真、アンラへと戻る
今日で三章も終わりです。
今回もちょっと長いです。
さて、修羅場と化していた夜が明けた。現在の私達は、第四階層—薔薇人間達と激闘を繰り広げた階層を歩いていた。薔薇人間は未だに復活しておらず、帰りは通過するだけである。何もいないがらんとした大部屋の中を見回しながら、由香里が驚きの声を上げる。
『本当にあれを倒したの?…凄い…』
由香里はなおも感嘆の声を上げながら、暗いだけの大部屋を興味津々といった様子で眺め歩いていた。
『何、由香里だってすぐに倒せるようになるさ』
そう言って呵々大笑するアイマスであるが、割とピンチだったと思っているのは私のみであろうか?まあ、その後に特大のピンチを招いたのは私自身であったりもするのだが。それは抜きにしてだ。
〈由香里にその辺を語っても良いですか?〉
(絶対ダメ)
私はラヴァを諌めるように掴んだ。荒い表現をするならば、首を絞めて脅した—とも言う。今度ばかりは結構本気だ。
さて、私のジト目に気が付いたアイマスは、決まりが悪くなったと見える。取り繕うように咳払いしてから、誰ともなしに語った。
『こ、今後は魔力に対する防御性能も考えて、防具を選ばないとな。うん!』
私はなおもジト目でアイマスを見つめ、クシケンスは苦笑いする。由香里は何の事なのか分からないのだろう。首を傾げていた。私はアイマスに視線を向けたまま、由香里に何があったのかを伝える。あ、それは言っても許されるんですか?—とか念話が飛んできたので、一層強く首を絞めた。
『アイマスは私やクシケンスを守るために、前に立ち続けていてね。薔薇の絶叫で、気を失いそうになっていたのさ』
『た、耐えただろ!』
私の発言に、アイマスは真っ赤になって抗議する。怒っている訳ではなく、恥じているものであるらしい。別にアイマスを辱める事が目的ではなかったのだが—と、クシケンスに視線を向ければ、クシケンスは処置なし—とばかりに肩を竦めてみせる。どうやら、言わねば伝わらない—と、暗に教えてくれているようだ。
(全く。アイマスもまだまだだなぁ)
〈あ、貴女がそれを…ぐえっ!?〉
より一層首を強く握り込み、私はアイマスに苦笑を向けた。分かっているよ—と前置きしてから、由香里とアイマスへ語って聞かせる。
『実際、アイマスが壁になってくれるから、あたしやクシケンスは助かってるんだよ。アイマスは私達の生命線なんだ。アイマスの装備にはもっとお金をかけるべきだと思うんだよね。それこそ、先にアイマス自身が言ったように、外部からの魔力を阻害する術式を刻んだ鎧とか…オーダーメイドもありだと思う』
『…え?ええっ!?』
更に真っ赤になってアイマスは言い淀む。いや、そんな—とか、何かを口にしようとしたが、そのまま俯いてしまった。褒められる事が苦手であるらしい。
(きっとまた、謙遜しようとしたんだろうけどね)
〈鎧は高いですからね…そういう引け目もあっての事でしょうよ〉
ラヴァの言には、違いない—と、苦笑を返す。その後、あれ?—と握り込んだ拳を見れば、そこにあったのは木の棒だ。ラヴァは私の肩の上で勝ち誇った顔を見せている。こいつ、いつの間に。
まあ、ラヴァの事は良いだろう。鎧というものの基本はオーダーメイドである。ましてや、全身鎧となれば尚更だ。けれども、それをやるとなると、小さな家が買えるくらいの値段になったりする。借金待った無しである。蟻の巣での褒賞により、剣と盾は一級品になったアイマスであるが、鎧は未だに店売りの粗悪—と言っては失礼だが—な安物、或いは中古品である。Cランク冒険者となり、そこそこ懐には余裕の出てきたアエテルヌムであるが、新品の全身鎧を買うとなると手持ちの資金では全く足りない。ちなみに、これはアエテルヌムに限った話ではない。年若い冒険者は、前衛であっても革鎧である事が多いし、熟練の冒険者であってもそれは変わらない。全身鎧を揃えている者達は、大型クランの一軍か、或いは何かしらの伝手、もしくは手に職を持つ者のみだ。アエテルヌムは少数精鋭であり、かつ、ソティという装備代がほぼ0の前衛がいるために、アイマスの装備にお金をかけられるのだ。
