真、迷宮主に会う
『紅茶が良い?コーヒーが良い?』
腰を落として戸棚の中を漁りながら声をかけてくる。誰が?迷宮主がだ。かつての世界ならば割と簡単に受け入れられたかもしれない光景であるが、今の私には違和感しか覚えない。なんとなくきまりが悪くなり、一先ず遠慮した。
『お、お構いなく』
けれど、私のそれは余計な気遣いであったらしい。興味津々といった様子で、皆は己の希望を口にした。
『コーヒーとやらが飲みたいな』
『では、私もそれをいただきたいので御座います』
『あ…じゃあ…私も、コーヒーで…』
『紅茶をいただけますか?』
ラヴァは胸を張って告げたが、私は鬼の形相で待ったをかける。
『ラヴァ、足並みを合わせなよ!』
コーヒーと紅茶では、淹れ方が違う。一人だけ別の物を頼んでは手間だ。それにラヴァは鳥だ。水でも飲んでろ。
『アエテルヌムは同調圧力のないパーティなのです!』
けれどラヴァは退かない。キッとこちらを睨み付けて、とても共感できる事を口にすれば、その通りだ—と、思わず半歩後退る。しかし私も退けない。
『今だけは遠慮してちょうだい!ね!?』
私の剣幕にラヴァは泣く泣く頷く。う、こういう反応をされると弱い。ごめん。
『う、うーん。じゃあ…どっちも用意しよっか?』
それを見た由香里は苦笑いで紅茶も用意してくれた。逆に申し訳なく思ったが、一先ずそれは置いておこう。そう、由香里である。一年と少し前になるか。私は彼女と出会っている。書店で彼女とぶつかった際、彼女のものと思わしき書類を拾い届けたのだ。前髪のやたらと長い男の部下と思わしき女性だ。
(こっちに飛ばされていたのは、私だけじゃなかったんだ…)
当初、由香里は私を見ても思い出せなかった。当然であろう。私は一年で随分と大人びた雰囲気へと変わったのだ。由香里は変わったか?—否。あの頃のままであった。まあ、もう由香里は大人だ。一年かそこらでは変わらないだろう。強いて変わったところを挙げるなら、やたらと肌が白くなった事くらいであろうか。
『改めまして、高田 由香里と申します。真さんと同じ世界の出身で、今は見ての通りアルラウネ?というモンス…魔物です』
私達は由香里の姿を上から下までまじまじと見つめた。髪の色は私と同じで黒だ。魔物と言うだけあって眼は黄色く肌がまるで植物の茎のように青白い。そして部屋着である。紛う事なき部屋着である。
『それにしても、便利ね。この“意思疎通のリング”。本当にお互いの言葉が分かるのね』
『はは、言葉が分かってる訳じゃないけどな』
アイマスがコーヒーを飲んで笑う。酒に強いアイマスは、コーヒーの苦味も苦にならないようだ。私には少し辛い。ソティは早々と飲み干して紅茶をいただいていた。コーヒーはダメだったらしい。そして意外にも、クシケンスとラヴァはコーヒーが口に合うようである。
『まず、ここは何なんだ?マコトやユカリの世界の建造物か?』
アイマスが室内を見渡しながら由香里に尋ねれば、由香里は少しだけ考え込んだ後、渋い顔で答えた。
『正直、私にもよく分からないの。向こうの世界での私の部屋であった事は確か。でも、どうしてそれが再現されたのかは…ちょっと良く分からないかな』
私もアイマスにつられて部屋を見回す。白い壁紙にフローリングの床。作りは2LDKと、一人暮らしにしては広い。私達が通されたのはリビングで、革張りのソファが二つに、ローテーブルが一つ置いてある。ソファの正面には、大きな壁掛けのテレビがあり、テレビの脇には音響装置の類と思わしき物が置かれている。ホームシアターとか呼ばれる機材だったはずだ。
