真、新たなSランクに出会う
今回は特に長いです。その割に話は進まないです。本当に申し訳ない。
羽を広げては、頻りに嘴で綺麗に伸ばすラヴァ。羽繕いはアンラまで行ってきた事の証左のつもりであろうか。ちょっと悪いかな?—とは思ったが、緊急事態である。私は心を鬼にしてラヴァへ告げた。
「ラヴァ、悪いけれど、アンラまでもう一往復お願い」
私の言葉に、ラヴァの目が点になる。え?え?—と、聞き直そうとするかの如く声を上げたが、何一つ冗談のつもりなどない。私は黙然としたままラヴァを見つめ続けた。やがて、何も言わない私の姿に本気なのだと知ったラヴァが声を上げる。
『そ、そんな無体な!』
確かに酷い。我ながらあんまりだとは思う。だが、行ってもらわねばならないのだ。最速の連絡手段はラヴァなのだから。
(う〜、ごめん)
私は心で涙を流しながら、ラヴァへ厳しく接する事にした。
「ラヴァ、アンラとマールィを往復したにしてはちょっと早過ぎるよね?風魔術使って加速したよね?ダイエットになっていないよね?」
『うっ!?』
図星であるらしい。鳥類とは思えないほどに顔色を変えて見せた後、ラヴァは観念した。
『…仔細を聞かせてもらえますか?』
「うん。実はね—」
私はこれまでの経緯を説明して、アンラのモスクルに、対処方を訪ねて来るようにお願いする。だが、それに横合いから待ったをかけた者がいた。ソティであった。何事か?—と私達が振り向けば、ソティは真剣な顔で言う。
「死刑込みで聞いてきてくださいませ。死刑の場合は是非とも私が—」
「じゃあラヴァ、お願い」
私はさっさとラヴァを送り出そうとすれば、任せなさい—と、ラヴァも飛び立とうとした。ここ最近のソティは素を出し過ぎであると思う。だが、再び待ったをかけた者がいた。今度は何だ?—と、私達は声の主へと振り返る。こちらに沈痛な面持ちを向けていたのは、受付嬢(元)であった。
「騙そうとしていた事は謝ります!ですが、国力を少しでも高めておかなくては、連合国となった後の発言権がほとんど得られないのです!国を思っての事で、私情は全くありません!どうか、慈悲を!」
年若い職員達も受付嬢(元)と共に頭を下げるが、取り合うつもりなどない。素気無く斬って捨てる。
「…ダメに決まってるじゃん。騙そうとしたばかりか、あたし達を消そうとしたよね?許すはずないでしょ。どんな罪に問われるのかは知らないけれど、達者でね」
「ま、待ってくれ!殺そうとはしていない!それは誓ってもいい!」
暴漢達の言葉になど耳は貸さない。我ながら酷いとは思うが、ここで甘い顔をしてはならないのだ。さっさと行って—と、肩を揺すってラヴァを飛び立たせようとする。しかし、ラヴァはできる事なら許してやりたいのだろう。しばらくは懇願するかのような視線を向けてきていたが、私の気が変わる事はないと判断したのだろう。深く嘆息してみせた。
「あ、あの〜」
ラヴァが飛び立とうとしたその時、年嵩の職員がおずおずと声をかけてくる。またかよ!—と、職員へ振り返る。用事は全員一度に済ませろ—と言いたい。
「うちのギルドマスターへ報告するのが妥当ではないでしょうか?」
ところが、発言の内容は至極まともであった。その言葉に、アイマス、ソティ、ラヴァ、職員の皆さんに、縄で繋がれた全員の視線が私に集中する。その目、やめてくれよ。私は耳まで真っ赤になって俯くと、小さく呟いた。
「はい、その通りでした」
そんな訳で、私達は年嵩の職員による案内のもと、ギルドマスターの執務室へとやってきた。ギルドマスターは別の建物に詰めており、やはり忙しいらしい。ほとんど受付のある建物には顔を出さないのだとか。
「ギルドマスター、緊急事態です。報告したいのですが、宜しいでしょうか?」
コンコン—と、職員が扉をノックしながら尋ねると、そう待つ事もなく声が返ってくる。
「あ、はいはい。どうぞ」
聞こえた声は随分と若く感じた。私が何となくラヴァに視線を投げれば、ラヴァも訝しんでいたものであるらしく、鳥らしい仕草で首を傾げていた。可愛いじゃないか。
「入ります」
年嵩の職員が扉を開けてまず中へと入り、私達を招き入れる。私もアイマスとソティの背中を見ながら中へと入った。
「こちらの方達が当事者です。説明はこの方達から行わせていただきます」
「え?はぁ…分かりました。お願いしますね…えっと—」
やはりギルドマスターは年若かった。私達を見回して声を詰まらせたギルドマスターの姿に、おお、森精族だ—と、私は少しだけテンションを上げる。殊更珍しい訳でもないが、森精族と山精族は目が可愛い。あの犬のような目は反則だと思う。しかも森精族は皆が皆、冷静沈着なイメージで取っつき難い。山精族とはまた違った声のかけ難さなのだ。故にそうそう話す事もない。
「アンラの冒険者でCランクパーティのアエテルヌムだ。私はリーダーのアイマス、こっちからソティ、マコトだ」
バカな事を考えている私を他所にして会話は進んでいた。アイマスの紹介に我を取り戻すと、慌てて頭を下げる。そんな私達に、ギルマスも丁寧にお辞儀を返した。
「ご丁寧に有難う。僕はこのアマウンキット支部のギルマスでホーリーだ。見ての通り森精族の爺さ」
しん—と執務室が静まり返る。森精族なのは見てわかる。さらっさらの金髪に長い耳、犬のようなくりくりと可愛らしい瞳。だが、見た目はまだまだ若者にしか見えない。髭すら生えていない少年か、或いは青年かといった年頃の者が、爺と称するのは如何なものか。
(…森精族流の?)
