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土曜日:play the game①

 グラウンドの上空はどこまでも高く遠く見える秋晴れだった。天高く馬肥ゆる秋なんて言うが、俺は絶賛げっそりしている。

 週頭からこよみに振り回され、昨日は舞にも振り回され、どちらと野球をしようとしてもチームが瓦解しかねない状況のストレスで、ずっと腹が痛いという惨憺たる有様だ。


「よう坊主、なんだか疲れてるじゃねえか」

「おっさん……」


 左肩を叩く筋肉質でゴツい手の感触に振り替えるとおっさんが立っていた。

 俺と舞の身長差と同じくらいに俺よりデカいおっさんを見上げながら、思いがけず弱気が口を突いた。


「おっさんは俺が舞と野球出来ないって言ったら怒るか?」

「ああ、舞が言っていた話か……」


 何も知らない人に聴いてもらったら意味不明だろう言葉だったが、おっさんは笑いもせず頷いて受け止めてくれた。やっぱりこういうところはいい大人なんだな。


「馬鹿にすんなって。そんなことで他人を怒るようなことをしねえよ。まあうちの子を袖にしたら少しばかり覚悟はしてもらうけどな」


 あ、やっぱりこの人子煩悩で駄目な大人だ。そして覚悟って何の覚悟だよ。


「……覚悟って、具体的には?」

「最近スライダーの調子が良くてな。つい曲がりすぎてしまうかもしれん」

「よくわかりました。俺も最近スイッチヒッターに挑戦しようとしてたところなんで」

「安心しろ、ツーシームも鍛えてある」


 何を安心できることがあったんだろうな。詰まるところ喧嘩投法か。軟式だから大丈夫と言いたいところだが、軟式野球の防具なんてヘルメットくらいしかつけてない以上、当たり所がわるければ骨くらい折れるかもしれない。……救急車予約しとくか?


「冗談だ冗談。――ちゃんと」


 しかも対左右どちらも万全の用意をしてやがる……! 前の試合の待球策の時も思ったけど、この人は本当に正々堂々スポーツマンシップ則っている舞の親なんだろうか? いつかファースト駆け抜けの際に野手の足をスパイクで踏むかもしれないと疑って掛からないといけないかもな。


「じょーだんだ。冗談。変化球がレベルアップしたこと以外は冗談だ。話の肝は坊主が後輩ちゃんに告白されて、その後輩ちゃんがうちの子を疎ましく思ってるって話だろ? 随分と理由が可愛いもんだな」

「こっちは割と深刻なんだけどな……」


 これから試合する身としてはその変化球の強化も一大事だけど、そんなことは後回しでいいや。どうせ前回の試合で俺はおっさんのフォークにバットを当てられてすらいないしな。


「俺からしたら小僧が針の筵だろうが対岸の火事だしな」

「……それはそうですけど」


 うわぁぶっちゃけたよこの大人。実際対岸の火事でしかないんだけどさ。


「その後輩の女の子が舞を気にするのは当然だ。なんせうちの娘は可愛いからな! そんな子が近くにいたら、仮に付き合ったところで坊主がいつ心変わりするかも分からなくて不安なんだろ」

「おっさん親バカ漏れてるぞ……」

「世の中の娘を持つ親なんて一皮剥けば大体同じようなもんだ。そもそも悪いのははっきりさせられない坊主だからな?」

「……分かってるよ」


 痛いところを突かれたな。実際今のところ悪いのは何一つ決めることも出来ず同じところをグルグルと回り続けてほぼ1週間経ってしまった俺だけだ。

 ただそれでも、俺にも思うところはある。


「……俺は、こんなことになるために橘BGを立ち上げたわけじゃないんだけどな。ただ舞と……。みんなと野球が出来ることがやっぱり楽しい事だと思ったからこのチームを作ったんだ。なのになんでこうなるかな……」

「仕方ないだろ。お前は男で、このチームは女の子が多い。俺だって幾つか草野球のチームを見てきたが実力至上主義だったり、メンバー間の意識の差だったり、それこそマネージャーを巡った人間関係のトラブルだったりで落ちぶれるチームもあったし、解散やら活動休止に至ったチームもあったりと色々あったさ。でもそれも仕方ないだろ。野球は最低でも1チーム9人いなきゃ出来ないんだ。人間なんて2人ですら意思決定が上手く行かないことがあるのに況や9人だ。トラブルなんて幾らでも起こり得る。乗り越えられるかどうか別にしてな。今回はそれが坊主の鈍感さと後輩ちゃんの恋心だったってわけだ」


 それくらいありふれたチーム瓦解の前兆か。俺は一体どこで間違えたんだろう――いや、それを今考えても仕方ないか。今するべきはどう解決するかを考えることだ。


「……俺はどうしたらいいと思う?」

「そんなこと俺が知るわけねえだろ? 当事者は坊主とその後輩ちゃん。あとはそれで排除され掛かってる舞だけだ」


 それはその通りだ。そんなことをおっさんに相談しようなんて、なんてムシがいいことか。


「……すいません。甘えたこと言いました」


 実際おっさんの立場が何かと言えば、こよみと俺のトラブルのせいで娘が折角見つけた居場所をフイにされるかどうかを気にする親だ。冷笑したりせず、どちらにも偏らない言葉を返してくれるだけで本来ありがたいのだ。


「坊主はどう思ってるんだ?」


 真っ直ぐに目を見て、おっさんはそう訊ねてくる。俺は――どうしたいんだろう?

 誰が欠けることも、俺は望んでいない。永遠に問題を先延ばしにしてしまえたら――いや、そんなこと言ってしまえばそれこそ最低の男か。


「俺は……」

「かえでー! キャッチボールするよー!」


 舞の緊張感のない声が俺とおっさんの間を染みていった。こんな状況でも舞は元気だな。


「答えは試合終わったら聞いてやる。うちの姫様がアップをご所望だ。行ってやれ」

「……うす」


 言葉少なに応え、舞の方に駆ける。デカくてゴツい手が、俺の背中をおしてくれた。


「お父さんとどんな話してたの?」

「ただの世間話だよ」


 うん。世間話。野球に直結することでもなく、ただの愚かな男の愚痴という世間のありふれた話でしかない。舞もそんな狭い世間の話を察してくれたか、それ以上追及してくることはなかった。

 アップから今日も舞は絶好調だ。昨日はノースローにしたと秋人からメールがあったが、しっかり肩を休ませたことでコンディションはバッチリなんだろう。ストレートは見惚れるほどに美しい軌道を描き、ミットが吸い込んでいるかのように飛び込んでくる。


「どうかな?」

「最ッ高だな! ちゃんと昨日はノースローにしてくれたんだな」

「えっへん!」


 そう輝くような笑顔で返し、舞が哀しいほどに薄い胸を張る。その底抜けの明るさが今の俺には眩しくて仕方ない。だが、その輝きは忽ちの内にくすんでしまう。


「……これがボクたちの最後のバッテリーかな」


 少し陰の差した笑顔を浮かべて舞は訊いてくるが、俺は答えられない。


「双方ベンチ前!」


 主審の号令が響き、双方のチームがベンチ前に立ち並ぶ。

 考えるのは後だ。今はただ、目の前にある野球をやり尽くそう。


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