堺到着まで
兵庫関を出た一行は船の上で手に入れた名産を物色していた。目に見える成果はなかったものの、食欲を十分に満たすことができる成果は得ることができた。国の利益には全くもってならないが、今私のわがままに付き合ってくれている船内の皆さんは喜ばすことができるだろう。
味噌、醤油、酒、魚介、食肉などあらゆる食材を手に入れた。めんどくさがり屋である私だが、実は料理はよくするのである。もちろん、趣味とかではなく、節約のためだった。ただそれはきっかけにすぎなかった。
いつの間にか、美食を探求することが私の日課となっていた。檀家の源さんも自分の食事に対する熱意は認めてもらっており、よく「お前は調理師に転職しろ。」と冗談抜きに勧められたことがある。もちろん、私の宗教家としての態度を皮肉ったものであるが。
とにかく、私は料理には多少の熱意をもっており、人に振る舞うのも吝かではない。私の同朋や家臣に振る舞おうと考えている。堺までの間実際暇であった。現代の交通網の感覚のある私にとって、佐東から兵庫の道程は思った以上に時間を費やしたため、書状をしたためるなど必要最低限のことはすでに済ませているのだ。つまり手持ち無沙汰であった。
しかし、料理をしようにも船の上に火があるわけでもなく、ましてやIHのクッキングコンロなどといった簡単に熱源が供給できる便利品はない。なので熱を通さない簡単なものがいいだろう。
手元には鰯などたたきにしやすい魚、兵庫関の坊主からもらった八丁味噌がある。となればあれをつくべきだろう。おそらく、これは喜んでもらえるだろう。もちろん、これはグルメ小説ではないぞ。
「直正、運ぶの手伝ってくれ。」
兵庫関で購入した備前焼に米と茶色の汁、鰯のたたき、生野菜がはいっていた。それを直正に手渡す。それをみて、直正は目を輝かせる。
「ほーう、これは冷や汁ですか。よくこのような料理を知っていましたね。」
直正は口元を拭う。
「ああ、私は麺といっしょに食べていたのですが、船の上ではその調理は難しいので、今回は麦米でよろしく。」
そうこれは冷や汁という愛知県の郷土料理である。愛知特産八丁味噌をベースにした汁物で、米や麺をいれて食べる料理だ。魚やきゅうりなどをいれると一層美味しい。汁に浸かった米を頬張れば、八丁味噌の芳醇な香りが漂い非常に美味なのだ。
「これは、おいしい。」
竜さんの表情が珍しく変わった。なんだかハムスターのようにモキュモキュと米を頬張っている。なんだか小動物みたいで可愛らしい。彼女は美味なものを食べると露骨に表情が変化するらしい。兵庫関でも、美味しそうな焼き魚が売られており、珍しくそれを物欲しそうに見つめていた。それを買ってやると、相好を崩し、必死にそれにかぶりついていたのだ。
「若坊様…。これはなんというお料理で。」
「これは冷や汁という料理。徳川家康などが好んで食べたと言われているのです。」
私は違和感を覚える。いつもならばこういった薀蓄をいうと感触の良い相槌が返ってくるが、今はまさに頭上にはてなマークが伺えるほど、皆首を傾げていた。
「あの~若坊様。徳川家康とは一体如何なる人物なのでしょうか。」
うん、完全にこの世界が徳川家康の出てくる以前の時代であることを忘れていた。別にいったからといって何がある訳でもないが、薀蓄を使えないというのは、どうにも会話の盛り上げ辛い。
「おっとこれは失礼。三河国にいた昔の武将ですよ。み源頼朝の時代にね。」
「これは情けない。私も勉強せねばなりませんね。」
すまない。藤左衛門は悪くないぞ。勉強してもそんなことはどの書物にものっていない。
一行は食事を済ました。皆満足そうな表情を浮かべている。私も作った甲斐があったと思えた。私は満足感や充足感に浸る。
さて、そんなことよりも背後に飯盛山を望む大坂の地が見えてきた。それにしても水の都大坂とはよくいったものである。大坂は淀川と大和川の河口部に位置するが、そこにはたくさんの大小の輪中が点在していた。私のみていたような陸続きの土地ではなく、川によって形成された堀や自然堤防などが多く見受けられる。まさに、自然の要害とでも評価できるその姿は圧巻である。
ちなみに本願寺の立地は地盤のしっかりしている上町台地の上である。ここには古くは難波宮が築かれており、未来には大阪城が築城されるのである。その周辺には幾つかの町が並んでおり、古くから商人や職人といった中世の経済機能を担うものたちが集住していた。それは本願寺が来て以降、著しく発展を見せるが、私の記憶が正しければ、今はまだそれほどでもないだろう。
ところで「信長公記」と呼ばれる信長家臣の著した信長の伝記を知っているだろうか。そこには大坂の経済・商業的重要性が滔々と描かれている。特に大和・淀川の川運及び大坂背後の瀬戸内海、または南海道(四国南)の海運が一点に集まる都市であることに信長は注目していたのだという。淀川は物資の求心地京都と接続する交通網、大和川は大和・南河内と接続する交通網であった。一方瀬戸内海は山口から岡山、香川まで、南海道は薩摩から四国南、紀伊まで、これらの物資が大坂・堺へ運ばれてくるのである。戦国期では大坂、堺が畿内への物資流通の窓口となっている。故に大坂・堺以東の畿内商人は挙って大坂に集結するのである。まさに西国畿内のトップ商人が集結する場所であった。織田信長はこういった大坂の重要性を十分に熟知していたのである。
