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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

一分間の悪夢

作者: 紅茶(牛乳味)

 この作品には残酷な描写が少々含まれています。臓物表現はありません。例(巨大な物体に押しつぶされて、辺りを血で染め上げた)といった程度の描写が含まれます。ご注意ください。


『第1章睡眠前』



 夜。少し肌寒い10月下旬の風が、町の喧騒のなか歩いている男の体を撫でる。

 彼はしがない会社員だ。社会人になってから2年、叱られてばかりでいいことなどなかった彼だったが、今日は珍しく仕事ぶりを評価されたのだ。加えて、今日は給料日で週末。今の彼は気分がとても良い。

 ふと、街中を歩いていると、男は路地裏に……その先にある奇妙な看板に目を止めた。

「……?」

 男はチラリと腕時計で時間を確認する。終電までは余裕がある。そう考えた彼は、自分の肩幅より少し広い程度の細い路地裏を歩いていく。薄暗い壁と壁の隙間。そこには光があまり入って来ず、時折足をつまずきながら看板を目指す。

 その看板は奇妙だった。本来なら真っ白な下地に文字が並べられているはずだが、何も書かれていないのだ。ただの真っ白な看板。そしてさらに奇妙なことに、その看板を見ていると、頭の中に文字が浮かび上がるのだ。

『少し苦いお酒、飲みませんか?』と。


 ドアノブをひねるとカチャリと軽い音、そのまま扉を押すとチリンという小気味良い高い音が鳴る。

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

 たくさんのお酒が飾られている棚の前で、女が落ち着いた声で男を迎え入れる。

 店内は狭いが、外の雰囲気とは違って明るいものだった。自然な光を模したようなオレンジ色の優しい光が木製のカウンターを照らしている。

 男は扉を後ろ手で閉じて、上着を脱ぎながらカウンターの前に並べられている背もたれ付きの黒い椅子に座る。カウンター以外に席はなく、カウンター席も5人ほどしか用意されていない。カウンター席の奥にはトイレ、手前には出入り口とかなり狭い。

「ご注文は?」

 どうやら、この女性が店主のようだ。男は適当な料理と酒を注文する。

「はい、少々お待ちください」

 男はチラリと調理をしている女性を見る。整った目鼻立ち、目測で170cmほどと女性にしては高身長だ。すらりとした体に茶色の髪の毛をポニーテールに結んでいる。だが、そんなことよりも目立つのが、真っ黒なパンツスーツだ。胸元から覗くシャツの部分まで真っ黒なのが更に奇妙である。それはまるで喪服のようなのだ。

 少し不思議だと思った男はそのことを尋ねる。すると女性は無表情を崩さないまま応える。

「よく言われます。こちら、ご注文の品です」

 応える、というよりはあしらうような印象を受ける男。少しむっとしながらも料理に箸を伸ばす。

 料理は格別に美味であった。男は口に入れると同時に賞賛の言葉を口にしていた。

「ありがとうございます」

 それでも、彼女の表情は変わらなかった。しかし、もはや女の様子など気にすることなく料理を口に運んでいく。

 一通り食べ終わり、男は気持ちよく酔っているところだった。

「へえ。調子がいいのですか」

 女も作業の片手間に男の自慢話に耳を傾ける。その表情はやはり無表情で、迷惑と思っているのか、案外まんざらでもないのか、何も感じ取ることができない。

「ところで。どうしてこんな人目に付かないお店に来たのですか?」

 女は話が一旦区切れたところで尋ねる。男は酔っているせいか、理由を率直に伝えた。

「何もない看板を見ていたら、文字が頭に……?」

 初めて崩した女の表情は疑いの表情だった。普通ならおかしいと思う理由。それは彼女も例外ではなかったようだ。

「はあ……。もう一杯飲んだら帰った方がいいと思いますよ」

 終電には時間がある。そう言うが、返事をせずに一杯のお酒をコトリ、と男の前に置く。

「どうぞ」

 男は目の前に置かれた飲み物を二度見する。そして、一体何かを尋ねる。

「なにって、お酒ですよ」

 男は恐る恐るグラスを手に取る。透明なグラスから透けた真っ黒な飲み物をまじまじと見つめる。

「飲んでみてください。少し苦いお酒、飲みませんか?」

「……」

 男は今の言葉に違和感を覚えるが、それよりも真っ黒な飲み物に意識がいく。コーヒーやコーラなど目ではない、まるでダークマターのような飲み物に。周りの光を全てのみこむような黒に意識が持っていかれているのだ。

 しかし、先ほどまでの料理の味から、彼女の腕、味覚を信頼している。男は恐る恐るグラスに口をつけた。

 男は驚く。意外にもおいしいお酒であることと、苦みがないことを。

 男は飲みながら、なんとなく尋ねる。

「……名前、ですか。そういえば、なんでしたっけ」

 次も飲みたいと思える美味しいお酒だ。ぜひ購入したい。

 ふと、男の意識が遠ざかる。と思いきやまた意識が戻ってきて、また遠ざかる。まるで波のように。

「……え? 度数、ですか? 高くないですよ。今まであなたが飲んでいたものよりも」

 そんな馬鹿な話があるのか。男は酒に弱くはなかった。むしろ強い。なのに、グラス半分ほどでこの意識のふらつき。……いや、よく考えると、普段の酔った時と少し違う。意識が遠ざかるというよりは、どこかへ引きずり込まれていくような。

