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ファーレンは見た

 アンラの面々と別れた後、唐突に、何かの材料買い出し担当に任命された。へ?—と呆気に取られる僕の手に、買い物メモと金貨十枚を握らせ、オサカはさっさとギルドを出ていってしまう。


「んじゃ、後はお願いします」

「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!オサカ師匠!?」


 オサカの背中にしがみつくべく手を伸ばせば、僕の手のひらから金貨が滑り落ちる。慌ててそれらを拾い上げている間に、オサカの背中は見えなくなった。


「…ええ…こ、こんな大金…落としたらどうするんですか…」

「…普通は落とさんものじゃ」


 あわあわと、手に持つ金貨を見つめながら呟けば、クローディアがジト目を向けてくる。


「大師匠にとっては落とさないのが普通かもしれませんが、僕は落とすのが普通なんですよ」


 そう口答えするも、クローディアは笑いながらギルドを後にする。その後ろには、アビスとクルスが付いていった。どうやら、誰も僕の手伝いをしてくれる気はないらしい。酷い。


「…あいつらは、前からそんなだよ。分かっててネームレスに入ったんだろう?」


 ついにはロロナにまでそんな事を言われれば、僕も諦めざるを得ない。


「うう…行きますよ…行けばいいんでしょう?行けば!」


 半ばやけくそである。ロロナとカッポーギらに見送られながらギルドを出た。


(ところで、何を買えばいいのでしょうか?)


 チラリとメモに視線を落とせば、オサカは精霊石や魔力水をお求めであるらしい。何をするつもりかは知らないが、魔道具屋に行くだけで事足りるだろう。


(けど…これを金貨十枚分?)


 割合は三対七で買えと指示されている。精霊石が三。魔力水が七だ。考えるまでもなく、かなりの重量になる。どうやら、オサカは僕がいたいけな少女?である事を失念しているらしい。


(…ううっ、悲しいです…)


 そのまま商業区を目指して繁華街を歩く。歩き慣れた道なのだが、与えられた金貨の枚数に肝を冷やし、妙な緊張感に身を硬くした。どうしても、ちょくちょく腰袋の中身を確認してしまう。


「一枚、二枚、三昧、四枚…八枚、九枚…い、一枚足りない〜!?…あ、ありました」


 ふぅ—と溜め息と共に心労を吐き出しながら、屋台通りを通過すれば、僕の姿を認めた屋台の親父達や、人の良さそうな婦人が、口々に声をかけてくる。


「よう文無し!金持ちを落としたんだって?」


 ガハハ—と大口を開けて、スープ鍋を掻き回すのは、スープ屋台の店主であるガナットだ。

 そんなガナットの言に、耳驚いて目を見開くのは、串焼き屋台の店主であるベージである。


「おいおい!そんなもの好きいるのかよ?」


 隣り合う二人の屋台は、珍しい事に客足が少ないようで、僕を弄る余裕があるらしい。楽しげに言葉を交わしては、大笑いしていた。

 けれど、僕は嫌な顔一つしない。揶揄う言葉とは裏腹に、声音には随分と喜色が現れているからだ。何を隠そう二人の親父は、うだつが上がらない僕に、しょっちゅう残り物を恵んでくれた恩人である。


「良かったわねファーレンちゃん。あたしは我が身のように嬉しいよ」


 通りの反対側から声を上げたのは、とある商会の女中であるイリー。この人もまた、僕の恩人だ。商会の大旦那に許可を取り付けては、肌着や小物を譲ってくれていた。それだけに留まらず、倉庫整理や害虫駆除などの人を問わない仕事は、いつも僕を指名してくれていたりもする。もっとも、そんな仕事は指名しなくとも、僕しかやらないような気がしなくもなかったが。

 さて、そんな三人は和かに僕の返事を待っているようだが、どう考えても誤解が生じている。苦い心持ちを味わいつつも、否定した。


「ち、違いますよ!パーティですパーティ!僕もついに一人前の冒険者と認められて、パーティに所属しているのです!もはや貧乏とは呼ばせません!文無しとは言わせませんよ!」


 否定ついでに片手を上げて高らかに告げれば、そこかしこから、おおっ—と、拍手が巻き起こる。

 自分で言うのも憚られるが、僕は頑張り屋である。その頑張りはメットーラ内において知らぬ者はおらず、実は今日まで生き延びてこられたのも、僕を不憫に思った住人達による、施しがあった事が大きい。