『いや、まあ…うん。そのうち…かな。気持ちは嬉しいが、普段から無茶を繰り返すつもりなんてない。駄目そうだ—と思ったら退くさ。今回はマコトの同胞を助けるという目的があったから、無茶をしたまでだ。まだまだこの装備でいけるさ』
そう言ってそっぽを向くアイマスの耳は茹蛸のようである。さっきと言ってる事も違う。全く、可愛い奴め。天使かよ。
『ふふふ、アイマスにはいつも感謝してるんだよ?』
私が追い打ちをかければ、クシケンスと由香里は笑った。今後はもう少し、アイマスの働きを具に褒めていこう—と、私とクシケンスは視線で会話する。
そうこうしているうちに、第三階層の様子を偵察していたソティが戻ってくる。ソティは足早に階段を下りて—否、飛び降りて私達の前へと着地すると、長い銀髪をかき上げながら立ち上がった。余りにも絵になる仕草に、私は感嘆の声を漏らす。ソティはそんな私に向けて、ニコリと笑ってみせてから告げた。
『第三階層の魔物もまだ復活していないので御座います。念のため、クシケンス様に除草剤を散布してもらってから進むのが良いと思うので御座います』
ソティの報告に私達は首肯する。そんな訳で、第三階層は歩きながらクシケンスが除草剤を振りまいてゆく。行きと同様に三日かけて踏破したが、毎夜クシケンスと由香里は疲労により死にかけていた。
『ぼ、冒険者って、凄いのね…』
魔物避けの焚き火も暖を取る焚き火も必要ないほどに快適な迷宮内ではあるのだが、私達は焚き火を囲んで笑い合っている。由香里は肩で息を吐き、クシケンスなんかは既に大の字になって天を仰ぎ、眼鏡の位置を正す余裕もないらしい。
『ええ…全くです…すみません…』
その発言に私達は笑う。クシケンスは冒険者のはずなのだから。どうやら、由香里とクシケンス、二人の体力作りは急務のようである。
『デンテ様に任せるのが、間違いないものと考えます』
ソティが法術を行使しながら、邪悪な笑みを浮かべて言う。どうしてだろう。人が増えれば増えるほどに、ソティの暗黒面が際立ってくる。冒険者としての仕事がない時には、修道士として教会や孤児院の手伝いをしているソティだが、上手くやっていけているのか不安になってしまう。まぁ、怖いので放っておくしかないのだが。きっと彼女はこのまま我が道を突っ走る事だろう。
(触らぬ神に祟りなし—ってね)
〈本当にそれですよね〉
私とラヴァはソティから視線を切ると、干し肉を焚き火で軽く炙る事にした。
さて、第三階層を抜けた先は第二階層であるが、行きとは違い蔓人間が全く現れない。どうした事か?—と私達は首を傾げるが、これには絡繰があった。
『あれは私が操っていたの。見てて』
由香里がそう言って指を突き出せば、指の先に小さな魔石が出来上がり、その魔石を運ぶように蔓がシュルシュルと伸びてゆく。蔓は離れた場所で蔓人間を形成し始め、まもなく10体の蔓人間が私達の前に現れたではないか。これにはただただ驚いた。けれど、由香里も首を傾げている。
『…あれ?20体は行けたんだけどな?ちょっと10体でも辛い…』
どうやら想定していたほどの蔓人間を作り出せないらしい。これに関してはクシケンスが仮説を立てた。
『迷宮核を、迷宮深部から…動かしたためでしょう。迷宮核本来の力が…発揮できなくなって…いるのだと思います』
『え?そうなの?足手纏いになっちゃうな…』
クシケンスの言に、由香里は表情を曇らせて肩を落とす。そんな由香里の肩をアイマスが叩いて慰めた。
『安心しろ。マコトなんて、ずっと私の背中に隠れてたんだ。顔を出すようになったのは、つい最近だぞ。酷い時なんか、魔物に向けて私を押し出す始末の悪さだ』
