真、アンラ神聖国へ
暖かくなってきましたね。
たまには陽の光を浴びようかな?—と考えて、外に出たは良いものの、鼻水と涙が止まりません。
これが花粉症なのでしょうか。
「あいうえお、かきくけこ、さしすせよ」
『惜しい、さしすせ“そ”だよ』
アシュレイは発音の練習をしている。流石にアシュレイは物覚えが良く—と言うか良すぎるのだが、あたしの世界の言葉を理解しつつある。何か絡繰があるはずだ—と具に観察してみれば、定期的に呪術を己にかけているではないか。どうやら、種も仕掛けもあるらしい。
「次の方程式の解を求めにょ」
『最後は“にょ”ではなく、“よ”だよ。でも、流石に早いね。その呪術、あたしにも教えてよ』
「やだ〜」
無理ではなく、嫌だそうだ。性格の悪い術師もいたものだ。ジト目をアシュレイに向けるが、アシュレイもまたジト目をあたしへ向けた。
「なんだよ〜呪うぞ〜?」
『ひっ!?すみませんアシュレイさん!』
パーティ内のパワーバランスがよく分かる一コマであった。
さて、あたし達は馬車で峠道を走っていた。一行は未だに護衛依頼の真っ最中である。現在は出発から五日目である。既に折り返し地点を過ぎ、まもなくアンラ神聖国へと入るらしい。アンラ神聖国へと入れば、すぐに目指す町であるアトリアが見えるそうだ。
ここまでの道中では数多くの魔物に襲われた一行であったが、お金になりそうな魔物には会えていない。山の中ではハーピィが多く出たが、ハーピィは上半身が人間の女性、腕と下半身は鳥の魔物である。食べるにも抵抗があるし、羽毛は小汚く金にならない。ハーピィ系はより上位の魔物でなくては、煮ても焼いても食えない代物であるらしい。上半身が裸の女性であるため、好きな人は好きであるとか。それをあたしに語って聞かせたのは護衛仲間の一人であったが—
(いやいや、物好きとかいうレベル?)
—と、あたしは思わず顔を顰めた。ついでに言えば、鳥のくせして立派なものをお持ちであった事が妬ましかった。
だが、そんな道中にあって、一度だけ山の中腹程でオーガが出た。本来ならオーガは山道から奥深くへ入り込んだ魔素の多い地域に生息する魔物である。レベルは50〜60と高い。対するあたし達はどうか。Dランクの冒険者が受けられるレベルの護衛依頼である。そんな高レベルの冒険者などいるはずもない。まあ、アシュレイという例外はいるが。
完全なイレギュラーに護衛達は随分と慌てた。前衛の攻撃はオーガの肉体を傷付けるに至らず、腕の一払いで面白いように人が飛ぶ。あのアイマスが流血してフラフラしていたのが衝撃であった。死んでしまうのではないかと、随分と焦った。それでも幽鬼のような表情で前に立ち続けていたから流石である。
剛弓の術を以ってしても、吹き飛びこそするものの、無傷で怒り狂って即座に戻ってくるだけであり、その他の魔術師達の魔術も似たり寄ったりである。結局、アシュレイが周辺の木もろとも焼いた。アシュレイ様々である。
オーガの死体を持ち帰れなかった事に商人は残念そうな顔を見せたが、オーガと出くわして命があっただけでも儲けもの—と、すぐに気持ちを切り替えてくれた。護衛達の怪我は、ソティの法術により回復している。
「マコト、そこは違う〜。水の流れを作り出したいのなら〜、“生命”を意味する文字を使うべき。“生命”を“躍動するもの”と解釈して〜、魔術を発動させれば良い〜」
『…何だか占いの本を読んでいるかのような気分だよ』
あたしとアシュレイは互いに本を開きながら、ああでもない、こうでもないと話し合っている。勉強会みたいで少し楽しい。
馬車の揺れは随分と酷いものであったが、この手の振動にあたしはやたら強いのか、お尻の痛さ以外は苦にならなかった。
アイマスとソティはオーガ以降、かなり警戒している。疎林でもそうであったが、ディメリア帝国内の魔物の分布が変化している恐れがあるとの事であった。
「今日はここで夜営となる。警戒を少し強めるから、申し訳ないんだが—
「ああ、分かっている。私達も常時警戒班として使ってくれて構わない。むしろ、女だからって遠慮し過ぎだ」
「ふぅ、そう言わないでくれ。女の前では格好つけたいものなんだ、男ってのは」
あたし達の乗る馬車へと連絡に来た護衛とアイマスのやりとりである。全然気が付いていなかったが、各自が勝手に警戒している訳ではなく、警戒班として商人を守る組がいたらしい。