(金持ちの家だ)
なお、ソファの背後には大きな窓があり、その外側には綺麗なベランダが見えているが、窓はやはり何をしても開きそうにはない。
(でも…それよりも…)
私はリビングのある一点に視線を向けた。
(気になるのはあれだよね)
〈アレですね〉
壁には綺麗な調度がいくつか並べられており、その上にはびっしりと写真が立てかけられている。それは良い。なんら悪い事でもない。問題なのは、その写真の何れもが、前髪の長い男性の横顔であった事だ。あの時、由香里と共にいた男性なのだろうが、まるで隠し撮りしたかのような写真の数々に、思わず喉を鳴らす。
『…あれは?』
考えたのみで問いかけたかった訳ではないのだが、意思疎通のリングを嵌めているために漏れてしまったらしい。由香里は徐に立ち上がると写真立てまで近寄り、全ての写真を裏返してしまった。
『何でもないのよ』
そう言って由香里は向き直ると、ニッコリと微笑む。あ、この人危ない人だ—とか思って、私は僅かに怯んだ。
『…あ、はい』
『…そうか』
『…え?えと…はい』
アイマスにクシケンスも私と共に由香里からそっと視線を逸らす。そんな中、まぁ—と、嬉しそうに手を叩く者がいた。
『…同じ人種の匂いを感じたので御座います』
ソティだけはシンパシーを感じたようである。もはや間違いない。由香里は危険人物認定だ。
(同胞…ようやく見つけた同胞が…)
〈…心中お察しします〉
由香里が再びソファに腰を下ろすと、さて—と前置きしてから、アイマスは真剣な顔を作る。私達もアイマスへと視線を向ければ、アイマスは徐に口を開いた。
『まず、ユカリが問答無用で襲われた原因だが、アルラウネという魔物の種であった事が原因だ。アルラウネという魔物は、他の生物に寄生して養分としながら成長するんだ。この寄生する段階において、アルラウネは寄生を狙う対象と同じ種類の生物の姿を真似る。最初に見た時は分かっていても思わず身構えたぞ?そんな訳で、寄生対象を探してる—と思われたんだろうな』
アルラウネの生態を知らない私は、由香里の姿を見ても何とも思わなかった。玄関を開けて出てきた由香里の姿を見て、むしろ安堵した程であった。人間と全く変わらなかったからだ。眼の色と肌の色以外は。けれど、アイマス達は違った。大きく後ろに跳びのき、身構えたのだ。クシケンスは腰を抜かして震えていたが。
『…そう、そうなの…じゃあやっぱり私には人間社会での生活は無理ね』
由香里は少しだけ寂しそうに笑って言った。しかし、これに待ったをかけたのはアイマスである。
『ええと、クシケンス、魔物落ちの定義ってのがあったと思うんだが?理性が残ってれば魔物とは認められないんじゃなかったか?』
はっ?—と、間抜けな声を上げる。そんな話は初耳であった。由香里も目を見開いている。そんな私達は置いてけぼりにして、アイマスに尋ねられたクシケンスはメモ帳を取り出すと、パラパラとめくり始めた。やがて、分厚いメモ帳をめくる動きがピタリと止まり、クシケンスは語り出す。
