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クルスとクローディア

すみません。

台風の影響であれこれあって、投稿が遅くなりました。

台風、凄いですよね。風とか、本当に危険です。あおられて転びそうになりました。

やむなく外に出る場合は、十分に気を付けてください。

「ナイセイル云々はこの際置いておこう。短剣の事も…まあ、いい。ハッキリさせておきたいのは、味方なのかどうか—だ。信用できる奴なのか?」


 俺が鋭い視線を向けたのは、ロロナである。

 ロロナはわざとらしく嘆息した後、逆に俺を睨みつけて言う。


「私の目が曇ってるとでも?」


 ロロナの返答は、随分と挑戦的なものだった。

 売り言葉に買い言葉なのだろうか。このまま勢いに任せて口を開けば、どんどんヒートアップしてゆきかねない。俺は怒りを押し殺すべく、ゆっくりと腕組みしつつ息を吐いた。


「そういう事を言ってんじゃねぇ。あれが万が一、人類に対して牙を剥いてみろ。誰が止める?どうやって止める?見たか?あの化け物じみた強さを?更には魔石ときたもんだ。何処の馬の骨かも分からないんだろ?」

「…ボーナス…その喧嘩、買ったよ」


 なるべく冷静に努めたつもりだが、何かが気に入らなかったらしい。

 ここまで話が通じないと、流石に俺も面白くはない。チッ—と舌打ちすれば、馬車の中は一気に緊張で満たされた。


「やめないかお前達!」

「リーダー…モスクルは黙ってて」


 若い頃を思い出したかのような心持ちになってしまったのか、制止したモスクルをリーダーと呼んでしまったロロナは、俄かに赤くなって口を噤む。

 これを見た俺は思わず吹き出してしまい、ロロナにグーで殴られた。


「いって!…ロロナの拳はやっぱ効くな…」


 けれど、おかげで毒気が抜けた。

 少し冷静になった俺が、これ幸いと戯けるように笑ってみせれば、ロロナも矛を収める気になってくれたらしい。少しだけ、きまりの悪そうな顔を見せる。


「…あいつらの事は、放っておいてやってくれよ。面倒事には首を突っ込みたがらないんだ。敵対しようとしない限り、真っ当に生きている奴に手を出してくる事はないよ」


 拳を抑えつつ、ロロナは言う。

 その表情を見るに、確証はなくとも、確信はあるようだ。


(…ったく。手が早い奴だよ…)


 ふぅ—と息を吐いて、殴られた下顎を摩る。口の中が少し切れたらしく、鉄の味が舌の上に広がった。


「悪かった…お前を怒らせたい訳じゃなかった。得体の知れない奴らがあれだけの力を持っている…それが不安だったんだ」

「…分かってる。私も大人気なかった」


 人の根っこはそう簡単には変わらない。二十年ぶりの再会だが、俺という人間を正しく把握してくれているのだろう。けれども、それを理解していても、俺の発言はロロナの腹に据えかねたらしい。それだけ、あいつらの事を気に入っている—という事だろう。


(やれやれ…こんな歳になってまで、女に殴られるとはな…)


 若い頃の火遊びを思い出して、少しだけきまり悪くなると、殊更に殴られた顎の感触を確かめて誤魔化した。

 さて、そんな俺の内心に気付くはずもない—と思っているが、見ないふりをしてくれているだけかもしれない—ロロナは、一旦口を閉じて一拍おくと、また話し始める。


「メットーラはさ、田舎なんだ。アンラなんかとは違って、物もなければ、人もいない。そのくせ、魔素が濃いから、周囲の魔物達は強い。時折、未開の大森林から、頭を抱えたくなるような化け物が現れる事もある。そんなところには、なかなか行商人も来ないし、若い男なんて、ほとんどが王都へ出て行ってしまう」


 顎を開け閉めしながら、ロロナの独白を聞いた。

 確かに、メットーラは田舎に違いないだろう。俺は行った事がないが、場所が悪すぎるのだ。それもそのはず、メットーラの元々の成り立ちを語れば、メキラ王国において、未開の大森林近くに設けられた開拓村だ。大森林攻略のために設けられた橋頭堡だ。

 冒険者の前線を退いてから学んだが、当時のメキラ王国は、国土の半分を占める大森林を攻略し、居住可能地域の拡大を測っていたそうだ。しかし、未開の大森林の魔物は強く、戦士系の職業(クラス)では満足にダメージを与える事ができなかったらしい。

 そのため、術師優遇の政策を掲げ、各地から術師を招集した結果、メキラは術師大国となった。まあ、それはまた別の話だから置いておくが、結果は芳しくなかった。未開の大森林は、そこいらの魔術師を集めた程度では、攻略できるレベルにはなかったのだという話だ。

 月日が経つに従い、メットーラは単なる一領地へと変わり、メットーラ辺境伯—現在は確か、ロロナの夫である、サトール・マーキス・メットーラ・ママナルド—が治めるに至ったらしい。


「けどさ、あいつらが来てから、随分と楽になったよ。ヤバイのが街道に現れても、あいつらを向かわせれば、その日のうちに解決だし、ゴロツキ共はあいつらを恐れて、鳴りを潜めた」


 そりゃあな—と、ロロナの言に苦笑する。如何に大森林の魔物が強くても、あれは桁が違い過ぎる。その日のうちに解決する—などと言うが、実際には魔物と出会した次の瞬間には解決しているのだろう。


(ゴロツキ共と組するような奴にも見えなかったしな)


 ゴロツキ共の生き方は、強者への寄生、弱者からの搾取だ。けれども、周囲に対するオサカの物腰の柔らかさはどうだったか。威張り散らすようなタイプにはとても見えなかった。それは、途中で側へとやってきた、魔人族の少女との会話にしてもそうだ。