私の遍歴を突如話し始めるアイマス。へぇ?—と、由香里も楽しそうに聞いている。私は真っ赤になって間に割って入った。
『やめろーアイマス!』
そうすれば、今度は逆サイドで手を叩く音が聞こえる。何かと振り向けば、ソティがニコニコと笑っていた。嫌な予感しかしない。
『モリ先生で御座いますね!』
『何でだよ!何がだよ!』
今度こそ私は耳まで真っ赤になると、ラヴァの首根っこを掴んで振り回す。
『うがぁぁぁぁ!お前らそこになおれ!』
『ちょ!私関係ない!もげる!』
新人が来ても弄られるのは変わらない。最年少の辛い立場である。そう考えて泣きの入った私だが、待てよ?—と違和感を覚えて、ピタリと止まる。
『…あれ?私ってさ、最年少じゃなくない?』
私の呟きは、誰も拾ってくれなかった。最年少のはずのソティはニコニコと微笑むばかりだ。ラヴァ?泡を吹いて気絶していた。
「そうか。彼女達と一緒に行くのか。うん、それが良い」
これは、アンラ冒険者ギルド・アマウンキット支部長のホーリーから、クシケンスへと当てられた言葉である。クシケンスは、森羅連合国所属の冒険者であるため、アンラ所属のアエテルヌムに移籍するとなると、色々と面倒な手続きの他に、Sランクという高ランク故のいざこざも発生する。けれど、それについては—
「ああ、僕が黙らせるから安心して」
この一言で片付いた。ホーリー、実は凄い人なのかもしれない。そして由香里については—
『一度、アンラに戻ると良い。モスクル君には便宜を図るよう伝えておくよ。悪い扱いにはならないはずだ。まずは一旦アンラで地盤を固めて、それから再出発すると良い。ここには良い思い出がないかもしれないけれど、何かあればおいで。力になるよ』
—と、これまた簡単に済んだ。ホーリー、相当に大物なのかもしれない。そのままの流れでクシケンスと由香里の加入手続きまでをも恙無く済ませてくれたホーリーは、依頼達成金と共に、自らの腕輪を由香里へと手渡してくる。
『これはね、魔道具の一種だ。つけてみれば分かるけれど、姿を人間族や森精族といった、自分の姿と近しい種族に偽装してくれる。ユカリ君の場合は、人間族に見えるんじゃないかな?アルラウネの体液は貴重な薬剤の材料になる。よからぬ事を考えない輩がいるとも限らないからね』
『あ、有難う御座います』
由香里が試しに手首に嵌ると、由香里の血色が良くなって見えた。紛う事なき肌色である。私達は感嘆の声を上げる。不思議に思った私は、ホーリーへ向けて尋ねてみた。
『ホーリーさんは何故こんなものを?』
これにホーリーは寂しそうに笑って応じた。
『昔の話だけど、半森精族や魔森精族といった混成種は迫害が酷くてね』
そう言って長い髪を掻き分けたホーリーの耳の上には、角を落としたであろう痛々しい傷痕が残っていた。肌もそれまでの白に近い肌ではなく、褐色のものとなっている。どうやら、ホーリーは魔森精族であったらしい。慌てて頭を下げて詫びた。そんな私の肩に手を置き、ホーリーは静かに告げる。
『この世界の事を頼むよ?』
何を言われたのか理解できずに、私はホーリーの目を見つめる。これも腕輪により隠されていたのだろう。今までは気が付かなかったが、ホーリーの瞳は緑の魔眼であった。この言葉を最後にして、話は終わったとばかりにホーリーはギルドの受付から去ってゆく。よくよく考えてみれば、ホーリーはさらりと念話に参加していたのだ。やはり只者ではない。取り残された私達は、訳が分からないながらも、とりあえずアンラへと戻る事にした。
『アンラへ帰るのに丁度良い依頼とかないかな?』
私の言葉にアイマスが首を振る。
『そう上手くはいかんだろうな…うん、ないな』
