第7話 橘BBG始動!④
2021/10/25改稿
2024/6/6 全体改稿
結局試合は7回のゲームセットを待つことなく終わってしまった。
13時から始まる次の試合のためにグラウンドを明け渡す必要があり、6回途中1-10の時間制限終了を以て、俺達【橘BBG】は敗れた。
「「ありがとうございました!」」
試合終了の礼。握手をしてゲームは終わった。
せっかく秋人が一振りでもぎ取った先制点も虚しく、いざ終わってみれば大差負け。それも【橘BBG】の得点は秋人のソロホームラン1本。向こうはホームランを含む10点だ。
ピッチャーの1人相撲であるフォアボール、デッドボールの類や味方のエラーではなく(ないとは言わないが)、ほとんどが打たれて取られている。真っ向勝負の向こう傷と言えば聞こえはいいが、実際はあまりに惨い力の差を思い知らされただけだ。
グランド整備を終えたみんなそれぞれに帰路に着く中、舞だけはグラウンド外の芝生に座ったままスパイクも替えずに膝を抱えていた。
「ボロボロだったね……」
しょんぼりする舞に、俺からかけられる言葉はない。
正直ピッチャーの数という手札の少なさも敗因の1つだろうし、公平にあみだくじで決めたとはいえ、結果として連打で繋げない打線を作ってしまった俺にも一因はあるだろう。戦略も戦術も全ての面で負けていた。
「別に舞1人の責任でもないだろ? フォアボールの連発で自滅したわけでもないんだ。それに俺も不甲斐なかったし……」
最近まで高校球児でありながらレフト前にポテンと落ちるしょっぱいヒット1本。盗塁の1つも刺せなかった俺の方が舞より相当情けないだろう。
「そうじゃない。楓のせいにしちゃ駄目なの……。目にモノ見せてやるって言ったのはボクなのに、これだけ失点してたら……」
「そんなことはないだろ。舞はゲームセットまで自滅せずに1人で投げたんだから」
実際櫻井姉妹の三遊間など味方の守備に助けられた部分もある反面、投げられない俺や、初心者助っ人のレフトやセカンドの守備でヒヤヒヤしたり、討ち取ったボールを落とされたりということもあった。
マウンドに立つ投手の気性次第ではバックに当り散らすことや、投球を乱して自滅するピッチャーもいたことだろう。舞の粘りは『素晴らしかった』の一言だ。
「でも……。打たれたのも、負けたのもボクのせいだから……」
「ああ、そうだな」
実際記録上の敗戦投手は舞だし、被安打20越えの10失点は大炎上以外の何物でもない。
「ボクがみんなを勝たせなきゃいけないのに」
「ばーか。気負い過ぎだ。独りで野球をしてるつもりか?」
「……そうじゃないよ。そうじゃないけど……」
「だったら自分の仕事をして、後は櫻井姉妹や秋人に任せとけ」
ここで「俺がお前を勝たせてやる」なんて言えたらカッコいいんだろうなあと思うが、3打数1安打で点に結びつかないシングルヒットしか打っていない俺が言っても恰好つかなそうなのでやめておいた。
「確かに今日は負けた。完敗だ。それでも始めから常勝チームなんて出来る訳ないだろ? チームが出来てまだ1戦しかしてないんだ。これから強くなる——いや、強くするんだろ?」
こくんと、ただ何も言わずに舞はただ1つ頷いた。それでも、完全に納得したという風ではない。頭での理解と感情論は完全に別物だ。一緒くたにならないのは仕方ない。
「……でも、負けるのは悔しいし、例え公式戦じゃなくても打たれるのは嫌だよ」
「まあそうだよな。俺だって嫌だったわ」
もちろん、そんな理想を体現出来るのはアマチュアの中でさえ易いことではない。
現実に舞は派手に打ち込まれて、1試合に20安打以上打たれて7回10失点。与四死球が少ないだけマシとは言え、実際酷い成績ということに変わりはない。
「だから、今ちょっとだけ胸を借りていい?」
「は?」
俺に否やを考える時間も寄越さずに、舞が頭から飛び込んで来た。
トンと突き飛ばされるような強い衝撃。視界に飛び込んで来る秋晴れの空。背中が芝に沈む感触。首筋にチクチクと刺さる固い植物の感触と、自分の上に伸し掛かっている熱く、柔らかい感触。
「え……?」
ショックが強くて少しボーッとしていたが、今の自分の状態を考える。
背中に芝生。腹の上に舞——あれ? 舞に押し倒されている? 俺の背に細い腕を回し、舞が俺の胸に顔を埋めていた。
全てを理解し意識した瞬間、一気に顔が赤くなるのが分かった。
「ま、舞⁉」
「ちょっとだけゴメン。直ぐ立ち直るから……」
顔を上げずに、汗で湿気った俺のシャツに顔を押し付けながらくぐもった声で舞が言う。彼女の熱い吐息が俺のシャツに染みこんで来る。
彼女の弱気が、女の子の柔らかさにたじろぐ俺を却って冷静にしてくれた。
「…………悔しかったな」
俺の言葉に返事はない。思いっ切り顔を押し付けられては彼女の表情を窺うことも出来ないが、アンダーシャツ越しに温かい何かが胸元に染み込んでくる。それだけで察するには余りあった。
彼女の震える小さな肩を抱くと、熱かった。早くアイシングしてやらないとな。
「やっぱり、舞は凄い奴だよ」
草野球には夏の甲子園も、春の選抜高校野球もない。観客のいない練習試合でさえ舞にとっては培った力を披露出来る桧舞台なのだ。ましてや相手が舞にとっては『女の子だから』という理由で野球への参加を許さなかった橘市の親父草野球チームの一員なのだから悔しさも一入だろう。
