呪印の主
「王都民の皆様!呪印は消えます!さあ、呪印のある者は、ただちに教会へ!」
王都アンラの町中では、至る所で触れ役が声を上げていた。わしとデンテの二人は、苦虫を噛み潰したかの如く顔をしかめながら、教会へ長蛇の列をなす民衆を見つめていた。
「…教会は、何故情報を開示したのじゃ?」
「…知らぬわい。魔術師ギルドに先んじたのが、よほど嬉しかったのだろうよ」
それまでは、ごく一部の者にしか知らせなかった呪印のことを、教会は大々的に公表した。民衆はパニックになり慌てふためき、貴族街の文官共は王宮に殺到した。このバカめが—と憤懣やるかたない思いに駆られたのは、飯時を過ぎるまでだ。飯時が終わるや否や、教会は多くの触れ役を町中に走らせ、事態の収束を宣言したのである。
「待たせたな」
貧民街の教会の様子を見てきたモスクルが、入り口に群がる民衆にもみくちゃにされながら帰ってきた。彼には解呪の効果を確認してもらってきていたのだ。
「間違いない。本当に呪印は消えている」
「…そうか…」
モスクルの報告に腕組みして唸る。貴族向けの大聖堂だけではなく、一般市民用の教会やら、貧民街の教会と呼べるかどうかすら疑わしい小屋においても、詰めかける大衆全ての呪印を消してゆく教会関係者達。俄かには信じられなかった。
「わしら魔術師が束になっても、簡単には消せなんだ呪印が…どうやって、胡散臭い神の使いなんぞに…」
「…クローディア…そのな…アンラはこれでも、宗教国家だからな?」
モスクルが何か言っているが、あえて無視した。
「戻るかの、クローディア」
「そうじゃな。わしの出番も終わりじゃな…呆気ない幕切れじゃ」
「そう気落ちするな。たまたまだ、たまたま」
しょげかえるわしらに対して、モスクルは実に上機嫌だ。妻子のことを別にしても、問題が片付いたのは素直に嬉しいのだろう。気持ちは分かるが、緩みきった顔は実に腹立たしい。思いっきり杖で叩いてやろうか—などと考えた。
「して、絡繰は?」
「すまん、見てもよく分からなかった。陣の一部に傷を付けるんだ。こう、ナイフで軽く、血が滲むくらいの傷をな。そうすると、それまで効かなかった聖水が通用するようになる」
モスクルの報告に、わしとデンテの二人は視線を交差させる。本当に、その手順で間違いないのか?—と、訝しんだのだ。
「どういう理屈でそうなる?陣の一部に傷を付ける?実に危ないじゃろが。どうしてそこに思い至ったのじゃ?」
「それは…教えてもらえなかった」
肩を落とすモスクルに嘆息するも、己らで聞きには行かず、最年少だからとモスクルを行かせたのだ。それで責めるのは筋違いだろう。そもそも、誰が行っても結果は変わらなかったに違いない。
「…これは、女神教トップの話を聞く必要があるのぅ」
「そうだのう。ベロートの元へ行くかな」
デンテと共に頷きを交わし、ベロートがいる独居へと向かうことにする。お、おい—と、不満そうな顔でわしらの後に続くモスクルは、少しだけ可愛く見えた。
「それにしても、アンラは綺麗な町じゃのぅ…」
「水の都と呼ばれるくらいだからな」
貧民街と一般市街を隔てる城壁を越えれば、街並みは一気に変わる。立ち並ぶ家屋の隙間から、運河が見て取れるようになり、景観は見事の一言だ。貧民街に目を向けなければ、だが。
(貧富の差、か…)
アンラは裕福な国だ。メキラと違い肥沃な大地は穀倉地帯として最適で、貴族の少なさ故か税も驚くほど少ない。魔物も弱く、ここアルセイド内での移動を考える者は、かつてであれば迷うことなくアンラに移住したことだろう。それでも、栄えれば栄えるほどに、どうしたって影は落ちるものだ。働けなくなった者、教会が掬い切れていない孤児、そして日陰者など。
「言いたいことは分かるがの…流石にどうにもならんのよ」
「…まあ、そうじゃろな。貧民街の教会もちゃんと機能しておったし、メットーラの貧民街よりも、はるかにマシじゃよ」