(周囲を気遣える優しさまであるんだ。ゴロツキの生き方を認める事もしないだろうしな…そういう奴らは、鳴りを潜めて嵐が過ぎ去るのを待つしかない—って訳か)


 そんな事を考えていると、それだけじゃない—と、ロロナは続ける。


「…夢を諦められなかった私の弟子を…救ってくれたんだ」


 何故かロロナの言葉尻は、涙声になっていた。


(…なんで泣くんだよ…)


 何やら、感極まってしまったらしい。ロロナは頻りに目尻を指で拭うが、拭った先から涙は溢れてくる。

 やがて、ブルーツがハンカチを手渡し、ロロナは礼を告げると、それを受け取った。

 しばらくは、ロロナの欷泣と、馬車の揺れを堪能する事になる。誰も一言も発さず、窓の外へ視線をやったり、ロロナの肩を叩いたりして過ごす。


(…あ〜…高級馬車(キャリッジ)で良かった。一般馬車(ワゴン)だったら、どれだけ尻が痛くなっていた事か…)


 それでも限界はある。俺の尻の耐久力は無限ではないのだから。

 座り直す事すら憚られる重たい空気に、いい加減に辛くなってきた俺は、モスクルへ視線を向けた。なんとかしてくれ—と助けを求めたのだ。

 しかし、モスクルは優しげな笑みを湛えて首を振る。俺の懇願は無視された。酷え。


「確かに不思議な奴らだよ。冒険者として大成するつもりもなく、Dランクになってからこっち、まともに冒険者としては活動しようともしない。欲がないんだ。今回だってそうさ。アンラの王族と知り合えたってのにさ。何を求めたと思う?」


 ロロナの充血した目は、俺に向いていた。

 話が先へ進んだ事は嬉しい。けれど、尻の痛みが限界だ。考えるも、尻の事ばかりが脳裏を過ぎり、何も思い浮かばない。諦めて、坐り直しつつ首を振れば、ロロナは答えを教えてくれた。


「金輪際、俺達に関わるな—だとさ。あの時のベロートの顔ったら。笑いそうになったよ」


 そう言いながら、ロロナはベロートの顔を思い出したのだろう。コロコロと笑い出す。

 チラリとブルーツに視線を向ければ、ブルーツは苦笑を浮かべながら頷いた。事実であるらしい。


「フラッといなくなっては、ダンジョンに潜っていたり、目玉が飛び出るような大物を仕留めてきたり。…そんな奴らだ。確かに怖くなる事だってある。でもね、私は…あいつらは、悪人じゃないと信じてる」


 やがて、笑いが収まったロロナは、そう締め括った。


「悪い奴じゃない—というロロナの意見に、俺も賛成だ」


 声の主に視線を向ければ、それはモスクルだった。続けろ—と顎で促せば、モスクルは首肯した。


「アンラからここまで、馬車で行動を共にしたが、馬鹿みたいな事こそすれ、考えなしではないし、学もある。俺も色々と学ぶ事が多かった道中だったよ。確かに危険人物には違いないが、悪人ではないと思う」

「二人に同意するわ」


 モスクルが口を閉じれば、間に髪を挟む間も無くブルーツも言って退けた。

 俺はガリガリと頭をかいてフィーラーを見る。どうにも旗色が悪く、仲間が欲しかった。

 フィーラーは苦笑を浮かべながら、俺を宥めにかかる。どうやら、味方はいないらしい。


「まあまあ、落ち着きましょう。俺達も彼に助けられたのは変わらない。あれほどの力の持ち主だ。何をするにしても、悪目立ちする。何かあれば、すぐに噂は広まりますよ」

「…まあ、そうだよな」


 俺も無理やり己にそう言い聞かせる事にした。


(はぁ…何かあれば、きっとその時は、人類はもう生き残っちゃいねぇだろーしな)


 諦念の極致だ。そう考えれば、悩むだけ馬鹿らしくなってきた。背もたれに身体を預け、大きく嘆息する。

 いや、それにしても—と、空気を変えようとしたのだろう。フィーラーが明るい調子で声を上げた。


「剛剣に鉄壁に疾風。冒険者黄金期で、伝説と言われた史上唯一のSランクパーティ、摩天楼!その四人のうち三人が揃っている馬車に乗れたのは、この上ない幸運です」


 俺とモスクルは思わず視線を交わした。

 実のところ、その話題は結構ナイーブなもので、特にブルーツの前では禁句だ。チラリと横目でブルーツを見れば、案の定、口を尖らせている。ご立腹であるらしい。


「謀略のベロートじゃなくて、その代理で悪かったわね」


 —と、子供みたいないじけ方をみせてくれた。

 俺達、摩天楼は、実はブルーツを加えた五人パーティだった時期がある。解散間際の本当に僅かな間の事だ。だからこそ、ブルーツにはその当時の二つ名がない。いや、摩天楼の一人であった事すら、知らない者が多い。

 フィーラーは真っ青になりつつも、慌ててブルーツも褒め讃えた。


「回天の二つ名を冠する現十天であり、アンラ神聖国の王妃陛下でもあるブルーツ様とご一緒できたばかりか、こうやって口まで聞いてもらえる。これが幸運ではない訳がないじゃないですか」

「あら?そうかしら?」


 フィーラーの言に、うふふふ—と、ブルーツは上機嫌になり笑みを浮かべる。

 こいつ出来るな—と、フィーラーのよいしょに感心しつつ、渋い顔をブルーツへ向けた。


「おい、あまり若手を虐めるなよ?アンラは今回の一件で力のある冒険者を大分失ったろ?少しは王宮でも援助してやれよ?」


 これにはブルーツのみならず、モスクルも頭を抱える。二人は同時に嘆息すると、視線を交わした。


「モスクル、何か良い手立てはない?」

「無茶言うなブルーツ!本当に泣きたいのはこっちだぞ!?人、物資、金!どれだけの損失があったと思っている!?どうやって補填すれば良いか、想像すらつかん!」


 延々と続く二人のやり取りに、俺は苦笑いを浮かべる事になる。またしても藪蛇だった。

 その後、馬車は順調に王都アンラへの道を進み、途中で護衛を伴った馬車の一団ともすれ違う。どうやら、アンラやアメランドからの輸送馬車も、程なく蟻塚の迷宮跡地に到着しそうだ。

