酔っぱらい 4
姉さんは今夜も酒を飲んでいた。
会社を休んだ日は、いつも早くから飲んでいるみたいで、僕が帰ってくるころには正体なく酔っ払っている。
毎回、僕に酒臭い息を吹きかけたり、凝りもしないで酒をすすめたりする。
「ユズル、お酒買って来て」
厚かましく、平気でそんな事を言う。
「もう、いい加減やめろよ」
言っても無駄だとわかっていても、つい言ってしまう。
「何で、そんな事を言うのよ。人がせっかく気分よく飲んでいるのに。あんたなんか何さ私のこと何もわかってないくせに」
姉さんは注いだ酒をぐいっと飲んだ。
「姉さんだって僕のことわかってないじゃないか」
僕は、もうそれ以上何も言わない方がいいとわかっている。わかっているけど、僕だって言いたい時は言いたい。
「わかっているわよ。あんたのことずっと面倒みてきたのは私ですからね。大学辞めて、働いて、ずっと私が。だから私は・・・、あんたがいるばっかりに私は・・・」
姉さんは言葉を詰まらせ、涙声になって話せなくなる。
僕は姉さんがその先何を言いたいのか知っている。
恋人に振られた。そう言いたいんだ。僕のせいで幸せになれないって言いたいんだ。
「何だよ。最後まで言えよ」
姉さんは、僕をキッと睨み付けて、グラスに酒を注いだ。
「ばっかじゃないの」
僕は冷静だったけど、ついそう言ってしまった。口からぽろっと出た感じだったけど、
火に油を注いでしまった。
「あんた! 姉さんに向かってばかって言うの!」
姉さんはそう叫んで、なみなみと入った水割りのグラスを、僕めがけて投げつけた。
グラスはビュッと唸って、僕の肩すれすれに飛んでいった。
ガラスの粉々に砕ける音がして、姉さんの服がずぶ濡れになった。
僕は驚いてたちすくんだ。
「あんたまで、私をばかにするのね」
ハアーっと姉さんはため息をつき、顔を上に向けて、
「どうして私たちはあの時、みんなと一緒に車に乗らなかったのかしら」
と、つぶやくように言った。
ちらっと僕を見た姉さんの目が、潤んでいるせいだろうか、冷たく光って見えた。
最初、僕は姉さんの言っている意味がわからなかった。
「あの時、みんなと一緒に海に落ちていたら、あんただってこんなにいやな思いをしなくて済んだのにね」
姉さんが整理棚の上に置いてある写真の方を向く。死んでしまった家族と一緒に、僕と姉さんも写っている。
姉さんは7年前の事故の事を言っているんだ。両親と兄が車ごと崖下の海に転落した事故の事を。
その時、僕はまだ6歳で幼く、事故の事は詳しく聞かされていなかった。でも、両親と兄が死んだということはわかったし、死んだ人には二度と会えないということも理解していた。
事故から2年が過ぎたころ、両親と兄がどんなふうに死んだのか聞かされた。
ひどい事故だったらしい。センターラインを超えて対抗してきたトラックを避けようとハンドルを切ってた父。普通ならガードレールにぶつかるだけで済むはずが、不運にもそこだけガードレールが切れていて、そこから崖下に落ちてしまったという。
その日、不幸な電話が鳴って、僕を抱きしめた姉さん。
3つ並んだ棺桶と線香の香り。
しばらく忘れていた光景を思い出した。
「あんたをおぶってでも車に乗ればよかった」
姉さんが吐き捨てるように言った。
僕は茫然となった。返す言葉も見つからない。
この前は僕が死ななくてよかったって姉さんは泣いたのに、今度は自分ばかりでなく、僕も死んでいたらよかったなんて思うのか。
僕は今まで車に乗らなくてよかったと思っていたし、みんなと一緒に死んでいたらよかったなんて、一度も考えたことなどなかった。
だけど、姉さんの言う通りなのかもしれない。
父さんたちはどうしてあの時、僕たちを残して出かけたのだろう。僕はどうしてあの時眠りこんでしなったんだろう。僕が起きていれば、僕と姉さんはみんなから置いてきぼりにされなかった。
本当だ。あの時みんなと一緒に死んでいたら、僕も姉さんもこんなつらい思いをしなくて済んだんだ。
僕はもう何も言えなくなった。
言葉を失った僕はその場を去るしかない。
姉さんのすすり泣きが聞こえる。
僕の足は力が入らず、階段を上がる体が鉛のように重い。
何も考えたくなかった。
僕は自分のベッドに倒れ込むと固くめを閉じた。




