真、デンテにも師事する
「お前さん、名前はマコトというのか?」
アシュレイに別れを告げ、冒険者ギルドの中へ戻ったあたしに、老魔術師のデンテが話しかけてきた。僅かに警戒して、チラリとアイマス達を見れば、二人はギルドマスターと話をしている。
そんなあたしの様子に、デンテは笑って言う。
「いやいや。特に何かしようという訳でもない。お前さん、弓なんぞ持っているが魔術師だろう?それも、アシュレイとのやりとりを聞くに…駆け出しだな?」
あたしは無言で首肯した。アシュレイとの知り合いという時点で悪い人ではないと分かるが、同時に、アシュレイとの知り合いという時点で胡散臭い人ではないかと疑ってしまう。デンテはなおも続ける。
「お前さん達は冒険者なのだろ?なら、依頼を受けてくれんかね?王都へ行きたいのだ。護衛依頼よ」
「ゴエイイライデスカ?」
デンテの言葉に尋ね返すと、デンテは頷いた。アイマスとソティの二人があたしの側へとやってくる。見れば、ギルドマスターは階段を上がり、執務室へと戻ってゆくところであった。アイマス達との話が終わったのだろう。
「マコトは私のパーティの一員だ。マコトに用があるらしいが、依頼なら私とソティもセットになる。良いか?」
アイマスの言葉にデンテは頷いてから応じた。
「もちろん。時に移動に関してだが—この娘を道中で鍛えてみたい。徒歩で王都に向かう旅にしたいが、良いかね?」
「徒歩?」
「王都までは馬車で8日の距離で御座います。徒歩で行ったら、少なく見積もっても30日はかかる計算で御座います。そうなると依頼料がお高くなってしまいますが—
ソティは言葉の最中で尻すぼみになり、やがて発言を止めてしまう。あたしを鍛えてくれると言っているのだ。そんな相手に金の話をするのも憚られたのだろう。だが、デンテは事もなげに言う。
「準備金含めて、一人金貨1枚。どうかね?」
真達は顔を見合わせた。金貨10枚は、庶民の年間生活費である。金貨1枚と言えば、30日強働かなくて良い計算になるではないか。準備金を差し引いても、20日は働かなくて良いだろう事は間違いない。このデンテの提案に、アイマスが珍しく眉を寄せて言った。
「相場の倍だぞ?幾ら何でも貰い過ぎだ。我々はDランクのパーティ。そこまでの付加価値はない。30日程度の依頼ならば大銀貨5枚。そこに準備金を上乗せしてくれれば良い」
「…欲がないのう。まあいい、ならば…受けてくれるなら、お主達二人も纏めて鍛えようかの」
この発言に驚いたのはアイマスとソティである。二人は前衛だ。どう見ても術師のデンテに前衛の修行がつけられるとは思えない。
「エット、オジイチャンハセッキンセンモコナセルノ?」
「ほほ、おじいちゃんか。悪くない響きだ。そうだの、こなせるよ。ちなみに、わしのレベルは、アシュレイと同じ—と言えば伝わるかの」
アシュレイと同じ—となればレベル100である。この老魔術師もまた、限界へと上り詰めた人間であるのだ。もはやあたし達に悩む理由などなかった。
「ソティ、マコト、私は受けようと思う」
「私も受けたいと思うので御座います」
「アタシモウケタイ!」
即決であった。幸い朝早い事もあり、四人は食料をしこたま買い込むと、直ちに出発する事にした。
あたし達三人は、デンテを加えて市場へ向かう。あたし達が干し肉やらドライフルーツを買い込む横では、デンテは日持ちしない物までどんどん買い込んでゆく。
それを見てアイマスが目を見開いた。あたしも驚き、慌ててデンテへ声をかける。
「オジイチャン、ヒモチシナイモノハダメダヨ!クサッチャウヨ!」
だが、デンテは逆にあたし達へと困った子供を見るような視線を向けて言う。
「アシュレイと同レベルだと言ったろう。こんな事もできるわい」
デンテの傍に黒い穴が開いたと思えば、穴は徐々に広がり、デンテの買い込んだ食材を吸い込んでゆく。あたし達は呆気に取られてそれを眺めていた。
「アシュレイの婆はケチだからの。使わせてくれんかったみたいだな。この中は亜空間になっていて、時間という概念はない。入れた時のまま鮮度は保たれるよ。ほれ、若いもんはちゃんと食べなきゃいかん。もっと力のつく食べ物を買わんか」
デンテは穴を閉じてから言った。あたし達は頷く事しか出来ない。アシュレイと互角という言葉を疑っていた訳ではないが、改めて見せつけられると、やはり凄いと思ってしまう。あれがいつかあたしにも使えるようになるのだろうか。あたしは少しずつ気分が上向いてきた。そして—