わしの視線の先を見て、デンテが嘆かわしいことを言う。仕方ないことだと思う。ベロートは一代で平民から国のトップまで上り詰めた傑物らしいが、如何に善政を敷こうとも、助けられない者はいるのだ。それを責めるつもりなど毛頭なく、気にするな—と、デンテを慰めた。それに、わしらが初めて見た頃のメットーラと比較すれば、アンラは実に素晴らしい町だと思う。お世辞抜きにだ。ちなみに、メットーラ辺境伯の名誉のために言っておくと、決して、メットーラの政が劣っている訳ではない。先立つものがなさ過ぎて、何も出来なかっただけである。
「それより、お主らのことよ。魔術師ギルドのトップに、冒険者ギルドのトップじゃろ?下にも置かない扱いなのは嬉しいがのう、ちと、わしに構い過ぎじゃないかの?仕事の方は良いのか?」
運河の横を歩きながら、そんなことを問うてみる。わしの中身はともかくとして、見た目は子供ならば、歩幅とて子供のそれだ。大男二人はゆっくりと歩くことで合わせてくれてはいるが、流石に時間を無駄にさせているような気がして、申し訳なく思ったのだ。
「ほっほ。こちらから呼びつけておいて、用が済んだからさようなら—というのは、あまりにも薄情よな。つまらんことに気を使うでない」
「ああ、デンテの言う通りだ。仕事なんて、後から片付ければいい。急ぎなら、ケイタイが鳴るだろうさ」
デンテとモスクルの気遣いは嬉しく、だからこそ、余計に申し訳なく思った。
「なら、そうじゃのう…この件が片付いたら、お主らをメットーラに招待してやろう。あの町は、今やとんでもないことになっておるぞ?きっと、目を見開いて驚くじゃろうな」
「ほっほっほ。それは楽しみだ」
「ああ、期待している」
礼を受けたら礼で返す。人付き合いを円滑にする基本だ。確かに貸しは作ったが、だからと言って、横柄に振る舞って良い訳ではない。非常時のことを盾にするのはなしだ。
(ん?どういうことじゃ?)
運河を下る小舟を見て、ふとアンラ大平原の姿を思い出す。すると、町と平原との差異に思い当たり、どうしたことか?—と、尋ねてみた。
「のう、町中にはこれほどの川があるのに、平原には川が見当たらん。これはどうしたことじゃ?」
「ああ。それはな、この川は地下に潜るんだ。地下には広大な水脈が広がっているらしくてな。川が地上にあるのが、せいぜいここまで—ってことだ」
わしの質問には、モスクルが得意げに答える。ふぅん—と大平原の地下を想像して、年甲斐もなくワクワクした。
「なぁ、その…俺からも聞いておきたいんだが…」
ここで、モスクルが尋ね返してきた。なんとも恐縮しており、先の得意げな態度が嘘のように小さく見える。もっとも、何を聞きたいかは分かりきっているため、ジト目を作って牽制した。
「またか。諄いぞモスクル。問題ないと言うておろうが!」
「…いや、だが…しかし。またケイタイが繋がらなく…」
モスクルはよほどアトリアのことが心配なのか、事あるごとに同じことを聞いてくる。いや、もしかすると、デンテが言わせているのかもしれないが。
「良いか、これが最後じゃ。あ奴らには万が一は起こらない。その時には、わしの元へ飛ばされるようになっておる。分かったな?」
「う、あ、ああ…」
クルスからの報告によれば、イチロー達は修道士の一団を連れて、メットーラへと向かうことになったそうだ。そして、ベロートからの依頼として、クルスやファーレンがアトリアに突入することに決まっていた。だがしかし、この報を受けた時わしは深く考えず、そうか—とだけクルスに告げ、モスクルやデンテに報告していなかった。その依頼はアンラとしての総意だと考えていたのだ。翌朝、その報を二人に知らせてみれば、二人は目を見開いて驚いていた。完全にベロートの独断であったことを、この時に知ったのだ。慌ててモスクルらがケイタイで連絡を取ろうとするも、ケイタイは再び通じなくなっていた。
「恨むなら、お主らの国のトップを恨め。今から行ったとて、とても間に合わん。大人しくして、返信が来ることを待つのじゃな」
「…仕方ないのう」