本願寺がそういった経済システムをなぜ構築できたかは後に改めて高説しよう。とりあえず今は戦国期の大坂は日本全国における経済の中核であったということを知っていただきたい。また現在は経済拠点として未熟なこともあわせての述べておく。本格化するのは永禄2年の本願寺の門跡成―端的にいえば天皇のお墨付きをもらえた寺院―になったときである。
そのすばらしき経済の聖地は後日寄るので、今日はそのまま数キロ先の堺へと向かう。
今まで気がつかなかったが、横に藤左衛門が目を燦然とさせていた。「あれを売って、これを売れば利益は数倍…」と自分が構想するビジネスの設計図をつぶやいているのだ。その姿を見て直正は大声で笑い、「真面目か!!」と藤左衛門の背中を叩く。藤左衛門はいきなり現実に突き返されたので、驚き、ビクりと体が跳ねる。
堺に胸を膨らませているのは、何も藤左衛門だけではない。直正も同様の目的だ。何を隠そう私自身も堺に期待している。ただ、堺は兵庫関以上に行動しづらく、行動しやすい。
戦国期の堺は自治都市としばしば説明されるため、その特性が先行してもう一つの特性はあまり認知されていない。それは「泉南仏国」と呼ばれていたことに由来する特性である。簡単にいうと、夥しい数の宗教施設、それこそ真宗、日蓮、禅宗など宗派を問わない、が存在しているのである。今説明した自治都市という点と宗教施設の集合体という2つの側面を持っている。
自治都市が行動しにくい理由は至って権力的なものを敬遠する傾向があるからである。もちろん、権力の庇護は受けているが基本的には堺北荘・南荘の地縁共同体や会合衆の手によって運営されている。私はあくまでも武田氏の使者的な存在である。そのためどのような反応が待っているかも未知数という点で行動しにくい。ちなみに、思っている以上に堺に関する史料は少なく、現代の研究でもわかっていないことが多い。つまり、私にとっても秘境なのである。データに乏しい。
一方行動しやすい点は間違いなく、堺が宗教施設の集合体という側面を持っていることである。堺には浄土真宗の息がかかった商職人は少なくない。故に協力要請に応じてもらいやすいということである。
堺の寺院は何をやっていたかを紹介しておくと、禅宗であれば中国との貿易のお手伝い、日蓮や真宗はその宗派の寺院の住持がそもそも商人であるため、商売に勤しんでいる。なぜこういった宗派は商業と結びつくかは、自分も研究の経験がある。商人が宗教と結びつく理由は、日蓮も真宗も共通するのであるが、その教線―宗派の広がり―をフル活用して自分の商人としての商圏・経済圏を拡大できるメリット獲得できるのだ。
今回の最大の目的はこの関係を有効に活用してしまおうということである。今回、その商圏を利用できるように取り計らってもらうべく、堺にやってきたのである。また最大ではない目的は会合衆、つまり今井や津田家といった有力商人との関係を構築することである。これが少しでもできれば、佐東市での繁栄は約束される。なぜならば、堺の商業を根本的に仕切っているのは彼らなのだから。最大の目的を完遂しても、佐東市は今以上に成長するが、会合衆の協力を得られたならば、佐東市の経済的立場の上昇は確実のものとなると踏んでいる。
堺の船着き場につくと僧体の男が私達を待ち構えていた。
「いらっしゃい、商業都市堺へようこそ。」と男は船内にも響くぐらい大きな声で叫んだ。その男は僧体の割に筋肉隆々で、鼻の高い。どちらかというとイスラム圏の人間の顔に見えるぐらい堀が深い。
私と直正がまず船から降りて、僧体の男に歩み寄る。
「こちらこそ、迎えの配慮痛み入ります。急な要請にもかかわらず、ご足労ありがとうございます。手紙や使者によって把握しているでしょうが、改めて。私の名前は超順。佐東仏護寺の住持です。ちなみに私の後ろに控えている男は我が直参商人の堀立直正です。」
「どうもご丁寧にありがとうございます。拙僧は墨屋浄因。興正寺蓮秀様に仕える商人門徒と言うやつです。数日間ではありますが、私があなた達をおもてなしさせていただきます。」
彼自身から紹介があったが堺の豪商墨屋。私が知っている限り大永年間から堺住み着いていた古い商人。今回の交渉は彼との関係が今後のキーカードになると考えている。
私の小説を読んでいただきありがとうございます。はじめてコメントを入れておきます。会合衆のフリガナを「かいごうしゅう」と振りました。これは「えごうしゅう」と読むだろう、というツッコミに備えてコメントしておきます。この読み方について、少し前に学会で議論があって、会合衆の読みが「えごうしゅう」ではなく、「かいごうしゅう」ではないかとされています。そもそも、「えごうしゅう」読みの方は全く根拠がありません。
ちなみに、この読みに関する議論は小西瑞穂氏の研究から端を発しており、現在では教科書でも採用・定着されつつあります。
今後はこの読みがベターになると考えて、「かいごうしゅう」読みを採用しました。
ちなみに、よければTwitterもフォローしていただけたらと思います。@kento_syousetsu