(アシュレイはケチすぎ)
先程感動的な別れを告げた師に対して、思わずジト目を向けるのだった。
「依頼は正式に取り付けられました。デンテ様の護衛はアエテルヌムにお願い致します」
食料を買い込んだ一行は、デンテと共に冒険者ギルドの受付にいた。依頼の作成と受注である。ギルドを通さなくては、あたし達のランクが上がらないのだ。その分手数料が発生してしまうが、デンテはこれを快く承諾してくれた。アシュレイとは器が違う。
「うむ、ではアエテルヌムよ。宜しく頼む」
「こちらこそ。道中は世話になる」
デンテとアイマスが握手を交わし、四人はギルドを出る。あたしは歩きながら気になっていた事をデンテへと尋ねた。
「ドウイウシュギョウナイヨウニナルノ?」
デンテはあたしへ視線を向けると、ニヤリと笑って言った。
「先ずは三人に魔力制御のやり方を覚えてもらう。何、歩きながらできる代物だ。これに…5日ほどかかるかの。次は魔力制御から派生した身体強化。これで息が上がるまで走り込みじゃな。1日の移動距離を一度も休む事なく走破出来るようになったら、次のステップだな。先ずはここまでかの」
—魔力制御。別れ際のアシュレイにやられたネタバラシによれば、あたしの魔術が失敗するのは、込める魔力が強過ぎるせいらしい。魔力制御を正しく行えるようになれば、それが改善するかもしれないのだ。あたしにとっては渡りに船であった。
だが、デンテの言葉にアイマスが渋い顔で告げる。
「デンテ殿、すまないが…私とソティは前衛だ。魔術制御を学んでも—
「何を言うか。身体強化は魔術師だけのものではない。前衛とて使えるぞ?そのための魔力制御だ。更に言えば、少ない魔力でも大きな働きを成す術を前衛達は数多く生み出しておる。力だけで高レベルな魔物の肉を断てると思ってはならんぞ?高レベルな前衛は、何かしらの魔力的な切り札を隠し持っておる。そうでなくては魔物には通用せんからな」
デンテはアイマスが言い終える前に遮る。怒っている訳ではないが、遮らなければならない程に、アイマス達の認識は間違っているという事に他ならない。
そして、デンテの言葉にアイマスとソティが思い浮かべたのはオーガであった。刃物が役に立たないオーガ。魔力制御を学ぶ事により、あれと渡り合う事ができるかもしれないのだ。アイマスとソティは顔を引き締めると、デンテに頷いて見せた。
「うむ、迷いは消えたようだの。ならば早速やるぞ。ほれ、全員手を繋いで輪になれ」
デンテの言葉に一同は頷くと、通りの端に寄って手を繋ぎ輪になる。少し気恥ずかしい気がしないでもないが、修行である。あたしは気にしない事にした。
「今からアイマス、お前さんの手に向けて魔力を流す。その魔力を減衰させないようにゆっくりとソティへと渡せ。ソティはマコトへと渡せ。マコトはワシに返すのだ。イメージするのは個人に任せるが、わしは川を流れる水がやりやすかったの。アシュレイの婆は火の海でこなしたそうだ。阿呆かの」
さりげなくアシュレイを貶めながら、魔力をアイマスへと渡したであろうデンテ。僅かにアイマスの眉が動く。
あたしもかつてアシュレイと手を繋ぎアシュレイから魔力を流し込まれた事で、魔力を掴む事が出来るようになった。それをやっているのだ。しかし、それをいきなり四連結である。もしかすると、デンテはアシュレイをはるかに上回るスパルタなのかもしれない。
「ぐぅ、すまない…まるっきり渡す事が出来なかった」
アイマスが苦しげな顔をして告げた。そう、慣れていないと魔力制御は意外と体力を消費するのだ。デンテはアイマスから手を離して言う。
「ふむ、お前さんは体力を回復させなさい。ソティ、手を」
ソティとデンテが手を繋ぎ、デンテがソティへと魔力を渡す。ソティもアイマス同様に、僅かに眉が動いた。そして、やはりと言うか、あたしにデンテの魔力は巡ってはこなかった。
「も、申し訳ありません。私にも無理で御座いました」
「良い良い。二人とも始めてであろう。出来なくて当然だ。ソティも休め。…では、マコトよ、少しばかり魔術の感触は掴んでいるようだが、力の程を見せてもらうぞ?」
「ハイ、ガンバリマス」
あたしとデンテは両手を繋ぐ。あたしは目を瞑り、デンテから流れてくる魔力を待った。僅かな間をおいてデンテから魔力の塊が流れてくる。それは、馬鹿みたいに荒れ狂う濁流のような魔力。あたしは思わず目を見開く。あたしとデンテの視線が交差した。
(こ、このおじいちゃん!意地が悪い!)