 モスクルは馬車が見えなくなるまで窓から身を乗り出していたが、やがて腰を下ろすと眉間を揉みながら呟いた。


「終わったな…最後は呆気なかったが…ヤバい案件だった…フィーラー、ボーナス。改めて礼を言う。助かった」


 その言葉に俺とフィーラーの二人が笑ってみせれば、モスクルも苦笑した。

 さて、フィラーはしゃんと背筋を伸ばしているが、俺はぐったりと背中を丸めている。もう無理なのだ。これ以上は力が入らない。疲れ果てており、許されるなら、このまま眠れる。

 そんな俺へと向けて、ブルーツは苦い顔を作ると、徐に告げてくる。


「フィーラーは大丈夫みたいだけれど、ボーナスは帰り着いたら湯浴みをしてちょうだいね?流石に汗臭いわよ?」


 好き勝手言ってくれるぜ—と頸を摩りながら、俺は頷いた。


「分かってるよ。休む間も無く戦ってたんだ。仕方ないだろ…浴びれるなら、今すぐ湯浴みしてぇよ。痒くて仕方ねぇ」


 この言葉に二人の女性は顔を曇らせると、僅かに座る位置をずらして、俺から距離を取る。

 俺は二人を睨み付けると、渋い顔で続けた。


「お前らな…男を知らない歳でもないだろ。男なんて汚いもんなんだよ。それが当たり前なんだよ。あのヤバい青年みたく、何でもスマートには片付けられないんだよ」


 言い終えて口を尖らせる俺を一同は笑う。

 やがて、一頻り笑い終えたロロナは、ここだけの話な—と、前置きしてから小声で言った。


「あいつな、ええかっこしいなんだよ。普段はボーッとして本ばかり読んでるもやしだ。たまにやらかして…ローブの少女いたろ?あれに長杖でぶん殴られてるよ。後はそうだな…若い女に囲まれて一つ屋根の下、未だに誰にも手を出していないどころか、娼館にすら行かない枯木でもある」


 最後の最後に、へぇ?—と意外そうな顔を見せる男性陣(おれたち)に、ブルーツは侮蔑の視線を向けてくる。


「もう!男の人って本当にエッチよね。そんなに娼館が好きなのかしら。娼館に行かないって、女からすれば評価項目よ?」


 ところが、これにロロナは眉を寄せて反論する。


「はぁ?その分こっちが相手しなくちゃいけなくなるじゃないか?娼館で発散してくれた方が楽じゃないか?」


 言いながらブルーツへ視線を向けたロロナだが、ブルーツは捨てられた子犬を見たかのような、慈愛に満ちた表情をロロナへ向けていた。


「ロロナは愛されていないのね…可哀想に」

(ばっか!お前っ!?)


 ロロナの反論にブルーツは皮肉で返せば、二人の間に火花が散る。何なら、ロロナの顳顬には青筋が浮いていた。正に一触即発だ。

 そして、今のブルーツの発言は、彼女からロロナに向けて、絶対に口にしてはいけない類のものだった。馬車内の空気が、途端に張り詰める。


(巫山戯んなよブルーツ!ああ、ちくしょう!)


 フィーラーがモスクルと俺の間で視線を往復させるも、関わりたくはない。俺は窓の外に目を向けたまま、モスクルを掣肘する。


「頼むよリーダー」

「…お前…」


 都合の悪い時ばかり、責任を押し付けるアレである。

 モスクルは深く嘆息すると、二人に向けて苦言を呈した。


「生々しい話はやめてくれ。男として、聞いていて辛いぞ」


 その言葉に、二人の般若は角を収めるのであった。






「ロロナさんを忘れてきましたね」


 俺がロロナをあそこに置いてきた事を思い出したのは、小坂邸のダイニングで夕食を食べている時であった。

 ロロナの弟子であるファーレンすら、彼女の事を忘れていたらしく、青い顔で食器を取り落としている。恩知らずな奴である。


「ちちち違うんですよ〜!僕はてっきりロロナさんは先に帰したのかな?って思っていたんですよ〜!」


 終いには苦しい言い訳まで始めるファーレン。

 俺はいつも通りファーレンを無視すると、皆に告げた。


「さて、彼らがアンラに辿り着くのは、大体四日後です。という訳で、それまでは古城捜索を再開しますが、何かやる事のある方がいるなら、別行動でもオーケーですよ」


 俺の言葉に考え込んだのは、意外にもクローディアであった。

 クローディアは己が作り出した魔石を亜空間から取り出すと、それを俺に見せながら尋ねてくる。


「お主、魔法陣を魔法陣の制御文字代わりとして使っておったろ?あれな…何か色々とできそうでのぅ。試してみたいのじゃ。わしは留守番でも良いかのぅ?」


 どうやらクローディアはインスピレーションが刺激されたらしい。ちょっとだけ嬉しくなった。

 魔石のお披露目会という事で、考えに考えた極大魔術であったが、俺個人は満足ゆく出来栄えであったにもかかわらず、一行の誰も驚いてはくれなかったのだ。


「オサカなら魔石を使えばあのくらいは当然である。今更であるな」


 —これはアビスの言だが、誰もがこんな感じの感想しか言ってくれなかったのである。


(はぁ…冒険者達の初々しい反応は心地よかった)


