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土曜日:play the game③

**4回表


 おっさんの無双ぶりは、正直圧巻だった。確かに前回も凄いとは思ったが、本領発揮したおっさんの凄みたるや、3回までの打者9人でバットに当たったのが俺だけという状態だ。

 あのこよみすらフォークとストレートのコンビネーションの前にきりきり舞いし、3つ振って三振に倒れた。

 

「ここまで打者9人に対して8奪三振か。打てるイメージが全然わかねえわ。秋人はどうだ?」

「打てない――とは言わないね。コントロールが良い訳ではないから無駄玉は多いし、フォークも多いから100球120球投げさせればどこかでボロは出るだろうと思ってるよ」

「気が遠い話だな……」


 とはいえ、秋人の話も理がない訳ではないか。

 たまたまスムーズにカウントを整えられたちーちゃんと秋人以外に対してはボール球も多かったから球数3回終わって40球くらい。7回100球完投くらいのペースか。


「尤も、フォークさえ使われなければ僕やこよみちゃんなら打てないほどではないと思うけどね」

「フォークさえ使わせなければかあ……」


 フォークと言えば、前回の試合の時も向こうのキャッチャーがフォークを受け損ねて面で受け、ボールがはまり込んでいたことがあったな。あの時はサインミスが祟ってああなった可能性も高いが、今だってお世辞にも安定しているとは言えない以上、明確な弱点には変わりない。


「ランナーを得点圏まで出せば、バッテリーエラーを多発させる原因となるフォークは多投しないかな……?」


 少なくとも俺がキャッチャーならコントロールに難があるピッチャーに対して、バッテリーエラーの原因になるフォークをのサインは出来るだけ出したくない。向こうもそう思っているだろうか?


「この間だって1球しか投げてないしね。最悪あれが暴投になってランナーに進まれても三振で仕留め切るくらいのつもりで開き直っていたかもしれない」


 確かにこの間は最終回の2アウトでランナーは3塁にいなかったから使えたという可能性もある。勝負球にカットボールを持ってきたのも暴投リスクを避けたかったからだと思えば、妥当か?

 

「つまりランナーを出せば狙い球も絞れるし勝機もあると」

「確証はないけどね。これから検証するしかない」


 さて、2巡目だ。今は何とか先取点が欲しい。とにかく粘っておっさんに一矢報いることが出来るタイミングを伺うしかないか。


 ネクストバッターサークルを後にして打席に立ち、構える。相変わらず球威は凄まじいが、ストライクとボールがはっきりしている。140キロのストレートを打ち返すことは難しくても、目線の高さで飛んでくるようなはっきりしたボールを見定めるだけなら俺にも出来る。


「ボールスリー」


 先頭バッターにいきなり3球もボールを先行させるおっさんにキャッチャーが低めに投げるようジェスチャーしているが、おっさんは照れ笑いを浮かべてただ帽子の上からポリポリと頭を掻いただけだ。実際そんな簡単にコントロールが矯正出来たら苦労はないからな。


「ストライクワン!」


 続いて投じられた4球目のストレートはアウトハイかなりギリギリ。ファーストストライクから積極的に打ちに行きたいと思うようなボールではなかった。


「ストライクツー!」


 その後の5球目もおそらくトップスピードではないストレートに高めギリギリを射抜かれた――トップスピードではないとはいえ、これでも130キロ台半ばくらいは出ている。俺のパワーやスイングスピードを以てドンピシャで弾き返すことは難しいな。


「かっ飛ばせー! か! え! で!」


 舞が3塁のコーチスボックスで舞が飛び跳ねて応援してくれているが、実際かっ飛ばすなんてよほどの偶然に期待するしかない。バットを限界まで短く持って、当てるだけでも結構厳しいのが俺の現状だ。

 続く6球目、又もアウトハイギリギリのストレートに対して、最短距離で振り抜いたバットが振り遅れながらも辛うじてボールを捉えた。


「ファール!」


 1塁側のダグアウト前に力ない打球が転々としたが、これでもまだ振り遅れてるか。本調子のおっさんはヤバいな。全力ではないストレートでこれとはな。だがまだ首の皮1枚繋がっている。

 続く1球、7球目。低目を射抜くような一投だが、回転がない。これは――


「ッ!」


 フォークか?

 抜けた半速球?

 失投?

 いや、落ちる?

 膝の高さ?