アイマスが女扱いされたためか、酷く上機嫌であった。美人さんなのだが、何故か自己評価が低いアイマスである。
ところで、この世界にきてからもうすぐ一月になる。あたしは女だ。と、なれば女性特有の日があるのだ。今まで言い出せなかったが、もうまもなく来るだろう。胸が張って痛いのだ。
あたしはアイマス、ソティ、アシュレイの三人を見比べると、ソティに聞く事にした。
『ソティ、ソティ』
「ん?どうかしましたか?マコト」
『あ、あのね、もうすぐあれなんだけど…ソティ達はどうしてるのかな?…なんて…』
言い回しが迂遠だったのか、はたまたこの世界の女性にはあれがないのか。ソティは僅かに考えて眉を寄せたが、何についての話なのか思い至ったようである。手を叩いて朗らかに言う。
「そういう事ならアシュレイで御座います」
『えっ!?マジで?』
まさかの呪術師の名前が出てきた事に、目を見開いて驚いた。アシュレイが何をしてくれると言うのであろうか。だが、当のアシュレイはいじけていた。
「知らな〜い。最初に三人を比較して、ソティに声かけるような奴はし〜らな〜い」
どうやらあたしの視線に気が付いていたらしい。何とも面倒くさい術師もいたものである。あたしはソティと共に必死に宥めてどういう事かを聞き出せば—
「呪術の中には状態を固定化するものがあるんだ〜。それでアレの来ていない状態で固定化するの〜。で、町に着いたら解除する〜。女性がいるパーティは、これでアレの事情をクリアしている〜」
『—成る程。では、早速お願いします』
平伏してお願いすると、アシュレイはほいほい—と力の抜ける掛け声と共に、あたしの肩へ軽く触れた。
何か変わったのか?—と肩を見るも、何も変化はない。だが、アシュレイは既に教科書に目を落としていた。もう終わりであるらしい。
『ええっと?』
「もう大丈夫〜。解除するまでは来ないよ〜」
アシュレイは教科書から視線を上げもせずに言う。全く、困った術師だが、アシュレイが大丈夫というなら大丈夫なのだろう。安堵の息をついて、アシュレイに礼を言った。
アシュレイの本によれば、この世界の呪術と呼ばれる術理であるが、多くの者は呪いの術であると誤解している。正しくは呪いの術なのだ。生活に役立つ術が盛り沢山の、奥様御用達な素敵な術理である。まぁ、呪いの術もない訳ではないので、誤解とも言い切れないのだが。
なお、呪術師は直接的な攻撃手段が少ないため、専攻しようとする者が少ない。魔物の跳梁跋扈するこの世界においては仕方ないと思うものの、何とも世知辛い話だ—と、嘆息を禁じ得ない。
「アシュレイ、ちょっといいか?あのハーピィの群れがこっちに近付かないように出来るか?」
アシュレイへ声をかけたのはアイマスだ。幌から身を乗り出しつつ、手庇で遠くを見ている。
「ん?あれね?お安い御用さ〜」
アシュレイが杖の先で宙空に文字を描くと、たちまち文字は光り輝き、やがて消えた。あれも呪術なのであろう。
アイマスは満足げに頷くと、アシュレイへ向けて労いの言葉をかける。
「すまないな、オーガの事もある。何だか落ち着かなくてな」
「正しい判断〜。気にするな〜」
そう言いながらも、アシュレイの目は数学の教科書に釘付けである。仕方のない術師であった。
さて、あたし達も警戒に当たる事になる。あたしとアイマスの二人は、商人の天幕の側で警戒に当たる事になった。
『オーガ、怖かったね』
アイマスが苦り切った顔であたしの言葉に首肯するが、次に出た言葉は随分と強気なものであった。
「次は勝ってみせるさ」
『いやいや、もう少しレベル上げてからにしようよ』
あたしは苦笑いしながら言うも、アイマスはくつくつと笑っている。あたしが訝しげな視線を送っていると、やがてアイマスが視線をあたしへと向けて言う。
「それはつまり、迷宮に潜るって事だぞ?」
『ええっ!?ちょっと待ってよ!何でそうなるのさ!』
アイマスは愉快そうに、それはな—と語り始める。
アイマス曰く—この世界ではレベル30代というのは一つの壁であるそうだ。そのレベル帯の魔物というのは、地上にはほとんど存在しないのだ。レベル20代の魔物より先は、いきなりレベル50代の敵が闊歩する悪夢のような地域が多い。
