プロローグ
2020年10月7日 修正
あたし、飯田 真は、4月から都内の高等学校に通う予定の15歳だ。今は3月。桜は既に散っているが、中学校生活最後の春休みを満喫している最中である。とはいえ、そうそう毎日遊んでいられる訳でもない。今は高等学校で使用することになる教科書を購入するため、都心の書店へと自転車を漕いでいる途中だった。
「何で自転車に乗ると向かい風しか吹かないのだろうね」
頻りに顔を叩く風に辟易して愚痴をこぼすも、実際にはそんな事はないらしい。自転車で走行していると、向かい風ばかりに感じられるのは、自転車乗りのあるあるだ。これは追い風よりも走行速度が速くなり、かつ速度の上昇に伴い空気抵抗が増すことで、追い風を感じられなくなっているだけであるらしい。信じられないけど。
「うっ、また赤だ」
先の信号機が青から黄を経て赤へと変わる。ブレーキレバーを握り込み、ガードパイプへ右足を載せた。
(…落としてないよね?)
信号待ちの最中、黙っていると不安になってしまうのだ。もう何度も確認しているが、それでも落ち着かない。肩にかけるポストマンバッグのジッパーを開き、中を覗き込んだ。
(…よし。ちゃんとあるな)
本日あたしが買いに来たのは教科書一式である。現代文に始まり数学1・Aや化学に至るまで、それはもう金額にして数万円にも及ぶため、あたしの—否、父から借り受けた大きなポストマンバッグの中には、剝き出しの紙幣がマネークリップで数枚挟まれていた。言うまでもなく教科書を購入するための代金であるが、生まれて初めて手にする大金を前にして、やや落ち着きを欠いていたりする。自慢じゃないが、蚤の心臓なのだ。
(喝上げされたらどうしよう)
気にすれば気にするほど、不審度が増すことは理解できているのだが、それでも気になる性分である。仕方ないのだ。では、なぜ、恐々としながらも一人で大金片手に自転車を漕いでいるかと言えば、そもそも、一人で来る予定ではなかった。元々は母と共に買いに来る手筈であったのが、母に急ぎの仕事が舞い込んで来たのである。あたしは15歳という、世が世なら裳着を済ませている年齢だ。慌てて仕事着へ着替える母を目の前にして、大金を持って一人で行くのは怖い—などと言える訳がなかった。
(仕事って、何でそんなに人手不足なのだろう)
仕事が忙しいから—両親はことある毎に、そんな言葉を逃げの口実にする。あたしは子供だが、そこまで子供でもない。矛盾しているが、お金の価値は理解している—ということだ。確かに幼少期は貧乏とは言わないまでも、毎日が切り詰めた暮らしであったように思う。それを考えれば、父や母が仕事に明け暮れるのは、あたしや晶—可愛い妹だ—を餓えさせまいとする家族愛があるのかもしれない。
(でも、ほどがあるよ)
けれど、あたしにとってはお金よりも、家族の団欒の方が大事だったりする。たまに行く外食での贅沢なんかよりも、日々の慎ましやかな食事を皆で囲う時間が好きだ。まあ、もちろんお金がなくては学校も生活も成り立たないのは、理解しているつもりではあるのだけれど。
(…はあ。お金、落としてないかな?)
思考が着地点を見つけて、頭の中が空白になると、また鞄の中が気になり始めた。何度目になるか分からない不安を意識的に脳裏から追い出すため、目の前を通過して行く自動車を眺める。ナンバーでも追うつもりだったのだが、あたしの動体視力では、プレートがどこに付いているのかも判然としなかった。
(…)
追い付けないという思いが、再び両親の姿を脳裏に浮かび上がらせれば、少しばかりの寂寥感に包まれる。もはや寂しいという年齢でもないが、東京に出てきてから10歳頃までは、職場から家に帰って来ても、忙しなくPCのキーボードを叩いている両親の背中を、恨めしげに見つめていたものだ。
(あたし、よくグレなかったな)
まだこれからグレる可能性とて無くはないけれど、あたしの中ではそんなことは考えられない。なぜかって、蚤の心臓だからだ。怒られるとか、社会からはみ出すとか、不安しかないではないか。あたしには無理である。
(やめだやめやめ)