 いや、これは落ちる


 これなら――


「ボールフォア」


 ――ベース手前で跳ねたそれは、フォークだった。完全にストレートを狙っていた俺の裏をかく低目のフォークだったが、振りに行ったバットはギリギリのところでスイングを取られることなく止まっていた。


「ッしゃあ!」


 正直不本意ではあるが、これが今日のおっさんに対して出来る今の俺の精一杯だ。四球をもぎ取るというしょっぱい手段ではあるが、一応一矢は報いだかな。

 俺1人で、今日のおっさんを打ち崩すことは、無理だ。改めて断言しよう。きっと10打席やって打てるヒットは多分1本、もしも2本ヒットが出れば相当に運がいい方だろう。それでも試合の勝敗はまた別の事象だ。


「楓さん」


 バッターボックスに入った2番のちーちゃんが俺を呼びサインを出した。

 サインは送りバント。確かにサウスポーで牽制もクイックも巧いおっさんから単独スチールはリスクが大きすぎるか。多分秋人なら単独スチールを試みるんだろうが、俺はそこまでのギャンブラーではない。

 そしてサインを出したちーちゃんは初球から140キロ前後出ているストレートを初球から外すことなく完璧な送りバントを見せてくれた。ちーちゃんはファーストでアウトになったが、俺は悠々2塁に進むことができた。

 ……あの子もしかして俺よりもバント上手くね? フリースインガーの擬人化みたいな姉とは大違いだな。


「ナイスバント」

「私のやることは果たしましたよ。アキ先輩、カッコいいところ見せてくれるんですよね?」

「んー。まあ程々に期待して見ててよ」


 ダグアウト前でそんなことを言いながら、秋人はちーちゃんの頭に軽く1つぽんと手を置き、打席に入っていった。気障な感じなのに、あいつがやると嫌味が無いのは凄いよな。

 いや、そんなことは今どうでもいいけどさ。いや、良くはないのか? なんかあの2人距離近いような気がするし。今の俺がとやかく言えることじゃないけどさ。まあいいや、そんなことより今は試合だ。


「プレイ!」


 左打席に入った秋人に対する初球は、明らかにド真ん中に入ったストレートだった――いや、この抉り込むような軌道、ツーシームか!

 秋人の振り出したバットの根元に向かって抉り込んでいくようなシンキングファストボールに対し、秋人は一切引くことなくバットを振り抜いた。ボコッという鈍い音とともに打ち出された小フライは一二塁手の間、どちらが捕ってもおかしくないが、どっちが捕るにも厳しいコースに飛んで――落ちた!


「ゴー!」


 サード側のコーチスボックスで舞が声を上げ、帰塁出来るようハーフウェイよりややセカンド寄りで待っていた俺も打球の完全着地を見て駆け出す。


「痛ってえ!」


 秋人が悲鳴のような声を上げるが、そりゃ痛いに決まっているさ。思いっきり根元に当たったのを力で押し切った格好だしな。

 それでも飛んだコースはいい。これなら転がり方次第では本塁も――!


「楓ストップ!」


 コーチボックス上で舞がスライディングを促していたためサードベースに滑り込んだ瞬間、1塁方向からえげつない速さの送球が飛んできて、目の前を通過して三塁手のグラブに突き刺さった。塁審は「セーフ」と告げたが、送球早くないか?


「抜けてなかったか?」

「一二塁間を抜けはしたけどライトがかなり前進してたからね。あのライト、送球かなりいいよ。タッチアップは飛距離注意ね」


 舞のコーチ通りにスライディングで着塁していなければ、下手したらオーバーランでアウトになっていたかもしれない。だが結果だけ見れば刺殺出来ただろう打者走者の秋人ではなく、先行ランナーを刺そうとした欲が向こうに災いした形だ。流れはおそらく俺たちの方にあるだろう。


「お姉ちゃん決めてやれー!」


 1アウトランナー1,3塁のチャンスに、ちーちゃんの声援に後押しされて、こよみが打席に入る。テンションが高いようには見えないが、その目には確かな闘志が燃えている。気合は十分らしいな。

 おっさんがセットポジションから投じた一球目は明らかに低く、ベース手前で跳ねたそれを、こよみは打ちに行く素振りすら見せなかった。


「ボール!」


 キャッチャーが必死に身を挺して止めたため突っ込めなかったが、察するに今のボール。さっきの俺に投じられたフォークと同じだ。まだ0対0、リスクを背負ってでもここが勝負だと開き直ったか。

 ならば俺も勝負を掛けよう。リード幅をもう一歩半、本塁側に広げてやる。向こうのバッテリーがこの状況下でもフォークを使うなら、多少でも弾けば突っ込んで――


「セーフ」


 ――もう半歩踏み出そうとしたところに、おっさんの鋭い3塁牽制が飛んできた。それでも手から戻る分には何とかなりそうだ。

 これ以上大きなリードは出来ないにせよ、引き下がる気はない。リード幅は今の目いっぱいの距離を維持する。一瞬でも気を抜けば帰塁しきれない限界ギリギリの距離だが、僅かなバッテリーのミスにも付け込もうと思ったら、リスクを取らないわけにはいかない。


「ストライク!」


 2球目はどうやら入ったらしい。こちらからでは高さしか見えないが、確かに高目で厳しいし、ファーストストライクから積極的に手を出すボールではなかったか。

 打席に立つこよみがこちらをちらっと見た――いや、見ただけだ。何かサインを出した、確認したという風ではない。なんだ?