 そんな僕だからこそ、身なりが唐突に良いものへと変わり、肌に艶が戻れば、金持ちに輿入れしたと思われるのも、無理なからぬ事なのだろう。

 最近では程よく肉もつき、男好きしそうな色気まで出てきたと自負している。そうなれば尚更だ。


「ふふふ。皆さんにいただいた恩は忘れません。今はまだ置いていかれないようにするので精一杯ですが、余裕ができたら必ずお礼に伺います!」


 —と、今度は敬礼して見せれば、またもや拍手が巻き起こった。


「でも、ファーレンちゃんも17歳でしょ?森精族(エルフ)だとどうなのか知らないけれど、人間族だともういい歳よ?結婚とかどうなんだい?誰か好い人いないのかい?」


 心配そうに眉を寄せるイリーの一言に、野菜やら果物やらを持たせられる僕の動きが止まる。故郷である森精族(エルフ)の里の習わしを思い出したのだ。

 森精族(エルフ)の里の森精族(エルフ)達は、変わり者か、或いは変人くらいしか里を出ない。その理由の一つに、5歳の時には配偶者を決められる—というものがある。

 成人した段階において、既に相手が決まっているのだ。人間達は一人一人顔付きが違うが、僕らはそう個体差はない。故に、見た目で弾く事はまずなく、よほど相手の性格に難でもない限り、森精族(エルフ)達はそれを拒まない。

 余談だが、成人の儀式は15の時に執り行い、その2年後、17歳を迎えた日に婚姻の儀を行うのだ。ちなみに、片方が17に満たない場合、遅い方に婚姻の儀は合わせられるのだが、長命種である森精族(エルフ)は子を成しにくい。大抵は既に大人である相手に対して、成人したばかりの若者が宛がわれる事になる。


(好い人…ですか…)


 ところが、僕には相手がいなかった。僕の代では空前絶後のベビーブームであったにもかかわらず、誰もが僕を避けた。森精族(エルフ)らしからぬ容姿に、魔力の使えない身体。それを思えば、無理もないだろう。

 当時を思い出すと、少しだけ悲しくなる。でも、それは一瞬。次いで脳裏に浮かんだのは自称30代の青年の姿。恐ろしく強く、魔術にも体術にも精通した青年。料理の腕はかなりのもので、普段は優しく楽観的に見えるが、その裏にあるのは計略—と言っては聞こえが悪いが、考えを巡らせ尽くした故の余裕である。怒るとめっちゃ怖いというおまけ付きだ。


「…あら?好い人…いるみたいね?」


 耳朶を揺らした声にハッとして顔を上げた。

 見れば、イリーだけではなく、ガナットにベージまでもが、ニヤニヤと意地悪い顔をこちらへ向けている。

 僕は慌てて首を振った。


「いやいやいや!違いますって!そんなんじゃないですよ〜!」

「耳まで真っ赤にして何言ってんだ。良いじゃねえか。若いんだからガンガン行け!」

「そうだそうだ!」


 周囲の親父達までが僕を揶揄い出すと、いよいよいたたまれなくなり、礼を告げた後、急いでその場から離れた。


(う〜、オサカ師匠は無理ですよ〜)


 耳がピコピコと上下するのを自覚しながら自問する。あの堅物をどうにかできるか?—と。答えは考えるまでもなく否である。

 先ず、オサカと距離を詰めれる気がしない。今日まで何度か二人きりになる機会もあったが、押せば引くし、引いても押してこない。つまり、永遠に距離が縮まらないのだ。更にはパーソナルスペースが広いらしく、何も考えずに近付くと、それだけで眉を寄せられたりする。僕よりもオサカと付き合いの長いクローディアやクルスは、よく分かっているのだろう。基本的にオサカにはそこまで近寄らない。


(どんな話題が好まれるのかも分からないですし…)


 その上、よほど向こうの機嫌が良くない限り、会話のキャッチボールが成立しない。僕の話が長いという自覚はあるが、それを抜きにしても、彼の受け答えは簡潔なもので、業務連絡以外ではそうそう口も開かない。雑談に興じる姿すら、アビス以外では滅多に見かけた事はない程だ。

 手に入れられれば優良かもしれないが、取りつく島のない断崖絶壁の超高難度物件である。


(それに、オサカ師匠はもう…)


 この間、オサカは婚約者であったカナ—という名の女性であろうと思われる—との思い出や、己を襲った事故の事を語った。全て語り終えた後、彼は憑き物が落ちたかのように、清々した顔で言ったのだ。


“思ったより辛いな。もう、恋愛はいいや”


 その言葉に、結構なショックを受けた。あの瞬間は取り繕う事もできず、顔から表情が抜け落ちたと思う。

 力を持つ男性の多くは、複数の女性を娶る。それが当然だと思っていた僕は、クローディア、クルスらと共に、オサカの妻の一人として歩んでゆくものだと、何を疑う事もなく考えていた。それでいい—いや、それがいいと思っていた。オサカの都合など、まともに考えた事もなかった。