一度嘆息し、意識を信号機へと戻す。信号機はまだ赤であり、青に変わるまでにはまだしばらくかかりそうだ。次第に焦れてきて、意味もなく自転車のハンドルを捻っていると、一台の自動車がハザードランプを灯しながら、あたしの側のゼブラゾーンへ停まった。
おや?—と怪訝に思い視線を向ければ、中から出てきたのは随分と前髪の長い、スーツ姿の男性であった。男性は携帯電話に向けて頻りに相槌を打ちながらトランクを開くと、中から書類の束を取り出してペラペラとめくってゆく。どうやら仕事の話であるらしい。一気に興味を失って、視線を信号機へと戻した。
(早いところ買って帰ってアニメでも見よう)
あたしは自他共に認める程の超インドア派である。アニメ鑑賞、読書、テレビゲームといったものが嗜好であり、運動など以ての外だ。そんなあたしが自転車で教科書を買いに来たのは、蚤の心臓故に、大金を握り締めて電車に乗るのが怖かったからである。予定通りならば、何の気苦労もなく母の背後を歩いているだけで終わったのだ。それを思えば、母の仕事が恨めしかった。
(ううう、お母さんがいれば、こんな苦労はしなかったのに…)
ジト目で信号機を睨んでいると、やがて信号は青に変わった。よしよし—と呟きながら、再び自転車のペダルを漕ぎだす。後は目の前の上り坂を上がり切れば、書店の入った大型ビルに辿り着く。ゴールは近い。
「はぁ、上り坂は面倒くさいな」
先程から苦労を匂わせる発言ばかりであるが、乗ってる自転車は母から借りた電動アシスト自転車である。上り坂も楽々だ。自慢にならないが、あたしは少しばかり大袈裟な娘だと自覚している。
「電動すげー」
ようやく坂道を上りきり、えも言われぬ達成感に包まれた。もう終わった心持ちですらある。
「さてさて、ようやく着いたよ。このプレッシャーからも解放される」
引き放たれた矢の如く、天に向けて両手を伸ばし、凝り固まった背筋を解す。自転車はビルの裏手にある駐輪場へと入れ、あたしは表通りへと戻り、目的のビルへと入った。
(確か6階だったよね)
何度か来たことがあるが、この大型ビルの1階は全体がエントランスになっており、書店は2階から6階までを占めている。教科書売り場は6階に設けられているはずだが、普段の6階はビジネスマン向けの手帳やらビジネス書を扱うフロアであったりする。あたしには無縁のフロアだ。6階までエスカレーターを乗り継ぎながら、途中の4階にある漫画本フロアへ帰りは寄ろうと考えていた。
(おお、6階は雰囲気が違うな)
ようやく6階へと到着し、教科書を探すべく周囲を見回せば、教科書を買いに来ていると思わしき親子連れが何組か見えた。多くの場合は母親と共に歩いているが、稀に父親と歩いている子も見受けられる。タイミングが悪かったのか、あたし以外に子供一人で来ている者は見当たらず、少しばかりきまりの悪さを感じて、俯きながら目当ての高校名を探して売り場を歩く。程なくして入学する予定の高校名が書かれたポップを見つけたあたしは、その教科書一式を抱えてレジへと赴いた。
「うは、重いなオイ」
ティースプーンより重たい物を持った事などない—なんて言えないが、あたしの細腕では高等学校の教科書一式ですら手に余る。悲しいかな引き篭もり。プルプルしながらレジが空くのを待っていると、見兼ねた店員があたしの抱える教科書をレジまで運んでくれた。
「あ、有難う御座います」
礼を告げると、店員は背中越しに微笑んで返したが、その他の客までもが何事かとあたしに視線を向けてきた。僅かに気恥ずかしさを感じて、視線を逸らしつつ、ポストマンバッグからお札の束を取り出すと、落とすまいとして握り締める。やがてあたしの番になり会計を済ませれば、何ら問題なくお釣りと教科書をポストマンバッグへとしまった。色々と杞憂に終わって何よりだ。
「よし、次は4階の漫画フロアだな」
肩に食い込むポストマンバッグの肩紐の位置を直し、下りのエスカレーターへと向かって急いだ。
—パチッ—
うお?—と、素っ頓狂な声を上げて、思わず背後を振り向く。何か後ろで爆ぜたかのような音が聞こえた気がしたのだ。
(今の何?)
