幕間:スキということ①
幕間は秋人視点です
NTR要素はありません
いちゃラブでないです。人によっては不快感を催す可能性があります
放課後の訪れを告げるチャイムと同時に、教室からは三々五々に生徒たちが飛び出して行く。学生は学業が仕事なんて言われるけど、その業務を終えて一息吐いて肩に荷がないことを実感する瞬間はいつだって心が軽くなる。
どっからの野球馬鹿の親友と違って帰宅部歴は長いが、それでも未だに部活のない放課後に退屈など覚えたことがない。尤も、あの野球馬鹿の場合は小学校の頃から「甲子園に行く!」なんて吹かしてたくらいだ。肩を怪我をして部活を辞めたことで、これまでの全てに背を向け、徘徊する幽霊みたいになっていたのは仕方ないとも思ったが。
「楓せんぱーい!」
力強い声とともに教室に飛び込んできたのはもうすっかり良く見知った顔だった。同じ少年野球に所属していたらしい1つ下の女の子で、僕の親友の彼女(仮)らしい。全く見せつけてくれるなあと思う反面、男らしさに欠けるアイツよりも漢らしい彼女の存在に少しだけ同情もしておいてやる。
まあ内面まで全てが漢らしいかと言われればそうでもないみたいだけどさ。
「アキ先輩も失礼しますね!」
まるで牽制するかのような笑顔というにはあまりに堅い笑みをぶつけてくる女の子に、今僕から言えることはない。このままアイツを持ったままお引き取り願おう。
「うん、そいつのことよろしくね」
そう一言返して「秋人ぉぉぉおおお!」と叫びながら、実のところ本気で抵抗したりはせずズルズルされていく親友を見送ってやる。うん、実に良いザマだ。やっぱりアイツは少し困ってるくらいが見ていて一番面白い。ただ――
「少し危ないかもね」
あの子――櫻井こよみがが小学生の頃からずっと楓に懐いていたことは知ってるし、ようやくその長かった思慕を伝え、想い人を捕まえたんだから、他の物が目に入らないのは仕方ないだろう。
たとえそれが所属する草野球のチームの人間関係に関わるようなことであってもだ。
「ま、僕に出来ることは今のところないか……。ないかなあ……?」
朝から楓が色々と悩んで相談を持ち掛けに来てはいたが、その辺のことは大体楓自身が撒いた種だ。僕からは自分で何とかしろとしか言えない。チームの問題だからといって、僕が出て行っても解決出来ないどころか反感買うだけだしね。
「しっかしからかう相手もいないと暇になるねぇ……」
独り言も聞く相手は既に連れ去られた後だ。さて、今から何をするかなあ。なんかまた明日もチームメイトの父親のチームと練習試合をするなんて話が唐突に出てたし、その子の調整に付き合ってくれとも言われたっけ。
「かえでー」
既に去ったこよみちゃんから一手遅れで僕らの教室に飛び込んできたのは、隣のクラスの星野舞ちゃん――こちらも僕らと同じ草野球チームのエースピッチャーを務める女の子だった。つくづくアイツは性別問わずモテるなあ。この修羅場寸前の様相を羨ましくは思わないけどね。
「……秋人くん、楓は?」
教室を見渡して楓がいないことを確認してしまい、舞ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに声を潜めて僕にそう訊いてきた。
楓がいたらそのままのテンションで引っ張っていったんだろうなと思うと、それに唯々諾々と引っ張られていく楓の姿を思い出してほほえましくなってくる。
「楓なら今しがたこよみちゃんに引っ張られていったよ。だから調整に関しては僕が付き合う。投げるんだったら受けるよ?」
面倒掛ける親友の頼みもある。アイツに代わって次善の策として相手になることを申し出たが、舞ちゃんの表情は冴えない。
仕方ないか。そもそも河川敷で1人で練習を重ねていたというこの子を見出したのが楓らしいし、初めて出来た味方としてアイツに特別な思い入れがあるんだろう。
「……いいや、楓がいないなら今日はノースロー調整にする。試合は明日だしね」