『アイマスさんの…言う通り、です。史歴一〇九四年に…ゴブリンと、なってしまった少年の、記録が…残っています。名前もない、小さな村で…村人達は、精霊石を、個別に買うお金もなく…結界となる精霊石のみで、村を保護していた…ようです。この中で…ある少年が、結界の外へと、出てしまい…帰ってきた時には、ゴブリンになっていた…そうです。しかし…少年としての記憶も理性も、残しており…何より、ゴブリンと分かるものの…その見た目は、人間として…十分通用するもので、あったそうです。流石に、何も分からない少年を、殺すのも忍びない—と判断した…村の上役達は、司法機関へと、願い出る事に…なります。余談ですが…少年一人のために、馬で何日もかかる町まで…出向くか?—という意見も、ありまして…この部分の真偽は、未だに議論が…行われている部分でも、あります。すみません、横道に…それました。…話を戻します。この一件が、きっかけとなり…人が魔物に落ちる現象—魔物落ちに対して…一定の法…と言うよりは、ガイドラインが…相応しいですかね。が、設けられるのです。それが…魔物落ちの定義です。一つ…体内に、魔石を生成している事。一つ…理性を、残していない事。一つ…人、或いは馬などの財産を襲う…または、襲おうとした事。魔物落ちした人間は…この三つを満たした場合に、魔物と…認定されます』
私と由香里は二人揃って、はぁ〜—と声を上げる。要するに、由香里は魔物ではないのだ。聞いて良いものかどうか分からず逡巡したが、思い切って由香里へと尋ねた。
『由香里さんは、やっぱり魔石があるのだよね?』
由香里は苦笑いしながら答える。
『由香里でいいわ。その代わり、私も真って呼ぶね。…で、魔石よね?あるわよ?これね?』
そう言って由香里は部屋着のブラウスの胸元を広げて見せた。胸の中央程に、大きな赤い鉱石らしきものが埋まっている。だが、それを見たクシケンスがコーヒーを吹き出した。思わず私はクシケンスを咎める。
『クシケンス汚い』
『す、すみません…ですが、言わせてください。あの、それ…それ、魔石ではありません!迷宮核です!』
この言葉にアイマスとラヴァがコーヒーを吹き出し、ソティは紅茶を吹き出した。この流れ、私も吹き出さなくてはならないのだろうか。
『真は吹き出さなくて良いからね?』
コーヒーカップを徐に握ろうとしている私に、由香里の掣肘が入る。由香里は皆にハンカチを手渡すと、布巾でテーブルを拭いた。
『ですが、どうして迷宮核が体内にあるので御座いましょう?』
ソティの問いかけに、おそらくは—と前置きした後、クシケンスが答える。
『ユカリさんが、魔物化する過程と…迷宮が作られるタイミングが、同時だったのでは?…魔素はより…密度の高い場所に、集まります。由香里さんが、魔物化して…魔石が出来上がる時…迷宮核もまた、出来上がったのです。これにより…二つの魔力の塊は、結合したのかと…乱暴ですかね?』
クシケンスは最後の最後で自信なさげに呟いた。私達は腕を組んで考え込む。アイマスが由香里へと尋ねるが、魔物化した時の事は覚えていないらしい。
『この世界で意識を取り戻した時は、森の中だったの。少し歩いたところで巨大な蛇に出会ったわ。必死に逃げて、運良く逃げ延びる事は出来たけれど…何が原因なのか、高熱が出たわ。意識は朦朧としているし、身体は重いし、ほとんど何も考えられなかった。それでも必死に逃げて…洞窟を見つけて転がり込んで…そのまま意識を失った。気が付いた時には…この身体よ』
高熱が出た—おそらくはこの時点で、既に肉体の変質が始まっていたのだろう。蛇から逃げ延びる事が出来た事は、幸運としか言いようがない。よくぞ生き延びてくれたものである。
『ここまで皆さんの話を聞いて、少しだけ希望が持てた。有難う。次は私から良いかな?』
由香里の言葉に皆が首肯する。由香里が尋ねてきたのは、この世界の事であった。精霊石とはどんなものであるのか?魔石とはなんなのか?魔素とはどういったものか?迷宮核とは何か?
