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小坂、蟻退治をする

ここ最近、全く話が進んでいなかったので、もう一話投稿しておきます。

次の土曜日も、予定通りに投稿します。

「今日の夕食は何かしら?」

「オサカ君の作る夕食だけが、今の心の拠り所だな」


 ブルーツとモスクルの二人が、夕食に期待を膨らませながら、ダイニングへと現れる。

 いつもの事だが、アビスは既に数皿を片付けており、俺とアーサーさんは料理を運ぶべく、調理場とダイニングを行き来していた。


「今日はオムライスのシチュー添えですよ!絶品です!」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべるファーレンは、ロロナの指導のもと、テーブルマナーの練習を兼ねた夕食だ。既に口の周りが汚れているが、これは今のところお咎めなしであるらしい。ロロナはやはり、ファーレンに甘い。


「まあ!ハズレなしの組み合わせね!」


 ファーレンの言に、ロロナは手を叩いて喜ぶ。

 そして、嬉々として席に座るブルーツの姿に、クローディアが胸を張って言った。


「卵が手に入ったからのぅ」


 ところで、クローディアの言う卵とは、何であろうか。

 まず、食物連鎖の非常に厳しいこの世界では、鶏の卵など超高級品である。一部の貴族くらいしか食べられないのだ。それも、滋養強壮の栄養薬としてである。食べ方もびっくりで、滅菌処理もされていない代物を、生で飲み下すという恐ろしいものだったりする。下手をすれば、腹を壊して滋養強壮どころではない。まるで博打のような食材だ。

 話を戻そう。では、高価ながらも、市民の間に出回っている卵とは何か?それは、コカトリスの卵である。

 コカトリスとは、鶏の身体に蛇の尾を持つ魔物である。蛇の尾には石化の毒があり、万が一噛みつかれれば、身体は徐々に石化してゆくという、恐ろしい魔物である。

 なお、こちらの卵は普通に熱を加えて調理される。意味不明だ。鶏の卵もそうすれば良いと思うのだが、あちらはあくまでも薬扱いであり、熱を加えれば、身体に良い性質—栄養の事だろう—が失われると信じられていた。確かに熱を加えれば、栄養素の吸収の仕方は変わる。けれども、薬として摂取しておいて、余計に体調を悪くするのはどうなのだろうか。

 ブルーツからこれを聞かされた時、馬鹿じゃねーの?腹壊すよりマシだろ—と、とんでもない失言を発したほど、俺は取り乱していた。何故かは分からない。今にして思い返せば、日本人として、生卵を美味しく食べられない衛星環境に、憤っていたのかもしれない。

 ちなみに、その場は笑って許してくれたブルーツだが、謝罪のために改めて部屋へと赴いた時には、結構ブチブチと文句を言われた。何度も頭を下げた。


「コケー!」


 ダイニングの隣室から、バサバサと羽を鳴らす音が聞こえてくれば、全員が感謝の念を込めて、そちらへ振り向いた。

 土魔術で作り出した巨大なビルの一角には、ヒヨさん専用の部屋が設けられているのだ。

 ヒヨさんとは、新たに俺の仲間として加わった、コカトリスの事である。


「コケー!」

「シャー!」


 ドアを押し開いて、鶏の頭部と蛇の頭部が顔を見せる。餌を催促しているのだろう。


「…まさか一日でコカトリスに進化するとはな」


 俺は自身の身長を僅かに超える、巨大なコカトリスに餌を与える。その辺で倒したウルフやゴブリンが、ヒヨさんの主食となる。まあ、肉食という事だ。

 蟻塚の迷宮を目指して、街道を走っていた俺達であったが、突如馬が身体を起こして停止した。一同が何事かと馬車を降りてみれば、馬の足元には小さな雛が横たわっていたのである。

 拾った時は満足に歩く事も出来ない雛であった。見た目はヒヨコにしか見えず、ヒヨちゃんと名付けて世話してみる事にしたのだ。丈夫な子に育つようにと、餌に俺の魔力と精霊石を練り込み与えたのだが—


「コケコッコー!」


 それが功を奏したのだろうか。次の日の早朝、けたたましい鳴き声に目を覚ましてみれば、リビングには巨大なコカトリスが鎮座していたのだ。可愛らしい雛は一夜のうちに消え、目つきの悪い鶏と蛇に進化していた。なお、卵もこの時既に転がっていたりする。魔物の生態は、本当によく分からない。


「ヒヨさん。明日も美味しい卵をお願いしますね?」

「コケー!」


 任せろ—とばかりに、鳴いてみせるヒヨさんの、鶏の頭と蛇の頭を撫でた俺は—


(可愛い時期をみすみす逃してしまった)


 —と、肩を落として嘆いていたりする。

 今後は餌に魔力を練り込む場合は、量に注意しなくてはならないだろう。特にエルは歯が生え変わり始めるまでは、極力、魔力を与えないようにしなくては—と、硬く誓った。理由?可愛い時期を逃したくないからだ。

 さて、意識を現実に戻してみれば、リビングは戦場になっていた。アビスとファーレンの二人がオムライスを奪い合い、その他の面々は、残りのデザートを前にして、終わらないじゃんけんを繰り返していた。


「…何だこれ」


 ついに明日は蟻との決戦である。夜の間は危なくて移動などできはしない。それを思えば、確かに焦っても仕方ない。それは分かってはいるものの、これはこれでどうなのか?—と、俺は嘆息した。






 王都アンラから強力な助っ人が来る—という報せから、何日が経過しただろうか。俺は蟻塚の迷宮を前にして、防衛網の指揮を取っていた。

 傭兵上がりである俺以上に、高効率で組織的な人員運用ができる者がいないという事もあるが、俺自身の責任感から、そうしている部分が大きい。


「アメランドからの補給物資、それと法術師の交代要員が到着しました」

「よし、消耗が進んでいるパーティから優先的に後方に下げろ。多少の無理はAランクパーティがどうにかしてくれる」


 俺の指示に連絡員は一礼すると、即座に駆けてゆく。この頃になると冒険者達の動きも随分と洗練されており、まるで戦場に帰ってきたかのような感覚に囚われる。


(いや、ここは紛れもない戦場だ。負ければ蟻の餌が確定した戦場だな。嫌になる)