〈…さぁ?聞いた事ありませんねぇ〉
肩の上に乗るラヴァと顔を見合わせていると、余程私達の疑問が態度に出ていたのか、ホーリーは更に続けた。
「あ、いや、僕は本当に爺なんだよ?もうすぐ150歳になる」
「「「ええっ!?」」」
ホーリーの言葉に、私達は目を見開く。森精族が長命な種族であるという事は知っていたが、程があるだろう。羨ましい事この上ない。
「あはは、ごめんね。森精族の中では、ようやく折り返し地点にきたくらいだけれど、人間社会で暮らしていたせいか、すっかり老け込んじゃってさ。昔の仲間はみんな死んじゃったし…僕もね、精神的には老齢さ」
ホーリーは眼鏡の位置を正すと立ち上がり、私達の側と歩いてきた。
「さあ、座って。話を聞かせてくれるかな?お茶でも淹れよう」
ホーリーの勧めに従って、私達はソファへ腰を下ろす。ホーリー自身はゆったりとした動きでお茶を淹れ始めていたが、手伝うのも躊躇われた。私は僅かな緊張に背筋を伸ばしつつ、ギルドマスターの執務室を見回した。まず目に付いたのは立派な机。狭い室内の半分ほどをこいつが占めているかのように錯覚してしまう。次いで目に付いたのは壁に据え付けられた立派な書架だ。
(はぁ〜、偉い人は身の回りに置くものが、全然違うな〜)
〈庶民代表真さん!貴重なご意見有難う御座います!〉
庶民の務めですから!—と、笑いながら戯ける。ラヴァも笑った。
「楽しそうで何より」
いつの間にか茶器を手にしたホーリーは、ソファの近くまでやってきていた。アイマスとソティからジト目を向けられて、私とラヴァは慌てて姿勢を正す。
「そんな畏まらないで良いのに」
緩んだ表情を引き締める私とラヴァを見て、ホーリーは寂しげに笑った。
さて、ホーリーは随分と物腰の柔らかい人物であるらしい。ニコニコと微笑みを絶やさない姿はソティに通じるものがあり、それが故に最初こそ警戒したものの、どうやら杞憂であるようだ。私達は受付で起こった一部始終を語って聞かせる。話の途中でチラリと扉の方を見れば、私達を案内した職員は、いつの間にか消えていた。冒険者ギルドが多忙である事は事実らしく、きっと仕事が溜まっているのであろう。よくよく考えてみれば、暴漢達やら受付嬢(元)らを見張っていなくて良かったのか?—とも思ったが、無実である職員達が見張っていてくれるだろう—と信じて、気にしない事にした。
「—という訳だ」
アイマスが語り終え、口を閉じる。全てを聞き終えたホーリーは、眼鏡を外すと目元を抑えながら口を開いた。
「…この国はね、国王以下穏健派と、王子達過激派の二つに国が割れているんだ」
最初は何の事か分からなかったが、先の事態を招いた理由を説明しようとしているのだろう—と理解した。アイマスやソティも同じ整理であるらしく、私達が首肯したのを見て、ホーリーは続ける。
「国王やら宰相やら、国の重鎮達は全員が穏健派でね。…と、その前に、この国はね…他国と比べて国力が低いんだ。小国群が連合国を形成しようとしている話は聞いたかな?」
「あ、はい。受付嬢(元)から聞きました」
私が頷いて答えると、ホーリーは突然、前のめりになる。膝の上に肘を置くと、顔の前で手を組んだ。その組んだ手の上に顎を載せながら、苦笑いして言う。
「失礼、みっともなくてすまない。子供の時からの癖でね。未だに抜けない。こうしていると気が落ち着くんだ。このままで話を続けさせてもらうよ」
私達は首肯する。楽なんだ?—と、不思議に思ったが、口を開くたびに頭がカクカクと動くのが面白いので、しばらく見ている事にした。