『ああ、それはな—』
由香里の質問は、今し方会話した内容の中で、由香里に馴染みのない単語に集約されていた。どうやら全て記憶しておいて、纏めて聞くタイプであるらしい。物覚えが非常に良いようである。羨ましい。
『—つまり、ここはあたし達の世界で言うところの、剣と魔法のファンタジーな世界だよ。命懸けだけど』
私は光の球を無数に浮かべて、由香里に説明した。由香里は顎に指を当てて頻りに頷いている。
『真…凄いわね。この世界に来てすぐにゴブリンを素手で倒すなんて…私なんて蛇にすら立ち向かえなかったのに…』
『そこ、触れる?…あんなの火事場の馬鹿力状態だよ。向こうの殺意が明確に見て取れるから、こっちも必死だっただけさ』
私が渋い顔を見せると皆が笑った。由香里も笑っていた—が、やはり最後には俯く。それを訝しんだ私は由香里に問いかけた。
『まだ…何か心配事があるの?』
『…うん…見てもらった方が早いかな?』
由香里は苦笑いして立ち上がると、私達を手招きした。連れて行かれた先は、由香里の寝室と思わしき部屋であった。だが、寝室の半分は土で埋まり、その真ん中には巨大で肉厚な花弁を大きく広げる花が咲いている。ベッドはなく、辛うじてクローゼットが半分開けられるくらいのスペースしかない。
『…これは、アルラウネの花です…』
クシケンスがまじまじと花の花弁を観察しながら告げる。どういう事かと尋ねる前に、ラヴァが答えた。
『成る程。アルラウネの精である以上、定期的にアルラウネの花弁の上で、活動するためのエネルギーを補給しなくてはならないのですね?』
由香里は頷いた。
『そう、大体一日一回。私はこの花弁の上で花弁から養分を分けてもらうの。どちらかと言えば、花弁が私の本体なのかな。食事なんかも出来るし、そこからも栄養を取り込めているみたいだけれど、ごく僅か。殆どは未消化で出てゆくわ。私はこの巨大な花無くして生活できないのよ。こんなの…どうやったって運び出せないわ』
由香里はそう言って悲しげに笑ったが、私を含めて全員が何でもないかのような顔を見せる。実際にどうという事もないし。これには由香里も疑問を感じたようである。
『え?…まさか…』
私は何でもないかのように言って退けた。
『いや、運べるよ。このくらい。楽勝』
『…え?嘘…』
私の発言に由香里が固まれば、アイマスが両手を叩いて言った。
『うっし!問題解決だな!ここは良い場所だが、部屋から出られないのはちょっとな…さっさとアマウンキットに戻るぞ。ユカリも一緒にな』
『え?え?』
ソティは既にリビングで紅茶を啜っているらしい。離れた場所から声が聞こえた。
『ある程度の道具は一緒に持ち出しておいた方が良いので御座います』
『え?え?え?』
アルラウネの花弁を頻りにスケッチしながら、クシケンスは言う。
『あと少しこのままでお願いします』
マイペースな事である。これにはアイマスも苦笑いだ。
『手早くなクシケンス』
『え?え?え?え?』
由香里は困惑している。当然である。キングサイズのベッドより更に大きかろうという巨大な花だ。花弁も何層にも分かれている上に、一枚が相当に肉厚で重そうである。いや、実際に重いらしい。クシケンスが重量を確かめるべく持ち上げようとしているが、ピクリともしない。
『む、無理でしょ?こんな大きな花…螺旋階段を通過できないわよ?』
ところが、ここまで言われても未だに信じられないらしい。由香里は訝しむような視線で私達を見る。まあ、そうだよね。
『何だユカリ、ここを出たくないのか?』
そんな由香里に、アイマスがニヤニヤしながら意地の悪い事を聞く。由香里は困惑しきりだ。リビングから戻ってきたソティも、微笑みながら二人のやりとりを眺めていた。何故戻ってきたかは不明だが、Sの血が騒いだに違いない。
(そろそろ教えてあげるべきだよね)
私は嘆息すると、ラヴァを呼んだ。
『由香里、見てて…ラヴァ、お願い』
