小坂、ホムンクルスになる
今日はこちらの都合で二話アップロードします。
一話目。
『だからと言って生血を飲むのはどうなのじゃ?』
(勿体ないでしょう。残りの血はソーセージにするので捨てないでくださいね)
俺が山の奥へ入ると、発見したのはオークの群れであった。アビス曰く食用肉として非常に適しているそうであるので、即座に狩り尽くした。
そのままクローディアの隠れ家まで肉を運んだ俺は、血抜きをしながらオークの解体を行なっていたところ、試しにオークの血を飲んでみたのだ。何故って聞かれると、答えられないが。
タイミング悪くクローディアが出てきたのは、俺が口元の血を拭っていた時だった。
表に出てきたクローディアは、口元の血を拭う俺と、周囲に散らばる魔物の死骸を見て顔を青く染め、思いっきり叫んだ。
『ぎゃあああああ!!つつつつついに身も心も不死系魔物に!?』
—だそうだ。失礼な話である。
俺は無視して解体に戻り、大体の事情はアビスが説明した。
しかしだ。事情を聞いてもクローディアはまだ俺を止めようとする。仄暗い顔で肉を捌いてゆく俺の表情は、やはり怖いのだそうだ。
(ん?仄暗い顔って、どんな顔だよ…)
『初めて聞いたである。うはははは!』
鹿の解体は手慣れているが、豚の解体—豚で良いんだよな?—なんて初めてで、なかなか難航している。それ故に、少しだけ顰め面になっている。仄暗い顔というのは、それをさすものなのだろう。
『いやいやいや、やめよオサカ!?お主がやると洒落にならんぞ?せめてホムンクルスが出来てからにせよ!』
(食いたい時が!美味い時!)
しかし、何を言われても俺は全く堪えない。
実際のところ、結構グサグサきているけれど、表には出さない。何処吹く風とばかりに、丁寧に肉を切り分けてはクローディアへと渡してゆく。
クローディアは嘆息すると、諦めたような顔で肉を亜空間へとしまう。
俺はそれを見つめながら、クローディアへと尋ねた。
(肉は食べられますか?長旅をするなら必須です。ある程度は確保しておきましょう。野菜類は何処かで取れますか?女性には野菜類も重要ですよ)
俺の言葉にクローディアは目を見開いて固まっている。
動かないクローディアを見て、どうした事か?—と、俺は首を傾げたが、まあいいか—と、すぐに思い直して肉を切り分ける作業へと戻る。
そんな俺へアビスが苦笑しながら言う。
『クローディアは昨日までの貴様しか知らぬである。いきなりアクティブになっては驚くのも無理ないである。我からすれば、ようやく戻ってきたか、という思いであるがな』
ああ、成る程—とだけ応じて、俺は黙々と肉を解体し続ける。
ようやく正気に戻ったクローディアは、俺のバラした肉類を亜空間へとしまう作業を再開した。
(師匠、骨も捨てないでくださいね?それは出汁を取るのに使いますんで)
俺の発言に再びピタリと動きを止めたクローディア。ゆっくりと俺へ向き直り、それきり動き出す気配がない。
アビスもまた同様で、俺の中で固まったまま動かない。
いい加減面倒くさくなってきた俺は、尋ねられる前に答えた。
(師事せよ—と言ったのは師匠ですよ?色々と教えてもらいますからね。その代わりではありませんが、共に行きましょう)
言い終えると、俺は黙々と解体を再開する。
実のところ、散々ゴネておきながら、今更掌を返すのは、とても恥ずかしい。気のないフリでもしていなければ、やってられない。年を取ると、色々とプライドが邪魔をしてくるものなのだ。
(素直に頭を下げれる師匠は凄いよなぁ…それにひきかえ、何という己の狭量さよ)
悟られぬように小さく嘆息しつつ、新たなオークの皮を剥いだ。
さて、先の発言以降、クローディアはどうやら俺の言葉を訝しんでいるらしく、黙って俺の仕事を眺めている。
チラチラとクローディアを盗み見ているのだが、いつまで経ってもこちらを見つめているのだ。凄くやり辛い。
そんな俺達の姿に苦笑しつつ、アビスが声を上げた。
『良かったであるな、クローディア』