 迷宮が拡大した事により、内部の魔物はより一層強力になり、より一層数を増していた。もともと、迷宮の蟻として生まれた蟻は餌を必要としないが、蟻の巣から生まれた蟻や、幼虫には餌が必要である。迷宮が拡大すれば恐らくは産卵場所も拡大され、幼虫の数は爆発的に増えてゆく事であろう。

 更には、ここ二、三日で、迷宮産の蟻と元々の蟻の特性が混ざり始め、全ての蟻が、元々の巣の蟻であるかのように振る舞いはじめていた。それの何が困るとかというと、迷宮産の蟻までもが餌を求めて外に出てくるのだ。状況は、最悪だった。


「無理だ!これ以上は抑えておけない!」

「防戦に回っていては消耗するのみだ!攻めるぞ!」


 前方では、今もなお数班が合同で蟻を押し返していた。遠目に見ていても地獄絵図だ。倒しても倒しても、日が沈むまでは延々に蟻は現れるのだから、ホットスポットでの消耗具合は、筆舌に尽くし難いものだろう。

 その気持ちは分からないでもないが、ここでしくじれば、取り返しのつかない事態になりかねない。焦りから攻勢に出ようとした冒険者へと向けて、喝を飛ばす。


「無理せず交代しろっ!臆病なくらいで丁度良い!下手に追い込み過ぎれば、一斉に出てくる。適度に退け!今は耐えろっ!」


 俺の声はちゃんと届いたらしく、先に焦りを見せていた冒険者達は、なんとか踏み止まってくれた。


(ふぅ…危ない。突っ込み過ぎて孤立したら、もう助けられんからな…)


 夜行性の蟻がいない事は僥倖だった。夜にはしっかりと休憩を取れるからだ。その分、昼間は地獄であるが。


(それでも、持ち堪えられているのは、剛剣のおかげ、か…)


 超高レベルの蟻とひたすら防衛戦を繰り広げる冒険者達の消耗は凄まじい。たった一撃でも致命傷になりかねない攻撃は、数日で皆を随分と窶れさせた。それはAランクといえども例外ではなく、遊撃に走り回るノアの鐘や、回復、補助と大忙しの白の秘蹟は特に酷い。とうに肉体の限界を超え、もはや気力だけで動いているように見受けられた。


(すまない。それでも、今はまだ、休んでいい—とは言えない。後少しだけ耐えてくれ)


 チラリと背後を見る。

 どこまでも続く大平原を風が撫でた。助っ人と思わしき人影は未だに見えず、嘆息しながら視線を戻す。


(頼む…もう、限界が近い)


 早馬が到着してから、まだ数日。助っ人の到着には、まだまだ時間がかかる事だろう。他所へと早馬、或いは従魔を飛ばして連絡し、そこから助っ人を出立させるのだ。どんなに早くとも、20日前後はかかる。

 けれど、もしかしたら、たまたまアンラに助っ人とやらはいたのかもしれない。もしかすれば、アメランドから向かってくれているのかもしれない—と、考えてしまう。

 俺自身が限界だった。都合の良い考えを持ちでもしないと、皆を鼓舞する力が残っていなかったのだ。


(ちくしょう…不甲斐ない…)


 あまりの情けなさに、ギリリ—と、奥歯を鳴らした。






「ボーナスさん!例の黒い奴です!」

「んあっ!?またかよちくしょー!」


 毒づきながらも声の上がった方へと走る。膝を上げる事すら億劫になってきているが、一箇所でも防衛網が瓦解すれば、蟻は野に放たれるのだ。それだけは許容できない。

 俺は動きたがらない己の身体に喝を入れると、すっかり定例になった相手に向けてダッシュする。

 時折進路を塞ぐように、俺の前に出てくる蟻には即座にご退場願いながら、力の限り走った。


「よく耐えたな!ノアの!」

「おせーぞボーナス!」


 現場で黒い蟻を足止めしていたのは、ノアの鐘であった。Aランクパーティのノアの鐘は、全員が前衛という特殊なパーティである。やられる前にやれ!—が心情の前のめりな五人は、この俺同様に、ずっと戦い続けている。

 夜も満足に寝付けないのだろう。目の下には大きなクマができており、リーブリヒやカームなんかは、せっかくの美貌が台無しだ。ロドリゲス、ガメイラ、ゴリアテの三人は、何故か艶が増している気がするが。


「仕方ねーだろ、反対側にいたんだ。ほら、代われ!」

「頼む、ボーナス」


 言うや否やカームが下がり、その隙間を埋めるように前に出る。


「おらあっ!」


 様相はまるで戦場だ。四方八方を敵味方に囲まれており、もはや小手先の技など使う間もない。足を大きく踏み込みながら、そのまま大剣を振りかぶると、一も二もなく全力で振り下ろした。


—ギィン—


 蟻の顎と俺の大剣が激突する。結果は互角。蟻も俺も、弾かれたようにたたらを踏んで、互いに睨み合う。


「お前の顔も見飽きたな、っと!」


 慣れた足取りで蟻の追撃を躱しながら、甲殻の隙間に一撃を叩き込む。みしり—と嫌な音が聞こえ、蟻の体液が辺りに散った。

 カウンターは成功したが、まだまだ退く訳にはゆかない。そのまま前に出て、怯んだ蟻の複眼めがけて柄頭を叩き付ければ、即座に蟻の顎が閉じられる。


(うっお!?)


 流石にヒヤリとしたが、これは跳んで躱せた。

 本来ならば、一旦退いて仕切り直したい。ケチがついたら危険信号。これが俺の信条だ。これまでも、その信条があったからこそ、生き延びてこられたと思っている。


「っまだまだぁ!」

『ギィィィィ!』


 だが、今は退かない。退けない。

 俺は十天の一角だ。人類の最終兵器にして、対魔物としての切り札だ。その俺が踏ん張れずして、誰が踏ん張れようか。


(右!?いや、左か!なら…ここだ!)