『任されました』
ラヴァが黒い球体を広げて、土ごとアルラウネの花を飲み込んだ。クシケンスがぎゃああ—とか声を上げている。まだスケッチの途中であったらしい。ごめんクシケンス。
さて、由香里は土ごと花の消えた寝室へと入ると、丸く抉り取られた土や床を摩る。しばらくはそんな事を繰り返していたが、やがて、どういう事か?—と、私に視線を送ってきた。私は首肯すると、ラヴァに視線を向けて答えた。
『ラヴァはね、亜空間を開けるから。その中に保管してあるんだ。ほら』
私が声をかけると、ラヴァが再び黒い球体を僅かに広げる。球体の奥には、確かにアルラウネの花が見える。由香里は何も言えなくなり、口をパクパクさせていた。
『ははは、まあ、そんなもんだ。悩みなんて、他人に話してみれば、あっさり解決する事もある』
アイマスが由香里の肩を叩いてからリビングに戻る。ズズ—と、啜る音が聞こえた。きっとコーヒーだ。気に入ったらしい。由香里は何とも言えない顔をしたまま、誰もいない空間に向けて頷いていた。
(あれ?そういえば…この迷宮…)
ふと、私は疑問を覚えてクシケンスへと尋ねる。
『ねえクシケンス。由香里がここから出た場合、迷宮はどうなるの?』
クシケンスは描きかけのスケッチから視線を上げると、恨めしそうな目で私を見ながら答えた。
『…迷宮核を、持ち出された迷宮は…休眠状態に、入ります。それ以上、成長することはなく…現在の状況が、維持されます。せいぜいが…魔物は当たり前のように、復活するくらいですか』
私はそれを聞いて満足げに頷いた。この迷宮の一階層は、随分と美しい庭園であったのだ。それに、由香里の自室とも呼ぶべき部屋もある。それらを失うのはやや心苦しかったのであるが、その点においても問題はないらしい。
『分かった。有難うクシケンス』
未だに恨めしそうな目を向けるクシケンスに礼を告げてからリビングに戻ると、美味しそうにコーヒーを啜るアイマスへと尋ねる。
『これは、攻略した事になるかい?』
アイマスはコトリとカップを置くと、笑ってみせた。
『そうだな、公にはできないが…攻略には違いないな』
『アエテルヌム初の迷宮攻略で御座います』
アイマスに続いてソティも笑う。日頃のそれとは違い、含むところのない笑顔だ。そこにクシケンスと由香里もやってくる。私は小躍りしながら皆に言った。
『こういう時はハイタッチでしょ!』
達成感を皆で共有するための儀式だ。ところが、アイマス、ソティ、クシケンスの動きが止まる。どうしたのか?—と首を傾げる私に向けて、ラヴァが告げた。
『…貴女がゲロ塗れで寝ている隙に、もうしましたよ』
『なん…だと…』
私抜きで既にハイタッチを済ませていたらしい。そこは待ってくれても良かったのではなかろうか?—と、項垂れた。アイマスがそんな私を見て笑い、ソティが陶然とした表情を見せる。クシケンスは申し訳なさそうに俯き、由香里は吹き出していた。
『よし、じゃあ新しいパーティメンバーも加わった事だし、改めてハイタッチしておくか!』
アイマスの言葉に、私は歓喜の声を上げる。流石はアイマス、分かってる。早く早く—と、呼び集めれば、由香里はやや困惑していたが、その表情には先程までの陰りは見えない。私が手を上げれば、苦笑しつつもそれに倣ってくれた。
『行くよ!』
私の掛け声で、六人の掌が打ち鳴らされると、私達は互いを労いあった。ところで、ラヴァは混ざろうとはせずに、ニコニコと微笑ましいものでも見るかのような視線をこちらに向けている。分別ある大人であるかのような態度に、逃してなるか—と悪戯心が芽生えた。
『ラヴァもおいで!由香里、カメラない?カメラ!』
私がラヴァを抱き抱えて尋ねると、由香里は思い出すかのように部屋の中を見回してから応じた。
『え?ポラロイドなら…』
『サイッコーじゃん!撮って撮って!』
