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小坂、休日を謳歌する その一

 それから三刻程走り続けただろうか。魔物には出くわさなかったが、クローディアが根を上げた。


「オ、オサカ…すまぬ、もう…走れん…」


 ゼイゼイと肩で息をしながら、ゆっくりと減速するクローディア。やがて完全に停止すると、杖を頼りに腰を落とした。

 クローディアは術者であり、千年という長きに渡り隠れ家にひきこもっていた—と言っては言い過ぎだが—のである。体力は相応に衰えているのだろう。それ以前に、俺達と小柄なクローディアとでは歩幅が違う。ファーレンもクローディア並に小柄だが、それは一先ず置いておく。俺の気遣いが足りていなかったという事だ。


「うわっ!すみません、気が付きませんでした」


 慌てて足を止め、クローディアを抱き上げる。きゃわっ!?—とか可愛らしい悲鳴が上がった。

 数ある持ち上げ方の中からセレクトしたのは、俗に言うお姫様抱っこである。しかし、これはお気に召さなかったらしい。クローディアはみるみるうちに赤くなったかと思えば、手に持つ杖で思いっきり俺を殴りつけてきた。昨日のお返しか?地味に痛い。ジンジンする頭部に眉を寄せつつ、思わず足を止めて抗議する。


「いった!何するんですか師匠!?」

「煩いわ…戯け!何の、真似じゃ!?」


 息を切らせながらも俺以上の剣幕でクローディアは抗議してくる。あまりの怒り様に、何が悪かったのか?—と、クルスへ視線で問う。問われたクルスは頷くと、徐に答えた。


「閣下は全てにおいて正しいのであります。故にこの場合はクローディア様がまちが—」

「この阿呆どもが!羞恥心というものが分からぬのか!抱かれて移動などカッコつかんわ!」


 クルスの発言を遮ってまで怒鳴り散らした後、何故か再び俺が殴られた。解せぬ。


「もう良い、降ろせ。行くぞ」

「…はい」


 俺達は気を取り直して再び進み始める。今度は歩いて。だがしかし、一刻も歩かないうちに、クローディアがこんな事を言い出した。


「ふむ、やはり走らねば全く進まんな。仕方ない。オサカよ、わしを抱きあげよ。恥ずかしいが我慢するしかあるまい」


 俺とクルスはジト目をクローディアに向ける。舌の根も乾かぬうちに—とはこの事か。叩かれ損である。そして頰を赤らめて、耳を激しく上下させるファーレン。あっ—とか時折漏れる色めきだった声音は、一体何を想像しているのだろう。


「今度は打たないでくださいよ」

「…悪かったわい」


 仕方なくクローディアを抱き上げて走り出す。自然と大きな溜め息がこぼれた。


「乙女を抱いて溜め息をつく奴があるか!」


 俺はまたしても殴られた。理不尽である。

 さて、それから程なくして巨大な川に辿り着く。川幅は地平線の向こうまで続いており、5kmを優に超えそうであった。更には深さも相当にあるらしく、流されてきた流木が川中の岩に当たって、縦に回転したのを見た時は驚いた。


「…この川の名前は?」


 俺が誰ともなしに尋ねるが、土地勘のあるであろう者など実質一人である。その土地勘のあるであろうファーレンは、渋い顔で俺に返す。


「知るはずないですよ…川の存在すら誰も知らないのではないでしょうか?」


 ファーレン同様に、俺もまた渋い顔を作ると、身体強化を施して大きく跳躍した。大地を陥没させ、川の全容が分かる程に高く浮かび上がった後、再び大地を陥没させて着地する。もはや何でもありだな—などと自嘲しながら、自身で作り上げたクレーターから歩み出ると、砂埃を払いつつ告げる。

 

「…これ、渡るの無理じゃないですか?凄いですよ。川幅。勢いも半端ないし、流されちゃいます」


 俺の発言に全員が渋い顔をする。だが、ここでクローディアが前に出た。まあ任せよ—とでも言いたげな勝ち誇った顔は、秘策のあろう事を物語っている。何をするのか?—と俺達が眼を見張る中、クローディアは杖の石突きで地面を数度叩いた。


「おおっ!」


 驚きに思わず声を上げた。川の中から石の柱がニョキリと顔を出したのだ。クローディアはそこに飛び乗ると、今度は石の柱の上を石突きで数度叩く。すると、更に前方に石の柱が顔を出す。成る程。どうやら飛び石の要領で進むらしい。クローディアは石の柱の上で俺達に向き直り、得意げに言った。


「ふふ、どうじゃ?遠隔制御はオサカにはできん芸当じゃぞ?」


 この言葉にムッとする。遠隔制御ができない訳じゃない。クローディアのように素早く正確に無詠唱で行えないだけである。そんな口答えをしようものなら、それはできないのと一緒じゃ戯け!—と一喝されてしまうため、間違っても言わないが。


「ともかく、これで行けるところまで行ってみるのじゃ。ダメなら引き返せば良い」


 クローディアの言葉に俺達は首肯を返すと、飛び石の要領で川を渡ってゆく。途中、俺へと向けて巨大な魚が飛びかかってきたが、そのまま亜空間にご招待した。次に出した時にどうなっているだろうか。楽しみが増えた。


