森精族のファーレン その三
これで二章は終わりになります。
今後は、毎週土曜日に、一話投稿します。
空いた時間で、活動報告を書いたりしようかなと考えております。
今後とも、よろしくお願い致します。
「確かに、とんでもない事になってるね…」
ロロナはファーレンの修行の成果を見て嘆息した。どう考えても別人であるのだから、仕方ない事なのかもしれない。
ファーレンのレベルは100を超えているのだ。ファーレンを見送ったのが夏の昼10日。そして今は夏の昼40日である。一日で3レベル以上上がる計算である。
「どうなってるんだ…一日1レベル以上上がるとか。聖剣の迷宮、恐ろしいね」
「本当ですよ…図鑑でしか見た事無いような魔物がウジャウジャと…あれはこの世の地獄です」
ロロナの言葉にファーレンが同意している。
俺達はそんな二人にジト目を送る。分かりきっていた事を今更である。
さて、生まれ変わったファーレンのステータスを見てみよう。
[基礎情報]
名前:ファーレン
種族:森精族
性別:女性
年齢:17歳
職業:坤道士
[ステータス]
レベル:122
HP:305
MP:148
筋力:68
器用:69
体力:67
俊敏:70
魔力:64
知力:11
信仰:20
精神:80
運命:4
[スキル]
無手:7
魔術:2
法術:1
[特性]
限界突破
魔王の僕
[ギルド]
冒険者ランク:E
ファーレンは一気に人類最強クラスを超えるステータスになっていた。
魔術と法術は覚えたてなので、まだまだスキルレベルは低いが、これとてそのうち伸びてくる事であろう。
精神の高さは、俺達の虐め—否、扱きに耐えきる鋼の精神を反映しているかの様である。
「くふふ、もう僕は弱くなんてないのです!」
「本当だよ。良かった、本当に良かった」
ロロナは犬を撫でるかの様にファーレンの頭を撫でる。ファーレンはくすぐったそうに顔を綻ばせた。
しばらくはそうしていたロロナだが、うん—と一拍おくと、意を決した様にファーレンへと告げた。
「良し、ファーレンもDランクの昇格試験を受けろ。これなら間違いなく合格だ!」
「…えと、それなんですけど〜」
ところが、当のファーレンは歯切れが悪く何かを言い淀む。全員が首を傾げる中、ファーレンは俺に向けておずおずと言った。
「そ、そのぉ〜、このままオサカ師匠のパーティに加わりたいな〜、なんて—
「「ダメ」」
俺とロロナの声が重なる。しかもどちらもダメ出しであった。吹き出すクローディアとアビス。ファーレンは真っ赤になって抗議する。
「何故ダメなんですか!?良いじゃないですか!?」
駄々っ子のように声を上げるファーレンに、俺は説明した。
「君はこれから大いに活躍して目立つのですよ。そして我々は目立ちたくない集団なのです。君をそのレベルまで鍛え上げたのも、我々が隠れ蓑として使えると判断したからに他なりません。我々は細々とやってゆきます。我々に変わって冒険者として大成してください」
ポカン—と鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まるファーレンであったが、やがて、動き出す。
「えっ?えっ?な、何ですかそれ!?」
ファーレンは納得がいかないのか、俺の肩を揺すっているが、ロロナはやはりな—と、呟きながら嘆息した。
ロロナは俺の考えを読んでいたらしい。
ロロナ達には言っていないが、俺達は邪神を倒すという事を目的の一つとしている。邪神が何処に潜み、何をしているか分からない現状、目立つ行動は避けたかった。
それ故に、ファーレンをパーティへと入れる事を拒んだ訳である。
ところが、当のファーレンは—
「僕の目的は僕が納得できるまで強くなる事です!冒険者として大成する事ではありません!目立たなくても構いません!」
—と、きたものだ。
ファーレンはその欠陥故に、誰もパーティを組んでくれなかった過去がある。長らく一人であったのだろう。思うに、彼女はパーティというものに憧れている。