私が何をしたいのか理解した由香里は、棚の中からカメラと三脚を取り出して組み立てる。私もその設置を手伝った。器用な事に、ラヴァも手伝ってくれた。そんな私達を訝しげな顔で見つめるアイマス達。そりゃ分からないよね。
『じゃあ、強い光が一瞬見えるけど、攻撃じゃないから反撃しないでね。…特にソティ』
私が注意事項を伝えると、ソティはプリプリと怒り出す。
『そんな事しないので御座います』
ならば安心か—と考えていたのだが、実際に一枚撮影してみると、写し出された写真にはソティの袖から投げナイフがチラリと見えている。どうやら反撃しようとしたものであるらしい。ソティは私の視線から顔を背ける事で、追及を躱した。
『じゃあ、もう一枚撮るわよ?』
由香里がスイッチを押下すると、シャッターのタイマーが作動し始める。
『由香里、早く早く!』
私が急かせば、由香里はハイハイ—と、私達の列に並ぶ。
『こういうの、憧れだったんだ〜!』
『…友達と写真撮ったりとか?』
私が笑いながらそんな事を言ったからだろうか。由香里が不思議そうな顔で尋ねてくる。今の世の中、街角にも写真を撮るゲームコーナーなど腐る程ある。それを思えば、由香里の反応はもっともだ。
『そっ!アニメ、ゲーム、漫画!私は超インドア派だったからね!友達なんてネット上にしかいなかったのさ』
事実とは若干異なるが、親に言われるままに進んだ先が進学校であったせいか、皆、勉強に必死であり、外で遊ぶ—という事はほとんどなかったのである。
—パシャ—
私がおかしな事を語ったせいなのであろうが、二枚目の写真は由香里が私を見て目を見開いていた。それを見たアイマスは、渋い顔で誰ともなしに尋ねる。
『おい、ユカリが笑ってないけど、良いのか?』
『…当然ダメで御座います』
先程ダメ出しをされたソティがしたり顔で告げると、再度取り直しが決定した。ちなみに、一枚目も二枚目も、クシケンスは困惑顔だ。それは何故か許されている。
—パシャ—
『どうでしょうか?』
『うん、良いんじゃないか?しかし、写真?凄いな!』
アイマスが出来上がった写真を見つめながら感嘆の声を上げれば、それにソティも乗っかってきた。
『本当で御座います。これなら色んな角度から被験体を…』
『被験?この場合は…被写では?…ひぃぃっ!?』
ソティの発言に何かを言おうとしたクシケンスであったが、頭を隠すように蹲る。それもそのはず、ソティの脳内映像と思わしき、モザイク不可避のグロ画像が私の脳裏にも流れてきた。超迷惑。
『ソティやめて!意思疎通のリングでこっちにも流れてくる!』
『クシケンスはいつもこんなものを見せられているのですね…』
私は意図せずにクシケンスの苦悩を理解した。早いとこ、由香里には言葉を覚えてもらう必要がありそうだ。意思疎通のリングを一刻も早く外すために。
「うん、こんなもんかな」
「真、これ使いなさい」
写真を由香里から手渡されたアルバムに入れると、外は既に夕暮れである。迷宮内の夕暮れが、外の夕暮れかどうかは知らないが。
『そういえば、腹が減ってきたな』
『じゃあ、何か作るわ。今日は泊まっていきなさいよ』
アイマス達の腹時計も夕飯であると告げており、私達は由香里の部屋で一泊する事になった。台所に向かう由香里の後を私も追う。当然、お手伝いだ。由香里と共に台所へ入れば、予備と思わしきエプロンを渡される。私はそれを身に付けながら、冷蔵庫から次々に取り出される食材を見て苦笑した。
「コーヒーも不思議に思ったけど、食材もあるんだね…」
「迷宮様々ね。真も座ってていいのに」
二人きりで話をするのに、意思疎通のリングを介する必要などない。私と由香里は日本語で会話をしていた。
「ううん、手伝いたいんだ。ごめんね、助けに来るのが遅くて」
私の言葉にキョトンとした顔を見せた由香里であったが、すぐにニヤリと笑って言う。
「本当に。待ったぞこの野郎」
そう言って肘で押された私は、顔は笑顔を作りつつも若干涙ぐんでいた。