 —と、一人思考の海に浸る。あの恐れ慄いた表情はどうだ。目立ちたくはないが、それでも研究成果が認められた時の爽快感、充足感は、えも言われぬものがある。


「オサカよ。何を考えているかは分かるであるが、本当に彼奴らは口を噤むであるか?」


 アビスの問いに、僅かに考え込んだ。どうやら、俺が冒険者達の口の堅さについて、悩んでいるとでも思っているらしい。何も分かってないじゃないか。


「…実のところ、言いふらされたとしても、俺は構わないのですよ」

「ん?何故であるな?」


 俺の返答に、アビスは首を傾げた。


(そういえば、何も相談していなかったな)


 アビスには倒すべき敵がいる。そいつらはどこに潜んでいるか知れたものではなく、目立てば囲まれる恐れとてあるのだ。にもかかわらず、俺は随分と目立つ真似をした。そうなれば、警戒した敵が俺の事を調べ、そこからアビスの事を突き止める可能性とてある。アビスが心配しているのはそれだろう。

 説明すべく姿勢を正せば、アビスもまた聞く姿勢を整えた。


「ご説明します」


 前提として、ロロナ、モスクル、そしてベロートやブルーツは話さないだろう。ある程度の力を持った連中からすれば、俺達と敵対する事にメリットがないからだ。

 次いで問題となるのは、一般の冒険者だ。彼らには、俺が何処の馬の骨かなど、知る由もない。何といっても、俺はこの世界の出身ではない。故に、俺を知る者など、いるはずもない。

 そうなれば、俺の事を周囲に語る際、どのような話し口になるだろうか。思うに、“黒髪黒目の青年が、魔石を宙に浮かべて、極大魔術を行使した”と、なるのではなかろうか?


「そんな話で、万が一にも俺に心当たりがある者がいたとしたら?」


 サラダを取り分けながらアビスに尋ねれば、アビスは考えもせずに答えた。


「貴様の世界の者達であろう?」

「…む。正解です」


 日頃は戯けた姿が目立つため、忘れがちであるが、アビスは俺などよりもはるかに賢しい。伊達に千年以上生きていない。

 賢しいアビスは、俺が何を気にして、あんな大魔術を行使したものか理解したらしい。取り分けたサラダを一気に嚥下すると、徐に続けた。


「…貴様がこの世界にやってきた時、貴様以外にも、近くに二人いたのであったな…すまないである。その者達の事を失念していた」

「…いえ。こちらこそ何の相談もなしに、すみませんでした」


 アビスが珍しく頭を下げてきたので、俺も頭を下げておく。本来ならば、アビスという存在は、はるかに目上だ。日頃は巫山戯ていても、真面目な空気の時くらいは、折り目正しく対応した方が良いだろう。

 さて、話を戻そう。冒険者達が我慢ならずに話した場合、周囲の反応はどうだろうか。

 嘘か真かすら疑わしい話を聞いた時、他の者達はさておき、高田ならば、黒髪黒目の部分に注目するはずだ。


(高田さんもこっちに飛ばされたのだろうか…それに…あの時の少女も)


 黒髪黒目など滅多にいない—いや、俺は見た事がない。いるにはいるらしいが、絶対数は少ないのだろう。ならばこそ、同郷の者なのではなかろうか?—という疑念を持ち、日本人であるならば、俺の事を調べようとするに違いない。


「…ふむ、なるほど。つまり、黒髪黒目に注目して貴様を探していたとすれば、貴様の同胞である可能性が高く、そうでない場合は…」

「碌でもないクソ野郎の可能性が高い—という事ですね。その場合は、程度によっては始末します」


 始末という物騒な言葉に、ファーレンが顔を上げる。見る見るうちに青くなってゆくファーレンの顔色は、まるでリトマス紙のようで面白い。


「なるほど。貴様と我が組んで、奴らに遅れを取るとは考え難い。しかし…罠…か。上手く機能するであるか…」


 ファーレンには目もくれず、アビスは腕組みして唸る。

 俺は特に何も言わず、黙ってアビスの言葉を待った。


「…なるほど。もし、もしもである。万が一にも噂が流れた場合、モスクルの性格を鑑みれば—」


 やがて、アビスも俺と同じ答えに行き着いたらしい。顎髭を摩りながら、悪い顔を見せている。


「ええ。きっと俺達の元に連絡を寄越すでしょうね。彼はどうやら、とても真面目な性格のようですから」


 そう答えてニヤリと笑えば、人が悪いであるな—と、アビスも笑う。ファーレンはガクガクと震えていた。


(冒険者達が黙っているなら、それもよし。言ったら言ったで、モスクルが動く。そうなれば、彼に協力してもらい、罠を張ればいい)


 今回の事は、俺にとっても僥倖だった。施政者との繋がりは厄介だが、こういうケースを想定すれば使い道はある。

 それに、あのベロートという男は、俺と同じ匂いがする。食わせ者の匂いだ。関わるな—とは言ったものの、何かしらの形で干渉してくるに違いなく、ならばその時にでも、こちらの都合も押し付ければ良いだろう。


「分かったである。そういう事ならば、言う事はないであるな。…あ、いや、おかわりである」

「はいはい」


 俺は苦笑しつつ、アビスの突き付けてきた皿に肉を盛る。負けじとファーレンも皿を突き付けてきたので、そちらにも大量に盛ってやった。


「ちょっとよいかクルスよ。出来ればわしを手伝って欲しい。お主の持つオサカの世界の記憶を頼りたいのじゃ。すまんが、頼めぬか?」


 クローディアの声に、おや?—と、視線を向ける。クルスは一瞬逡巡し、こちらに視線を向けたが、好きにしてよい—という意味を込めて頷いてみせれば、クローディアへ首肯を返した。