しかし、レベルがとんでもない事になってしまった今、逆にパーティを組み辛くなってしまったのではないだろうか。突出し過ぎているのである。もはやファーレンが気兼ねせずに加われるパーティなど、俺達をおいて他にない。
更には俺達のパーティには二人も女子がいる。メットーラは女性冒険者が少ないため、これも有難いのだろう。もはや語るまでもない。ファーレンが加わるとすれば、このパーティしかあり得ないのだ。
(うーん、文句なく鍛え上げたつもりだが、やり過ぎたのか…ちっ、しまったな)
それでも勘弁してほしいのが正直なところである。
実はファーレンを拒んだ理由はもう一つあるのだ。ファーレンは煩い。元気いっぱいなのは良いのだが、30代のついていけるテンションではないのだ。
(できれば、遠慮してほしいな)
—と、俺の顔にはありありと書いてあるらしい。それを見て取ったファーレンは、ぐぬぬ—と唸る。
だが、ファーレンとて引くわけにはいかないのだろう。ここを逃したら次のチャンスはいつになるか分からない。或いは肩身の狭い思いをして、一般パーティに加わるか、である。
「ク、クローディア大師匠!」
ファーレンはクローディアに助けを求める。
汚い、実に汚いぞファーレン。俺はクローディアに弱い。クローディアがOKを出せば、なし崩し的にOKになるのだ。口答えできないのだ。
ところが、ファーレンの視線に気が付いたクローディアは、苦笑しながらアビスを見る。おそらくは、目立ちたくない—というパーティの在り方的に、クローディアでは判断できないのだろう。本当にファーレンは煩いから。
アビスがクローディアに掣肘されて、クローディアのジト目に気が付くと、慌てて俺へと取りなした。
「オサカよ、良いである。このパーティは大人し過ぎるのであるな。少しくらい賑やかし要員がいても良いである」
賑やかし要員筆頭が何を言うか—と、呆れの眼差しをアビスへと向けるも、その視線には気付かない。うはは—と、呵々大笑するのみであった。
俺は嘆息すると、ファーレンへ向き直り、改めて尋ねる。
既にファーレンはパーティ入りが認められたかの如く、喜色が顔に出ている。このクソ森精族。やっぱりダメ出ししてやろうか。
「俺達は冒険者活動は程々にしかしないぞ?人探しと書物漁りや遺跡、迷宮巡りがメインだ。それでも良いのか?」
「は、はいっ!」
ファーレンは即答する。
そのやり取りを見ていたロロナに視線を送れば、静かに笑っていた。
多分、口では反対してこそいたが、こうなる事を読んでいたのかも知れない。このロロナという受付嬢兼ギルマスは、やたらと勘が鋭いのだ。
「オサカ、あんたが何を成そうとしているのかは知らないけれどさ、目処がついたらこの子にも、活躍の場を与えてやってくれ」
「え?あ、ああ。分かった」
それが何を指すのかは全く見当もつかないが、それくらいなら良いだろ—と、安請け合いする。
こうしてファーレンは、俺達のパーティに加わる事になる。ファーレンは歓喜し、俺は肩を落とした。
(…騒がしくなるなぁ…)
さて、冒険者ギルドを出た俺達は、町の外へと向かう。メットーラは城塞都市であり、町の出入り口には大きな門がある。
そこには当然門兵がいるのであるが、門兵達は夕方になって、町の外へと出て行こうとする俺達へ訝しげな視線を送る。
当然であろう。何故こんな時間から魔物が跋扈する町の外へと出ようというのか—とでも、思っているに違いない。
「…おい、日が暮れたら門は閉まるぞ?」
「ああ、お構いなく。ご忠告有難う御座います」
しかし、俺達は気にしない。町の外へと出ると、目立たない場所まで移動して土魔術を行使する。例の石でできた平屋である。
「え〜、長らくお待たせ致しました。本日より我が家はバージョンアップしまして、一人一部屋になります」
俺の言葉に疎らな拍手が送られる。