「良かった。本当に良かった…良かった…」
私の嗚咽に、由香里は苦笑いしつつ私を抱きしめる。
「真が泣くの?私が泣けないじゃない」
「うう…ごめん、なさい」
さっきまでは明るく振舞っていたが、ようやく出会えた同胞に安堵してしまったらしい。止めどなく溢れる涙に、私は由香里の胸で泣いた。
『すまん。酒のつまみを…』
と、そこへアイマスがやって来る。お酒のつまみがなくなったらしい。アイマスは立ち尽くしたまま、由香里を見て、次いで私を見る。私がえぐえぐと泣いているのに気がつくと、ニヤリと笑った後に手招きでソティ達を呼び始めた。無音でやってきたニコニコ顔のソティの手には、先程のカメラが収められている。鬼かよお前ら。
『ちょ!そういうのはなし!』
慌ててカメラを取り上げようとするも、時既に遅しだ。容赦なくシャッターは切られ、私の情けない顔が記録された。
『ははは、可愛いぞマコト!』
『これも保存しておくので御座います』
『あ、あまり弄っては…ひぃ!』
私達のそんな姿に、由香里も緊張の糸が切れたのかもしれない。私同様に、大粒の涙を流し始める。由香里も激写された。
『じゃあ、夕食の支度をしなくちゃね。ほら、真も手伝ってくれるんでしょ?一緒にやろう』
目元を拭いながら、由香里は気持ちを切り替えて言う。私もいつまでも泣いてはいられないだろう。乱暴に目元を拭い、笑ってみせた。
『うん、アイマス達はもう少し待ってて』
私と由香里の言葉に、アイマス達は苦笑しながら頷く。
『手伝いたいが、勝手が分からなくてな。見てても良いか?この場所は見ていて飽きない』
『また泣き出したら写真を撮るので御座います』
『色々と…学ばせて、ください』
どうやら、台所に興味津々のようだ。私は由香里と顔を見合わせて笑うと、せっかくだから—と、皆で料理を始める事にする。少し手の込んだものでも—と言いかけたところでアイマスとラヴァの腹が鳴れば、これは急がなくては—と、ビーフシチューを作る事に決まった。
さて、皆で作ったビーフシチューを食べたのだが—
『う、美味い!何だこれは!?』
『有り得ない味わい深さで御座います…』
『あ、ああう…あ、ああう…』
味見の段階から騒がしかった三人だが、皿に盛りつけられたものを口にすると、言葉を失っていた。食文化の発展途上であるこの世界の三人には、まだ少し早かったかもしれない。特にクシケンス。涙と鼻水で酷い顔だ。
『いただきで御座います』
そんなクシケンスの顔をフラッシュが襲う。やめてやれよ—と、思わなくもなかったが、これも後から見返してみれば、良い思い出になるのかもしれない。
ちなみに、ラヴァが鍋に首を突っ込み、残りは全て平らげた。当然大顰蹙である。また焼き鳥に一歩近付いた模様だ。
『ラヴァ!貴様!いくらなんでもそれは許されないぞ!』
『早い者勝ちですよ!トロいのが悪いのです!』
最近、本当にラヴァの食欲が怖い。男の子は皆こうなのだろうか。それとも、鳥だけがこうなのだろうか。或いは、ラヴァだけがこうなのか。そんな私の思いを他所に、睨み合うアイマスとラヴァだが、はいはい—と、由香里が間に入って仲裁する。
『落ち着いて。ここの食材なんかは数日経てば何故か復活するの。いつ来ても新鮮なものが食べられるから』
由香里の発言に私は考える。この部屋も迷宮の一部として認識され、自動的に再生するという事であろうか。だとすれば—
『魔素は食材にも変わる?』
『やめろマコト!シチューが不味くなるだろ!』
『あ…ああう、あ…ああう』
私の呟きを拾ったアイマスがマジギレする。クシケンスも涙目で何かを訴えてくる。そんなにか、君達。ちなみにソティは祈りを捧げ、ラヴァは二つ目の鍋に首を突っ込んでいた。
『ラヴァ!貴様!』
『くはははは!強い者が多く食べる!当たり前の事です!』
もはや焼き鳥待った無しの模様である。さて、その後は順番にシャワーを浴びたのだが、アイマスとソティはシャンプーとボディーソープに感激していた。クシケンスも必死に何かをメモしている。そのうち再現しそうである。
