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小坂、不死系魔物(アンデッド)になる

時間があったので、第二章の最初も投稿。

第二章はプロローグ以降出番のなかった彼の物語です。


2019年3月22日 誤字修正

 昔、親父が浮気をした事があった。その時の親父は、お袋に対してひたすら土下座していた。

 浮気という言葉を使ったが、会社の女と酒を飲んで互いにへべれけになってしまい、気が付いたら女と一夜を共にしていた—という顛末であるらしい。お互いにスーツは着たまま寝ていたらしく、記憶こそないものの、何事もなかった事は間違いない。しかし、それをお袋へ証明する手立てなどない。故に土下座してひたすらに詫びたのだ。

 最終的にお袋は笑って許した。


「まあ、今後はお酒は程々にね。連絡もないし、これでも心配したんだよ?」


 —と、笑顔とは裏腹に仁王立ちで告げたその日の夕飯は、親父の好物で固められていた。親父の誠実な態度が、お袋の機嫌を逆に良くしたものであるらしい。

 馬鹿正直が過ぎる親父であった。兄はいつも親父の生き様に難癖を付けていたが、俺は親父の様な人間でありたいと思っている。—いや、思っていた。


(はぁ、なんだろうな)


 俺は父親の寂しそうな笑顔を思い浮かべた。胸に強く残る父親の顔である。地元に就職先がなく、東京に出ると告げた時に見せた表情であった。

 そんな親父は、俺が東京へ出てきてからすぐに、交通事故でこの世を去った。


「親父…俺、人間じゃなくなったかもしれん」


 俺は視線を落とす。前腕は真っ黒く染まり、まるで炭の様である。一瞬顔まで黒くなったかと焦ってスマホを取り出したが、スマホのカメラが確かなら、俺の顔は腕とは逆に病的に白くなっていた。ただし、血管が皮膚の表面付近まで浮き出てきており、真っ黒である。白と黒のコントラストはシマウマかパンダの様である。眼球は血走っているのか、虹彩も瞳孔も赤く染まっていた。また、心臓は鼓動しておらず、何なら呼吸しなくとも全然辛くない。むしろ呼吸をする事に意識を割く有様であった。

 俺はその場に座り込むと、頭をガシガシとかきながら苦い顔で舌打ちした。


(くそっ、俺が何したってんだよ)


 俺は天井を仰ぎ見て、何が悪かったのか思い返す。ここまで生きてきて、人間を辞めさせられる様な罪を犯した記憶はない。問題があるとするならば、この場所そのものであろう。

 俺は嘆息すると立ち上がる。パツンと音が鳴って、ワイシャツのボタンが飛んだ。視線を落とすと、異常に分厚くなった胸板を覆うには、布の面積が足りないらしい。

 俺はまた嘆息すると、気にしない事にして階段を下り始めた。どのみち脱ぐ事は出来ないのだ。気にしても仕方ない。何故か?—それは身体が大きくなり過ぎて、ワイシャツの袖から腕を抜く事すら出来ない程にピチピチだからだ。

 スーツの上下も同様の理由により脱げない。もはや通報される事を覚悟して、スーツを破り捨てるか、誰か他者にお願いして脱がしてもらうかの二択しか道は残されていないのだ。

 俺は何処までも続く下り階段の先に待つものは何かと考えて、この憂鬱を紛らわせようとした。






 俺は波の音で目を覚ました。ゆっくりと瞼を持ち上げると、空高く上った太陽が視界に入る。空は何処までも青く澄み渡り、見事なまでの晴空である。


「ん、何だ?何処だここは?どうなってる?」


 俺は仰向けに倒れていた上体を起こして、周囲を見る。そこは小さな砂浜であった。寄せて返す波の音は、目の前の海から聞こえてくるものであったらしい。海は透明度が高く、何処までも綺麗な青が視界一面に広がっている。


「…え?な、何で?」


 胡座をかいて腕を組むと、俄かに思い返す。俺の最後の記憶によれば、俺はカフェにいたはずだ。営業部の高田、そして親切な少女。魔法陣と思わしき青い光—俺はそこまで思い出すと、徐に立ち上がった。