これまでは、俺とアビスはリビングのソファ擬きで就寝していたのが、今日からは部屋が充てがわれたのだ。そんな訳で、一番喜んでいるのはアビスである。俺は深夜まで本を読んでいるため、なかなか寝つけなかったらしい。鼾は凄かったけどね。
「ようやく今夜からは足を伸ばして寝られるである!」
「今までは付き合わせてしまって、すみませんでした」
石の家に入るや否や、俺は早速台所へと向かい、夕食の準備を始める。
クローディアが食材を亜空間から引き出して俺へと手渡すのを、俺は手早く切り刻み、火にかける。今夜は野菜炒めだ。アビスの事も考えて、大量に野菜炒めは作っておく。
「で、拠点はメットーラで良いと思うのですが、家を購入するべきと考えますか?」
俺の問いかけに、クローディアは渋い顔を見せる。
「…難しいのぅ。正直、石の家でも不便とは思わん。それに、ランクが上がってくれば、町を空ける事も多かろう」
俺が気にしたのは、ランクが上がるまでの生活についてである。俺自身は石の平屋で何ら問題を感じないが、他の面々もそうであるとは限らないのだ。
宿暮らしではなく、いきなり家を購入と話が飛躍するのは、気兼ねなく湯浴みをしたいが故である。
冒険者として登録した時の講習でファーレンから説明を受けたが、Dランクになるまでは、登録した町以外では冒険者として活動する事は出来ないらしい。
故に、メットーラを離れるのはDランクに上がってからという事になる。逆に言えば、Dランクになってしまえば、俺達の目的を考えるに、メットーラから離れる可能性が高い。
俺はクローディアに頷いて見せると、クルスとファーレンに視線を送る。
「私も、閣下と一緒ならば何の問題もないのであります」
「今までは宿代すら出せない日も少なくなかったので、現状に不足を感じないです」
クルスとファーレンも石の家で問題がないらしい。俺はアビスへと視線を向けるが、アビスは野菜炒めと格闘している。アーサーさんはただ震えていた。
「ふむ、ではこのままのスタイルでいきますか」
—と、決めた俺達であったが、10日もしないうちにロロナから注意された。
「毎日毎日夕方になると町の外へと出て行く不審な一行がいるらしい」
「ほぅ、それは怪しいですね」
俺はシラを切るが、俺の背後に佇む森精族は、滝のような汗を流して視線を泳がせている。嘘のつけない子、ファーレンである。
俺の顔など一切見ずに、ファーレンを注視していたロロナは、やはりか—と呟いた。
俺は盛大に舌打ちする。その辺の宿に泊まるよりは、石の家の方がはるかに快適なのだ。
やさぐれる俺の背後では、クルスが重火器を背中から胸元へと引き寄せていた。
「閣下、三刻ください。告げ口した人間を見つけ出して、残らず処理するでありま—
「やめて!気にしてないから!」
クルスの物騒な台詞に、クルスの隣に並び立つファーレンが青い顔をしていた。
ごめんね、クルスはこんな子です—と、心の中で詫びた。
さて、その日の話はそれで終わりではない。ロロナは更に続ける。
「あんた達は明日からEランクへ上がる。その後はEランクの依頼を10回もこなしてくれれば、Dランクへの昇格試験だ」
ロロナが何かしらの羊皮紙に目を通しながら告げる。俺はロロナへ苦い顔をして尋ねた。
「よくは分からないが、早過ぎないか?ファーレンは二年Eランクだったんだろ?」
背後でファーレンが、あぅ—と、沈んだ声を出す。すまん。
ロロナは俺に、ファーレンを虐めるなよ—と、視線で語りながら言った。
「いや、あんた達の場合は長々とEやらFに留めておく方が不自然だよ。安心しな。イチロー達は既にDだ。今朝早く依頼を受けて、王都行きの馬車に乗ったよ。順調に出世街道だな」
俺はその言葉に満足して頷くと、適当な依頼を見繕って受注した。
冒険者ギルドから出て僅かに歩いたところで、俺はクローディアに話しかける。
「師匠、亜空間へのゲートを二つ同時に開けますか?」