掲示板を眺めていた私とアイマスは、嘆息してソティ達の元へと戻った。ソティは長距離を歩く事になるため、ここまで付けていた胸当てを外すと法衣にスカプラリオという見慣れた旅装になっている。クシケンスは仕立ての良い上下に、魔術師御用達のサンダル。そして錬金術の陣が裏表に描かれた呪布にもなる外套だ。手にはグローブをはめているが、グローブの内側には魔法陣が刻まれている。どうやらあれも錬金陣であるらしい。由香里は迷宮の自宅から持ってきた服を着ている。登山の経験があるらしく、重ね着できる上下に身を包んでいた。レイヤリングと言うらしい。ただし手を剥き出しにしているのは、蔓人間を操るためには、指による操作が不可欠であるからだろう。
『由香里の姿は目立つな…ま、いっか。もはや多少目立ったところで何事もないだろ』
こう言ってあっさりと由香里の姿にオーケーを出したのはアイマスである。私の時には、色々と気にしてくれたアイマスであるが、異邦人も二人目となれば慣れるものであるらしい。弟、妹の扱いが適当になる両親みたいなものだ。
『すみません。勝手が分かってきたら、きちんと揃えます』
由香里は申し訳なさそうに頭を下げる。今この瞬間にも由香里に向けられる視線は多い。奇異の視線という奴だ。
『いや、いいさ。そっちの服の方が随分と着心地が良さそうだし。無理に揃える必要なんてない。私達は色物パーティだからな』
そう言ってアイマスは笑った。色物扱いされた私達は苦笑いだ。ともかく、私達はマールィ王国を出て、一旦アンラ神聖国へ戻る事になる。しばらくは依頼をこなしながら、由香里の地盤固めを行う事になるだろう。
『さ、帰るぞ。アンラヘ』
アイマスが高らかに宣言し、私は声を張り上げて応じた。
『おーう!』
王都アマウンキットを立ってから、数日は気が抜けない日々が続く。馬車の旅では何も感じなかった道中であるが、マールィ王国は地味に山賊が多いのだ。MAP魔術に結構な頻度で引っかかる。その度に信仰蓄積や蔓人間の絶叫の世話になった。たまに山賊のアジトを発見しては、アイマスとソティが率先して潰し、金品を強奪してくる。山賊がどうなったかは知らないが、クシケンスの震えようを見るに、信仰の糧なのだろう。
『あまりやり過ぎないでね?どっちが山賊だか分からなくなるよ?』
—と、私は苦言を呈した事もある。アイマスとソティは、顔を見合わせると苦笑いしていた。自覚はあるらしい。だが、一方ではこうも言う。
『マコトやユカリの世界と違って、こっちは治安維持の手が足りないんだ。魔物の影響もあって、騎士団や兵士も簡単には動かせない。そんな訳で、知っての通り、“自分の身は自分で守れ”が基本だ。その考え自体は当然だと思うが、手が空いている時くらいは討伐に協力しても良いとも思っているよ。山賊がこうも多いと、マコトに与えたような印象を抱かせるけどな』
そこまで考えての事だとはつゆ知らず、言い過ぎた事を詫びた。だがしかし、詫びた後でクシケンスの何とも言えない表情に気が付く。どうやら、アイマスは慌てて取り繕ったものであるらしい。アイマスへジト目を向ければ、笑って誤魔化された。
『そういえば、拠点がどうの—とかいう話があったじゃない?流石に大所帯になってきたし、拠点を考えた方が良いのかな?私はこっちの不動産に関する知識はないんだけど、その辺どうなの?』
以前チッコに言われていた事だ。私がアイマスに尋ねると、アイマスとソティは神妙な顔で考え込む。まずはソティが口を開いた。
『確かに五人ともなれば拠点を持った方が良いかもしれないので御座います。安くあげるなら集合住宅の一室。一軒家のような場所は、金銭以前に、タイミングが合わなくては借りられないので御座います』
アイマスもそれに続く。
『買うとなれば話は別だろうけどな。Cランクで家を持つとなると、食費を浮かせたりしないとカツカツだぞ?まあ、クシケンスの本やら錬金術の機材は広いスペースが必要だから、買った方が良いのかもしれんが…』