 更に前へと出て、蟻の顎と打ち合う。

 この黒い蟻は極めて硬く、その上、顎の力も強い。毒やら特殊な攻撃手段こそ持たないものの、だからこそ付け入る隙も少なく手強い。


「ちっ!今回のは一段と硬いじゃねーか!」


 歯を食いしばって剣を横薙ぎに振るい、蟻の触角を切り飛ばせば、蟻は狂ったように俺へと追撃を開始する。ああ、くそ。またやっちまった。


「ボーナス!無意味に触角を折るな!手強くなるぞ!」

「こうでもしねーと、お見合いになっちまうんだよ!」


 カームの声援?には、強がって応じておく。俺自身、色々と麻痺しているらしく、既にまともな感覚をなくしているのが自覚出来ていた。

 カームの声も笑っていた事から、向こうも既にまともではないらしい。無理もない。やっている事は、魔物相手の戦争だ。

 法術師が山ほどいるため、味方の損害こそ軽微であるものの、右を見ても左を見ても、蟻、蟻、蟻だ。誰もが終わりの見えない猛撃に顔を青ざめさせ、歯を食いしばって耐えている。既に刃は噛み砕かれ、盾一つで前線に張り付いている者までいる始末だ。

 時間が経てば経つほどに、死の匂いが濃密になる。俺はここで力尽きるのではないか?—と、誰しもが絶望的な考えを脳裏に浮かべ、神経をすり減らしている事だろう。俺だってそうだ。ヒヤリとしたのは、さっきのが初めてじゃあない。ここに来てから、数え切れないほどに冷や汗を流している。

 だからこそ、ここまで気が付けなかったのかもしれない。絶対的な死の気配が近付いている事に。


「…なんだ?」

「…お、おい…どういう事だ?」


 背後から聞こえた声に我に返った。


(…ん?あれ?)


 気が付けば、俺は随分と前に出ていた。すっかりと孤立しているのだが、蟻達に囲まれている訳でもないという、不思議な状況であった。空白地帯ができているのだ。


(…なんだこりゃ?)


 よくよく様子を窺えば、蟻が下がり始めていた。俺はそれに気が付かず、黒い蟻を追って、冒険者達の包囲網から離れてしまっていた。


「…はぁ…はぁ…」


 俺と蟻を遠巻きに見つめ続ける冒険者達と、ゆっくりと退がり続ける蟻とを、肩で息しながら交互に見る。

 蟻が来ないと確信が得られれば、次いで視線を向けたのは空だ。


(まだ日は高い。何故退く?)


 太陽はちょうど、中天から折り返しはじめたところであろうか。降り注ぐ七色の輝きに目を細めつつ、蟻へと視線を戻した。


「…う、あっ」


 さてどうしたものか?—と眉を寄せたその時、背中に感じたのは悪寒。極限状態の中で忘れていた死の恐怖が蘇り、言葉にならない声が漏れる。

 慌てて背後を振り返れば、冒険者達の垣根が割れた。そこから現れたのは、一人の青年である。


(…なんだあれ(・・)は?)


 訳が分からなくなり、困惑した。やってきたのは黒髪黒目の青年だ。まるで町人のような、場違いの平服を着た青年だ。だがしかし、己の勘はガンガンと警鐘を鳴らしているのだ。ここから逃げろ—と。奴から離れろ—と。

 それは、危険信号どころの騒ぎではない。かつて、迷宮内で一度だけ目にした事のある魂を刈る者(リーパー)。襤褸に包まれた、空飛ぶ不死系魔物(アンデッド)を目撃した時の恐怖—否、それ以上の絶望感を覚えた。


(なにかの見間違いか?俺はついにおかしくなったのか?)


 何度も目を瞬かせた。瞬きする度に、とてつもない恐怖が襲いかかってくる。瞬きした次の瞬間には、まるで青年が眼前に迫っていたかのような錯覚に囚われるからだ。

 だが、何度見ても結果は変わらない。そこにいるのは年若い人間族の青年だった。ならば、一体彼の何に、己がそこまで恐怖するというのか。


(幻術?それとも—)


 勘違いか?—とノアの鐘の面々を見るも、俺同様に、青年へと畏怖の視線を向けている。

 一方で、白の秘蹟はといえば、他の冒険者同様に、首を傾げて訝しげな視線を青年に向けていた。

 やはり勘違いではないだろう。何かある。あの青年には、きっと強者のみが知覚し得る何かがあるのだ。


(助っ人…そうか、助っ人…なんだよな?あれが。…とんだ助っ人もいたもんだ)


 そういえば、何日か前に、早馬が着た—と、フィーラーが言っていたのを思い出して、やや冷静になると、俺は改めて青年を観察した。

 黒い町人スタイルの上下にサンダル。腰には二本の剣をぶら下げ、防具の類はなし。黒髪黒目という珍しい組み合わせに肌はやや黄色い。歳の頃は十代半ばといったところだろう。

 そんな青年は、口を真一文字に引き結んだままこちらへと向かってきていたのだが、不意に立ち止まると、不敵に笑って口を開いた。


「ほぅ?迷宮の魔物も逃げるんだな」


 逃げる?迷宮の魔物が逃げるだと?

 そんな馬鹿な—と、肩越しに背後を見れば、蟻達は一目散に巣の中へと戻ってゆくではないか。その有り得ない光景に、思わず目が見開かれた。


「だが、少し遅い」


 再び聞こえた青年の声に、慌てて青年へと視線を戻せば、青年の腕から巨大な氷塊が射出されるところであった。


「うおっ!?」


 氷塊は蟻の群れへと突き刺さり、辺り一面を纏めて凍結させると、黒い帯を広範囲に撒き散らす。

 俺はといえば、氷塊が着弾した衝撃に吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がっていた。それでもしっかりと蟻の最後を見ていたのだから、我ながら大したものだと思う。


「があっ!くそっ!近くにいる俺の事も考えてくれよっ!」


 回る視界に喝を入れて立ち上がれば、氷を逃れた蟻達が黒い帯に絡め取られるのが目についた。途端に身動きが取れなくなり、青年に首を垂れるかの如く、地に伏している。


「なっ、んだ…こりゃあ…いや待て!氷!?氷だと!?」


 この桁外れの威力を誇る氷には、覚えがあった。己の記憶を頼りに青年の腕を見れば、青年の腕は、不可思議な紋様がうっすらと明滅しているではないか。


(間違いない…話に聞いていた…)


 黒髪黒目に腕の紋様。稀有な特徴が二つも揃っているのだ。間違いなく噂の青年であると断定して良いだろう。俺がここに到着する前、冒険者達を窮地から救い出してくれたという青年だ。上空から巨大な氷塊を無数に撃ち落としてきたという、蟻なんか話にならないほどの化け物だ。


「近くにいると、危ないですよ」


 青年が歩きながらも、すれ違いざまに俺へと声をかけてくる。俺はなんとか頷いて返したが、気が付けば、僅かに退がり、青年に道を開けていた。


「ボーナス…あいつ…やばいぞ」

「しっ!言うな。分かってる」


 俺に近寄り語りかけてきたリーブリヒを黙らせると、その場から離れながらも青年に視線を戻す。

 もはや、俺達のみならず、その他の冒険者達にも青年のヤバさは見て取れるらしい。一気に周囲が騒めきだした。

 無理もない。先の氷魔法のみならず、青年が魔力を解放しはじめたのだ。どす黒く、まるでスライムを思わせるような、粘度の高い魔力だ。あんな異様な魔力は、これまで一度たりとも見た事がなかった。

 これには、俺のみならず、リーブリヒやカームといった、名うての冒険者達が軒並み粟立ったようだ。至る所から、うっ—と、声が上がった。


(悪夢だ…こいつは、全人類が束になっても勝てねぇんじゃねぇか?)


