土曜日:play the game⑥
**7回裏
1点リード迎える最終回。後アウト3つで、俺たちは勝てる。
打席に入った先頭の――さっきセンター前にあわやタイムリーヒットのフライを打ってくれた9番には、初球から力押しに賭ける。
「ストライク!」
アウトハイに入った真っ直ぐの球威はあまりいいとは言えないな。体重が乗り切っていないのか、球速も100キロ出てるかってところか。おっさんだったらフルスイングされていただろうくらいには甘かったな。
「舞、深呼吸!」
俺が促した通りに、舞はすーはーすーはーと深呼吸して見せる。ゆっくりでいい。投げ急ぐ必要もない。ロジンバッグに指先を当て、一呼吸。舞が俺を見てくれる。
2球目、右打者の胸元を抉り取らんばかりのツーシームによるフロントドアが、バッターのバットを完全に制圧した。力ない当たりはショートのほぼ定位置。ちーちゃんががっちりと掴んでこれで1アウト。
「1アウト! 後2つ、締まっていくぞ!」
「おー!」
声を挙げるバックに混ざって舞がお道化て見せるが、もう身体が重そうな感じは誤魔化せていない。疲労で重いだろう肩をグルグルと回しながら、舞は少しバツが悪そうにぺろりと唇を舐めた。そら相棒だしな、しんどいのは分かるよ。今の1球も、結果的には打ち取ったが、調子が良ければ今の1球はファウルにすらならずに空振りさせていただろう。バッターの意表を突いたと思ったのに、反応されるほどには球速が鈍っているのだ。
6回から目に見えてギアの上がったおっさんとは対照的に、舞はもうスタミナの限界に片足を突っ込んでいるようだ。コースで、緩急で揺さぶっても容易には倒れない打者たちは皆舞に球数を要求し、6回終わり間際には100球を超えた。
舞の小学生と大差ない小さな身体でよくこれだけのパワーを絞り出せると感心するが、やはり持って生まれたものの哀しさか、限界はある。今の舞は、言わば小さなエンジンをフル回転させることでパワーを絞り出しているようなものだ。
きっと舞におっさんと同じような180センチを超える筋骨隆々の肉体とそれに見合う立派な四肢があればおっさんを超えることすら出来ただろうが、生憎そんなものはない。手持ちの武器で遣り繰りするしかないのだ。
「後2人か」
そう呟く俺の前には、関門になる男が立っていた。1番打者が打席に立つ。ここまで3打数1安打。シングルヒット1本とはいえ、1打席目は秋人でなければ追い付けないような左中間の大飛球も打っている。迂闊には攻められない。
初球、サインは内角へのストレートだったが、明らかに指先に引っ掛かり過ぎたボールは内角――いや、バッターボックスど真ん中だ。バッターは狭い長方形の中で脚を動かして逃げようとするが、それは無駄な努力だ。
「ぐぇ!?」
避け損ねたバッターが変な声を出し、ボスンという音と共に、マウンド側に向けられた臀部にストレートが突き刺さった。……うん、あれは避けられねえわ。
「すいません。大丈夫ですか?」
「すいませんくーさん」
「ええってええって気にするな舞ちゃん。こっちとしては儲けや」
舞からくーさんと呼ばれた中年男性――1番打者のおっちゃんが1塁まで移動する。……確かに舞はおっさんのチームにたまに交ぜてもらうことがあるとか言ってたし、面識もあるのか。走り方はひょこひょこともしていないし、おそらく今の舞の1球、上手く当たったおかげでそこまでの痛痒もなかったのだろう。事実そこまでスピードは出ていなかった。
1アウトから出た同点のランナーか。可能であればここで切りたいところだ。
続く2番打者への初球は外角に逃げるツーシーム。彼も今日はここまで3打数1安打だが、1番のおっちゃんに比べれば怖くない。外からドアが開閉されるようなスイングでは幾ら力が籠っていてもそう鋭い打球は打てない。外を巻き込んで打とう物ならまず凡打だろう。
右打者の外に逃げていくツーシームが、振り出されたバットの先端に当たり、打球が点々と転がっていく。ピッチャーの背中を抜けたセカンド定位置の右前方、ゲッツーコースだ。
「白井さん捕ってセカンド!」
俺が指示を飛ばした通り、セカンドベース右側にに転々と転がったボールを、白井さんはグラブを嵌めた左手で大事そうに捕球し、ふわりとセカンドベースに向かって投げた。肩を壊した俺より緩慢な送球だが、先行ランナーが滑り込むよりは早い!