『あ、ああ、全くじゃ。だが…まぁ、トントン拍子に進んだおかげで、わしの事情を語り損ねたわい』
それも後で良いか—と、クローディアは呟く。
そういう言い方をされると多少は気になるが、本人に言う気がないなら、後でも良いだろう。
クローディアは肉類をさっさと亜空間へとしまい込むと、綺麗な水を生み出して手を洗う。レベルが高まった事で、些事に割く魔力も出てきたらしい。
ハンカチを取り出して手を拭った後、クローディアはニコニコと上機嫌に言った。
『よし、ならば早速ホムンクルスに取り掛かる。材料はここに並べておるが、ここにプラスしてオサカよ、お主の因子をこの中へと入れる。髪の毛でも何でも良い。お主の一部をこの中へと入れよ。失敗した時のために二体作る事とする』
ポンポンとクローディアが俺の目の前に材料類を並べてゆく。巨大な硝子の容器、何かの溶液、何かの根、何かの骨、何かの筋繊維—さっきのオークっぽい。
そして、爛々と赤く輝く鉱石—魔石だ。硝子の容器に入れられ、何かの溶液に満たされている。
それを見て、おや?—と思った俺は、クローディアへと尋ねてみた。
(魔石は魔物の体外へ取り出すと、数刻で駄目になるのでは?)
『ふむ、以前何となく語った事を良く覚えておったな。その通りじゃ。だが、それは魔石を散らさん様に特殊な容器—精霊石の容器で覆っておる。故に魔石が散らんのだ。それはハオマというホムンクルスの材料を抽出するのに使う。これから完成まで半年近くかかるからの。その間、感情を失ってくれるなよ?』
ニヤリと笑いながらクローディアは言う。
半年という完成までの長い時間をどうしたものかと俺は考えるが、すぐに魔術や言語を習えば良いか—と思いつく。
更にはクローディアのレベル上げも途中であるし、野菜類も確保しなくてはならない。木ノ実だけで凌いでいる今のままでは、クローディアの体力は満足に向上せず、旅は彼女にとって辛いものとなるであろう。
俺が背負えば解決するが、仲間というなら一緒に歩きたいものである。
どうやら半年では準備が足りそうにない。忙しい日々が始まりそうだ—と、俺は苦笑しながら首肯してみせた。
さて、俺の修行の日々は、こうして始まったのだが、俺を悩ませたのは語学である。読み書きと発音。その都度クローディアが唇や舌の動きを近くで見せてくれるのであるが、ジィ—と、見つめると、途端に照れて離れるのだ。いい年してそういう反応はやめてほしい。
冗談はともかくとして、何度も何度も児童書を読み返した結果、この世界の逸話に随分と詳しくなってしまった。
ちなみに、辞書のようなものはないらしく、言葉という形で編纂している場所も図書もないそうである。千年前の知識であるが。
故に、不明な単語はクローディアに聞く以外なかった。不便極まりない。
だが、そのおかげだろうか。俺は随分と早くから念話をせずに済むようになった。
「良し、今日から実践に入る。先ずは魔術制御からじゃな」
「はい師匠」
ホムンクルス製作スタートより、90日が経過した。言語を学び、本が読めるようになるまでに20日程度、そこから70日で基礎理論に関する本はあらかた修めた。凄まじい修得速度であるらしいが、俺は寝なくても何ら問題のない不死系魔物である。タネを明かせば、夜通し勉強していただけの事であった。
「まずは己の中にある魔力を認識するところからスタートじゃ…とは言っても、お主は勝手に出来るようになっておるであろうからな。確認じゃな。…やってみよ」
俺は首肯してから己の中の魔力を解放した。
デロリと凝りの溶け出したような黒いものが体中から吹き出て地面へと溜まり、徐々に広がってゆく。二メートルも広がらないうちに、クローディアが慌てて制止した。
「やめやめ!やめじゃ!何ちゅう魔力じゃ…とんでもない闇の性質を備えておるわい…」
『不死系魔物故に…と言うよりは、持って生まれた素質であるな』
クローディアの嘆息混じりの言葉に、アビスも呆れたような声を出す。