 きっと、二人も同じ事を考えていたに違いない。クローディアやクルスもまた、顔にこそ出さなかったが、僕同様に気落ちした空気を出していた。


「うわっと!?」


 考え事をしていたせいか、石畳の出っ張りに足を取られた。その拍子に果実を一つ落としてしまい、慌ててそれを拾おうとするも、焦りから今度は蹴り飛ばしてしまう。


「ちょ、ちょっと待ってください!?」


 果実は通りの先の坂道へ出ると、勢いに乗って転がり始める。

 慌ててその後を追った。坂道を転がった先に広がるのは大通りである。馬車も多く行き来しており、今も数台の馬車が家屋の陰で見え隠れしていた。あそこまで転がってゆけば、きっと踏み潰されてしまうだろう。


「果実の一つといえども、無駄にはしませんっ!」


 全身全霊の本気ダッシュである。僕は貧乏故に、食う物にすら困っていた。恥ずかしい話だけれど、食べ物に対する執着は一入であるのだ。いや、そうでなくとも、人からの善意を無駄にはしたくない。


「ふん!はっ!とおっ!」


 壁を駆け上がり人を躱し、家屋の壁面を足掛かりにして果実を追う。頭上を通過する影に、何人かが壁を蹴り移動する僕を見上げて声を上げた。


「追いつきましたよ!」


 大通りの前へと着地し、転がりくる果実を受け止める。ちょうど拾い上げたタイミングで背後を馬車が通り過ぎ、ヒヤリとさせられた。


「ふぅ…どうなる事かと思いました」


 両手に抱えた野菜やら果実を落とさないよう、ゆっくりと立ち上がる。魔道具屋へ行くのに、この荷物をどうしたものか?—と苦笑しつつ、ふと視線を上げた。


(…あれ?)


 坂の上の通りを、一人の青年が横切ってゆく。僕が先程歩いていた通りの更に奥だ。青年の横顔は、見覚えのあるものであった。僕に買い付けを頼んだ青年であり、僕らのパーティのリーダーでもあるその人は—


「…オサカ…師匠?」


 オサカはすぐに家屋の陰に消えた。未だかつて見た事もない程に、難しい顔で考え込んでいたようだが、その口元は怪しく歪んでいたように思う。何より僕の耳が、彼の微かな呟きを捉えていた。


「くくく、世界が変わるぞ…」


 日頃の彼とは一線を画す程に禍々しい声音が、僕の背中を粟立たせる。思わず立ち上がると、周囲の視線も気にせず、家屋の陰に身を潜めた。


(今の…今の発言は…一体!?)


 僕の胸が高鳴り出し、呼吸が浅くなる。

 優しかったオサカ。僕を救ってくれたオサカ。いつも素気無いオサカ。そのどれとも違う邪悪な表情、邪悪な声。


(師匠…そういえば、今までも時折消えていた。散歩でもしているのかと思ってたけれど…)


 僕はいてもたってもいられなくなり、ゆっくりとオサカの後をつけるべく、坂道を上った。

 オサカの背中はすぐに捉えられた。オサカは裏路地へ入ると、考え込むかのように腕を組んだままで歩いてゆく。

 その背中が角を曲がり見えなくなってから、僕は素早く屋根へと駆け上がる。オサカの警戒網に引っかからないよう、遠目から後を追った。

 オサカとは聖剣の迷宮で何度も一緒に戦った。故に知り尽くしている。オサカの索敵範囲も、オサカの癖も。


(オサカ師匠は、曲がり角を曲がる時には、背後を振り返る)


 曲がり角に差し掛かる時には、家屋の陰に身を潜め—


(オサカ師匠は、長い直線では定期的に足を止めて、周囲の気配を窺う)


 こちらに関しては町中ではやらないと思うが、念のため直線が長く続く路地では、必要以上に距離を取り、屋根に身を隠した。

 そんな事をしばらく繰り返した後、オサカが辿り着いたのは、閉鎖された工場跡地であった。


(廃工場…稼働してる?)