そんな中にあって、レベルを30代から50代まで上げようとした場合、多くの場合は迷宮を活用する事になる。弱い敵を延々と倒し続ける手もあるにはあるが、それでは何年かかるか知れたものではない。レベルが30代に入ったら、レベルを上げようとすると、迷宮に篭り格上と戦う以外の道がほぼ閉ざされる。
ところで、レベル30〜40代の迷宮として有名なのは、凍土の迷宮か無限回廊の迷宮である。
凍土の迷宮はその名の通り、全てが氷で覆われた非常に寒い迷宮であり、出てくる魔物はアイスゴーレムが主となる。この迷宮は未踏破で、日々スタンピードが起きないように魔物の数を減らしつつ、最下層目指して歩みを進めている。出現する魔物のレベルは30後半〜40代であるそうだ。
無限回廊の迷宮は、何処までも回廊の続く迷宮である。先の扉は見えているのに、どれだけ進んでも扉に到達しないのだ。ここも未踏破であるが、人が立ち入らなくては魔物が生み出されない—という迷宮の構造的にスタンピードは起きにくいと考えられるのと、周辺には村一つないため、人気がない迷宮である。出現する魔物のレベルは20後半〜40代であるらしい。
『マジか…あ、あたしは外で待ってるよ。テレポートの罠とか怖いし—壁の中に出たら事実上の終わりじゃんか—』
「?—何を言っているのかいまいち分からないな。まあ、それは置いておくとして、マコトは魔術師だ。レベルを高めなくては使えない魔術だってあるだろう?それは良いのか?」
アイマスの言葉にあたしは目を点にした。ああ、まだ聞いていないのか—と、アイマスは呟いてから続ける。
「ある程度の魔力値がないと制御云々以前に、そもそも使えないような魔術もあるんだぞ?魔術ってのは、レベルが高まり魔力値が高くなれば高くなる程、出来る事が増えてゆくものだ…私には全く分からないけれどな」
『…迷宮…お伴します…』
とりあえずディメリア帝国から離れる—という勢いだけでアンラへと向かっているあたし達であるが、どうやら次の目的地は迷宮に決まりそうである。
あたしが観念して肩を落とすと、アイマスは嬉しそうに言った。
「いや、助かるよ。術者がいるのといないのとでは、全然難易度が変わるからな」
あたしはアイマスの言葉に嫌な予感がした。何故ならアシュレイは術者である。ところが、アシュレイがアイマスの勘定に入っていないのはどういう事であろうか。そういう事なのであろう。けど、それでもあたしは食い下がらなくてはならない。尋ねねばならないのだ。
『ア、アシュレイは?アシュレイは来ないの?来るんだよね?』
「アシュレイは迷宮には付き合わないよ。下手すれば数十日も篭りきりになるからな。流石にそこまで頻繁に、長期で仕事を空けていられないさ」
やはりアシュレイは来ないらしい。術者はあたし一人となる。責任重大だ。
ちなみに、法術には攻撃に使用できる術理が非常に少ない。闇を払い不浄なものを消し去る“ターンアンデッド”と呼ばれる術、またはその術の発展系しかないのだ。不死系魔物には無類の強さを誇る反面、それ以外では攻撃役とはなり得ない。
更に言えば、法術は神に祈りを捧げるという特性上、極めて術の発動までが長い。戦闘中には余程の大人数で守りでも固めない限り、使う事は出来ないだろう。
つまり、攻撃魔術はあたし一人が担当する事になる。一体どれほどの負荷が予測されるのだろうか。あたしはアイマスに問う。アイマスからの返答は、苦笑いすら出ないものであった。
「一度魔物に出くわすと、右を見ても左を見ても魔物だな。前も後ろも魔物だ。ひたすら魔物に囲まれて、気が付けばこちらか向こうが全滅しているという感じだ」
『なんじゃそら…』
アイマスが行ったのは、渓谷の迷宮という谷間をひたすら進む迷宮であったらしい。レベルは20代と、迷宮にしては随分と低く、一年前に踏破されたそうだ。アイマスとソティも惜しい所まで行っていたのだが、踏破したのは大人数を抱えるアンラ神聖国所属の冒険者クラン“鉄の掟”であるらしい。意気揚々と数十人で凱旋する鉄の掟の面々に対して、二人はガンを飛ばしまくったそうな。
アイマスとソティの痴態は置いておこう。そのままアイマスは迷宮について説明してくれた。アイマスの語った内容をまとめると—
迷宮とは、異常に寄り集まった魔素が空間そのものを魔物化させてしまった結果出来上がるものであるらしい。