 どれくらい寝ていたのかは知らないが、俺の身体は砂にまみれていた。スーツのポケットから靴の中、果ては下着の中に至るまで砂は入り込んでいるらしい。鬱陶しさに舌打ちしながらできるだけの砂を払う。


「さて、問題なのは…全部だな。何から何まで訳わかんねぇ」


 靴の砂を落としきり、靴を履き直しながら呟く。

 伸びをして凝りを解すと、背後を振り返る。そこには天まで届くのではないかと思われる白い巨塔が聳え立っていた。


(何だよそれ…)


 唖然としてどこまでも伸びる塔を見上げた。塔の頂点は窺い知る事が出来ない。本当に何処までも天高く伸びており、軌道エレベータです—と、言われたら信じてしまいそうな光景だ。なお、それ以外のものは、何一つ陸地には見えない。マジかよ—という呟きと共に、肩が落ちた。途方にくれるってのは、この事か。


(参ったな…)


 頸を摩りながら、もう一度周囲を見渡す。どうやらここは無人島であるらしい。気候は悪くない。湿度が低いのか日差しの割に暑いと思うこともなく、過ごし易いという言葉が相応しい。だが、食べるものはおろか、人っ子一人見当たらないのは困りものである。木の一本すら生えておらず、何かしら加工できるものもない。手持ちの品以外は何の道具もないのだ。


「ボールペンにスマホに会社携帯…どちらも電波はなし。財布にハンカチか」


 バッグの中には運転免許が入っていたのだが、それすらないのは痛い。身分を証明できるものを何一つ持っていないのだ。財布の中には小銭、お札が幾らかあるだけで、銀行のカードもクレジットカードも入ってはいない。俺はカード類を別に纏める人である。運転免許証などと共にカード入れにしまってあり、それはバッグの中であった。


「まあ、金なんてあってもなぁ…とりあえずはこの無人島から脱出しなきゃいけない訳で…」


 一人呟いて嘆息すると、白い巨塔に向けて歩き出す。


「近くで見るとやっぱりデカイな…本当に何なんだこれは?」


 巨塔の周囲を回りながら呟く。巨塔には出入り口の一つもなく、何処までも白い壁が続くのみである。白い巨塔の周囲をぐるりと反対側まで回れば、そこは巨塔の影で一面が黒く塗りつぶされていた。小坂のいた場所からは見えなかったが、こちら側は砂浜ではなく、絶壁になっているらしい。絶壁の側まで歩くと、海を覗き込む。実際には絶壁と言う程の高さはなく、せいぜい海抜まで数m程度とあたりをつける。俺は絶壁に沿って視線を這わせると、ある場所を見てピタリと動きを止めた。


「おや?道がある…」


 俺が見つけたのは絶壁に沿って下りる道であった。だが、今は潮の満ちている時間帯であるらしい。道は海に完全に覆われており、その下へと進むのは難しいように思えた。潮が引いたら下りてみるのも良いかもしれない。というかそれ以外に道は無いように思える。


(巨塔はどう見ても人工物だが、出入り口の類はない。島の外周にも何もなく、あるとすれば絶壁の道くらいか。後は…海を泳ぐか、だな)


 海を泳ぐという選択肢は選びたくない。無理だろ。どこまで続くんだよ、この海。

 俺は絶壁の前で腰を下ろすと、スマホを取り出して写真を撮った。カシャというシャッター音が響いて、スマホの画面には美しい海が収められた。

 生きて帰れたら、良いお土産になるな—などと考えて頷いていると、水平線手前で海面が急激に持ち上がる。


(…おいおいおい…)


 呆気に取られて眺めていると、海を割って出てきたのは、巨大な鯨—或いは鯱を思わせるような巨大生物であった。あえて巨大なとつけたのは、水平線の側にいるとは思えない程にデカかったのだ。巨大なそれは空中へと飛び跳ね、大きな飛沫を上げて水中へ戻っていった。