 俺は“格上狩り”の異名を持つSランクの冒険者である。相当上位の魔物とて、一対一ならなんとかできる自負がある。その俺が戦う事を忌避するような、化け物がそこにいた。

 

「通してくれ!通してくれ!」


 後方から声を張り上げ、人垣を押し退けてきた者達がいた。やがて冒険者達の隙間から姿を見せたのは、フィーラー。そして—


「ギルマスだ…」

「お、王妃陛下…いや、あの姿は、十天のブルーツ様か!?」


 冒険者が口々に叫ぶ。

 彼らの言葉に偽りはなく、フィーラーの後から姿を見せたのは、アンラ冒険者ギルドのギルドマスターであるモスクルと、アンラ神聖国王妃陛下のブルーツ—いや、黒い法衣に身を包んでいるという事は、十天のブルーツとしてここにいるらしい。

 前に出てきた二人のVIPは、俺の姿に気が付くと、目配せしてみせる。どうやら、後で話があるらしい。頷いて返すと、VIPの二人に倣い、視線を青年に戻した。


「…もういいですか?それなら、始めます。大きく退がってください。近くにいると、本当に危ないですよ」


 青年の発言に、モスクルは黙って首肯する。

 それに合わせて、フィーラーが周囲へと下がるように叫び、冒険者達は包囲網を少しずつ広げてゆく。俺も周囲の流れに合わせて、ゆっくりと歩き始めた。


「何をするつもりかしら?♪」

「さあな…ヤバそうなのは間違いないが…」


 俺に近付いてきたロドリゲスの問いかけに、首を振りながら答える。見当もつかないのだ。あれほどの魔力があるならば、なんだってできそうな気がする。


「くそっ!見えねぇ!おいおっさん!肩借りんぞ!」

「ちょっと!やめてよ!女の臭いなんてつけないで!」


 俺の横では、ガメイラによじ登ったリーブリヒが、手庇の下から青年を睨みつけていた。


(チビは大変だな…)


 そんな事を考えながら、青年に視線を戻せば、青年の脇に黒い闇が現出する。

 それを認めると、俄かに目を細めた。その闇には見覚えがあったからだ。


「亜空間…だよな?…何だってあんなに歪んでるんだ?」


 青年が開いたのは、紛れもなく亜空間だ。高レベルの術者となれば、人間族でも稀に開ける奴はいる。帝国の魔術師連中にも、片手で数えるくらいだがいたはずだ。もっとも、奴らは皆、森精族(エルフ)であり、人間族は一人としていなかったが。

 そして、俺の記憶する亜空間は、歪みも捻れもない、まん丸のものだ。あれは亜空間である—とは思うが、どうにも違うものにも見えた。つまり、判然としなかった。

 しかし、青年は訝しむ事もなく手を突っ込むと、中から光り輝く鉱石を数個取り出した。

 瞬間、俄かに周囲が騒がしくなる。


「おい!ボーナス!」

「ん?ちょっと待て。よく見えねーんだ」


 カメイラの上に陣取るリーブリヒが、俺の頭をバシバシと叩く。それを払い除けつつ、目を凝らした。

 くそ、歳だな—などとぼやきながら目を細めれば、光り輝く赤い石は、鉱石などではなかった。


「なっ!?なんだとっ!?」


 青年の背中に隠れて、赤い輝きが見えなくなる。しかし、先程覗いた限りでは、あれは魔石であった。精霊石ではない。魔石だ。

 我が目を疑い、何度も瞬きしたり、目を細めたりしたが、再び覗いた赤い輝きは、やはり魔石の放つ魔力の色に他ならなかった。


「あ、ありゃ魔石か?…どうなってる?何故消えてなくならない?」


 俺の呟きに答えられる者などいようはずもない。

 不可思議な魔石は、青年によって高々と上空に投げ上げられると、空中でピタリと停止した。それだけには留まらず、魔石はそこから水平に移動し、円を描くように配置されたところで動きを止める。


「念…動力?」

「え?嘘?」


 何処からかそんな呟きが聞こえる。

 成る程、魔石を水平に動かしたのは、確かに念動力であろう。だが、念動力は個人の資質に基づく魔法である。そんな馬鹿な—と、俺は拳を握り込んだ。

 先に青年は氷を放っている。その時に魔法陣は出なかった。魔法陣を隠蔽していた様子もないとなれば、氷も魔術ではなく、魔法ではなかろうか。それはつまり—


(あの青年は魔法を二つ持つ—だと?そんな馬鹿な事があるのか?どうなってる?)


 俺は訳が分からなくなり、頭を乱暴に掻き毟ると、考える事を放棄した。考えるのは後で良いからだ。今は青年が何をするつもりなのか、見届けるのが先だ。


「じゃあ、やります」


 青年はそれだけ言うと、魔力を一気に高めた。

 ゾワリ—と、再び背中に粟立つ感覚が蘇る。青年のどす黒い魔力が、地面からゆっくりと鎌首を擡げはじめたのだ。


「ひ、ひいぃ!?」

「な、なんだありゃ!?」


 至る所から冒険者達の怯えの声が聞こえた事で、俺は逆に冷静になれたと思う。もっとも、冒険者達の叫びには、完全に同意していたが。

 冒険者達が恐れ慄いているのは、青年の魔力に他ならない。まるで蠢く虫のように大地を這い、周囲を黒く侵食してゆくのだ。それはまるで瘴気で作った凝りとでも表すれば良かろうか。あまりの禍々しさに、俺も思わず喉を鳴らした。