クローディアは俺の問いに、僅かに逡巡してから答える。
「…無理じゃ。流石に二つ同時は厳しいわい。どうして?」
「それに答える前に、俺の制御する亜空間と師匠の制御する亜空間を繋いで、遠隔地に一瞬で行けると思いますか?」
俺の問いにクローディアは怪訝な顔をするも、しばし悩んだ後に答えを返した。
「理論的には可能じゃ。開く亜空間の座標を互いに合わせれば良い。お主の開く亜空間と、わしの開く亜空間は繋がるはずじゃよ」
俺はニヤリと笑ってクローディアを見る。そのいやらしい笑みにクローディアは僅かにたじろいだ。
俺の笑顔って、そんなに気味悪いかな?—と、クローディアの反応に、俺は凹みながら言う。
「やってみませんか?うまくいけば、何処にいてもメットーラに一瞬で帰ってこれます」
この発言にクローディアは僅かに考える。
「オサカよ、隣同士でやる分には良い。じゃが、例えばここからギルドの受付前に亜空間を開くとした時はどうする?それがクリアできねば解決せんぞ?」
「先ずはこの場で亜空間を開き、相手先の座標は、亜空間内から設定します。亜空間経由なら、遠いも近いもありませんから」
ふむ—と、クローディアは真面目に検討を開始する。俺とクローディアの歩みが止まった事により、一行は足を止めた。
唐突に足を止めた一行を、僕は首を傾げながら眺めていた。
オサカとクローディアの二人が何やら熱心に言葉を交わし、ああでもない、こうでもない—と、難しい顔を見せている。
アビスが嘆息した後、僕へと声をかけてくる。
「こうなるとこの二人はテコでも動かぬであるな。クルスはオサカの側を離れんである。故に、二人で依頼をこなしに行くのである!」
「えっ?あっ、そうなんですか?」
アビスと僕の二人—自分で言うのもどうかと思うが、ボケとボケのコンビだ。不足はないと思うが、気を付けねばならないだろう。
さて、オサカから受注書をひったくり、ざっくりとした地図と依頼主の名前を元に、目的地まで辿り着く。依頼主は青果の露店を出している親父であった。
「依頼で来たのである。貴様が依頼主であるな?詳細を教えるのであるな!」
大柄な貴族然としたアビスが、肩を怒らせて歩いてくれば、市民は借りてきた子猫のように小さく大人しくなるのがこの国の気風だ。この国の貴族は横暴な事で有名なのだ。
何も語らずに震えるだけの親父を前に、訝しげな視線を向けてアビスが急き立てる。
「何を怯えているであるか!我は冒険者である!依頼の詳細を教えて欲しいのである!」
「ぼ、冒険者?」
僕から見ても、何処からどう見てもアビスは貴族だ。ギリギリ背中に背負った斧が冒険者と言えなくもないくらいか。
それでは上手くいかない。ここは僕が代わるべきだろう。そんな訳で、僕はアビスさんの肩を叩く。
振り返ったアビスは、僕の顔を見て目を細めた。
「…何であるか?オサカのドヤ顔並みに腹の立つ顔である」
オサカの顔は腹が立つらしい。聞かなかった事にしよう。この二人が本気で喧嘩を始めたら、この国は大陸から消える。
「そうじゃなくて、アビスさんのような高貴な方を前にしては、慣れていない庶民は萎縮してしまいます。庶民の事なら、ザ・庶民の僕にお任せください!」
そう言って自信満々で前に出る僕。
今までアビスの巨躯に隠れて見えなかった僕の姿を見て、青果店の親父は安堵の息をつく。そうそう、僕はこの町の人気者だから。
「何だ、文無しファーレンか…」
「その不名誉なあだ名はやめてください!」
ぐぬぬ—と、唸る僕の背後で、アビスさんが大笑する。
このあだ名が付けられた経緯は単純なもので、食べ物屋の前で止めどなく涎を流しては、鳴る腹を抑えてすごすごと立ち去って行く僕の姿を、ちょくちょく見られていたからである。仕方ない。金がないのだから。
そして、僕はいつしか物売りの間でこう呼ばれるようになっていた。文無しファーレン—と。
“食うに困りたくなかったら、いつまでも夢を追わずに、ちゃんと手に職つけるのよ?”