アイマスの言に私は苦い顔を作る。すっかりと忘れていた。
『ああ、そっか。クシケンスの荷物があったね…』
クシケンスの機材はずいぶんな量になる。庭園の迷宮へと向かう際に機材の一部を担いでやってきた彼女であったが、よくあれを担いで町の門までやってこれたものだ—と思い起こして遠い目をする。そんな顔を見せたためか、クシケンスが申し訳なさそうに詫びてきた。
『す、すみません…』
『んん?謝る必要も変に気にする必要もないよ。そういうのも込みで私達はクシケンスを受け入れたんだし』
私の言葉にアイマスとソティも同意してくれた。それでもクシケンスは詫びる。それは、彼女の荷物は本当に凄まじい量を占めるからに他ならない。アマウンキットを出る前にクシケンスの借家を解約してきた我々であるが、その際にクシケンスの荷物はまとめてラヴァの亜空間に放ってある。本などを含めると、それはもう膨大な量になっていたりする。汚れた台所用品などはゴミとして処分したものの、二階はまるまる書架が埋め尽くしているとは思わなかった。
『アイマス、こうなったら覚悟を決めて購入に踏み切るべきで御座います。なに、アイマスが今までの三倍頑張れば良いので御座います』
ソティが勢い込んで告げるも、アイマスの反応は渋い。
『えっ!?私だけか!?』
アイマスは青い顔で戦慄していた。当然だ。何故にアイマス狙い撃ちなのか。まあ、私も賛成だが。
『うん、もうそれしかないね。大丈夫!一日は二十四刻あるの!八刻の労働なら三倍頑張れる!』
私の後押しに、ソティがニヤリと笑う。アイマスが眉をひそめて後退る姿に、私もニヤリと笑った。いかん、楽しいぞこれ。そんな私達の間に割って入ると、クシケンスが慌てて口を開く。
『わ、私も錬金術で魔道具とか作れますから!細々と商売できるだけの腕はありますから!』
クシケンスは優しい。けれど、これはどうなのだろうか—と、考え込んだ。クシケンスは錬金術の知識を見込まれて、Sランクの冒険者へ仕立て上げられた経歴を持つ凄腕錬金術師である。きっと生み出す魔道具の質は素晴らしいものになるだろう。となれば、取らぬ狸の皮算用には違いないが、少なくとも生活がカツカツになる事はないのではあるまいか?—と思われる。
『ふむ。確かに冒険者として活動する以外の基盤もあった方が良いかもしれんな。以前、クシケンスが言っていた裏方だな。デンテ殿あたりに相談してみるか』
アイマスも腕を組んで考え込む。デンテは魔術師ギルドの長である。その顔は広く、王都での影響力は大きい。デンテあたりに相談すれば、良い伝手が見つかるかもしれない。そんな事を考えていた私達へ、由香里が話しかけてきた。
『ねぇ、アルラウネの体液は、色々な薬剤の材料になるって言ってたよね?それって、これの事かな?売れたりする?』
どれどれ?—と私達が由香里に近付けば、由香里が爪の先をくいっと摘む。すると、爪と指の間から透明な液体が滲んでくる。もったいない!—と、クシケンスが声を張り上げた。
『ラヴァさん、い、い、急いで保管容器を!こ、こ、これは貴重品ですよ!』
『急かさないでください。…はい、どうぞ』
ラヴァが亜空間より取り出した保管容器の蓋を開け、クシケンスが由香里の指先から滴る透明な液体を汲み取ってゆく。私はその光景を見つめながら、なんとなしにラヴァと言葉を交わした。
(体液って、唾液とか涙とか、そういうのを想像していたよ)
〈私もです…〉
やがて、指先から水滴が出なくなった頃、クシケンスは鞄から何かの薬剤を取り出して混ぜ合わせてゆく。配合は薬剤九割、由香里の体液一割と言ったところか。薬剤の色が変わり、クシケンスの目が一層真剣なものになると、クシケンスは粉末状の何かを薬剤に落とし込む。粉末は数種類に及び、きちんと分量まで測りながら慎重に加えられていた。
(ありゃなんだろうね?)