「で、連合国を形成すると、問題になるのが各国の発言力さ。当然、国力の強い国が発言力も強い事になるだろう。そうするとね、我が国は発言権などないに等しい。でもね、国王達穏健派はそれで良いと思っている。発言力なんてなくて良いじゃないか。無理して背伸びしたって良い事なんてないんだ—と言うのが、国王陛下の考え方だね。対して王子達、血気盛んな若者達はそう考えない。それでは他国に実質支配されるのと変わらない。国力をつけて他国と同等になるべきだ—と、彼らは主張する。この国に生きる若者達は、ほとんどが過激派だね。今回の一件は、国を思うがあまりの暴走と見れなくもないが…おそらくは王子や王女も絡んでいるだろうね。マコト君が言ったように、迷宮核をうちでどうこうしようとすれば、絶対に足がつくからね。計画的にやってるんだろうなぁ。…さて、どうしたものか」
語り終えたホーリーは、落ち着いたのか組んでいた両手を解くと、徐に自身の横に手をかざす。何をしているんだ?—と訝しむ私達の前で、ホーリーは唐突に亜空間を開いた。
「っ!?そ、それ!?」
私が目を見開いて亜空間を見つめる。思わず声を上げた私の様子を見て、ホーリーはニコリと笑った。
「おや?その反応は、これが何か分かっている顔だね?そう。亜空間を開いて中に小物をね…あったあった」
ホーリーが取り出したのは、手のひらサイズの水晶玉であった。ギルドの受付に置いてある、鑑定の魔道具にも見える。何をするつもりなのか?—と、私は思わず怪訝な顔を作った。
ホーリーはそんな私達を安堵させるかのように、一度こちらを順に見回した後、悪戯っぽく笑って言う。
「本当はこれの存在は秘密なんだ。声を出さないでね?」
私達は顔を見合わせた。何の事か分からなかったものの、一先ずは首肯して見せる。そんな私達の様子に満足げな笑みを浮かべて、ホーリーは口を開いた。
「こちらはマールィ王国のアマウンキット支部、ホーリー。アンラ神聖国のアンラ本部、モスクル君、応答願います」
すると水晶玉の中に、まるで星空のように大小様々な光が浮かび上がる。まるで小さな宇宙だ。そのあまりの美しさに、思わず声を上げそうになった。何とか堪えたが。さて、その大小様々な光の一つが一際明るく輝くと、聞き覚えのある野太い声が聞こえてくる。
『アンラ本部のモスクルです。ホーリーさん、どうかしましたか?』
それは紛れもなく、モスクルの声のようである。モスクルが人をさん付けで呼ぶ姿が想像できず、今度は笑いそうになった。横ではアイマスも戦っている。それがより一層私を追い詰める。声を出してはならないという状況が、これほど辛いとは。
「モスクル君、ホーリーさんはやめておくれよ。今は君が上長だ。ホーリーと、呼び捨てにしてくれないと、下に示しが付かないよ」
ホーリーはニコニコと笑いながら、意地の悪い事を言う。どうやら、ホーリーの方がモスクルの先達であるらしい。まあ、150歳じゃね。そして水晶玉の先にいるのであろうモスクルの声からも、困惑が伝わってきた。
『無茶言わないでください。現役時代からホーリーさんにはどれほど世話になった事か。それを思えば、下なんか知った事じゃありませんよ。言わせとけば良いんです』
モスクルの現役時代とか想像できない。一体どんな凶悪な人相であったのだろうか。それを想像すると、更に吹き出しそうになる。
〈きっと肖像画の下部には、“WANTED”とか、懸賞金が書かれてますよ〉
(やめろ!笑い殺す気か!)