私もラヴァと共に入り、ラヴァを綺麗に洗う。もちろん私はバスタオル装備で、表にはタオルを広げた由香里が控えているが。
『…一人で入りたいのですが』
『一人じゃ洗えないでしょ?ほら、羽広げて』
今の私はお母さん気分だ。ちょっとだけ楽しい。ラヴァも文句を言いつつも、少し嬉しそうである。シャワーを浴びた後は、皆でピロートークであるのだが、アイマスは既に酔って寝ていたりする。
『私は神に仕える身。もしこの身を好きにできる殿方がいたとすれば、私が仕えるに相応しい力を持つ神の如きお方で御座います』
『ソティ、生涯独身確定じゃん』
私が切り込むも、ソティにはノーダメージであるらしい。満足げに首肯している。それで良いのだろうか。そしてクシケンスは、なるほど—と、頻りにメモを取っていた。今の話の何処にメモを取る要素があったというのか。
『由香里は?』
由香里に顔を向けて答えを待つ。由香里はうふふ—と、少しだけ焦らした後に語り始めた。
『少し陰があって、優しい人。本当は強いのに人前ではそんな素振りも見せず、ペコペコと頭を下げるの。身長はそんなに高くないけれど、背後から見ると背中の筋肉と腕の太さが際立つのよ。前腕に見える太い血管が最高。なのに掌が綺麗なのは残念だわ。あれはいただけない。爪なんて私より綺麗とかどういう事!?しかも婚約者って何!?そんな半年も会わないような婚約者なんていてもいなくても変わらないわよ!むしろいなくて良い!』
『ストーップ!』
異性の好みを聞いたはずが、誰か特定の個人の事を言っている気がしてならない。途中から熱を帯びてきて、危険な色が眼に宿り始めた。私が静止した時の由香里の瞳は捕食者の—否、魔物の眼である。きっと写真立てに飾られていた、横顔の男性であろう。
『えーと…取り敢えず、横恋慕はいかんと思います』
なんと言って良いものか分からなかった。揉め事はごめんだが、たった一人の同胞である。曖昧に済ますのもどうかと思うし、今回は諌める事にした。しかし、由香里は首を振る。そんな言葉は求めていないとばかりに。
『…いい、真?助けてあげなくてはいけない場合もあるのよ』
由香里の眼は、未だに爛々と危険な色を帯びている。ソティも由香里の尖りっぷりに大満足である。私は由香里の矯正を検討しようかと、真剣に考えた。由香里の言葉を借りれば、助けてあげなくてはいけない場合というやつだ。
『マコトは…森先生ってどんな人なので御座いますか?』
ところが、ソティが唐突に矛先をこちらへと向けた。以前から聞きたかったのだろう。けれど、それはもう終わった事だ。蒸し返してはならない話だ。黒歴史というやつだ。私は全力で抵抗した。
『やめて!父親の面影を重ねちゃっただけだから!そんなんじゃないから!』
けれどソティは聞かない。人の話を聞かない奴ばかりだ。
『信仰とは、己の闇を見つめるところから始まるので御座います』
闇ってなんだよ。私には闇なんてないし。
『ソティは闇しかないじゃん!頭の天辺から足の爪先まで真っ黒だよ!見つめ放題だよ!』
だが、ここで旗色が悪くなってきたソティへ援軍が加わった。由香里だ。
『へえ?森先生?詳しく知りたいわ』
『ふえっ!?』
由香里とソティは顔を見合わせると、危険な笑みを浮かべた。そのまま病み系の二人が私へと迫る。私は耐えられなくなり、トイレに逃げ込むと鍵を閉めた。
『…え?…あ、あの…私は…そういう、ひっ!?』
おかげで、代わりにクシケンスが迫られているらしいが、私とて我が身が可愛い。申し訳ないが、クシケンスには犠牲になってもらう事にした。グーグーと呑気に寝ているアイマスが恨めしい。手っ取り早く寝るために、私もお酒を覚えるべきか—と、トイレの中で唸るのだった。
『あ…ああ、ああ〜!!』
何が起きているのかは知らないが、クシケンスよ、許せ。