迷宮と聞いて思い浮かぶのはスタンピードである。迷宮内から数多の魔物達が、何かに取り憑かれたように飛び出してくる現象だ。これは放っておけば何処までも広がり、進路上にあるものは全て蹂躙してゆく。これは定期的に迷宮から魔物を間引くか、或いは迷宮核を砕く事で防げる。
では、迷宮核とは何か?—迷宮の最深部には迷宮核と呼ばれる魔素の塊—つまりは魔石があり、これを砕く事により、迷宮はそれ以上成長しなくなる。これは人間達の想像だが、最初に迷宮を作り出した魔石が迷宮核の正体であろう。魔石がなくなる事により、迷宮という魔物は死ぬのではないかと考えられている。
だが、迷宮核を砕こうとも魔素が多く溜まっている事には違いがなく、相変わらず魔物は勝手に増えるらしい。ところが、迷宮核の有無で魔素の質が変わるのか、迷宮核がなくなった後の魔物達は地上の魔物達と同様の行動をとるようになる。つまり、スタンピードの心配はなくなる。
余談だが、各地の未踏破の迷宮には賞金がかけられているだけでなく、迷宮産の品物は潤沢に魔素を含んでいるため、非常に高品質な素材となる。これは、踏破未踏破に関わらず共通している。故に迷宮に篭る冒険者は後を絶たない。ギルドからの依頼そっちのけで、ひたすら迷宮通いを繰り返す冒険者パーティとているのだとか。
「まあ、こんなところだな」
『…成る程。よく分かりました』
迷宮に関してはやたらと詳細に語ってくれたアイマスである。余程思いを馳せていたのであろうか。
ちなみに、魔物は体内で魔素が魔石化しており、心臓と一体化している。魔石が出来たから魔物へとなるのか、魔物となったから魔石が出来たのかは未だに判明していない。魔石を砕けば心臓破壊と同義となり、たちまち魔物は死んでしまうからだ。この議題は魔物学者達が酒の席で盛り上がる鉄板ネタであるらしい。どうでも良いが。
さて、あたしは具にアイマスの様子を窺いながら尋ねた。
『アイマスは、やっぱり迷宮に行きたいの?』
あたしが尋ねたかったのは、迷宮に行きたい理由であったのだが、それを尋ねるのは何となく憚られた。
一方で、尋ねられた方のアイマスは、きまり悪そうに視線を泳がせるあたしの様子を冷静に見ていたようだ。
「マコトが聞きたいのは、その理由か?」
『うっ、はい…そうです』
アイマスはニヤニヤとアシュレイばりに意地の悪い笑みを見せていたが、からりと乾いた笑みへと表情を変えて言った。
「ディメリア帝国では、一年の終わりに強さを競う大会があるんだ。名を大闘技会というのだがな」
『…その大会に出て、優勝したいの?だからレベルを上げるために迷宮に行きたいの?』
あたしの質問に首肯すると、一拍置いてからアイマスは己の剣を引き抜き、柄頭をあたしへ向けて押し付けてきた。これは何ぞや?—と視線を剣に落として固まるあたしにアイマスは言う。
「持ってみてくれ」
『…いいの?剣は剣士の命って言うよ?』
言いながらも剣の柄をゆっくりと握る。あたしが握りきったのを見てから、アイマスは手を離した。途端—
『むおっ!?重い!』
あたしは剣の重さに耐えられず、取り落としてしまう。あたしは慌てて剣を拾おうとするが、剣は微塵も持ち上がらない。どう考えても剣の重量ではない重さに、思わずアイマスの顔を見れば、アイマスは再びアシュレイばりの意地の悪い笑顔をこちらへ向けていた。
『アイマスっ!』
思わず声を荒げる。アイマスはこうなる事を想定した上であたしへと手渡したのだ。
アイマスは悪い悪い—と、全く悪びれていなさそうな態度で剣を拾うと、軽く拭き取り鞘へとしまった。
あたしの向けるジト目を受け流しながら、アイマスは語る。
「これはな、魔剣ってやつだ。私は魔剣に選ばれた。数多く人はいる。私より強い奴なんてザラだしな。その中から私が選ばれた理由を知りたいんだ。強い奴と戦えば、何か分かるかもしれんと思ってな。人、魔物問わず、私よりも強い奴と戦いたい—冒険者なんてやっている理由もそれだ」
『…魔剣?』
あたしは呟きながら、アイマスが腰に佩く剣を見る。華美な装飾がある訳でもなく、何かしらオーラを放っている訳でもなく、ありふれた片手剣にしか見えなかった。
しかもアイマスはその剣を戦闘では一度も抜いてはいない。抜いているのは二本ある内の、もう片方の剣である。あたしは魔剣を予備の剣なのかと思っていた程だ。
(というか冒険者をやる理由の酷さよ!俺より強い奴に会いに行く—とか、鉢巻の格闘家じゃん!?)
