かぼちゃの馬車と街娘
読んでいただけた皆様に感謝を。
真夜中の王都。
石畳の道が続く街路を二人の娘が歩いていた。
陽気に歌い出したり、立ち止まっては叫んでみたり。
二人ともかなり酒に酔っているようだった。
「お前たち。早く帰りなさい! 若い女性がこんな時間に出歩くもんじゃないぞ。 」
「衛兵さんごめんなさいー! 」
「今から帰るところー。えへへ~。」
そんな二人の姿を見て、衛兵が声を掛けるが二人はどこ吹く風。
「ただの酔っ払いだ。行くぞ。」
衛兵たちは首を振りながら警邏の任務に戻る。
最近の王都は、こんな衛兵たちのおかげで非常に治安が良く、日が落ちてからでも女性が出歩いている姿をよく見るようになっていた。
ただ、二人のうち一人は鉄等級のタグを下げた冒険者であったので、間違っても手を出そうなどと思う人間は居なかっただろう。
「あんたホントに酒呑むの初めてなのかい?」
その冒険者の女が、いかにも町娘と言った恰好の若い女に話しかける。
「はじめてですよー。こんなに楽しいなら、もっと早く飲んでおけば良かったなー。うふふー。メリダさんも、もっと早く教えて下さいよー。」
何が可笑しいのか、ひたすら笑っているのは、ハロッズ帽子店に勤めているフレデリカだった。
長い知り合いのような会話だったが、彼女たちが会ったのは今日が初めてだった。
メリダがいつもの酒場に行った時、一人で泣いているフレデリカを見つけた。それから意気投合した二人は、こんな時間までひたすら飲み続けていたのだった。
「男なんて、ホントバカばっかりですよねー! ははー。」
「その通りだな! バッカヤロー! 」
時折窓のカーテンが開き、いぶかし気な表情で見て来る人も居たが、フレデリカは目が合うたびに手を振り返していた。
「あ、あたしここに泊まってんだ。あんたは? 」
一軒の宿屋の前で、メリダが言う。
「あらー。そうだったんですかー。あたしん家は街の反対側なんですよねーあははー。」
娘は初めてこんな所まで来ちゃったーなどといってまだ笑う。
しまったなと女冒険者は思う。
いい加減に帰ってくれと酒場で言われて、そのまま出てきたは良いものの、てっきりこの娘も帰りは同じ方向だと思っていた。
自分の部屋に泊めても良いが、酔って騒ぐと宿の主人とパーティーリーダーに怒られる。昨日も騒いで怒られて、もう調子に乗って飲みませんと誓わされたばかりだったからだ。
そんな時に、一台の屋根の無い馬車が向かってくるのがメリダの目に入った。
長距離を走らない辻馬車は、屋根を持たないものがほとんどだった。
慌ててその馬車の前に出ると、御者は驚いて馬車を止める。
「この娘を家まで送ってやってくれない?」
メリダは懇願するように御者台の男に言う。
しかし、目を離した隙に道路に座り込んでしまっているフレデリカの姿を見て、あからさまに嫌そうな顔をする。
「なあ。頼むよ。あたしを助けると思ってさ。」
そう言ってメリダは御者に銀貨を二枚ほど握らせた。
迷惑料込みでこれくらいだろうとメリダは思う。
つい先日に大きな仕事があってメリダは羽振りが良かった。
それでもかなりの額になった飲み代を見て青くなっていたメリダだったが、フレデリカが全部支払ってくれていた事もあった。
「あ、あの…。」
御者が何か言いかけるが、メリダは気にせずにドアを開けてフレデリカを馬車に押し込んだ。
酔っ払いを理由に断られたらまた面倒な事になると言わんばかりだった。
「えー。あたし馬車にがてー。気持ち悪くな…。」
「ほら。あんた何処に住んでんの? 」
「んうー。ベンジャミン夫人のとこー。」
慌てて口を押えて住んでいる場所を聞くメリダに、何とか答えるフレデリカ。
しかし彼女はそれだけ答えると、幸せそうな顔で寝入ってしまった。
あんた解る?とメリダは顔で御者に尋ねる。
「それだったら解りますけど…。」
「それじゃ頼んだ! あんたの顔は覚えておくから、その子に何かするんじゃないよ! 」
それだけ言い残すと、メリダは目にも留まらぬ速さで宿屋に駆け込んだ。
明日も朝から仕事がある。寝坊したなんて言ったら大変な事になるとフレデリカは聞いていた。