不真面目な私とラヴァはさておき、ホーリーとモスクルの会話は続く。ホーリーの声音が少しだけ真面目なものへと変わったので、私とラヴァも襟を正した。
「蟻の一件では手を貸せなくてすまなかったね。今回はそれとは別件なんだが、うちのギルド職員が問題を起こしてね…どうしたものか—と、上長である君の指示を仰ぎたいんだ」
ホーリーの問いかけに、水晶玉の先にいるのであろうモスクルの気配も、きりりと引き締まった感じを受ける。モスクルの声が一段低くなった。
『…問題とは?』
「うん、実はね…」
ホーリーが経緯を説明すると、モスクルは深く嘆息してこぼした。
『参りましたね…それにしても、蟻に続いて…またあいつらか…こんな短期間によくもまぁ…』
モスクルの言う“あいつら”とは、間違いなく私達の事だろう。ホーリーがチラリと私達を一瞥した後、苦笑いしながらモスクルへと尋ねる。
「なんだい?問題児なのかい?」
ホーリーの疑問に対する応答には、やや間があった。
『いえ、うん…まあ、問題児といえば問題児かもしれません。一人やたらと目端の利くのがおりましてね。これを言い包めるのは相当に骨なんですよ。何と言いますか、こちらが言い包めたつもりになっているだけで、結局は全て見透かされていそうで…他の二人も並大抵ではなくてですね。しかもデンテに師事しているせいか、全員が両刀使いです。まだCランクなのですが、色々と扱い難いのは事実です』
ホーリーはモスクルの発言に、ついに笑い出した。しばらくくつくつと笑った後に、モスクルへ向けて更に尋ねる。
「将来が楽しみで仕方ないかい?」
私達はジト目で水晶玉を眺めていたが、次いで出てきたモスクルの言葉に、少し涙腺を刺激された。
『ええ。あいつらの成長した姿を見るのが、私の今一番の楽しみですね。いや、まあ…全員が女の子なので、結婚して引退という事もあるかもしれませんが…できれば、その前に冒険者として大成した姿を見せてもらいたい—と、思ってます』
ホーリーが満足げに頷いた後、私達へと向けて悪戯小僧のように笑って見せれば、私達もまた静かに笑った。
水晶玉の先で、何も知らないモスクルが咳払いする。私達は水晶玉へと視線を落とした。
『ホーリーさんには申し訳ありませんが、こちらの人間をしばらくそちらへ滞在させる事になります。冒険者ギルドは中立が絶対です。とはいえ、国家に店を構える以上は不可能と言えば不可能なのですが、国と共謀して冒険者を騙すような真似は無しです。そのような事があれば、各国に支部を置く事は難しくなるでしょう。この件は申し訳ありませんが公表する事になります。しばらくは過ごし難い事になるかと思われますが、ご承知いただけますか?』
うん、お願いするよ—と、ホーリーが応じると、水晶玉の先から、こちらこそ—と、安堵とも謝意とも取れる嘆息が聞こえた。それを聞いて優しげな表情で頷いた後、ホーリーは一度こちらをチラリと見る。私達は視線を交わし、何事か?—と首を傾げた。
「では、争いの原因になりそうな迷宮だけれども…君のところの麒麟児三人組に任せても良いかな?」
ホーリーのこの発言に、私は目を見開く。危なく声を上げそうになった。アイマスは目を輝かせ、ソティはニコニコと微笑んでいるのみだが、どうなのだろうか。迷宮である。ホーリーは、迷宮を私達に任せる—と言っているのだ。攻略せよ—という話なのだろう。
『え?いや、まあ…今のあいつらなら問題ないのかな?実力は大体Aランクの中間くらいと認識しております。ただし、若さ故に経験不足は否めません。…それでもいけそうですか?』
モスクルは私達をAランク中堅相当に見てくれているらしい。過大評価な気がしないでもないが、私達のレベルは蟻のせいですこぶる高くなっている。それのせいもあるかもしれない。
「ああ、問題ないよ。それにね、この町にこのまま滞在していると、変なのが寄ってきそうだし」
ホーリーの言葉に、私達は眉をひそめた。私達を騙そうとした連中は、王国中枢と繋がりがあったはずだ。そこからの刺客という事だろうか。
『…言いたくはありませんが、王国はそこまで愚かですか?』
珍しくモスクルが手厳しい事を口にした。彼は意外にも言葉は選ぶ。私達にこそ当たりが強いが、それでも歯に衣着せぬ言い方はしない。そもそも、彼は他者を悪くは言わないのだ。つい先程問題児扱いされた気もするが、あれも迂遠な表現で褒めてくれていたのだろう。
「いや、まともな判断はまだできると思うよ。冒険者ギルド側の独断—などと言って、彼らの事は切り捨てるはずさ。アンラに喧嘩を売るような真似はしないよ。きっとね」
そう返してホーリーは寂しげに笑う。気を揉ませてすまないね—と続ければ、モスクルが恐縮して謝り出すのがおかしかった。