けれど、あたしの後ろには何もなく、誰かいる訳でもない。そのまましばらくは背後を振り向いて固まっていたが、気のせいか?—と首を傾げると、再び下りのエスカレーターへ向けて歩き出そうとした。
—ドンッ—
「うひゃあ!?」
「きゃっ!?」
背後を向いたままで歩き出そうとしたのが悪かった。黒っぽい何かが一瞬視界に映り込んだものの、それが何であるかを知る前にぶつかってしまった。すぐ側に柱があったため、咄嗟にそれを掴んだあたしは、僅かにたたらを踏んだ程度で済んだが、相手はぶつかった拍子に倒れ込んでしまう。衝突したのは人であったらしい。
「す、すみません。大丈夫ですか!?」
慌てて屈み声をかける。あたしがぶつかったのは、黒いパンツスーツの妙齢と思わしき女性であった。髪を背後で一本結びにしており、黒縁の眼鏡は細い輪郭に良く似合う。形の整った眉毛と長い睫毛を備えた目元は、大きな目も相まって同性ながらに惹きつけられる魅力がある。モデルと言われても不思議はないほどの美人だった。
「いった…」
そんな女性は徐に腰を浮かせると、打ち付けたのであろう臀部をさする。あたしは青くなる。もしかして、彼女は本当にモデルで、モデルの身体に傷を付けてしまったのではないか?—と、考えたのだ。冷静になってみれば、モデルであろうとなかろうと、人様の身体に傷を付けることは大問題であるのだが。まあ、それは置いておくとして、女性はあたしへ向き直ると、驚くべきことに、逆に詫びてきた。
「こっちこそ。余所見をしていてごめんなさい。怪我はない?」
「え?怪我?…い、いえ。五体満足です、ハイ」
あたしは完全に余所見をしていたのだ。てっきり怒られると思っていたのに、女性のあたしを気遣う対応に焦り、自分でもよく分からない答えを返してしまう。女性はそんなあたしの様子に安堵したのか笑って返すと、手帳やら何やらを拾い始めた。転んだはずみで散らかしてしまっていたのだ。
「あ、手伝います」
あたしも一緒に女性の散らかした書類を集めれば、程なく書類は全てが揃った。手にした書類の束の中に、クリアケースがあるのを見つける。その左下には“由香里♡”と丸文字で可愛らしく書いてあるのが目に付いて、思わず視線を女性へ向けた。この女性の名前であろうが、クールビューティな見た目に反して、可愛らしい物が好きなのだろうか。
「有難う。助かったわ」
女性—由香里(仮)にあたしが拾い上げた書類の束を手渡すと、由香里は微笑みながら、あたしの拾い上げた書類をショルダーバッグにしまいこんでゆく。あたしは由香里の肩に掛けられた女性らしいショルダーバッグと、己のポストマンバッグを比較して軽く凹んだ。
(あたしだって大人になれば…きっと女らしい格好が似合うはず!)
かく言うあたしの形貌だが、ボブカットに丸っこい狸顔である。某お猿さんの顔がプリントされた若草色のプルオーバーパーカーに、七分丈でベージュ色のカーゴパンツと黒色のスニーカーであった。あまり色気のない男っぽい格好だとは自覚しているが、ポケットの多いカーゴパンツは最強である。これは譲れない。それと、ボディラインの露わになる服は着たくない。胸も尻も、今のところは膨らむ気配がないからだ。
そんな意味合いの視線に気付かれた訳ではないだろうが、じっと由香里を見つめるあたしの視線自体は訝しく思ったのだろう。由香里があたしを見て首を傾げた。
「…どうかした?」
何でもありません—と慌てて首を振り、きまり悪さから、やや視線を外して尋ねる。
「本当にすみませんでした。何処か痛いところとかありませんか?」
—と言ったところで、あたしには責任を取る能力などない。何もない事を祈りながら尋ねていた。それを見越しているのかいないのか。由香里は笑いながら問い返してくる。
「それはこっちの台詞よ。足首とか捻ってない?大丈夫だったの?」
「大丈夫です。ご覧の通り頑健さだけが売りなので!」
頑健さが売りとは、よく言ったものである。見た目はどう取り繕おうと、もやしそのもののあたしだ。由香里は苦笑いを浮かべていた。
—デンデデデデンデデデデン♪—
その時、由香里のスマホが鳴り響いた。某御隠居が日本中を巡る時代劇のメインテーマソングである。実に渋いセレクトだ。シンパシーすら感じる。てっきり、話は終わりで由香里は電話に応じると思ったのだが、由香里はあたしに笑ってみせると、スマホの着信を切ったではないか。あたしは驚き、思わず尋ねた。
「あ、電話は?」
「迷惑かけたら謝るのが先よね。本当にごめんなさいね。余所見していたの。許してもらえるかしら?」
「勿論です。あたしこそ余所見していました。ごめんなさい」
「ふふふ、勿論許します。お互い様だったのね?」