などと、教育の現場では反面教師の鏡として扱われる僕である。悲しくなんてない。
「ぐうう〜…ふふん、でも、もう僕は文無しなんかじゃありませんよ?」
「うわははは、オサカよりも笑えるであるな!うわははは!」
まだ笑うアビスに対して、怒り心頭に発する僕だけど、森精族特有の瞳のせいで、僕の怒りはいつも周囲に伝わらない。
さて、依頼の内容は猫探しであった。何処かの貴族が飽きて捨てたと思われる猫が、この一帯に住み着いたのだ。青果店の親父を含めた男衆は、その可愛らしさと鳴き声に骨抜きにされたらしい。
その猫であるが、もう20日ほど誰も見ていないそうだ。元々が気ままな猫である。飼い主のところに戻っているならそれで良い。しかし、もし何処かで帰れなくなっているなら助けてやってくれ。
それが青果店の親父の依頼であった。猫一匹のために身銭を切るとは、天晴れな猫愛である。アビスと僕は快諾した。
「猫と言えば、やはり高いところであるか?」
「お任せくださいっ!」
言うや否や、即座に僕は屋根の上へと駆け上がる。それを見ていたアビスは、飛び上がる訳じゃないのか—と、呟いているのを森精族イヤーが捉えた。いいじゃないか別に。
上から周囲を一望できる主塔の上へと上がると、森精族持ち前の視力の良さを活かして猫ちゃんを探す。猫ちゃんの名前はミーケと言うらしい。茶色、白色、黒色の三色が混じった猫だそうだ。尻尾はボンボン尻尾であるらしい。
ミーケであれば、名前を呼ぶと“みょ〜”と鳴くのだとか。この辺にはミーケの他にも、似た模様の猫が何匹かいるそうで、同じく三色で大柄なキャリー、鳴き声は“にゃ〜んごろ〜”。ぶち模様のバイカー、鳴き声は“な〜う〜”。またしても三色でやや目付きが悪いガート、鳴き声は“みゃ”。
その時、話を聞いた僕とアビスは内心思っていた。
(全部同じにしか思えない…)
猫の個体差なんて飼い主にしか分からないのだ。鳴き声の違いなんて最たるものである。
僕はまだ覚えようと奮闘していたが、アビスは鼻提灯を作っていた。人選ミスも良いところである。果たして猫は—ミーケは見つかるのであろうか。
さて、僕が主塔へと登ったところ、早速一匹の猫を発見する。その猫は主塔の頂点で香箱座りをしていた。
「…え〜っと…この子は…」
ミーケ
キャリー
バイカー
ガート
→その他
「うん、外れです!」
猫はサバトラ模様であったのだ。あれではない。
僕は素早く視線を切って眼下を見下ろせば、見下ろす視線の先では、オサカとクローディアの二人が、往来のど真ん中で地面に何かを描き、術の構成を話し合っている。通行人のいい迷惑である。
その横ではクルスが佇んでいた。オサカとクローディアのやりとりを、じっと眺めているのだ。
(クルスさんは…オサカ師匠の事をどう思っているんだろう?)
そんな益もない事を考えていると、クルスの足元に、一匹の三毛猫が擦り寄って来ているではないか。クルスは三毛猫を抱き上げて優しげに笑う。
それを見た僕はおや?—と思う。言動が恐ろしいクルスであるが、こういう優しい一面もあるのだな—と、何となく笑みが漏れた。
ところで、森精族は耳が非常に発達している。獣人族程ではないが、僕の耳はオサカ達の呟きが正確に聞き取れる程には優れているのだ。
猫を抱き上げたクルスは、オサカへと徐に告げた。
「閣下、タンパク質ゲットであります」
「ん、ああ。でかした」
でかしてねーよ。
オサカはクローディアとの話に夢中になり、クルスの言うタンパク質を見もせずにそんな事を言う。僕は真っ青になって、クルスの元まで飛んだ。文字通り飛んだ。
「ストップ!ストップ!」
慌てて降下した僕の姿をクルスが認める。と、同時に銃を抜き放つのはどうしてですか?冗談でもやって良い事と悪い事があると思います。
さて、そのまま地面に着地した僕であるが、あまりの痛みに足を抑えて蹲る。
「い、痛い…」
それでも立ち上がりクルスへと詰め寄ると、タンパ—猫へと向けて問いかける。
「君はミーケ?」
「にゃ〜んごろ〜」
猫はクルスの腕の中で甘え声を出している。僕はその鳴き声に記憶の蓋を開いた。
ミーケ
→キャリー