 男がカウンターに突っ伏したと同時に、女が口にする。

「私お手製ですからね。名前……「NIGHTMARE」なんて、ピッタリだと思います」

 口元を醜く歪めながらの女の言葉は、男の耳に届かなかった。


 男は、夜の街中に立っていた。きょろきょろと辺りを見回すが、そこはお店の中ではない。

「……?」

 時間を確認すると、『23時58分55秒』。とりあえず歩き出す男。

 ボーッとしながらほんの少しの距離を歩くと、誰かにぶつかる。謝罪をしながら向き合うと、

「こんばんは。さようなら」

 それは、先ほどの店の女だった。真っ黒なパンツスーツに、真っ黒なシャツが胸元に覗いていて。事態を飲み込む前に、男の耳に誰かの叫びが聞こえる。

「危ない!!」

 男はのんびりと空を見上げる。するとビルに付けられている巨大な看板が落下してくる。

 不思議と体が動かない。酔っているからだろうか? どんどん男に迫って来る。徐々に、徐々に。

男は視線を背けて、女の顔を見る。女は笑顔だった。

 一瞬、ゴオと重いものが風を切る音を立てて。バゴン! と重い音が辺りに響いた。

「うわああああああ!」

「きゃああああああ!」

 辺りを埋め尽くす悲鳴。それも当然である。声を上げていないのはただ一人、男だけだ。

「……」

 男は、看板を見つめる。いや、看板から飛び出ている腕を、脚を、血を。

「……う」

 下敷きになったのは、女だった。

「うわああああああ!」

 一瞬遅れて、男は叫んだ。





『第2章悪夢』



『願いが叶うなら、何をしたい?』

『……』

『ふうん。それって、最低な願いね。でも、人間らしくて好きよ』

『……』

『いいわ、叶えてあげる。さあ、誰に魔法がかかるのかしら』




「!」

「目が覚めましたか。おはようございます。」

 男が体を跳ねさせると、女と目が合う。

「……?」

「え? 私が死んだ? ……問題なく見ることができたようですね。」

「……!」

「あれが何か知っているだろう、って。当たり前じゃないですか。教える気はないですけど」

「……」

 男は腕時計を一瞥し、時間に余裕があることから、とんでもないことを言う。

「……」

「……は? もう一杯欲しい?」

 ここで初めて素の表情をあらわにする女。今までの疑いの表情も、醜く歪んだ顔も、巣の表情ではなかったのだ。

「もしかして、そういう趣味の人ですか?」

 首を振って否定する男。そして、理由を口にする。

「もし、あの看板から私を助けることが出来たら……?」

 女は男が何を言っているのか心の底から分からなかった。ただ、まっすぐに見つめてくるその瞳を見ていると、自然ともう一杯同じ酒を作ってしまっていた。

「どうぞ」

 もう一度飲み物を渡すときには無表情な女。男はグラスを手に取り、一気に流し込んだ。すると、先ほどまでと違い、一気に意識が引きずり込まれる。

「……1分。お願いします」

 その声は先ほどと違って、確かに男の耳に届いた。


 ボーっとした頭だが、先ほどとは違ってすぐに意識を切り替える男。そしてすぐ先にいる女を見つけ、駆け寄る。

「! なんで、同じ人が」

 そんなつぶやきを無視して、男は女の腕を掴み、その場から離れる。ほんの一瞬あとに、誰かの「あぶない!」という叫び声が響き、さらに一瞬あとにバゴン! という音が鳴る。