(…それにしても…)


 上から眺めるだけでは足りなかったらしい。川幅は思った以上に広い。日が暮れ、月が中空へ上った頃になっても、俺達は未だに川を渡っていた。


「あ、ああ…すみません…もう無理で…す…」


 そんな事を言い出したのはファーレンだ。森精族(エルフ)は夜に滅法弱い。月の出と共に眠りに落ちてしまう程には。

 俺は慌ててアーサーさんに呼びかけようとしたが、アーサーさんは既に触手を伸ばし、ファーレンを俺へと向けて放っていた。


(アーサーさん…腕力も凄いのね…)


 がっしりとファーレンを抱き止めたが、なかなかの勢いである。俺の中で、アーサーさんの評価が更に一段上がった。

 さて、俺達が川を渡りきったのは、明け方の事であった。全員が目の下にクマを作って黙念としている。その余りの消耗っぷりに、仕方なく提案した。


「…家に帰ってベッドで眠りたい人?」

「「「はい」」」


 もれなく全員が手を挙げた。あのクルスですら。アーサーさんまでもがだ。ちなみに、ファーレンは俺に背負われたまま寝ている。涎でもたらしているのか、肩が少しだけ冷たい。タンパク質はクルスの腕の中でずっと寝ているため、特に反応なしだ。

 はぁ—と、大きく嘆息する。これを押し切ってまで野宿をする意味も薄い。今回はここまでにしておくべきだろう。


「分かりました。一旦帰りましょう。今日はそのまま休日です。皆さん、好きに過ごしてください」


 俺の発言を受けて、一同の顔に光が差す。それを見て思った。我々には野宿など無理だ—と。


(ああ…すっかり贅沢になって…団体行動は極力控えた方が良さそうだなぁ)


 嘆息しつつ腰を屈めると、地面に魔道具を突き刺した。これは亜空間魔術と連動する作りになっており、亜空間を開いた時にこの場所へと繋がるようにしてある。いわば、座標代わりだ。詳細な地図のない現段階では、これが精一杯だ。


「師匠、お願いします」


 肩越しに声をかければ、クローディアは首肯する。彼女の持つ杖が、俄かに魔力の輝きを宿し始めた。


「うむ。任された」


 クローディアが亜空間を開き、俺もそれに重ねて亜空間を開く。亜空間の繋がった先は、小坂邸のリビングである。リビングの天井からぶら下がる照明にも、転移座標の魔道具を取り付けてあるのだ。


「転移座標の魔道具があれば、一対一の転移は問題ないのぅ。これで満足してはどうじゃ、オサカよ?」


 クローディアはそんな事を言ってニヤニヤと笑う。長距離転移も問題なく成功したため、ご満悦のようだ。

 だが、俺はそうは思わない。まだ満足はできない—と、考えている。いずれは詳細な地図と座標を作り上げ、座標を指定して好きな場所へと転移出来るようにするのが目標なのだ。


「いいえ、まだまだ。ここからより一層の高みを目指しますよ」


 クローディアに向けて不敵に笑うと、クローディアは肩を竦めてみせる。その日はファーレンをソファの上に放り投げると、そのまま解散とした。明日の朝に再び集まり、川向こうから再出発するのだ。皆が就寝の挨拶と共に引き上げ、俺もまだ見ぬ古城に夢を膨らませて横になった。






 僕の拳がオサカの脇に突き刺さるよりも早く、オサカの手が僕の拳を払う。オサカは不安定な姿勢ながらも、僕の首元めがけて貫手を放ってきている。


(…いや、違う)


 ピンときた。貫手を出すには体勢が悪過ぎる。あれはフェイント。おそらくは、僕の襟を取ろうとしている。膂力に任せて、首相撲に持ってゆこうとしているのだろう。


(させません!)


 そんな不利な土壌に上がる程、僕は素人じゃない。すぐさま姿勢を屈めると、身を翻して足払いを放つ。


「ほぅ」


 オサカは感心した様子を見せながらも、あっさりとそれを躱した。そのまま飛び退き、僕らの距離は大きく開かれる。仕切り直しだ。


(うへぇ…また近付くところからですか…)


 僕が右拳を前にして半身に構えれば、オサカは両手を胸の前で僅かに開くと、受けの姿勢を見せた。それを認めると、思わず半眼を作る。


(またカウンター狙い…師匠のカウンターはいやらしいんですよね…)


 僕とオサカがやり合うのは、何もこれが初めてではない。何度も体術の訓練としてやりあっている。あの構えを見せている時に突っ込めば、何が何やら分からぬ内に昏倒している事が多い。それほどまでに、オサカの見せる構えは厄介なものなのだ。けれど、やられっぱなしで終わるつもりなど毛頭ない。


(今日こそは僕が一本取る!)