舞ちゃんは少しだけ考え込むように唸っていたが、面白くなさそうに口を尖らせ、左手に握っていたボールをカバンにしまい込んでしまった。月曜日に500球くらい受けさせられた時もそうだったが、やっぱり表情にもピッチングにも感情が思いっきり出るな。この子。
良い鳥は枝を選ぶというが、この子も自分の力を出し切れる優れた相手を選り好みをするらしい。利き肩を故障した上に捕手歴の浅い楓よりも僕の方が力量はあるだろうが、まあ信頼関係の為せることか僕では不足らしい――要は気持ちよく投げられないと。
「ふふっ、舞ちゃんは本当に楓のことが好きなんだね」
当の楓本人は超が付くほどの野球馬鹿で、鈍感だから気付いていないんだろうけどさ。
鈍感に関しては目の前の少女も同類だろうが、流石に自分のことを『それなりに鋭い』と勘違いして、自分が超の付くほどの鈍感だと気付いていないあの馬鹿よりは感性も鋭いだろう。
「……そう、なのかな? ボクにはよく分からないや」
「僕から見ればよく分かるよ。だって楓が受けるときと僕が受けるときで表情が違うもん」
そもそも僕ならアイツみたいに「全部受け止めてやるから思うままに自由に投げろ」なんて言わない。全部受け止めてやるなんて度量もないし、「俺のミットが見えないならマウンド降りろ」を強要する捕手が好かれる訳もないか。
中学の部活も坊主云々は建前で、まともにボールを操るコントロールもねえくせに先輩風吹かす投手陣が鬱陶しいから辞めたわけだしね。楓にもそれは言ってないけど。
「表情……」
舞ちゃんはそう言いながら自分のほっぺたをむにむにと触って百面相を作っているが、自覚がないらしいな。
この子がどんな野球をしてきたか僕は知らないけど、女子にしては傑出した才能を持っているにも関わらずここまで大した実績もなく草野球で投手をやっているのだ。多分楓が同情するくらいには順風な野球をしてきていないのだろう。笑顔を取り戻したのはアイツの行動が実を結んだということかな。最初はポスターなんて描いてたからいきなり美術に目覚めたのかと思ったけど。
「アイツ――楓と野球をしていると舞ちゃんはいつも笑顔だからね。僕とやるときみたいに考え込んだりせず、ただ野球を楽しんでる気がする」
「うん! 楓と野球をしてると、すっごい楽しいよ!」
楓の名前が出た瞬間のこの衒いのない笑顔。無邪気でありながら少しだけ大人らしく艶っぽさも同居した笑みは、きっと見た男をころりと勘違いさせてしまうだろう。僕も『彼女』のことを思い出さないと危なかった。
「舞ちゃん、その表情は楓以外の男の前でしちゃいけないよ?」
「ん? なんで?」
どうやら自分の表情のことは無自覚らしい。まあアイツはアイツで無自覚に女の子を毒牙に掛けるタイプだし、案外似た者同士かもね。
「まあ大丈夫か……」
「ん?」
「あぁ何でもないよ。ただ舞ちゃんにとって楓が特別な存在な存在なんだろうなってこと」
多分その笑顔を引き出せるのも現状アイツくらいだろうしな。行動も感性も普通の女の子とズレていて、毎日のようにこちらの教室に来る辺り、おそらく自分のクラスに友達少ないんだろうし……。
「……うん。特別」
舞ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めて、それには「分からない」などと言わずに小さく首肯した。アイツならきっとキョドッた上にガキみたいに否定しただろうことを想うと、アイツよりは少し大人かもな。
「ボクはもうマウンドに立つことはないと思ってたけど、楓が立たせてくれた。勝たせてくれた。幾つも負けて、幾つも勝って、ずっと忘れてた負ける悔しさも勝つ嬉しさも全部思い出させてくれた」
おそらくは先の見えない日々の中で自主トレに励んでいただろう彼女の姿が、朧気だが幻視出来る。おそらくセンスはあっただろう。それでも小学生並みの体格で男顔負けのストレートを投げるために彼女が培った練習の厳しさはなんとなくでしかないが、推し量れる。