「お、おい!上を見ろ!」


 どこからか聞こえた声に、俺は上空を見上げる。

 そこには、先程、青年が打ち上げた魔石が広がっているのだが、その魔石の一つ一つが、魔法陣を展開していた。


「…な、何が起きてるんだ?」

「夢でも見てるの?」


 冒険者達は、口々に悲鳴にも似た感想をこぼす。俺も同感だ。気が付けば、俺は苦笑を浮かべていた。

 もう滅茶苦茶だ。魔石を核とした各魔法陣を頂点にして、八芒星の巨大な魔法陣が中空に浮かび上がったのだ。ついに俺も声を上げる。


「…馬鹿げてるな…」


 自慢じゃないが、魔術はからっきしだ。これが凄いのは間違いない。こんな魔術は、戦いに明け暮れてきた人生の中で、一度たりとも見た事がなかったからだ。

 だがしかし、先にも述べたが、俺は魔術に明るくない。何をしようとしているのかは全く分からなかった。分かるのは、宮廷魔術師をこの場に連れてきたとても、目を見開いて、この光景に魅入る事しかできないだろう—という事くらいか。

 ところが、有難い事に、周囲の魔術師達が解説してくれる。俺はその声に耳をすませる事にした。


「魔石による魔法陣を、大型魔法陣の制御文字代わりにしているのか!?」

「馬鹿な!理論上は可能だが…そうか!あの魔石に既に魔法陣を刻んでいたんだ!」

「これはとんでもない大魔術だぞ!?いや、極大魔術と言っていい!戦争でしか使われないような代物だ!」


 どこからともなく聞こえてきた声に、戦争でも見た事ねぇよ—と、渋い顔を作る。

 アンラはここしばらく、戦争とは無縁であった。歴史的に見ても、数百年単位で争いはなかったはずだ。きっと、先の発言の主は、本当の戦争を見た事がないのだろう。

 物の本なんかでは、格好よく複数人規模の大型魔法陣の挿絵が載っていたりするし、吟遊詩人なんかも、街中ではそんな歌を歌ったりする。英雄譚やら、戦争が齎した悲恋やらを謳うのに、必ずしも真実である必要もないのだろう。

 ならば、本当の戦争ではどうだろうか。実のところ、悠長に詠唱している暇などない。高々とラッパが吹き鳴らされた瞬間、怒号のような雄叫びと共に、津波の如く敵兵が押し寄せてくる。

 それを必死になって食い止めねばならない。接近戦の心得がない魔術師達の配置は、当然の事ながら後方だ。それでも、前衛である騎士達が抜かれれば、なす術なく首を飛ばされるか、穴だらけになるしかない。

 戦況は目まぐるしく移り変わり、指揮官の指示など、自身が目にしている状況から、はるかに遅れてやってくる。右と左でも状況は違い、下手をすれば、開始早々に飛んできた、伏兵の一撃で眉間を穿たれる。

 そんな中、どうして悠長に詠唱などできるだろうか。皆が精神的な余裕を失い、詠唱などすぐにできなくなる。簡単な防御魔術と、無詠唱で放てる基本的な攻撃魔術、或いは魔法しか使わない—否、使えないのだ。

 大型魔術の出番など、せいぜいあっても、両者がぶつかり合う前くらいだ。ほとんど敵方に被害を出せずに終わるだろう。

 軍事国家である帝国において、魔術師の地位がやたらと低いのは、これが故である。


(まあ、戦争を経験しているからと言って、それが偉いかと聞かれれば…偉くも凄くもないんだけどな)


 嫌な事を思い出して、僅かに白けるも、それは置いておく事にした。

 ガリガリと頭を乱暴にかいた後は、空に浮かぶ魔法陣へと視線を戻す。これを見てしまうと、考え直さざるを得ない。


(こんなものを前にして、敵兵に突っ込んで行けるか?…俺は…無理だな)


 もし、開戦のラッパが鳴らされたと同時に、天にこんなものが現れたとしたら、どうなるだろう。きっと、帝国軍は凍り付く。精強云々など、もはや関係ない。どこの世界に、目に見える針に突き刺さろうとする阿呆がいるだろうか。


(こんなもんが、個人で行使できているのが問題だよな…)


 黙って天を見つめていれば、ついに変化は訪れる。周囲の冒険者達は逃げ出し、そこには俺を含めて僅かな人間しか残らなかった。それは、何かあっても自身でどうにかできる者と、恐怖で動けなくなった者、そして魔術が齎した結果に見入ってしまった者である。

 俺は、その全ての条件を満たしていた。


—ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ—


「そうきたか…」


 額から流れ落ちる玉粒の汗を拭う事も忘れて、その光景を眺めていた。やはり、何の冗談か?—と問い質したくなるほど、馬鹿げた魔術であった。


「あ、蟻の巣の内部か?」

「…あんなに沢山の蟻がいたのか…」


 驚くべき事に、青年は迷宮を丸ごと空中に持ち上げたのだ。

 大地はめくれ上がり、地平線の向こう側まで続く広大な蟻の巣の全容が明らかになる。蟻の巣の全てに青年の魔力を流し込み、それを凝固させて持ち上げた—らしい。どこかの魔術師がそう叫んでいた。

 青年の魔力の檻に閉じ込められた蟻達が、必死に逃げ出そうとして、魔力の壁を頻りに噛んでいるものの、既に手遅れであるようだ。

 持ち上げられた迷宮の中で、一番地面に近い場所には大きな広間があり、そこには、目を疑うほどに巨大な蟻がいる。その腹部には、迷宮核と思わしき赤い魔石が、表皮を破って顔を覗かせていた。


「…迷宮主…」

「ああなったらもう…形無しだな…」


 俺の呟きをリーブリヒが拾った。それに俺も軽く頷いて返す。

 青年に恐怖し、己が巣の中へと慌てて逃げ込んだ蟻達。しかし、蟻の巣は安全地帯などではなかった。青年が姿を見せたその時から、そこは既に死地へと成り果てていたのだ。


「ほう、見事なものだなぁ。これは壊すのが勿体ないなぁ」


 大きく陥没した大地の上で、青年がそんな呟きをこぼす。不思議とその声はよく聞こえた。

 そんな青年へと向けて、近付く小さなローブ姿がある。思わずギョッとしたが、身内であるらしい。


「何を言うか戯け。こんなものさっさと潰してしまわんか」


 ローブ姿の者は、声から察するに少女であるらしい。ふわりと風が大地を撫でて、ローブをはためかせれば、魔人族の特徴である角が見えた。

 青年は背後を振り返り、ローブの少女を認めると、渋い顔で頷く。二人の力関係は少女の方が上であるようだが、その事実が俺を戦慄させる。一体、彼女の力は如何程であろうか?—と。


