7.白翼竜、同居人が増える
ヴェル達が遺跡に戻ったのは、飛び立ってから半日くらいのことだった。
(正直、一発目から見つかってよかったよ。
下手をしたら、ヴェルトスまで行かないといけなかったからなぁ)
ようやく見えてきたテラスを見て、レギスは安堵のため息をつく。オークが街に居てもおかしくない辺境とはいえ、白翼竜の部下であるレギスやスコル達が人の多いところに顔を出すのは今後を考える上であまりいいことは言えなかった。と言っても、人前に出しても問題ない者があの場には、自分達しかいなかったのだ。
「あれ、この泣き声」
「あぁ、あの赤子が泣いているな」
その声はまだ上空高くにいるヴェル達にも届いていた。赤子はカミラに託していた。彼女もそれなりの年月を生きている。種族が違えど子守くらいはできるとヴェルは思っていたのだが、あては外れたようだ。
ヴェルが降り立つとカミラが赤子を抱えながら、しゅるしゅると近づいて来た。
「あぁ、ヴェル!ようやく帰ってきたのね」
「どうした、カミラ。お前が赤子一人に手こずるとは」
「もう、あなたが飛んで行ってから、ずっと泣きっぱなしなのよ。
いくらあやしても泣き止みはしないし、果物の汁も口に入れないし、困ってたわ」
「わしにまかせりゃぁ、すぐだって言ったのにカミラ殿はだかしてくれんのぉ」
「オルゴ―に抱かせたら何をされるかわからないからね」
「ひどいのぉ」
「まあ、ご苦労だった。
乳母となるものを連れてきたから早速紹介しよう」
そう言って、自分の足を見る。レギス、スコル、ハティはすでに降りて、小麦色の髪の少女とその赤子を降ろしている。
「さあ、自己紹介するがいい。人間の少女よ」
「・・・」
「どうして。さあ」
「・・・」
黙っている少女を訝し気に見るヴェルだが、スコルは抱えている少女の顔を見て、苦笑いしながら答える。
「あ~、ヴェル様、この娘、気絶してますね~。
まあ、人間にはヴェル様の飛行は刺激が強かったかも~」
「・・・」
今度はヴェルが沈黙する番だった。
(・・・次、人間を運ぶ機会があったらもっと大人しく飛ぶか)
「あら、この子泣き止んだ・・・」
ヴェルが唖然としている横で、赤子がカミラの腕から手を伸ばし、ヴェルの羽根に触れて無邪気に笑っていた
―――
「奴隷の身から助けていただき、その上、このような立派なところに連れてきていただいたにも関わらず、気を失ってしまい申し訳ありませんでした」
気を取り戻した少女は、手を腹の前で合わせ、深々とおじきをした。ヴェルがカミラに聞いたところ、これは人間の礼や謝罪の正式な姿勢らしい。
「うむ。良い。
俺も人間にちょうどいい早さというのがわからないからな。
それに奴隷の身から助けたというのは少し違う」
「それはどのようなことでしょうか」
「お前にはこの赤子の乳母をやってほしい。
この子がある程度育つまで、ここで面倒を見るのだ。
この子が育つまでの間の生活は俺が保障しよう」
「そのようなことであれば、いくらでも」
「では自己紹介だ。さっき聞いたかもしれんが、俺の名前はヴァ=ヴェル。白翼竜とも呼ばれている。
お前には俺の拾った赤子を庇護する義務を与える」
「ありがとうございます。ヴェル様。
我が名はフレイア・オズ・ヴァルグリース。
頂いた勤め、一所懸命に果たしましょう」
少女は背筋を伸ばし、はきはきと答える。もしかしたらこの娘は良いところの出かもしれないとカミラは感じていた。生まれながらの奴隷や農民といった下級とされる市民に礼儀の教育はされないことをカミラは知っていた。
「ほぇぇぇ・・・」
カミラの腕の中で泣き出した赤子がまた泣き出した。
「うむ、フレイアよ。さっそく仕事だ」
「はい・・・ええっと」
「私はカミラよ。
私たちの自己紹介はまた後でね」
「はい、カミラさん。
赤ちゃんをこちらに・・・あの、どこか人目のない場所はありませんか」
「む?授乳なぞどこでやってもいいではないか」
何かに恥ずかしがる少女にヴェルはその意図が理解できなかった。竜の彼にとって、おっぱいの魅力だとかそれに関わる性癖だとかはわからない。竜にはおっぱいがないからだ。
「・・・ヴェル様、そういうところよくないですよ」
「何が、どういうところだ、レギス?」
「はぁ、ハティ、彼女をどこか目立たない所へ」
「了解しました。レギス様。
さあ、フレイア様。どうぞこちらへ」
「まぁ・・・。様なんてよしてください。ハティ様」
「いえ、私もレギス様に仕える僕なれば、地位は同じですよ。
むしろ、レギス様がヴェル様に仕えているので直属のあなたよりも劣る者と扱って下さって結構です」
そう言いながら、二人・・・いや、赤子とフレイアの子も一緒なので四人はどこかに消えていった。
戻ってきたのはしばらくしてからだった。
「ずいぶんと時間がかかったな」
「申し訳ありません。
この子におしめもはかせていて」
見てみると、布を巻かせたくらいの恰好だった赤子にはしっかりと服が着せられ、その上から布が巻かれていた。
「それにしてもずいぶんと可愛い娘さんですね」
「娘・・・?