「アウト!」
完全捕球と接塁が認められ先行ランナーがフォースアウトになる。だが野球に不慣れなセカンドからのふんわり送球。これでゲッツーは――
「もみじさん!」
――勢いよく滑り込んで来るランナーの走路を塞がないよう捕球しながらベースを踏み、足払いでも避けるかのような跳躍でランナーの『上』を横切りつつ、ちーちゃんが手裏剣でも投げるが如きサイドスローでボールをファーストに転送する。
やっぱりこの姉妹レベル高いわ。守備位置の慣れの差もあるかもしれないが、先日まで高校球児だった俺よりも守備うめえじゃねえか。
「あいよぉ!」
流石に筋力にまで優れる訳ではないため投じられたボールは緩いが、それをファーストのもみじが身体を目いっぱいに伸ばして捕球する。
バッターランナーが頭からファーストベースに飛び込むとほぼ同時に、もみじのファーストミットが乾いた音を鳴らした。
「セーフ!」
併殺は取れなかったか。それでも先行ランナーだけは刺せた。これで2死1塁。後1つ。追い詰めたぞ。
「ナイスセカンド!」
「ナイスプレーだよ。かおる!」
白井かおるさん――もみじが助っ人に連れて来た美術部の友達らしいが、今日2失策からの3度目の正直は見事に実った。まあ欲を言えばゲッツーが取れれば良かったが、それはこれからの課題にしてもらおう。また来てくれるならね。
「ツーアウト! あと1人、ここで切るぞ!」
続く打者から中軸――クリーンナップだが、今日3番の彼のバットから快音は聞かれていない。ここまではスローカーブとストレートのコンビネーションで完全に抑え込んでいる。
今の舞にストライクをバンバン先行させる危うさを感じないでもないが、遊び玉なんてくれてやるほどの余力はない。
初球はインハイへのストレート、2球目はインローへのツーシームという厳しい2球で追い詰めた。先の打席でこちらの狙い通りに打ち上げ、転がし凡退させたところに、バッターは手を出しそうな素振りこそ見せたが見送った。
これで〆たいな。サインはスローカーブ、アウトローに決めに行くよう構える。
「……ッ!」
緩急に体勢を崩され、舌打ちをしつつもバッターのバットが振り出される。伸ばしに伸ばされた腕の先の先、ギリギリでバットの先端がボールを捉えた。
さっきのあわやテキサスヒットの嫌な打球を思い出したが、擦った当たりは前方ではなくほぼキャッチャー直上。ボールのスピンこそあるが、そう難しいキャッチャーフライではないだろう。
これを捕球すればゲームセットか。マスクを投げ捨て、俺は落下地点で構えた。
「オーライ!」
これで終わりか。厳しい試合だったが、正直不完全燃焼感はある。それでも俺の感傷など些細なことだ。とにかく今は目の前こと――落ちてくるボールに集中する。
ひしゃげつつ変なスピンの掛かったボールが、空中で輪を描くように変化する。ん? いや、これまず――!
「あっ……!」
ボール1つ分。10センチにも満たない距離。広大な空のたもとにあって掌を広げた程度の長さなど誤差だろうが、キャッチャーミットの芯から外れた僅か7センチは、致命的なズレだった。
バチンと音を立て、キャッチャーフライを掴みにいったミットの上でボールが跳ねた。
「ファール! ファールボール!」
落ちた位置がファールグラウンドだったのは幸運か、それとも不幸か。ファールで仕切り直しにはなったが、嫌な汗がじっとりと出た。完全にやらかしてしまった……。
「かえでー! この間ポケットキャッチ教えただろー!」
センターから秋人が喝を入れてくる。確かにこの間コリジョンルールに対する対応と同じように秋人に教わったな。俺も今思い出した。
軟式野球のキャッチャーフライはボールの軽さや独特のスピンがあって弾きやすい。小中とキャッチャーをやってこなかった俺はついこの間秋人にそう学んだばっかりだったのに……。
「悪い舞!」
「……どんまい!」
笑顔ももう疲れをカバー出来ていない。完全に勝ったと思った矢先のこれだ。もしも俺がピッチャーだったら「ぴえん」なんて言って泣いたかもしれない。
もう1球スローカーブで勝負することも考えたが、流石に今思いっきり体制を崩してやったばかりだし、向こうも警戒しているだろう。サインは外角低めにツーシーム。
セットポジションから投じられたツーシームは、ベース隅から約ボール3つ内側――完全に甘く入っていたそれを見逃すバッターではなかった。
おっさんの物と同じ打撃部にウレタンを使ったバットがボスンと音を立て、打球が空高く勢いよく舞い上がった。




