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日曜日:野球しようよ②

☆☆


 夕闇に空が染まり、カクテルライトがグラウンドを照らす中、橘南高校ソフトボール部はほぼワンサイドゲームで県大会優勝を決めた。

 大会最優秀選手は結局こよみが搔っ攫って行ったらしい。そりゃ準決・決勝だけで7打数4安打3HR打ったらしいし、HR数で大会2位だったピロにトリプルスコアで勝っていればそうもなるだろうなという納得の結果だった。


「ナイスゲーム!」


 閉会式を終えてダグアウトに戻ってくるソフト部の選手たちに、大声で声援を送る。大体は露骨に「なんだコイツ」と言わんばかりに目を背けたが、そうでない人物が2人いた。

 いえーい、と言いつつピースで応えてくれるキャプテンのピロと、声に反応して目を伏せたこよみだった。


☆☆


「……先輩」


 球場の通用口の近くで待っていた俺に、開口一番こよみが嫌そうな声でそう言った。

 こよみにそんな風に呼ばれるのは初めてだな。傷付いていられる道理もないが、少しだけ左頬と胸が痛んだ。


「先輩、こんなところまで何しに来たんですか? ピロ先輩の応援ですか?」

「いや違うよ」

「……だったら何ですか? この期に及んでまた私の前に現れるだけの何かですか?」


 こよみの態度はみるみる硬化していくが仕方ない。これは俺の責任だ。だからこそ、迷いも後悔も、全てかなぐり捨てるために大きく息を吸い込み、丹田に力を籠める。

 想うことは昨日と何も変わっていない。自分がしようとしていることが、常識的に考えてよくないことも分かっている。その上で、俺は、俺の望みのためだけに口を開いた。


「決まってるだろ! スカウトだ!」

「……はい?」


 案の定こよみは怪訝そうな顔をしたが、仕方ない。そのくらいのことは覚悟してきたのだ。冷たい目で見られるが、それでも踵を返して逃げられるよりはいい。


「つまりスカウトだ! うちのチームで4番を打ってくれるバッターを探しに来たんだよ!」

「……あの、先輩、自分が何言ってるか分かってるんですか?」

「分かってないわけがないだろ!」


 半分は自棄ヤケが入りながらも、俺はこよみに向き直る。

 得難い選手を得るためのスカウティングのために、態々自転車を何時間も漕いで陸の孤島に等しいこんなところまで来たんだ。こっちも手ぶらでは帰られない。


「スカウトって……。昨日出ていった選手をスカウトしに来る人がどこにいるんですか? それに先輩は私よりも今のチームを選んだんじゃ……」

「ここにいるぞ! それに俺はこよみと一緒に野球がしたいと、ちゃんと伝えたぞ?」

「……先輩、何か悪い物でも食べました? もしくは酔っているとか?」


 少しこちらの勢いに引いたようにこよみが顔をしかめるが、これまで散々こよみの勢いにやられていたんだ。俺だって少しくらい意趣返しはさせてもらおう。

 第一、冷静になったらこんな馬鹿げたこと言ってられない。


「どっちでもねえよ。そもそも俺たち未成年だろ?」

「変なところで正論にならないでください! なんなんですかその変なテンションは!」

「白状すると実はすごく無理してる」

「だったら止めればいいじゃないですか! 一体何のつもりですか!? 先輩と私の縁は、昨日終わったんじゃなかったんですか!?」


 何のつもりとか言われても、正直困る。

 長々と語るだけの凄い理屈なんてものは持ち合わせていないが、無理するのを止めればこのまま終わってしまいそうな気がする以上、このまま行くしかあるまい。


「大体、散々待たせて、あんな回答ぶつけてきておいて、その上でなんでまだ私の前に現れるんですか! もう放っておいてくださいよ! 先輩の馬鹿! 自己中!」

「何と言われても断る! 放っておく気はない!」

「なんて迷惑な……」

「迷惑は分かってる。それはすまない」


 実際、言っていることはおぞましいくらいの身勝手だ。これが迷惑でなければ一体何なのか、言い換えろと言われても自分が困るくらいには身勝手だ。

 それでも、俺個人が嫌われても、俺は今の皆と野球がしたい。熟考の結果がこれだ。俺はこよみもいて、舞もいて、みんながいる野球じゃないと満足できなくなってしまった。


「そりゃあいつまでも同じメンバーで野球が出来るとは思わないけどさ、それでも一緒に出来るチャンスがあるならやっぱりこよみとも一緒に野球をやりたいと思ったんだよ」

「そんな都合のいい話が……」


 普通、通る訳がないよな。俺だって自分がこよみの立場だったら、そんな簡単に頭を切り替えられないだろう。怪訝そうな顔をするこよみの前で、俺は地面に両膝を着いた。

 膝の前に諸手を合わせ、額を冷えたアスファルトに擦り付けるように頭を下げる。秋人と、おっさんが言っていた土下座だ。


「お願いします。どうか”俺たち”と一緒に野球をしてください」


 深々と頭を下げつつ、こよみの表情を窺った俺のことを、こよみがゴミでも見るかのような目で見つめていた。このまま地面に転がる空き缶のように蹴っ飛ばされたら、打ちどころによっては死ぬかもな……。