思わずジト目をアイマスへ向ければ、アイマスも苦笑いして言う。
「おいおい、そんな目で見るなよ。これでも腕は上がってきたんだぞ?—まだオーガには通じなかったがな。ははは、私もまだまだだ」
『…むうう』
あたしは渋い顔でアイマスを見る。コメントし難い卑下はやめていただきたいものだ。
だが、そんなアイマスは、またしても意地の悪い笑みを浮かべて、渋い顔のあたしを撫でるのだった。
「さ、護衛の仕事だ。無駄話はここまで」
話を勝手に切り上げようとするアイマスに、あたしは不満を口にした。
『え〜、消化不良〜。…アシュレイの真似』
なよなよと品を作ってアシュレイぽさを演出して見せると、僅かに唖然としていたアイマスもニヤリと笑って続く。
「似てないで御座います。…ソティの真似」
『似てる!』
あたしが声を張り上げたところで、あたし達の背後からどす黒いオーラを二つ感じた。あたしとアイマスは、恐怖に支配されて振り返る事が出来ない。
そのまま立ち尽くしていると、あたしの首筋に冷たい何かが当てられた。
『ひっ!?ひいっ!ご、ごめんなさい』
アイマスの首にはしなやかな指先が触れた。
「すまん!悪かった!刎ねないでくれ!」
アイマスのその発言は、あたし的にはアウトであったが、アイマスの背後に立つ白皙の美少女的にはありだったらしい。アイマスは許された。
だが、あたしは強かに殴られた。どうやら首筋に当たっていたのは杖の先端であったらしい。何故なのか。アイマスは許されたのに…。
結局、その日の夜営では魔物が襲って来る事はなく、あたし達もそれなりに休息を取る事が出来た。
朝である—
あたし達は素早く干し肉を嚥下すると、馬車へと乗り込む。あたしとアシュレイは本を広げ、アイマスとソティは外を警戒する。いつもの光景であった。そんな四人へ御者が声をかけた。
「あんたら、もうすぐ山を下る。平原に出たらアトリアはすぐだ。今日中には着きそうだぞ」
御者に答えたのはアイマスであった。
「もうか?随分と早いじゃないか?」
「ははは、あんた達冒険者の腕が良かったんだろうさ」
御者の言葉にアイマスとソティは顔を見合わせてから苦笑いで返した。オーガが出た時、二人は護衛としてはほとんど役に立っていないのだ。商人達を逃す事すら出来なかった。だが、二人の顔を見て、御者は言う。
「そんな顔するな。オーガだぜ?Aランクの冒険者じゃなきゃ渡り合えないような怪物が出たんだ。命がある上に積荷も無事とくれば、俺達には最上の結果だ」
「そう言ってくれると、少しは気が楽になるよ」
アイマスの言葉に満足したのか、御者は前を向いた。アイマスも再び馬車の外へと視線を戻して警戒を再開する。あたしも二人から視線を本へと戻した。
ところで、この護衛中、あたしは外の警戒をしていない。これは窓が二つしかなくあたしが警戒に不要である事と、あたしに今求められているのは魔術の知識であるからだ。
そんなあたしは、今日中にアトリアに着くと知って焦る。まだ何も形になどなってはいなかったためである。
そんなあたしの様子を見てアシュレイが言う。
「焦るな〜、急いたところで覚えが早くなる訳でもないからね〜。ゆっくりで良いから少しずつ学んでいけ〜。二人だってそこまで焦ってないから〜」
(いや、アイマスは今すぐにでも迷宮に行きたがっていたようだったけど?)