「参ったな…。」
御者台の男は、そうボヤくと肩をがっくりと落としてため息をつく。
そして思い直したように馬に鞭を入れるのだった。
*
その馬車は、街の中を滑るように進んでいた。
この娘を拾ったところから、ベンジャミン夫人の下宿に向かうには、まっすぐ向かっても半刻ほど掛かる。
もうすぐ着くなと思って、馬車を停めると御者は後ろを振り返る。
起こすのは大変だろうなと思っていたが、フレデリカは既に起きてきちんと椅子に座っていた。
「夜風が気持ちよくて、目が覚めちゃって。この馬車すごく乗り心地が良いね。」
御者はにこりと笑って頭を軽く下げて返事をする。
「ねえ。御者さん。このまましばらく走っていてくれない? 」
「どうしたんですか? 何かあったとか? 」
フレデリカの頬には涙が一筋伝っていた。
「今日。私…婚約を解消されちゃった…。」
「……。」
「でね。お金もいっぱい貰っちゃった。手切れ金ってやつ…。」
「……。」
「だから、お金なら心配しなくてもいい。シェリー湖まで行って欲しいの。」
御者は黙って鞭を入れると、馬車をベンジャミン夫人の家とは反対方向に向ける。
どうやら向かってくれるんだと思って、フレデリカはホッとした。
「良かったら聞かせてくれませんか? 話せば楽になる事もあるし。」
前を向いたまま言う御者に、フレデリカはぽつぽつと話し出した。
*
フレデリカは、この王都から七日ほど離れた田舎の村で生まれた。
そしてその村を治めている領主の三男に16の時に恋に落ちた。
熱烈な恋文が毎日のように届き、また彼もそれを態度で示していた。
そして、17の時二人で王都に出て来たのだった。
ただ、結婚をするまでは一緒に住む事は絶対に許さないとどちらの両親からも言われていた。
騎士になりたての彼は騎士宿舎、フレデリカは下宿に住み、しっかりとお金を貯めて早く二人で暮らせるようにしようと誓いあっていた。
フレデリカは毎日怒られながらも一生懸命仕事に励み、他の娘がするような遊びにも行かない。彼との暮らしを夢見て、それだけを支えに生きて来たのだった。
ただ、去年の冬に貴族の狩りの警護に当たっていた時、彼はある令嬢を助ける。
そして、その令嬢に見初められた彼は、一方的にフレデリカに婚約破棄を告げ、金貨が数枚入った袋を渡して来たのだった。
――私の気持ちは金貨数枚分の価値しか無かったんだ。
フレデリカはそう感じて、彼が待ち合わせに指定して来たカフェの椅子から立ち上がれなくなってしまっていた。
そうしてかなり時間が経って、店からやんわりと追い出されると、目の前にあった酒場へと入ったのだった。
ここまで話して、フレデリカは込みあがって来る感情に耐えられなくなりそうになる。
だから、必死に零れ落ちそうになるものを飲み込んだ。
御者は話を聞いている間、時折うんとかそうなんだと相槌は入れるものの、何も言わずに話を聞いてくれていた。
だからフレデリカは耐える事が出来たのだと思った。
*
「着きましたよ。」
「この馬車って全然酔わないのね。」
まだ暗い中、カンテラの灯りを頼りに街道を走り、二~三刻ほどの時間を掛けてシェリー湖に着いた。
がたがたの街道を走って来たにも拘わらず、フレデリカは気持ち悪くもならずに来れた事に感謝をする。
彼とここに来た時は、フレデリカは馬車に酔ってしまって大変だったからだ。
落ち着いたのか、もう涙は止まっていた。
湖を見下ろす崖に一本の大きな木が立っている。何でもここで愛を誓った二人は永遠に結ばれるとか言う伝説があるらしかった。
馬車から御者に手を引かれて降りると、うっすらと夜が明け始めていた。
そして丘を登り、その一本の木の傍まで歩いて行く。
御者は何も言わずに後ろを付いて来てくれていた。
「ねえ。ここまで来て、帰るまでにの代金はおいくら? 」
木の根元まで来ると、フレデリカは御者に振り返りながら訊く。
御者が困っているのを見て、フレデリカは袋の中から金貨を一枚取り出して御者に渡した。
そのまま、袋の口を縛ると、思い切り振りかぶって湖に投げ入れる。
大きな水しぶきが上がり、驚いた魚がその周りで跳ねた。