「承知したのであります。その代わり、魔道具について色々と教えてほしいのであります」


 この間からそうであったが、クルスは魔道具に興味があるらしい。そればかりか、あのクルスが自分から学びたいという意思をクローディアに示した。

 これにはすっかり気を良くし、破顔してしまう。

 俺のみならず、クローディアやアビスも破顔していた。なお、ファーレンは戦慄している。彼女はクルスを何だと思っているのだろう。


「では、古城探索には、私と、アビスさんと、ファーレンさんの三人で行きましょうか」


 そう告げれば、アビスは首肯したが、ファーレンは慌てて待ったをかける。

 何事か?—と、ファーレンに視線を送る俺とアビスを順に見て、ファーレンは尋ねてくる。


「クローディア大師匠が居なくては、亜空間を使った擬似転移ができないのでは?」


 ファーレンの疑問はもっともだ。既に解決済みではあるが、俺はむしろ、よくそこに気が付いた—と、感心していた。


「魔石があるである」


 ところが、俺が何かを言うよりも先に、アビスが素気無く斬って捨てる。あ、この—と、思わず苛立ちを露わにするも、アビスの言いたい事がファーレンには伝わらなかったようで、首を傾げている。

 俺は咳払いすると、今度こそファーレンへ説明した。


「魔石に亜空間を開く魔術を記録しておけば良いのですよ。亜空間さえ開いてくれれば、後はこちらで座標を指定できるのですから」

「…ふぁっ!なるほど。魔石で擬似転移ができるのですね!?」


 ファーレンも理解してくれたらしい。

 そう。今後は魔石が三つあれば、擬似転移が誰でも使える事になる。亜空間を開くための魔石二つに、座標を示す魔石一つだ。座標を示す魔石は、小さな精霊石でも代用可能なので、実質的に魔石二つで良い。


(素晴らしいよ、魔石。よくやった!俺!)


 自画自賛しながら、目を瞑り思いを馳せる。かねてより構想はあったが、ついに実現した魔石の作製技術。

 更には、この魔石からクローディアが魔道具を生み出そうとしている。本家本職の着想を刺激したのだ。ついに、ついに来た。いや、来る。間違いなく。技術のブレイクスルーだ。


(そう、ここからだ。ようやく、ここから)


 ボットン式の臭いがキツいトイレ。ついでに、糞尿の臭いが立ち込める裏通り。一般的ではない風呂。構想すらない上水道。各家庭の財力に左右される照明。そして、尻が痛かった馬車や、あまりにも高価な衣服。卵や調味料すら満足にない、味気ない飯も上げておこう。

 何と遅れた世界だろうか。ここまで口には出さずにいたが、我慢の限界だった。魔術という科学にはない強みを持ちながら、魔物の脅威故に発展が極めて遅い世界。

 関係ない第三者として見ている分には、対岸の火事に違いない。けれども、今は当事者だ。元いた世界に帰るのは絶対だが、それまでの間、この暮らしに耐えられるか?—と聞かれれば、耐えられる訳などない。それほどまでに恵まれた世界、恵まれた国で、俺は育ってきてしまった。それがある事が、当たり前という考えがあるのだ。


(ものづくりを生業とする技術者の腕の見せ所だな…やるぞ!)


 笑みを浮かべつつ、決意を新たにする。目指す頂は一つ。何不自由ない暮らしを全世界に普及させる事だ。当然、貧民だろうとだ。

 今後は、魔石を筆頭にして、世界が変わる事だろう。それも、きっと産業革命並みのスピードでだ。それを思えば、感動せずにはいられなかった。


「その大きな花飾りは、文字通り飾りのようでありますね。まだゴブリンの方が利口なのであります」


 その感動を口に出そうとしたのだが、それよりも先に出たのは、ファーレンを貶めるクルスの言葉だった。ちなみに、花飾りとはファーレンの後ろに纏めた髪の事だろう。癖っ毛であるため、纏めた先で花弁のように広がっているのだ。

 言われたファーレンは、真っ赤になって立ち上がる。いつもの喧嘩が始まったのだ。


「こここ、これは頭ではありません!髪の毛です!ここには何も詰まってませんよ!」


 俺達はファーレンの反応に笑い、クルスは更に馬鹿にする。これではもう、俺の感動を伝えるどころではない。また、別の機会にでも語る事にしよう。


(ま、覚えていたらだけどね)


 しばらくは二人の言い争いに耳を傾けていたが、やがて、ファーレンが寝落ちてしまい、口論は終局した。俺達も、それを機にして寝る事になった。

 さて、朝である。


「では、留守をお願いしますね。アーサーさん、タンパク質、エル、ヒヨさん、師匠を困らせてはいけませんよ?仲良くしていてくださいね?」


 二刻を告げる鐘が鳴り響いた後、俺はアビス、ファーレンと共に屋敷を出る。

 アーサーさんが俺の言葉に触手でサムズアップすると、タンパク質は一声鳴いた。エルは飛び跳ねているばかりで分かっているのか不明であり、ヒヨさんは人間のような仕草で頷いているものの、目付きが怖い。人を数人殺している者の目だ。


「…ふぅ。ちと眠いのぅ」

「…師匠…」


 そんな魔物達に囲まれながら、留守を預かるのはクローディア。目の下のクマを見るに、徹夜で構想を練っていたのだろう。何が、夜はちゃんと寝ろ—だ。人の事を言えないと思う。


「ふふふ、案ずるでない。わしとて、もはや泣き虫クローディアではないぞ。多少は頼りになるところを見せてやるのじゃ」


 そう言ってクローディアはニコリと笑う。何の話か—と一瞬考えたが、留守を預かる話なのだろう。

 そこに思い至ると、なんだかクローディアが愛らしい生き物に思える。珍しくも見た目相応な笑顔を浮かべた事もあり、思わずクローディアの頭を撫でた。


「ふっ、ふぉっ!?お主!?」


 慌てふためくクローディアに、うわ、しまった—と、思わず頭頂部をガードしたのだが、何も飛んでは来ない。チラリとクローディアを見てみれば、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。