「はぁ…じゃあ、さようならっと」


 青年が更に巨大な魔力を噴き上げさせる。

 まだ全力ではなかった事にも驚いたが、巨大な蟻の巣が瞬く間に圧壊され、拳サイズにまで縮小する様は、更に目を見開いた。


「…あ、ありえねぇ」

「夢でも見てんのか?」

「どうなってんだ…」


 冒険者達が口々に声を上げた。

 そのどれもが俺の内心を代弁しているかのような気がして、都度心の中で頷いておいた。

 さて、空中の巨大魔法陣が消え失せると、魔石の輝きも消える。まるで魔力を失った精霊石を思わせる八つの魔石は、青年の手のひらへと戻り、亜空間へ音もなく消えていった。

 最後に空中に残っていた塊—蟻塚の迷宮と呼ばれていたもの—は、青年の手の上で黒い炎に焼き尽くされると、灰も残らずに消え去る。この数日、俺達を地獄の底に突き落とした異常事態は、実に呆気ない最期を迎えたのだ。


「モスクルさん、片付きました。先に戻ってます。モスクルさんがアンラへ着いたであろう頃を見計らって、またギルドへ伺いますので」


 それだけ告げると、青年と少女は歩いてその場から立ち去ってゆく。

 再び冒険者達は道を開け、青年と少女に畏怖の込もった視線を向けた。


「いやいや待て待て!何だ今のは!?」


 ところが、モスクルが慌てて青年の肩を掴めば、冒険者達が悲鳴に近い声を上げた。俺も心臓が止まりそうになった。随分と命知らずな真似をするな—と、額にびっしり張り付いた球粒の汗を拭う。


「…ええっと…」


 だが、恐れていた事態にはならなかった。それどころか、青年はどう説明したものか—と困っているようらしく、苦笑いを浮かべてモスクルを見つめている。


(…意外に話は通じる奴なのか?)


 少女は青年を一瞥こそしたものの、立ち止まらずにそのまま歩いていってしまうが、モスクルはその背中に目礼を送ると、改めて青年の肩を掴んだ。


「今のは何だ!?説明してくれ!あれは魔石だよな?何故空気中で霧散しないんだ!?あの魔法陣は何だ!?今、一体何をした!?」


 モスクルの問い掛けは、全ての冒険者の代弁である。俺も気になる。今のは一体、何であったのか。


(奇跡なんかじゃない。確立された技術だ。あれは…人の営みが大きく変わるぞ)


 もし、もしもだ。人工的に魔石が作り出せるようになっているとするならば、これまでは出土する精霊石頼みだった魔道具類は、質は大きく改善され、量産する事も可能となる。あれだけの魔法陣を展開し得る魔石だ。大型の精霊石相当の力を持っているであろう事は、疑う余地がない。そうなれば、庶民が寒さに震える事もなくなる事だろう。冒険者などに持たせれば、町から町への往来も、従来よりもきっと安全になる。


(けれど…)


 そこまで考えた時、皇帝の顔が脳裏を過った。分不相応な野心に身を焦がす彼は、あの魔石を見て、何と言うだろうか。


(…やめやめ。考える事じゃねぇな)


 頭を振って、彼のいやらしい笑みを思考の外へ追い出し、青年へ視線を戻せば、青年はモスクルへと、耳打ちしているところだった。


(んだよ。秘密主義かよ)


 落胆してガリガリと頭をかく。ケチケチすんなよな—と、内心で毒づいたりもした。

 青年の話は終わりであるらしく、モスクルから離れると、その肩をポンと叩く。モスクルが何とも言えない顔を青年へと向けるが、彼はそれをスルーした。そのままブルーツに一礼し、今度こそ歩き去ってゆく。

 後には静まり返った冒険者達に、頸を摩るモスクル。そして青年の後ろ姿を見送るブルーツが残された。


(モスクル…あいつ何を言われた?)


 俺はモスクルに直接聞き出そうとして近寄ろうとするも、そのモスクルから目で制される。


(ちっ、くそ!焦れったいな…)


 渋い顔を作り、歩みを止める。

 どうしたものか—と、他の冒険者同様に青年の後ろ姿を見ていると、モスクルが声を張り上げた。


「聞いてくれ!ここまで命を賭けて戦ってくれた諸君には、感謝の言葉しかない。まずは礼を言わせてくれ!そして、今回の働きに関しては、支度金や報酬の他に、国から報奨金も用意してある。ここにいる全員にだ」


 モスクルがそこで言葉を切ると、うおお!—と、それまでの静寂が嘘のように盛り上がる冒険者達。

 武器がダメになった者も、防具を新調しなくてはならなくなった者もいるだろう。

 かくいう俺自身、武器はもうダメだ。小手も買い換えなくてはならないだろうし、鎧も蟻酸でボロボロだ。鍛冶屋に見せてみなくては何とも言えないが、全身、揃え直しになりそうだ。それを思えば、報奨金は素直に嬉しい。武器防具は、決して安いものではない。俺の装備に至っては、俺の屋敷とほぼ同じ価格だ。全額は無理だとは思うが、持ち出しが少しでも減るならば助かる。


「アンラ、アメランドに戻ったら、窓口で受け取ってほしい。…まあ、実のところ、一度で払える額ではないため、数回に分割して支払われる事になる。そこは申し訳なく思うが、了承してくれ。その説明や今後の受け取りについても、各ギルドの窓口で行われるから、ちゃんと聞いておくように」


 モスクルの説明は終わりであるらしく、周囲の冒険者達が再び騒めきだした。


「…はは、生き残ってよかったぜ…」

「ああ。よく助かったもんだ…もうどうやって生き延びてきたのか、思い出せねぇもん」


 俺もそうだよ—と、内心で同意しながら、青年の後ろ姿を探す。すぐに見つかった。俺同様に、何人かの冒険者達が、視線を向けていたからだ。


(仲間か?)