 鋸のような歯を持つ頭部は胴体のサイズを考えれば小さく、鰓はなく鯨のように肺呼吸であるのかもしれない。だが、胸ビレは左右二個の計四個付いており、尾は蛇のように長く先端には無数の棘のようなものが付いていた。

 俺は必死に己の記憶を探るが、おおよそあのような生物を何かの触媒で見た記憶はなかった。


「とりあえず、海を泳ぐという選択肢は消えたな…」


 俺はしばらく海面を見つめていたが、やがてゴロリと横になると、潮が引くのを待つ事にした。それ以外に手がない。


「俺、ここで死ぬのかな…」


 身体を横たえて腕枕に頭を預けながら呟けば、それは随分と真実味を帯びた言葉に思えた。僅かに身震いすると、寝返りを打って瞼を閉じる。こうなったらもう考えても仕方ない。そのまま潮が引くまで寝る事にした。


「お?いい具合に潮が引いてるな」


 俺が目を覚ました時、狙い通りに絶壁に沿って崖下へと下りる道が現れていた。こう上手い事思惑通りに進むと、機嫌が良くなるのは人の性である。

 俺は僅かに伸びをした後、立ち上がり砂を落としてから絶壁の道を下り始めた。潮目で水位が随分と変わるものだ—そんな事を思いながら下り坂で滑らないように、絶壁に手をついて慎重に道を歩く。島の周囲を半周するように下り坂は続き、下りきった先にあるのは、絶壁に面した石扉であった。


「これは…見事な絵だな」


 石扉は、俺の身長を僅かに超えるサイズの高さであったが、左右の扉には見事な絵が彫られていた。

 左の扉には火を灯した燭台を持つ七人の男女。空いた手にはそれぞれが槍や剣などを持ち、右扉へ向けている。

 右の扉には七人の男女とその背後には数多の幽鬼のようなものが描かれていた。一見しただけでは天使と悪魔の軍勢の戦いのように見える。

 俺は絵に関心しながらも、石扉を押してみた。


「動かない…引くのか?いや、取手がないしな…」


 そんな俺の疑問は、扉の下部を見て解消された。溝が扉の横へと伸びている。どうやらスライド式であったらしい。俺は左の扉を動かすべく力を込めて押し込んだ。


「う、うぬぅぅぅぅぅ」


 びくともしないかと思われたが、扉はゆっくりと動いてくれた。人一人が通れるくらいまで開いたところで、俺は素早く中へと潜り込む。手を離した扉はゆっくりと閉まり始め、俺が内部の様子を眺めているうちに、完全に閉じた。


「…何も見えないな」


 スーツのポケットからスマホを取り出して、カメラのライトを点灯させると、改めて周囲の様子を窺った。


「何なんだろうな、ここは…」


 そこは何処までも下へと続く階段があるのみである。左右の壁のみならず、天井までも石を並べて覆ってある。石は綺麗に切りそろえられており、人工物である事は疑いようがない。


「下りるしかないんだよな」


 どこまでも地下へと続く通路を眺めていると、思い起こされるのは昔携わった仕事だ。

 かつて、俺は仕事で地下トンネルを通る線路へと立ち入った事がある。トンネルの底へ下りる時には、線路の上を走る原動機付き低床車に乗って下りた。だが、底で用を終えて地上へ戻ろうとした時、低床車が故障して、やむなく階段を上がったという苦い記憶だ。

 今なら笑い話として語れる内容だが、当時は真っ青になったものだ。地上まで何kmの階段を上がったのか。地上まで戻った時には、足がプルプルと震えていた。


「本当に、何処まで続くんだよ。この階段」


 階段を下り始めて早二時間。腕時計が故障していなければ、そのくらいの時間が経過した事になる。だが、未だに底は見えない。階段には俺の足音が木霊し、それ以外は何も聞こえない。

 そろそろ少し休もうか—と、階段に腰を下ろした。どうにも具合が悪い。顔から首筋、背中や胸まで、体温が異常に高くなり、汗が止まる事なく吹き出してくる。視界がぐらりと揺れ、身体に力が入らない。ネクタイや腕時計といった、身体を締め付ける物がどうにも不快に感じて取り外し、ベルトも緩める。