 勢い込んだ僕の拳が一際強く握り込まれるのと、オサカが自ら前に出てくるのは同時であった。


「えぇっ!?」


 僕の認識では、あの構えはカウンター狙いの構えであった筈だ。それが自ら前に出てくるのはどうした事か。僕は慌てて右拳を叩きつけんと振り抜いた。だが、次の瞬間—


—ドタン—


「うぐ…うう、痛い…」


 痛む鼻を抑えながら顔を上げれば、そこはオサカ邸のリビングだった。鳥の囀りが聞こえ、採光窓からは夏の日差しが差し込んでいる。浮き上がる埃が日差しを反射して、貴族の社交界を思わせる優雅なダンスを見せた。


「…ええと?」


 外から僅かに届く音から察するに、どうやら昼を過ぎた頃であるらしい。蝉も最高潮とばかりに鳴いている。外は茹だる様な暑さであろうが、それでも室内が過ごし易いのは、オサカとクローディアの魔術によるものだ。例年であれば、暑さにより日が昇って直ぐに目が覚めたものだが、過ごし易い環境のせいか、随分とのんびり寝ていたようである。

 ある程度の状況を確認した後、僕はゆっくりと上体を持ち上げた。さっぱりと訳が分からないが、どうやら僕はリビングのソファの上で寝ていたらしい。


「え?あれ?…勝負は?」


 一先ず胡座をかいて腕を組み、むむむ—と、考え込む。


「…夢?」


 ガシガシと頭をかきながら思い返すが、やはり夢であったらしい。随分とリアルな夢である。僕は徐に立ち上がり、自身の部屋に戻るべく歩き出した。身体がベタベタして敵わない。お風呂に入りたいのだ。


「うー、何でソファで寝てたんでしょうか?何だか生臭いし…」


 さて、自室から石鹸と着替えにタオルを取り出すと、意気揚々と脱衣所へ行き、衣服を脱ぎ捨て風呂場へと突入した。


—キィ—


「ん?アビスさんか?もうすぐ洗い場を開けるから少し待っててくれますか」


 僕は固まる。浴室へのドアを開けてみれば、そこにはオサカがいたのだ。こちらに背中を向けたままで、頭に石鹸の泡を擦り付けている。手を動かす度に肩や背中の盛り上がりが形を変え、そこから視線を落とすと、引き締まった臀部がある。己の父親と比べればまだまだ幼さの残る体躯であるが、紛れもなく男性の肢体であった。


(…うわぁ…)


 しばらくは頭を洗うオサカの後ろ姿を眺めていたが、我に返ると慌てて脱衣所に引っ込む。脱ぎ散らかしていた上下を乱暴に着るや否や、脱衣所から一目散に逃げ出した。


(し、師匠の裸見ちゃった!!)


 耳まで真っ赤になるのを自覚しながら廊下を走る。こんなに意識してしまうものなのか—と、臀部をまじまじを見つめていた己のいやらしさに一層赤くなる。幸い、誰にも見られる事なく自室へと駆け込み、鍵をかけた。


(…ば、バレてなかったですよね?)


 ドアに背中を預けて、先程目に焼き付けた光景を反芻する。

 格好いい人だと思う。強いし、意地悪だけど基本的には優しい。難しい顔で本を読んでいたかと思えば、子供のように寝落ちしていたりする可愛らしさもある。本人は30過ぎのおっさん—と自称しているが、長命種である僕にはさして気になる年齢差でもない。そもそも、今の彼は肉体が歳をとらないホムンクルスであり、その正体は不死身の不死系魔物(アンデッド)である。僕の方がどう考えても先に死ぬ。それを思えば、年齢差などあってないようなものだ。つまり、二人の間には障害などない。できるなら、深い仲になりたいと思っている。


(さっきのは、チャンスだったのでは?)


 それなのに、何故逃げ出したのか—と己を責める。背中を流すとか、アプローチの仕方はあったのではないか?—と、ドアの冷たさを背中で感じながら猛省した。


(…ううう、悔しいです…)


 しかし、こちらも裸だったのだ。そう、お互いに裸同士だったのである。それはつまりあれだ。間違いが起こりかねない状況になってしまう可能性もある。そういう事は籍を入れてからでなくてはいけない。何より自信がもてない。ロロナ程とはいかなくとも、もう少し肌の手入れやらなんやらを頑張って、綺麗な僕を見てもらいたい。


(…誰に言い訳しているのでしょうか…)


 引きかけていた頰の熱が再燃した。引き締まった臀部を思い出したのだ。ふぅ—と荒く息を吐き、サンドバッグの前へと進み拳を突き入れる。


—バスン—


 サンドバッグからはいつもと変わらぬ音が返ってきた。大丈夫。落ち着いている。


(やっぱり師匠も男の子なんだなぁ…背中、大きかった)


 手を翻してサンドバッグを摩ると、思わず笑う。オサカの背中のイメージと、サンドバッグの触り心地を重ねてしまったのだ。うふふ—という奇妙な笑い声が漏れた。


(肩の筋肉、割とあったな…服着てると気付かなかったけど…)


 僕は再びサンドバッグに拳を打ち込むと、自身の熱を冷ますべく頰を叩いた。


(煩悩退散!…でも、男子の全裸なんて初めて見たな)