そうなのだ。俺の魔力は元から極めて強い闇の性質を備えていた。
氷魔法を撃った時に発生する闇の帯は、氷に勝手に闇属性が付加されるためである。闇の性質が強すぎて、その他の属性に変質させても、完全に闇属性を取り除けない—というのが理由であるそうだ。
これが困りものであった。俺は夜毎自習をしている訳であるが、この闇属性が勝手に付加されてしまうが故に、余程魔力を込めて、制御に力を割かなくては、正しく魔術が発動しないのだ。
どうしたものかとクローディアを見ると、クローディアは顎に手を当てて考え込んでいた。このままでは、これから先の魔術学習に支障をきたす事は、想像に難しくないのだろう。
錬金術、呪術など、生活を豊かにする術のほとんどは無属性を核とする術理である。闇属性が付加されていると、それだけで失敗する事になるのは明白だ。いや、実際に失敗続きだ。
「ふむ。ならばオサカに最初に教えるのは、これかの」
そう言ってクローディアが手の先へと魔法陣を展開する。俺が見ている目の前で、魔法陣に闇の属性文字が描かれた。
だが、その魔法陣の外側に、更なる魔法陣が覆い被さる。連立魔法陣と呼ばれる高等テクニックだ。
クローディアは何でもないかのように魔術を発動させた。だが、闇は射出されずに何も起こらない。—否、起こっているのだが、それを認識する事が出来ないのだ。何故なら、連立魔法陣に刻まれていた文字の意味するところは、魔力の属性・性質をニュートラルな状態へと戻すものであったからだ。闇属性の魔術は、無属性な状態へと戻され、効果を失っている。
余談だが、これは本来、敵の魔術を無効化するために作られたものであるらしい。ただし、実用化には至らなかった失敗作だそうだ。
「お主は魔術を発動する際、一番内側の円に必ずこれを組み込むべし。自身の魔力の性質を打ち消しつつ、次の魔法陣で発動させたい魔術を作り出すのじゃ」
「…連立魔法陣は成功した事がないのですが」
俺の泣き言はクローディアの含み笑いで遮られる。俺は少しだけムスッとして、ひたすらに連立魔法陣の練習へと取り掛かった。
そんな俺を見て、クローディアは満足げに頷くと、ホムンクルスの容器へと向き直り進捗を確認していた。
早速、連立魔法陣の制御に失敗した俺も、気晴らしとばかりにホムンクルスの容器を見る。
容器の中には、未だに何かの溶液のみしか見えないが、あと30日も経てば、中に赤子が出来上がるらしい。俺は少しだけ期待しながら、連立魔法陣を成功させるべく、魔力を湯水のように垂れ流すのだった。
「生物には酸素が必要です。この大気中にも酸素はあり、我々は呼吸という形で—
『お主は酸素を必要としていないであろう』
俺の発言をアビスが茶化す。思わず舌打ちが出た。
「アビスさん、ブッコロ。さて、呼吸という形でそれを体内へと運び入れる訳です。酸素は肋骨内に収まる肺という機関により体内へと取り込まれ、余った酸素やその他の気体は体外へと排出されます。つまり、前衛職の方々が行う呼吸を鍛える身体強化は、この酸素を体内に取り込む機関—或いは酸素を体内に巡らせる機関を強化しているものと推測されます。師匠の手持ちの魔術書では、皆が皆、勝手気ままな魔法陣を展開しておりますが、今なら系統立てて最適化された書籍があるかもしれませんね」
この日は野菜の手入れをしながら、俺の魔術解析をクローディアへ語って聞かせていた。
クローディアは興味深そうに聞きながら、俺へと鋭い質問を飛ばしてくる。
「体内で消費された酸素はどうなるのじゃ?」
「二酸化炭素という別の物質に変わります。有毒です」
『…何と…』
俺は修行の日々の中で、魔術を科学的な方面から解析し、その効果の質を高めたり、維持を楽にするための魔術式の研究などを楽しむようになっている。
クローディアが隠者となる前の、千年前の時代の写本。更には今この時に至るまで、稀に町には行っていたらしく、書架には多くの魔術書や学術書が並ぶ。