あたしがそう思うのも無理はない。デンテはあたしの視線を受けてニヤリと笑ったのだ。それはアシュレイと同質の笑みであった。あの粘着質な笑みであったのだ。
あたしは負けてなるかと右手から入ってきた異物を己の魔力で包み込み、形を崩さないようにゆっくりと右肩へ、背中を周り左肩、そして左手を経由してデンテへと返して退けた。
「はぁ、はぁ…」
デンテへと魔力を返したあたしは、信じられないくらいに疲弊していた。デンテは僅かに目を瞑り、流れ込んできた魔力の精査をしていたらしい。やがて目を開けると告げる。
「ふむ、残量二割といったところかの。まだまだ制御が甘いわい」
アイマス、ソティと同様に荒い息を吐きながら汗を拭う。魔力制御は思った以上に難しい。改めて三人は顔を引き締めると、デンテを見た。次の言葉を待っているのだ。
そんな三人にデンテはしれっと言った。
「では、四半刻で体力を回復させよ。もう一度やる。それまでは進むぞ」
顔を青くした三人に背中を向けて、城門へと歩いて行くデンテ。杖をつきプルプルする腕とは対照的に、足腰は微塵も揺るがない。三人は慌てて後を追った。かくして、アエテルヌムの地獄の日々は幕を開けたのだ。
アトリアの町を出て、4日が経過した。
ここまではずっと徒歩の旅であった。もっとも、走るぞ—などと言われたら、あたしは死んでいたかも知れないが。だが、これからは走る事になるらしい。死ぬかも知れない。
「ほほ、4日か。わしの見立てよりも一日早いのぅ。三人とも筋が良いじゃないか。驚いたわい」
あたし、アイマス、ソティの三人は、魔力制御の課題をついにクリアしたのだ。魔力の制御で学んだ事は、魔力は小さ過ぎても大き過ぎても制御し難いという事であった。
アイマスは魔力値が低いため、己で魔力球を作りソティへ渡しても、ピンポン球サイズで非常に破れ易い代物が出来上がる。これを破らないように他者へ渡すのは一苦労なのである。これがソティになると、グッと難易度は下がる。ソティから渡される魔力球は、野球のボールサイズになり、強度もアイマスよりは高い。あたしになれば、ソティとサイズは変わらないが、圧倒的に強度が高く、まず壊れる心配はない。
そしてデンテ。この爺はあえて意地悪をしてくる。ボーリング球の大きさまで練り上げたクッソ重たい魔力球を物凄く破れ易く、そのくせとんでもない回転をかけて渡してくるのだ。
そんな訳で三人は、アイマスの魔力球とデンテの魔力球を壊さずに他者へ渡す事に難儀した。だが、ひたすらにそれを繰り返した事により、魔力制御の能力は格段に高まっている。今では難なくクリア出来るまでに、器用に魔力を動かせるようになったのだ。
「普通はこの工程だけでも、季節は二つ跨ぐ。お主らは、実践をこなす中で、知らず知らずのうちに、魔力に少なからず触れておったのだ。いずれ、更なる強敵と見える事があれば、それに気付くかもしれんの」
デンテはそんな事を言ってあたし達を順に見つめる。あたし達が首肯すると、満足げに頷いてから続けた。
「では、身体強化について説明するぞ」
デンテの言葉にあたし達は首肯した。
「身体強化の肝は、筋肉と魔力を結合させる事だ。これは魔力値の高い者程やり易い。では、魔力値の低い者、アイマスなんかではできないかといえば、そうではない。魔力値の低い者は、レベルが同じであれば、既にそれだけ魔力は肉体と結びつき強化されている。故に強化する箇所を心肺機能に絞って行う。これで無限に近いスタミナが得られるようになる。ここまでで質問は?」
「ハイ、オジイチャン」
手を挙げるとデンテがあたしに視線を寄越す。あたしは言葉を続けた。
「ツマリ、シンタイノウリョクノヒクイマジュツシノシンタイノウリョクヲ、ゼンエイナミニタカメルワザナノ?」
「ふむ。その整理であっておる。冒険者というのはな、純粋な後衛である事が難しい。強大な相手を迎え撃つ時程、後衛も前衛同様に動き回らなくてはならなくなるのだ。故に、後衛であっても前衛並みとまではゆかんが、それに準ずるところまでは肉体を一時的に高める術を学んでもらう。逆に前衛は元々高まっている能力をフルに発揮するべく、スタミナを極限まで高める訓練になるの。この訓練を繰り返すうちに、前衛も魔力の扱いに習熟し、更に肉体を強化する事もできるようになろうが、まあ、今回はそこまでは求めん。これは後から勝手に付いてくるからの」