—と、思ったりしたが、チラリとアイマスを見ればアイマスもあたしを見ていた。アイマスは苦々しい顔で首肯した。ゆっくりやれ—という事であろうか。それなら、もう少し表情を何とかしてほしいものである。あたしも引き攣った顔で首肯した。
それからしばらくの間、馬車の中は無音になった。
『ここは、こう…なら、ここは?…こう?違う、こう?こう?こうか?』
魔法陣から浮かび上がる水球は、徐々に形を変えてゆくものの、あたしが嘆息と共に魔力を解いたため、ただの水となって桶の中へと落ちる。
あたしは苛立ちを紛らわせるべく、ガリガリと頭をかく。思うように進まない魔術の焦りを感じてはいた。何故上手く出来ないのか。魔術の本に描かれている通りにあたしは実践しているのだが、それでも魔術は思うように発動しない。
(アシュレイが見ててくれると発動するのに…何が違うんだよ)
あたしは嘆息すると、再び魔術書へと視線を落とす。アシュレイに聞けば済む話なのであるが、このページに書かれているどんな魔術も形にできていない。そんな体たらくで聞いては、何のためにもならない—と、あたしは考える。せめてとっかかりくらいは一人で見つけたかった。
あたしが見ていたのは水の流れを操作するというものである。生み出した水に流れる向きを付加するのだ。ヒントは先日、既にアシュレイからもらっている。魔法陣の頂点の一角に、生命を意味する文字を埋め込むのだ。“生命”を“躍動するもの”として捉えるのだと言う。その考えは正しいし、他におかしな点もないと思われた。とすれば何が問題なのであろうか。
あたしが生み出した水球に流れを付加しようとすると、それはまるで弾丸の様に先端が尖り始め、凄まじい勢いで射出されようとしている。飛んで行かない様に、押さえつけるだけで精一杯の有様であった。あたしがやりたいのは、清らかな川の流れである。水で魔物を射抜きたい訳ではない。
『…』
「なくなよ〜」
『…泣いてない」
泣いてはいなかったが、アシュレイに茶化されると泣きそうになる。
あたしの様子にアシュレイが己の読んでいた本を閉じる。口出すつもりだ—と察したあたしは、アシュレイを手で制した。
『何も言わないでアシュレイ!あたしが自分で考えるから!』
だが、アシュレイは意地の悪い笑みを浮かべてあたしに返す。
「…ふぅん。悪いけれど、コトの知識ではその失敗の原因は解明出来ないと思うよ〜。普通ではあり得ない状況になっちゃってるも〜ん」
アシュレイの発言に、あたしはぐぬぬ—と唸る。ほれほれ、聞いちゃいなよ〜—と、アシュレイは悪魔の囁きを寄越すが、あたしは強い子だ。負けない子なのだ。そんな誘いには、当然乗らない。
『が、頑張ってみる!』
「やだ〜、やっぱり言っちゃお〜」
『やめろぉぉぉぉ!!』
あたしがアシュレイの口を抑えようとすれば、その動きを読んでアシュレイは簡単に避けて見せる。そして顔を上げたあたしに対して、わざとらしく口を動かして見せるのだ。性格が悪い事この上ない。
『やめ!やめろぉぉぉぉ!!』
「マコトの魔力は〜」
『あああああああ!!聞こえないぃぃぃい!』
やがて、アシュレイは飽きたのか、笑いながら教科書を読む作業に戻った。
視線を感じて振り向けば、アイマスとソティは和かな顔であたし達を眺めている。二人はあたしの視線に気が付くと、頑張れ—と、言わんばかりにウィンクして見せた後、顔を引き締めて外の警戒へと戻る。
あたしも二人につられて、少しだけ外の景色を見る。馬車の外に見える景色は、山肌から草原へと変わり、馬車は街道の上を走っていた。御者の向こうへと視線を送れば、アトリアの主塔と思わしき頂きも見える。アトリアはすぐそこである。
間も無く依頼は終了となる。今回は危なかったが、それでも何とか命を繋いだ。本へと視線を戻す前に、再び二人へと視線を向ければ、アイマスは剣の柄を握り、ソティは鉈の持ち手を指でなぞっていた。