バイカー
ガート
その他
「ほっ、どうやら猫違いでした。良かった…」
何もよくはないのだが、この際ミーケでさえなければ良いと僕は見なかった事にする。
クルスは怖いのだ。逆らったら蜂の巣にされそうで。
「その猫を捕まえるのである!」
そんな僕の後方から覚えのある声が聞こえ、振り返った僕の足元を、三毛猫が通り過ぎて行く。
「うむ。構成はこれで良い。早速試すぞ…まずわしが亜空間を開いて—
クローディアが開いた亜空間の中に、僕の足元を通過した三毛猫が飛び込んだ。
「ぴゃああああ!?」
僕は思わず叫ぶ。亜空間へと飛び込んだ猫が空間の歪みへと飲み込まれようとしたまさにその時—
「危ないなぁ」
クローディアの開いた亜空間にオサカが腕を突っ込むと、そこに開いていた亜空間内部は、たちまち見覚えのある風景へと変わる。
冒険者ギルドの受付ロビーである。カウンターではロロナが頬杖をついて、杯を傾けている。
猫がカウンターの上へと着地する。その足音に気が付いたロロナが顔を上げて、僕と視線を交差させた。
「は?ファーレン?」
「ロロナさん、どうも。とりあえず、その猫を確保してもらって良いですか?」
閑話休題。
「猫はこちらで青果店の主人に届けに行く。あんた達に任せるのは…怖いわ」
「随分な言い様ですね」
ロロナの言葉にオサカが口を尖らせるが、横で聞いていた僕は思う。当たり前だ—と。
僕は、まだ己がオサカ達に毒されていない事に僅かに安堵した。時間の問題であろうとも思い、僅かに不安も感じたが。
結局、四人が遊んでいる間にアビス一人でミーケを発見したのだが、汚水処理施設の中まで迷い込んでいたらしい。散歩をしていて他の猫の縄張りへと入ってしまったのだろう。
追い込まれては逃げるを繰り返しているうちに、帰れなくなってしまったようだ。
「我は竜であるからな。我の鼻にかかれば、青果店にこびりついた猫の匂いを辿る事など容易いのである!」
—と、鼻を高くしていたアビスであるが、僕は苦い顔でそれを見ている。なら先に言ってよ—と、心のそこから思っていたりもする。
そんな僕を差し置いて、ロロナとオサカ達の話は進む。
「あの魔術は公表するな。戦争の火種になりかねん。あたしも何を聞かれても知らぬ存ぜねで通す」
「輸送が変わると思ったのですが…まあ、良いです。自分達が使えるならそれで」
ロロナがオサカ達へそんな事を言えば、オサカとクローディアは自分達の偉業に特に固執するでもなく、あっさりとロロナの言葉に納得する。
「そんなあっさり退いちゃうんですね?」
僕がその理由を問えば—
「亜空間を開く事自体がそうそう出来る事じゃないのに、そんな術者を二人も必要とするなんて、実用的とは言い難い。完全にうちのパーティ向けだからね。俺の中では失敗扱いなんだよ」
—と、オサカは笑って言うのであった。
さて、オサカとクローディアがこんな魔術を作り出した理由は一つである。
「買いましょう、マイホームです」
「賛成じゃ」
「賛成であります」
これには僕も喜びの声を上げる。
「うわぁ!マイホーム!夢のマイホーム!」
「うむ。悪くないであるな」
マイホームというよりは拠点という感じではあるが、この際それは置いておこう。
僕達五人はロロナの紹介を受けて、不動産屋へと赴く。ちなみに、誰もクルスの抱きかかえているタンパ—三毛猫には突っ込まない。突っ込めない。
「五人よりも増える可能性もありますから、部屋数は余裕をもってもらえると。広くて浴室が付いているのをお願いします」
これがオサカの提示した条件であったが、不動産屋に連れていかれたのは、貴族街に佇む大豪邸であった。超デカくて広い庭園付きである。目が点になった。
確かに条件には合致している。何でも、立派過ぎて価格もかなりの高額になるため、なかなか買い手がつかないのだそうだ。
そりゃそうだろう。庭園があるという事は、庭師を雇わなくてはなるまい。更にはこれだけの広さとなれば、掃除や日々の手入れに家人を雇い入れなくてはならない。詰まる所、維持費も半端ないのだ。
オサカはしばし外観をぼーっと眺めていたが、クローディアへ向き直ると尋ねた。