〈さあ?分かりませんね〉
私とラヴァのみならず、アイマス、ソティ、由香里もがクシケンスの手元をジッと見つめる。真剣なクシケンスの表情に声をかけるのが躊躇われ、しばらくは無言の時間が続いた。
ゆっくりと容器内の薬剤を攪拌していたクシケンスであったが、粉が全て溶けきった事を見てから、一滴だけ手の甲に落としペロリと舐める。うん—と出来栄えに満足したのか、クシケンスは顔を上げて呟いた。
『あ、あの…特級のポーションが…出来上がりました』
ポーションが何なのか分かっていない由香里以外の全員が目を見開く。もちろん私も驚いて目を見開いていた。クシケンスはやりきった感に溢れた顔で、完成したポーションを腰の鞄にしまっているが、それは売ればいくらになるのだろうか。
『…資金は、普通に余りそうだぞ…』
アイマスが何とも言えない表情で腕を組む。ソティも苦笑いで呟いた。
『Cランクの平均的な達成料で例えるなら、三十日分のお値段で御座いますよ。特級ポーションは』
『うわ、そんなにか』
効果の高いポーションは安くない事を知ってはいたが、それほどとは知らなかった。私もこれには驚きを隠せない。ポーションは、肉体疲労や怪我の自然治癒を爆発的に早めてくれる霊薬である。以前、蟻の巣で私達が飲んでいたマナ・ポーションは魔力を回復する薬。その肉体版である。しかも私達が飲んでいたのは廉価版であるのに対して、特級だそうだ。
由香里はソティの発言を聞いて、安堵の息をついた。
『どうやら、お役に立てそうね』
由香里の発言に、アイマスがソティへと顔を向ける。
『ユカリではなく、ユカリ様と呼ぶべきか?』
『玉座が必要かもしれないので御座います』
ソティもアイマスの問いかけに乗っかって揶揄うような事を言えば、由香里は声を上げた。
『二人とも、怒るよ?』
由香里が膨れて見せると、アイマスとソティは笑い、私とクシケンスも顔を見合わせて笑う。どうやら、何とかなりそうである。私達は歩みを再開して、国境の山脈を越えるべく進んだ。
私達がアンラへと辿り着いたのは、アマウンキットを出てから二十日後であった。相変わらずの喧騒を懐かしく思いながら、まずは冒険者ギルドへと顔を出す。昼時も過ぎた時分であったためか、人の姿は疎らで、カウンターでは頬杖をついて尻尾を揺らす猫獣人のチッコが、退屈そうに欠伸を噛み殺している。
「チッコ〜おひさ〜」
私達が近付くと、顔を上げたチッコの表情が花やぐ。しかし、すぐさま取り繕うと、チッコはお淑やかに声を上げた。
「お帰りなさいませ、アエテルヌムの皆さん」
そんなチッコの反応に、私、アイマス、ソティは訝しげな顔を見せる。何言ってんだこいつ?—と訝しんだ私は、カウンターの裏へと回り込みチッコの尾を掴んだ。
「ひにゃあああ!!な、何するのよ〜!」
チッコは尻尾を庇い、私から飛び退く。その反応を見て、私は安堵の息を吐いた。アイマスとソティも表情を和らげる。
「…これでこそチッコだな」
「…この反応がチッコで御座います」
「…良かった。熱がある訳ではなさそうだね」
酷い連中であるという自覚は、ない事もない。そんな平常運転の私達に、チッコは顔を真っ赤にして抗議してくる。
「ちょっと!お客様を連れてきている時くらいは、ちゃんとやらせてよ!」
チッコの言葉に私達は背後を振り返る。そこには、苦笑を浮かべるクシケンスと由香里の姿があった。ああ、成る程—と、私達は納得した。
「うちの新しいメンバーで、クシケンスとユカリだ。ユカリは遠方の出自で共通語を喋れないから、念話で頼む。意思疎通の像を借りるぞ」
アイマスがそう言って意思疎通の像を一つ由香里へと手渡した。チッコもカウンターの向こうで意思疎通の像を握り込む。
『はじめまして、クシケンス、ユカリ。私はアンラギルドの受付で、チッコと申します』
チッコが頭を下げれば、クシケンスと由香里もそれに倣った。
『は、はじめまして…クシケンス…です』