「危ないなあ。誰か下にいたら死んでいたぞ」

 その言葉に男が安心する。そして、腕を掴んでいる女に向き合う男。

「……」

「これで安心だ、って……馬鹿ですね」

「?」

 女の表情は、男をすくませた。

「悪夢の始まりですよ」

 顔一杯の恐怖の色で。

 瞬間、パアアアアアア! とクラクションの音が響き渡る。そして。

「!!」

 女の体が、消し飛んでいた。男が掴んでいた、腕から先を残して。

 関節の部分でカクンと曲がっている腕。腕の断面から地面に流れている赤い液体。あまりの驚きと、腕そのものの重さに腕から手を離す男。

 バクバクと心臓が暴れまわっている音が体で感じられる。

 そしてまた意識が遠ざかり始める。最後に見たものは、壁に衝突している車と壁の間でつぶれている女だった。


『……』

『本当に叶えられるのかって、当たり前でしょう』

『……』

『信じられないし、叶ったとしたらそれは偶然? 散々な言いようね。まあでも、その気持ちは分かるわ。でももし』

『?』

『もし私が、人間じゃなかったら?』


「……おはようございます」

「……」

「もう一杯、って。お時間はよろしいのですか?」

 その言葉でチラリと腕時計を一瞥する男。しかし、時間は1分も経っていないのだ。

「分かりましたよ。どうぞ」

 呆れたような口ぶりで、女は真っ黒な液体を男に渡す。男はそれをカウンターに置こうとしている女の手から奪うように取り、飲み干す。

「せっかちですね……誰も取りませんよ」

 呆れたような女の声と一緒に意識を引きずられる。


 男は歩き出す。女を見つけ、腕を掴む。

「ちょっと、あまり引っ張らないでください」

 その言葉を無視して小走りでその場から離れる。すると大分後ろの方でバゴン! という音が聞こえる。

 そのまま目的地のない移動を続ける。すると、パアアア! とクラクションの音が響く。同時に、男は女の腕を引き寄せて抱く。すると、目の前を高速で車が通り過ぎる。

「きゃああ!」

「危ないな!」

「けが人はいないみたいだからいいものを」

 その言葉に安堵する男。腕の中の女は震えていた。

「また死ぬんです。何度でも、何度でも」

 男が慰めの言葉を掛けようとすると、目の前の女の頭に何かが命中する。それは女の頬を貫通した。

「――!」

 鼻、耳から血を流し、一歩遅れて流れる目からの血と半開きの口からの血。

「強盗犯が弾丸を放った! けが人はーーー」

 腕の中に女を抱えた状態で固まっていた男の意識が薄れていく。


『私の正体は、死神』

『……!』

『警戒しなくてもいいのよ。ただ、あなたの望みは確実に叶えるから』

『?』

『なぜ……って、そうね。死神は、人の魂をあの世へもっていくことができるの。不思議な話だと思うだろうけど』

『……』

『そうじゃなくて、なぜ自分の望みをかなえてくれるのか、って。それは、私が優しいから、ってことで納得して頂戴』


「おはようございます」

 男が体をゆっくりと起こす。女が男を見下ろす視線は冷たい。

「そろそろ酔いもさめたんじゃないですか?」

「……」

「むしろ酔ってきた? ……へえ、それなら、あなたの終電まで付き合いますよ」

 言いながら、すでに用意されていたのであろう真っ黒な酒を男の前に置く。

「……? あれ、飲まないのですか?」

 ぼーっと真っ黒な酒を眺めていた男だったが、女の声でハッと意識を戻し、酒を飲む。先ほどまでと違って、グラス半分ほどを残して。

「そろそろ怖気づいたのでしょうか」

 女の全く見当はずれな言葉は、男の耳に届かなかった。


 夜の街中。男は行動を始める。

 まずは目と鼻の先にいる女の腕をつかみ、先ほどと逆の方向へ引っ張る。

「まだ、やるのですね」

 男はそのつぶやきを無視して歩き続ける。後ろの方で聞こえる重たい音。

「どうして、ですか?」

 男はまたもや無視する。無視する、というより、女の声が小さくて聞こえないのだ。響くクラクションの音。男は女を抱き寄せて目の前を通り過ぎる車を確認し、次は女を突き飛ばす。すると、一瞬あとに男と女の間を高速な何かが通り抜ける。

 男が危機を通り抜けて安心、もつかの間。誰かが女に突進する。

「!」

 男が女に手を伸ばす、が、それは空を切った。

「!?」

 女と突進してきた人間は、地面に吸い込まれた。そこには大きな排水溝があった。本来あるはずの金属製の梯子状のふたはなぜか取り外されていた。

 そこを覗き込むと、遥か下の方で、二人の人間が血をまき散らして死んでいた。その様子を確認したと同時に意識が遠のいていく。


『それじゃあ、最終確認ね。あなたはさっきの最低な願いをかなえてほしいということでいいのよね?』

『……』

『間違いない、っと。それじゃあ、間違いなく実行しておくから。あなたが苦しんでいる時にこのことを思い出して気を楽にでもしなさい。それがあなたの目的なんだから』

『……!』

『何よ、変な顔して』

『……』

『取り消し? そんなこと許さないわよ』



「……」

 女は何も言わずに、起き上がった男を見つめる。

「そろそろ、限界ですか?」

「?」

「何が、って、何度も人が死ぬのを見ることが」

「……」

「お手洗いですか。どうぞ、行ってきてください」

 男は立ち上がり、トイレに入る。少し薄暗い空間の鏡で、男は自分の顔を見つめる。随分ひどい顔をしている。入店してきたときのワクワクした表情と違い、酔っているおかげで頬は赤らんでいるものの、げっそりとした表情、まるで覇気、生気が感じられない。これではいけない、と顔を冷水で洗い、顔だけでなく気を引き締める。

 戻って来ると、女は淡々ともう一杯の真っ黒な酒を用意していた。

「戻ってきましたね。飲みますか?」

「(コクリ)」

 男は迷わず頷いて、椅子に座る。それと同時に目の前に出された飲み物を飲み干す。

「もうそろそろ、私も辛いです……」

 男の耳に届いた声から逃げるように、男は意識を奪われる。


 動き出す男。腕をつかみその場から離れる。先ほど学習した。どの方向へ逃げても車はやって来るし、強盗が弾丸を放つ。まるで、彼女を殺すように。

 後ろで聞こえる重たい音。男は更に走る。すると、道路からこちらへいきなり曲がる車。クラクションの音が鳴る前に女を引き寄せ、車が通り過ぎたのと同時に突き飛ばす。そして目の前を何かが通り過ぎたのと同時に女に向かって突進してくる何かを蹴り飛ばす。

「ウグ!」

 何者かが倒れる。倒れたのは小太りの学生服の男だ。学生が呟く。

「自殺も失敗するなんて」

 なるほど、ほかの人間を巻き込んで死のうとしたらしい。なんとも迷惑な話だが、迷惑と感じる以上に憤りを感じた男が言葉を発しようとすると、

「君を僕のものにしたい」

 そんな声が聞こえた。振り返ると、女が大きなナイフで刺されていた。やけに冷静な頭で女を刺しているナイフに意識が集中する。刺している人間の腕に付けられたデジタル式の腕時計には『23時59分25秒』。

「ククク……あはははははははは!!」

 刺したのは自分と同じようなサラリーマンに見える。サラリーマンは狂ったように笑う。女が血を吐きながら、腹部から血を垂れ流しながら、膝をつき……頬には一筋の涙が流れていた。笑い声、今見ている女の姿。すべてがごちゃ混ぜになって頭が回らなくなって……。そこで男の意識が薄れる。


『取り消しは諦めて頂戴』

『……』

『……あら、まだ何かあるのかしら?』

『…….』

『え、救済措置が欲しい?』

『(コクリ)』

『ふふふ……あはははは!』


「気分はどうですか?」

「……」

「最悪、って、そうですよね」

 女が苦笑する。男は机を乱暴に叩く。空になったグラスが跳ねた。

「……もう一杯、飲みますか?」

「(コクリ)」

 男が頷いたのを確認して男の前にグラスを置く。男は力強くグラスを掴み、飲み物を嚥下していく。初めて目の前に出された時の反応からは想像できないような飲みっぷりだ。

「……最悪なのは、私もですよ」

 男の耳に届かないその言葉は、女の心の底からの本音であった。


 もはや見慣れた夜の街並み。男は女の腕を掴んでその場から動かし始める。

 ふと、気になったことがあって男は尋ねる。

「……?」

「え、自分で動かないのか、ですか?」

「(コクリ)」

 後方で聞こえる重たい音。そしてすぐ後にやって来る車の接近する音。男が女を抱き寄せると、ささやかれる。

「動けないんですよ」

「……?」

 言葉の真意を尋ねる前に、女を突き飛ばし、目の前を何かが通り過ぎた後に、突進してくる学生を蹴り飛ばす。

 そしてすぐ女の傍に立ち、目の前に現れたサラリーマンと対峙する。男は腕時計を外す。

「その人は僕のものだ……その人に近寄るな!」

 サラリーマンはナイフをこちらに振りかざしてくる。男は恐怖で一瞬固まった後、突進してくるサラリーマンに向かって腕時計を投げつける。それは顔に当たって、サラリーマンの動きを一瞬止めた。そこを見逃さずにサラリーマンを蹴りとばす男。サラリーマンは地面に大の字に倒れた。