さて、モスクルの勢いが治ると、ホーリーが再び口を開く。
「話を戻すけれど、今うちにはSランクが一人バカンスで来ているんだ。彼女にも同行をお願いすれば…そう難しい話でもないんじゃないかな?」
この発言には、またしても声を上げそうになった。世界に数える程しかいないSランク。剛剣のボーナスに続き、早くも二人目との遭遇である。
『分かりました。迷宮核を持ち出すような事になれば、そちらではなく、アンラまで持ち帰るように伝えてください。そいつらの中に鷲がいますが、それは使い魔です。亜空間を開けます』
雲の上の会話とは、こういう事なのだろうか。私達は二人の会話を聞いてはいるが、実質蚊帳の外である。私達の承諾無くして話は進むのだ。
「ははっ、そりゃ凄い。分かったよ、そのように伝えよう。では、有難うボーナス君。またアンラに行ったら顔を出すよ」
『オーク肉のパイ包みを用意して待ってますよ。では、お身体に気を付けて』
その言葉を最後に、水晶玉の中から輝きが消えた。ホーリーが水晶玉を亜空間にしまい、私達へと向き直る。
「そういう訳なんだけど、受けてくれるかな?迷宮攻略」
アイマスが目を輝かせて、私とソティを見る。当然、私の目は死んでいる訳だが、この流れで断れる訳もない。私はアイマスへ首肯して見せる。ソティもまた首肯した。
「受ける!その依頼を受ける!」
アイマスが拳を握り締めて応じると、ホーリーは和かに応じた。
「よし、決まりだ。じゃあ依頼票を作るから、受付まで一緒に行こう。その後、Sランクのお姉さんを紹介するよ」
迷宮攻略は荷が重いが、Sランク紹介の言葉にテンションが上がる。意外とミーハーなところもあるのだな—と、おかしくなった。
「あ、え?…また…迷宮、攻略…ですか?…その、私が?」
「ああ、彼女達と一緒にね。お願いできるかな?」
彼女がそうだよ—と引き合わされたのは、大きな瓶底眼鏡をかけた赤い巻き毛の女性だった。おどおどした態度の目立つ、アシュレイとはまた違ったタイプの残念美人だ。魔人族であるらしく、額から角が二本、天高く生えている。緑の魔眼がクリクリと、瓶底眼鏡の奥で忙しなく動いていた。
(あ、断る理由を考えてる)
—と、私が考えた矢先の事である。瓶底眼鏡(仮称)はビクッと肩を震わせて、泣きそうな顔を私へと向けた。
「ち、違います…言い訳なんて考えて…あっ!」
「…」
「…」
「…」
思わず固まった。ははは—とホーリーが笑った後に、瓶底眼鏡を紹介してくれた。
「彼女の名前はクシケンス。見ての通り魔人族の女性だ。魔人族は皆、魔眼を持つんだけど、彼女の魔眼の能力は、もう察したかな?読心術だよ」
クシケンスがぺこりと頭を下げる。私達もつられて頭を下げた。ホーリーが次いで私達の事をクシケンスへと紹介する。それを聞き流しながら、私は戦慄していた。
(読心術…ヤバイよラヴァ、天敵だ)
〈強敵ですね!〉
私は異邦人で、それを知るのはアイマス、ソティ、アシュレイの三人だけだ。あまり触れ回るような事でもなく、どちらかと言えば知られたくない情報であった。迂闊な事を考えたら、一発でアウトである。そんな私にとっての危険人物クシケンスは、チラチラと頻りにソティへ視線を送る。何事か?—と、私のみならず、アイマスとホーリーも二人の間で視線を往復させた。
(…なんぞ?)
〈…さあ?〉
しばらくは青い顔で俯いていたクシケンスだったが、辛抱できなくなったのか、ついにその視線の意味を語った。
「あ、あの…ソティさんが、その…私を解体するシミュレーションを頭の中で頻りに繰り広げていて…その、できれば…やめてほし…ひぃっ!?」
おやおや—と、ホーリーは笑っているが、私とアイマスには笑い事ではなかった。普段ソティが笑顔の奥で、何を考えているのか知ってしまったのである。しかも最期の悲鳴は何なのか。
「…あ、あたし聞き逃した」
「…お?奇遇だな。私もだ」
私とアイマスは、またしても現実から目を背ける。互いに窓の外を眺めながら、風が気持ちいいね—などと語り合った。ストレスに向き合わない事は、長生きの秘訣である。そんな私達へと向けて、ソティがニコニコしながら語りかけてくる。
「お二人のそういうところ、凄く好ましいと思うので御座います」
「そうかい」
「嬉しいよソティ」
私とアイマスは、ソティを見もせずに乱雑に返した。
さて、私達をクシケンスへと引き合わせたホーリーは、後は女の子同士で—などと言って退けると、慇懃に礼をして去って行く。残されたクシケンスは涙を浮かべてホーリーに手を伸ばしているが、ホーリーの目には映らないらしい。そのままスタスタと足早に去ってしまった。
