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勧告状

 光和は金山城の南麓にある館でゆっくりしていた。そこは簡素な武家屋敷であるので、一応申し訳程度の土塁や堀など防御施設が拵えられている。防御性能に不安はあるが、すぐさま金山城まで逃げられる位置なので、戦闘が発生したとしても問題ではない。何しろここは光和の政務を行う場所、戦争を目的とした空間ではないのだ。いつも光和はここに滞在している訳ではない。その建物の一室で光和は一枚の折紙(中世の書状形式、手紙のこと)を広げ、それを悩ましげに見つめている。

 そこには超順の名前と花押が据えてあり、一つ書きの形式で書状は書かれていた。序文を読むと

「恐れながら申し上げます。件の政策に伴い、私が報恩講にいっている間でやることについて箇条書きを残します。

  条々 

  一、公共事業について 

  一、街道整備について 

  一、港町整備について 

  一、愚僧の寺院移転について

  一、商業政策について

  一、城普請について

  一、戦争論・戦略論について

  一、武具のことについて

 などといった箇条書きがならんでいる。その箇条書の横には政策実行の利益と不利益などが詳細に記載されている。文書の末尾には「以上のことをすれば、御館様の領国はより一層強力なものになります。もちろん、選択するのは私ではなく、御館様です。それでは良いお返事をお待ちしております。恐々謹言」と綴ってあった。

 光和はこれを十度は見返している。これほど画期的な政策を思いつく超順の頭は一体どうなっているのか知りたくなったためだ。もちろん、手紙を何度も返す程度で理解できないことはわかっていたが、気になって仕方がなかった。彼についていけば武田家は存続・復興することができると根拠のない確信を光和は持っていた。彼の話を聞き決意を決めた。

「わしは超順を信じると決めたのだ」もう一枚の封がしてある文書を懐からおもむろに取り出し、目を通した後。桐箪笥から紙を二枚取り出し、文をしたためはじめた。

 その宛先には大内義隆の名前が記載されていた。大内義隆は中国地方でもっとも有力な戦国大名であった。大内氏の本拠は長門国山口であった。この時期、屋台島の海賊衆を引き連れて、度々安芸国武田領国へ攻撃を仕掛けていた。武田と大内の戦争は勝利と敗北を均等に連続するシーソーゲームであったが、彼我の戦力差が均衡していた訳ではない。大内氏は元々足利幕府開闢以来から有力な大名であった。三代足利義満の粛清を受けて、勢力は減退していたが、戦国の世へと近づく事に年々勢力を拡大し中国、九州地方に大勢力を築いていた。同じ由緒のある家といえども、その勢力差は火を見るより明らかであった。武田氏の命運を保っていたのは、もうひとりの中国の雄尼子氏の援助があってのことであった。武田氏はもう誰かの援助なしには、大内氏を退けることができなくなっているほど勢力は弱まっていた。

 ところで先程光和が懐から取り出した大内の文書には降伏勧告をほのめかす内容がびっしりとつまっていた。内容は簡単だ。「我々に従わなければ総力をもって武田家たたき潰す。残念ながら香川はおろか熊谷も当方への従属の決意を固めた。故にお前に勝ち目はない。最大味方である熊谷を失ったのだからな」と。そして「幾日か時間をやろう。それまでに生か死かを選ぶのだな。それではいい回答と待っている」と書かれていた。誰が見ても火を見るより明らか、大内氏は武田氏を格下の相手として見ている。この態度は先代が戦死して以降である。先代は大内氏と勇敢に戦い、幾度も大内軍の猛攻を退けたが、現当主光和にその実力はない。歴史家の判断を仰ぐまでもなく、すでに世間より暗愚と名高い領主なのである。ゆえに完全に武田氏を三下と見て、大内は挑発をしプレッシャーをかける。何度も文書が来て、その度に律儀に返信するが「徹底抗戦」と言い張る程度でしか、強気に出られなかった。

 しかし、今回光和のしたためた文は今までとひと味違った。光和は「いずれ中国を統治する我に対してその態度は如何なものか。お前たち弱小領主には私は負けない。今の内に安芸国を出る準備をしておけ猿ども。」と安芸統一を宣言する文意が記述されていた。これは下手をすれば、様々な国への挑発行為ともなり得る。ましてや尼子からの独立をほのめかしているともとられかねない。それほどまでに今回、光和は戦乱の世を戦い抜く決意が固まっているのだ。

 しかし、手紙の大言壮語な態度の一方で今の光和は手紙を渡す当の本人がいるわけでもないのに、腕が小刻みに震えていた。

「恐ろしいが…。恐ろしいが…」

 光和は歯を食いしばりながら、何度もつぶやく。若いはずの光和であるが、目やデコにもシワが寄るぐらいには顔に力が入っている。光和にとって彼らがどれほど恐ろしいかを物語る。しかし、光和は感じていた武田氏の命運は長くなく、そろそろ一念発起しなければならないと。今回、超順が様々な名案を提出してくれたため、徹底抗戦の決意が固まったのだ。

「信じてくれたのだ。超順が。私が天下へ飛ぶためのお膳立てをしてくれるのだ。今も自分の身を払って、海へ駆り出している。私だけ弱い人間なのは卑怯だ。心は怖くても、少しだけ勇気を出さなくては。」

 ついには歯も小刻みに揺らし、目からは涙が滲みつつあった。恐怖感に襲われる光和。

「部下が苦労しているのに、必死で家を興隆してくれようとしているのに。私は敵に挑発するだけっ。だけだ。この阿呆、臆病な私を許してくれ。絶対にこの手紙を出す。止まれよ震え!!」

「殿、御手をお出しください」

若い爽やかな低い声が館を響き渡った。その声に呼応し、光和は反射的に手を出した。パシっ。

「痛い」

光和は再び反射的に手の甲をみた。案の定手の甲は赤くなっていた。緊張のあまり気がついていなかったが、光和の正面に男が一人立っていた。顔が整った背の小さい男である。ただしなぜか手は大きい。彼は「佐東衆」の筆頭が一人の山縣左衛門太夫だった。

「左衛門か」

「失礼致しました。殿はどうやら気が動転していたようなので、心が正常に戻る技を掛けました」

山縣は白い歯をむき出して、光和に笑いかける。光和と彼は幼馴染であった。少し歳は離れているが、若狭武田氏からここに養子へ出されて以来、いつも彼とともに遊び、学び、訓練をしてきたのだ。光和は彼にだけは多少の無礼は許しているのだ。

「いつもすまない、左衛門」

「構いませんよ、殿は我々家臣だけを信じてください。きっと武田家を繁栄に導きます」

 山縣はいつもこうやって光和に優しい声をかける。もちろん、山縣は楽観視しているのではなく、光和を安心させるために言っているに過ぎない。彼自身もいつも、武田氏の惨状には頭を悩ませている。しかし、彼は光和の前では気丈でいることを阿彌陀佛に誓ったのだ。だから光和も平気で彼に弱音を吐く。

「怖いのだ。ワシは死にたくない。」

「しかし、先程も言いましたが、私の治療ですでに体は正常ですよ。」

「そういえば震えが…」

光和の気の緩みを確認した山縣は光和の手から手紙を抜き取った。そしていたずらっぽく笑う。

「この手紙、しっかりと届けますんで」

そう一言残して、山縣は館を去っていった。光和は腰を抜かしたように壁にもたれかかった。

「あいつはいつも乱暴なやつじゃ。だが助けられてばかりじゃな」

「頼むぞ、超順よ。今はお前の立案した政策だけが頼りだ」


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