 青年が少女と合流する。そこには他にも三名の男女がおり、全員が化け物である事は一目で分かった。偉丈夫な紳士、眼帯の女性、山精族(ドワーフ)の少女—もしくは女性—の三名だ。

 皆が青年の肩を叩き、青年は苦笑しつつそれに応じている。何を話しているのかは杳として知れないが、悪い雰囲気でもなさそうである。

 やがて、話は一段落したのか、先程のローブの少女と青年が、共に右手を突き出して亜空間を生み出す。少女の亜空間に青年が亜空間を重ねると、そこにリビングのような光景が現れた。


(なっ、なんだとっ!?)


 これには目を見開いた。


「そして、本件に関して、言っておかねばならない事がある」


 再びモスクルの声が空気を揺らせば、全員がモスクルへ視線を向けた。俺も釣られてモスクルへ顔を向ける。

 モスクルは、皆の注意が己に向いたのを認めると、徐に続けた。


「今し方この場で行われた一切について、箝口令を敷く事になる。納得はいかないと思うが、理解してほしい」


 しいん—と、辺りが静まり返る。誰もが一言も発さず、ただ互いの顔を見回すばかりだ。

 箝口令だと?—と、俺も呆けていた。あれほど凄まじい大魔術を披露しておいて、箝口令なんざ意味を成すとでも思っているのだろうか。人の口に戸は立てられぬ—という言葉もある。あんなん、恰好の肴だ。きっと、誰かが町に到達してから、三日も経てば、すっかり噂になっている事だろう。


(…しまった!)


 我に返り、慌てて視線を青年達へと戻した時、青年達は影も形もなく消えていた。


(…くそ…見逃した…夢じゃねぇ事は疑いようがないが…あいつらは一体…先のは何だったんだ…)


 ちくしょう、やってくれたぜモスクル—と、渋い顔をモスクルへ向ける。ところが、そこで俺は違和感を覚えた。どうにも、モスクルの顔が青い気がしたのだ。理由はすぐに分かった。


「諸君らの不満は分かるが、これは先程の青年から課された絶対条件だ。最後に耳打ちされたところを見た者もいると思う。何と言われたか伝えよう」


 そこでモスクルは話を止めると、全員が静まり返る。俺も腕組みし、モスクルの言葉—青年が耳打ちした言葉—を待った。


「アンラ国内外を問わず、本件に関する話の中で、俺に関する情報を見聞きした場合、アンラを地図から消す事になる—だ」


 今度は別の意味で静まり返る。

 俺はと言えば、緊張による心臓の高鳴りを、抑えつける事ができずにいた。


(おいおい、待て待て…それって本当に、地図から消えるのはアンラだけか?例えば、帝国で見聞きしたとした場合…帝国も地図から消されるんじゃないか?)


 そう考えたのは、俺だけではないだろう。周囲の冒険者達を見れば、帝国内で見た事ある顔もチラホラいる。この場にやってきているのは、全部が全部、アンラの冒険者という訳ではない。義により馳せ参じた者達もいれば、金の匂いに釣られてきた者もいる事だろう。そして、そういった者達が考え至るところは、俺と全く同じだと思われた。

 顎に手を当てて考え込む。実に困った事になった—と。先の光景をふと思い出す。青年と少女が亜空間を重ねたあの時、亜空間の奥にはどこかのリビングが見えていた。そして、次に見た時、一行の姿は消えていたのだ。そこから導き出される答えは、彼らは、遠く離れた地へと、一瞬で移動できるのではないか?—というものだ。


(助っ人を頼んだ—という早馬が来たのは、ついこの間だ。考えるまでもない…早過ぎる。あいつら、どうやってここまで来た?)


 隣の町へ移動するだけでも、数日かかるこの国で、彼らは一体どこにいて、どのようなルートを辿ってきたというのか。

 王都アンラにいたはずの、モスクル、そしてブルーツを引き連れて来た事を思えば、アンラから来たのだろう。だが、彼らがアンラにいたとすれば、最初から彼らが派遣されてきたはずなのだ。こんな大事にはなっていなかったはずだ。つまり、彼らは最初、アンラにいた訳ではない。


(…先の、唐突に現れたリビング…あの亜空間を重ねる技術。あれで、どこにでも瞬時に移動できるとすれば…いや、それしか考えられない…)


 そこに思い至ると、ゾッとした。これほどの迷宮を片手間で処理できるような化け物が、瞬時にどこにでも行けるのだ。もしかしたら、今この時にも帝国内を歩いているかもしれない。


「幸い話の通じる相手だ。我らが口を噤んでさえいれば、アンラは今後も安泰だ」


 更に続いたモスクルの言葉に、冒険者達が喉を鳴らす。

 俺も苦い顔を隠せなかった。相手が悪いところじゃない。魔王認定しても足りないような相手だ。


(あんな化け物…どこから連れて来やがったんだ)


 俺の横では、リーブリヒ達も顔を青ざめさせていた。彼女達にも理解できたのだろう。あの青年の理不尽なまでの力が。絶対に敵対してはならない事を。


「更に彼はこうも言っていた」


 モスクルの発言—青年の言葉—は、まだ終わらないらしい。周囲が騒めく。けれど、それも一瞬の事だった。すぐに静まり返り、一言も聴き逃すまい—と、皆が耳を凝らす。


「…まだ、まだあんのかよ…勘弁してくれ」


 どこからか聞こえた泣き言に、俺も腕組みしたままで苦笑する。同感だ—なんて、心の中で答えたが、モスクルの次の言葉は、そんな空気を払拭した。


「あの魔石に関する技術を、アンラにはギルド経由で卸してくれるそうだ。それに、この場にいる皆には優先的に卸してくれる事も約束してくれた。これは、所属する国を問わずだ。ただし、その存在を知らぬ者の前では使われたら困るが…それについての説明も、報奨金を渡す場である。それをもって箝口令の詫びとしたい—だそうだ」


 これに、周囲の冒険者達が俄かに騒めきだす。

 俺も驚きを隠せなかった。あの魔石は色々と用途がある事は疑う余地もない。あれは間違いなく、金のなる木だ。それを惜しみなく提供するとは、どうした事なのか。


(あの青年の正体が知りたい…)