『はじめまして。由香里と申します』
二人の姿を一巡したチッコは、私達古株の三人をジト目で見ながら二人に尋ねる。
『アエテルヌムで良いの?本当にアエテルヌムで良いの?こう言っちゃなんだけど、この三人酷いわよ?』
客ではないと分かった途端、フランクな態度へと変わるチッコ。それにしても、随分な言い様である。いつもならば即座に制裁なのだが、アイマスもソティも特に抗議しない。私も同じくだ。今日はクシケンスと由香里がいるため大人しくしているのだ。後でしっかりと制裁するため、この場を騒がせる事はしないだけである。
『でね、聞いてよ〜』
それはそれとして—と、一頻り私達の不在の間に起きた笑い話を語り始めるチッコ。受付業務とは無駄話をする事なのだろうか。私達は苦笑いしつつ、久しぶりに会う友人のストレス解消に付き合う事にした。
—ゴォン—
鐘の音がなり、我に返ったチッコは仕切り直す。あ、そういえば—と、何かを思い出したのか、私達三人を見回してから言った。
『ギルマスが呼んでたよ?顔を見せたら即座に連れてくるように—って言われたの』
私、アイマス、ソティの三人は、チッコの言葉に眉間を揉む。
『ほぅ、即座に』
『即座にで御座いますか?』
『即座の意味分かる?チッコ?』
私達の言葉には何も返さないチッコ。大物である。暇なのを良い事に、長々と会話を楽しんだ後の一言がこれだ。大人しいクシケンスも由香里も苦笑いである。どうやら、チッコという受付嬢の人間性が正しく伝わったようだ。
『そんな訳で、ギルマスは今執務室にいるから。行ってらっしゃい』
そしてチッコは私達に向けて手を振る。何から何までおかしい。私達はまたしても眉間を揉んだ。
『連れてくるように—とは』
『連れてくるように—と、言われているので御座いますよね?』
『チッコの査定に期待が高まるね』
しかし、やはりチッコにはノーダメージであるらしい。私達は嘆息してカウンターの裏から階段を上ると、三階の執務室に移動した。アイマスがドアをノックすれば、中からは懐かしい声が聞こえてくる。
「おう、入ってくれ」
「失礼する」
執務室では、モスクルが神妙な顔で私達を出迎えた。何やら真面目な話であるらしい。モスクルの勧めに従い、私達がソファに腰を下ろすと、モスクルは意思疎通の像を手に持つ。どうやら、私達が意思疎通のリングを手にしている事に気が付いたらしい。チッコとは違う。モスクルは意思疎通の像のチャンネルを私達のリングに合わせると、徐に話し始めた。
『まずはクシケンス、君だ。森羅連合国からアンラの冒険者ギルドに対して、強い抗議文が届いた』
『え?』
モスクルの言葉にクシケンスの顔が青くなる。私達がモスクルに強い視線を向けると、モスクルはそうじゃない—と、言わんばかりに慌てて付け足す。
『正直、読むに値しない内容だ。君が気にする程の事でもないから捨て置いても良かったのだが、君の事である事も確かなのでな。抗議文は取ってあるが…読むか?』
クシケンスは逡巡した後、首を振った。森羅には余り良い思い出がないらしい。モスクルは首肯した後に続ける。
『君は正式にうちに移籍した。冒険者である以上、所属を変える事は自由だ。それについて森羅の冒険者ギルドから小言があるならまだしも、森羅連合国名義で抗議文が届けられるなど、巫山戯た話だ。もう気にしなくて良い。この話はこれで終わろう。気を揉ませて悪かったな』
『あ、はい…いえ、大丈夫です』
クシケンスは若干安堵したように息をつく。アエテルヌム唯一の良心を虐めないでほしいものである。
〈由香里は良心ではないのですか?〉
(由香里には深い闇が眠ってそうだから…)
私とラヴァの会話はともかくとして、モスクルは次いで由香里を見る。由香里はモスクルの視線を受けて姿勢を正した。
『ユカリ、君は迷宮核と一体化したと聞いているが、それは間違いないか?』