「ああ…あぅ…あぅ…」
嗚咽をこぼしてホーリーの後を追おうとするクシケンスの肩をソティが叩く。ポン—と軽い音がなったが、クシケンスの悲鳴は耳を劈くほどのものだった。
(さて、どうしようか?この状況…)
〈…本当に、どうしたものでしょうね〉
ソティとクシケンスは一旦意識の外へと追いやる。見てはいけない。目を合わせてはいけないのだ。そんな訳で、私は腰に手を当てながら周囲をぐるりと見渡すと、うへぇ—とこぼして、思わず嘆息した。今私達がいるのは、クシケンスの借りている一軒家である。小さな家屋で、一階に一部屋。二階へ上がる階段も見えるが、おそらく二階も一部屋という間取りだろう。一階の様相は、大量の器材が所狭しと並べられ、大型の機材の中では紫色の液体がコポコポと音を立てている。壁際は余すところなく本棚となっており、これでもかと本が敷き詰められた挙句、入りきらない本は床の上に積み上げられていた。ソファの上で寝起きしているらしく、シーツの合間から、脱ぎ散らかした寝巻きが見えている。台所も見える位置にあるのだが、干し肉やらドライフルーツやらの、日持ちする携帯食しか置いておらず、料理道具自体はあるものの、使った形跡は皆無である。
(…汚ったな…)
〈ここまでくると、清々しいですね〉
そして極め付けは部屋全体の汚さだ。私は入り口から程近い場所に立っていたが、そこからでも、部屋の隅に埃が積もっているのが見て取れた。水場らしきものも部屋の奥に見えるが、その手前に置かれてあるのは洗濯カゴであろうか。大量の下着が山を築いている。まさか、洗濯していないのか?—と、私でも戦慄する光景である。端的に言うと、無理。
「ひいいっ!?すみません〜!」
何故か知らないが、クシケンスは詫びている。どうやら誰かの心を読んだらしい。まあ、誰の心を読んでも思いは一緒だろう。アイマスが一歩前に出て、クシケンスを宥めるように問いかけた。
「それで、迷宮攻略は手伝ってもらえるのだろうか?」
アイマスはそれだけ尋ねると、黙ってクシケンスの答えを待つ。しかし、クシケンスはアイマスから目を逸らして何かを言い淀んでいた。視線が右へ左へと大忙しだ。断りたいのであろう。ところが、急にクシケンスの肩が跳ね上がると、目を泳がせてカタカタと震えだす。私とアイマスは思わずソティを見た。ソティはニコニコしながら佇んでいるのみであるが、きっとまたエグい事を考えているに違いない。しばらく耐えていたものの、やがてクシケンスは顔を上げると言った。
「て、手伝います!手伝わせてください!」
その目はボロボロと涙をこぼし、鼻水すら垂れ流しになっている。思わず、ソティへジト目を向けた。けれども、ソティもまた剛の者だ。相変わらずニコニコと佇んでいるのみであった。
「この町の…名物は、貝です。貝料理を、食べずして…アマウンキットは、語れま、せんよ」
私達はクシケンスの案内により、貝料理の店へとやってきていた。沿岸部は初めてだという私達に、是非とも海産物を食べさせたいらしい。ちなみに、貝料理と言ってはいるが、当然貝の魔物である。出てきた料理は馬鹿みたいに大きな帆立の塩焼きであった。
(へぇ、帆立か。大きい帆立を腹一杯食べるのが、夢だったんだよね〜)
私の迂闊な心の声に、巨大な帆立を取り分けていたクシケンスの動きがピタリと止まる。それだけで察した。
(ふおぅ!?しまった!)
〈貴女…馬鹿じゃないですかね?〉
どうしよう!?—と慌てる私と、そんな私にジト目を向けるラヴァ。どうしようもない。なんとか取り繕って、誤魔化す以外にない。どうやらクシケンスは、意識を私達に向けていたらしい。案の定、クシケンスは顔を上げると私を見つめてきた。よっしゃこいよ、受けて立つ。
「…ホタテ?…ホタテって…何、ですか?」
「あたしの育ったところだと、この貝をそう呼ぶんだよ〜」
第一関門をクリアしたかに見えて、致命的なミスを犯している事に気が付く。あちゃ—と渋面を作りたい思いに駆られるが、顔には出さずに済んだ。
「…アンラ、神聖国って…北西部にある山岳地帯の極一部しか海に、面して…ませんよね?…それに…海産物は、出回って…ませんよね?」
細かいよ。いいじゃんか別に—と切り捨てたい。そもそも、アンラの地理すらまともに知らねーよ—と心の中で血反吐を吐きながら、それでも私は立ち上がる。
「あはは〜そんな事ないよ。たまに来る行商人が、この手の商品を扱ってたのさ〜。高級品だったよ。何てったって、沿岸部でしか手に入らないからね〜」
なかなかに鋭いワンツーであったが、辛くも私はこれを躱した。クシケンスはどうやら納得したらしい。にこりと笑うと、少し残念そうに言った。