 セットポジションのおっさんが足を挙げる。それに付随するようにこよみの左足が上がる。フラミンゴのようなブレのない片足立ち。豪快に風を巻いて振り出されたバットと、おっさんの目にも止まらないストレートが衝突した。若干差し込まれたか打球は緩いが、セカンドの遥か後方、右中間の広いところを抜けそうだ。


「楓バック! タッチアップ!」


 右中間に抜けそうな打球を見て駆け出そうとした俺を、舞が留めた。

 いや、ここは舞の言う通りタッチアップでいい。仮にノーバウンドで捕球されなくてもホームに突っ込むくらいの余裕はあるだろう。

 駆けこんで来たライトがダイビングキャッチを敢行したが、まさに紙一重――グラブの指先ギリギリのところを掠めて、打球が落ちた。


「ゴー!」


 ライトの守備範囲が思った以上に広くて驚かされたが、打球を確認して俺は悠々本塁を踏むことが出来た。これで1点目。待望の先取点だ。


「ナイスバッティングー!」


 セカンドまで到達していたこよみに俺がそう言うと、こよみは少し控えめにガッツポーズして返してきた。何を澄ましているんだか。普段通りにしてくれればいいのに。


「さあ、続くぞー!」


 先行ランナーの秋人がサードまで進塁したことで1アウト2,3塁――スコアリングポジションのままだ。

 ここから打順としては下り坂にはなるが、もみじも経験者だし、この間のデッドボール詐欺芸といい何かやってくれるかもしれないしな。


「アキ」


 打席に入る直前にもみじが秋人を呼んで何か手を動かして見せたが、これはブラフだな。俺たちの使っているサインのキーである帽子の鍔を触るモーションがなかった。

 打席に入りセットポジションのおっさんが足を挙げた瞬間、もみじはいきなりバントの構えを取った。


「ストライク!」

「ありゃりゃ」


 構えたまではよかったが、見事に空振りした。多分今のは演技ではなく本気で空振りしただけだろう。


「セーフ!」


 空振りを見た瞬間全力で帰塁した秋人を追撃するようにキャッチャーがサードに送球したが、何とか秋人は生還出来た。まったく心臓に悪いったらない。

 さっきちーちゃんは平然と転がしていたが、俺だってこのスピードのボールをあんなに上手く転がすことは出来ないだろう。

 秋人のリードはさっきの俺と同じくらい大きいし、転がりさえすれば躊躇いもなく本塁に突っ込むだろうが、転がらないのではやりようがない。……秋人なら単独ホームスチールとかやり出しても不思議ではないけど。

 構え直したもみじに対して、おっさんが投球モーションに入って、ボールが通り過ぎた。


「ストライクツー!」


 2球目のストレートに対して、もみじはバントの構えからバットを見せて引いたが、おっさんは特に意に介する様子もないな。

 さっきのちーちゃんのバントもやるなら好きにやらせてしまえといった佇まいだったし、コントロールに難がありそうなおっさんにとっては早いカウントでアウトを献上してもらえるバントは望むところってわけか。


「いや、秋人もこよみちゃんもよくこんなの打ち返したね……!」


 もみじが打席で困ったように首を傾げる。実際俺だって粘って四球を捥ぎ取った訳だが、こんだけ適度にストライクゾーンに散ってしまうと首を傾げたくもなる。

 俺だって多分バットを短く持って何とかストレートに付いて行くことを優先するだろう。


「やれることだけやればいいぞー!」

「ベンチうるさい! 分かってる!」


 もみじは抗議してくるが、こちらのスタンスは変わらない。多くは望まない。出来ることだけすればいい。各々が出来る形で点を取れるよう試みればいい。

 3球目の速い変化球――おそらくはツーシームに対し――もみじが最大限短く持ったバットを、最大限コンパクトにボールに叩きつけた。


「アキ、ゴー!」

 

 ボコッという鈍い音と共にボールがピッチャー方面に打ち返された。ファーストに駆け出しながらもみじが叫んだ。

 十分なインパクトの強さは無かったが、緩やかな打球は投げ終わったおっさんの背中すぐ傍を抜けたところで中間守備から滑り込んできたセカンドに好捕された。

 1塁に転送されてもみじはファーストでアウトになったが、元々ゴロゴーで突っ込むようサインを出していた秋人が地上を飛ぶように高速で本塁に滑り込み、これで2点目。まともに打ち返した形のヒットはこよみの1本だけだが、それでも点は取れている。

 野球がもし個々の力の総和を比べるだけであったら、俺たちでは今日のおっさんから点を取るなんてことはおそらく難しかっただろう。


 一部例外はあるが俺たちのメンバーは半数以上が女の子で、体力だけで言えば橘市内のおっさんたち相手で、勝てる相手の方が少ないはずだ。それでも俺たちは、勝てないわけではない。

 9人という点々が繋がって線になっていく。選球眼を活用し、小技でランナーを進め、打力に自信のある2あきひと・こよみが打って繋ぎ、打ち取られた当たりからも得点をもぎ取りにいくところに、個を超えたチームの力が働いていく。だから野球は面白いんだ。

 続く6番の水井さんがストレート3つで三振に倒れ4回の攻撃は終わったが、それでも貴重な先取点を手にすることが出来た。 さあ、後はきっちり守らないとな。


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