 一息ついた男が女の方へ振り返ると、そこには。

「!」

 女を取り囲むようにうっすらと漂う真っ白な煙。女はそれを吸い込んでしまったようで、その場に倒れる。どうやら毒ガスだったらしい。女は失禁をし、口から血を流しながら全身を痙攣させている。

 男は薄れていく意識の中で女の傍に転がっている野球ボールほどの球を見つける。白い煙は球からとめどなく漏れていた。


『……?』

『なんで笑うのか? って、ごめんなさいね。理由が分からないわよね。実は、あなたと同じような人が今までにいたのよ。救済措置をくれって』

『……?』

『救済措置が認められないのか? ううん、そういうことじゃないわよ。私が笑ったのは、それが全て無駄だったからよ。あー、おっかしい。なんとなく罪悪感が浮かんで、それを紛らわすために救済措置を要求するけど、結局苦しい思いをしているのは自分じゃないから見捨てる。今まで何人も見てきたわよ』

『……!』

『へえ、自分は違うって言いきるんだ。それなら、頑張ってね。そういう人間も何人も見てきたけど』


 起き上がった男を苦しそうな表情で見つめる女。

「……」

「あの飲み物は、もうあげません」

「!?」

「なんで、って……わかるでしょう。何度も人を死なせておいて」

 女は顔を真っ青にして、立っているのも辛そうな表情だ。それでも男は引かずに飲み物を要求すると、女はチラリと壁にかかっている時計を一瞥する。

「……私のためにも、あなたのためにも、少し休憩しましょう。10分もいらないので」

「(コクリ)」

 男が頷いたのを確認して、女が飲み物を口にした。



『第3章死と苦しみ』



「ふう……。あなたも、要りますか?」

「(コクリ)」

 男が頷いたのを確認して女が男の前に烏龍茶を置く。男は一口飲むと、案外喉が渇いていたことに気が付き、グラスの中身を一気に飲み干していく。

「疲れました。まさか最後の最後にこんな目に遭うなんて」

「……?」

「そうですね、ここまで来たら話しましょうか。実は私、死神と契約したんですよ」

「!」

 男が動揺する。だが、男が死神を知っているということは、女は既に知っていた。

「私のお店の前にある看板。あれ、死神がくれたんですよ。死神に関わったことのある人だけが、頭の中に言葉が浮かぶそうですよ。あなた以外にも何人もの人が、看板を見ただけで文字が浮かんできた、って言っていましたよ」

 要するに、死神を知っているかどうかをふるいにかけているということだろう。問題は。

「……?」

「なぜふるいにかけているのか、ですか。それは私を助けてもらうためですよ」

「……」

「その通りです。あの悪夢から私を助けてもらいたいんですよ」

 女は汗で濡れている額にタオルを当てる。整っている顔立ちに少し汗がにじんだ前髪、熱っぽい吐息が女をやけに色っぽく見せる。

「何人もの人にあのお酒を飲ませて、そして救ってもらおうとしたんです。ただ、どの人も駄目なんですよ」

 女は時折喉を潤しながら話を続ける。男は黙って女の話に耳を傾ける。

「一度私が死ぬのを見たら、もう二度とあのお酒には手を出しません。今まで2度目に手を出したのはあなただけです。ひどい人は、その場で倒れてしまいましたから」

「……?」

「ああ、その人は無事でしたよ。恐らく、死神がなにかしてくれたのでは? まだあの世へ送るべき魂ではなかった、みたいな。まあ、どうでもいいんですけど」

 やけにドライな対応というべきか。ぱっと見の年齢は大学生と言われても納得できるほどの若さがある。男はなぜ女がそこまで達観しているのかを尋ねる。

「そうですね、おっしゃる通り私の年齢は高齢ではなく……言ってしまうと、23歳ですよ」

 やはり男の推測通り達観するには少し早い年齢だ。では、なぜ?

「私が、死ぬからですよ。今日」

「!?」

 男が驚愕する。話を続ける女。

「一応助かる条件はあるんですよ。それは、私があの中で1分間生き残ること」

 女は溜息を吐く。男は突然奇妙な質問をする。

「は? え、まあ、ありますけど」

「……」

「いいですよ。どうぞ」

 男は女から紙とペンを受け取る。男は紙にひたすらに書いていく。女は気にしていないそぶりを見せながらもチラチラと書き込んでいる内容に目を向ける。

 男は3分ほどで書き上げ、女に見せる。

「……へえ、面白いですね」

 紙には今までの殺人の方法が書いてあった。それに加えて、時間間隔も。

「5秒に1回ですか。なるほど、これなら私は最低でもあと6回。逆に言えば運が良ければ6回死んだだけで助かる、というわけですか」

「(コクリ)」

 男が頷く。女は微笑み、紙を真っ二つに破いた。

「!?」

「ふざけないでください。あなた、馬鹿じゃないんですか?」

 女は憤りを男にぶつけ始める。

「死ぬんですよ!? 私は、何度も! 何か勘違いしているのかもしれませんが、痛みはあります! 潰されたり車に轢れるのは痛みが一瞬だからまだ精神を保てます。弾丸に撃ち抜かれた後私が死ぬまでの間、誰かの自殺に巻き込まれて死ぬまでの間、ストーカーに刺されて、毒薬を吸わされて、……! あなたに私の恐怖心が分かりますか!?」

 男は女の感情の爆発に驚く。女は今まで感情を抑えていたのだろう。

「私はあの悪夢のなかでは動けない! 誰かが触れてくれてようやく動けるんです! 恐怖心とか関係なく、まるで見えない鎖につながれているような! まるで、金縛りにあっているような! その中で迫りくる死に対していつまでも精神を保てと!? ふざけないでください! そして、どうせ無理だと分かったら見捨てるつもりでしょう! 当然ですよね、あなたは苦しくないんですから!!」