「成る程…では、マコトさんは…この貝の、味を…ご存知でしたか。…驚かせようと、思っていたの、ですが…」
「いやいや、きっと驚くよ。乾物と獲れたてでは全然味が違うだろうからね!」
そう返して私も笑うが、膝の上に置いていた手は汗でしっとりと濡れていた。緊張していたのだろう。脇の下も凄い事になっているかもしれない。危なかった。
さて、私の言葉に気を良くしたのか、クシケンスはニコニコしながら、貝を取り分けるナイフの動きを再開させた。
(…ふぅ。怖かった)
〈気を付けなさいよ?〉
私とラヴァは静かに嘆息した。視線を向ければ、アイマスまでもが心配させるなよ—と言わんばかりのジト目を向けてくる。仕方ないじゃん。なお、ソティは最初から気にしていなかった。鉈をくるくると回して、取り分けに参加したそうにしている。貝柱にナイフが食い込む様が、彼女の食指を動かしたらしい。クシケンスもこれには苦笑いだ。
「美味い!美味いな!」
「本当で御座います。これは美味しいので御座います」
『ああ!肉も良いですが、貝もまた!』
「程よい甘さと塩の加減が絶妙で、味わい深いね」
さて、一口食べた私達は帆立料理に舌鼓を打っていた。アイマスとソティはすっかり虜になったらしく、ナイフとフォークを動かす手が止まらない。ラヴァなど早々に自分の分を食べ終えて、私の帆立に狙いを定めていたりする。絶対やらんからな。ちなみに、こちらではスカラップと呼ぶそうだ。
「そ、それで、あの…本当に、行くの…ですか?…迷宮?」
スカラップの塩焼きも残り僅かとなった頃、クシケンスが視線を上下させて、おずおずと尋ねてきた。そのまま私達の顔を一巡し、ソティのところで悲鳴を上げているが、もはや突っ込む者はいない。私達が当然—と言わんばかりに、揃って首肯すると、クシケンスは早くも涙目だ。
「あ、あそこの、迷宮は…何だか…他の迷宮と、毛色が…違う、と言うか…とにかく、怖くて…」
私達は顔を見合わせる。アイマスが代表して尋ねた。
「毛色が違う—とは?」
ところが、クシケンスは答えに詰まる。しどろもどろに要領を得ない答えを口にした。
「えーっと…その…魔物とかが…特殊過ぎて…上手く、言えないですが…何か違うのです…」
ふむ—と、私は考え込む。依頼として受けた以上、帰るという選択はない。それに、ホーリーやモスクルの期待に応えたいという思いも少なからずある。これはもう、出たとこ勝負しかないだろう。
(やはり行ってみるしかないか…)
〈そうですね。それが早そうです〉
私達は、明日から早速迷宮へと向かう事を告げると、クシケンスは本気で泣きそうになった。すぐに悲鳴を上げて承諾していたが。ここ最近のソティが怖すぎる。
その日はお腹いっぱい貝料理を堪能して、クシケンスと別れた。私は宿に戻るや否や、ハァ—と嘆息して、肩の力を抜く。
「クシケンス…恐ろしい奴」
首をぐるぐると回して凝りを取る。アイマスもまた危機を感じていたらしく、私に渋面を向けてくる。
「ああ、バレるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
ごめんね—と手を合わせて詫びれば、アイマスは苦笑した。
「バレたらバレたで、口を封じるしかなくな—」
「「ダメ」」
何かを言わんとしたソティだが、即座に私とアイマスは大きなバッテンを作る。今日はソティが絶好調過ぎて困る。けれども、アイマス曰くこれが普通らしい。今までは私に合わせて、過激な発言を控えていてくれたのかもしれない。どうなのよ、それ。
「…そういえばさ、クシケンスの魔眼だけど…」
ところで、私はクシケンスの様子から、その魔眼の能力を分析していた。外套を畳みながら声をかければ、どうした?—と、ガチャガチャと鎧を脱ぎつつアイマスが応じた。
「クシケンスが意識を相手に割いている時にしか、相手の考えを読む事は出来ない—これは間違いないと思うけれど、どうかな?」
「正しいと思うので御座います」
私の考えに、ソティが首肯する。アイマスもまた頷いた。
「ああ、私も変な事を考えてしまう事があったが、クシケンスは無反応だった。おそらくはそういう事なんだろう」
ラヴァも続けて言う。
『読む読まないは、選択出来ないのでしょうね。意識をそこに割いている間はずっと、その者の考えている事が流れ込んでくるのではないでしょうか?』
これにはやや考え込むものの、アイマスは正しいと考えているようであった。
「ああ、そうじゃないかと私も思う。ソティの考えを読みたいとは思わんだろう?そういう事なんだろうな」
「ははは、そうだね。でも、何考えているのか分からなさ過ぎて、逆に気になっちゃうとか」
私達が口々にそんな事を言えば、ついにソティはプリプリと怒り出す。