そして、左手の薬指に嵌っていた指輪も乱暴に取り去ると、湖に投げ入れる。
「あー。スッキリした! 」
「次の恋でも見つけなきゃね! 御者さんカッコいいから狙っちゃおうかな!」
明るくなって、やっとはっきりと御者の姿を見られるようになる。
若々しく、自信に満ち溢れた感じのする男がそこに立っていた。
「泣きそうな顔をして、そんな事を言うものじゃ無いですよ。」
「そうね。ありがとう。自棄になったって良いことなんて無いものね。」
全て見透かすように言う御者に、やっと娘は少しだけ笑うのだった。
そんなフレデリカの姿を見て、御者は柔らかく微笑んた。
*
帰り道は既に完全に日が昇っていた。
フレデリカが指輪が消えた辺りをしばらく見ていたからだった。
「そろそろ帰りましょうか。」
踏ん切りがついたフレデリカは、湖面を眺めていた間、ずっと黙っていてくれた御者に告げる。
丘を下って馬車が見えて来る。
よく見ると、こんなに立派な馬車は初めて見たかも知れないとフレデリカは思う。
全体は艶のある黒色で塗られており、ドアには、かぼちゃをあしらった上流階級の者しか使わないようなエンブレムが入っていた。
その鏡のような艶のあるドアを御者が開ける。
よく見ると椅子はキルティングが施された総革張りで、床にはふかふかの真っ赤な絨毯が引いてある。
「こんなに凄い馬車だったんだ。」
「まずは乗って下さい。」
にっこりと笑う御者に、フレデリカはまるで急かされるように乗り込むのだった。
*
街へと帰る道でも、まるで王族が座るような椅子のせいで、フレデリカは身動きも取れずに固まって居た。
「今日は特別料金をお支払いただいたので、貴方に朝食をご馳走しますよ。」
固まってしまっているフレデリカは、まともに返事をする事すら出来ない。
「うわー。凄い馬車!」
「お姫様が乗ってるみたいなやつー」
子供たちが囃している声が聞こえる。
そんな中、フレデリカは苦手な馬車がまるで石畳の上を滑るように走っている事に気がついた。
*
衛兵に挨拶をして門を抜け、しばらく街を走って行くと、大きなお屋敷が見えて来た。
馬車はそのお屋敷の敷地に滑り込むように入って行く。
馬車が停められて、御者によってドアが開けられる。
「こちらへどうぞ。」
真っ白な手袋に、フレデリカは手を引かれて馬車から降ろされる。
手を奪われたまま、大きなお屋敷の入り口に向かうと、ドアが内側から開けられた。
「おかえりなさいませ。」
数人のメイドと執事が恭しく挨拶をしてくる。
「朝食の準備をしてくれ。スティーブンス。彼女にはお腹に優しいものを頼むよ。あ、あと水もな。」
「かしこまりました。それではご案内いたします。」
執事はにこりと笑うと、まるで貴族の令嬢のように町娘を案内するのだった。
*
…それが私と彼の出会いだった。
彼女は暖炉の前で広げていた古びた日記帳をぱたりと閉じる。
今から18年ほど前の話だった。
御者だと思っていた彼は、貴族や裕福な商人向けに馬車を作っていた工場の御曹司だった。
今の国王陛下の結婚式のパレードに使われる馬車の製作を依頼されていた彼は、その馬車の出来に自信が持てていなかった。
そして、夜中に調子を見るのに走らせていたところを私たちに捕まったのだった。
酔っぱらっていた馬車に弱い私が、まったく気持ちが悪くならなかったのを見て、自信を取り戻してくれたらしい。
それから、彼が図面を引いた新しい馬車が出来るたび、彼は私を食事に誘いお酒を飲ませた後、その馬車で私を連れまわした。
そんな息をつく暇も無い生活を送っているうちに、私はまた普通に笑えるようになっていったのだ。
あの初めて会った時の馬車が王太子殿下の結婚式に使われたと聞いて、青くなったのも懐かしい思い出。たしか彼は幸運の女神だとか私の事を言っていたっけ。
門が開き、馬車が帰って来た音がする。
「奥様。旦那様がお帰りです。」
ドアの外から私を呼ぶ声がした。
「ありがとう。今行くわ。スティーブンス。」
私は帰って来た夫を迎える為に、玄関まで向かうのだった。
中島みゆきさんの『タクシードライバー』を聞いていて、ふと思いついた話です。
楽しんでいただけたなら幸いです。