木曜日:与えられた選択肢、選び取る道③
にゃんにゃんタイム
昼休み、待ち合わせ場所の中庭は今日も俺とこよみしかいないという有様だった。そもそもこの中庭のデザインをした奴はどの程度の学生が太陽の下で飯を食うと思っていたのだろうか。まあいない方が今の俺たちには都合がいいんだけどさ。
しばらくきょろきょろと中庭と中庭を見下ろす校舎の窓を注視していたが、一体何をそう気にしているのか。いや、昨日ピロに見られていた一件で俺も危機感湧いたけど。
「ほらよ、弁当。手抜きで悪いけどな」
もはや極限まで手抜きされたチャーハンと中華スープだけという簡素な昼飯だったが、こよみは諸手を挙げて喜んでくれた。……こんなもので喜ばれると少し良心が痛むな。
「先輩は、やっぱり優しいですね」
「……そうなのかな? 全然自分じゃ分からないけど……」
そもそも優しいって何なんだろう? このこよみにも舞にも申し訳ない状況を作るような愚かしさが優しさなんだろうか? 本当に優しいならほかにもっとやりようって物があるんじゃないだろうか? 駄目だ。やっぱり分からん。
「変わらないです。下の子たちが敗けて悔しい想いをしてる時とか、エラーをして凹んでいるときに、いつも声を掛けていたのは先輩でしたから。……まあ下の子たちがそんなことで泣いてるときなんかは、先輩もいっつも泣いていたわけですけど」
「……そんなに、泣き虫だった覚えはないんだけどな」
「私が覚えてる限り先輩の目、いっつも真っ赤だった気がするんですけど?」
うん。嘘吐いた。この間記憶の中にこよみを見出した際に見ていた『橘ブレーブス』の記録を遡るごとに、苦い敗戦の数々が思い出されたくらい、俺は負けて、涙を呑んだ。
管理野球を嫌う監督やコーチの方針のままに荒く拙い野球をしていたことで、あのチームは総じて守備力低かったこともあって、決勝点がタイムリーエラーなんてことは割とザラだった。結果、泣いたのは大抵俺だ。
「下の子への面倒見のいいところが変わっていないのは、私も嬉しかったです」
「そうか? 野球部でも今のチームでもいい先輩とは言い難いと思うけど」
「私にとっては面倒見がいい先輩、ですから。……ピ――田中先輩にも聞きました」
「ピロに?」
田中浩美――通称ピロと俺は呼んでいるソフト部のキャプテンの名前がここで出るということは、俺とピロの賭けの事とかも聞いてしまったか?
「先輩が私のためにいろんな方面からサポートしてくれていたんだと、教えてくれました。私のためなら最悪ソフト部の女子マネになってもいいなんて賭けをしたことも……」
「そんな賭けはした覚えねえからな!?」
ピロの奴何をどう脚色したらそうなったんだよ! もっと美談にすべきところが他にあっただろ! ピロの奴は俺がソフト部の奴に隠されたバットを探し出してこよみに返したこと知ってるはずなのになんでそこだけピックアップした! つーか女子マネになるなんて話は一切出てねえからな! ピロのやつ後でとっ捕まえてやる!
「私はその……。服装は今のままの先輩の方がよかったです」
「女装の是非は訊いてねえよ!」
つーかなんでこんなに盛大に脱線するの? ピロのせいだよな? 俺怒っていいよな? ピロ奴今度あったらとっちめてやる!
「……ねぇ先輩、久しぶりに、頭、撫でてくれませんか?」
「は?」
そして突然この子は何を言っているのだろうか? いや、この手の過程全てを100マイルのストレートでぶち抜くこよみの要求はもうある程度慣れたか。いきなりフェイント掛けられてキスされることを想えばまだ易しいと言ってもいい――いや、確実に感覚がおかしくなってきてるな。
「……それも覚えてないんですか? 昔はよくやってくれたじゃないですか」
「…………うん、やってたなあ」
確かに記憶の片隅にそんなことをしていた思い出はある。つーかあの頃の俺ロクなことしてねえな! ハグして頭撫でまわして、当時11歳のこよみ――思春期の始まった女の子にするには不適切なことばっかりだ。
「……やってくれないんですか?」
口調は落ち着いているのに、その目は明らかに肉食獣の眼光を放っているあたり、俺に拒否権はないな。頭を俺の膝に委ねてころんとベンチに寝そべると形のいい胸が揺れた。……目の毒だな。とはいえやらないわけにもいかず、彼女の要望のまま頭を撫でていく。野獣だゴリラだと言ってみてもやっぱり髪は女の命っていうのはあるらしい。艶やかで細い髪が指に吸い付くようだ。気持ちよさそうに目を細めていたこよみが呟く。
「……やっぱり私、先輩と2人の時間が好きです」
「……俺も、好きだよ」
それは俺にとって偽らざる気持ちだ。忘れていた時間が記憶と共に色彩を取り戻していく――確かにあったあの時間を地続きに感じる。敗けは込んでいたが野球が一番楽しかった頃を思い出す。
負けず嫌いで努力家だった1つ年下の女の子を、俺は多分あの頃と変わらず好きだ。