「空気が変わったからかな?このままここにいたらヤバイか?」


 俺は揺れる視界で今下りてきた階段の上を振り向いた。階段の上方は既に闇に覆われ、窺い知る事は出来ない。

 嘆息しつつ視線を戻すと、ポケットから腕時計を取り出して時刻を確認した。


「午後三時…少しばかり休むか」


 俺は膝に頭部を預けると、そのまま目を瞑った。ここに来て俺はようやく考える。ここは一体何処なのだろう—と。地上でそれを考えようとした時、あの巨大生物を見てしまった。それ故に最悪の考えにしか至らないような気がして、ここまで考える事を放棄してきたのだ。それはつまり—


(ここは地球ではないかもしれん。異世界転移ってやつか?)


 —そう。その可能性である。俺は膝の上に預けたままで頭を振った。既に膝の生地は額から流れる汗を吸って濡れている。その湿り気が気持ち悪かった。そこからまた何かを考えようとしたが、具合の悪さのおかげか、すぐに意識を手放す事になる。

 次に目を覚ました時、己の姿が変貌しているなどとは、思うはずもなかった。






 階段を下りきった俺の目の前には、再び石扉がある。やはりスライド式であるらしく、左右の壁には石扉が収まるのであろう穴が空いている。石扉に手を添えると、ゆっくりと力を込めた。


—ピシッ—


「うわっ、ヤバ!?」


 そこまで石扉に力を込めたつもりなどなかったのだが、石扉には俺の手を起点として、扇状に罅が入ってしまった。開くつもりが、僅かに押し込んでしまったらしい。どうしたものかとしばらく考えたが、止む無しと手に力を加える。石扉は開く前に割れた。


「…俺のせいかな?俺のせいだよな…」


 きっと脆くなっていたのだろう。俺は嘆息しながら石扉の残骸を跨ぐ。歴史的な価値のありそうな石扉だが、非常事態なのだ。勘弁してもらおう。

 残骸から少し離れたところまで歩いてから、足の裏の石だけ払った。現在の俺の足は靴下のみである。身体が大きくなり過ぎて、靴のサイズが合わないため痛かったのだ。靴は脱げなくなっており、止む無く破り捨てた。

 腕力は強くなっていそうだな—なんて考えていたのだが、靴を難なく裂いた事で、己の異常な膂力を自覚した次第である。


「すみません…と」


 石扉に向けて頭を下げた後、再び先に進むべく歩き出した。俺の姿が豹変してから、スマホのライトを点灯させていない。真っ暗闇であるはずなのだが、どういう訳か良く見えるのだ。きっと、真っ赤に染まっていた己の目も、何かしらおかしくなっているのだろうな—と、苦い顔を作りながら奥へと進む。

 やがて大広間とも言うべき広い空間へと辿り着いた。俺はゴールが見えた気がして、思わず感嘆の声を上げたが、それすらもすぐにくぐもった音へと変わった。


(カタコンベかよ…うわぁ…勘弁だなぁ)


 そこは霊廟であった。壁、床、兎も角、見える範囲には悉く棺が置かれている。棺の状態もまちまちで、開いているもの、腐ったのか蓋が半分折れているもの、閉じているものと様々だ。


「そして足元に転がる人骨よ…勘弁してくれ…」


 とは言いつつも、そこまでの不快感を感じる訳でもなく、ずんずんと霊廟の奥へと向けて進んで行く。適当に周囲の様子を窺いながら歩いていた俺は、ふと一つの棺の前で足を止めた。何かが光った気がして、思わず視線を向けたのだ。


「赤い…宝石?」


 その棺には蓋がなく、肋骨の上で腕を組む骸骨が静かに寝ているだけであったが、その肋骨の中に赤い石のような物が見えた。俺は僅かに目を凝らした。


「鉱石…か?なんだこりゃ?」


 棺の縁に手をかけて覗き込む。俺は赤い鉱石に手を伸ばそうとして、ハタと気が付いた。その鉱石は、肋骨と背骨の間で浮いていたのだ。その異常さに目を奪われた瞬間、赤い鉱石は鈍く光り始めたではないか。