 オサカが入っていったのは、かつてポーションなどの霊薬を大量生産していた工場の跡地である。ポーション類の大量生産という着眼点は良かったと思うが、いかんせん錬金術師の数が少な過ぎたそうだ。人力で大量生産をすれば、それだけで品質は落ちる。次第に工場産のポーションは売れなくなり、廃業を余儀なくされたらしい。僕がこの町に来る数年前の話だとか。


(…どうしましょう)


 クローディアやクルス、アビスを呼ぶべきか?それとも、このまま後を追うべきか?—と逡巡するも、ゴォンと高らかに鳴る鐘の音に背中を押された気がして、後を追う事に決めた。

 家屋の屋根から飛び降りれば、そこは糞尿の臭いがなかなかにキツい裏路地である。鼻をつまみながらオサカの入っていった工場へと向かい、立入禁止と書かれた立札の傍を通過した。


(あ、これはどうしましょう)


 露店の皆からいただいた、野菜や果物を抱え込んでいた事を思い出す。キョロキョロと周囲の様子を窺えば、オサカの入っていった母屋とは別に、小さな建屋がいくつか並んでいた。おそらくは、材料の保管にでも使用していた倉庫だろう。


(うん。あそこなら、母屋からは見えないですね)


 目立たない建屋の陰に、そっと頂き物を置いてから、素早く母屋の窓の一つへ張り付く。


(…やっぱり、稼働してます…)


 窓は随分と低い位置にあった。窓から身を乗り出して室内の様子を窺えば、部屋は一段低く作られている。何だこの作りは?—と訝しむも、すぐに思い至った。


(あ、なるほど。薬品を扱っていたから、実験なんかに失敗しても、外部に漏れないようにしている訳ですね)


 なかなかに考えられているな—と感心すると共に、即座に理解した己の頭脳を誇らしく感じた。

 さて、窓から内部を窺えば、そこは大部屋であった。部分的にだが、稼働している魔道具と思わしき大型の機材が見える。かなり大掛かりな装置で、どこから精霊石など調達したものか?—と首を傾げたが、魔道具のいたる箇所に魔法陣が描かれているのを認めた。どうやら、この装置はオサカが魔力を通わせる事により動くらしい。彼は本当に力技が好きだと思う。


(…一体、なんの装置でしょうか?)


 魔道具の中心には、透明な筒型の容器が設置されていた。内部を何かしらの溶液で満たされており、容器の下部からは、管がどこかへ伸びている。


(あっ!動いた)


 床に刻まれた溝から赤い輝きが迸り、管に描かれた魔法陣が次々に命を吹き込まれてゆけば、ゴトゴトと魔道具は音を立てて揺れ始める。カチャンと留め具と思わしき金具が飛んだが、気にしてはいけない。


(…いた)


 オサカが室内へと入ってきた。溶液で満たされた魔道具の前まで進み出ると、腕を組み溶液の中を見つめながら、頻りに何かを呟いている。

 僕は耳を澄ますと、意識を集中すべく目を閉じた。


「…これで、魔力を注ぎ込めば完成する…くくく、ふはははは」


 オサカの笑い声は次第に声量を増し、もはや耳を澄ます必要もない。ゆっくりと目を開け、僅かに震える手を握り込んだ。


(…真っ当な研究じゃない…)


 歯の根が合わなくなり始め、カタカタと音が鳴る前に口元を塞ぐ。そんなはずはない—と思いたいが、何度瞬きしようとも、目の前の光景は変わらなかった。

 一体何をしようとしているのか?これまで僕達に見せていた彼の姿は、嘘偽りだったのであろうか?—と、やるかたない思いに歯噛みする。


(オサカ師匠…貴方は…一体…)


 やがて、オサカが動き出す。魔道具に取り付けられた何かの板へと手のひらをかざすと、魔力を注ぎ始めたらしい。ゆっくりと板が紅く色付き始め、溶液がボコボコと泡立つ。

 するとどうだ。溶液で満たされた魔道具の中に、赤黒い何かが形作られてゆく。豆粒サイズのそれは、次第に大きく成長して拳大まで膨らんだ。

 それは魔石だった。魔物の心臓部にあり、命を散らす時に共に砕け散るものだ。間違っても精霊石ではなく、紛う事なく魔石であった。驚くべき事に、オサカは魔石を人工的に作り出したのだ。


(…ど、どういう事ですか?…何で魔石が!?)


 やがて、オサカは板へと向けていた手を引っ込め、再び腕組みし沈黙する。赤黒い魔石は、オサカの苛立たしげな表情をその表面に反射しつつ、溶液の中で佇んでいるのみだ。

 僕はといえば、信じられない光景に目を見開きつつも、僅かに捉えた舌打ちの音に、耳へと意識を集中させた。


「ああ、くそ。俺の魔力じゃダメだ。闇属性が乗っかってしまう。ここまで来て、こんな障害が出てくるとは…師匠に教わった闇属性を取り払う魔法陣…ダメだ。魔法陣を経由させると、魔力の質が変わる…純粋な魔素として凝固しない…まいったな…」


 どうやら、怪しい実験は壁にぶち当たったらしい。オサカはウロウロと落ち着きなく、室内を行ったり来てるしている。

 それを認めると、今度は吹き出しそうになった。いつもオサカ邸で見ているオサカの癖と、まるっきり同じであったからだ。怪しい事をしていても、こういうところは変わらないらしい。


「…生贄が必要か…」


 ところが、続けて聞こえてきた声に耳驚いた。オサカは今何と言ったのか?急いで耳を澄ますが、オサカの声はそれきり聞こえてはこない。


(あわわ!生贄!?生贄って言いましたよね?…やっぱり、誰か呼ぶべきでしょうか!?…でも、誰を!?)


