取り出す。魔物図鑑—メキラ王国メットーラ領—と銘打たれた分厚い本である。たまたまその場に居合わせて、メットーラの図書館から、更新された後の旧版を買い取ったのだ。
「この本によれば、未開の大森林に出現する大型の魔物は、サイクロプスかマンティコア、グリフォンにヒュドラとなっています。…あまり食指が動かないのは確かですね」
多くないですか?大型—と、ファーレンが呟く。顔はげんなりとしたもので、心なしか肩も落ちていたかと思えば、何やら難しい顔で考え込み始めた。
俺とアビスの二人は、そんなファーレンの表情を具に観察していたのだが、どうしてだろうか、何となく考えている事が透けて見える。
余計な事を言う。
↓
不興を買う。
↓
ファーレンでも倒せる相手だよ?—と、いやらしい提案が出てくる。
↓
それ採用。
—と、なりかねないとでも、考えているに違いない。チラリと一瞬こちらに視線を向けた後は、難しい顔をして、ファーレンは口を引き結んだ。
何を言われた訳でもないが、面白くない。いや、逆か。やらせてみても面白いかもしれない。
(ふむ。今のファーレンなら、十分にここいらの敵も一人でやれるはずだ。後は自信の問題だな。よし!それ、採用)
俺に理解できるなら、竜眼持ちのアビスにも理解できる訳で。
そのアビスはファーレンからジト目を切ると、俺へ向けて言う。
「じゃあ、出会ったらファーレンに戦わせるである」
「ふぁっ!?」
アビスの提案に、ファーレンが素っ頓狂な声を上げた。即座に立ち上がるも、俺に縋り付くべきか、アビスを拝み倒すべきか迷っているらしい。交互に俺達を見ながら、わたわたと慌てふためいていた。
その隙に、俺はアビスの提案へ是を唱える。
「それは良いですね。ファーレンさんの修行に打って付けです」
俺の発したトドメの一言に諦めたのか、がっくりと項垂れるファーレン。気落ちして、口を尖らせる姿が実に可愛いらしい。
「自信を持ってください。ファーレンさんなら楽勝—とはゆかなくとも、問題なくやれるレベルです」
これは事実だ。ファーレンならば勝てるだろう。相性の良し悪しは当然ある。けれども、それを踏まえても勝てる。間違いなく。そもそも、聖剣の迷宮で問題なく戦えるようになっているというだけで、地上においては無双も夢ではない。
「ほ、本当ですか〜?」
だが、ファーレンはどこまでも己に自信が持てないらしい。大粒の涙を浮かべながら、俺へと尋ねてくる。
「ええ。いつも通り、二段程格上なだけです」
これは嘘なのだが、ファーレンの顔から色が消える。ああ、この子は本当に、上げて落とすのが面白い。
「さ、休憩も終わりであるな」
俺とアビスは顔を見合わせると、くつくつといやらしい笑みを浮かべながら、更に上を目指して歩くのだった。
『聞こえるか?クルスよ』
「聞こえているであります」
耳朶を揺らすクローディアの声に、嘆息交じりに応じる。
私はクローディアと共に携帯電話の開発に勤しんでいたのだが、ここまでくると、驚きよりも呆れが勝る。何を隠そう。携帯電話は既に形になりつつあるのだ。
何という早さであろう。簡単な打ち合わせの後、クローディアはあっという間に魔道具の試作品を仕上げてみせた。
更にだ。一体、どれほど脳内で試行錯誤したのかを知る由もないが、魔道具に組み込まれた魔法陣は、人力で創り出せる極致と言っても過言ではないほどに美しかった。立体構造を描く艶やかな魔法陣は、クローディアをもって、自信作じゃ—と言わしめる出来栄えだ。
当然、今日まで、そのようなものを拝んだ事などあろうはずもなく、魔法陣を刻んだ魔石を手渡された私は、度肝を抜かれた。
魔石が完成したからこそ、実現できた魔法陣じゃ—と、クローディアは言った。その言葉は、魔石の生み出される以前から、この魔法陣の構想があった事を意味するのではなかろうか。とんでもない話だ。
「そちらはどうでありますか?」
『バッチ—じゃよ』
時折、魔力干渉によるものと考えられるノイズが走るものの、通話機能は再現できたと言っても良いだろう。後は魔力干渉をどうするか?—といった、詰めの話だ。
なお、現在は通話試験を行っている。クローディアはオサカ邸におり、私はゴブリンの巣—と、かつては呼ばれた疎林に来ている。
(ここには苦い思い出がありますな)
嫉妬に駆られ、巣の中のゴブリン全てを、オサカ、ファーレンの二人—正確に言うならば、ファーレン一人—へとけしかけたのだ。
“罪には罰を与えなければならない。分かるね?”