 刹那、骸骨の指が僅かに動く。更には、目を見開く俺に、棺に安置されていた骸骨が頭部を向けた。眼科の奥に赤く鈍い光が宿り、その輝きを視線とするならば、俺と骸骨は確かに視線を交わしていた。


「マジかよ…」


 俺が呟いたのと、骸骨の腕が俺の首目掛けて伸びるのは同時であった。

 俺は瞬時に骸骨の腕を払いながら、肋骨に拳を叩きつける。恐怖も何もなかった。そうしなくてはならない—という、本能に近いものに身を任せた結果である。

 俺の拳は肋骨ごと赤い鉱石を叩き割り、動く骸骨はただの骸骨へと還った。


「ああ…赤い石を砕けば良いのか?」


 そう呟いて背後を振り返れば、無数の骸骨達が立ち上がるところであった。どれもこれも肋骨の奥には赤い石を抱いており、眼窩の光は間違いなく俺を捉えている。床に散らばる骸骨のみならず、棺を押し開けて起き上がる骸骨もおり、どんどんと俺の視界は骸骨達で埋まってゆく。

 俺は腰に手を当てて、ぐるりと周囲を見回した。東京ドーム程の広さの霊廟は、今や駆け抜ける隙間もない程に骸骨達が犇めいている。

 一度嘆息すると、尋ねるように呟いた。


「これ全部…敵なの?」


 その呟きに答える者などいはしない。だが、骸骨達は即座に俺を目掛けて特攻してはきた。

 俺は苦り切った顔でそれに応じる。最前列の骸骨の伸ばす腕を横から掴み取って捻る。人間であればその勢いを利用して引き倒せるのであるが、骸骨ではそうもいかないらしい。腕が取れて終わりであった。

 俺は舌打ちすると、肋骨目掛けて拳を叩き込む。肋骨ごと赤い鉱石を割られた骸骨は、そのまま俺の腕の中で、ただの骸骨へと還り、バラけた。

 それで終わりではない。俺の背後から何本もの腕が伸びてくるのを、手近な棺を掴むと振り回して弾く。そのままの勢いを利用して身を翻すと、更に反対側の骸骨達の肋骨目掛けて棺を振るった。棺は肋骨を砕き、その中に浮く鉱石も破壊してゆく。


(使える!棺強え!)


 棺トンファーや棺ヌンチャクといった、新たなジャンルを開拓できるかもしれない—と、バカな事を考えながら棺を振り回す。

 棺が壊れたら、次の棺を掴んで同じ要領で振り回す。たまに脆くなった棺を掴んでしまう事もあったが、まあ仕方あるまい。


(こいつら、モンスターってやつか?…だよな。スケルトンっていう奴だよな)


 俺の身体に纏わりつかんとする骸骨達を打ち砕きながら考えていた。やはりここは俺のいた世界とは違うようだ—と。チラチラと視界に入ってくる己の黒く染まった腕が、俺の考えを肯定している気がした。

 なおも棺を振り回して骸骨達を粉砕していたが、やがて俺の近場の棺は全て使い物にならないくらいに砕ける。止む無く俺は無手で構えた。骸骨達は軽く、今の俺の膂力ならば簡単に破壊出来る。だが問題なのはその数である。足に取り付き、首に取り付き、俺の動きを止めようと無数の骸骨に纏わりつかれては、如何に優れた膂力を持っていたとてどうしようもない。


(一体二体ならどうとでもなる。六体以上になってくるとヤバい。もう足は止めてられんな。体重差を生かして吹き飛ばしながら、場所を移動させてもらうか。数の暴力ハンパないな)


 ところが、状況とは裏腹に全く微塵も焦りがない。この落ち着き具合はどうしたものか—と己の状況を鑑みて、一つの仮説へと辿り着く。


(俺ももしかしてこいつらと同じなのか?アンデッドって奴になってるんじゃないのか?)