腕組みして唸るデンテは、死の淵より生還してから、見る見るうちに皺が消えてきている。肌が若返っているのだ。昨日あたりまでは、急激な新陳代謝によるものか、ボリボリとよく身体をかいていたものだが、ようやく落ち着いたらしい。もはや、髪のないモスクルよりも若く見える。
「くそっ!アトリアで何が起きているのかは知らんが…アエテルヌムに何かあれば、許さんからな!ベロートめ」
青筋を浮かべて息巻くモスクルは、興奮のあまり、わしと歩調を合わせることを失念しているらしい。スタスタと先に行き、そういえば—と、わしに話しかけようとしたところで、ようやく気が付き、こちらに戻ってきた。
「再生者と修道士の件だが…まだアンラが落ち着いていない以上、直接メットーラに向かうのは仕方ない。あそこならば、安心して任せられる。だが、補給はどうするんだ?アメランドで行うのか?大平原は広い。俺の手の者を回す。途中で落ち合って、補給物資を渡す—というのはどうだ?」
おお、そうだのう—と、デンテも手を叩いて同意する。彼らはイチロー達が徒歩でメットーラに向かったと思っているらしい。そういえば、移動の手段については伝えていなかった気がする。言っていいものかどうか判断に迷い、やめておくことにした。
「いや、問題ないわい。実はの、メットーラでは例の農作物が取れ過ぎておっての。売り捌くにしても量が多過ぎるからの。再生者のアクセスする亜空間に、全部放り込んであるのじゃ。どうやっても飢えんわい」
やや苦しいかな?—と思いつつ、モスクルに視線を向けてみれば、モスクルとデンテは呆れ返ったかのように、ジト目でわしを見つめていた。
「…まだ、あるのか?」
「う、うむ…」
「流石に作り過ぎだ。今ですら、帝国のスパイが増えて困っておるのに…」
二人から、何故か苦言を呈される。どうして、わしが怒られるんじゃ—と、己が苦しい言い訳は棚に上げて憤慨した。
さて、そうこうしているうちに、王城の門構えが見えてくる。話に夢中になり過ぎて、景色を楽しむことを忘れていた。いつの間にか、貴族街へと入っていたらしい。
「冒険者ギルドのモスクルと、クローディア。こっちは魔術師ギルドのデンテだ」
「…はい、確かに。どうぞ、お通りください」
王都アンラの王城は川中島に位置しており、門兵達が橋をかけねば中には入れない作りになっている。門を通過すると、まずは広大な広場がある。本当ならば前庭的な位置付けらしいのだが、ベロートやブルーツは、無駄に金をかけることを好まない。少し前まではそれなりに花があったらしいが、ついに枯れ果てたそうだ。今は最低限の草木があるばかりで、少しばかり寂しくも見える。けれど、悪いことばかりではない。平時は騎士団の訓練場代わりとして活用され、祭りなどを催す際には、驚くべきことに、この広場まで民衆を入れるらしい。
(王城へ民を入れても、曲者など入り得ない—か。本当に民から愛されておるのじゃな)
ベロートやブルーツは、時折、市井に紛れてイチャイチャしているらしい。捕まえてみれば、市井調査—などと嘯くらしいが、そんなことをやっていて今日まで無事なのは、偏に彼らが王都中から愛されているためだろう。まあ、今はどうでもいいが。
「ふぅ、やっぱり広いのぅ」
「はは、もうすぐだ」
広場の正面に王宮を据えると、向かって右手に馬房やら騎士団の詰所があり、左手には文官達の詰所がある。目指す地下牢は、騎士団側ではなく、王宮と文官棟の間にあったりする。不思議な配置だと思う。
「これは、デンテ様。モスクル様も。地下牢に用向きですか?」
「うむ。悪いが、いつものあれだ。通るぞ?」
デンテはすっかりと若返ってしまったが、既に城内で知らぬ者はいない。デンテよりも年嵩に見える甲冑姿の牢番は、敬礼をしてわしらを見送った。余談だが、ベロートの投獄は、城内でも一部の者にしか知らされていない。特別な呪印にしても同じだ。
—カツン、カツン—
地下に下りてすぐ、わしらを出迎えるのは、随分と目付きの鋭い大男だ。罪人ばかりを相手にしていては、このような人相になるのも仕方ないのだろう。その大男は、わしらを認めると、頬杖を解いて顔をしかめる。モスクルやデンテもそうだが、何よりも、わしを触るのが嫌らしい。