 女は「はあ、はあ、」と息を荒げながら男に詰め寄る。男は、驚きはしたものの、そのすべてを受け止めた。

「……帰ってください。私は死にます。怖いですけど、1度で済む。あと6回以上も死ぬよりもましです」

 それでは君が死ぬまでの間、俺はここでゆっくりするよ。男は言う。

「それなら、お好きにどうぞ」

 女は冷静さを取り戻した様子で、食器を洗い始める。

 男はのんびりと話を始める。

「……?」

「家族、ですか。いますよ。一人っ子ですけど」

「……?」

「ペット、ですか? 飼ったことないです」

 男は咳ばらいを一つして、これは俺の個人的な主観だが、と前置きをして話し始める。

「……?」

「死ぬことに対しての恐怖は、痛みですよ」

「……?」

「ほかの人が死ぬことに対しての恐怖、ですか。考えたことはないですけど、想像は付きます。いなくなること、ですよね」

 その通り、と答えて、男は自分の話を始める。

 男は家が貧乏だったわけでもお金持ちであったわけでもない。兄弟がいて、両親がいて、ペットの猫がいた。平和の日々を過ごしていた男だったが、ある日朝起きたら、姉妹から宣言される。

『車に轢かれて猫が死んだ』

 と。

 男は悲しくなかった。涙のひとかけらも出ず、猫の葬式にもいかなかった。強がりではなく、本当に辛くもなんともなかった。

 それから1週間ほど経って。突然、涙が出始める。子供の頃から物静かだった男が、突然泣き始めたのだ。悲しい気持ちは日に日に増していく。辛い、会いたい、会いたい。ついには声を上げて泣き始める。胸が苦しい。きゅっと締まるような苦しさ、それと胸にぽっかりと穴が空いたような、虚脱感。

「…………」

 女は黙って話を聞く。男は少し寂しそうな表情を浮かべながら話を続ける。

 人間というのは不思議なもので、それの代替を探し始める。男は新しい猫を飼おうと親に言った。親は否定も肯定もしなかった。ただ、男の話を聞いていた。少し気が楽になった男だったが、やはり、どこか苦しい。その時、気が付いた。

 ―――死とはここまで苦しいものなのか。

「…………」

 死で苦しいのは勿論、本人の痛みもそうだろう。ただ、遺された者たちの苦しみも計り知れない。

 猫の名前を呼んでも、返事はない。あの柔らかな毛並みも、触れない。家の中を歩き回る姿は、もう、二度と帰ってこない。

 男は結局1か月ほど強烈な苦しみを味わい、1年から2年ほどは猫のことを思い出して、場所、時間関係なく涙を流した。

 話しながら、目に涙が溜まっていた男。男は、最後にこれは俺の考えだが、と前置きして話す。

 死で最も恐ろしいのは、死んだ者のリアクションが一切なくなることだ。

「…………」

 店の中に静寂が訪れる。男も女も何も話さない。自然光を模したオレンジ色の光がやけに悲し気に二人を映す。

 大分、時間が経った。カチャカチャと食器を洗う音が止み、女が話し出す。

「私、自分が死ぬ辛さしか考えませんでした」

 男は黙って話の続きを聞く。

「正直、ただの説得なら追い返していました。でも、あなたは味わったことがあるんですね?」

「(コクリ)」

「……聞かなくても、その目じりの涙が証拠ですよね」

 女は微笑む。男は気恥ずかしくなって腕で涙を拭う。

「あなたは、知っている。誰かが死んだときの苦しみと悲しみを。私は今までも自分のことしか考えてきませんでした。自分が苦しい思いをしている時に、死神に出会ってしまった。それの罰なのかもしれませんね」

 女は吹っ切れた表情でグラスを用意し、そこに真っ黒な液体を注ぐ。

「まだ時間があります。お願い、できますか?」

 女のすがるような表情。男は返事の代わりに、飲み物を一気に飲み干す。

「……ありがとうございます」

 女の小さな、本当に小さな声。男はその言葉に押されるように悪夢の中へ飛び込んでいった。


 男は早速女の下へ走る。女の腕をつかみ、運び始める。

「あなたに触れている時だけ、動けるんです」

「(コクリ)」

 男はうなずいて、その場から離れる。後方で響く重たい音。男はこちらにやって来る車を見切り、女を抱き寄せる。

「信じてます」

 女のこちらを見ない照れた言い方に男はやる気を取り戻す。男は女を突き飛ばし、弾丸が通り過ぎたのを確認して女に走り寄って来る学生を蹴り飛ばす。そのまま女の下へ戻り、目の前に現れたサラリーマンと対峙する。男は腕時計を外してサラリーマンに投げつける。サラリーマンに当たった事を確認して、女の腕を掴んで走り出し、サラリーマンを蹴とばす。そのまま走り続ける。

「毒薬は回避できました」

 女の報告を聞いて息を吐く男。次は5秒後。男は絶えず辺りを警戒する。周りだけではなく、真上にも。すると、空中に張られていた電線が突然切れたのを確認する。

「!」

 男は女を抱き寄せ、そのままその場から離れる。すると、ちょうど女がいた場所を振り子のように通り過ぎていく電線。

男は初めて、一度で女を救うことに成功した。





『第4章壊れる』



『へえ。そこまで頑張る人間だったなんて、思いもしなかったわ。でもね、私の趣味のためにも、簡単に悪夢は終わらせないわ』 


 男は気を抜かずに辺りを警戒する。周囲、上空には何も異常はない。そう考えた瞬間、何の前触れもなく男と女の足元が裂けていく。

「「!!」」

二人して驚く。横幅は男の両腕を水平に伸ばしたほどの長さ、縦の長さは歩道を沿ってどこまでも続いていた。二人は為すすべなく吸い込まれていく。男はそこで意識を失う。


「おはようございます」

 相変わらずの無表情。ただ、その表情はどこか嬉しそうだ。

「さ、もう一杯どうぞ」

 少し朗らかな雰囲気を醸し出しながら真っ黒な飲み物を手渡す女。男はそのギャップに苦笑しながら受け取り、一気に飲み干した。


 電線を避けて、二人は再び地割れに立ち向かう。地面が裂ける前からある程度走っておく。そして地面が裂けたと同時に横に飛ぶ。誤って歩道に沿うように飛ばないように、できるだけ歩道に対して垂直に飛ぶ。