 冒険者として宿暮らしをしていた僕は、当然、井戸端で身体を拭う男達の上半身など見慣れている。けれど、同年代で、異性で、しかも下半身までとなると話は別だ。僕は未だに茹蛸のように赤くなっている事だろう。これはいけない—と、必死にサンドバッグを叩き続けた。


—コンコン—


「ふわっ!?ひゃいっ!」


 突然のノックに、僕は飛び上がりおかしな声を出してしまう。慌てて咳払いすると、ドアの鍵を開けて改めて声をかけた。


「ど、どうぞ」


 姿を現したのはオサカだった。あの後すぐに風呂から出たのだろうか。髪は未だに濡れている。そんなオサカはタオルで頭を拭きながら、僕に問いかけてきた。


「ファーレン、アビスさんを見なかったか?」


 その言葉にドキリとしたけれど、とりあえず誤魔化す事にする。バレる訳にはいかない。バレたら怖い。主にクルスが。


「いえ…見てませんね。どうかしたんですか?」


 しらばっくれてみれば、オサカは考え込むように空目を作る。どうだ?


「ふむ、そうか。ファーレンさんも見ていないか…いやね、さっき風呂場で頭を洗っていたんだが、誰か入ってきた気がしたんだよな。てっきりアビスさんかと思ってたんだが…顔をあげたら誰もいなくてな。気を遣って出て行ったのかもしれんから、探していたんだ」


 オサカの言に安堵した。大丈夫、バレてない。ならば、このまま知らぬ存ぜぬで押し通そう。そう、物言わぬ生物達に罪をなすりつけるのだ。完全犯罪だ。


「成る程…では、アーサーさんかタンパク質ではありませんか?」


 ほうほう—と、オサカは頷いた。その反応に内心でほくそ笑む。やりきったのだ。僕は危機を脱したのだ。けれど、そう思っていた矢先、突然オサカがくつくつと笑い出した。何事かと訝しむ僕に、オサカは告げる。


「人が入ってるかどうか、脱衣所はきちんと確認しような?ファーレン」


 オサカの言に僕は固まる。まるで、悪戯が成功した悪ガキのような顔を見せて、オサカは去ってゆく。行かせてはならない。周囲に知られたら怖い事になる。僕は慌ててオサカの背に縋り付いた。


「師匠!オサカ師匠!この事は誰にも!誰にも言わないでください!特にクルスさんには!」


 オサカはまだ笑っていたが、任せろ—とばかりに首肯した。ついでにこんな事も言う。


「脱ぎ散らかしていた下着、悪いと思ったが畳んでおいたぞ。早くお風呂に入ってきちゃいなさい」


 え?—と、頭の中が真っ白になる。オサカの言葉に、僕は己の股座に意識を向けてみた。するとどうだろう。これまでは気にならなかったが、やたらと風の通りが良い事に気が付いた。履いてない。下着を履いていなかったのだ。何という事か。焦っていたあまり、下着を置きっ放しにして出てきたらしい。


「う、う…う…あぁ…」


 しかも、下着を見られたどころか、触られたらしい。その事実に頽れた僕は、その日一日を部屋で悶絶して過ごした。僕とて年頃の乙女なのだ。気にするのである。


「あぁぁぁ〜!恥ずかしいよぉぉぉ!」






 今日は天気が良いのである。故に、絶好の食べ歩き日和であるな。我の肩の上に乗るのは、ブラックスライムのアーサーさん。魔物なのだが、我らは食べ歩き仲間である。故に、共に食事を楽しむのである。そんな訳で、アーサーさんと歩く我は、三軒目の店をどれにするかで迷っていたのである。


「アーサーさんよ、次はどの店が良いと思うであるか?」


 我の問いかけに、アーサーさんはプルプルと震えているばかりかと思いきや、にゅっと触手を伸ばしてみせる。その触手の先端は、人間の指を模しており、指の先が指していたのは—


「ほう、パンであるか。うむ、確かに先の二軒は肉料理であったからな。腹休めも必要という事であるな。承知した」

「承知したじゃないよ」


 突然聞こえた声に徐に振り向けば、ロロナが肩を落として佇んでいた。いつもギルドのカウンターで眉間を揉んでいるか、はたまた顳顬に手を当てているイメージのロロナだが、たまには外も歩くようである。健康的で良いであるな—と、我は思う。


「街中で、魔物を連れ歩いている貴族がいる—って報告がうちに上がってきてね。急いで駆けつけたら…何をしてるのさ、アビス?」


 ロロナの言葉に、我はアーサーさんに視線を向ける。アーサーさんを魔物と同列に扱うなど、失礼な話である。アーサーさんは我らの素晴らしき仲間、アーサーさんなのだから。故に、我は胸を張ってロロナへ告げた。


「アーサーさんと共に食べ歩きであるな!」

「胸張ってんじゃない!」


 怒られた。解せぬである。

 続けて何かを口にしようとするロロナであったが、馬鹿正直に小言に付き合う程、我はお人好しではない。素早く屋根の上へと跳躍すると、その場から退散した。


「あっ、こら!待たないか!」


 だがロロナとて、かつては高位の冒険者であったのだ。屋根の上に飛び乗るくらいは訳ない。今日のロロナはいつもとは違い、嘆息して見ているだけではない。逃してなるか—とばかりに、我を追いかけてくる。色々と面倒になって、足に込める力を心持ち増すと、一気にロロナを引き離す。チラリと背後を見れば、ロロナは悔しそうに歯噛みしていた。