「そう嫌そうな顔をするな。身を検めてくれ」
「そうは言いますがね…お貴族様同然のお二人に、年端もゆかない少女の身体を弄るってのは、気分がいいもんじゃないですよ。何か無礼があったらと思うとね。連日は勘弁してくださいよ…」
礼を欠いた発言にも取れるが、モスクルもデンテにしても、その程度のことを咎めたりはしない。苦笑をもって男の労を労った。
実のところ、わしは古い人間であるため、男に身体を検められたとて、そこまで恥ずかしくはなかったりする。今でこそ、男が、女が—などと煩くなったが、わしが日陰者になる前の時代などは、男も女も一括りであったのだ。女も暑くなれば胸を出して歩いていたり、湯浴みなども一緒だった。なんなら、祭りともなれば、そこかしこで男女がおっ始める始末なのだ。ファーレンらを見ているうちに、少しばかりの恥じらいは芽生えたが、だからと言って、今さら仕事で触られるのを拒むほど恥ずかしがったりはできない。
「悪いな、お嬢ちゃん。規則だから、触るぜ?」
「すまんの。気を遣わせる」
服の上から簡単に撫でる程度で、大男はわしの検査を終わりとした。子供にしか見えぬわしには、例え剣などを隠し持っていたとしても、大したことができんと踏んであるのだろう。
「…のう、この間もそうじゃが…フードの中は良いのか?」
「…魔人族の首から上は、神聖なものだって聞いてる。子供が変なことを気にすんな」
大男は、その見た目に反して、意外に物を知っていた。牢番とはいえ、王城に勤める者だ。それなりの学を持っているのかもしれない。
(我ながら、上から目線じゃの)
何様だ—とおかしくなり、ついつい自嘲する。作業台の上から洋燈を一つ拝借し、牢屋の奥へと向かった。
「…おい、女だぜ?」
「ハッ、この間のガキじゃねえか。期待させんなよ」
わしらの姿を認めると、罪人達は一斉に視線を向けてくる。わしを見ると皆が同じ反応を示すのは面白い。同時に不愉快でもあるが。
(ガキで悪かったのぅ!ガキじゃなければ、なんだと言うんじゃ!?鎖に繋がれておるくせに、わしに触れられるとでも思っておるのか!?)
男が女の肉体に欲情するのは仕方ない。本能だからだ。では、なぜこんなに腹が立つのか。それはあれだ。だって師匠、子供じゃないですか—と、誰かさんに言われたことを思い出すからだ。本来ならば、こんなことで腹を立てたりはしないと思う。
「すまないな。まあ、言うまでもないと思うが、こんなところに長く閉じ込められていれば、女ってだけでな…」
「そういうフォローはいらんわい」
ジト目でモスクルを睨みつければ、すまん—と、視線を逸らして大人しくなる。当たり散らしているようで、少しばかり心が痛んだ。
「あれ?また来たの?今日はどうしたんだい?」
お付きの騎士達に軽く挨拶し、牢を叩けば、当たり前のように内側から窓が開けられ、ベロートが顔を出す。窓から見える内装は、前回来た時よりも、随分と豪勢になっていた。
「…いい暮らしをしてるな」
「あ、これ?これね、皆が気を遣ってくれてさ。僕は遠慮してるんだけどね〜」
わしと同じことをモスクルも感じていたらしく、苦々しい顔で呟けば、ベロートは困り切った顔を見せる。これには、デンテが口を開いた。
「だから最初から、隔離棟に行け—と言ったのだ。城の者の仕事を増やしおって…」
「えー!?だって、こんな機会でもなきゃ、牢屋になんて入れないじゃない?ほら、僕、善良な人間だから」
ニコニコと朗らかに笑いながら嘯くベロート。どの口が—と、わしら3人の思いは一致したに違いない。同時に嘆息し、眉間を揉んだ。
「で?今日はどうしたのさ?何か分かったのかい?」
「…悪いが、違う。聞きたいことがあって来た」
期待させてすまんな—とモスクルが続ければ、ベロートは気にした様子もなく、そればかりかニコリと笑った。
「呪印のことだね?何故、ナイフで傷をつけるのか—ってところかな?」
「え?あ、ああ…もう報告が?」