 何とか地割れを避けることができたのもつかの間、突然炎の柱が目の前に現れる。

後ろに逃げようとするものの、後ろからも、右からも左からも、四方を天まで届きそうな炎の柱で囲まれていた。

 どうすることもできずにその場に立ち尽くす二人。すると、目の前から突然炎の柱が消える。

「?」

 二人が首を傾げながら歩き始めた瞬間、ビュウ! と強く、高い音が鳴る。それと同時に女の体に異変が生じる。右腕が、切れた。

「ああああああ!」

 女の悲鳴。次々と体が切れていく。まるで、刃物に斬りつけられるように。男は見た。女がまるで洗車用のブラシのように迫って来る竜巻にズタズタにされていくのを。


『もう少し、もう少し』


「おはようございます、どうぞ」

「(コクリ)」

 二人は焦り始めているようだ。それもそのはず、今日の終わりはあと1時間ほど。


 電線をよけ、二人は地割れに備えて走る。だが、

「「!?」」

 突然、ゴウ! と炎の柱が現れる。炎の柱は暗い街中を一気に照らしていく。いきなり止まることができず、二人は炎の柱へ触れてしまう。男はすぐに後ろに戻る。少し扱った程度で済んでいる。だが、女は。

 「!!」

 掴んでいたはずの腕が、ない。炎の柱が消え、その場には灰だけが残っていた。


『そろそろ、壊れるかしら』


 何度も二人は挑んだ。電線までは避けることができる。だが、そこからが問題だった。突然の地割れ、かと思えば炎の柱、はたまた竜巻。その3種類がランダムに襲ってくる。対応のしようがない。

 それでも二人は悪夢に挑み続ける。


『人間の壊れていく姿。非常に満たされるわ』


 女は、竜巻によって肉片になる。


『精神がどんどん削れていく』


 女は、地割れの闇の中に吸い込まれていく。


『感覚が狂う』


 男の集中力も途切れ、電線にたどり着く前に女を殺してしまう。


『人間には欲求があるもの。大小関係なく。私はそれをかなえる神様みたいなものね。あなた達が普段神頼みしているのは私』


 男が転んでしまい、女は看板に押しつぶされ、コンクリートを血で染め上げる。


『普段から厳しく正確さを要求された建設の作業員は、適当な仕事がしたいと願った』


 男が抱き寄せるタイミングを誤って、女を車にさらわれてしまう。女は腕や足を四散させる。


『スピードを快楽に感じる男は、全速力の車に乗りたいと願った』


 女を抱き寄せ、引き離すタイミングが遅れて、女の頬から頬を貫通させてしまう。


『誠実な人間は、一度でいいから悪いことをしたい。拳銃を使って人を殺してみたいと願った』


 突き放した女を迫る学生から守れず、女は学生と一緒に排水溝の奥深くで、まるで地面に落下したザクロのように血をまき散らした。


『いじめられていた学生は、せめて美女と一緒に自殺をしたいと願った』


 腕時計が命中せず、蹴りも空を切り、ストーカーが女を串刺しにする。


『美女に一目惚れしたストーカー気質の男は、殺して自分のものにしたいと願った』


 毒ガスの範囲を見誤って、女は毒ガスを吸い込んでしまう。


『とある科学者は、自分の科学力のすごさを知らしめたかった。自分の作った兵器で人を殺したいと願った』




『なんだかんだ、人っていうのは弱いもの。私から見れば、精神力が強いと言われている人間でも弱く見えている。アリの中で力が強いと言われても、人間からしたら脅威ではないのと一緒』

『その、人間が壊れていく姿を観察するのが、私の趣味』




「……おはよう、ございます」

 男は何も言わずに、女から飲み物を受け取る。

 そしてそれを口に含もうとした瞬間、ぽろぽろと涙をこぼし始める。腕で拭っても収まらず、ついには顔を歪めて泣き始める。

「……!」

「……え、悪夢があなたのせい、ってどういうことですか?」

 女は驚愕し、男のしゃくりあげながらの懺悔に耳を傾ける。

 男はちょうど1年ほど前に深夜の町を歩いていた。その日も上司に怒られて気が滅入っている時だった。突然、その場に倒れてしまった。

 次の瞬間目を覚ますと、真っ黒な空間だった。そこで全身をフード付きのコートで隠し、手には大きな鎌を持った、まさに『死神』に出会ったのだ。

『あなたの願いは何?』

 願いなんてなかった。ただ、いきなり頭がぼーっとし、口から勝手に声が漏れた。

『へえ、誰かに何度も死ぬような思いをしてほしい? それって、最低の願いね』 

 男はそんなことを願っていなかった。口が勝手に動いてしまったのだ。それから最終確認まで頭はぼーっとしたままだった。

 最終確認を終えると、自分の口走ったことに気づき、悪魔に取り消しを頼む。だが、許されなかった。

 男は命の大切さを人一倍知っているつもりだった。だから、どうしてもと頼み込んだ。しかし、許されない。なら、それなら。

『救済措置? ふふ』

『そんなことを言う人間何人も見たわ』

だが、男の覚悟は違った。男はどうしてもその落とし前を着けたいのだ。

 そして、その時から今日まで。ずっと苦しい思いをしてきた。誰かが何度も死んでいるのだと思うと、どうしても仕事に手がつかなくなった。そして、今日。なぜか調子が良く、良いことが重なった。そしてカフェで女に出会い、死神について話され、気づく。彼女が、俺の被害者だ、と。

