自分の由緒と仏護寺
また寝ていたようだ。その間にあったことは全く思い出せない。寝ていたという情報以外は脳から抹消されている。寝屋にいない状況が把握できなかった私は首を時計回りに二三回転させ、「よくわからん」とぼやきながら、外へ出た。いつもと変わらぬ状況を見ながら。
しかし、眼前に広がる風景は自分が知っているものとは異なり、全く見知らぬ田園地帯が広がっていた。VRやARなど最新の技術を活用したドッキリでもないことは、草木に風がさんざめく音から推測できた。そして、一時の逡巡を経て私は異変を察する。
私は軽く動揺しながらも、寺院の周辺を歩き回る。どうやらこの寺院が立地しているのは、小高い山の中腹で、麓に村々とそこに注ぐ河川の姿が伺える。その北東には城のミニチュア版が威厳を醸し出しながらたっていた。また寺院の周辺に堀のようなものが囲繞され、その堀の内側には私の寺院への参道を形成しているがごとく、4~6建の寺院と多数の木造家屋が建ち並んでいた。まさしく、私の寺院が中心核となって、集落を形成している様子が見て取れたのである。
「なんじゃ、こりゃ」
私は想定外の出来事すぎて、この短い一言を発するだけで精一杯だった。事態への情報量が多すぎて出来事の整理ができない。ただわかるのは、自分が住み慣れた地域ではないということだけ。それが同じ時間軸の平行世界なのか、それとも異世界に転生したのか、タイムスリップしたのかは不明である。もしかしたら、住職に就く前に父親が就いていた職業の被害に巻き込まれたのかもしれない。まぁ、この寺院が飛び立ったかのような現象は、人間が物理的に可能な芸当ではないので、無論父親との関係は冗談である。
「ライトノベルかっ!!」とセルフツッコミを入れるぐらいには動揺?していた。
パンクしそうな頭を冷却するために、ひとまず地面に座り込んだ。すると、二三人の古めかしい衣装を来た人たちが私に詰め寄ってきた。ただ、この共同体の不純物であろう私に敵意を向けるのではなく、むしろ私に対して心配の眼差しを向けているのである。
「超順住職様、お体の加減でもお悪うございますか」
「ん??なぜ私の法名を…」
頭を休めることは叶わなかった。どうやら私が知らない誰かと私は知り合いらしい。
「住職様は無理をされすぎだ、あなたの政策は私達下々を慮ったものばかり…。たまには自分の私利私欲に正直になってください」
私の質問は無視らしい。しかも私が人のために無理をしているのだという。なんという笑い話か。私は気分で仏に仕え、そして仏の信仰心もないばかりか、食い物にしている男だぞ。だが、これは理解するしかあるまい。私はどこぞの聖人君主な住職と入れ替わってしまったらしい。
「住職様、ずっと黙っておられるが、本当に大丈夫ですか。貴方の体に何あれば、私たちは!私たちは!」
「大丈夫です。少し自然と一体になっていたかっただけです」
「ああ、そうでしたか。すいません。私達の早とちりで」
ちょっと気取って宗教家らしい振る舞い(私の宗教家像のイメージが浅い気もするが)をしてみた。私の世界ではそれは痛々しい行為に他ならないが、ここでは日常茶飯事に受け入れられるのだろう。まぁ雨乞いなんてことがやられていたのだからな。
「いいのですよ。ところで、変な質問をしますが、ここは何国のどういった地域ですか」
この質問に対しては、周囲は凍りついたが、その後一人の男が、がはは、と笑い、
「御冗談を、ここは安芸国佐東郡に決まっているじゃありませんか。君主武田光和様の統治領域ですよ」
「安芸武田氏か…」
私はようやく理解した。ここがどこでどういった場所なのかを…。有力な情報により私の頭は整理できたので、一旦彼らにお辞儀をする。
「ありがとうございます。少々馬鹿な質問をしてしまいました。どうぞ、お仕事に戻られてください」
私は檀家との関係で培った営業スマイルで彼らに持ち場に戻るよう促す。よほど信頼が深い住職なのか、ミステリアスな質問の後にもかかわらず、ニカッ、と笑って私を後にする。私は彼らが立ち去るのを見計らい、寺院の蔵へ向かった。私は先程の人たちの言葉を頼りに自分のいる状況を一層理解するため、その参考資料を蔵に取りにいくためだ。
再度境内のレイアウトを確認した。幸い寺院の境内のレイアウトはほぼそのままらしい。ちなみに目当ての蔵は残っていた。私の寺院には古い骨董品をおいている小屋と電化製品や家具などを置く物置小屋の2つの建物があるが、そのうち前者の蔵はそのまま移動してきたらしい。なお電化製品は仏壇の蛍光灯と手元にあったスマートフォンだけで、あとはない。つまり寺とつながっていた自宅など新しいものは一切消えていた。
「えーと、たしかここに古文書の山と文献が…よしあった」
私が手にとったのは、何層にも年季の入った埃をまとっている古文書と古い書物であった。見つかったのは幸いである。なぜこんなものを手にとったのかというと、それは私の寺院に“安芸武田氏”に関する伝承があるからだ。ちなみにこれを読解するまでもなく、わかっていることがある。私の飛ばされた世の中は戦国時代であるということだ。
文献にはこう記述がある。1つ武田氏が坊主を連れてきて開基した天台宗の寺、名は仏護寺という。2つ戦国時代に安芸武田氏の合意を得て、真宗寺院化したこと。3つ安芸武田氏の滅亡後、寺院は衰退する。しかし毛利氏によって再興される。4つ広島城築城後、城下町広瀬に移転する。要約するとこのような内容となる。
まず、私の認識との相違点を確認したい。私の寺院は広島城下町にはなかったし、私の寺院は仏護寺なんて名前ではない。山口県萩の寺院であるし、仏証寺という名前であるので、共通性は見いだせない。となってくると、私の寺院にこの由緒が伝来しているのもおかしい。ただし、この寺の門構えに仏護寺という立看板を見かけていた。現実と由来に齟齬が有りすぎて、事実はわからない。そもそも、歴史学的には伝承の類は二次史料といい、一次史料(手紙とか日記など)から裏付けが取れないと信憑性には欠く歴史史料と位置づけられている。
「参考にはならんな」
私は静かに由緒書を閉じ、元の位置にしまった。