思えば、オサカに手厳しい言葉をかけられたのは、あれが初めての事だった。
周囲の目があるところでの話はそれで終わり、後から私とファーレンは、同時に呼び出された。オサカの部屋の前で顔を合わせた時は、気不味かった事を記憶している。
“今後は、互いに適切な距離を置きなさい。どうしたって、反りが合わない—という事はある。無理に一緒にいる必要はない。後、ファーレン。君は無理に明るく振る舞う必要はない。君の居場所は、先人を退かせてまで、無理やり築くものなのか?私は、そうあっては欲しくない。普通に接してくれて良い。君の力は、既に私も、横のクルスも認めるところだ”
—と、照明の明かりに照らされながら、オサカは言った。大して怒られもしなかったが、ファーレンは酷く落ち込んでいたらしい。彼女の長く伸びた影が、首を持ち上げる事はなかった。
(確かに、あれのウザさは一割は減ったでありますな)
ここ最近のファーレンを思い返して、私はくつくつと笑う。普通に接しろ—と言われたファーレンは、意外にも大人しかったのだ。話の場などでは、発言をせずに聞き役に徹している事も少なくない。これには大変驚いた。
(後は食い意地の汚ささえなんとかなれば、言う事はないのでありますが)
そんな事を考えて、また笑う。それは無理だろうな—と、決め付けた。
さて、かつてはゴブリンの巣と呼ばれたこの森だが、現在の呼称はゴーストの巣である。
ここ最近、どういう訳か、やたらと幽霊系の魔物が出没するのだとか。しかも、顔はゴブリンっぽいのだという。不思議な話である。
『—のぅ、のぅ、クルスよ。聞いておったか?』
呼びかけられて、慌てて我に返ると、魔道具へ意識を向ける。どうやら、この他にも何らかの機能を盛り込むべきか?—と、問うていたらしい。
「そうですね…多人数通話機能を盛り込むべきであります」
『ふむ?…成る程、やってみるかの。では、一旦切るぞ』
クローディアとの通話が切れた事を確認し、イヤホン型に加工された魔道具を耳から取り外すと、一人ほくそ笑む。
「くふふ。これで、いつでも閣下と話していられるであります」
そう。私の目的はオサカと四六時中繋がっていられる環境の構築だ。
クローディアの予感はきっと正しい。今後、我らは別行動がメインとなるだろう。それならば、オサカと班が分かれた場合の処置は必要なのだ。
そして多人数通話—これも必要不可欠である。何故なら、一対一の通話のみだと、山精族が回線を占有しかねないからだ。故に複数同時接続は不可欠である。
(その次は顔を見ながら話せるように…いや、それだと山精族も写り込んでくるのであります。むしろ音声だけの方が妄想が膨らむでありますか…)
私の野望—否、願望に際限はない。恋する乙女?は常に全力なのだ。実際に頑張っているのはクローディアだとしても。
「さて、そうと決まれば、一旦クローディア様の元へ戻るでありま—」
—ギィィィィ—
突如、木々の隙間を縫って、横合いからゴーストが現れると、私めがけて唸りながら飛び込んでくる。
(ん?例のゴーストでありますか?)