それらを読み解き、科学的なアプローチを加えてゆくと、面白いくらいに魔術式が最適化できたりするのだ。
よく使うような魔術から、ニッチな用途の魔術に至るまで、あらゆる魔術式を改造して遊んでいる。修行などそっちのけで。
そんなしょうもない俺であったが、この日は一際面白い話題があった。
「ところで、人類種のレベル上限は100だそうですね。本で読みました」
「うむ、そうじゃな。それがどうかしたか?」
クローディアは芋を洗って亜空間へとしまう作業を続けたまま、言葉だけで俺へと問う。その顔が驚愕に染まる様を想像して、ほくそ笑みながらクローディアへ告げた。
「おそらく、限界突破はそう難しくありません」
芋を洗っていたクローディアの手が止まる。
頻りに俺やクローディアを茶化すアビスの念話までが止まった。二人の反応に大変満足した俺は続ける。
「そもそも、魔物と人間の違いなんてないのですよ。魔物だけがレベル上限は存在しないなんて、あり得ないのです。それがあると言うなら、それは後天的に人間が何かしらの手を己に加えているのです。食べ物?生活環境?それとも—
「まさか、精霊石か?」
俺が嬉々として語っている最中にクローディアが答えを言う。
これには、舌打ちしてクローディアを睨み付けた。俺は衒学のきらいがあるのだ。自覚している。
不貞腐れたような顔を俺は浮かべていたのだろう。クローディアは慌てて俺へと詫びてきた。
「ああ、いや…すまぬ。だがな、早く続きが聞きたくなる程に凄い発見なのだ。続きを、お主の考えを聞かせておくれ」
クローディアのよいしょに気を良くした俺は、首肯してから再び語り始めた。
「レベルとは、魔力により肉体がどれ程強化されているか…言い換えれば、どれ程変質しているかを指す指標です。ところが、精霊石を体内に取り込む事により、ある一定—レベル100以上には肉体が成長しなくなります。師匠は以前、私に教えてくれました。精霊石が肉体の代わりに魔力を取り込んでくれるのだと。そうではなかったのです。実験していて分かったのですが、精霊石は過剰に魔力を流し込むと、変質を妨げる作用が生まれます。スライムで確認しました。精霊石を飲み込んだスライムは、レベルが270で打ち止めとなりました」
俺の言葉を待っていたかのように、ニョキとスライムが俺の肩に乗る。それを見たクローディアは、物凄く嫌そうな顔を見せた。
「レベル270のスライムじゃと…」
俺は慌てて杖を構えようとするクローディアを制止する。
「ま、待ってください師匠!アーサーさんは危険ではありません!我々に危害を加えようとはしませんから!精霊石を飲ませたら大人しくなりまして!」
「…はぁ?どういう事じゃ?」
アーサーさんという名前はスルーである。ちょっと悲しい。結構考えたんだけどな。
訝しげな視線を向けるクローディアへ、俺は徐に説明する。
「精霊石は意思を持った精霊の亡骸です。その意識の欠片とかいえるものが、精霊石の中にはあるのかもしれません。精霊石を飲ませると、途端に大人しくなりまして。私の言う事も理解して聞き分けてくれるのです。ほら、アーサーさん、挨拶を」
アーサーさんは手のように体の一部をニョキッと伸ばすと、ヒラヒラと左右に振る。
クローディアも苦い顔で挨拶を返している。
さて、この一件には当然俺の共犯者がいる。アビスである。アビスは日々俺の実験を楽しそうに眺めては、その結果をクローディアよりも先に目撃しているのだ。
精霊石に関する事だけは、驚かせたくて死守したが、アーサーさんの強化には色々と協力してもらっていた。
ちなみに、レベルはどうして分かるのかと言えば、簡易的な測定機器をクローディアが所有しているからである。千年前の代物らしい。
さて、話を戻そう。アーサーさんであるが、一見すると黒糖葛餅のようである。スライムと言えば無色透明が当たり前なのだが、このアーサーさんは黒いのだ。そしてアーサーさんの黒い体内には、爛々と輝く精霊石が収められている。クローディアは黒いスライムの正体に思い至ったようで、ボソリと呟いた。