モスクルが面食らいつつも尋ね返すと、そりゃあね—と応じつつ、ベロートは独居の奥から椅子を引いてきて、扉の前で腰を落ち着けた。相変わらず察しの良い男だ。
「けれどね、僕もそこへ考え至った経緯は知らないんだ。それは最初に断っておくね」
「なんじゃ、そうなのか」
思わず呟いてしまい、おっと—と、口を噤む。ごめんね—と苦笑しつつ、ベロートは続けた。
「僕のところに、その情報を持って来たのは、エクーニゲル大司教さ。彼に聞けば何か分かるかもしれないよ?」
「…ふむ。女神教の大司教か。ならば、大聖堂かのう」
顎を摩りながら、デンテが呟く。大聖堂ならば、目と鼻の先だ。すぐに会えるだろう。
「その、なんとか大司教は、何と言っておったのじゃ?」
「う〜ん…」
すぐに会えるならば、直接本人に尋ねれば良いのだが、何となく、ベロートにも聞いておく気になったのだ。
「えっとね…確か、呪術と法術を融合させた呪印だから?…解呪が効かない?—だったかな?」
「「な、なんだとうっ!?」」
わしとデンテは共に大声を出し、ベロートやモスクルのみならず、騎士団までをも驚かせた。だってそうだろう。今の情報は、それだけでも主犯を絞り込むのに十分なのだから。
「ど、どうした?」
「どうしたもこうしたもないわ!?」
「呪術と法術を融合させるなど、どれだけ法術に長けていればできる?法術はとにかく難解だ。陣を丸暗記した程度の法術師には不可能なのだ。勧学の者でなくてはならんだろう!?」
わしとデンテの剣幕に気圧されつつ、モスクルらにも理解できたらしい。あ、なるほど—と、騎士団やベロートまでが得心いった顔を作っていた。
「となると、犯人は…女神教内部の者…それも、幹部クラスが疑わしいのか?」
「待て待て。もしかすると、女神教そのものが、黒かもしれん」
「返す言葉もないんだけどさ〜、教皇の前で、そういうこと言う?」
「今更であろうよ」
女神教は国教である。本来ならば、重罪とされても文句は言えない会話なのだが、どうにもここにいる者共は、教皇含めて信仰心はそう高くないように思える。騎士達のみが、青くなったり赤くなったりしていた。
「皆様の呪印は消えます!さあ、呪印のある者は、直ちに教会へとお入りください」
大聖堂の前では、仕立ての良い法衣に身を包んだ男が、声高に解呪を約束している。貴族や豪商と思わしき者達が次々と聖水を我が身にふりかけ、浮かび上がる呪印に驚愕しては、大聖堂から続く列の最後尾へと群がってゆく。なんとも滑稽な光景だった。
「マッチポンプ—と、言うらしい」
「…なんだそれは?」
オサカの故郷の言葉で、この状況を的確に表すものがある。訝しむモスクルへ、自作自演のことだ—と告げれば、モスクルのみならず、デンテも声を押し殺して笑った。やはりこやつら、信仰のかけらもない。
「おや、冒険者ギルドのモスクル様。ようこそおいでくださいました。ささ、呪印はあちらで」
「ああ、呪印はもう…な。別件で用があって来た。エクーニゲル大司教が、どこにいるのか教えてくれないか?」
目敏くモスクルを見つけて近付いてきた法衣の男に、モスクルは笑いを堪えながらも応じる。この、どこへ行っても顔パスで済むのは、本当に有難い。モスクルにしてもデンテにしても、わしと共にいてくれるのは、これがあるからだろう。大聖堂二階奥の執務室に—と告げ、男は慇懃に礼をして道を開けてくれた。
「心ばかりですが。お納めください」
「これはご丁寧に」
大聖堂の入り口では、貴族の従者と思わしき老齢の男性が、主人に代わり法衣の者に小さな包みを渡していた。見た目からは中身は知れないものの、家紋入りの包みは、ジャラリと音を立てて法衣の者の手に収まる。大聖堂の維持や教会として活動にも金は入用なのだろうが、実に生臭い光景だ。嫌なものを見たのう—と、眉を寄せる。なお、わしらは誰も寄付をしようなどとはしなかった。
「…これは凄いのぅ」
「まあ、総本山だしな」