 どうするべきか迷った。クローディア達に知らせるべきかどうか。でも、知らせたところでどうしようというのだ。相手は魔王もかくやと思われるオサカである。クローディアでも、クルスでも、アビスですら止める事など不可能だろう。


(け、けど…ダメです!やっぱりなんとかしなくては!)


 けれども、見て見ぬ振りもできない。何をしようとしているかは定かではないが、放置する訳にはゆかないのだから。

 やはり知らせるべきなのだろう。これは只事ではない。そう思い立ち、静かに腰を上げたその時—


「ワンッ!」

「うひゃあっ!?」


 僕は耳元で聞こえた声に驚き、思わず悲鳴をあげる。慌てて後ろを振り返れば、そこにいたのは白い犬—否、魔物だ。眼は黄色い虹彩に、蜥蜴を思わせる縦長の瞳孔。間違いなく魔物のそれであった。

 なぜ街中に魔物が?—と目を瞬かせて後退るが、オサカの事を思い出してハッとした。


(声を上げてしまいました!)


 即座に室内へと視線を送る。肩越しに見たオサカは、夜闇の如き深い黒ではなく、魔力に満ちた赤い輝きで、僕を見つめていた。


(うわわ!ヤバい!)


 キィン—と、どこからともなく耳鳴りが聞こえてくる。心臓は馬鹿みたいに脈を早め、悪寒に鳥肌が立つ。けれども、身体は動かない。背後には魔物がおり、そちらにも注意を払わなくては—否、この場から直ちに逃げなくてはならないのに、オサカから目を離す事ができず、立ち上がる事すらままならない。

 恐怖に固まる僕を見てどう思ったか。オサカの口元が、グニャリと弧を描いた。


「エル、逃すな」


 その瞬間、背後から犬の魔物が躍り掛かってきた。一拍遅れて身体の制御を取り戻す。立ち上がりつつ身体を捻り、抵抗しようと拳を握り込んだ。


「させまっ…があっ!?」


 ところが、身体が一気に重くなり、腕を振るう事が出来ない。それどころか、あまりの重量に耐えられず、膝をついてしまう。何事かと己を見れば、黒い帯のようなものが無数に身体へ巻きついていた。僕はこれを知っている。オサカの闇魔法だ。

 無理やり背後へと視線を戻せば、こちらに邪悪な笑みを向けるオサカの姿があった。手を突き出し、その手のひらからは、無数の帯が僕へと向けて伸びている。


(オサカ師匠!貴方は…貴方はやっぱり!?)

「ワンッ!」


 犬の鳴き声に我に返る。動転して失念していた。己に飛びかからんとする魔物がいた事を。

 慌てて顔を上げた時、既に魔物は僕の鼻先まで迫っていた。


(やられるっ!?)


 思わず目を瞑るが、いつまで経っても痛みはやってこない。そればかりか、ペロペロと頻りに顔を舐められている気がする。

 おや?—と怪訝に思い目を開いて見てみれば、魔物はそのサイズとは裏腹に子犬であるらしく、千切れそうな程に尾を振っている。とても可愛らしい。


「…え?あれ?」


 訳が分からなくなり混乱していると、やや離れた位置にある扉が開き、中からオサカが姿を見せた。


「困りますね。エルはまだ子供です。ファーレンさんに殴られたら、死んでしまうよ」


 オサカの邪悪な笑みに、今度こそ身を硬くして震え出す。しかし、オサカは僕を包む闇魔法を解除すると、邪悪な笑みはそのままに、徐に口を開いた。


「見られたからには協力してもらいます。ふふふ、君には生贄になってもらいましょうか。てな訳でカモン」


 先程までとは別の意味で固まった。カモン—じゃねーよ。

 言っている事の重さに比べて、随分と口調が軽い。今なお邪悪な笑みは浮かべているが、機嫌は悪くなさそうである。むしろかなり良さげだ。


「え、えと…生贄って?」


 思わず尋ねたが、オサカはそれには答えない。焦らすかのように笑った後、一言だけ発して室内へと戻っていった。


「…来れば分かります」


 その前に知りたいんですけど—と言いたいところだが、その言葉は飲み込む。子犬の魔物は、一頻り僕の顔を舐めまわした後、どこかへと走り去っていった。


(…ええと?あれ?…どういう事なのでしょうか?)