「ブラックスライムか…」
「はい。餌がわりに私の魔力を吸わせていたのですが、ある日を境に黒く変色しまして」
ブラックスライムは、闇属性を帯びるスライムである。俺の魔力で育ったならばそうなるだろう。ちなみに、今は俺が餌付けしなくとも、その辺の魔物を己で狩れる。
クローディアは嘆息すると杖を下ろした。そもそもスライムとはいえ、レベル270の存在をクローディアにどうこうする事などできはしないのだ。俺が愛でているという時点でどうしようもない。
「もう良い。レベル上限の話に戻るのじゃ」
俺はほぅ—と安堵の息をついてアーサーさんを撫でれば、アーサーさんは俺の肩から降りて、大岩の中へと当たり前のように入っていった。
クローディアにとっては、凶悪極まりないスライムが、同じスペースで生活していたという事実が明らかになった瞬間である。青い顔でカタカタと震えていた。
それに関しては、後で詫びるとしよう。
「身体の変質へ話を戻します。身体の変質についてはアーサーさんを調べて分かった事ですが、レベルが上がるにつれて魔力の通り道が太く、多くなってゆきます。魔力回路と呼びましょうか。もちろん、これだけではありませんが、今回はそういうものだと思ってください。私はこの魔力回路を血管のようなものであると仮定しました。血管は破損すると、その部分に新たに血管が形成されたりします。私はそれを期待して、アーサーさんに対して過剰に魔力を流し、魔力回路を破壊しました。結果は…当たりでした。1回目の回路破壊ではレベル上限は273になりました。2回目は289に、3回目では306に。4回目では391。5回目は未だに結果が出ておりません。どうですか、師匠。この発見、凄くないですか?」
俺は立ち上がるとクローディアへ向けて胸を張ってみせた。
対して、クローディアは思いっきり振りかぶると、全力で杖を俺の頭部へ振り下ろす。鈍い音が響き渡り、視界が明滅した。
「いったぁ…何するんですか師匠!?」
「言うほど痛くないじゃろお主!何を厄災規模のスライムを創生しておるのじゃ!程があるじゃろがぁ!レベル270どころか400に迫るじゃと!?国が滅びるぞ戯け!」
クローディアは凄い剣幕で怒っている。
この時は俺のみならず、アビスも口を噤んだ。どうやらクローディアは、怒らせると凄く怖いタイプの人らしい。
俺とアビスが慄く中、クローディアは盛大に嘆息した後、眉間を揉みながら尋ねてくる。
「とは言え、とんでもない大発見じゃ。しかし、しかしじゃよ?それはつまり、精霊石を飲んであっても魔物化する、いや、理性を失う可能性があるという事にはなりはせんか?」
クローディアの懸念はもっともであろう。魔力回路が太く、多くなる事がレベルアップだと言うのなら、限界を突破してしまうと、脳へと流れ込む魔素も増え、理性を失い凶暴化してしまうのではないか?—クローディアはそう考えたのだろう。だが、俺はこれに対して首を振る。
「いえ、それがですね…そうでもなさそうです。これは師匠自身を観察していて気付いた事なのですが、脳に向かう魔力回路は一定以上に太くならないのですよ。レベル50くらいの時から、脳へと向かう魔力回路は打ち止めです。更に言えば、私と師匠の脳へ向かう魔力回路の太さは変わりません。これはもう、人間が魔物化するレベルが大体そのくらいで、その辺りから不変であると考えて良いでしょう」
「…わしを観察ってなんじゃよ…」
少しだけ顔を赤らめたクローディアが尋ねてくる。
ちょっと詳しく言えないため、俺はそこを流した。都合の悪い事には答えない主義である。
「そんな訳で、限界突破は容易にできます」
そう言って話を終えると、クローディアは考え込んだ。やがて、渋い顔を作ると、クローディアは俺へと尋ねてくる。
「…人類史が変わるんじゃないか?それ?」
クローディアのその辺りの知識は千年前で停止しているのだろうが、人類のレベルが100を超えられるならば、この辺はとうに開拓されているはずである。とっくの昔にクローディアの隠れ家は見つかっていなくてはおかしいのだ。