互いに頭を下げた後、あたしと由香里は手を振って別れた。実に気持ちのいい女性であった。あたしも将来は、あんな大人になりたいものだ—と、内心で呟く。既に由香里は下りのエスカレーターを駆け足で下りながら、スマホを耳に当てている。おそらくは、先の電話へ折り返しているのであろう。
そんな由香里の後ろ姿を見送ってから、下りのエスカレーターへと乗ろうとした時、床に何か落ちているのに気が付いた。教科書が学校ごとに並べられた展示台の下に、書類の端っこと思わしき角が覗いていたのだ。屈んでそれを掴み上げてみれば、見慣れない文字がタイトルとして綴られていた。
“稟議書”
何じゃこりゃ?—と首を傾げる。何と読むのだろうか。りんぎしょ—だろうか。右上には第三営業部と書かれており、その下には高田 由香里と氏名が記入されていた。まず間違いなく、由香里の落としたものだろう。血の気が引いた。
(これ…渡さないとやばいよね)
慌てて下りのエスカレーターから階下を覗き込めば、由香里は早くも1階のエントランスまで降りている。足早に出入り口である自動ドアへと向けて歩を進めていた。あたしは一瞬逡巡するも、思い切って声を上げる。
「お姉さん!…由香里さん!」
だが振り向くのは関係ない人ばかり。由香里は通話に気を取られているのか、或いはあたしの声が届いていないのか、とにかく、呼びかけに気がつくことなく自動ドアを通過して外へと出て行った。
「いやいや、うぬぬ…ぐぅ」
あたしは稟議書を見て、帰宅してまで仕事に精を出す両親の姿を思い浮かべた。これはきっと大事な書類なのだろう。届けないという選択肢などない。意を決して下りのエスカレーターを走り出した。
—プルルルル—
この俺、小坂 帯刀が運転していると、会社から支給されている携帯電話が着信を告げる。液晶画面に表示された名前を見て、思わず顔を顰めるも、出ない訳にはゆかない相手だ。車をゼブラゾーンへと停車させて、携帯電話を耳に当てた。
「もしもし、小坂です」
心持ち申し訳なさを声音に滲ませるも、電話口の向こうから聞こえてきた声は、実に不機嫌そうだった。
『…もしもし、高田ですけれど、小坂係長は今どちらにいらっしゃいますか?』
その言葉に苦り切った顔を作る。何故なら、まだ出社していないからだ。どう答えたものか言葉に詰まった。
(しまったな。メールの一つでも、入れておくべきだった)
事故渋滞に巻き込まれた俺は、待ち合わせの時刻に遅れていた。なんなら、既に始業時刻を過ぎており、1/4休暇を取得していたりする。自身の上長には一報を入れたものの、流石に他部署の人間にまでは連絡を回していなかったのだ。
ちなみに、今日は午後から客先でのプレゼンが控えており、午前中は高田と打ち合わせをする事になっていた。
「まだ通勤中です。あとは坂を上がれば会社に着きますよ。それから折り返しても良いですか?」
『客先から緊急の問い合わせです。私の方で回答しておきますので、何点か教えてください』
そんなことよりさっさと出社したいんだがな—という思いはおくびにも出さず、次々に告げられる質問事項を頭に叩き込みながら、トランクにしまってある技術書類を取り出すべく、車から降りた。
「ちょっと待ってください。それと、回答する時には検討中であるという防波堤は忘れずにお願いします」
『はい、分かりました』
乱暴にドアを閉めトランクへ向かおうとしたところで、ふと視線を感じ顔を上げる。車を停車させたすぐ側には交差点があったが、その歩道で、信号待ちでもしているのか、自転車に跨る少女が俺に訝しげな視線を向けていたのだ。思わず少女を見てしまい、視線が交差する。何かと男性には厳しいご時世だ。不審者扱いされては堪らない—と、すぐに視線を逸らした。
(…今時の子供は良い自転車に乗ってんな)
俺は間もなく30歳になろうとしているしがないサラリーマンである。恋人と言うか、婚約者はいるものの、多忙を理由に三ヶ月程会っていない。元々がそんなペースであったので俺達は何も感じてはいないのだが、周囲は非常に煩い。ちゃんと会いに行け—だの、相手が可哀想—だの。これらは会社の上司から言われた言葉であるが、それならきちんと仕事の管理を実践して、俺の仕事が過多にならないように調整してほしいものだと言ってやりたい。間違いなく揉めるので言わないが。それ以外には取り立てて語るところもないつまらない男、それが俺だ。
趣味は?—と聞かれれば、かつては自転車に乗っていたが、今は何もない。それは、交通事故が原因で膝を壊してしまったからだ。それ時の喪失感が大き過ぎて、それからこっち、何もやる気にならない状態が続いている。
ちなみに、自転車による事故ではなく、自動車事故によるものだ。深夜、会社からの帰り道、俺は右折するべくウインカーを出しながら、前のタクシーが右折するのを待っていた。その時、対向車が猛スピードで直進してきていたのだが、俺の前のタクシーは何を思ったのか、突如として右折したのだ。対向車は焦った事だろう。後ろで見ていた俺でも焦ったのだから。俄かにハンドルを切ってタクシーを避けた対向車だったが、その先には俺の車が待機していたのである。