(何この反応…なんか違う…)


 常日頃であれば、ご丁寧に身体強化を施した上で、杖の一撃が飛んでくるのだ。

 ところがどうだ。今朝のクローディアは、テレテレしているばかりで、どうにも調子が狂う。叩かれたい訳ではないが、こんなのはクローディアではない。


「…師匠…もしかして…熱でも?」

「ふんっ!」


 心配して声をかけたにもかかわらず、今度は何故か杖が飛んできた。いつもよりも一段と痛い気がする。


「閣下」


 目尻の涙を拭いつつ顔を上げれば、俺に声をかけたのはクルスだった。日頃から真面目な顔つきのクルスだが、今日の彼女が浮かべる表情には、どうにも緊張が窺える。


「何か心配事か?」


 そう尋ねれば、クルスはややあってから頷いた。


「少し、不安であります。その…」

「ん?」


 何が不安なのか聞きたかったのだが、クルスは何も答えない。


「…」

「…」


 黙って見合う事しばし、クルスは唐突に頭を俺へと突き付けてきた。


「え?」

「私も撫でて欲しいであります」


 突き出された頭に面食らって、視線を右往左往させれば、クルスは撫でろという。ああ、そういう事か—と、優しく撫でた。

 そうすると、ヤキモチ焼きの動物や魔物達も黙っていない。タンパク質やらエルやらヒヨさんまでもが頭を突きつけてくる。一頻り撫で終えると、最後にアーサーさんを突いた。

 アビスとファーレンも頭を突き出しているが無視である。何の冗談か。特にアビス。






「では、行ってきます」


 そう告げると、オサカはアビスとファーレンを引き連れて、足早に去って行った。

 クローディアと私は、オサカの背中が見えなくなると、一先ずはクローディアの私室に移動する。入れ—と言われて開け放たれたドアの中へと、スルリとタンパク質が身体を滑り込ませた。私もその後から中を覗く。


(…ゴチャゴチャした部屋であります)


 クローディアの私室は、随分と散らかっていた。所狭しと並べられた機材に、今なお何かの溶液で満たされた容器。床には至る所に錬金布が敷かれ、本は本棚には収まりきらず、無造作に積み上げられている。


(魔人族あるある—というやつでありますね)


 魔人族の片付けられない性である。彼ら彼女らの一族は、極めて勤勉であり、凝り性な性質を持つ。その反面、己の事には無頓着であり、大小の差はあれど、総じて身の回りの事は疎かだ。酷い例を挙げれば、歯が腐る程に歯磨きを怠ったり、借りていた部屋の床を腐らせた—などと耳にした事がある。

 クローディアがかつてナイセイルの洞窟に隠れ棲んでいた頃、室内は綺麗であった。しかし、あそこはあくまでも、共同スペースであったからだ。きっと個人に割り当てられた部屋であったなら、今と同じような状況が出来上がっていた事だろう。


「クローディア様、手伝って欲しい事とは?」


 入り口の脇に佇んだままで尋ねれば、クローディアは苦笑いしつつ手招きしてくる。


「散らかっておるのは認めるがな、汚れてはおらんぞ。露骨に嫌そうな顔をせずに、さっさとこっちへ来い。説明するわい」


 私は首肯を返して、クローディアに近付く。一歩だけ。歩を進めると、何かしら踏み壊してしまいそうで、立ち入るのが躊躇われたのだ。


「…」

「…」


 顔を上げれば、クローディアはジト目で私を見ている。仕方ないので、もう一歩近付く。

 もう良かろう—と、再び顔を上げれば、クローディアは腕組みをしたまま、なおもジト目を私へと向けていた。


(…あ、歩きたくないであります)


 タンパク質はくねくねと器用に歩くが、それはつまり、床に点在する光り輝く何かもまた、障害物であろう事を意味している。それを踏んで、パキリ—とでも音が鳴ったら、どうしたものだろうか。

 それでも、クローディアはジト目を向けてくるのだ。もう知らん—と深く深く嘆息し、やむなく、つま先歩きでクローディアの元まで移動した。


「お主…いい度胸じゃよな」

「…閣下の血が入っておりますので」


 私の葛藤を知ろうともせず、クローディアは責めてくる。やむなく、オサカに罪を押し付けた。

 さて、クローディアは鼻で笑うと、私に向けて大きな図面を広げてみせる。それが何かを理解できるだけの知識はなかったが、数々の魔法陣を見るに、色々な魔道具を検討しているようだ。


「わしらは地上においては過剰戦力じゃ。纏まって歩いていても、やる事があるまい。今回のようにの。あやつ次第でもあるが、今後は別れて行動する事も増えるじゃろう。そこでじゃ、例の魔石があれば、色々な魔道具が作れると思う。既に発想はできておるのじゃが、どんなものから優先して作るべきじゃと思う?」


 クローディアの言に、視線を再び図面へと落とす。各魔法陣には注釈があり、どういう用途に向く魔法陣なのかが分かりやすく綴られていた。


(…流石はクローディア様。僅かな時間でこれほどまで…)


 私はクローディアと違い、魔術には明るくない。使えない事はないが、私の魔力は魔術の行使に適さない。オサカの言を借りれば、私の魔力は魔法に重きを置く性質で、魔力自体は多いものの、魔力制御に向かないのだとか。もっとも、オサカの懐刀として、それを認められる訳もないため、人知れず魔術の勉強はしている。独学ではなかなか芽が出ないのだが。


(…はあ。まあ、それを気にしても仕方ないでありますな)