故に、人類は、少なくとも魔人族は、未だに限界突破に気が付いていないのではなかろうか。この大陸に住まう者の中でそれを知るのは、俺とクローディア、そしてアビスの二人と一柱のみであるのだろう。
“わしはとんでもない奴に魔術を教えてしまったのかもしれん”
—とでも考えているのかもしれない。クローディアが渋い顔を見せている。まあ、今更だけど。この先何かあったら、責任はクローディアに擦りつけよう。
ちなみに、俺は攻撃魔術をほとんど生み出していない。攻撃魔術はせいぜいが既存魔術の効率化に留まるのみである。
どちらかと言えば、生活を豊かにする魔術だとか、錬金術に重きを置いている。魔術で攻撃するよりも、俺の場合は走って殴った方が早いのだ。
故に、今ある知識では攻撃魔術を作り出す気にはなれなかった。
「…ちなみにアビス様、オサカのレベルは幾つなのじゃ?スライムの研究過程で見とるんじゃろ?」
興味津々—といった様子でクローディアはアビスへと尋ねる。
それを見た俺は、かつてのレベルレベル—と、煩かったアビスを思い起こした。
『…知らん方がいいのである。知ってしまえば…きっと、貴様は刺し違えてでも、この馬鹿を葬ろうとするのである』
それっきりアビスは口を噤む。馬鹿ってなんだよ。
クローディアはしばらく俺にジト目を向けていたが、相手にはせず野菜の収穫に戻った。
ちなみに、存在を知られたためか、凶悪スライムことアーサーさんは、当たり前のようにクローディアの隠れ家内を彷徨くようになる。
「…糖度は低いですが、メープルシロップの完成ですね」
「何を言うか!甘い!甘いぞこれは!」
俺は冬の内に砂糖楓と思われる木を見つけていた。冬が過ぎて春先になった今日この頃、俺は楓から樹液を採取してみたのだ。思った通り砂糖楓の類であったらしい。クローディアが大いに喜んでいるので、俺も上機嫌である。
間も無くホムンクルスの完成を迎えたこの日、俺は最後の仕上げとばかりに、大量の樹液を煮詰めて濃縮する作業に没頭していた。
何と言っても大陸の南半分には人が出入りしない大森林が広がっているのだ。俺がアーサーさんにお願いすると、三日後には大量の樹液が集まっていたという訳である。
「成る程な!成る程な!これがメープルシロップか!癖になるのぅ!ソースと同じくらい癖になるのぅ!」
「ソースかぁ…私の中では失敗作なんですよ?あれ」
ソース作りにも挑戦したが、俺の知るソースレシピは醤油を使用したものであった。醤油が手に入らない以上、適当に作ってみるしかなく、出来上がった代物はと言えば、確かにそれっぽいがソースとは呼べないものであった。
だが、クローディアは大変喜び、残り少ないソースを大切に亜空間へとしまっている。
俺はソースを使わせてもらえないため、ここ最近の料理の味付けは岩塩がメインだ。後は香辛料が何点か入るくらいか。
「お主を弟子にして本当に良かったわい。料理まで出来るとは、わしの目に狂いはなかったぁ」
「ははは。光栄ですよ」
『ぬぬぬ、早く我も食べたいぞ!』
すっかりと一緒にいる事が当たり前になった師弟はさておき、アビスが発した意味深な言葉について語ろう。
もう間も無くホムンクルスが完成するという段になって、アビスが己のプランを語ったのだ。アビスは俺の魔力を使って、この世界に再び顕現する目論見であった。
だが、闇の属性を帯びている事は構わないものの、不死系魔物特有の負の性質を強く帯びた魔素は、アビスには使えないらしい。故に、アビスは俺にホムンクルスを頻りに勧めたという事になる。
話終えた後に、アビスが俺からジト目を向けられる事は当然であったが、アビスとクローディアの会話によれば、少なくとも四千年は迷宮内に閉じ込められていた事になる。
それを聞いてしまっている俺は、そこまで強く言う事も出来ず、俺の魔力を使って世界に顕現する事を許可した次第であった。