「……だから、私のことを見捨てなかったんですね」

「(コクリ)」

 男は泣きながら謝罪を続ける。俺のせいで、誰かが死んでしまう。俺のせいで、誰かが苦しむ。ただただ自責の念にとらわれて謝罪を続ける。

 女は男の傍にやって来る。男はどんな罵倒も覚悟していた。

 女は、男の両頬を手の平で包み込み、自分の目線と合わす。痛々しく泣きはらしている男の顔を見て、微笑んだ。

「私も願ったんですよ。最悪なことを。でも、あなたと私は決定的に違う。それは、被害に遭っている人のことを考えているか、自分のことだけを考えているか」

 女はまっすぐに男の瞳を見つめる。

「あなたのおかげで、私は今、生きようと思えている。泣き止んでください。そして、わたしを助けてください」

 こんな最低な俺を、

「……?」

「ええ、許します」

 こんな最低な俺でもあなたを、

「……?」

「あなたでも、……いえ、気恥ずかしいですけど、あなたに、私を助けてほしいのです」

 ジワリ、と、男の頬を伝って涙が零れる。とめどない涙が、女の両手を濡らしていく。女は不思議と男が愛おしくなって、男の頭を抱きしめる。

「頑張りましょう。私と、あなたが助かるのなら、私は何度でも死ねます」

「……!」

 ぶわっと涙があふれる。しばらくの間、二人は抱き合っていた。




『……壊しきれなかった、かしら。あれだけやって壊しきれないのは少し予想外ね』


『最終章 夜明け』



 男は再び悪夢に入り、電線まで避ける。その場にとどまり、何がやってきてもいいように構える。

 現れたのは、竜巻だ。女の腕を切り裂く。だが、傷はかなり浅い。男が女を抱き寄せたからだ。そのまま小走りで竜巻と反対方向に走る。すると、地面が割れる。男は女と一緒に飛んで、地割れを回避する。そして着地すると同時にその場にとどまる。そして、炎の柱が現れる。二人は動かずに炎の柱が消えるのを待つ。そして、炎が消えた。


『それじゃあ、刈っちゃいましょう』


 突然、大きな鎌が現れる。それは女の首を狙って一直線に空中を滑る。

「!!」

 奇妙なことに、男はこれまでの殺人によって超人的な反射神経を得ていたらしい。難なく女の頭を掴んで思いっきり屈ませる。鎌は男の腕を少し切り裂いて空中に消えて行った。


『あ、あらら。これは少し予想外だったわ。私のやってきたことのせいで、超人にさせた……? 壊れかけのところから立ち直ることで超人的な成長を……? 分からない、わからないわ』


『……考えても仕方ないわね、あの女は確実に死ぬんだから』


 それを避けて、5秒。『00時00分00秒』。女が何の前触れもなく、突然倒れた。

「!?」

 男は何もわからないまま。現実に戻された。


「おはようございます」

「……?」

 男は起き上がると同時に、何が起きたのか尋ねる。女は言う。

「心臓に何かされたんでしょう。心臓に違和感がおきたのと同時に一瞬で殺されました」

「!!」

 男は頭を抱えた。腕時計を見る。あと数回しか挑戦できない。

「……ふふ」

 女はこんな異常な状態で微笑んでいた。男はどうしたのかと尋ねる。

「え? だって、何とかしてくれる人が隣にいますから」

 女は男の腕に抱き付く。

「絶対、大丈夫ですよ」

 男はしばし呆然とした後、ふっと口角を持ち上げて、真っ黒な飲み物を飲み干した。


『何度やっても無駄よ』


 女が地面に膝をつく。苦しそうな表情はない。


『心臓が動いている限り、死ぬのよ』


 女が、倒れる。血も流さず、突然に。


『これで、終わり』


 女が、呼吸を止める。穏やかな表情で。


『私は死神だから。殺すわ』


 女が、死ぬ。





















































「これが、時間的に最後ですね」

 男はこれが最後なんて信じられなかった。今までの努力がこれで摘み取られるとは、信じられなかった。

 それでも、女が微笑む。

「プレッシャーになっているのならすみません。それでも、信じています」

 すると、男も微笑んでしまう。男も、なんとかなると信じてしまう。

 男は、最後のグラスに手を掛ける。グラスに口を付けて、喉仏を上下させながら、『NIGHTMARE』を飲み干した。


 男は看板から女を遠ざけながら考える。

「思えば、なんて長い一日だっただろう。」

 女を抱き寄せ、車から守る。

「なんて、辛い一日だっただろう。」

 女を同じ極の磁石のように突き放し、弾丸を避ける。

「なんて、苦しい一日だっただろう。」

 女にやって来る学生を蹴り飛ばす。

「それでも、この充実感は何だろう。」

 女を襲うサラリーマンを倒す。

「この人がいなくなってしまうことが、苦しい。」

 女を連れてその場から離れ、毒ガスから守る。

「これは、飼っていた猫が死んだ時と似た苦しさだ。」

 女を抱き寄せて、電線から遠ざける。

「赤の他人が死んでも苦しくない。」

 軽く駆けて、地面が割れると同時に飛ぶ。

「じゃあ、なんでこの人が死ぬことが苦しい?」

 襲い来る炎の柱を睨みつけ、消えるまで待つ。

「決まっている。」

 竜巻が襲い掛かる。女の腕を引いて、その場から遠ざける。

「この人は、他人じゃないんだ。」

 鎌が襲い掛かって来る。女を屈ませて、避ける。

「じゃあ、どういう人なのかって。」

 男が、女を立ち上がらせ、瞳を見つめる。

「決まってる。」

 5、

 見つめてくる男に対して、女が首をかしげる。

 4、

 女が照れたように笑う。

 3、

 男が口を開く。

 2、

「好きです。」

 1、

 男が、女の唇を自分の唇で塞ぐ。

「この人は、俺の愛する人だ。」

 ―――――0







































 男が目を覚ます。やけにふらつく頭。それもそのはず、度数が低いとはいえ『NIGHTMARE』はお酒。さらに何度も人が死ぬという『悪夢』が終わったのだ。緊張が弛緩して体が疲労を訴えているのだろう。

 模したものではない、本物の太陽の光が照らす狭い店内。恐らくそのまま眠ってしまったのだろう。カウンターには一杯のグラス。グラスの壁を垂れていく真っ黒な液体がグラスの底に向かってゆっくりと伝っていく。その一連の流れをボーっと眺める男。そして、ハッとする。

 女はどうなった……? 先ほどまで男の隣にいた女が、いない。まさか、失敗したか……!?