 一度視線を持ち上げれば、クローディアは試験管をくるくると弄びながら、時折試すような視線を見せつつ、私の答えを待っていた。


(…クローディア様も、閣下に似てきたでありますな)


 日頃のオサカは腕組みして考え込んでいるが、手近な場所に小物があると、手慰みに夢中になる。クローディアが今まさに見せている仕草は、それを彷彿とさせた。

 さてと—と、意識を正して考え込む。どんな魔道具を生み出す事が、オサカの助けになるだろうか。


(閣下は、既に個としての力は極致に到達しているのであります。ならば、戦闘補助など不要でありましょう。むしろ、閣下が気になさるのは、その他。例えば…そう、我らの安否でありましょうか)


 オサカは強い。強過ぎる。元々の素養もあった事は確かだが、簒奪者(デートラヘレ)という存在になった事で、その強さは青天井だ。聖剣の迷宮にて数多の魔物を取り込んだ事もあり、もはや地上はおろか、そこいらの迷宮にも、オサカと並び立つような敵はいないだろう。

 それを思えば、私の考えは強ち間違ってもいないと思われた。そこに、先のクローディアの発言である。


“今後は別れて行動する事も増えるじゃろう”


 オサカはあれで、実のところかなり優しいし、お節介だ。若干、過保護でもある。ツンケンした態度は、その裏返しに他ならない。そんなオサカを喜ばせようとするならば、離れていても仲間の安否を確認できる魔道具。それしかないだろう。


(我らはまだまだ、閣下の庇護下にあるでありますからな)


 ある程度の実績を上げれば、オサカとて私達の事を信頼してくれるに違いない。けれども、今段階においては、私達は何の実際も上げてはいない。そればかりか、私はファーレンとは不仲であったり、心配ばかりかけている—と、思う。

 ならば、それを解決するのはやはり、通信手段だろう。いつでも互いの状況が分かるならば、オサカとて安堵の息を吐けようというものだ。


(…決まりでありますな)


 有用なのは、一つしか思い浮かばなかった。

 チラリとクローディアに視線を向ければ、クローディアはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。


(最初から答えが分かっている—と、言わんばかりの顔でありますな)


 クローディアはオサカの出自を理解している。ならば、魔人族の好奇心に任せて、色々と聞いている事だろう。そうだとすれば、私がこれから提案する利器とて、知っているに違いないのだ。事実、図面に描かれた魔法陣の中には、それを目指したとしか思えない用途の魔法陣も見受けられる。


(…本当に、閣下に似てきたでありますな)


 クローディアの思い通りになるのは癪だが、一度思い付いてしまうと、それ以上に有用な魔道具が思い浮かばない。どうも、思考誘導されたようである。忌々しい事この上ないが、それを差っ引いても、実現すれば様々な恩恵がある事は間違いない。

 そこまで考え至り観念した私は、嘆息してから口を開いた。


「携帯電話であります」


 ほぅ?—という言葉とは裏腹に、クローディアはいやらしい笑みを浮かべた。


「あれじゃな?離れていても、他者と会話できるという…ええと…」

「はい。閣下がスマホと呼称していたものであります」


 私が肯定してみせれば、クローディアはいよいよ愉快になってきたらしく、すぐさま図面に指を這わせる。


「難しい技術は一つじゃ。一対一、或いは元々決められた対象と会話するだけならば、既に作られておる」


 トントン—と図面上の魔法陣の一つを、クローディアは指で叩いた。

 チラリと視線を落とせば、ギルド云々という文字が目に入る。おそらくは、冒険者ギルドで目にした水晶—あれに込められた魔法陣—がこれ、或いはこれに類するものなのだろう。


「じゃが、通話する相手を後から登録する…これが難儀じゃ。つまり、不特定多数…更に言えば、世に出すス…スマホ?…全てが会話を行える構成にせねばいかん」


 そう言ったきり、クローディアは口を噤んだ。

 どうしたのか?—と図面からクローディアへ視線を向ければ、期待を込めた眼差しをこちらへと向けているではないか。なるほど、引っかかっているのはそこか。


「向こうでは、どういう原理で繋げておるのじゃ?」


 私と視線が交差した事で、こちら側に聞く姿勢ができたと判断したらしい。クローディアはつらつらと己の構想を語り始めた。


「最初はごく限られた者でのテスト運用が必要じゃろう。最悪、そこでは手動でよい。しかし、一般に販売するとなれば、そうはゆかん。となると、自動化は必須じゃな。…ところで、スマホには個体識別機能のようなものが付加されておるのではないか?」


 クローディアの疑問は疑問ではない。この声音は、確信があってのものだろう。私に確認を取っているに過ぎない。

 そして、それは正解だ。確かに電話機には、電話番号という個体識別機能が備わっている。ダイヤル式からIP式へと、科学の発達に伴い技法は変わる。だが、原理は変わらない。


(閣下も仰っておられましたが…クローディア様の頭脳は明晰でありますな)


 頷いて返すと、やはりな—と嬉しそうに笑ったかと思えば、早くも椅子に腰を落ろし、ペンを手にしている。もしかして、私の出番はこれで終わりなのだろうか。だとしたらあんまりな扱いだ。


「そう不安そうな顔をするでない。まだ聞きたい事はあるわい。それに、わしの魔石ではパワー不足なのじゃ。お主に魔石を作ってもらいたいし、今後の事を思えば、ここで魔道具に精通しておいてもらいたいの」


 私の考えは見透かされていたらしい。

 クローディアはニコニコと上機嫌に笑いながら、私に椅子を勧めてくる。


「ほれ、いつまで立っておる。座らんか」

「失礼するであります」


 断りを入れて椅子を引いた時、パリン—と、いい音が耳朶を揺らす。

 恐る恐る振り返れば、椅子の脚が引っかかったらしく、碁石のような小さな陶器が割れていた。


(…し、しまったであります)