それが頭で理解出来てなお、俺には舞のように全力で悔しがるという事が出来ない。負けた悔しさはあるが、それでも次のある草野球の負けの1つだと思えてしまう。
『お疲れ様』そう労わるように舞の髪を撫でる。全身を全力で動かすピッチングの邪魔にならないように、肩の上で切り揃えられた鳶色の髪が、彼女がどんな少女なのかをよく表していた。
「ほら、折角胸を貸してやるって言ってんだから、吐き出せるうちに吐き出しとけ」
「うん……」
そう勧めたが、結局舞は最後まで大泣きすることはなかった。嗚咽を噛み殺し、涙を流す。ただアンダーシャツに染み込んでくるその涙は、触れたところを焦がすように熱かった。
☆☆
何分ほどそうしていただろうか、すっかり平静を取り戻した舞が顔を上げた。まだ目は赤いが、勝気な光を放つ瞳はいつもの舞だった。
しかし、こうして舞が元気になると、芝生に押し倒されるように2人重なったこの状態が凄く不埒な事をしているような気にさせられるな。幸い、首元がキュッと窄んだアンダーシャツの作りのおかげで胸元が見えることは無かったが細い肩や軽くも柔らかく温かい感触に凄い、ドキドキする。
「もう落ち着いたか?」
「うん、ありがとう楓。それとゴメン。カッコ悪いところ見せちゃったね」
平静を取り繕いながら問う俺にそう応え、舞が俺の上から降りてくれた。
抱き締めた彼女の肩の細さや小さな身体の柔らかさに名残惜しくなるが、そうは言っていられない。俺たちは今日の敗者だ。いつまでもそうして芝生に座していたのでは本当に敗北者になってしまう。
「俺はカッコ悪くないと思うぞ。負けを本気で悔しがれる舞をカッコいいと思うよ」
「…………ずるいなあ」
「何が?」
「色々と」
舞がよく分からない事を言ってプイッと顔を逸らした。俺何か良くない事した?
「おかーさーん! さっきの人達ちゅうはしてなかった!」
芝生広場に居た10歳くらいの女の子がそんなことを母親に報告していた。お母さんが「見てはいけません」ってその子の手を引いて行ってしまったが、追って行って訂正する気も起きなかった。
そう思うのが普通だよな。人目もある日中の公園で相手を押し倒してくんずほぐれつするのはバカップルくらいだろう。まさか恋仲でも何でもない野球仲間同士とは思うまい。
「あはは。ボクたちそんな関係じゃないのにね」
「…………そうだな」
実際俺もそう思っているし、否定する気もなかった。それでも舞にあっさり否定されるとなんだかグサッと来てしまうのは幾ら何でも自分都合過ぎだろう。
「どうかしたのなんか凄い顔になってるけど? 梅干しでも食べた?」
「なんでもない! それよりここから動くぞ。いつまでもゴロゴロしてたら眠くなっちまう」
「よし! 行くよ!」
そう応える舞は既に見慣れた持ち前の天真爛漫さを発揮している。その姿からはつい今の今まで泣いていたとは思えない。
「切り替えが早いのはいいことだ。今日だって全部が全部駄目だったわけじゃないんだから、練習して、反省点を治すぞ」
「うん、そうだよ! たった1度の敗戦なんかで、いつまでもクヨクヨしてられないよ! お昼ご飯を食べて、早速練習するよ!」
身の丈に合わないほど大きなエナメルバックから、大きめの保冷バッグを取り出して舞がそう言う。中身は弁当か?
「えっ……? これは『また明日から』とかそういう流れじゃないの?」
「まだお昼だよ? 日が沈むまで4時間はあるよ!」
「あ——」
開いた口が閉じなくなるとはこういうことを言うのか。ハツラツとした活気を取り戻した舞は呆気に取られた俺も置いて、さっさと行動に移ってしまう。相変わらずの強引さだけど、彼女の負けず嫌いも強引さも分かって来た。
野球に対して貪欲——飢えていると言ってもいい。そんな彼女の在り方に思わず笑みがこみ上げてくる。
食べる方も、貪欲だな。手に持っていたおにぎりとプロテインバーが目を離したらもうそこになかった。
「じゃあまず、公園のジョギングコース10周から行こうか!」
「ちょっと待て! せめて量を減らさないか⁉ 舞さっきまでヘロヘロだったじゃねえか。それ以前にいつの間におにぎりを食べたんだよ⁉」
「食べれば回復する! さあ行こう!」
そう言いながらも既に舞はストレッチをしてスタートの準備をしている。さっきまであんなにヘロヘロだったのによくまあこんなに元気が出るな。
バナナを食べておいてよかった。まだしばらくは身体も耐えられそうだ。
「はいはい分かったよ! ……舞、次は勝つぞ!」
「おー!」
俺の檄に舞が声を重ね、2人分の靴音が重なる。
なお、走り出した俺たちはジョギングコース2周目に差し掛かったところで、揃って公園の管理人に止められてしまった。曰く『ジョギングコースをスパイクで走ってはいけない』事と、『衆人環視を気にすることなく昼間から芝生広場でおっぱじめるのは止めよう』という至極真っ当なお説教だった。後者については全面的に誤解なんですけどね!
あわや学校に不純異性交遊として連絡するとまで言われてしまった。説明を重ねてようやく分かって貰えたが、俺たちを帰し際に管理人さんが言った「星野さんちの娘さんだもんなあ」と言う呟きは何だったんだろうか?