8.白翼竜、赤子の名前を考える
温かな陽射しがヴェルの居るテラスを包み込む。このような陽気であれば、普段のヴェルは昼寝に決め込むところだ。だが、今日はいつもと違う。
「んっ・・・んっ・・・」
「よし、よし」
ヴェルに寄り掛かるようにフレイアが座っている。その胸には赤子が二人、フレイアの乳を吸っていた。
赤子、そしてフレイア達がきて、もう3日になる。最初は恥ずかしがって、人の目につかないところでお乳をやっていたフレイアであるがヴェル以外の魔物が居なければ、こうしてテラスのヴェルの近くでお乳をやるようになっていた。
「だって、この子、ヴェル様がいないとなかなかお乳を飲んで下さらないんですもの」
なぜ自分の近くでお乳をやるのかと問うヴェルにフレイアは笑顔でそう答えた。微笑まれたヴェルはなぜだか言い返せず、そのまま近くでお乳をやることを許可した。
「そういえば、ヴェル様」
そんな時、フレイアはヴェルに思い出したように声をかける。
「なんだ、フレイア」
「この子はなんという名前でしょうか?」
「名前・・・?」
「ええ、例えば、私のこの子はグレンという名前です。
人間は、生まれてから少しすると名前を授かるんですよ」
それはヴェルには不思議な慣習だった。竜の名前と言うのは貰うものではなく、自然と決まるものだったからだ。ヴァ=ヴェルという名前も定着するまで数十年かかった。『白き風』だとか『黒鱗白翼』だとかそういう名前だったこともある。
(人間だったオルゴ―や人間に近そうなレギスとかはどうなんだ?)
ふと、部下たちの顔が浮かぶが、それはそれとしてフレイアの質問には答えないといけない。ヴェルは静かに首を横に振ると声帯を震わせた。
「その子には名前はない。
名前を書いたものも発見されてないしな」
「そうですか。
・・・そうだ、ヴェル様!ヴェル様がこの子に名前を授けてはどうでしょうか!」
「名前を、俺が授ける?」
「そうです。私たちの故郷では、司祭だとか長老だとか、それもなければ家長が赤子に名前を授けていたのですよ。
ですから、ここ一帯の長であるヴェル様がこの子に名前をつけてはいかがでしょうか?」
「う、うむ」
人間の習慣に合わせるなら、ヴェルがそうするのが妥当であろう。だが、ヴェルに名前をつける習慣がなかった以上、どう付ければいいか皆目見当がつかなかった。
「例えば、人間の場合はどういう名前をつけるのだ?」
「そうですね。自然や英雄、神様、もしくはそれを意味する古語から付けますね。
私のフレイアという名前は美の神から付けられていますし、グレンは赤々と燃え盛る炎という意味ですね」
「うーむ、では□●Δ◆♡★◆□というのはどうだろう?」
「え?」
「だから、□●Δ◆♡★◆□」
「・・・それ、人間に発音できませんよね」
「ダメか?」
「この子が名乗れないのはよろしくないかと」
「うーん、魔物の間では最大級のめでたい事を意味する言葉なのだが。
すまない、あまりそう言う言葉を気にしたことがなかったから、今すぐには出てこない」
「この子も自分の名前を覚えるまでに時間がありますので、部下の皆様と一緒に考えてみては?」
確かにフレイアの言う通りであるとヴェルは納得がいった。傭兵業としてあちらこちらに行くこともあるレギスやスコル、ハティ、人間だった死霊王オルゴ―がいるではないか。彼らに聞けば何かしらのアイデアもあるであろう。
「そうだな。お前の言う通りだ、フレイア。
俺が最高の名前をその娘につけてやる。ふはははは」
―――
「というわけで、あの娘の名前を考えたいのだが」
「というわけで、と言われましても」
夜になって、集まった一同に昼の話をすると、真っ先に困った顔になったのはレギスだった。
「なんだ、レギス、お前に真っ先に意見を貰おうと思っていたのだ」
「先に言っておきますと、かなりの難題ですよ、これ」
「そうなのか」
「そりゃ、その人間が一生使う名前ですからね。
不器量な娘に美に関する名前をつけてその娘が一生後ろ指を指されて笑われただの、花に関する名前をつけたら短い一生を暗示するようで嫌だだの、まあ、命名は色々トラブルの種になっていますよ」
「だからこそ、その共同体の長がやるもんじゃからのぉ」
「オルゴー爺さん、あんただったら人間の頃の知識でいい案が出せるんじゃないんか?」
「そうじゃなぁ、・・・・・・アンク―なぞどうじゃ?」
「ほう、オルゴ―が考える可愛らしい響きではないか」
「・・・その意味なんだよ、爺さん」
「死神」
「誰に名前をつけると思ってんですか!
女の子にそんな不吉な名前を付けないでください」
「ううむ、いい名だと思うんじゃが」
「も~、オルゴ―のおじいちゃんには無理だよ~。
例えば、ブリュンヒルデなんてどうかしら~」
「ほう、いい――」
「姉さん、その名前、悲恋悲劇のヒロイン・・・」
「却下にする」
「え~」
そんなこんなでその日は、上手い命名案が出ず、各々名前を考えてくことになった。