 そんな男の不安を取り除くように、一枚の紙がカウンターの上に鎮座している。男は慌てて手に取り、読み始める。

『まず初めに。あなたのおかげで私の命は助かりました。心からの感謝をいたします』

 他人行儀な文章。その一文字一文字が綺麗に紡がれている。

『私はあなたより先に目が覚めたので、この書置きを書かせてもらいます。初めに直接口で感謝を述べない非礼を許してください。今、あなたに合わせる顔がないのです』

 それは男の告白に関係しているのかと思うと、どうやら違うらしい。

『私は、1年ほど前に最低な願いを死神にしました。それが、あなたを苦しめていたのです』

「?」

 男は訳が分からず、首をかしげる。書置きは続く。

『私は死神に、誰かが苦しむことを願いました。そして、被害者があなただったのです。当時、私は就職活動がうまくいっていませんでした。友達は既に就職先が決まっていて、親とは喧嘩して……そういう時はどうもうまくいかないことが多いみたいです』

 黙って読み進める。

『私は結局自分のことしか考えていなかったんです。だから、わたしより辛い思いを誰かにしてほしかった。だから、あんなことを願ってしまったんです。……懺悔を書いている場合ではないですね。事情を私なりにまとめたので、説明します』

 男は更に読み進める。ところどころ書き間違いが出てきたようで、修正のために塗りつぶされた文字が出始めてきた。

『あなたは優しい人な上に、命の大切さを知っている人ですから、誰かが何度も死ぬなんていう願いをするのは苦しいですよね。そういう願いをするように、私の願いが機能したんです』

 つまり、彼女の誰かが苦しむ思いをしてほしいという願いは、男の誰かが何度も死んでほしいという願いをした原因なのだろう。

 書置きの字がゆがみ始める。

『さらに、その優しさと罪悪感があなたを苦しめてしまったんです。あなたは、私を助けてくれようとした。だから、人が死ぬ瞬間を何度も見ることになってしまった。それが疑似的な死であるとはいえ、あなたは苦しんだはずです』

 それは間違いない。男は1年と今日の悪夢で何度も苦しんだ。

『本当にごめんなさい。私のせいで、あなたは心を壊しかけた。』

 心が壊されかけた。それは間違いない。

書置きの文字がにじんでいる。


『この事実を知ったうえでも、私のことを好きだと言ってくれますか?』


 男は、呟く。

「それでも、好きだ」

 すると、カウンターに突然現れる女。男は驚いて声を上げる。

「!?」

「え、えっと。そろそろ朝なので起こそうかなと思いまして」

「…………?」

 恐る恐る、先ほどのつぶやきを聞いていたのか尋ねる。女は首を縦に振る。

「勿論です」

「――!」

 男は恥ずかしくなって、お金を置き、店から飛び出す。

「ま、待ってください!」

 女が追いかけてくる。外にはすでに朝日が昇っており、細い路地裏にも入って来る陽の光に思わず目を細める。

 思わず立ち止まった男だが、再び走り出そうとする。すると、どうしても足を止めざるを得ない言葉を掛けられる。

「返事、させてもらえますか」

「…………」

 男は黙って振り返り、女と目を合わせる。女はたじろ気ながら視線を何度もさまよわせて、意を決したように男の視線を見つめ返す。

「あの、その……」

「…………」

「……わ、私も」

 女は顔を真っ赤にしながら、半ば叫ぶように言う。

「私もあなたのことが大好きです!」

 そう言い切り、女は太陽に負けないほどの笑顔を男に向けた。





 読んでいただきありがとうございます。紅茶(牛乳味)です。

 それでは早速、書くときに意識したことを述べます。

 まず、今回は少し不思議な雰囲気の作品を書きたいということで執筆を始めました。不思議な雰囲気と言えば、ミステリー......? ということで自分なりのミステリーを書きました。加えて、恐れ多いですか『ミステリー』というタグをこの作品に付けさせていただきました。

 それと、固有名詞をできるだけ取り除きました。女の容姿の描写は書きましたが男の描写は書いていません。想像しやすいように、と言えば聞こえはいいですが、実際は自分の人物描写が拙いので今回は取り除きました。

 続いて執筆した感想ですが、楽しかったです。

 今回は一応曖昧なテーマを決めました。人間の成長といいますか、若干の恐怖要素と言いますか......こう、本当に曖昧なテーマがありました。自分はそれに沿って書くことができたと思っているので、達成感がありましたね。もし読んでいただいた方で『この作品はこれがテーマか』と思っていただければ、それがテーマです。それくらい曖昧です。

 あとは、悩みながら書けたので、完成した作品を読むのが楽しかったです。

 この作品はタイムループの要素があります。なので、なんども同じことを執筆していると、『ちょっとここの描写、くどいな......』とか、『表現が単調だな』とか、意外と悩みどころが多かったです。それをどんどん読みやすいようにしていく工程が楽しかったです。これでもしつこい、とか、単調、と思う人もいると思いますので、ただの自己満足でしかないですが。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。個人的な話と言い訳で申し訳ないですが、最近大学が忙しいうえ、アルバイトもあり、小説のアイディアは浮かばず......スランプの沼に陥っていました。そんな中で、昔から考えてあった短編の小説を投稿しました。もし、この作品を読んでいただいて、楽しい、面白い、などの好意的な印象をもっていただければ、とても嬉しいです。

 これからものんびり頑張っていきますので、見守っていただければと思います。

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