 俺はため息をつきながら、首に歯を立てようとする骸骨の頭部を肩越しに殴りつける。そのまま猛然と走り出し、十数体の骸骨をなぎ倒したところで棺を掴み上げる事に成功する。どうやら、俺の悪運はまだ尽きていないらしい。俺は再び棺を手に無双を再開した。






「午後二時過ぎか…すげぇな。丸一日近く戦ってたのか」


 骸骨が散乱する中、俺は立ち尽くしていた。東京ドームを埋め尽くさんばかりの骸骨の群れを、たった一人で退けたのだ。正直、しんどい。肉体的にではなく、精神的に。俺は動かなくなった骸骨に一度視線を落とすと、深く嘆息する。


「骸骨で助かった。肉付きの奴らが出てきたら、危なかった…いや、無理だったな」


 呟きながらもキョロキョロと辺りを見回せば、霊廟から奥へと続く道を見つけて、そこへ向けて歩き出す。ようやく次に行ける。

 だが、ふと途中で足を止めると、チラリと視線を横に向ける。そこにあったのは厳つい男性の彫像だ。俺は腕を組んで考え込む。


(これ、武器として良いのではなかろうか。棺よりも強そうだぞ?)


 俺はゆっくりと彫像に近付くと、徐に持ち上げる。そのまま数回振り回して感触を確かめると、思わずニヤリと笑った。


「…良いな」


 彫像を片手に歩き出したが、俺の視線が僅か先に屹立する、刺々しい鎧を纏った男性の彫像に留まる。俺は己が持つ厳つい男性の彫像と、刺々しい男性の彫像とを見比べると、眉を寄せる。

 刺々しい彫像の方が、攻撃力が高い気がしなくもない。持ち替えるべきだろうか?握り心地も取り回しもそう違いが感じられないため、後は好みの問題とかそういう話になるのだが。


「両方持っていくか」


 考えるまでもなかった。俺は両手に彫像を持つと、今度こそ霊廟を後にした。

 さて、霊廟から通路へと出た訳だが、俺を待っていたのは何処までも続く下り階段であった。


「…ああ、そう…」


 辟易した顔を隠しもせずに嘆息すると、何のいじめだよ—と、彫像を置いて眉間を揉みながら毒づく。

 まあ、それで何が変わる訳でもないので、諦めて歩き出すのだが。出来る事なら、もう家に帰らせてほしい。


(あー、下はどうなってるんだろうな?また骸骨フェスティバルだったら嫌だな)


 などと抜かしていた俺だが、下の階層に辿り着いてみると、通路から霊廟の中を見て不平を口にした。


「ゾンビはやめてくれよ…」


 俺の視線の先には、再び東京ドーム程はあろうかという巨大な霊廟がある訳だが、そこには歩き回る事すら出来ない程にゾンビが敷き詰められている。一体何処から集まってきたのであろうか—と、首を傾げずにはいられない光景だ。そのゾンビの多さに、同僚の付き合いで行ったライブ会場の人混みを思い出した。


(どうしたもんかな…どうにもならんよな…)


 渋い顔を作りながら霊廟の入り口へと立つ。骸骨とは違い、ゾンビには重量がある。纏わりつかれたら脱する事は難しいだろう。幸い武器はある。近付いて来たら彫像で殴れば良い。—彫像がいつまで保つかは不明だが。


「信じてるぜ?」


 彫像へと視線を落として声をかければ、任せろ—と、返された気がした。

 ところで、ここで俺はふと違和感を覚えた。その違和感の正体が解らずに首を傾げたが、腕に浮いた血管を見て違和感の正体に気が付いた。前腕が白くなっているのだ。炭のように黒くなっていた腕が、いつの間にやら真っ白くなっている。俺は思わず彫像を下ろすと、袖をまくって腕を眺める。


(俺の腕、いつの間にか色が戻って…うん?袖が捲れる?)