「流石にデカすぎますかね?」
「デカ過ぎじゃな」
大豪邸は見送られる事になる。
ちなみに、金はどうとでもなるという事を知った不動産屋は、何とかこの大豪邸を売り込もうとしていたが、残念ながらオサカが首を縦に振る事はなかった。僕もここまで立派だと、萎縮して落ち着けないかも知れない。
次いで案内されたのは、貴族街の端にある、それなりに広い屋敷であった。古い作りで総石造りの家屋であり、部屋数は九つある。貴族街の家屋にしては珍しい事に、玄関ロビーはなく、ドアを開けて屋内に入ると、すぐそこがリビングとなっている。
浴室は二人くらいが入る分に丁度良く、一人ずつ入るであろう僕達には、広く感じる程である。
トイレは一階と二階にあるが、古い建物であるため、汚水処理施設には繋がっていないらしい。繋げるならば別途工事費がかかるとの事であった。
「二つ付いているだけでも有難いですよ。これなら、一個は色々と実験に使えそうです」
—と、オサカはホクホク顔で言う。トイレで何をするつもりなのか?—と、全員が怪訝な顔でオサカを見た。
さて、小さな裏庭には溜め井があり、保守がなされていないのだろう。小汚い水が溜まっていた。ここも使うにはお金を支払って、大掛かりな清掃が必要なようである。
「…溜め井か…ふうん…これも、有効活用できそうだな…」
またしてもオサカが怪しげな事を口にする。いざとなったらクローディアに止めてもらおう—と、僕は拳を握り込んだ。
やがて、一通り見て回ったオサカは、全員に視線を一巡させてから尋ねてくる。
「ここは良いと思いますが、如何でしょうか?」
クローディアとクルスに文句はないらしい。無言で首肯する。
「良いと思います!良いと思います!」
僕にも当然文句はない。両手を上げて喜んだ。
「我も不足を感じない。十分である」
アビスも問題ないようだ。
オサカは全員の同意が得られた事に満足したようで、不動産屋へ購入の意思を伝える。即金払いは大いに喜ばれた。
すぐさま譲渡のための書類が作成され、オサカがサラサラとサインする。
僕はその時に初めてオサカは姓であると知る事になる。オサカは貴族であったらしい。
「タ、タテワキ師匠と呼んだ方が良いですか?」
僕がそんな事を尋ねれば、オサカは渋い顔で首を振る。
「やめて。何かやだ」
ちなみに、名前で呼ぶ許可は誰一人としておりなかった。
さて、清掃と工事の手配は滞りなく進み、丁度手が空いていた職人達が、明日の夕方までにはやってくれるらしい。
僕達は裏庭に小さな石の家を作り出すと、今夜はそこで寝泊まりした。
(明日からは僕も自分の部屋が!夢見たいです!)
興奮して、その日の晩はなかなか寝付けなかった。
さて、翌日からは再びEランクの依頼をこなしつつ、家財道具集めである。
オサカは馬鹿じゃなかろうか?—という量の本棚を部屋に入れていた。オサカの部屋には本棚とベッドしかない。
クローディアは作業台と錬金術で使用する器材を購入し、オサカとアビスに運び込ませている。爆発とかするのだろうか。
クルスは旋盤やら何やら工作機械類と、どう見ても拷問器具にしか見えないものばかりが運び込まれている。あの部屋の中に入る事はなかろう—と、僕は確信した。
僕の部屋はシンプルなものだ。ベッドに机に小さなクローゼット。そしてサンドバッグである。
アビスの部屋には巨大なベッドのみである。色々と謎だ。
そしてクルスが連れてきてしまった猫—命名、タンパク質—は、アーサーさんと共にフリーダムな生活を始めた。最初はリビングで世話していたが、程なくしてドアを開ける術を身につけたらしく、行きたい場所にするりと入って行く。なお、ドアを閉める事はない。
ちなみに、僕の部屋のサンドバッグに穴を開けるのがお気に入りの遊びである。やめてほしい。
室内に入れるに当たり、ノミダニ取りと称して、クルスがタンパク質をアーサーさんに突っ込んだ時には、全員が目を見開いた。僕も焦った。
結果は問題なしであったが。僕の中で、アーサーさんの評価が三段は上がった瞬間である。
そして始まった昇格試験も、驚く程あっさりと終わった。
僕達はついにDランクに昇格したのだ。