大聖堂の中へと入れば、そこかしこで呪印を消すための作業が行われているが、それはいい。わしが見惚れたのは、その美しさだ。天井はおろか、柱の一本までもが精緻な紋様を刻まれており、壁面にはステンドグラス窓がはめられているのだが、幾何学模様の窓もあれば、女神と思わしき美女を象ったものもある。壇上には三柱の神を模した石像が配され、実に神々しい偉容を放っていた。
「…はあ〜。これは、金が必要なのも納得じゃわい」
「…ん?何の話だ?」
「お布施の話だろう。まあ、それだけとも思えぬがなぁ」
大聖堂の壇上前まで進むと、左手に階段があるのを認めた。よくよく見回してみれば、大聖堂は吹き抜けになっており、壁面の模様と思われたものは、二階の手摺りであったらしい。階段を上り二階へと出れば、階下からは気付けないステンドグラス窓を見つけ、その見事な造形にしばし唸る。そのまま道なりに進むと、大司教のいる執務室というのは、一階から見て、入口の上に位置していた。
—コンコン—
どうぞ—という声が、ノックの返答だった。誰何もないのか—と訝しく思ったが、天下の女神教は総本山だ。こんなところまで、おかしな輩は入り込めないのだろう—と、当たりをつける。要は、平和ボケしているということだ。
「いらっしゃいませ。…おや?これは珍しいお客様でしょ。はじめまして。女神教は大司教の地位を預かる、エクーニゲルと申します。本日は、何用でしょ?」
重苦しいドアを開ければ、ズラリと並ぶ書架が目に付く。目的の男は、その部屋の奥にいた。椅子から立ち上がると、机の前まで進み、おかっぱ頭の胡散臭い男、エクーニゲルは慇懃に礼をする。デンテやモスクルは既に面識があるらしく、その挨拶は、わしに向けたものだった。
(…こやつ…こやつは…)
けれど、その言葉の幾許も頭の中には入ってこない。男を見た瞬間、全身から汗が噴き出ていたからだ。この魔力、忘れもしない。わしを呪わんとしていた者の魔力だ。更に言えば、アンラの住民達に振りまかれた呪いに刻まれていた魔力でもある。間違いない。この男が、今回の事態を引き起こした元凶だった。
「…ん?おや…この魔力は…」
エクーニゲルもまた、わしの魔力に気が付いたらしい。わしを見る目に少しばかり、熱が篭った。
「…ク、クローディアじゃ。わしの名…じゃ…」
「…ああ。何処かで感じた魔力だと思ったでしょ…そうでしたか…貴女が。その節は、お見事だったでしょ」
平和ボケしているという先の認識は改めた方が良さそうだ。この者ならば、例え何があろうとも、己一人でどうとでもできるに違いない。余裕故に、誰何など必要ないだけなのだろう。
(やってしまったわい)
何と迂闊な真似をしたのだろうか。犯人は女神教内部にいると分かっていたのに、何の準備もしていなかった。まさか、人の中にこれほどの怪物が潜んでいようとは、思ってもみなかったのだ。そもそも、魔力を探れる者達を警戒して、呪術者はそうそう表に出てはこないのが普通だ。常識なのだ。そうでなくては、今回のようなケースとて起こり得るのだから。
「モスクル、デンテよ…決まりじゃ」
「ん?なんだ?何の話だ?」
「…クローディア?なんだと言うのだ?」
ゆっくりと杖を構えるわしと、くるくると指先でペンを弄ぶエクーニゲルとの間で、モスクルとデンテは視線を往復させる。この一言を発すれば、直ちに戦闘が始まる。わしを優に凌ぐ呪術師であろうエクーニゲルに対して、わしの武装は、長杖に多少の魔石のみ。モスクルは腰の短剣一つ。デンテも短杖のみだ。あまりにも心許ない。けれど、見て見ぬふりはできない。エクーニゲルは、ここで確実に仕留めておかねばならないほどの危険人物だ。
「こやつは…エクーニゲルこそが、あの呪印の主じゃ」
「な、なんだとっ!?」
「ぬんっ!」
即座に動いたのはデンテだ。短杖を用いずに人差し指を突き出す。そこから恐るべき速度で水弾が放たれたが、これは羽ペンで簡単に落とされた。水弾は勢いを失い、水球となって床で弾けた。何が起きたのか分からず、わしとデンテは目を見開いた。
「まあまあ、落ち着きましょ。今日はひとまず、話し合いといこうじゃないかね。どうでしょ?」
「ふ、巫山戯るな!」