俺の車と対向車は正面から衝突した。俺にとっては運が悪い事に、その対向車は大型トラックであったのだ。俺は潰れた車体に脚を挟まれ、膝を壊してしまったのである。幸運なことに一命は取り止めたものの、その後のリハビリには辟易したものだ。
『—係長?小坂係長?聞いてますか?』
「ん?あ、ああ。すみません、ボケッとしていました」
『まったく。下でお待ちしていますから』
通話を終えて携帯電話を閉じる。急がねば—と嘆息しながら顔を上げた時、目の前をタクシーが通過した。
「チッ」
思わず舌打ちしてしまった。あの事故以来、タクシーを見ると憎悪で腑が煮え繰り返りそうになるのだ。現場は大きな通りではあったが、目撃者はなく、監視カメラも付近にはなかった。俺もトラックのドライバーも、タクシーを正確には記憶しておらず、怒りの矛先を向けるやり場を見失った。あのタクシードライバーは、今もなお、のうのうとドライバーを務めているのだろうか。
(あの事故がなければ、俺は今でも自転車に乗っていたのかな)
たらればを考えても仕方ない。頭をかいて意識を切り替える。それでも自転車に乗っていた頃の己を思い出して、横断歩道をスイスイと進んでゆく少女の後ろ姿を眺めた。
(…いかんな)
溜め息と共にやる方ない思いも吐き出す。考えてみれば、あの事故から婚約者ともあまり会わなくなったように感じられる。膝を壊して車椅子とまではゆかなくとも、五体満足とは言い切れなくなった俺だ。そういった遠慮というか、負い目を覚えたことによる、卑屈な考えが纏わりついてしまったのかもしれない。
(事故で失ったのは、膝だけではないかもしれないな…)
技術資料の束をトランクへ戻すと、運転席へと乗り込んでシートベルトを締めた。かつては俺と共に入院する事になった愛車であるが、エンジンルームの総交換まで行い修理した。ディーラーからは新車を買え—と随分と言われたものであるが、ポンコツになった俺には、同じ事故を経験したこいつが相応しいと思っていたのだ。数十万かけてナビを新調したばかりであった事も大きいが。
(…行くか)
後ろから車のこないことを確認して、路肩から右折レーンまで進む。すぐに信号は青になったが、対向車もなかったため、そのまま右折した。
『この先、登録地点があります。登録名は—』
そこから緩やかな坂道が続くが、坂を上り切ったところにある大型テナントビルに、俺の勤める職場は入っている。1階はだだっ広いエントランスになっており、2階へ続くエスタレーターと、7階より上階へ向かうためのエレベーターがある。2階から6階までは書店が占めているが、エスカレーターで上がることができるのはそこまでで、7階よりも先に行きたいのなら、エントランスのセキュリティゲートを通過した先にあるエレベーターを使う必要がある。書店の6階ではビジネス雑貨も扱っているため、ちょくちょく顔を出すのだが、6階に行くためには、一度エレベーターで1階まで下りた後、エスカレーターで向かわねばならなかったりする。とても手間だと思う。あのビルの設計者は、何を考えてあんな作りにしたのだろうか。ちなみに、俺の職場は10階から13階を使用している。
「小坂係長」
駐車場へ自動車を停めた俺の元へ、どこから現れたのか高田が近寄ってきた。高田はジト目を俺へと向けていたが、俺が頭を下げてみせれば、たちまち破顔した。
「随分と重役出勤ですね?」
意地の悪い事を言うな—と思いながら、高田に向けて苦り切った顔で詫びる。
「勘弁してください。事故渋滞が酷くて。昼飯奢りますから」
俺は技術開発部、高田は営業部と部署こそ違うものの、何かと縁があり、組んで仕事をすることが多い。ビジネスの上では相性は悪くなく、お互いに協力することは吝かではない—と、勝手に思っている。そんな相手を怒らせるのは得策ではない。それ以前に、女性は敵に回すと恐ろしい。己に非があったら、即座に頭を下げておくべきだろう。
「早速打ち合わせに入りましょう—と、言いたいところですが、小坂係長が遅れたので、会議室はキャンセルしています。近場のカフェで良いですか?」
「…はい。そちらについても、しっかり奢らせていただきます」
カフェなどに心当たりはなかったが、聞けば、近くに美味しいと評判のカフェが支店をオープンさせたらしい。俺にとっては凄くどうでも良いことだが、高田は目を輝かせてチェックしていたようだ。ビジネス街ではあるが、まだ昼にも程遠いこの時間帯ならば空いているのだろう。トランクから技術資料の束を引っ張り出すと、己の鞄へ乱暴に突っ込んだ。
「…小坂係長、その…もう少し丁寧に」