「お二人とも失礼なので御座います。私はそんなに変人では御座いません」
「…そうだね」
「…そうだな」
『…そうですね』
全員の答えに微妙な間があった。ソティは現実を見てほしい。クシケンスの話題はそこで終わり、次いでギルドの話になれば、アイマスが何とも言えない顔で私を見る。
「今日は危なかったよ。危なくへんないざこざに巻き込まれるところだった。マコトに救われたな」
「流石、目端の利く奴で御座います」
アイマスとソティはそう言って笑うが、私はここぞとばかりに釘を刺す。
「アイマスもソティも、今日のは本当に危なかったんだから、私に感謝しなよ?政治犯の片棒を担ぐところだったんだからね?今後はちゃんと考える事。良いね?」
「「はい…」」
いざこざに巻き込まれるとか、そういうレベルの話ではなかった。政治犯に利用されそうになったのだ。後々、大変面倒な事になるのは間違いないだろう。最終的には口封じのため、指名手配されたり刺客を送られたりと、まともな生活は望めなくなり、そのままドロップアウトする未来しか見えない。
「さて、と。じゃあそろそろ酒を飲みに行ってくる」
蟒蛇のアイマスは、鎧を脱ぎ去り町人スタイルになると、早速とばかりに小銭袋を握り締めて出て行こうとする。明日は迷宮へと潜るべく、早くに立つ事になる。そればかりか、昼間はあんな事があったばかりだ。
「え?この状況で飲むの?知らないよ?」
「ははは、平気平気!」
快活に笑って宿から出て行ったアイマスであるが、私とソティは顔を見合わせる。まあ、本人が大丈夫だと言うのだから、そこはリーダーを信じるしかあるまい。とはいえ、平気平気と言われても、心配しない訳がない。付いて行かなかった事を後悔するくらいには心配した。けれど、人間は不思議なものである。本当に何事もなく宿へと戻ってこられると、かなりイラッとした。そんな訳で、寝息を立てるアイマスの足を引きずって、ソティの部屋へ放り込んでおいた。
「まあ。差し入れで御座いますね?美味しくいただくので御座います」
「おう。調理方法は任せた」
どうやら、ソティもそれなりに心配していたらしく、幸せそうなアイマスの顔が許せないようだ。私と同じ心持ちであろう。反省しろ、アイマス。
「えっ!?なんで!?ちょっ!まっ!」
ウトウトした頃にそんな声が聞こえてきたが、私もラヴァも気にせずに寝た。
さて、一夜明けて朝である。私達は町の正門前でクシケンスを待っている。集合時刻である二刻は過ぎたが、未だにクシケンスが現れる気配はない。
「まさか逃げた?」
「いやいや、それこそまさかだろう…」
私とアイマスが不安を紛らわすかのように会話していると、ソティが正門を指差して言う。
「お二人とも、クシケンス様が来たので御座います」
ソティの指差す先を見れば、現れたクシケンスは大量の機材を背負ってよろよろと歩いている。私とアイマスは思わずジト目になり、ソティは面白いものを見たかのように笑みを深くした。
「す、すみません…遅く、なりましたぁ…」
「クシケンス、この荷物はなんだい?」
そう問えば、クシケンスはおどおどしながら答える。
「あ、えと…色々な、薬剤を…作るための、装置でして…その、今回の…迷宮を、攻略するには…えと…必要かと…」
この山のような機材は、全て必要なものであるらしい。
「うぬぬ…それならば仕方なし。ラヴァ、お願いして良い?」
『任されました』
ラヴァが亜空間を開き、機材をまるごと収納すれば、クシケンスはぽかんとした顔でラヴァを見る。
「あれ?…えと、この鳥さんは…もしかして、使い魔?」
『今まで何だと思っていたのですか?』
私の肩へと留まるラヴァを見た後に、私の事をまじまじと見始めるクシケンス。
「も、もしかして、マコトさんは…術師?」
「今まで何だと思っていたのさ?」
私が尋ね返すと、申し訳なさそうにクシケンスは呟いた。
「た、鷹匠的な…」
私の視線に力がこもると、途端に謝り始めるクシケンスである。本気で怒ってなんかいないよ—と、クシケンスへ告げるも、はて?—と、私は首を傾げる。かつてリーブリヒは一見しただけで、私が魔術師である事を看破して見せた。高位の冒険者はそれが当たり前だと思っていたが、誤魔化せる人間は誤魔化せるらしい。だが、クシケンスはSランクだ。しかもボーナス同様にソロである。この情けない姿はきっと仮初めなのだ。本当のクシケンスはソティみたいに—
「そ、そんな事しません!」
「まだ考えてすらいないよ」
ソティと同列に扱われるのが、余程嫌であるらしい。とりあえず、クシケンスは面白いと言う事だけは分かった。私達はクシケンスを加えて、庭園の迷宮へと向かう事にした。