モスクルが魔物化の事に触れないのは、モスクルの気遣いなのだろう。モスクルの言葉に由香里は首肯してみせた。モスクルはそれを受けて、何度か頷いた後に告げる。
『嫌な話だが、君を殺して迷宮核を奪い、それを売れば数代は遊んで暮らせるだけの財が手に入る。良からぬ事を考える輩が出ないとも限らない。アマウンキット支部のホーリー支部長から、腕輪を受け取ったそうだな?それを普段は外さないように。また、他言もしてはならない。良いな?』
『はい、お気遣い有難うございます』
由香里の返事にモスクルの眉間から皺が消える。どうやら、重要な話は終わったものであるらしい。モスクルは、由香里から私達へ視線を戻すと、意味深な笑みを浮かべて尋ねてきた。
『ところで、今後はどうするつもりだ?拠点の話は蹴ったらしいが、五人で宿暮らしは手狭だろう?ユカリは共通語を話せないというのも大きい。どこかに部屋でも借りるのか?』
モスクルの問いかけに私達は顔を見合わせた。アイマスが代表して答える。
『それなんだが、家を買おうかと思っている』
アイマスの言葉に、ほぅ—とモスクルは声を上げた。アイマスは続ける。
『クシケンスは移籍に抗議される程の錬金術師だが、その分設備が凄いんだ。それを置くとなると、賃貸では割高になってしまう。ユカリの事も考えれば、持ち家の方が安心できるという事もある。Cランクで持ち家など贅沢なのは分かっているが、資金も何とかなりそうなのでな』
アイマスの言葉に、モスクルは顎鬚を摩る。何かあるのであろうか?—と首を傾げてモスクルを見ていると、モスクルはソファの傍から大きな布袋をテーブルの上に置いた。ガチャリ—と、硬質の擦れる音がなる。中身は貨幣であるらしい。
『お前達には何かと世話になったからな。無利子でこれくらいなら貸せる。必要か?』
その言葉に私は目を見開く。アイマスやソティも驚きに目を見開いた。そんな私達の反応が余程愉快であったのか、モスクルは機嫌よく笑う。
『お前らが不正を見つけてくれたアマウンキットの支部長、ホーリーさんだがな…俺の恩師なんだよ。アンラの蟻の一件もそうだが、ホーリーさんまで世話になったとあっては、多少の依怙贔屓くらいは許されるだろ?』
私達は顔を見合わせて頷くと、モスクルに向き直った。
『そのお金、是非とも貸していただきたい』
アイマスの言にモスクルは上機嫌に笑うが、その後にはアイマスへと向けて釘を刺してくる。
『よし、借用書を書く。ちゃんと中味を自分で確認しろよアイマス?』
その手の事は私に任せっきりなのを見抜かれていたようで、アイマスは苦笑いしながら首肯した。
『お前らの事は信頼しているからな…本当は借用書なんか無くても良いんだがな…俺個人の金では無くてギルドの金だからな』
この言葉に私達は目を見開いた。モスクルが個人で貸してくれるものかと思っていたからだ。ところがそうではないらしい。横領とかにならないのか?—と慌てて私が尋ねれば、モスクルはジト目を私に向けてくる。
『お前…冒険者の規約…読んでないだろ?』
一瞬何の事か分からなかったが、すぐに思い至り誤魔化すように笑った。
『え?あはは…』
私が一同を見回すも、由香里はともかく、全員が目を逸らした。カウンターに置かれている分厚い本の事であろう。多分、誰も読んでいない。私達のみならず、どんな冒険者でもだ。おそらくはそれを知っているであろうモスクルは、嘆息してから話し始めた。
『それなりに優秀な冒険者には、支度金の名目で金を貸すんだ。利子は年一割。相当な格安だ。だが、額がデカくなると利子もまたデカくなる。Cじゃこの額に対する利子はキツかろうよ。だから無利子で貸すんだ。誰にも言うなよ?支払いは報奨金から差っ引くから、それも承知していてくれ。まとめて払いたい時には俺のところに直接持ってくる事。良いな?』
私達は破顔して頷いた。どうやら、資金問題は思っていたよりも簡単にクリア出来そうであった。