「一昔前ならともかく、電子押印になった昨今、原本もクソもありませんよ。こんなの単なる紙切れです」
高田に指摘されるほど扱いは雑だが、資料の内容はほとんど頭の中に入っている。ただ手持ちの資料として、何かあった場合のために保管しているのみだ。今更丁寧に扱う気もなければ、さっさとカフェ目指して歩き出した。
—パチッ—
駐車場の壁が一瞬明るくなる。俺達の背後で何かが光ったように感じられて、何事か?—と振り返ってみるも、そこには何もない。周囲を見回してみても、静寂と車しかなかった。
「小坂係長?」
「なんでもない」
怪訝な顔の高田に首を振って返し、再び歩き出す。高田の言う美味しいカフェとは、そこから5分程歩いた場所にあった。
「…ここですか?」
「ここですね」
植木鉢が並べられた店先は、近代、あるいは近未来的な周囲の建築物から浮いていた。カフェはビルの1階に設けられていたが、ここもテナントビルであったように記憶している。古民家風とでも表すればよかろうか、わざわざ工事して整えたらしいアンティークな外観は、街全体に対してのアンチテーゼにも受け取れた。
「こういう方針の店なのですか?」
「まあ、そうです」
随分とビジネス街に相応しくないお洒落な風体のカフェが出来上がったものだ—と感心しながら店内へ入れば、カウンターの奥でコーヒーマシンに向き合うスタッフが声を上げた。自分で入れるならば拘るが、出先のドリンクにまで口を出すつもりなどない。無難なブレンドを頼み、出された珈琲をお盆へ乗せて—否、トレイへ乗せて高田の後を追った。
(…窓際…)
高田が選んだ席は、まさかの窓際であった。俺からすると、こんな衆人環視に晒される席の何が良いのか分からないが、それを口にしようものなら絶対零度の視線を向けられることは想像に難しくない。努めて外を見ないように、黙って高田セレクトの席へと腰を下ろした。
(さて、と)
腰を落ち着けた後には、改めて店内を見回す。店内入口のすぐ傍にはショーケースがあり、甘党の皆様にはさぞかし美味しそうに見えるであろうケーキ類が並べられている。外からも見える位置にショーケースが置かれているのは、店先で迷う子羊達を逃さず捕まえるための罠に違いない。その横にはレジがあり、レジの横には広いカウンターが続いている。カウンター奥ではスタッフが今なおドリンクを作り続けており、作り終えたドリンクがカウンターへ載せられると、即座にホールスタッフがそれを客の元まで運んでいた。
(…ん?俺は自分で持ってきたぞ)
そういえば、高田はドリンクを持っていない。成る程、俺の珈琲は待たせるまでもない代物であったらしい。一杯1500円という値段を思えば、持ってきてくれてもよいのでは?—と不満を感じないでもないが、それを口にしても冷めた視線が突き刺さることだろう。
次は視線をホールへ移す。四隅には観葉植物が設置されているのは、店先の植木鉢に通じるものがある。やはり、そういうコンセプトの店なのだろう。植物には微塵も思うところはないが、女性客ならば癒されるのかもしれない。そして、特筆すべきは通路の広さだろうか。スタッフが忙しなく行き来するせいかもしれないが、客同士が広くスペースを取れるよう席の置き方を工夫している様子が窺える。これで利益が出るのかは謎だが、客のことを考えた店作りには好感が持てた。
「…悪くない」
「手厳しさに定評のある、小坂チェックを無事通過したようで何よりです」
高田がクスクスと笑いながら戯ける。俺は手厳しさに定評があるらしい。一体、そんな巫山戯たことを言っているのは誰だろうか。そんなことを考えて眉間に皺が寄れば、それを認めた高田は一層楽しげに笑うではないか。きまりが悪くなり、視線を外して頸を摩った。
「じゃあ、まずは軽く—」
さて、打ち合わせをしようと考えてビジネスバッグを掴み上げた時、足音がこちらへ向かって来ているのに気が付く。
(高田の頼んだドリンクかな?)
肩越しに背後を見れば、こちらへ近付いて来ていたのは小学校高学年、あるいは中学生くらいと思わしき少女であった。髪型や服装はボーイッシュで、飾り気のない男物と思わしき大きな鞄を肩から下げている。何が入っているのかは知らないが、実に重そうだった。
(…誰だ?)
最初は空いた席でも探しているのかと思ったが、そうではなさそうだ。少女はきまり悪そうに口を引き結びながらも、間違いなくこちらを見つめている。いや、高田を見つめていたのだろう。途中、ちらりと俺へも視線を飛ばしてくるが、すぐに逸らされた。
(あ、この子…)
既視感を覚えた気がして記憶の蓋を開いてみれば、つい先程見た顔だったことを思い出す。会社から坂を下ったところの交差点で、自転車に乗っていた少女である。少女は再び俺へ視線を飛ばしてきたが、今度は逸らされず、ペコリと頭を下げてくる。俺も頭を下げ返した。
(…高田の知人か?)