今度こそ三人は頷いた。デンテはそれを見ると続けた。
「では、ソティとマコトだな。魔力を全身へと薄く広げて、身体に馴染ませてゆくイメージを作るのだ。そしてそれが己の筋肉繊維と結びつき、身体を強化してゆくイメージを作り出せ。—かかれ」
デンテの合図にあたしとソティは即座に従う。
あたしは全身に魔力をくまなく広げてゆき、全身を覆いきったところで、魔力を筋肉繊維と結びつけるイメージを構成してゆく。より強く、鋼のように—
「さて、アイマスよ。息を吸ってみよ。吸い込んだ息はどうなる?」
「胸の奥へと溜まる」
「では、吐き出すとどうなる?」
「胸の奥から出てゆく。その流れをイメージするのか?」
「待て、焦るな。息は吸い込んだだけでは終わらない。かつて仲間の前衛に試させた時、呼吸の力を高めても、そう変わらんかった。呼吸するという事は、身体が息を吸う事を必要としているからじゃないか?つまり、吸い込んだ息がくまなく全身に広がってゆく様をイメージし、強化しろ—やってみるが良い」
アイマスは即座に目を閉じてイメージに取り掛かる。一方で、あたしとソティは多少動いてみて、普段との差に愕然としていた。まるで世界が違って見えるのだ。ちょっと走れば爆走という言葉が似つかわしいくらい早く、ピョンと飛び上がったつもりが人の頭よりも高く浮く。この動きは普段アイマスが見せるものだ。あたしは前衛になった気分を感じていた。ソティは素早さに特化した前衛であるので、普段は感じることのない力強さに瞳をキラキラさせていた。
さて、デンテの課題により、あたしは大きな思い違いをしていた事に気がついている。魔法陣など魔力を使用する際には、厳格なルールに沿って指示をしてやらねばならないと思っていたのだが、デンテ曰くそうではないらしい。魔力は既に身体の一部であり、体内に及ぼす効果であれば、考えイメージを働かせるだけでも、魔力はある程度動いてくれるというのだ。そしてそれは正しかった。魔法陣などにより補助をするのは、外部に働きかける場合であるそうだ。
更には魔術師にとって今行なっている修行は二つの意味がある。一つは言わずもがな魔力制御の訓練。もう一つは前衛としての下地作りだ。あたしにとっては一石二鳥の訓練になるのだ。前衛として活躍したいかどうかは抜きにして—だが。
「フォー!アタシハイマ、ウマレカワッタキブンダヨ!ユミガコンナニカンタンニヒケルヨ!」
「私もで御座います。こんなに力強い突きが放てるなんて…夢のようで御座います」
あたしとソティがはしゃいでいると、そこにアイマスがやってきた。アイマスも何か違いを感じ取れているのか、ニコニコと破顔している。あたしがアイマスに問おうとした時、デンテが先に声を上げた。
「うむ、準備は整ったな。では、今日からは予定通り走る事になる。1日分の距離を走るまでは止まる事は許さぬ。では、ついてこい」
言うや否やデンテは風のような速度で走り出した。あたし達三人もそれに続く。景色の流れが異常に早いが、動体視力や脳への情報伝達系も強化されているのかもしれない。鈍臭いあたしでも、躓く事もなく走れている。
さて、それからしばらくすると、負荷をかけると思った以上に維持が厳しい事を知る事になる。あたしは早くも汗を額に浮かべていた。それはアイマスやソティも同様である。スタミナはまだまだ万全であるのだが、身体強化を維持する事が難しく、デンテに追いつくのが容易ではないのだ。追い付こうとして走る力を込めれば維持が疎かになり、維持に意識を割くと離される。デンテは意地が悪い事に、あたし達三人のギリギリを見極めて、走る速度を調整しているようであった。
(ぐぬぅ…辛い、予想以上に辛い)
あたしは早くも根を上げそうであったが、必死に食らいつこうとする。だが、先に限界を迎えて倒れ込んだのはソティであった。