 目を見開き青ざめる。クローディアの持ち物は、ナイセイルから持ち込んだ物も多く、物によってはこちらでは手に入らない。しかも、千年前から愛用している品もあったりする。ゴミにしか見えず、用途の知れない小さな陶器でも、もしかすると超貴重品なのかも知れないのだ。


「ククク、クローディア様!」

「ああ、よいよい。気にするな。後で片付けておくわい」


 ところが、割れた陶器を一瞥したクローディアの反応は、冷めたものだった。やはり、見た目通りのゴミであったのかも知れない。


(…“後で”と“おばけ”は出た事ない—と、いう言葉もあるでありますな)


 クローディア達魔人族という種族は、実のところ、極めて合理的な種だ。この状況とて、正確に言い表すならば、片付けられない訳ではなく、片付けない—という言葉が正しかろう。

 己の我慢がならなくなるレベルまで散らかったら、ようやく片付けが始まる。それも、大掃除レベルの徹底的なやつがだ。けれども、魔人族は忍耐強い種族でもある。それ故に、余人には耐えられないレベルの汚さになるのだ。


(…やっぱり、今のうちに綺麗にしておくであります)


 己が散らかしたものまで、クローディアに掃除させるのは申し訳ない。そう考えて、部屋の隅に立てかけられてある箒と塵取りを手にして戦慄する。箒は黴びていた。


「…」


 家を購入してから、まだそれほど経っていない—はずだ。私の時間感覚が間違っていないなら。だがしかし、なぜ、既にカビが生えているのか。それであるのに、本などは埃一つ付いていないのだから、意味が分からない。

 思わずクローディアへと視線を向ければ、クローディアもこちらに視線を向けていた。ジト目だ。私が指示に従わないのが、面白くないらしい。


「…いいから座らんか。後でやると言っておるじゃろう」

「…承知であります。なるべく早く片付けてほしいであります」


 箒と塵取りを元あった場所へと戻したら、今度こそ椅子に腰を下ろす。

 それを見たクローディアは満足げに頷いたが、なるべく早く〜—の件には、特に反応を示さなかった。まだまだ片付けるつもりはないらしい。やはりオサカに似てきた。

 

「よしよし、ならば早速…といきたいところじゃが、その前に聞いておきたい事がある。良いか?」

「はい。なんでありましょうか?」


 私はクローディアの問いに応じる姿勢を見せているのだが、クローディアは勿体ぶるかのように口を引き結んだ。

 クローディアが溜めを作る時は、碌な事ではない—これは、閣下(オサカ)の言だ。

 オサカはクローディアと共に生活し、魔術や語学の教えを受けている。聞けば、特に包み隠す事もなく当時の事を教えてくれるのだが、その中の数多くを占める話題は、クローディアの過度な好奇心だった。

 オサカはクローディアに弱い。元々の力関係は現在の在り方とは真逆であったらしいが、私が考えるに、このような力関係に落ち着いたのは、クローディアの行き過ぎた知的好奇心へ、苦手意識をオサカが抱いたからだろう。


「お主の、その…な。武装じゃ。それを魔道具で再現したいのじゃよ」


 そしてまた、今回も碌な話ではなかった。オサカが戻ってきたら、これを土産話にすれば、大層喜ぶ事だろう。


「ははは。師匠らしいな」


 —などと、手を叩いて笑うに違いない。

 さて、考え事はここまでだ。クローディアは今この時も、上奏し、御伺いをたてる臣下の如く、私の裁可を待っている。


「ど、どうじゃ?」

「…ダメであります」


 キッパリと断りを入れれば諦める—はずもない。

 クローディアはガタリと椅子から立ち上がると、縋るような顔つきで問うてくる。


「な、何故じゃ!?」


 この問いに対する答えは非常に難しい。しかし、下手に理解させようとして噛み砕いてもも、逆に混乱させるだけだろう。そう考えた私は、ありのままを説明した。


「確かに私には、向こうの世界での、ありとあらゆる武装の情報がインストールされているのであります。しかし、私のもつ権限では、武装の情報開示が認められないのであります。武装を貸し与える分には、私の権限で可能でありますが、複製するための情報開示となれば話が別なのであります。より上位者の許可が必要となるのであります」


 途中で何かしら口を挟んでくるかと構えていたが、クローディアは意外な事に最後まで黙って聞いていた。

 私が口を閉じてからもしばらくは黙っていたが、様子を窺うに、頭の中を整理していたものであるらしい。やがて顔を上げたクローディアは、驚くべき事を口にした。


「…なるほど。上位者…オサカ…ではないな。それとは別の命令系統も存在しておる…という事か?」

「…な、なんと…そこまで把握できるものでありますか…」


 あまりの驚きに目を見開く。この理解力は異常だ。オサカもクローディアの頭脳を称賛していたが、これはもはや天才と呼べる域に到達しているのではなかろうか。


「…クルスよ。お主…何者だ?」


 次いで上げられた詰問には、首を振る。それを語る権限も、私には与えられていないからだ。

 クローディアはしばらくの間、私へ向けて目を細めていたが、ふっ—と相好を崩したかと思えば、私の手を優しくとった。


「まあ、お主が何者であれ、クルスはクルスよな。わしとオサカの最高傑作で、大切な仲間じゃ。友人じゃ」

「…ク、クローディア様…」


 少しだけ涙腺を刺激され、堪らず口を引き結ぶ。油断すれば涙腺が決壊しそうだった。


「さっ、さっさとやるか。お主に聞きたい事はまだまだ多い。オサカ達が帰ってくるまでは、休む間などないと思え」

「ふふっ、お手柔らかにお願いするであります」


 クローディアの浮かべる意地悪い笑みに、私も笑みを返す。いつもよりも、自然に笑えた気がした。

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