 何とかならないものか—と、モスクルを見れば、モスクルはブルーツへと視線を送っていた。釣られて俺もブルーツに視線を向ける。

 ブルーツは頷いてみせ、一旦モスクルの元まで移動すると、冒険者達へと向けて口を開いた。


「皆さんこんにちは。アンラ神聖国は国王ベロートの妻でブルーツよ。この場には十天の一人として来ていたのだけど、何もする事なかったし、今は王妃として発言させてもらうわね」


 その割には随分砕けた話し方だな—と、俺はジト目を向ける。

 そんな俺の視線に気が付いたのか、ブルーツはこちらへウィンクしてみせた。自重しろよ人妻。


「本件は、冗談抜きで国の存亡に関わる重要事項よ。故に、王妃として正式に箝口令を発令するわ。もちろん、正式なものだから破れば罰則があるわよ。もっとも、罰を本人が受ける前に、みんな死ぬんだろうけど。…本気で気を付けて。お酒にはくれぐれも注意して頂戴。じゃあ、解散!」


 言ってる事の重さに比べて、口調は軽い。軽過ぎる。おかげで誰もが戸惑っている。

 それ故という訳でもなかろうが、モスクルが慌てて付け加えた。


「アンラとアメランドから、馬車をあるだけ出すように手配している。後半日もしないうちに、この場に護衛込みで到着する手筈になっている。自力での移動が難しい者達は、それを待ってもいい。各自の判断に任せる」


 モスクルの言葉を最後に、その場に腰を下ろす者、王都へ向けて移動する者、アメランドへ向けて移動する者—と、それぞれが動き始めた。

 リーブリヒ達ノアの鐘は、このまま王都へと向かうらしく、既に五人集まって言葉を交わしていた。タフである。


「ボーナス、帰る前には王都には寄るんだろ?一杯やろうぜ?」

「ああ。楽しみにしてるよ」


 俺はノアの鐘に別れを告げると、モスクル達の元へと向かう。そこにはモスクル、ブルーツ、フィーラーの三名に加えて、何故かロロナがいた。驚いた。


「…お前…ロロナ…だよな?何してんだこんなとこで?」

「…あんた…ボーナスかい?ははっ、老けたね。随分と生え際が後退したじゃないか」


 うっせ—と毒づいた後には、久しぶりに会う、かつての同志と握手を交わす。


「お前は変わんねえな。魔女かよ?」

「ちょっと、やめておくれよ。若作りなだけだよ!」


 俺達のやり取りに苦笑していたモスクルだったが、咳払い一つした後には、フィーラーに向き直ると、その苦労を労ってから尋ねた。


「フィーラー、他のパーティメンバーは良いのか?」

「大丈夫ですよ。王都に向かうと思います」


 モスクルはフィーラーに頷いてみせると、俺達を馬車に乗るように勧めてきた。

 俺達がブルーツの後に馬車に乗ると、馬車はゆっくりと動き出す。

 ガタゴトと揺れる車内から、こちらに向けて手を振る冒険者達へ、笑顔を返しておく。


「有難う!ボーナスさん!」

「あんたのおかげで生き残れたよ!」

「王妃陛下万歳!」


 二対一くらいの割合で混じるブルーツへの賛美には、ブルーツ自身が優雅に手を振って返す。相変わらず、凄い人気だ。

 やがて、冒険者達の姿も疎らになれば、サービスタイムも終了である。最初に口を開いたのはモスクルだった。


「ロロナ、あれは何だ?何者なんだ?」


 どうやらあの一団は、ロロナが手配したらしい。俺のみならず、フィーラーの目も細められる。

 語れる事は多くないよ—と前置きした後、ロロナは苦い顔で口を開いた。


「実のところ、私も深くは知らないんだよ。ある日ふらっとギルドに現れたんだ。冒険者になりたい—ってね。聖剣の迷宮を抜けて、ナイセイル大陸から来たらしい」


 ロロナの発言に、俺とフィーラーは目を見開いた。ナイセイル大陸など、書物の中でしか語られる事のない大陸である。御伽噺の世界だ。到底実在するなどとは思っていなかった。しかもそれが—


「聖剣の迷宮を抜けてきただと?」


 思わず声に出して呟いていた。フィーラーも同意見であるようで、ロロナへ向けて尋ねる。


「疾風と呼ばれたロロナさんにケチをつける訳ではありませんが、確かなのですか?」


 俺もロロナへ視線を向けたが、ロロナは嘆息してから首を振った。


「確かめる術なんてないよ。けれど、この大陸では手に入らない品々を奴らは持っているのは確かだよ。信憑性は高い。私は本当だと思っている」

「メープルシロップね?」


 ブルーツがロロナの発言に乗っかる。メープルシロップ?—と俺とフィーラーは首を傾げたが、モスクルが笑いながら甘味である事を教えてくれた。

 女性は甘いものが好きだな—と苦笑しつつ、フィーラーと共に首肯してみせれば、ロロナは再び口を開く。


「その他にも色々あるぞ。ちょっと前になるが、メットーラから帝国のオークションに出品された短剣を知ってるか?」


 帝国のオークションと聞いて、俺は記憶を呼び起こす。そういえば、やたらと値の張る短剣云々—という話だけは聞いた事がある気がする。

 モスクルは首を振るが、これはブルーツが知っていた。


「美しい細工の施された短剣よね?知ってるわよ。競りの前から馬鹿みたいな値段がついていたもの。魔力を完全に反射するっていう、恐ろしい代物よ」


 どうやらブルーツは帝国のオークションに出ていたらしい。その付加効果にモスクルをはじめ、俺やフィーラーも驚きの声を上げた。

 その波が落ち着くのを待ってから、ロロナは告げる。


「あれね、あいつらの持ち込み品よ。この大陸の硬貨を持たないという足元を見た上で、ギリギリまで買い叩いて手に入れたの。結局は上の判断で手放す事になったけど…」

「な、何だと?」

「あら、勿体ない…」

「マジかよ…」

「…う〜む」


 ロロナの言葉に、俺達四人は同時に感想をこぼす。だが、まだまだロロナのターンは終わらない。


「ちなみにあれは、高位死霊騎士(デュラハン・ロード)の武器だってよ。鎧も新品同様の美品があったわ。…腐る程ね」


 今度は呆気にとられ、言葉すら出ない。高位死霊騎士(デュラハン・ロード)の鎧など、ボロボロでも国宝だ。それがだ。新品同様の物が腐る程あったらしい。

 俺達は全員が眉間を揉む。

 ロロナはまるで、己の手柄のように誇らしい顔を見せていた。

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