「おのれアビス!きっちりとオサカに管理責任を問うからね!」


 どうやらオサカは怒られる事になるようであるらしい。我の知った事ではないが。我は呵々と笑いながら、アーサーさんと共に屋根の上を駆けた。






 私は今、クローディアと共に貧民街にいる。


「あの川に橋が欲しいよな。デカい橋が」


 これは閣下(オサカ)の言だ。となれば、早急に橋をかけねばなるまい。転移座標用の魔道具は仕掛けてあるため、橋など直ぐには必要ない。ましてや、クローディア様の作り出した飛び石がある。ファーレンが寝落ちする以外で、踏み外すような素人は私達の中にはいない。しかし、オサカの意思は何よりも尊重される。オサカが橋が欲しいと言うのであれば、橋をかけねばならない。


(それにしても、まともに働けそうな者がいないでありますな)


 周囲を見回して嘆息する。橋をかけるとなれば、人手がいる。ギルドに頼んでも良いのだろうが、ギルドではやりたがらないだろう。現場が遠過ぎる上に、道中が安全な訳でもない。それでも大枚をはたけばやってくれない事もないだろうが、一体どれほどの人工が工事に動員されるだろう。そうなれば、この町の機能が麻痺してしまう事は想像に難しくない。それで町人達に恨まれるのもごめんだ。そうなると、労働力を確保して己らで管理するのが早かろう。


(四肢の欠損、栄養失調。環境悪化による病気の蔓延。なんとまぁ…)


 目を皿にして周囲の人間を観察するも、貧民街はまともな人間の方が少ない。健康そうな人間など、脛に傷のある者達くらいだ。そうそう上手くはゆかないらしい。横を歩くクローディアもまた、渋い顔を見せている。


「おい、お嬢ちゃん達」


 背後から、野太い男の声がかけられると、クローディアが振り返った。なら、クローディアに任せておけば良いだろう。私は気にせず先に進む。


「何じゃ?」


 クローディアが誰何の声を上げている。

 私は立ち止まり、先の方へと視線を向けた。そこには、あばら家の壁にもたれかかり、疲れた顔で天を仰ぐ男達がいたのだ。あれは、まだ働けるのではなかろうか?何か働く事に不都合でもあるのだろうか?—と、考えた。


「クルス」


 クローディアの声に振り返れば、苦笑しながら私を手招きしてくる。男に、私を呼び寄せろ—とでも言われたのだろう。ならば面倒でも行くべきだろう。あの手の輩は下手に刺激しては暴れ出しかねないのだから。


「はい。何でありますか、クローディア様」


 クローディアの元へと赴き声をかければ、クローディアは苦笑を浮かべつつ言った。


「こやつがわしらに用があるらしい。聞くだけ聞いておこう」


 クローディアの言葉に首肯を返すと、男に向き直る。男はそれまで黙然として腕組みしていたが、私と目が合うと、ようやく口を開く。


「その先には行くな。タチの悪い奴らの溜まり場だ。行ったら帰ってこれなくなるぞ。何の用かは知らんが、絶対に行くな」


 男の言に私は耳驚いた。何かの聞き間違いか?—と、己の聴覚や脳を疑ったほどだ。ほぅ—とクローディアも声を上げている。くだらぬ用事であろう—と私同様に推測していたに違いなく、当てが外れた事を喜んでいるようだ。


(こんな場所を歩く、身なりの良い女二人。カモにしか見えない者達に声をかけて、その身を気遣うなどとは…なかなかの人物もいるようでありますな)


 先の己の無礼な態度を内心で詫びる。言葉に出すのは、なんとなく躊躇われた。

 さて、確かに忠告したぞ—と、男は言い残して歩き去ってゆく。後に残された私とクローディアは、互いに顔を見合わせた。

 クローディアは男が十分に離れると、私へ問いかけてくる。


「この先へ行ったらどうなると思う?」


 クローディアの言を受けながら、視線を前方へと向ける。あばら家にもたれかかる男達は、濁った眼をこちらへ投げかけてきていた。先の男の口にした、タチの悪い奴ら—というのは、きっとあれの事なのだろう。なるほどな—と、得心いった。

 そしてクローディアの問いだ。考えるまでもないだろう。タチの悪い奴らが絡んでくるというならば、答えは一つである。


「ゴミムシ共の死体の山が築き上げられるのみであります」


 それはそうだろう—とクローディアは苦笑し、ついでにこうも尋ねてくる。


「ならば、わしらの用向きには不適切じゃな。あの男の厚意に報いるためにも、ここは忠告を聞き入れておかぬか?」


 クローディアの提案に否やはない。私とて、望んで人を手にかけたい訳でもないのだから。

 ただし、治安を乱すというのなら話は別だ。その点については、近いうちに確かめておかねばならないだろう。それだけ心に留めてから、クローディアへ首肯を返し、元来た道を引き返す事にした。クローディアも私に続き、歩き出す。