 更には、袖が捲れる程に腕は細くなっていた。よくよく己の姿を眺めれば、縮んでいる事に気が付いた。いや、縮んでいると言うよりは、元に戻ったと言うべきか。パツパツに張っていたワイシャツもスーツも、元の着心地に戻っている。思わず声を上げて誰ともなしに尋ねた。


「どういう事?」


 その声に応えたのはゾンビであった。手前の何体かには俺の声が届いたらしく、ゆっくりと俺へと向き直る。やっちまった。


「あ〜くそ、まあいいや」


 俺は苦い顔で戦闘を開始する。自分の姿がどうなっているのかも気にはなるが、今は目の前の危機を脱する事が優先である。

 俺は彫像を構えて腰を落とした—が。


「…動きが鈍いな、オイ!」


 ゾンビの動きはやたらと遅かった。俺に向けてゆっくりと歩いてくるのだが、あまりにも歩みが遅く、焦れた俺は自分から突っ込んだ。


(筋力はパツパツ帯刀君の時と変わりなしか。走る速度も変わらないし、彫像を振るのも苦にならない。肌が白くなったのは有難いな。血管は…あれだが)


 俺は彫像を振り回してゾンビの群れをなぎ倒しながら横へと進む。前に出過ぎては囲まれてしまうため、周囲から削る事にする。頭を吹っ飛ばしても歩みを止めないゾンビであるが、胸を潰せば動きは止まる。

 何となく理解した。このゾンビ達の胸にも、あの赤い石が入っているのであろう。そしてそれを壊さない限り、死にはしないのだ。


(もしかして俺の胸にも?)


 止まった鼓動、脈のない身体、呼吸も睡眠も必要とせず、腹すら空かない。ではどうやって俺の身体は動いているのか?それを考えると、流石に怖くなるが、感じる恐怖も微々たるものであった。


(そういえば、感情の起伏もほとんどなくなったな)


 考えれば考える程に、俺の身体は人の物ではない気がしてくる。はっきりと言えば、この身体は死体ではなかろうか。アンデッドになってしまったのではなかろうか。そんな事を考えているうちに、彫像が片方折れた。刺々しい方である。下半身しかなくなっている。うーん。


「投擲!」


 振りかぶると、折れた彫像をゾンビの群れ目掛けて投げつけた。彫像の下半身は数多のゾンビを巻き込んで群れの中へと消えた。

 空いた手には手近な棺を握り、彫像と棺の二刀流で頑張る事にする。骸骨とは違いひたすら動きは遅いため、俺がある程度の距離を維持するようにすれば囲まれる事はない。ただ、時間はかかった。俺が安堵の息をついた時、戦い始めてから丸二日が経過していた。


「…終わった。長かった…」


 ゾンビの足の遅さに加えて、捕まったら終わりという思いが消極的な戦法を俺に選ばせた。それ故に時間がかかったものであるが、ゾンビは死んだのか死んでいないのかの判断が難しいのだ。一度倒したと思っていたゾンビが動いた時は、流石に肩を跳ね上げた。


「有難う。ピエール」


 厳しい顔の男性像ことピエールは、裸像である。そして雄々しい男性シンボルは折れていた。名誉の負傷であろう。今後はオカマ像として活躍してほしいものだ。


「さて、俺の姿はどうなったんだ?」


 スマホをポケットから取り出したが、どうやら壊してしまったらしい。画面をタップしても何も反応がない。俺は渋い顔でスマホをポケットへと戻した。次いで会社携帯を取り出してカメラを起動する。


「初めての自撮りがゾンビと一緒とはな」


 パシャというシャッター音と共に、俺の顔が携帯の画面に映し出された。俺はそれを見て顔を顰めた。不細工だなぁ—違う、そうじゃない。

 俺の顔は生前に近いものへと戻っていたのだ。病的に白いのは変わらないが、まだ見える程度まで人間らしくなっている。瞳孔や虹彩はまだ少し赤いが。そういえば、骸骨も眼窩の奥は赤く光っていたし、ゾンビも眼球のある奴は目が赤かった。アンデッドは目が赤いものであるのだろうか。


「やっぱり俺はアンデッドになったのかな…いずれは肉が腐ってゾンビに。その後は骸骨になるのかな…腐敗臭には気をつけなくちゃ」


 アンデッド用のデオドラント製品はあるのだろうか?—と、そんな事を考えながら、俺は霊廟の出口を目指して歩き出した。

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