 恐る恐る工場内に入ると、一気に不快な臭いに襲われる。うっ—と思わず鼻を抑える僕に、すぐそこで待っていたオサカは、苦笑しつつ詫びてきた。


「すみませんね。色々な薬剤の臭いが混ざっていて…ファーレンさんには、ちとキツいかも知れません」

「だびびょゔぶでず」


 とても大丈夫には見えませんが?—と涙目の僕を笑いながら、オサカは先を歩く。

 そんなオサカの後を追いながら、具に周囲を観察した。有事に備えて、逃走ルートの確保に勤しんでいるのだ。オサカに教えられた、閉所での戦い方の基本である。


(…何一つ逃げ道を潰していない?)


 しかし、これはどうした事だろうか。怪しい研究に身を投じていながら、オサカは廃工場に何一つ手を加えてはいないようだ。まるで、後ろめたい事など何もない—とでもアピールしているかのようにすら思える。

 結果、逃げ出そうとすれば、いつでも逃げ出せる程に壁は穴だらけであり、窓は開きっぱなしになっていた。


(…もしかして…悪い事をしていた訳ではないのでしょうか?)


 ますます混乱する。オサカがやっている事の善悪の判断がつかなくなってきたのだ。

 先程の様子を見てみれば悪そのものであるが、今のオサカを見ても、この廃工場の状況を見ても、とても悪事を成そうとしているようには見えない。

 そもそも、よく考えてみれば、普段から言動はちょっとアレなオサカの事だ。生贄と言ったからとて、それが命を捧げるような大事であるとは考え難い—かもしれない。


(郷に入っては郷に従え…です!)


 —違った。虎穴に入らずんば虎子を得ず—だ。今度は合ってる。きっと。

 それは置いておくとして、ちゃんと聞いておくべきだろう。悪事に加担する訳にはゆかない。不用意に言葉を重ねれば、オサカの機嫌が悪くなる可能性もあり、少しだけ憚られたが、覚悟を決めると歩みを止める。

 オサカもそれに気が付いて、歩みを止めるとこちらへ向き直った。立ち尽くす僕を訝しんだのだろう。何事かと尋ねてくる。


「どうしました?」

「…えと、オサカ師匠のやろうとしている事は、笑い事ですか?」


 オサカの普段と変わらぬ態度に、一瞬躊躇したが、思い切って問いかけた。言い終えた後には緊張によるものか、唐突に耳鳴りが襲ってくる。心臓の高鳴りもこれ以上ないくらいに激しくなり、ぶわ—と、額に汗が浮かぶ。


「…ええと?」


 身を硬くする僕とは対照的に、オサカは平常運転だ。眉を寄せて何やら考えていたようだが、やがて、何かを察したかのように破顔して答えた。


「心配せずとも無理強いなんてしませんし、生贄ってのは言葉のあやです。ちゃんと説明もしますよ。後、“笑い事”って?“悪い事”って聞こうとしたのですか?ならNOです」


 それだけ言うと、オサカはくつくつと笑いながら、前を歩き出した。

 オサカの背中を見つめつつ、僕は頰に熱を感じている。大事な場面で噛んだ。照れ隠しに、前髪なんか弄ってみたりしてから、オサカの後に続いた。


—ゴゥンゴゥン—


 やがて、床には無数の管が敷かれた部屋に出る。顔を上げれば、僕が外から覗いていた窓が見えた。部屋の中程には例の魔道具もあり、黒い魔石は溶液の中に浮かんでいる。先程まで、僕が隠れ見ていた部屋に違いない。

 さて、オサカは溶液で満たされた魔道具の前まで行くと、その中に浮かぶ黒い魔石を指して尋ねてきた。


「これを作るところを見ていましたか?」

「み、見ていました」


 嘘をつく理由もない。素直に肯定した。

 それを聞いたオサカは満足げに首肯してから、更に問いかけてくる。


「これは何だと思います?」


 その問いには少しばかり返答に詰まった。


「え?…えと、魔石…ですよね?」


 僕が答えに窮したのは、余りにも当たり前の事を問いかけられたからだ。思わずひっかけ問題か何かだと考えた。

 けれど、オサカは僕の回答に頷いてみせる。どうやら、何の捻りもない問いかけであったらしい。


「そうですね。ところで、魔石って何でしょうか?町中ではどのように使われてますか?」


 魔石とは何か?—いきなり哲学のような問題に踏み入ってきた。これは答えられない。漠然としたイメージこそあるものの、それを正しく伝えるだけの言葉を持たなかった。けれど、分かりません—の一言で済ますのも気がひける。何とか考え込んだ末に、これだと思われる回答を叩きつけた。