「どうじゃ?使い物になりそうなのはいたか?」


 場所が場所だけに、やや声を落としてクローディアは尋ねてくる。周囲の反感を買わないようにとの配慮だろう。私も心持ちボリュームを下げて応じた。


「…十数人ほど、元は力仕事に従事していそうなのが。学者崩れと思わしき、聡明そうな者は見かけませんでした」


 そうか—とクローディアは呟くと、改めて周囲を見回している。私もそれに倣う。

 不揃いな石を積み上げた、押せば崩れそうな家屋。不衛生な路地。死んだ魚のような目をした住人達。

 

(クローディア様には、働ける者がいるようには見えぬのでありましょうな)


 私の想像は、そう外れたものでもないのだろう。難しい顔で周囲を見回すクローディアの顔には、何をどうすれば十数人も見繕えたのか?—との疑問が、ありありと見て取れる。それに、私の発言にクローディアは理解の色を示してはいない。“そうか”—と、呟いたのみだ。色々と思うところがあるのだろう。


「…今日のところは帰るであります」


 私の言葉にクローディアはこちらへと顔を向けているようだが、私は立ち止まりもしなければ、視線をクローディアへも向けない。今の私は、少しばかり険しい顔をしているに違いないからだ。想像以上に収穫がない。その一言に尽きるが、特に気に入らないのが、目だ。貧民達の、生きる気力のない目が気に入らなかった。何とかしなくてはいけないだろう。閣下(オサカ)の座す玉座たるこの町(メットーラ)に、貧民街など存在してはならないのだから。


「そうじゃな」


 クローディアはやや遅れて同意を示した。

 私達は、一旦帰路につく事にした。






「…ダメか。何がいけないんだ?」


 俺は暗黒球を二つ打ち上げ、その暗黒球間の距離を算出しようとしていた。魔法陣は間違っていない。暗黒球間の距離も算出しているようであるが、それをはじき出す段階で術が消失するのだ。俺は何度目かの失敗に、ついに腕を組んで考え込み始めた。


—ゴォン—


 鐘が十回鳴らされた。昼十刻を知らせる合図だ。はぁ—と嘆息しつつ、顔を歪めた。


「くそっ、もうそんな時間か」


 ガリガリと頭をかきながら、乱暴に椅子に腰を下ろす。そろそろ皆の夕食を準備しなくてはなるまい。そうでなくとも—


—コンコン—


 こいつらが催促に来るのは、分かりきっているのだから。


「来たか、腹ペコ四兄弟…どうぞ」


 俺の言葉にドアを開けて姿を見せたのは、ファーレンにアビス。更にはアビスの肩にアーサーさんがおり、開いたドアの隙間からはタンパク質が部屋へと入り込むと、俺の足に擦り寄って甘えてきた。


「オサカ師匠〜お腹空きました〜」


 お腹を摩りながら渋面を見せるのはファーレンだ。先程までは、お嫁にいけない〜—だの、あああ〜、恥ずかしいですよ〜—とか部屋で喚いていたものだが、喉元過ぎればなんとやら。或いは、空腹のおかげで先の一幕を忘れ去ったものであるらしい。これは、近日中に同じ事をやらかすだろう。


「オサカよ、早く飯を作るのである」


 アビスは、アーサーさんを肩に乗せて踏ん反り返っている。共に食べ歩きをしてきたらしいが、大銀貨数枚分も食べておいて、夕食は別腹であるらしい。更には、ロロナが怒鳴り込んできたりしたのだが、それは気にしないでも良いだろう。思い出したくない。


「はいはい。分かりましたよ」


 俺は腹ペコ四兄弟の長男と長女に苦笑いしながら返した。


「じゃあ、今日は何を作りましょうかね。サラダと、パンとかパスタが良いですか?アビスさん達は、たらふく肉を食べてきたでしょうから」


 俺の言に、二人は同時に応じた。


「うむ。それで頼むのである」

「美味しければなんでもいいです!」


 俺は首肯しつつタンパク質を撫でてから立ち上がると、台所目指して歩き出した。

 タンパク質が俺を先導するかのように、ちょろちょろと前を歩き、俺の後ろからは、ファーレンとアビス、そしてアーサーさんがついてくる。最近の俺はすっかり食事係だ。だが、望んでやっている面もある。殺菌やら何やら、俺の目から見ると、顔を顰めたくなる衛生観念なのだ。この世界は。そういった知識を先ずは仲間にも—と、色々と話して聞かせたのだが、凄く驚かれた。

 まあ、それは抜きにしてもだ。やはり俺自身が好きなのだろう。手料理を振る舞う事が。やる前は腰が重いし、面倒としか思わないが、喜んで食べている様を見ると、心が温かくなる気がする。

 しかし、問題もある。食料難などにより、食材が不足した時である。何せうちの腹ペコ四兄弟は、とにかく食べるのだから。日々の食費も馬鹿にならず、市場に流出する食材を買い占める訳にもいかない。そういった事を勘案すると、他所様に迷惑をかけないためには、大量に野菜や果物を自作し、溜め込んで置かねばなるまい。


(…となると農園でもやるか?…手がいるな。それもそれなりの数だ。どこからか働き手を見繕うか?)