少女は俺達の席の前で歩みを止めると、高田の前へ一枚の紙を突き出す。その紙が何であるかは俺には見えなかったが、高田の目は見る見るうちに見開かれていた。どうにも重要なものらしい。となれば、会社の書類だろう。
(あぶなっ)
下手したら大問題になるところだ。これは俺からも礼を告げねばなるまい。改めて少女を見れば、息急き切って高田を探していたのだろうか。肩が小刻みに上下し、うっすらと汗を額に浮かべている。それでも、高田の驚いた顔を認めると、嬉しそうに破顔した。
「見つからなかったらどうしようかと思ったよ。お姉さんが見つかって良かった」
「…わざわざ私を探して?」
高田の言葉に少女は首肯する。二人のぎこちないやり取りを見るに、友人といった間柄ではないだろう。もしかすると、初対面かもしれない。にもかかわらず、この少女は、高田が落としたであろう書類をわざわざ届けてくれたらしい。
(今時、こんな子もいるんだな)
少しばかりいい気分になり、ちょっとだけ色をつけて労うことにした。礼には更なる礼を尽くすのが小坂家の家訓であり、円滑な人間関係の第一歩だ。
「何だか迷惑をかけてしまったようですね。冷たい飲み物でもどうですか。うちの高田がお世話になったみたいですし、御馳走させてください」
だが、俺の発言に少女は慌てて手を振ってみせると、肩に食い込むポストマンバッグの肩紐の位置を正しながら言った。
「いやいや、良いんです。元々はあたしが余所見してたから悪いんで。気にしないでください」
詳しい状況を思い浮かべることはかなわなかったが、高田を見れば、そんなことはない—と、言わんばかりに首を振る。首肯で高田へ了解を告げて、再び少女へ向き直った。
「遠慮されると逆に困ります。貴女の労に報いらせてください。何にしても、うちの高田を探して書類を届けてくれたのは確かなのですから」
財布を取り出すと、中から千円札を2枚取り出す。都心のカフェともなれば、高いものは千円では足が出るのだ。いや、ブレンドでも余裕で足が出る以上、きっと3桁の飲み物などここにはあるまい。そう考えると、2枚ではとても足りないような気がして、3枚渡すことにした。だが、札を取り出そうとして、ふと思いつく。金を渡す前に確認しておかねばならないことがあった。
「親御さんは厳しい方ですか?」
「え?えと…そんなに厳しくない…と、思います」
質問の意図が見えなかったのだろう。附に落ちないといった顔で、少女はおずおずと答えた。一方で、俺は内心でガッツポーズを作る。これが厳しい親御さんだとした場合、色々と面倒事になる可能性とてあったからだ。相手が未成年であるなら尚更。
「では、お釣りはもらってください。今回は助かりました。私からも礼を言わせていただきます。有難う御座いました」
俺の言に、先の質問の意図が察せられたらしく、少女は戸惑った様子を見せる。差し出したお金と俺、そして高田の間で視線を彷徨わせていた。受け取っていいものか悩んでいるようだ。最後には助け舟を期待するかのように高田へ潤んだ視線を送っていたが、それは悪手である。なぜなら、高田は俺の味方だからだ。
「私からも改めてお礼を言うわ。礼には礼で報いたいのだけれど、奢られてくれないかな?」
「…わ、分かりました。では、遠慮なく」
高田の言葉に観念して、ようやく手を伸ばしてくれた少女。カチカチになって、ブリキ細工の様な腕の上げ方を見せる。それがツボにはまってしまったのか、笑みを堪えるのには苦労した。
(この歳頃だと、3000円でも大金だもんな)
内心で笑いながら、そのまま少女の微笑ましい様子に癒されて終わるはずだった。何事もなければ。
「い、いただきます」
「ええ。少しゆっくりしてゆくといいでしょう」
丁寧に礼をして、まるで賞状でも受け取るかのように、恭しく両手で札を握る少女。その少女の指が、俺の指の先に僅かに触れた。
—バチン—
唐突に襲った静電気のような衝撃に、思わず紙幣を取り落す。少女もまた同様に腕を引っ込めて、指先を揉んでいた。
「うわ、静電気かな?すみませんね」
「い、いえ」
紙幣を拾い上げて少女へ視線を戻すと、少女の輪郭がぼやけているように見えた。おや?—と訝しんでよくよく見れば、少女の背後に青く光る、不可思議な模様が浮かび上がっているではないか。なんだこれは?—と、目を見開いた。
「高田さん…これは、ドッキリか?」
「…さ、さあ?」
青い光は、幾何学模様かと思えば、何かの文字に見えたりもした。絶え間なく姿を変え、じょじょに規模を拡大させては、新たな一面を覗かせる。しばし幻想的な美を感じて見入ってしまったが、周囲の客が席を立つ音で我に返った。
前髪で目元の見えない—由香里の上司と思わしき男性と、由香里の二人が固まっていた。
「高田さん…これは、ドッキリか?」
「…さ、さあ?」
それまでは中腰で紙幣を握りしめていた男性が、そんなことを呟きながら、ようやく上体を起こす。二人の言に、何かあたしにおかしなところでもあったのか?—と、戸惑った。男性も、由香里も、あたしを見つめたままで動きを止めたからだ。
「何あれ?」
「…テレビ?」
近くの席にいた客の声が聞こえた。この段になって、ようやく何かがおかしいことに気がつく。先ほどまでは喧騒—とは言えなくとも、それなりに騒がしかった店内が、嘘のように静まり返っているばかりか、よくよく見れば、由香里の視線はあたしではなく、あたしの背後へと注がれていたのだ。ちなみに、男性の視線は前髪に遮られて見えはしなかった。
(何?)