「…魔石は魔素の結晶化したものです。町中では…使われないですよね?」


 確かに自信など微塵もなかったが、高らかに笑われると腹も立つ。僕の答えは不正解であるらしい。


「じゃあ、何だと言うのですか?」


 少しだけ剝れて尋ね返すと、オサカは視線を魔石に戻しながら応じた。


「魔石はね、魔素の結晶化したもの…これは正解です。そして、色々な魔道具の動力源として使われています」


 何言ってんですか?—と、僕の顔には書いてあったらしい。肩越しに僕を見て、くつくつといやらしい笑みを浮かべると、オサカは魔石へ視線を戻す。


「精霊石ですよ。精霊石と魔石は、本質的に同じものです。精霊石を使うのは、魔石を安定化させておく術がないからに他なりません。魔石を安定化させる術があれば、魔石を活用しても問題はないのです。…少し意地悪な問題だったかな?」

「凄く意地悪です!」

 

 オサカの言に肩を怒らせて、再び僕は剝れる。

 オサカはこちらに背中を向けたままで笑うと、魔道具の前へと歩み寄り、愛おしそうに機材を撫で付けた。


「これはね、供給された魔力から、安定化させた魔石を生み出す装置だよ。もっと用途に沿って言えば、擬似精霊石を作り出す装置だ」

「…え?それって…」


 オサカは僕の問いには答えず、魔道具の天板を開ける。黙したままで黒い魔石を溶液から取り出すと、僕の前へと差し出してみせた。魔石は爛々と黒い光を発するのみで、空気中に分解もしなければ、魔物化する気配もない。

 それを認めた僕は、思わず目を見開いた。


(…魔石?これが!?…これじゃ、精霊石と変わらない…)


 僕の驚き方が、余程満足のゆくものだったらしい。僕から魔石へと視線を戻したオサカは、上機嫌に続ける。


「これまで魔道具はその動力を精霊石に頼っていた。だが、出土する精霊石のほとんどは小さく、大きな精霊石などそうそう見つからない。つまりは、大型の魔道具を動かせる精霊石の絶対数が不足しているのです。私のいた場所のように、電気云々なんてものを広められたら話は違ったのですが、私にはそんな知識はない。いや、知識としてはあるが、再現できるほど理解していない」


 そこでオサカは言葉を切ると、僕を見て寂しげに笑ったが、何と返すのが正解なのか判断がつかず、僕は頷くに止める。

 そんな僕の反応を気にも止めず、オサカは続けた。

 


「脱線したね。話を戻そうか。…まあ、そんな訳だから、大型の精霊石ってのは市井には出回らず、国防やら保安装置以外には使えなかったはずだ。ほら、つい先程ギルドで見た、水晶の魔道具とかだよ」


 へえ—と、感心して声を上げた。結局、あの水晶玉が何であるのかを知る事は叶わなかったが、あれはなかなかに凄いものであったらしい。


「ところが、これを使えば巨大な精霊石だって作り出せるんだよ。こんな風に」


 そう言って、オサカは僕に魔石を突き付けてきた。

 釣られて僕は魔石へと視線を向ける。赤黒かった魔石からは赤みが消え、今では真っ黒な色合いに変わっていた。けれども、魔石としての力が失われた訳ではないのだろう。魔石の周囲は、そこだけ世界が黒で彩られたかのように、明度を落としている。紛れもなく闇属性の効果に他ならない。


(え、えと?)


 ところで、突き付けられた魔石は、どういう事なのだろうか。持ってみろ—という事なのだろうか。


「エネルギー問題が一気に解決するのです。町を大型化できますよ。そればかりではありません。インフラの一括管理に魔道具の複雑化、大型化。俺と師匠の擬似転移だって、この魔石を用いれば、魔道具できます!どうだっ!?」


 ところが、おずおずと手を伸ばしかけた時、オサカは興奮した様子でベラベラと喋り出す。魔道具に向き直ったり、こちらへ視線を戻したりと、落ち着かない。当然、魔石は引っ込められた。どうやら、魔石はただ見せてくれただけであるらしい。


「す、凄いです…師匠」


 何やら期待のこもった視線を向けてきているため、とりあえず褒めた。そうだろ?そうだろ?—と喜色を見せるオサカの姿に、今彼が何を語っていたのか思い返す。魔石に注意が向いていて、全く聞いていなかったのだ。


(ええと…町を大きくできる?擬似転移が魔道具になる?…でしたか?)