きっと病院巡りをしていた時のアイツと同じような何かを期待しつつも、その期待すら儚いものだと頭が理解してしまっているような、全部諦めているそんな目をしながらの決死の練習の日々だったんだろう。
「それはアイツも同じだよ舞ちゃん――いつか僕からもお礼を言わないといけないなと思ってたんだ。ありがとう」
「どうして秋人くんがそんなことを?」
「僕ではどうしてやることも出来なかったからね。楓を救ってくれた舞ちゃんには感謝してるんだ」
きっと舞ちゃんは楓が一度野球を絶たれたことを突き付けられた時の、手の施しようもなかったアイツのことは知らないだろう。
「右肩を壊した当時さ、アイツは相当荒れてたんだ。整体や接骨院に行って、大きな病院で検査を受けて聞きたくないような結果を突き付けられてはセカンドオピニオンを探して、それでもダメだということは変わらなかった。結果現実否定するように投げようとして、結局投げられなくて、夏前からずっと腐って、虚ろな目をしたままグラウンドを眺めて退部するか怪我からの望みのない再起を目指すか迷ってたんだ」
夏休みの間は数日しか会うことはなかったが、滝のような汗を流して学校の外周を走ったり、筋トレをしたりと投げないなりにトレーニングをしていたが、表面張力のように盛り上がったいつ堰が切れるか分からないほどの巨大な不安と、投げられないフラストレーションで余裕のなさが常に些細な行動にまで滲み出ていた。
少なくとも舞ちゃんと出会ったという日の昼間まではずっとイライラして、ため息ついて、変な呻き声を上げてといったことを繰り返していた。
「舞ちゃんも知ってる通り部活は辞めちゃったけど、舞ちゃんがいたおかげでアイツは野球を奪われずに済んだ。きっと舞ちゃんがいなきゃアイツは今でも死んだ魚のような眼でグラウンドを見つめ続けてたと思うよ」
今もたまに何かを思い出すような、夢想するような眼でグラウンドを――その小さな丘を見ていることがあるが、それでも野球を失わずに済んだことは今もアイツを支えてくれているだろう。
「……秋人くんは楓のことをどう思ってるの?」
「まあ腐れ縁であり友達だよ。一応親友だともね」
「そうなの?」
何故か舞ちゃんには首を傾げられたが、その言葉には流石に嘘も偽りも一切ない。
腐れ縁的と言えなくもないが、喧嘩も愚痴も、いいことも悪いことも大体一緒にやった仲だ。アイツがどう思ってるかはさておき、僕はアイツを親友だと思っている。だからこそ、アイツのこれからについての願いもある。
「僕はアイツに幸せになって欲しいだけだよ。負けず嫌いで結構頑固で、その癖案外ネガティブで打たれ弱い、自分の男らしさにこだわってるくせに野球部の姫だったけど、根は真っ直ぐで優しい奴だから」
「うん、知ってる。結構楓って打たれ弱いよね」
そう言って舞ちゃんも口元に手を当ててくすくすと笑う。どうやら共通認識は図れているようだ。この子も楓のことをよく見てるよな。
「努力家だけどさ。やっぱり恵まれてる側ではないと思うんだ。だから自分の力にいつも疑問を持ってたし、練習とかでも自分を追い込み過ぎてるところはずっとあったから」
「ボクのこととやかく言えるようなことしてないよね!」
「そうだよ。それで怪我をしたから舞ちゃんの練習し過ぎには敏感なんだ。過敏なほどにね」
実際楓の舞ちゃんに対する気遣いはたまに過保護入ってて気持ち悪いなあと思うけどさ。とはいえ、アイツの気に入った――好きになった人間に対する思いやりと面倒見の良さは本物だ。それに関しては良いことでもあり、時々アイツの弱点でもあるかもしれないけど。
「……そうだよね。本当に」
何かを噛み締めるようにそう呟き、舞ちゃんは教室の窓から外に目をやった。連れられて僕も外を見る。ソフト部は今日も遅くまで練習するらしいが、やっぱり楓は宣言通りこよみちゃんが練習終わるまで待っていてあげるのかな。律儀な男だ。