即座に右手へ魔力の塊を作り出すと、ゴーストに向けて叩きつけた。
—ギィィィィ—
それだけでゴーストはかき消え、後には冷たい飛沫が散るのみである。悲しいかな。ゴースト如き、私の敵ではない。
「ほほぅ?これはこれは…壮観でありますな」
僅かに視線を持ち上げて森の奥を覗いてみれば、夥しい数の幽霊が、私めがけて飛来してこようとしているところであった。ゴーストにファントム、スペクターまで見受けられる。選り取り見取りだ。
私は一度嘆息すると、両脇に重火器を構える。自然に頰は持ち上がり、口元からはクフフ—と、小さく声が漏れる。
(ここ最近は、ほとんど暴れる事ができずにいたのであります。ここいらでストレス発散するのも、悪くないでありますなぁ)
そう考え付けば、もはや口元の歪みを正す事などできなかった。有りっ丈の魔力弾を作り出すと、木々の奥まで届くように大声を張り上げる。
「くはは!あはははは!いい度胸でありますな!ならば、望み通りくたばるであります!いや、既にくたばっていたでありますね!?では、成仏するでありますぅ!アハハハハハハ!!」
声を張り上げると、感情が高ぶった。重火器を左から右へ流しながら、木々諸共幽霊達を消滅させてゆく。実に爽快だ。愉悦、喜悦、満悦。えも言われぬ心地よさに、更に口角を持ち上げる。
—ガガガガガガガガガガ—
銃身が焼け付く寸前まで弾を撃ちまくっては次の銃を顕在化させ構える。弾帯には次から次に魔力弾が顕在化されてゆき、即座に消費されてゆく。
「どうしたぁ!?どうしたぁ!?もっと、もっと向かってくるでありますぅ!死ぬ気でぇ!?向かってくるでありますぅぅぅ!!」
なお、私の武装は当初、オサカの武器生成によるものであったが、レベルの上昇に従い、己自身の力で顕在化させるに至った。それが、私の魔法だ。その正体は、私自身にも朧げにしか理解できていないが、おそらくは“質量を与える”というものであると思われる。
想像に質量を与えて実体化させる事で、武装・弾薬を生み出しているのだろう—と、個人的には解釈している。正に私に打って付け—否、私だからこそ活きる魔法である。
私はこの魔法を気に入っている。質量を与える—という力は、オサカの闇魔法である、超重量を付加する—という力に通じるものがあるからだ。
「格の違いを理解する頭すら無くなったとは…可哀想でありますねぇぇぇぇ!!ハハハハハ!!」
疎林の中に銃声と高らかな笑い声が木霊する。
やがて、全ての幽霊を片付けた後は、オサカと共にゴブリンを埋め立てた場所を確認に行った。なんとなく、思うところがあったのだ。
「ほぅ。やはりいたでありますな」
確信はなかったが、当たりであった。そこには、幽霊の親玉のような奴がゆらゆらと漂っていたのだ。スペクターよりも上位の幽霊だろう。淡い風船のような球体の表面には、無数の顔が苦悶に歪む表情を見せては消えていた。
怨念は怖い—というのは通説だが、なるほど、確かにそうなのだろう。小鬼如きから、これほど高位の幽霊が生まれるのだから。
けれども、私は落胆していた。感じられる魔力の程度は、僅かにスペクターを上回る程度。しかも、目視できる距離に近付いているにもかかわらず、こちらに気が付かないときている。これでは興醒めも良いところだ。
(単なるデカイだけの的でありますな…)
あまり遊んでもいられない。戻るのが遅くなれば、クローディアに要らぬ心配をかけてしまう。もう十分に楽しんだ。さっさと終わらせてしまおう。
「さらばであります」
私が声を発した事で、ようやく向こうもこちらに気が付いたらしい。手遅れであるが。
—ドガガガガガガガ—
残りの弾薬をまき散らした後、銃口の先から立ち昇る煙をしばらく見つめる。既に高揚は治まっていた。
「さて、帰るでありますか」
ポケットの中から、魔石に座標を指定する精霊石を取り出すと、私はオサカ邸へと亜空間を開いた。
余談だが、この日以降、この森からは魔物が消えたとか何とか。