さて、メープルシロップ作りも一段落したため、ついにホムンクルスを披露する時がきた。クローディアは俺へと向き直り、覚悟を問う。
「そろそろ良いと思うが、準備は良いか?」
「お願いします」
ホムンクルスの保存されたガラス容器は、太陽光が当たらないように厳重に保管されていた。と言うのも、太陽光を一度でも浴びれば、そこで成長はストップしてしまうらしい。
厳密には、魔素に晒される事で肉体の変化は停止するのだとか。クローディアの計算によれば、20歳前後の肉体が出来ているはずとの事である。10歳も若返るのは少し気恥ずかしいが、俺はワクワクしながらその時を待った。
クローディアの指示により、アーサーさんが容器を二つ運んでくる。容器は何重にもシーツが重ねられ、その上から封がされていた。
俺が容器の一つの封に手をかけながらクローディアを見る。
クローディアは優しく微笑みながら、俺を見て首肯した。
俺もまた頷き返すと、一気に容器の封を切り、溶液の中に浮かぶ人型を見る。ところが、そこで思わず眉を寄せた。
「…師匠?」
クローディアへと尋ねるも、クローディアにも理解できないらしい。
「…何とまぁ。どういう事じゃ?」
中に浮かんでいたのは18〜22くらいの年頃と思わしき女性の身体だったのだ。
左目の周囲が罅割れ、その瞼の下には黄色い何かが見え隠れしている。魔物の目—というよりは、かつて見たアビスの目を彷彿とさせるものであった。
更には、臍がなかった。だが、これは母体で成長した訳ではないのだから、当たり前であろう。
『竜眼であるな…竜の因子が性別の因子を上書きしてしまったのである。竜は雌雄がないであるから。これは我の責任であるな。オサカよ、すまん』
人間の性別は、Y染色体の有無によって決まる。Y染色体があれば男。なければ女となるのだ。故に、Y染色体がなければ自動的に女の身体となる。
「いえ、まだもう一体ありますから…」
「次のも竜の因子にやられておるかもしれんな…」
アビスを気遣った俺へと向けて、クローディアがニヤニヤと笑いながら怖い事を言う。
俺の中には先程のワクワク感は既になく、頼むから男の肉体を—という、神頼みへと心情は移り変わっていた。まぁ、その神の一柱のせいでこうなっている訳だが。
「男の身体…頼みます!」
拝みながら封を切ると、中から出てきたのは、15、6歳前後と思われる未成熟の男の身体であった。竜眼みたいな素敵オプションはないが、随分と若い。
俺は首を傾げた後にクローディアに視線を向けた。
クローディアも首を傾げて、怪訝な顔を作っている。
「いや…確かに20前後となっているはずじゃ。明らかに若すぎる」
という事らしい。お前のせいだろ?—と、俺はアビスへ意識を向ければ、アビスは観念したかのように白状した。
『竜の因子が入っているのであろう…竜は、幼少期が長いのだ…す、すまないのである』
やはり駄竜のせいであったらしい。俺は顳顬に青筋を浮かべながら考え込む。
(竜眼…カッコいい響きだが、そっちを選ぶと女になる。それは無しだ。有り得ない。だが、男…少し肩幅が出てきたくらいか?まだまだ身体は薄っぺらいな…はぁ、仕方ないか)
俺はクローディアに向けて、男の肉体を指差して告げた。
「私の魔石をこちらの肉体へ移植してもらえますか?」
クローディアは首肯すると、アーサーさんへ視線を向ける。
アーサーさんはクローディアの意図を察して、容器から俺の肉体となる男の身体を取り出した。
俺はシャツを脱ぎ、上半身だけ裸になると、自身の胸に手を突き入れ、肋骨ごと胸を開いた。
クローディアがうわぁ—と言いたげに、顔を顰める。
不死系魔物なので、俺には痛みはないし血も出ないのだが、それでもやはりくるものはあるらしい。しばらくは顔を背けて吐いていた。すみません。
ようやく吐き気は治まったのか、クローディアは俺へ向き直ると、杖を突き付けて言う。
「では、やるぞ。良いな?」
「お願いします」
その言葉を言い終わるや否や、俺の意識は途切れた。