余裕を見せつけるかのように、羽ペンを弄ぶ動作のまま、エクーニゲルは薄ら笑いを浮かべる。即座にモスクルが短剣を抜き放ち、流れるような動作でエクーニゲルの首へと斬りつけた。だがしかし、これもまた、羽ペンで容易に止められる。どう見ても全身全霊のモスクルに対して、エクーニゲルは微塵も力を込めているようには見受けられない。彼我の力量差は明白だった。
「モスクル!離れよっ!」
「くっ!」
デンテがモスクルを呼び戻せば、ふう、やれやれ—と、乱れた羽ペンの羽を整えだすエクーニゲル。隙だらけだった。魔術を練るでもなく、武器を構えるでもない。ただただ余裕のみがあった。
「…」
「…」
「…」
わしも、デンテも、モスクルもが言葉を失い、どうしたら良かろうか?—と途方に暮れる中、ようやく羽ペンの羽が満足ゆく形に整ったのか、エクーニゲルはわしらへと視線を戻す。
「冷静になって考えてみましょ?たった3人で、私に勝てると思うかね?出直した方がいいでしょ?」
「…それは、お前にも準備する時間を与えることに他ならないだろうが。…何を企んでる?」
わしやデンテを守るように、一歩前で構えるモスクルがエクーニゲルの言を否定し尋ねて返す。エクーニゲルは嘆息しつつ、首を振った。
「…はあ、思うようにはいかないでしょ」
てっきり、何かしら答えてくれるかと思ったのだが、口から出たのはモスクルの問いに答える類のものではなく、誰ともなしの独白だ。なんだこいつ?—と呆れ混じりのジト目を作り、エクーニゲルの様子を窺う。その傍らでは、水面下で攻撃用魔術の魔法陣を構築していた。生半可な攻撃では、あの羽ペンに防がれる。価値ある本などもあろうが、手加減などしていられる状況ではない。
「まさか、クローディアが本人がやってくるとは思ってもみなかったでしょ」
「…やられっぱなしというのは、性に合わんでな」
まるでわしのことを知っているかのような口ぶりは、わしに呪印を施そうとしていた時、わしらの会話を傍受していたからだろう。強がり笑って見せれば、エクーニゲルもまた、袖を巻くってニヤリと笑った。
「呪詛返し、効いたでしょ。驚いたものだね」
目を凝らして見れば、エクーニゲルの前腕の中程に、少しばかり爛れた箇所があった。渾身の呪詛返しだったのだが、貨幣程度の小さな傷を付けることしかできなかったらしい。気のない表情を作りつつも、内心は穏やかではいられなかった。
「…しかし、妙だね。君に呪いを施そうとしたのは、ほんの数日前でしょ?メットーラからここまでは、随分と時間がかかるはず。一体、どうやってアンラへやってきたでしょ?」
「…手の内を明かす馬鹿がおるか」
素気無く切り捨てれば、エクーニゲルは肩を竦める。こちらとて聞きたいことはあるが、アドバンテージを捨てることはできない。情報交換は諦める他ないだろう。もっとも、聞き出す手は他にもある。
(叩きのめして、洗いざらい吐かせればよいのじゃ!)
格上との戦いなど、いつぶりだろうか。かつては、右も左も格上だらけで、ビクビクと怯え逃げ回っていた。それを思えば、随分とわしは好戦的になったものだと思う。
「デンテ?」
「うむ、いつでもいいわい」
どうやら、デンテもまた、わし同様に裏で術式を練っていたらしい。準備はできた。視線でモスクルに合図し、エクーニゲルの隙を窺う。エクーニゲルは、わしら3人の様子を見て、満足そうに頷いた。
「…うん、少し予定よりは早いけど、もう見せてもいいでしょ」
そう言ったエクーニゲルの手には、羽ペンではなく、やたらと煌びやかな短杖が握られていた。あれは何だ?—と訝しむ間もなく、キラリと短杖が輝く。それを合図にして、獣の咆哮を思わせる雄叫びが、階下から聞こえてきた。
今回で100話みたいです。
プロットの段階だと、この辺りは50話くらいで通過しておりました。校正や推敲を繰り返しているうちに、どんどん冗長に…。
週一の投稿ペースでは、話の進みも牛歩の如くですし…申し訳なく思います。
見限らず、今後とも楽しんでいただければ有難く思います。