その赤子は人間の雌なのか?」
「あら、いやですよ。雌だなんて」
「ヴェル様、申し訳ありません。
私もさきほどおしめを履かせるときに初めて気が付きました」
「まあ、その赤子が雄であろうと雌であろうと、俺にはどうでもいいことだが」
ヴェルは興味なさそうに呟く。しかし、その目はこちらを見つめる、赤子の瞳をじっと見つめていた。
「この子、ヴェル様になついていらっしゃるのですね。
おっぱいを上げている間もずっときょろきょろしていたのに、ヴェル様をみたらそちらしか見ませんよ」
「う、うむ」
ヴェルは少しこそばゆい感覚に襲われた。なんの裏もなくただじっと見つめられることに彼は慣れていなかった。
「あぁ~」
赤子は声を上げて、ヴェルの方へ手を伸ばす。
「あ、駄目ですよ。
ヴェル様に迷惑でしょう?」
「よい、その赤子をこちらに」
赤子を止めようとするフレイアを、ヴェルは逆に止める。
「はぁ・・・」
フレイアは少し、不安そうにヴェルに近づいていく。
「だぁ・・・だぁ・・・」
赤子はヴェルの羽根をその小さな指で触れ、握りしめる。
(やれやれ・・・)
たった半日動いただけなのになんだか随分疲れた気がする、とヴェルは思っていた。だが、その羽根に触れる、暖かく柔い感覚が報酬ならそれも悪くないな、とも考えた。
こうして、人を恐怖に陥れると噂された白翼竜ヴァ=ヴェルの居城に同居人が三人増えた。
―――
その影で、オルゴ―とカミラはひそひそと会話を行っていた。
「・・・ところで、あの赤ちゃんのつけていた指輪って何なのだろう?」
「まあ、あの娘の身分を示すものじゃろうて。
じゃが、魔力反応と術式の刻印があったからのぉ。
何かよくない呪いでもかけられていないか、調べ終わるまではワシが預かっておくよ」
「ヴェル様への報告は――」
「経過も含めてワシがしとくよ」
「すまないね」
「知識としての魔術や秘術へ体系的に一番通じているのはワシじゃからのぉ。
まかせんさい」
カミラは赤子をあやしているときに、彼女の首に指輪が付けられていたのを発見していた。だが、何らかの魔術がかけられていることを察知した彼女たちは、それを赤子の首から外したのだった。
人間の仕掛けた破壊魔術、転移魔術、毒魔術などの可能性もあるからだ。
(こりゃ、ちょっとした大仕事じゃのぉ)
オルゴ―は指輪を手の中で転がして、そこに刻まれた術式を見る。それは現在の人間に刻める量とは思えないほどの密度、そして膨大な知識をもつオルゴ―でさえも見慣れない術式が刻まれていたのだ。そのことはオルゴ―はカミラにも伝えていない。
―――
「ところで御者さんよォ」
「御者っていつまでも呼ばれるのは嫌だなぁ。
アンディって呼んでくれぇ」
「じゃあ、アンディさんよぉ。
あの白翼竜が住むっていう遺跡までどれくらいかかんだい?」
「あぁ・・・、あの小さく見える世界樹の麓だから、目測だが早くて二週間ってところかなぁ」
「え、食料足りるのか、それ」
「まあ、無くなるがぁ、途中で採ればなんとかなるだろ。
幸い弓や釣り竿はあるしなぁ」
(・・・本当に白翼竜のところに行くってことでよかったのか?)
一方の御者アンディと元奴隷たちは、不安な旅の始まりを告げていた。
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