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土曜日:play the game⑨

「こよみ」


 グラウンドから荷物を運び出している最中の後輩の名前を呼びながら、俺は内心落ち着かなかった。

 俺の心中を察しているのか、こよみの表情も固く、鬼の金棒のような長いバットを携えた左手は所在なく揺れていた。


「今日もありがとう。ナイスバッティング」

「ありがとうございます……。でも、そんなこと言うために、先輩は私を呼び止めた訳じゃないですよね?」


 見透かされているか。こよみは決して勘が鈍い訳じゃない。俺が嘘を吐いたところで、多分こよみは騙せないだろう。


「ああ、そうだな……」


 いつまでも、こよみのくれた猶予に甘えているわけにはいかない。言わなきゃいけないことからいつまでも逃げ回っているなんて不実な真似は出来ない。


「私と一緒に、来てくれませんか?」


 先手で俺の言葉を制するように、そう言って差し伸べてくるこよみの手を、俺は取れない。取ってはいけない。訊かなくてはいけないのは俺の方なのだ。

 もうその行為の意図は分かっているのだろう。こよみの目尻から一筋、雫が滴った。


「……俺は」


 緊張でカラカラになった喉が張り付いて、声が出ない。喘ぐように大きく息を吸い込んで、腹に力を込め、こよみに向き直る。どれだけ身勝手でも、どれだけ残酷でも、俺が言わなければいけないことだから。


「……わるい、こよみ。俺はやっぱりこのチームで野球がしたい」


 まず1つ目に謝るべきはこれだ。俺はこのチームを捨てたくない――捨てられない。しがみついていたい。

 こよみよりも先輩だといのに、酷いわがままだと思う。狭量で、自分の事ばっかりだ。


「……そうですか」


 こよみが失望したように、そう吐き捨てた。この先を言葉にするのは気が引けるが、それでもしなきゃいけない。腹の底に力を溜め、意を決して俺は口を開いた。


「このチームで、こよみとも一緒に野球をしたい」

「……先輩、今自分の言ってる言葉の意味は分かりますか?」

「……ん」


 分かっているが故に、言葉が詰まる。喉に空気の塊でも押し込まれたようだ。

 分かっているから、俺は何も言えない。自分の言葉だというのに、自分が言っているという現実感がない。

 事実、醜悪だ。自己嫌悪すら湧き上がる。相手の望みは叶えないのに、自分の望みだけは叶えろなどと、一体どの口でそんなことを言えるのか。

 こよみがぴくぴくと脈動する口角を押さえながら口を開いた。


「……先輩の気持ちはよく分かりました。……そういうことでしたら、私はチームを去ります。お世話になりました」


 分かっていた。だけど避けられない。おっさんは土下座して謝り倒せと言っていたが、それでどう謝ったらいい? 謝ってこの状況がどうにか出来るのか?

 ただ頭を下げる。俺にはこれしか出来ない。


「ごめん」

「謝るくらいなら――!」

「……ごめん」


 怒気を孕みだしたこよみに対して、ただ俺はしどろもどろに謝り続けることしか出来ない。

 こよみの肩がわなわなと震える。こよみの右手が何かを求めるように握っては開かれ、また握られる。爆発寸前のこよみの喉から絞り出したような声が出る。


「さようなら、せんぱい……!」


 そう聞こえると同時に、視認すら出来なかった平手打ちが俺の頬で弾けた――と思う。

 覚悟していたはずのその痛みはなかった。指先は俺の左頬を掠めた。俺が避けたのではない。直前にこよみが手を引いたせいだろう。

 遅れて来た鋭い痛み、温い何かが頬を伝う。口に入ったそれは血だった。どうやらこよみの爪か何かで過り傷が出来たらしい。


「……」


 去り際にこよみは何か言いたげにこちらを見たが、それでもギュッと口を噤んで何も言わずバットを引き摺り走って行ってしまった。

 最後にこよみが残して行った傷痕を指でなぞる。

 一言で言い表せない関係にこそなってしまったが、こんな終わりなんて望んでいなかった。それでもやるべき時に何も出来なかった俺はただ黙り、去っていくこよみの背を見つめ続けることしか出来なかった。


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