「オジイチャンストップ!ソティガタオレタ!」
デンテは耳聡くあたしの叫びを聞きつけると、即座にとって返してあたし達の元までやってきた。
「ほほほ、体力のあるアイマスと、制御に優れるマコトには有利に働いたの。ソティが意識を取り戻すまで、二人は制御の訓練だな」
「オニダ…」
「ああ、鬼がいるな…」
あたし達の地獄の日々は未だに続く。ちなみに、魔物は近づくや否やデンテの亜空間へと吸い込まれてゆく。あれらはまだ生きている。嫌な予感しかしないのは考えすぎであろうか。
ともかく、4日目からはひたすらに身体強化に慣れる事となった。
「ふむ、今日はここまでで1日の走行距離を走破したの。これから夕方までは個別訓練の時間としようかの」
あれから15日。護衛開始から数えると19日が経過した。あたし達三人は、全員が身体強化を維持しながら、他の事に注力できる程に魔力の扱いに習熟してきていた。
今日は初めて誰一人として倒れずに1日の移動距離を走破出来た記念すべき日である。よって、個別訓練は今日が初となる。
「まずはアイマスだが…お主は身体強化を維持した上で、剣に魔力を纏わせてみよ。それが出来たら魔力の質を好きな様に変えてみるが良い。剣先を鋭くして切れ味を増すも良し。炎の剣としてみるも良し。炎の魔法陣は記憶しておるな?」
「はい、やって…みます…」
アイマスは息も絶え絶えに首肯した。次はソティである。ソティへの課題は一風変わったものであった。
「ソティ、お主はわしに気取られずに背後を取って見せよ。わしは常にこの光の球を浮かべておく。この光の球がお主に張り付いたら、気が付かれていると思え」
「は、はい…分かり、ました」
最後はあたしである。僅かに息を飲む。だが、あたしへの課題は思った以上に普通なものであった。
「マコト、お主はアシュレイから渡された魔術書を覚えよ。流し読みは許さん。全てのページの魔法陣を完璧に理解せよ」
「ハイ。ガンバリ…マス」
こうしてあたし達は個別の課題に取り組む事になる。一足先に始めたアイマスは、身体強化を維持するのに問題はなくなっている。だが、身体強化を維持しつつ、更に別の事へ魔力を費やそうとすると話は別であった。剣先まで魔力は広がらずに霧散するか、剣先まで広がった拍子に身体強化が消えるかの二択を延々と繰り返している。アイマスへ課せられた課題は、息吐く様に身体強化を使いこなせる様になってなお、手に余るらしい。激ムズ課題である。
次いでソティ。アイマスを眺めるデンテの背後を取らんとして、ピッタリと光る球へ張り付かれた。再び距離を取りながら、スピードをトップギアへと持ってゆき、光る球を振り切る。そして再びデンテに近付くが、やはりデンテの察知能力は極めて高い。ピッタリと光る球に張り付かれ、ソティは歯噛みしながら離れている。
最後はあたしである。地味であった。ひたすら読書である。デンテが亜空間からあたしへとポストマンバッグを取り出す。走るのには重いから—と、デンテが預かっていたのだ。あたしはバッグを開き魔術書を広げる。魔法陣を見つけては構成を読み解き、文字の解釈を行う。以前躓いていた水の流れを作り出す魔術は、何ら困る事なく簡単にクリア出来たのが嬉しかった。
(アシュレイの余計なネタバラシが無ければ、より嬉しかったよなぁ。でも、ネタバラシがなかったら、意地になってデンテのおじいちゃんに師事しようと思わなかったかもね)
そのまま本を読み進めてゆくと、魔力制御のページへと辿り着いた。それを読みながらニヤニヤとほくそ笑む。あたしにはもはや鼻くそをほじりながらでもこなせる内容ばかりであったからだ。女の子なのでほじりはしないが。
(うん、これも問題なし。こっちも…できた)
一見順調そうであったが、落とし穴はその先にあった。ある魔法陣が描かれたページに注釈が書き足されており、そこには手書きの魔法陣が描かれていたのだ。おそらくはアシュレイが描いたものであろう。これが非常に難解—と評するよりは、訳の分からない代物であった。
(こ、これはノーカンじゃない?ノーカンだよね?)