不審に思い背後を振り返り、二人が固まっている理由を理解した。そこには、青く光る謎の模様が見て取れたのだ。思わず後退り、テーブルの角にぶつかった。
「…あ、え?」
頭がパニックにでもなっているのか、考えがまとまらない。逃げた方がいいような気もするが、誰も動かないところを見るに、何かの演出である可能性もある。そうだとしたら、一人逃げ出すのも恥ずかしい。
(いや、でもこれ…)
どう見ても空中に描かれているとしか思えない模様は、その姿を絶えず変化させながら、じょじょに拡大しているように見えた。青い線の一本を視線で辿れば、線はゆっくりと弧を描き、その輪郭を淡く輝かせながら、椅子の背もたれを通過したではないか。それを認めて、ようやくこれはおかしい—と理解する。しかし、身体は動かない。逃げ出せ—と脳は警鐘を鳴らしているのだが、脚は固定されたかのように動かなかった。
(やばくない?)
それまでは慌ただしく模様を変えていた青い輝きは、ついに姿を安定させる。あたしの上背をも超える大きな正円を作り、その正円の中に六芒星がいくつも描かれていた。円の中心に一つ。六芒星の各頂点に小さな円を作り、その中に一つずつの計七つ。
「…何、これ?魔…法、陣?」
これは誰ともなしに呟いただけである。しかし、まるでその発言が呼び水となったかのように、一気に店内は慌ただしくなった。
「うわあぁ!」
「早く出ろ!」
「退け鈍間!」
我先にと人々が出口へ殺到し、口汚く他者を罵る。あたし達三人は、その様に唖然としてしまい、逃げ遅れて魔法陣の前に取り残された。
「おい、俺達も逃げるぞ!」
声を上げたのは由香里の上司であろう男性である。男性は即座にビジネスバッグを拾い上げると、由香里とあたしへ視線を飛ばしてくる。揺れた前髪の下には驚くほど鋭い眼が覗いたものの、今はそんなことに頓着していられる状況でもなかった。あたしは頷き、由香里もまた頷く。
けれど、どうやら遅かったらしい。あたし達が店外へと向けて走り出した瞬間、魔法陣はそれまでの正円をぐにゃりと歪めて消えた。かと思えば、耳に届く音がなくなり、視界から色も失われる。古めかしい椅子の木目の茶も、窓の外に広がる色とりどりの車も、何もかもが白と黒の二色に分けられる。まるで最初から世界は二色であったかのように。
「 」
男性が何かを叫び、ビジネスバッグを放り投げると、由香里とあたしの手を引く。妙な浮遊感を覚えたかと思えば、ぐんと引っ張られてたたらを踏む。幸いにも、転ばずにすんだ。
「 」
更に男性は何かを叫び、強くあたし達を引き寄せる。終いには、引っ張った勢いそのままに突き飛ばされた。由香里も同様にだ。さすがにこれには抵抗できず膝をつく。何をするのか—と背後を睨みつけて、ぞっとした。男性の脚が浮き上がっていたのである。そこに至ってようやく理解できた。男性は、あたしと由香里の身体が浮きかけていたのを引き戻してくれていたのだ。あの妙な浮遊感の正体がこれだったのだ。
「 」
空中に浮かびながらも、先に行け—と、ばかりに手を払う男性。まるで無重力空間にでも放り出されたかのように、コーヒーカップの中身が球体となり漂いだせば、ついには椅子やテーブルまでもが持ち上がりはじめる。怖かった。本音を言えばすぐにでも逃げ出したかった。
(ダメだよ、見捨てられないよ)
けれど、あたしには男性を置いて行くなどという選択肢はない。由香里もまた同じであった。即座に由香里が男性の手を掴み、こちら側に引き寄せようとする。しかし、そうすると今度は由香里の身体が浮き上がりだすではないか。あたしも由香里の腰に手を回し、力一杯引く。たちまち、あたしも浮遊感に囚われるが、誂えたかのように側にあった支柱へ片手を回し、なおも力一杯引っ張った。
「 」
男性の顔が歪み、頻りに何か口にしている。逃げろ—と、怒っているのだろうか。由香里の手を払わんとして腕を伸ばすも、男性は身体の自由が利かないのか、由香里にまで手が届かないらしく、途中で断念すると、口惜しげに歯噛みしていた。それでいい。そのまま大人しくしていてくれればいい。少しずつだが、あたし達の努力が身を結び、男性を引き寄せられているのだから。
(もうちょっと!)
手応えを感じて気が上向くものの、そこまでだった。唐突に何かに引き寄せられる感覚を味わったかと思えば、次の瞬間にはテレビの電源を切ったかのように目の前が真っ暗になる。意識はそこで途切れた。