 しばらくは考え込んでいたが、首を振ると自嘲する。冒険者風情が何を考えているのか—と、おかしくなったのだ。

 さて、台所に入る前にはリビングを通過するのだが、リビングではクルスとクローディアが何やら話し合っている。ふと立ち止まり、二人の会話に耳をすませた。


「人足を大量に確保した場合、その食費も問題になるのであります。おいそれと食事処を用意できない場所での作業になる以上、食事や水もこちらから支給する形がベストであります。ならば農園は必要であります。農園ならば子供やお年寄りにも務まります。身体の不自由な者は、荷馬車の運転係や作業補助に使えます。何も工事に従事させるだけが必要な仕事ではないのであります」

「うぬぬ。いや、見事だ。御見逸れした—というやつじゃな。そこまで考えておったのか。わしは己の浅はかさが恥ずかしい。すまぬクルスよ。お主の評価を一段下に見ておった。許せ。しかし、となると残るは金の問題だ。金をどうやって工面するかだな。オサカの金から全額…という訳にもゆくまい?金を生む流れも必要じゃ」


 思わず眉を寄せる。何がどうしてそんな会話をしているものか、さっぱり見えてこないが、まるで俺の心の中を読み取ったかのような、タイムリーな話題だ。少しだけ加わりたく思いもしたが、俺の背後では腹ペコ四兄弟が、今か今かと餌を待っている。


(まあ、いいか。後で聞いてみよう)


 視線を戻してリビングを通過すると、台所へと入った。

 さて、ここは俺の戦場である。腕捲りをしてやる気を出す。タンパク質以外の面々は、リビングで夕食の完成を待つようだ。


「君にも外で待っていて欲しいのだけどな?」

「にゃーんごろー」


 一撫でしてやれば、タンパク質は特徴的な鳴き声で甘えてくる。どうやら外に出てくれるつもりはないらしい。俺はタンパク質を椅子の上へと座らせると、パスタやピザを作るべく取り掛かる。チラリと油瓶に視線をやり、食油の残量を確認した。お手製の食油は、まだまだ潤沢にある。


(ドレッシングにも少し工夫を凝らしてみるのもありかもしれない)


 —と、そんな事を考えて首を振る。手間暇をかける時間がない。今日は少し遅くなってしまったのだ。腹ペコ四兄弟をこれ以上待たせては酷である。四兄弟の嬉しそうにご飯を頬張る様子を想像して、忍び笑いした。


「うん。まあ、こんなものかな」


 やがて完成した料理を手にダイニングテーブルへ向かったが、そこには俺達の他にロロナがいた。歓迎したくない来客に、自然と渋面を作ってしまう。


「…また小言ですか?」


 テーブルの上に皿を並べながら、横目でロロナを見る。昼下がりに散々文句を言われたばかりだ。流石に一日のうちで、二度も説教じみた小言は聞きたくない。

 けれど、ロロナは苦笑しつつ首を振った。どうやら、何かしら文句を言いに来た訳ではないらしい。


「第一声がそれかい?…別件だよ」


 ロロナはそれだけしか口にしなかった。別件とやらは、すぐに片付くような内容ではないのだろう。こちらの聞く姿勢が整うまで待とうとしているらしい。


(…嫌な予感しかしない…)


 渋みが表に出ないよう、平静を装って夕食を並べた。ロロナの話は食べながら聞く事にしよう。アビスとファーレンが煩いから。


「ロロナさん、夕食は?」

「まだよ」


 聞けばロロナの夕食もまだという事なので、ロロナも一緒に食べる事になった。アビスとファーレンの取り分が減るだけだ。問題あるまい。


「我は、我は我慢…するのである!」

「僕だって!…う、ぐぅぅ、僕だって!」


 ちょっと食欲に負け過ぎな気もするが、追加で作れば問題あるまい。俺は嘆息まじりに席に着いた。


「それで、別件って何ですか?」


 タンパク質用に取り分けた夕食の皿を、テーブルの下に置きながらロロナへ尋ねる。失礼極まりない所作だが、いつもの事なのでロロナも気にしない。


「ああ、最近アンラの…アンラは分かる?」


 アンラと言われてもいまいちピンと来ず、ファーレンへと視線を投げる。ファーレンは頬袋でもあるかの如く、大量にパスタを口の中へ押し込んでいた。どう見ても聞いていない。

 アビスやクローディア、クルスを見ても首を振るばかりだ。そもそも、この三人はこの大陸の事情に明るくない。俺とどっこいどっこいの知識量だろう。


「すみません。分かりかねます。聞いた事がある気がするのですが。説明をお願いできますか?」


 ロロナは頷きを返すと、快く応じてくれた。


「アンラ神聖国。西の隣国よ。広大な平原に穀倉地帯を持つ国で、平原故に魔素も溜まり難く、魔物も強力には育たない。メキラに比べれば、随分と裕福で平和なところね。女神教を国教とする宗教国家だけど、近年、他国の事情に合わせて、教皇が国王陛下を名乗るようになったの。その子供も王子や王女といった呼び名を使うけれど、世襲制ではないから意味はないわね。法術師を多く育てている国でもあるわ。教会の所属だけれど、寄付さえ行えば、優秀な人材を貸してくれる話の分かる国よ」