「……そんなに頭下げて、踏み潰されたいんですか?」

「死なない程度なら、される覚悟は出来てる」


 踏まれる程度なら、大丈夫。

 どうせ頭を踏まれたところで、痛いがそれだけだろう。額が地面に密接しているので、叩きつけられることで外傷になることはないはずだ。多分、5年も待った末に、こんな言葉を2日続けて吐かれたこよみの心程痛むことはない、と思いたい。

 蹴り込まれたら? その時はもう祈るしかあるまい。


「……そんなことをされても私は――」

「了承してくれなかったら、その時はこよみが了承してくれるまで同じことをするだけだ。秋人が言うには、俺は男らしくはないけど、しつこさはあるらしいからな」


 こよみは俺と野球がしたいって言ってあれだけ手を尽くしてくれたんだ。俺もこよみと野球をするために人事を尽くそう。

 俺の不誠実極まりない私情でこよみを振り回すのだから、これくらいのことで音を上げている訳にはいかない。


「お願いだ。俺たちのチームに戻ってきてくれ」


 更に深く頭を下げようとしたことで、アスファルトの上の細かい砂利が額に刺さるが、それでもなお一心に頭を下げる。今の俺が出来ることなんてこれくらいしかないのだ。

 おっさんの言う通り、本来土下座程度で足りる訳ない物を、呑んで退いて貰おうというのだから、後は想いと身体が、この冷たい地面に耐えられる限り土下座をするだけだ。


「こよみ、先にバス出してもらってもいい?」

「はい。私はせんぱ――この人と話があるので、先輩方は先に学校に帰っていてください」


 こよみに訊ねたキャプテンのピロが、こよみの返答を顧問に伝えたらしい。私的な話にいつまでも他の部員を巻き込む訳にもいくまい。マイクロバスはゆっくりとこよみをだけを置いて行ってしまった――こよみだけは、俺と話すために残ってくれた。

 相手チームも既に撤収してしまったのだろう。煌々としていたカクテルライトは既に消え、俺たち2人だけが木々の葉が擦れる音と、薄闇に包まれる。


「……先輩の誘いに乗ると、私にどんなメリットがありますか? 先輩が私の物になったりはしないんですか?」

「すまない。俺には何も提示出来ない。こよみが期待した通りにはならないと思う」


 おっさんから聴いたように、男女の関係を持った奴がチームメイト同士になれば、それだけ拗れる可能性も高くなる。そこはきちんと分別を付けなくてはならない。


「先輩は、残酷ですね。私に期待はさせないくせに、私には要求するんですね」

「すまない」

「そんなことを強いるくらい、先輩は私の事が嫌いですか?」

「いや、大好きだ。嫌いな相手と一緒に野球なんてしたくねえよ」


 それだけは揺るぎのない事実だ。1人っ子だった俺にとって、野球というフィールドで俺の背中に付いて来てくれるこよみは、まるで妹のような存在だった。

 ……こよみへの【好き】は男女の間の【好き】ではないというだけだ。


「部活なら仕方ないにしても、どうして趣味の草野球で嫌いな奴の顔を見ながらプレイしなきゃいけないんだよ」


 俺の中でもみじは大分苦手な部類には入るが、そのもみじでさえ別に嫌いという訳ではない。況やこよみのことだ。プライベートな時間を削って練習に付き合うくらいには好きだぞ。


「大好きって……」


 泣き笑いするように、こよみが噴き出した。これは、良くなかったか。


「何でしょう……。こんなに嬉しくない【大好き】は初めてです……」

「ごめん。でもそれだけは伝えたかった。大事な後輩だし、『じゃあさよなら』なんて綺麗さっぱい切り捨てて放っておくなんて出来なかった。こよみの望むような関係にはなれないけど、一緒にはいたい。一緒に野球はしたいって」

「それでいて放っておきたくないって、先輩は底なしの野球馬鹿で、本当に鈍感糞野郎の独善者ですね……」

「独善ですらねえよ。こんなの単なる自己中だ」

「自覚はあるんですね」


 自分がいかに悪辣なことをしているか、自覚は勿論ある。内心では今でも針の筵だ。何せこれはこよみに対して「お前の気持ちには応えられないが、俺の要求には付き合って欲しい」と言っていることと同義なんだから。