本を手にデンテの元へと向かう。デンテはアイマスに己の魔力制御を見本として見せつつ、光の球でソティを牽制するという離れ業をやっていた。
(曲芸師かよ…)
—と、思わないでもないが、デンテは念話を捉えられるのだ。もしかすると、考えている事まで見透かされるかもしれない。あたしは考えない事にした。
「オジイチャン、シツモンイイカナ?」
「ほぅ?何だ?」
「コノチュウシャク、コレハノーカンダヨネ?」
「何を言うておる。これも立派な魔術書の魔法陣だろ?ちゃんと読み解け」
「…ハイ」
祈りは通じなかった。あたしはアシュレイがいるであろう方角へ向けて邪念を一つ飛ばした後、本を手に再び座り込んだ。
(ぐぬぅ…何じゃいこれ…どうなっとてるんだ?)
悩むのも無理はないだろう。その注釈に描かれていた魔法陣は、三重の円になっており、内側の円に接する様に上向きの三角陣が描かれている。同じく、中間の円に接する様に下向きの三角陣が描かれており、歪な六芒星により制御される魔法陣であった。魔法陣の中央には炎を示す属性の文字が描かれ、上向きの三角陣の各頂点には、“固定”“強化”“変形”の文字。下向きの三角陣の各頂点には風を示す属性文字が三つ。何がしたいのか分からなくなり、混乱した。
(と、とりあえず、この炎の上三角の魔法陣だと、何が出るのかな?)
あたしは試しに上三角の魔法陣を作り出し、中央に炎の属性文字、三角の各頂点には固定、強化、変形の文字を描いてみた。
「出ろ!」
少しずつ魔法陣の各文字へと魔力を込めてゆく。特に各文字にイメージを持たせていないためか、出来上がったのはセクシーなポーズを決めるアシュレイを象った炎であった。変形の効果であろうか。そして、ボンキュボンがやたらと“強化”されていた。イラっとした。
炎のアシュレイを消すと、座り込んで考える。
(これだけだと意味が分からない。やっぱり下三角の魔法円と組み合わせて効果を発揮する魔法陣なんだ。風で炎を包む…けど、炎は消えない。固定されているから。…どうなる?やってみれば分かるか?)
アシュレイの歪な六芒星魔法陣を作り出すと、僅かに逡巡した後に発動させた。
現れたものは、やはり炎のアシュレイ。先程よりも胸部パーツの盛りが酷い。少し魔力を込め過ぎただろうか。そして炎のアシュレイの周囲を風が取り囲む様に回る。あたしは首を傾げてその光景に見入った。
(何で風は炎の周りを回るの?)
しばらく考えた後に気が付いた。魔法陣の中央に描かれているのは炎の属性文字である。つまり、その他の文字は全て炎の文字にしか作用しないのだ。そして、風が竜巻の如く炎の周囲を回るのは、炎を風で囲む様に魔法陣で指定しているからだ。内側の円に上向きの三角で炎の効果を表し、その外側に大きな風の輪を作るために、下向きの三角は中央の円に接する形をとったのだろう。
そこまで考えて納得したあたしは、再び首を傾げた。
(それで、これは一体何の魔術なのさ?)
あたしの視線の先では、炎のアシュレイは風を伴い佇んでいるのみである。ただし、熱された空気は上昇気流となり上空へと上がる。更には風により常に新鮮な空気が炎へと送られ、雨乞いでもしているかの様な光景であった。
(まさか、本当に雨乞い?)
あたしはアシュレイが呪術師であった事を思い出して考え込むが、流石にそれはなかろう。迂遠すぎる。水が欲しければ、直接水を作り出せば良いのだ。
(…込める魔力が低い?)
そう考えた真は炎に込める魔力を少しずつ高めてゆく。出来上がった炎は巨大なアシュレイである。ここまでの馬鹿をやっていれば、当然目立つ。アイマス達は巨大で無駄にグラマラスなアシュレイに気が付いて、あたしの元へとやってきた。
「何だこれは?」
「何で御座いますか、これは?」
「何なのだこれは?」
三人が個別に口を開くが、尋ねる内容は同じであった。あたしはアシュレイを見上げたまま答える。
「マホウジンノイミガワカラナクテネ…イロイロトタメシテイルンダ」
三人はあたしの言葉を聞いた後、再び巨大アシュレイへと視線を戻す。一体どんな魔法陣なのか?—と、三人同時に首を傾げていた。