 ふと考えてみて、何だそれは!?—と、目を見開いた。ようやく、オサカの成した事の凄さが分かったのだ。


「すすす…凄いです!凄いですよ!オサカ師匠!」

「ん?ああ、そうだろ!?」


 オサカが自慢げに胸を張って見せるので、僕は拍手した。けれど、その一方では一抹の不安を感じて、恐る恐るオサカに尋ねる。


「あ、あの〜、オサカ師匠?何でそんな立派な事を、こんな廃工場でやっているのですか?やっぱり…後ろめたい事があるんじゃないですか?」


 僕の問いかけに、オサカは素っ頓狂な声を出した。はぁ?—というものだ。

 見て分からないのか?とでも言われた気がして、またしても僕は剝れる。


「では…ファーレンさん。こんな大きな機材、何処に置くんですか?」


 不貞腐れた僕の耳に、オサカの揶揄うような声音が届けば、何を大袈裟な—と斜に構えて周囲を見回した。


「…あ」


 広い室内を丸々埋め尽くす魔道具類がそこにはあった。既にオサカの供給した魔力が尽きたのか、各部に張り巡らされた魔法陣の輝きはないが、これまでは、それに目を奪われていたため気が付かなかった。改めて見てみれば、途轍もなくデカいのだ。更には、管は室外へも伸びている。おそらくは、この部屋だけにとどまらないのだろう。他の部屋にも魔道具類は広がっているに違いない。


(…うう、じゃあ僕は…)


 オサカの怪しげな発言に端を発した不信感であったが、それでも、恩師を疑ってかかった事に違いはない。慌てて頭を下げた。


「す、すみません…僕はてっきり…オサカ師匠が悪い事をしようとしているのかと…」


 きまり悪さに視線を落としたままで詫びる。

 僕が口を閉じると、ゆっくりとオサカは近付いてくるが、居た堪れない心持ちは変わらず、何となく頭を上げる事は憚られた。


(…やっぱり、怒ったでしょうか?)


 僕の視界に、オサカの足が映り込む。素足にサンダルというラフな足元を見て、爪が綺麗だな—なんて思った。

 さて、怒られるだろうか?—と喉を鳴らしたその時、僕の頭が何かに押さえつけられる。オサカの手だろう。おや?—と訝しむ間もなく、オサカは僕の頭を乱暴に撫でてきた。


(ちょっ!?)


 わしゃわしゃと押さえつけるかのような勢いに反発して、驚きに顔を上げれば、オサカもまた驚いた様子で手を引っ込めた。


「す、すまん!昔飼っていた犬の項垂れた顔を思い出してしまって、思わず…わ、悪かった」


 オサカは口調を改めるのも忘れて詫びてくる。けれど、珍しいオサカの素を喜ぶ気にはなれない。


「……………いえ、別に」


 犬扱いかよ—と、僕は内心で毒づいていたからだ。見目麗しいなどと持て囃される森精族(エルフ)だが、悲しい事に、僕はその恩恵に与れないらしい。それにしたって、犬扱いはないだろう—と、思わないでもないが。


「わ、悪かったよ。乱りに触って申し訳ない」


 オサカへジト目を向けていると、オサカはなおも詫びてきた。ややポイントがずれているのが、実に彼らしい。

 もう少しだけいじけたふりでもしてみせて、小言の一つも言ってやろうかと思ったが、元々の責はこちらにある。謝罪は受け取り、気持ちを切り替えると、オサカへ尋ねた。


「ところで、僕が生贄って、何をすれば良いのですか?あの装置へ魔力を流せば良いのですか?」


 僕が話を本筋へと戻した事に、オサカは随分と安堵したらしい。大きく息を吐いて、肩の力を抜いたのが分かる。


「ん?ああ。察しがいいですね。その通りです。結構ガッツリと持っていかれますから、多分MPはすっからかんになります。じゃあ、お願いします」


 そんな事をほざきながら、オサカは道を開けた。

 MP枯渇の辛さを思い出した僕は、苦い顔を作る。確かに生贄だ。


「と、とりあえずやってみます」


 ジト目をオサカへと向けながら告げるも、この点に関しては、特に詫びや労いの言葉をかけるつもりはないらしい。ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべて、僕を見つめるのみだ。


(えーい、儘よ)


 魔道具に取り付けられた、光沢のある板に手を触れる。オサカがやっていた光景を思い浮かべて覚悟を決めると、僕は魔力を板に流した。

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