1.白翼竜、捨て子を拾う
朝焼けの空を一匹の生き物が飛んでいく。その雄々しい姿、日を反射する黒鱗、一対の角はまさにそれが竜であることを示していた。ただ、その羽を飾るのは奇妙なことに鳥のような純白の羽毛であった。
その名を、白翼竜ヴァ=ヴェルという。彼は魔王の同盟者として、大陸の一角を守護していた。といっても、彼は魔王と敵対関係にある人間を無暗に殺したりはしない。彼は任された領土をただただ飛び回り、行き過ぎた騒動があれば力をもって介入するだけだった。
それでも、支配される側にとっては恐るべき存在である。彼の支配地域では人間の集落が徐々に見えなくなってきた。むしろ、それは彼にとってもかなったり願ったりでもある。
(どうも人間と言う奴は集まるとうるさくてかなわない)
それが彼の持論である。森や山を切り開き、動植物を際限なく狩り尽くし、しまいには同種同士で殺し合う。殺し合いを仲裁すれば、「あぁ、恐るべき魔王の同盟者」と悲鳴を上げ、被害者面をする。彼が顔を合わせるのはそんな人間ばかりなので、自然彼は人嫌いであった。
今日の夜も人間同士の小競り合いがあったので、止めてきたところだ。彼が現れるや、争っていた人々は一様に矢を彼のほうに向けだした。
「やめろ、やめろ。貴様らの弱い弓では痒くてかなわん。
せめて、戦いたければ神弓のアズールでも連れてこい」
そうは言ったが、矢は雨のように彼に降り注いだ。もちろん、彼にとってはそれは雨粒とさしてかわらない。
「まったく」
そう嘆きながら彼が火の息を相争っていた両者の間に吹き込むと、それが二つの陣営を分かつ線となり、人々はそこを境に散り散りに逃げていった。そうした手間をかけたせいで、巣へ帰るのも早朝だ。
彼の巣は谷間に繁る森、その奥の古びた巨大な遺跡である。もう何千年前に建てられたのか、白翼竜でも理解が及ばない。遺跡を抱きしめるように生える大樹はもう数十里離れた空からでも見ることが出来た。
彼の巣とする遺跡にはなんでも財宝が眠っているらしく、人間が良く出入りすることがある。彼は人間には興味がないので、侵入自体は咎めない。だが、彼が枕とする金属類たちを狙う輩が多く、そう言った者たちにはお帰り願っている。
さて、もうすぐ白翼竜は自らのねぐらに辿り着く。普段は鳥のさえずる声が聞こえ、彼の心を癒してくれるはずであった。彼の耳を障る音が聞こえたのは、そんな時だった。
(なんだ、この声は)
長く長く響き渡る、甲高い鳴き声。
(まるで、獣の発情の声だ。
・・・だが、この森に住むものたちは盛る時期でもない)
彼は疑問に思いつつも、鳴き声の方へ森の上を飛んでいく。別段、鳴き声が気になったわけでもない。鳴き声の方向がねぐらと同じなのだ。
遺跡がかつて生きていた頃、恐らく権力者が城下を眺め、演説をしたであろうテラスが彼のねぐらである。普段ではあれば、貴金属類が敷き詰められ輝いているそこに、彼は小さな影を見出した。そして、その影こそ鳴き声の主であった。
「なんだ。これは」
白翼竜はその影を吹き飛ばしたり、潰したりしないようにゆっくりとテラスに降り立った。なにも慈悲の心があったわけではない。ただ、彼の元に訪れた者には最低限の敬意を払うのが彼の流儀である。潰したり吹き飛ばすなどもってのほかだ。
「ううむ…。なんだこれは」
彼は困惑した。今、彼の眼下にあるのは毛布に包まれた、赤い肌をした何かだ。皺だらけの肌の中に、精一杯鳴き声を放つ口と目がある。
「…猿の赤子か?
いや、だがこんな猿は見たことない。
しかし――」
泣き声だ。泣き声がうるさくてかなわなかった。白翼竜はしばし思案した。
(このようなとき、どうすればいいのだろう。
赤子、ということは腹が減っているのだろうか)
と言っても、赤子に何をやればいいのか彼には皆目見当つかない。肉と考えたが、この赤子には歯がない。少なくとも彼には赤子が飲み込めるまで肉を細かく噛み潰せないだろう。赤子の口を物理的に封じることを彼は隅にも考えなかった。何者であれ、助けを求める者を無条件に踏みにじるのは、礼を失することである。
――ぴちょん
と悩んでいる白翼竜の耳に水音が聞こえた。ふとそちらに目を向けると、羽毛から朝露が滴っていた。高い位置、寒空を飛んでいたため、露が結露していたのだ。
「これだ」
白翼竜は静かに翼の先を赤子の口先に持っていく。赤子は、自分の唇に触れたそれが何なのかわかっているのか、翼の先の羽毛を柔らかい手のひらで包む。白翼竜は羽毛の先から脆く柔い力を感じる。
「んっ・・・んっ・・・」
赤子は羽毛の先をその唇で包み、滴る朝露を静かに啜っている。
「・・・どうだ?」
恐る恐るといった様子で彼は赤子を見守る。
数分ののち、赤子は朝露に満足したのが、静かな寝息を立て始めた。
「やれやれ、当座はどうにか凌いだな。
だが、どうすればいいのか、部下に相談しなければな」
と、座る位置を直そうとした白翼竜はその翼にまだ柔い力がかかっていることに気が付く。赤子は白翼竜の翼を大事そうに握り寝ていたのだ。恐らく座る位置を直したら、赤子を起こしてしまうだろう。
(やれやれだな)
人を恐れさせる白翼竜は心の中でため息をつくと、その姿勢のまま朝の拝礼に参る部下たちが来るのを待つことにした。