 これを善だと言い張る人間がいたらそいつは自己評価がおかしいサイコパスだろう。


「……先輩は私の何にそんなことを言うんですか?」

「実力――というのは大事だけど二の次だな。一意専心に努力し続ける姿勢とか、溌溂とした笑顔だな。どんな実力があっても、こよみのいいところには代えがたい」


 忘れていた期間こそあるが、こよみのその努力は嘘を吐かないし、悪戯っぽい笑顔も、俺は好きだ。そんなこよみだからこそ、チームに居て欲しい。


「こんなこと言うくせに私の物にはなってくれないんですね」

「……ああ。こよみの事は1人の人間として好きだけど、それは恋人だとかそういう好きじゃないと思うから」

「……無駄に、本当に無駄に誠実なんですね」

「でもこれが何も偽りのない俺の心だ」


 偽りがないことがいつだって正しいとは限らない。それは理解出来る。

 時には優しい嘘の1つが必要になることもあるだろうが、それでも自分が「嫌な子になっている」と偽りのない自白をしてくれたこよみに、俺だけが嘘で応えるような不誠実な真似だけは出来なかった。


「それで堂々とするくらいなら、誠実じゃない方が私は良かったですよーだ……」

「……ごめん」


 どんな言葉を紡いだところで、俺が自己中であることは変えられない。だから謝って、謝って、謝ってなお「それでも」と続ける。


「俺たちと一緒に野球をしてくれ」

「ムードもへったくれもないですね」

「……悪かったな。どうせ俺はイケてないですよだ。女の子が喜ぶような殺し文句の1つも言えないし、顔もよく無ければ、背だってこよみの方が高いしな」


 言ってて悲しくなるが、その辺りは事実なのでそう答えるしかない。


「ほんと、なんで私はこんな人を好きになっちゃったんでしょうね」

「それは……。ごめん。分からない」


 客観的に見て、こよみは確かに野性味溢れ過ぎている感じはあるが、決して不美人という訳ではないし、男としての魅力に欠ける俺には釣り合っていないだろう。

 背が高くスタイルはいいし、快活で女子人気もある。なんで俺なんかをというのはむしろ俺が訊きたいくらいだ。

 

「先輩謝り過ぎです。ほら、いつまでも這いつくばっていないで立ってください」

「ごめん」


 そう言いながら差し伸べてくれたこよみの左手を取って立ち上がる。改めて凄い『マメ』だ。ガチガチに固く盛り上がったそれは、こよみがどれだけの努力を積み上げて来たかを物語っている。


「先輩の馬鹿」

「うん」


 そう言ってくるこよみに俺は首肯せざるを得ない。

 こよみの左手が俺の額をはたくと、皮膚に食い込んでいた砂利がパラパラと落ちた。


「先輩のバカ」

「うん……。痛い」

「痛くしてるんです」


 いや、もう流石に砂利なんて全部落ちただろうし、そんなにべしべしと叩く必要ないよね? これ砂払ってなくて私怨入っているよね?

 とはいえ何か言う訳にもいかず、ただジッと耐える。


「先輩のばか……」

「……少しなりとも改善できるよう、善処します」

「本当ですよ。ばーかばーか」


 そう言いながらこよみが俺の背中側に回り、ギュッと腹に手を回してきた。瞬間的に後方に投げられることを警戒して身体が委縮したが、その予期した浮遊感と衝撃は来なかった。


「こよみ、何を――」

「今はこっち見ないでください」


 俺が背中側を見ようとしたが、こよみの頭突きで顔を押し戻された。痛い。

 首元に感じる少ししゃくりあげていたこよみの吐息が、一呼吸「はぁ」というため息に変わった。


「……悪かった。女の子が見るなって言ってるのに」

「ほんと、そのとおり、ですよ」


 しゃくりあげるこよみをあやすように、俺を捕まえる腕を撫でる。秋人がちーちゃんにやっていたみたいに、頭を撫でられたら多少はカッコも付いたのかもしれないが、こよみに背を取られた上に、こよみよりも背の低い俺にはそんなことは出来ない。


「ほんと、この先輩は……」


 果たしてどう思われているのか、先輩としては不安だが、尋ねることはやめにしよう。ただこよみが落ち着くまで、ぽんぽんと腕を愛撫する。

 やや時が空いて、背に感じるこよみの汗がすっかり冷える頃、こよみが口を開いた。


「分かりましたよ。私の負けです――先輩。一緒に、野球しましょう」


 その声には怒りもなく、諦めもなく、俺に一切の感情を伺わせないまま、こよみはそう言った。


次回最終話

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