土曜日:play the game⑧
「首の皮1枚だったね」
「俺はもう骨の髄から駄目だけどな……」
「集中力不足じゃないの。ちゃんと集中していたら、少なくともいつもの楓ならあのフライ、ポケットキャッチは忘れてたにせよ両手で捕りにいったでしょ」
……外野から見ていた秋人にすら試合に没入出来ていないことを指摘されてしまった。
「俺は、やっぱり駄目だな……」
「まあそうだね。何回か明らかに困って頭が働いてない時もあったでしょ。顔に出過ぎ。やっぱ舞ちゃんと楓は似てるのかねえ。舞ちゃんはノってる時に顔に出るけど、楓はノッてない時に顔に出る違いはあるけど」
「そんなにか」
「そんなにだよ。この1週間ずっとね」
秋人が真っ直ぐ俺の目を見て言ったその一言に、俺は何も答えられなかった。
「いてて……。やっぱりちゃんと押さえてくるんだったなあ……」
「なに? こよみちゃんしてないの?」
「いや、してはいますよ。ただいつもの利便性ばっかりの奴じゃなくてちょっと可愛い奴をチョイスしたってだけで……」
「えー? なんでー?」
「なんでって、そりゃだって大事な日になるかもしれないですから……」
「ふーん。ふーん。ふーん?」
ダグアウトに入らずベンチ脇で何やら言い合っているこよみ、ちーちゃん、もみじとその友達3人に入っていく気は起らなかったので俺と秋人はベンチに掛けていた。
舞もその近くで体格に比して立派なお尻をベンチに預けていた。これから攻撃なのに、素振りを始めようともしないあたり、ほぼ燃料切れか。
「……秋人、アイツら何を盛り上がってるんだ?」
「楓が気にするだけ無駄だから考えなくていいよ。それと、もみじの奴は僕が締めておくから安心して。今回ばかりはね」
「……? よく分からないけどよろしく頼むわ」
俺にはよく分からないが、秋人がもみじの悪巧みを止めてくれるなら、俺にとっては多分それに勝ることはないだろうしな。
秋人も大概だが、俺のことを延々弄ってくるもみじに比べたらまだ信用出来る。
「……審判の人達、何やってるんだろう?」
舞がグラウンドを見ながら呟いた。
おっさんたちちょい悪ドラゴンズのナインはみなグラウンドに散っているが、球審と塁審2人が集まって何やら話し合いをしていた。
端々から聞こえてくる言葉には「トラック」や「時間」と言った単語が含まれていて、なんとなく察しがつくと同時に、侘しさが胸を過った。
「整列!」
球審の号令に従い、グラウンドに散っていたちょい悪ドラゴンズの面々が、ベンチ内外で屯していた橘BGの面々が整列する。
どうやら【時間切れ】か。向こうの面々は得心がいったようだが、居並ぶこちら側の選手は半分くらい頭から疑問符が出ているようにも見える。
「延長はなしかあ……」
俺の隣で舞が不満そうに呟く。最後明らかにコントロールも球威も落ちて、死球からの2者連続で完璧に捉えられていたのに凄い胆力だな。このまま延長戦やったら今日の俺たちじゃほぼ確実に負けるぞ。
「市の都合で申し訳ないですが、今日のところは2体2で引き分けです――ゲーム!」
「「ありがとうございましたー!」」
グラウンドに挨拶が木霊した。これで、終わりなんだな。
主審から14時までにベンチも引き払うよう言われ、ゲームは終わった。唯一助かったと思えるのは、グラウンドのレーキ掛けをしなくてよかったくらいか。
言われた通りに撤収しようとキャッチャーの防具一式をバッグに詰めていると、背後から肩を叩かれた。浅黒い肌に白い歯、おっさんだった。
「ナイスゲームだったな、坊主」
「ええ、ありがとうございました」
2体2、お互いが死力を尽くし、ファインプレーを見せギリギリ拮抗した結果のドローだ。ナイスゲームだったのは間違いない――俺の幾つかの失策が無ければ俺たちが勝てたはずのゲームではあったが――その失策を取り返すだけの再現性の薄いファインプレーが出なければ俺たちが負けていたとも言うが。
「それで、坊主にとっての一番大事なことは見つかったか?」
「……朧気に、それにそれが健全とも思えないですけど」
「それで何が悪いんだ? 坊主のしたい様にしたらいいじゃねえか」
俺のしたい様にか――エースの舞がいて、4番に座すこよみがいて、その妹のちーちゃんがいて、ちょっと気持ち悪いけど頼れる昔なじみの秋人やもみじがいる――このチームで、俺は一緒に野球がしたい。誰も欠けることなく。
「俺たちはプロじゃねえんだ。誰かのために野球をしている訳じゃない。徹頭徹尾自分のために野球をしてるから、金にもならないのに余暇でトレーニングしたり、休日をこうして集まって汗まみれ泥まみれになってるんだろ? 坊主も、自分のために野球をしろよ。チームがなくなるなんてよくあることなんだからよ」
あっけらかんとおっさんは言うが、当然それは起こり得ることだ。
自分の侭に行動することで起こる事象の責任は全て自分に付随する。その責は行動で果たさなくてはならない。分かってはいるが、胃が捩れる心地だ。
「おっさんは、優しくないな……」
「あたりめえだ。同級生の父親に優しくされても嬉しくねえだろ?」
「……確かに」
ニッと浅黒い顔の中で白い歯が光る。こうしてみると、アラフォーにしては若く見えるよな。舞のお姉さんくらいに見える彩花さんにも驚いたが、おっさんだってとても高校生の娘がいるような歳には見えない。
「坊主の想いを、そのまま伝えて来い。それから、これは年長者で可愛い嫁さんを持ってる俺の経験から贈るアドバイスだが」
「惚気かよ」
「うっせえ惚気させろ、それで俺からのアドバイスだが――」
多分おっさんが若く見える原因の半分はこの大人気なさだろ。精神から若いんだ。
そのおっさんが少しだけ真剣な表情を作って俺に向き直ってくる。俺もそれを見て少しだけ緊張しつつ、その先を待った。
「女の子を泣かせたときは死ぬほど謝り倒せ。土下座しろ」
これは、笑うところか……? やっぱり待って少し後悔したかもしれない。
「もう少しいいアドバイスはなかったんですか……?」
「あぁ? あるわけねえだろ。常識的に考えろよ。相手は小学生の頃から坊主のことが好きだったんだろ? 恋する乙女を泣かせて土下座程度で済むわけねえだろ」
おっさんの口から恋する乙女なんて単語が出ると凄まじい違和感があるが、それはこの際言うまい。そして、奥さんをお姫様抱っこしてグラウンドを爆走する高校生の娘を持つおっさんに常識を説かれる筋合いはない!
「それなら土下座する意味あるんですか……?」
「……俺も、彩花と揉めた時、土下座しなきゃ危なかったからな……」
まさかまさかと思ったが、本当に経験則かよ! というかあんなほわほわした雰囲気の女性相手に『土下座しなきゃ危なかった』って、おっさんは何をしたんだよ! そして秋人に続いて2人目の土下座で難を逃れた男発見か。出来ればこんなタイミングで知りたくはなかったよ!
「時には恥も外聞も全部捨てて、ただ一心に賭けるのも手だ。相手の意志を踏み越えていくっていうのは、それだけのことだからな――頑張れよ、坊主」
何かを期待したような含み笑いもなく、ただおっさんは俺の左肩を叩いてサムズアップした。試合も終わったし、俺ももう動かなきゃいけないよな。それが、全部を終わらせてしまうような結果になったとしても。