 ロロナの言に、首肯を返しつつパスタを絡め取った。アンラというのは国であるそうだ。宗教国家と聞くと、眉をひそめずにいられないのは、元いた世界で宗教というものに良くないイメージがあるからだろう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神だ。

 当然、小坂家でも墓は持っているし、宗派は知らなくとも何かしらに属してはいるのだろう。初詣は神社ではなく、寺に行っていた記憶もある。全ての宗教が悪である—などとは思ってもいないし、信仰の自由も否定しない。良くないイメージの大半は、家に押しかけて来てまで入信を勧めてくる連中のせいだ。


(それを思えば、真っ当な国家なのかな?辛口のロロナさんが褒めるくらいだし)


 先程ロロナは言った。“話の分かる国”だと。その発言から察するに、アンラ神聖国そのものは悪く思ってはいないのだろう。アンラへ攻め込め—とか、そういった類の話ではなさそうだ。どちらかといえば、アンラで何かあったに違いなく、そして、それは俺達を動かさねばならぬ程のトラブルであるのだろう。


(ああ、許されるなら断りたい…)


 そんな事を思いつつも、思考の海から意識を浮上させ、ロロナへと視線を戻す。

 ロロナは黙って俺の様子を窺っていたようだったが、俺と視線が交差すると、再び口を開いた。


「そこの冒険者ギルドがね…異常に慌ただしい事になってる。もしかすると、他国の冒険者ギルドにも何らかの要請があるかもしれないの。悪いけど、事態が収まるまでは遠方へ出歩くのを控えて欲しいのよ」


 ロロナの言に俺の顔が曇る。やっぱりな—という思いに、頭をガシガシとかいた。


「面白くないのは分かるけど、あんた達はメットーラの…いや、この大陸の最高戦力よ。…頼むわ」


 ロロナのよいしょには、少しばかり気を良くした。そう言われては無下にできない。俺は色を直した事を苦笑で表現した。


「何かあったのですか?」


 声を上げたのはファーレンだ。相変わらずリスもかくやという頬袋だが、どうやって明瞭な発音をしたのだろうか。


「…ん?ああ…そうね…」


 ファーレンの問いかけに気が付き、視線をファーレンへと送ったロロナであったが、何が起きたのかを把握している訳ではないらしく、その後を濁す。力なく首を振ると、これは私見なのだけど—と、前置きしてから語り始めた。


「おそらく、迷宮が発見されたんだと思うわ。それも大規模なやつがね。迷宮もモノによっては非常に危険なやつもある。ちなみに、こうなると対岸の火事ではないの。例えば、嫌なケースとしては社会性のある魔物が住まう迷宮の場合。これは外部の魔物と連携を取って、非常に強固な迷宮となる事がある。迷宮は定期的に拡大してゆくから、攻略が進まないと将来的には危ない事になる。他には、迷宮を拡張させるタイプの魔物が住まう迷宮も危ない。迷宮は拡大すればするほどに、周囲の魔素を集めやすくなる。結果、高レベルの魔物がバカスカ生まれるようになる訳。ま、あくまでも一例だけど、迷宮の規模や種類によっては、他国も楽観視してはいられなくなるのよ」


 ロロナの発言を受けたファーレンの視線は徐々に上に向かう。どうやら、何かを考え込んでいるらしい。やがて、ファーレンは顔を真っ青にすると、俺へと向き直った。


「あ、あの…オサカ師匠…この間の蟻の大群ってもしかして…迷宮の蟻なのでは?」


 その言に俺は腕組みして考え込む。確かに、あり得ない事ではない。それに、あの場所は確か—


「…そういえば、西に向けて擬似転移の亜空間を開いたんだったな。確かに蟻なら社会性もあるし、爆発的に増えるし、巣を拡張させるし…あれが迷宮の魔物だったとしたら最悪だな。可能性としてはあり得るの—」

「ちょっと待って。何の話?」


 俺の言葉尻を待たずして食いついてきたロロナに、ファーレンが亜空間を用いた擬似転移の実験と、その時に目撃した、蟻の大群に囲まれていた冒険者達の事を伝える。

 聞き終えたロロナは、両手で頭を抱えていた。顳顬には薄っすらと青筋が浮かび、プルプルと震えている。それは冗長なファーレンの話を聞かされたせいではあるまい。


(あ、これはあれだ。怒られるパターンだ)


 そう判断すると、素早くアーサーさんに目配せする。

 アーサーさんは一度ぷるんと震えた後、ニョキリと触手を伸ばして照明から動力源の精霊石を抜き取った。

 

「わっ!?何ですか!?照明が!」

「閣下!閣下!ご無事でありますか!?」


 君子危うきに近寄らず—である。俺は静かに食堂を後にすると、夜闇の中へと逃げ込んだ。

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